明星に誓って   作:テロン

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サーカス

 

 

 

 

 恍惚、と表現する他ない。

 

 十年前、小高い丘の上。

 巨大生物が結界を破壊し、地に溢れた夥しい数の魔物たちが我先にと都市に殺到していく。逃げ場など何処にもない。

 一人また一人と爪に、牙に、空から襲う嘴に血を吹き出して倒れていった。捕食のためですらない、滅ぼすという意思だけでなされる虐殺を前にして。

 

 

 ソレは、恍惚だけを顔に浮かべていた。

 

 

 今はもう地図にない街、ファリハイド。

 

 人魔戦争で始祖の隷長(エンテレケイア)の標的となったその街が滅んでいくのを、ジーンは頬を高揚させながら見下ろしていた。

 例え魔物が地を埋め尽くしていようと、一方向くらいは殺し尽くして退路を確保できる力を持ちながら、そうしようなどと全く考えなかった。

 

 考えず、飛び去っていく魔物を見つめていた。

 

 あれだ。

 

 あの魔物。人を滅ぼす力を持った魔物。あれを追わなければ。他にも仲間がいるのならそれを全部焚き付けて、全ての都市を襲わせて。

 

 そうしたら本当に、人類は滅ぶことができる!

 

 人一人では到底なし得ないことが、実現出来る。

 

 

 その発見に、醜悪な生命が歓喜していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「近付かないで。所々腐っているから」

 

 言った側から、ばきりと床を踏み抜いた音が響く。

 

 外界から隔絶された空間に、客人がやってきたのだ。目的も、どうやってここに辿り着いたのかにも想像がつく。

 だが、理解は及ばなかった。

 

 渇いた赤黒い血痕の染み付いた席を立ち、低くなっているステージへ飛び降りる。ギルドの他のステージとは違って、ここの床は真っ黒だ。

 だから、白い衣装がよく映えた。

 

 夥しい量の血肉が折り重なったことで出来た色だとは、このステージを歩く者にしか理解できない。

 

 ふわりと降り立って、ジーンの両腕は自然と拍手を待つように広げられていく。中央、天井から差し込む光の下に飛び込めば、自然と呼吸が深くなった。

 

 銀糸が光を弾き、烟るような睫毛の隙間からパールグレーの瞳が覗く。ステージに立つために作られた、薄布を何重にも重ねた衣装が、ふわりと揺れて目を楽しませる。

 指先の動き一つ一つが武器になる。目線を流すだけで、誰もがジーンの虜だった。ゆっくりと、幕を上げるように視線を上げていく。

 

 薄青の瞳と、視線が合ったと感じた。

 劇場の入り口はこの空間で最も高い場所にある。夢とは落ちて行くものだ。だから、夢の入り口は劇場の最も高い場所になければならない。

 そこに、複数の人影があった。

 

「ならジーンも危ないです、こっちに上がって来てください」

 

 問答。ジーンの苦手なものだ。音の羅列を言葉として捉える作業は、ジーンにとっては苦痛でしかない。それでも、このステージに立つ限り脳裏に響き続ける、甲高い悲鳴に耳を傾けるよりは些かマシな行為だ。

 

「お集まりの皆々様。花精(ティターニア)の夢へようこそ。今宵、すべてを忘れて浸る極上の体験をあなたに捧げましょう。望まれた夢を、望むあなたへ」

 

 囁くだけで、誰もがジーンの声に耳を傾ける。

 

「ジーン!」

「その名を呼ばないで。私は『座長』。この醜悪な夢を描いて、人を現実から連れ去る、夢の番人。夢の世界に個人名なんてナンセンス。私は花精(ティターニア)が走り去った後に残された足跡を追い、彼らの紡ぐ夢現の中に生きる身。この舞台の座長であること以上に、私を表すものは無いのだから」

 

 そっくりそのまま、先代『座長』と同じ文言。

 

 八対の瞳が、ジーンのステージを見つめていた。あの時のジーンとは違い、冷めた現実の中で。

 

 何故傍観者でいる、と。エルシフルが見せた先代の幻覚は糾弾した。

 傍観者なんかじゃない。

 既にステージの幕は上がっている。上がったまま、終わらせ方が分からなくてずっと上演が続いたままだ。

 

「ねえ、リタがエアルをなんとかする方法を見つけたんだ。星喰みを倒せるかもしれないんだよ。ジーンも一緒に行こう」

 

