明星に誓って   作:テロン

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夢を見る時の作法

 

 

 

 

 星の見えない夜だった。

 

 十年前、今にも降り出しそうな曇天の下、身の丈に合わない大剣を引き摺って歩いていた。

 殺した騎士から奪ったものだった。ただ逸るソレの進路上にいたというだけで殺された無数の騎士たちの骸から、最も上等な剣を奪った。それだけだった。

 

"そうではないでしょう"

 

 巨大な化け物が、森の中に身を横たえていた。立ち込める血の匂いと、狂ったように吠え叫ぶ魔物たち。真っ直ぐに地面に刻まれた線。

 その終点に立って、ソレは虚に微笑んだ。

 

"あなたはあの騎士たちが私を殺そうとしているのを見て、襲いかかった。私にはそう見えました"

 

「変なやつだな、お前。殺しに理由が必要なのか?お前、ファリハイドを滅ぼした魔物の仲間だろ」

 

"仲間、ですか。確かに同胞ではありました"

 

「なら良かった。ちょうどあれの同類を探していたんだ」

 

 ソレは語った。人智を超えた化け物を助けた理由を。

 人類を滅ぼしてもらえると思って探していたことを。

 

"残念ながら"

 

 期待した返事は返らなかった。

 

"あなたの願いが叶うことはないでしょう"

 

 ソレの足元まで、ドス黒い血溜まりが広がっていた。通常の生命ならもう幾ばくも残されていない命であることは理解した。

 けれど、その怪物は死んでいなかった。死ぬ為にはしがらみが多過ぎるのだろう。得過ぎた力というのも死出の枷になると、ソレは知っていた。

 

「どうしたらいい?なんだってするよ。私は、その(人を殺す)為ならなんだってできる人間だ。どんな代償だって受け入れる」

 

"そうまでして、人の死を望みますか"

 

 何故、と問うために、緩慢にその首がソレの元まで降りてくる。地面に顎を擦り付けて、縦長の瞳孔を有する人の頭ほどもある眼球が、ソレの姿を観察するように眺めた。

 

 何故、人の死を望むのか。

 

 どうして人を殺し続けているのか。

 

「だって気持ち悪いだろ」

 

 呟いて、大剣を引き摺ったことで出来た直線を振り返る。その先には、鎧を纏ったまま倒れ伏した集団が何も言わずに転がっている。

 

 ソレはこの後、その一つ一つを丁寧に並べ直すだろう。獣に食い散らかされないように穴も掘るだろうし、親しげな言葉すらかけるかもしれない。

 どれも、死んでくれたから出来ることだ。酷く安堵するし、そちらの方が、自然だとも思う。

 

 生きているほど気持ち悪いこともない。

 

「この地上(現実)から、あの生き物が一匹残らず消え去って欲しい。理由なんていらないだろ。ただ気持ち悪いから死んで欲しい。私が死んだ後もあいつらが生きているのかと思うと、死にたくないとすら思う。笑えるよね、もうとっくに終わった身でだ」

 

 何故か続いている生に幕を引く方法を知らない。だが手足が動いている理由は知っている。人殺しのためだ。

 ソレはそういう生き物だった。

 

 化け物の眼が瞬き一つせずソレを観察している。星明かりすらない中で、その瞳は人が永遠に踏み入らない領域を象徴するように、独りでに光っていた。

 

 暫くして、"数年前"、とそれは囁いた。

 

"数年前、色濃く満月の子の力を宿した子が生まれました。皇室の中で一生を終えるならば良いですが、此度の戦争といい、満月の子の再来といい、そう遠くない未来、一千年前の災厄が再びこの星を襲うでしょう。今度こそ、人は生き残れぬやもしれません。その時代にあなたが生まれついたことにも、きっと意味がある"

 

「なんの話だ?」

 

"世界は滅ぶ、と言ったのです。正確には、滅びの危機を迎えるでしょう"

 

「は」

 

 世界は滅ぶ。

 世界など簡単に滅ぼせそうな化け物が、その意思はないと嘯きながらも世界の寿命を宣告する。似たようなことを望みながらも、ソレは嘲笑していた。

 

「何言ってんだお前。どうした、血が足りなくて狂い始めたか」

 

"そうかもしれません。どうか、この身に幕引きを。化生に堕ちる前に、あなたの手で終わらせてくれませんか。あなたの最も得意とすることでしょう"

 

「はあ?」

 

 穏やかな声だった。この化け物からすればちっぽけな生命を前に、殺してみろと言う。

 

「おい、正気か?私はお前に人間を虐殺してもらいたいから割って入ったんだ。治る手段があるなら命くらいくれてやるが、殺すなんて冗談じゃない」

 

"同族殺しが、異種族を手にかけるのは厭いますか"

 

「……それなら、ファリハイドを滅ぼしたお前の同族に会わせてくれよ。頼みはそっちにすることにする」

 

"できません。暗きものなら死にました"

 

 暗きもの、と称された存在があの時見た怪鳥であろうことは察せられた。

 

 死んだ。

 

 なんとなく、そうだろうとは思っていた。だってあれから街は滅びていない。あれがそうそう死ぬとは思えなかったが、諦めるとも思えなかった。

 

「アンタが殺したのか?……そうか。でも、最後の一瞬まであれは人を惨たらしく殺したんだろ。話して聞かせてくれるんでも良いよ。それで少しの慰めになる」

 

