「待ってるんだろ」
瞬きをして、現実に帰ってくる。
訂正。ここはまだ、夢の中だ。
楽しげに笑う声が響いている。飢えた獣の唸り声がする。その二つが同居しているのが、
ふと顔を上げて、首を横に倒す。耳朶を掠めて手斧が飛んでいった。正面奥に、振りかぶった後のユーリの姿がある。飛んできたのは、持ち歩いていた武器の一つだろう。
ジーンが送り込んだ魔物は、もう数匹しか残っていなかった。後は他のメンバーに任せて、ステージに降りられるユーリだけがこちらに走ってくる。
そもそも彼がこの場に立つことも、ジーンは認めていないけれど。
「変わったやつだな。そんなに死にたいの」
「何も聞いてねえのな。俺はアンタのことについては勝手にさせてもらうって言ったはずだぜ」
「話を聞いていないのはそちらの方でしょう」
手を振れば、ジーンの手には扱い慣れたダガーが現れる。
「言ったわね、後悔しないかって。君はエステルを助けることを選んだ。ザウデに向かった方がいいという忠告を聞かなかった。だから世界は滅ぶ。選ぶってのはそういうことだ。どっちもは選べないの。どちらか一つを決めなきゃならないの。自分がした選択を覆さないで。私のことは切り捨てなさい」
ジーンも、彼らのことは切り捨てる。
言った瞬間、長剣と短剣がぶつかった。防御に徹するつもりのようだった。愚直に急所だけを狙うジーンに対し、他を考慮せず剣を構えて的確に防御する。手数に対応しきれない時は隙間に捩じ込むように射撃での援護があった。
「切り捨てるってのは、っと。分けて捨てられるもんか、後から手に入れたもんに対して、使う言葉だろ!」
「お喋りなんて余裕ね」
「誰かさんが手加減してるからな」
また、そんなことを。
苛立ちを乗せて鍔迫り合いを押し切り、体勢が崩れたところに回し蹴りを叩き込んだ。カバーするようにレイヴンが間に入る。変形弓を剣の形にして、誰かを庇って戦っている。
そんな姿、ジーンには見せてこなかったくせに。イライラする。
「助かった、レイヴン!」
「お安い御用!青年、この馬鹿にはもっと直接的に言わないと伝わんないみたいよ?」
「へえ、ったく骨が折れる」
残った魔物も全て倒された。後は同じ動作を延々と続ける幻の出演者が陽気に笑っているだけ。ハリボテのステージ。
「俺にこれを見せたかったのか?」
無防備に剣が下ろされる。隙を狙えば良かったのに、疲れからかジーンの体は動かなかった。
「サーカスになりたかったんだろ、
パチンとウインクをする顔は、ジーンの知らない青年のものだった。
ジーンは、赤子の頃の彼しか知らないからだ。
「は……?」
ねーちゃん。姉と、呼ばれた。揶揄っている?──いや。
バレていた。バレてはならなかったものが。
何故か、硬く握りしめていたダガーが、ポトリと転げ落ちた。
ふつ、と鳴り響いていた音楽が止まる。
半透明の人影が、一人一人と消えていく。
最後に、背の高い白髪の男が優雅に礼をした。あんな顔だっただろうか。ジーンは、顔の潰れた物言わぬ骸しか覚えがない。
「お、ジーンにそっくり」
からりと笑った弟がそう言うので、あんな顔だったのかもしれない。未練も見せずにその姿は消えていった。
「いつから?」
聞いてどうするのか。分からないままに聞いた。
いつから、ジーンが姉だと気付いていたのか。
「いつからっていうと、背徳の館でアンタが赤眼たちを殺したあたりかな」
「背徳の……。背徳の!?じゃ、じゃあドンが……。あの時はもう……」
言えば良かったのに、と言いかけて口を噤む。知ってくれるな、と拒絶していたのはジーンだ。ジーンは自分がこういう人間であることを、血が繋がっていることを知られたくなかった。
後悔しただろう。身内にこんな犯罪者がいるなんて、可哀想に。
「だから、切り捨てるのはちと無理だ。アンタだってそうだろ。トリム港で別れた後、俺のことなんか無視して忘れちまえば良かったんだ。知られたくないならアンタはそうするべきだった。そうしなかったのがアンタだ」
「…………」
「今だって、本当に殺す気があるならさっさと殺しちまえば良かったんだ。そうできねえのが、アンタだろう!」
どれも、真実ではない。同時にどれも、嘘ではない。
「アンタはただ待ってるんだ。もう自分の手では殺したくなくて、けどアンタの目の前から生きた人間が全て消える日をただ願ってる!もう誰にも死んでほしくないからだ!誰が死ぬところも見たくないからだ!」
確かにそれは、ジーンの真実ではあった。最初から死んでさえいれば、理不尽に奪われることはない。
すう、と息を吸う。
会話を放棄して、停止した劇場型の
そういう人間だからだ。別にジーンは救われたいわけじゃないし、真実を暴いて欲しいわけでもない。
息をする様に、人を殺すことを考える。自らが真っ先に、他人の命を奪う理不尽と化す。他者の命を踏み台に、今こうして息をしている。
それもまた、ジーンの真実だ。
反駁する二つの要素が、同時にジーンの中に存在する。その二つが両立することはなく、故にジーンは不安定で、どうしたって救われない。