 少年がジーンの忠告を無視して階段を駆け降りてくる。残りの面々も恐る恐るそれに続いた。あの日焼け落ちずに残った最後の劇場が、踏み荒らされてまた崩れていく。

 

「行かない」

 

 ステージに踏み込むな、と警告するなら目線と指先を少し動かすだけでいい。今ジーンはこの公演の主だ。観客席の人間を操作することなど造作もない。

 

「なんで!?星喰みを放っておいたら世界が滅ぶんだよ?」

「でしょうね。別に、良いんじゃない?」

「何言ってんだ、ジーン!」

 

 入ってくるなと告げたのに、一人の青年がステージに飛び込んだ。影の中から、光に照らされたジーンを睨んでいる。

 

 ユーリ。ジーンの弟。

 生きているとは聞いていたが、実際に生きて動いているところを見ても何も思わなかった。当たり前の話だ。家族に対する情など、ジーンはとうに持ち合わせていない。

 

 一歩近付いて来て、足元の感触と立ち上る匂いに、ふとその端正な顔が驚愕に染まる。

 

「ここ、は……」

「ね?殺した方がマシなことって、世界にはいくらでもあるでしょう?」

 

 それ以上この床を踏むことができないようだった。足を動かさず、僅かに青褪めた顔でジーンを見据えている。

 その程度で踏み込んできたのだ。いっそ笑えてくる。どういう甘い目算でここに来たのだろう。まさか迎えにくればホイホイと着いて来るとでも思っていたのか。

 あの日、ザウデでジーンが何をしていたのか、彼らは理解していないんだろうか。

 

「君たちは何のために世界を救うの?死にたくないから?それとも、死んでほしくない人がいるから?」

「どっちでも同じことだろ」

「そうかしら?ユーリ。あなたはラゴウとキュモールを殺したわね。アレクセイが死ぬのも仕方ないと思った。また同じような人間が出てきたら、死んでも良いと思う。違わないわよね?」

「……何が言いたい」

 

 唸ったユーリに、ジーンは薄く微笑んだまま首を傾げた。

 

「死んだ方が良い人間、死んで欲しい人間、死にたくない自分、死んで欲しくない人間。いったい何が違うのか知ってる?」

 

 人間なんか矛盾だらけだ。己の命は惜しいのに、他者には容易く死ねよと言える。誰かを守ると嘯いて、違う誰かを踏み躙っていく。

 

「一つだけ訂正させろ。この世に『死んだ方が良い人間』はいねえ。正義の為でもそうでなくても、人が死ぬことはある。死んでくれって人間も確かにいるだろう。けどそいつらだって、死んで良かった訳じゃねえ」

「それは君がそう思い込んでいるだけでしょう、ユーリ。やったことを後悔したくないから。命の価値を不平等にすると、君の選択は途端に無意味になるから。だって君は、数で命を選んだものね?」

 

 生かしておくとさらに死人が出るから、殺した。それは命の価値が平等でないと成り立たない理屈だ。

 けれど彼にだって優先する命はある。世界の滅びという現実的な危機を前にして、少女一人を選んだように。

 

 そうやって、矛盾する。

 正義だとか、不義だとか、その上に乗る理由など何の意味もない。やったことだけ見れば、彼は命の取捨選択をし、自分の価値基準だけで人を殺した。誰かを助ける為に誰かを殺すというのは、結局そういうことだ。

 ならば好き嫌いで死ぬ人間を判断して良いし、気に入った人間を助ければ良い。そうした行いを、人は自分に都合がよければ善と、悪ければ悪と呼ぶ。

 

「ジーン。着いて来るも着いて来ないも個人の自由よ。まして成功するかも分からない賭け。リタの事が信じられないのなら、なおさら着いて来る理由はないわね?」

 

 口を挟んだジュディが、ジーンの刺すような視線を意に介さずステージとの境にある手すりに足をかけた。

 

「でも、あなたはこう言ってる様に聞こえるわ。死んでも構わない、世界が滅びても良い、って」

「ああ、そこから言わなきゃならないの。言ったはずよ、私はもう選んだの。アレクセイは殺さない。星喰みを招く満月の子も殺さない。その結果、世界が滅ぶという道を、私は選んだ」

 

 降りて来ようとしたジュディを、ユーリが手で制した。賢明な判断だ。無為に死者を愚弄する趣味が無いのなら、この床は踏みつけない方が良い。

 

