「顔に傷のある大男、アンタが下町の
「……ねぇ、ごめん、今更なんだけど下町の
逃げたラゴウの船に飛び乗ったユーリ達は、そこでラゴウと協力関係にあったらしい男と出会した。一旦この男のことは置いておこう。
話の内容が掴めていないジーンがこっそりカロルに話を聞くと、彼は囁き声で「ユーリは盗まれた
「下町って……帝都の?」
「そうらしいよ」
「……ふーん」
下町を構成する余裕のある街など、帝都しかないか。
どうかした?と首を傾げるカロルになんでもないと返して、すわ戦闘か、と身構えるユーリの後ろ姿に唾を飲み込む。
その奥で、黒幕二人は不審な動きを見せていた。
「……ラゴウ、あいつまた逃げる気よ!」
「させるかよ!」
脱出用の小舟に逃げ込んだラゴウと傭兵団の男の前に、赤髪の奇妙な男が立ち塞がった。
黒い服に殺傷力の高いギザ歯の小刀。見るからに暗殺者の装いだ。
「……!あなた、お城で!」
「どうやら縁があるみたいだな」
「なに、またアンタの知り合い?」
「前にちょっとな!」
「暗殺者と?ユーリくん、君は交友関係を見直した方が良いんじゃないかしら」
ラゴウ達は結局、男を残し逃亡を図った。追うにも、暗殺者が邪魔だ。小舟を吊り上げていた縄が切られると、船が衝撃に揺れた。
「わ、爆発!?」
「あいつら!船に爆弾仕込んだわね!?」
「不味い、消火を!」
「それよりこいつだ!来るぞ!」
咄嗟に水の魔術を発動したジーンに、ユーリの鋭い声が飛んだ。相手が何を言っているのかは不明だが、こちらに敵意があるのは明確だ。
構えた小刀の隙間から、悦に歪んだ瞳が覗く。
「さあ、誰を斬らせてくれるんだ?お前か!?」
「あら、暗殺ギルドさん家の暗殺者からご指名みたいよ、ユーリ。アンタ、指名料はいくらなの?」
「ローウェルさん家のユーリ君は、そんなにお安くないんだがね」
「こいつ、なんかヤバくない!?」
呆れたリタと焦るカロル。エステルは一度会っているらしく動揺は少ない。ラピードは静かに刀を構えている。
「───は?」
誰もが敵に集中する中で、ジーンの小さな声に気付いた者は居なかった。
「ローウェル?……ユーリ・ローウェル?」
泥の匂いがする。呻き声と怒鳴り声が仕切りに響いて、隙間風に震える身体を痛めつけていた。
金が無かった。食べ物が無かった。水が無かった。皆がボロ布に身を包んで、朝から晩まで働いていた。
小さな幸せを見つけて、痩せ細った人々が輪になって笑っていた。小さい手を握りしめて、笑うあの子を見つめていた。
それが、ジーンの知る下町だ。
ああ、やっぱりそうだった。
ユーリ・ローウェル。
それは、遥か昔に置いてきた、弟の名前だった。
弟。暗殺者。死。
無意識に身体が動いた。
ユーリの前に滑り込んで、向かって来る小刀をダガーで弾く。甲高い金属音が、やけに耳についた。
「ジーン!?無理すんな、下がってろ!」
「……っあ、ユーリ」
慌てたユーリがザギを蹴り飛ばし、ジーンの背を掴んで自身の後ろへ回す。
「死、ユーリ」
「死なねえよ、大丈夫だ!エステル!ジーンを頼む」
「は、はい!」
トンと身体を押されて、エステルの腕に抱えられる。そのまま甲板の縁まで誘導された。
ダガーを握った右手が震えていた。指先が固まっていて、引っかかったようになっている。
「ジーン、深呼吸です。落ち着いて。ユーリは死にませんよ。私たちが殺させません」
「……ユーリ」
「そう、大丈夫です」
エステルがそっと指先を解いて、取り上げたダガーを落ちていた収納ケースに仕舞う。ジーンは何処も怪我をしていなかったが、エステルは優しい表情で治癒術をかけてくれた。
「っ、ぐ……!」
「ジーン!?」
「う、ううん。ありがとう」
何だろう。今、何かが引き摺り出されたような気がした。多分、悪いものだ。大きく息を吸い込めば、その感覚も消えていった。
バクバクと鳴り響いていた心臓が、ゆっくり落ち着いていくような気がする。
きっと、彼女の優しさが伝わったのだ。
「ごめんなさい、取り乱したわ。もう大丈夫だから、戦闘に戻って」
「……はい。ここで休んでいてくださいね」
心配そうな眼差しを残して、エステルはユーリ達の方へ駆けていく。
ジーンは呆然と戦闘を眺めながら、空っぽになった脳みそを必死に回転させようとしていた。けれど、何を考えたらいいのか、分からない。
ユーリ達は、強い。
たった一人の暗殺者相手に負けるような事はなく、追い詰められたザギは派手な水飛沫を上げて海中に転落した。
死んだかもしれない。
そう思っても、助けるために駆け出す気力が湧かなかった。ジーンなんて、結局その程度なのだ。
「ジーン、立てるか。船が沈む、俺たちも脱出するぞ!」
「脱出って言ってもどうすんのさ、ユーリ!」
「とりあえず飛び込め!」
「ええー!?」
早く行け、と怒鳴ったユーリに尻込みするカロルが目を瞑って船を飛び降りた。アレでは危ない。そう思うだけで、足が動かない。
「ユーリも早く!」
「ジーンを連れてく!エステルは先に行け!」
「……誰か、そこにいるんですか?」
「──!」
船内から物音がする。人の立てる音だ。
「行け!」