"良いでしょう。では、一滴の記憶の譲渡を約束します"

 

 よく考えれば、なんの交換条件にもなっていなかった。それでもソレは納得して、引き摺ってきた大剣をこの為だったのだろうと思うことにした。

 

 結局、殺せればなんでも良かったのだ。

 

 また別の同族を探せば良い。それまで心の間隙を埋めてくれるのなら。

 

「分かった。人を殺せないなら用は無い。殺してやる」

 

 身体をよじ登ろうと手を伸ばしたソレに、化け物は言い聞かせるように口を開いた。

 

"同族殺しの少女よ。人の死を愛し、人の滅びを望み、世界の滅びに向かう。それは、あなたの真実ではありません"

 

「死に際に更生でもさせようって?人の理を外れたものに『善』を見出すなんて、笑い話にもならない」

 

 化け物は、そうではない、と笑っていた。意味が分からない。

 

「だいたいお前、それだけ力を持っていながらなんで人間なんかに殺されるんだよ。あいつら、怪我の一つも無かったぜ。抵抗してないだろ」

 

"力があるということは、選択肢があるということです。殺すも、殺さないも。ならばより困難で、美しい方が良い。全ての生き物が安寧のうちに暮らせるような世界を目指す方が、よほど良い"

 

「変なやつだな、アンタ。力があるなら振るえばいい。傷つけられたならやり返せばいい」

 

"あなたも、同じです"

 

 ゆっくりと上下する生温かい背中に立って、ソレは体毛に覆われた首元に大剣を突きつけた。いつでも殺せるという合図だというのに、そいつは身動ぎすらしなかった。

 

"力があるのは、あなたも同じ。あなたには、権利があります"

 

 静かな声だった。

 その時になって、ソレは化け物の声がきちんと言葉として認識できていることを自覚した。あまりにも久しぶりに声が聞こえたから。ソレの口が緩んだのはそのせいだろうか。

 

"災厄には必ず契機がある。ある人物を殺せば。または生かせば世界が変わる。その場面に、あなたは必ず立ち会うことになる。あなたの選択次第では災厄を呼ぶことも、遠ざけることも出来るでしょう。その分水嶺で、世界をどちらに転がすか、あなたには選ぶ権利があります。あなた次第で世界は滅び、また生き永らえるでしょう"

 

 相手がどんな生き物であれ、ソレは最期の言葉を長々と聞いてやるような人間ではなかった。言葉の切れ目で力を込め、思い切り剣を持ち上げる。

 

"滅ぼしたいと思ったのなら、そのように行動すると良い。その権利をもって、始祖の隷長(エンテレケイア)を殺した人間への報酬とします"

 

 大剣は振り下ろされた。どんな生き物であれ、首を落とされれば死ぬ。例外はない。

 そして生き物の首を落とすことにかけては、ソレが最も優れていた。

 

 天高く噴き上がった血液が、剣を握った右腕と半身に降り掛かる。避けはしなかった。その程度の感慨があった。

 

 ゴトリと丸太ほどの太さのある首が落ちていく。

 腕に落ちる水滴が、血液ばかりではないとその時気が付いた。

 

 雨が降り出している。

 誰かの涙のように、雨粒は冷たく降り注いでいた。死は冷たいものだと、ソレは知っていた。

 

「占い気取りはやめてくれ、馬鹿馬鹿しい。世界だかなんだか知らないが、私はこれから人を滅ぼすって言ってるだろ、今更だ。……だから精々、期待に胸でも膨らませておけ。それが、夢を見る(死ぬ)時の作法だよ」

 

 役目を終えた大剣を投げ捨てて、軽い足取りで首の落ちた死体から飛び降りる。背を向けて歩き出したその背後で、残った身体も崩れ落ちていくのがわかった。

 

 これから何処へ向かおうか。北でも、南でも。真っ直ぐに線を引いて、その線上の人間を全て殺し尽くして、その線が世界を覆った時。その時、漸く微睡みに身を任せることが出来るだろう。

 

"いつか、あなたの真実が白日の下に晒される時が来る"

 

「っ!?」

 

 まだ、声がした。死んだはずの生き物から。

 振り返れば、落ちた首は虚に宙を見つめていた。その体が、端から光り始める。

 

"その時。あなたが、後悔しない選択を望みます "

 

 目を開けていられないほどの光の中で、死体が形を変えていく。全容を見通せなかった巨体が、小さく、紡錘型に縮んでいく。

 

"この約束が果たされる限り"

 

 血を浴びた右腕と、右の眼が熱を発した。立っていられないほどの痛みと眩暈が襲い、ソレは呻き声と共に地に臥す。

 何かが、作り替えられていく。流し込まれていく。

 

 砂漠を見た。

 聳える山脈から、点々と転がる死体の道を。誰かを庇って消えていく長髪の女性。一人残った男が、胸を貫かれて死んでいく。そうして、最後には全てを殺し尽くした怪物すらも、砂漠に沈む骸の一つとなった。

 

 たった数時間の記憶。ソレの生き方を変えるには短すぎる記憶。崩れたものは戻らないし、終わった物語は続かない。

 

我が名(エルシフル)に賭けて、あなたに我が力と記憶の一端を。あなたが選んだ世界のために"

 

 けれど。

 

 ジーンはそれから十年ほど、確かに人を殺さなかった。それがジーンの真実では、あったのかもしれない。

 

 

 

 

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