「世界が滅びても、人が滅びても、私が死んでも、それは全て同じ事。私にとって違いはない。私と人間との関係が断ち切れるなら、もうそれで良い」

「知らなかったわ。あなたの不殺の誓いって、こんな所に閉じこもって、世界が滅びることを知りながら目を瞑ってるだけで達成出来るくらい軽いものだったのね」

「まだ私がそんなものを続けてると思っているの?」

 

 激昂させるつもりだったのだろうか。静かに返された答えに、彼女は僅かに身を引いた。

 

「……不殺の誓いは殺させずの誓い。決して目の前の殺人を許さず。許せば私は止まれなくなるから。不殺の誓いは殺さずの誓い。決して自ら他人を殺さず。これ以上、無意味な死を積み重ねないように」

「無意味……」

「だって、いくら殺してもいなくならないの。私は一人しかいないし、腕も二つしかない。世界全てを殺し尽くすにはどうしても、どうしても足りない!」

 

 ジーンの咆哮に連動するように、バツンと舞台装置が起動する音がした。とうに滅びた劇場が、十数年の時を経て息を吹き返す。

 

 何故ならここに、劇場の主人がいるからだ。

 

 ジーンが唯一の出演者で、座長で、観客席には誰も座っていない。皆、生きていないからだ。殺して殺して殺し尽くした上で進むジーンの道を、死んでいった者たちだけが鑑賞していた。

 

 バン、と軽快な音と共に七色のライトがジーンを照らす。レコードがひとりでに回り始め、ひょうきんな音楽を奏で始めた。

 

「けど、アレがやってくれるというなら話は別。星喰みが代わりに殺してくれるんでしょう?人魔戦争の時、或いは一千年前にやり残した仕事を果たす為に」

 

 指揮をとるように片腕を掲げれば、研がれた剣の切っ先がズラリと並んだ。これが幻覚か、それとも本物か、思考する必要はない。ここは元より夢の世界。現実味なんか意味がない。

 

「ああそうか、そうかよジーン。結局お前は、どうやったら一人でも多く人を殺せるかしか考えてねえ人間なわけだ。殺人衝動だ?お高く止まるなよ。お前はただ、他人が生きているのが気持ち悪いだけだろ」

 

 笑みが溢れた。

 そういうことだ。ここまで来ないと彼はジーンを理解することがなかったとも言える。

 

「人の死を目にした時、私が何を思うのか想像がつく?」

 

 弧を描いた剣が、全てジーンの方を向いて停止する。

 

「良かった、って。安堵するの。また一匹人間が居なくなったって!心の底から歓喜するのよ。もう分かるでしょう?死んだ方が良い人間って本当にいるの」

 

 そういう人間なのだ。

 ただ人間という生き物が嫌いで嫌いで仕方なくて。視界に入るたびに殺したくなるくらいに壊れ切っていて。その衝動の通りに殺し続けて生きてきた。

 

 むしろ、()()()()()()()()とすら思っていた。

 

 殺して殺して殺し続けて。終わりの見えない作業に疲弊した時に、死なない人間に出会った。

 

 自分の夢など叶うことはないと、粉々に打ち砕かれるのは気分が良かった。殺しを縛って、ただでさえぶち壊れた人格がさらにすり潰されていく感覚に陶酔していた。

 

 それが一瞬の、代替行為であったから。

 

 ジーンは、自分の行為が悪であるという絶対的な感性が、ある。

 さっさと死んだ方が良い人間だという自覚がある。

 

 だから。

 

「ジ……ッ!」

 

 全ての剣がジーンの元に落ちてきた。落ちる寸前に巨大化し、煙を上げて突き刺さる。

 

「焦るなよ」

 

 ()()()、ジーンは死んでいない。

 本当の悪人は、死を望まれたとして死にはしないからだ。

 

 ジーンの名前を言いかけたユーリに、そう吐き捨てた。突き刺さった剣はジーンが触れれば消えていく。床に傷の一つもない。

 この程度で死ぬようなら話はもっと簡単だった。むしろここから気をつけなければならないのは彼の方。

 

 カキン、と甲高い音が鳴った。

 

 突き出したダガーの刃先が、同じく短剣に防がれている。

 

「血迷ったか、ジーン。前をよく見ろ!刃を向ける相手を間違えるなよ!」

 