もう一度怒鳴ったユーリに、エステルが頷いた。弾かれたように立ち上がったジーンを認めたからかもしれない。
「ユーリ、ジーンもちゃんと脱出してくださいね!」
「ああ!」
「ダメだ、鍵がかかってる!」
ガチャガチャと扉を鳴らすも、頑丈な造りでビクともしない。飛び込んだエステルを見送ったユーリが「どいてろ!」と叫んで剣を抜いた。
「らあっ!」
力任せに繰り出された斬撃で、パキリと扉にヒビが走る。
「扉から離れて!」
扉を目掛けて水で出来た矢を飛ばす。衝撃に緩んだ蝶番目掛けて放たれたユーリの一閃で、扉はバラバラに崩れ落ちた。
中にいたのは上等な身なりをした一人の少年だった。
「あなた方は……」
「お前だけか?」
「はい。他に囚われた人はいません」
「よし、飛び込むぞ!ジーン!」
「左舷に回ろう!火の手が少ない!」
ユーリが少年を脇に抱えて走る。ジーンは傾いた船内を闇雲に水の魔術で消火しながら先を走った。
柵を飛び越え空中に身を投げる。すぐに続いたユーリの背後で、ラゴウの船は海中へ沈んでいった。
ノールの近海とはいえ、海は海。途方に暮れていたところを救ったのは、ラゴウを追ってきた騎士団の船だった。
帝都で逮捕されたと言っていた割に、本当に騎士団隊長と懇意らしい。もしかすると、エステリーゼ様と敬われているエステルの力かもしれないが。
ノールとトリムは二つで一つとも言われるくらい、互いの目と鼻の先に構える港町だ。
手当や簡単な事情聴取を受けている間に、船は当初の目的通りカプワ・トリムへと辿り着いた。
桟橋に降り立ち、宿屋でフレン達と話があるというユーリ達の後ろで、ジーンは一人立ち止まる。
「ジーン?どうしたの、疲れちゃった?」
「いや、ここまでかなって思って」
「ここまでって……あ、そっか。ジーンはダングレストに行きたいんだもんね。
「そうだな。それに、俺たちは奴らを追う以上、これからも人間相手にやり合う事になる」
「ええ」
その時、ジーンは役に立たない。それどころかまた錯乱して足を引っ張る事になるかもしれない。
ジーンはこのままユーリに同行する事は出来なかった。しなければならない事がある。そのためにも、ダングレストに戻る必要があった。
「寂しくなりますね」
「ダングレストまでの道中、大丈夫なの?」
「トリムまで来れたら、行き方はいくらでもあるわ。心配してくれてありがとう」
「また、会えるかな?」
「暫くはダングレストに居る事にするわ。良ければ魔核を取り返した後にでも、寄っていって」
「うん。絶対だからね!絶対会いにいくからね!」
念を押すカロルに、ジーンは笑って頷いた。握手を求めるエステルに応じて、嫌がるリタの手を握る。ラピードの背中を撫でてから、カロルに押し出されたユーリと向かい合う形になった。
「ジーン。達者でな」
「ええ。ユーリ。君の、君たちの旅路に幸多からん事を祈ってるわ」
しっかりと、彼の手を握った。剣だこの出来た硬い掌は、戦う者の手だ。
ジーンが知っているのは、ふくふくとした赤子の頃の彼だけ。
このまま、中途半端ではいられない。
「それじゃあ」
桟橋に残ったジーンは、ユーリ達の姿が見えなくなるまでずっと手を振っていた。
「レーイヴン」
翌朝、ジーンはユーリに妙な情報を吹き込んで逃げるレイヴンを捕まえた。
嫌な顔を隠そうともしない彼を無視して、腰掛けていた欄干から飛び降りる。
「何よう、ジーンちゃん。デートのお誘いなら喜んで」
「ドンに会いたいの。ダングレストまで特急で送ってくれない?」
「ええ……おっさんまだこの辺で仕事が……」
「あら、未だに謎のおっさんで居られてるのは誰のおかげかしら〜?」
「……何時もなら自分で護衛くらい見つけられるでしょーに」
「レイヴン。……弟を見つけたんだ」
おちゃらけていたレイヴンの瞳が、一瞬だけ鋭くなる。何かを思い出すように視線を巡らせて、「もしかして」と口の端が引き攣った。
「あの、綺麗な兄ちゃん?」
「下町出身のユーリ・ローウェル君だそうだ」
「デジマ?」
「まじで」
あちゃーと頭を抱えたレイヴンは、逃げるように一歩退いた。
きっと疚しいことが沢山あるのだ。
「……今夜は用事があるから、送るのは無理だ。代わりに俺の名前出して護衛を見つけてくれ。ひとまずヘリオードまで。それなら多分見つかるでしょ。明日ヘリオードへ向かうから、それで勘弁して!」
「うむ、良かろう。ヘリオードからはよろしく」
話は決まった。ユーリ達に見つかるなんて無様を晒す前に退散しようと港へ足を向ける。
「……ドンに会って、どうするつもり?」
心配の声が滲むのは、ジーンがどうするのかを知っているからだろう。
「分かってる癖に」
かつて、誓いを立てた。
ギルドユニオンのドン・ホワイトホースの前で。その場に、この男も居合わせたのだ。
「それじゃ、ヘリオードで」
後ろ手に手を振って、ジーンは歩き出した。
会えて嬉しいのに、会いたくなかった。
夜闇のような黒髪に、自分と同じ色の瞳。
同じ街で生まれて、同じ家に住んでいた。どうしてこんなに違ってしまったんだろうか。
往来で一人立ち止まり、空を見上げる。
まるでかつてのあの子のように、カプワ・トリムは晴れ渡っていた。