 ジーンが狙った白い首筋を守るように、紫の羽織が降り立った。

 普段の態度をかなぐり捨てて吼えている。

 

「よく見てるおかげで余計なもんまで見えてるよ。二度とその面見せるなって言わなかった?」

「また来るって言わなかったか?逃げられたら追いたくなる性分でね!」

「それで、わざわざ殺されに来たんだ。馬鹿じゃないの」

 

 この男に限らず、引き返すポイントなどいくらでもあったはずだ。ジーンは何も隠していない。魔物の多い森、外部と隔絶した空間、焼け落ちた街、夥しい量の遺骨。

 ここでジーンが何をしたか。何故姿を消したのか。理解して尚ステージに上がってしまった。

 

「そこを退け、お前は次だ。まずはそいつから殺す」

 

 ならば殺すだけだ。このステージに立ち、生きて出られるのは『座長』だけ。ここは血と殺戮を愛し、邪悪に笑う花精(ティターニア)の腹の中。

 

 剣が抜かれた。それだけでなく、短剣、斧、細剣、槍、銃、鎖。

 ようやく、目の前にいるのが何なのか理解したのか。

 

「私はもう引鉄を引いた。世界には滅んでもらう。それを防ぐと言うのなら、私はお前たちをここで殺して阻止するだけ。当然の理屈だろ?」

 

 それは、ジーンが始祖の隷長(エンテレケイア)に与えられた権利だ。

 滅ぶか滅ばないかの選択を託された。一度選んだなら、その道を歩き切らなければならない。

 

「遅かれ早かれこうなってたんだよ、レイヴン。私に殺されるようなら、どうせ遠からず死ぬでしょう」

「冗談。死に方も分からねえような奴が、一体誰を殺せるって言うんだか」

「…………はは」

 

 渇いた笑いが漏れた。

 

 次の瞬間、怒りに任せて眼前の二人を吹き飛ばす。ステージの壁に折り重なって衝突した所に、追撃のため突っ込んだ。誰の、せいだと。

 短剣が咄嗟に急所を庇う。手口を知り尽くした男の仕業だった。イライラする。

 

「キレが悪いね、ジーンちゃん。俺に防がれるようなお前じゃないだろ?」

「喋るな」

「生憎と、こっちはお喋りしに来たんでね。おっさん、まだいけるか?」

「あいよ!」

 

 ユーリとレイヴンが体勢を整える隙を稼がんと、頭上から牽制の射撃が襲った。同時に、飛び降りようと小さな影がステージ端に乗り上げる。

 

「ガキは近付くな!!」

 

 しくった。これでは警告でなく、悲鳴だ。

 ジーンは咄嗟に、防御でも攻撃でもなく前進を選んだ。利き腕にまともに銃撃を食いながらも、ステージに降りようとしたカロルを蹴り上げる。

 

「うわっ!」

「ジーン姐……!」

 

 大した傷じゃない。出血量を見て無視を決め込んで、後方に下がりながら劇場内に無数に仕掛けられた魔導器(ブラスティア)を作動させる。ステージ奥の格子戸とその奥のハッチを開けば、染み付いた血肉の匂いに誘われ外の魔物たちが餌を求めて駆け込んで来た。

 

 左腕を振るえば、格子戸の正面に炎の輪が出現し。

 

「GYAAAAA!!」

 

 火の輪くぐりだ。そのまま手近にいたジーンに食らいつこうとした獅子型の魔物の牙をひらりと避け、赤黒く光る右腕で喉元に触れる。

 それだけで、魔物はジーンを餌から除外した。

 

 続け様に駆け込んでくる魔物の全てが、同じようにジーンのステージ上で脆弱な人間に向けて牙を剥く。慮外の強化を得て、観客席まで飛び込んで、腐りかけた板を踏み砕きながら命を狙おうと。

 

「野生の魔物でしょ?どうなってんのよ……」

「これは始祖の隷長(エンテレケイア)の……。だとしたら、相当な無茶をしているはずよ」

「それだけお前らにここに降りてきて欲しくないんだろ。俺もアンタと同じ下町の出なもんで、なんとなく想像はつく。ガキの方が調達しやすいよな。アンタもその一人でしかなかったわけだ。この床の血、殆ど子供のもんだろ。墓地の骨も、大人にしちゃ小さいものが多かった。確か子供、嫌いって言ってたもんな?」

 

 答えずに、ステージの中央でジーンは天を仰いだ。

 

 ライトが足りない。歓声が、下卑た笑いが、足りない。脳裏にこびりついた子供の悲鳴を掻き消すに足る、騒音が。彼らが何を言っていたのか理解してしまわないように、もっと、もっと。

 

「ったく、馬鹿やるのも大概にしろよ」

 

 声と共に迫る矢を弾こうとして、腕が上がらなかった。動かない腕に刺さった淡い色の矢が、術の効果だけを残して消えて行く。

 治癒の矢だ。それだけで腕が動くようにはならないが、止血の効果はあった。

 

 構えた弓を下ろして、コキリと首を捻った男が正面に立つ。

 

「もー、いつまで経っても戦い方が上手くならねえの、こっちの心臓がもたないからやめてよね」

「とっくにもってないだろ」

「言うねえ。奴らが俺のこと狙わないのも、勘弁して?」

「はあ?そんなわけ……」

 

 言われた通りだった。レイヴンの背後で獲物を狙う魔物たちは、真後ろで無防備に立っている男に見向きもしない。理由についてジーンは全く感知していないが、どういうことだか。

 

「食い出がないんじゃないの」

「これ、ジーンちゃんの意思だろ?そう見える?」

 

 これ、と蠢く魔物を親指で指す。あれ自体、どういう仕組みなのかジーンも把握していない。この世の中にはそうした意味のわからないことが沢山あった。始祖の隷長(エンテレケイア)など最たるものだ。

 

「お前の仕業か?」

 

 問いかけても、答えはなかった。否定がないのが一番の回答だろうか。

 

 ふう、と息を吐いてから魔導器(ブラスティア)にこれでもかとエアルを注ぎ込む。この空間自体が、そもそも一つの巨大な魔導器(ブラスティア)によって幻に包まれていた。その核に最も近く、その作用が最も強いのがこの劇場、ステージの中心。

 

 夢の中ではなんでもありだ。だから、こういうことができる。

 

 緊張した面持ちの子供たちが、ジーンの脇をすり抜けて走っていく。手にそれぞれよく手入れされた道具を抱えていた。

 

 奇妙なメイクを施された男が、片足を引き摺りながら身振り手振りで戯けていた。わざと転ぶと、倒れ込んだところからポンポンとカラフルなボールが飛び出してくる。

 

 それを受け取って、迷惑そうに背後に投げ飛ばす少年がいた。一つ二つ、三つ四つ。どこまでも増えていくその球は、気付けば空中を連なって円を描いていた。

 

 頭上をブランコに乗った華奢な女性が右から左へ通り過ぎる。手には火花を吹き出す筒を持って光の線を引いていた。

 

 金銀の紙吹雪が舞った。狂ったようにライトが回っている。楽団の演奏は最高潮で、高らかにシンバルを打ち鳴らしていた。

 

 そこにあるのは、サーカスの姿だ。誰かを魅せるためだけに生涯を捧げる、夢の住人たち。

 

 こうはならなかったもの。

 夢の中にしか存在せず、現実からは姿を消したもの。

 

「……もー。だから泣くなら最初からするなって」

「泣いてないし」

「あのねえ……」

 

 皆死んだ。ジーンが殺した。一人一人の死に顔を覚えている。本当は何と言って死んでいったのかも、全て覚えている。

 

「だとして。そんなもの、ただの虫の鳴き声と変わらない。私はそんなものに心を動かさない。だって私にとって、命の価値は不平等だ」

 

 そう思っている人間にしか、人は殺せないのだろう。

 

「なら、俺の声も元通り、聞かなきゃいいだろ」

 

 何を言っているか、理解出来る。ただの音でしかないそれを、ジーンはわざわざ拾って会話を成り立たせている。記憶の中を掻き分けて、この男の声を探ろうとする。

 

「見たくもないなら見なきゃいいだろ。会いたくないなら、ここでいつまでも待っていなきゃ良かった」

 

 不完全だ。どれも真実で、どれも正鵠を射ない。

 

 ジーンは心から人の死を望んでいる。

 ジーンには人の死を悼む心がない。

 ジーンは人が死ねば安堵する。

 ジーンは、人が世界ごと滅べばいいと思っている。

 

"それはあなたの真実ではありません"

 

 静かな声を思い出した。

 どこまでも。あの声が耳の奥に響いている。

 

 

 

 

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