ジーンの身を介して、大量のエアルが注ぎ込まれていく。通常であれば制御を手放してしまうほど。暴走と呼べるほど。
「エアルの濃度が……!」
「ちょっと、何するつもり!?今すぐ辞めなさい!」
ジーンの半身が赤黒く光っていた。果たしてこんな末路が、あの
あの時斬り落とした首が痛む。内側から潰れるように、腕がひしゃげていく。碌でもない。元がどんなに清廉だったとして、血肉から得た力など、碌なものではない。
「馬鹿を言わないで。私は君を殺せる。死んで欲しいと思う。殺し方を十は思いつく」
「ああ、そうだろうな。どれだけ苦しむことになっても、アンタは最後には俺を殺せるだろ。けど……」
直後、ガチャンと何かが砕け散る音がした。同時に耳障りな衝突音。魔物かと思ったがどうも違う。それは、頭上から届いていた。
「なんだ!?」
悪寒がする。何か悍ましいものが、天井を突き破ってくる。
「これは……」
天井を見上げていたジーンは、真っ先にそれと目があった。半透明な体がうねりながら滑り込む。
それには翼があり、赤く蠢く核があった。天から降り立ち、この星を侵すもの。
滅びが、そこにあった。
「星喰み……!エアルに吸い寄せられたの!?」
「この為だったのね、わざと無駄にエアルを消費していたのは」
パラパラと砕けた天井の木片が降り注いでくる。
その中を、夢遊するように歩いた。星喰み。彼らもまた、死んだものだ。ジーンのステージの観覧者。
迎え入れるように手を広げた。いつまでも乾き切らない血肉の上を歩いて、黒ずんだ靴を脱ぎ捨てる。
「結局、他に任せんの?」
何処に向かうかも定かでない歩行を、浅黒い手が掴んで止めた。無駄だ。
あれは今もエアルを消費するジーンを目掛けてやってきた。ジーンをなぶり尽くし、
優雅に空を泳ぎ、大きく口を開きながら飛び降りてくる。その間に、彼らは飛び込んだ。驚きは、なかった。彼らならそうすると、ジーンはとっくに知っていたからだ。
「っらあ!」
「レイヴン、ジーンをお願いします!」
ジーンを襲う星喰みと対峙するために。
「イカれてんの?君たち」
さっさと逃げればいいのに。ジーンはその息の根が止まるまでエアルを消費し続け、星喰みを集め続ける。止むことはない。ジーンは世界に滅んで欲しいからだ。
「なーんで、急に『世界』なんて話になるんだ。どうして世界なんてもんと釣り合わせなきゃならん。勝手に話を大きくしないでくれよ?これはもっと小さい話だろうに」
「手を離して、レイヴン」
「言われて止めるようならこんなとこまで来てないのよね、お前さんの言う通り。殺したいなら殺してみろよ。ほら」
言いながら、レイヴンは自分の首筋を晒して指で掻き切るような動作をした。
望み通り、ジーンは腕を上げてその首元に触れる。血に塗れているのは、ジーンの方だった。ジーンばかり、暴走するエアルに耐えきれずに体が裂けていた。
「俺の心臓、知っての通り濃いエアルに触れると誤作動起こしかねないんだが、何故かそんな気配が微塵もない。なんでだろうね?」
知らない。
「振り払おうと思えばいつでも出来るのにそうしない。殺したければいつでも出来るのにそうしない。あの日、全部諦めたんなら俺のこと殺して逃げれば良かったのに、なんでそうしなかったんだろうね?」
知らない。
「言っただろ、お前は俺を殺さない。だから今俺がここでお前の手を掴んでんの。これが俺の役目であれんの。分かる?」
分からない。
「言っただろ。私の為だって言うなら、まずはあいつらを全員殺してみせろよ。次に私を殺して、最後に自分の喉を突け。出来もしないことを言わないで!」
「出来るぜ?」
「はあ?」
「してやるよ、必ず」
凪いだ目をしていた。ジーンの左腕を万力のような力で握り締めながらも、目線が逸らされない。何かを雄弁に語りかけながらも、常に何かを捨て続けているような。
「お前が世界を敵に回すんなら、お前の代わりに全部殺してやる」
空いた片腕が伸びてきて、ジーンの濡れた頬を拭った。
「お前が死にたいなら殺してやる」
その指先が、ジーンの首筋に触れた。切り落とした髪が僅かに触れるのに、不満そうに顔を歪める。
「そうしてお前が死んだなら、生きてる理由もないから死んでやる。世界と天秤にかけるものの話をしただろ?俺はそういう、小さい世界の話をしにきたんだ」
俺がいること、お前がいること。世界の最小単位は二人だ。そういう話を。
その世界を本当に壊したいのか。まずはそういう、話を。
「……なにそれ」
なにそれって、とレイヴンは笑った。照れ臭そうに、それを誤魔化すように。
「そういう愛され方をしているっつー、自覚かね」
言い終えて、誤魔化しきれずに眉が下がる。
ジーンは唖然として、次にどっと疲れが襲ってフラついた。
「よく……。よく、私の前でそんなことを、口にできるよね。信じられない、くそやろう」
怒りを通り越して呆れる、というやつだ。この男、盛大にジーンをフったのが最後だったという自覚、無いんだろうか。
「わた、し……」
覚束ない足取りのまま、膝をついた。
べっとりと染み付いた死の匂いが床から立ち込める。酷く安心する匂いだ。酷く、錯乱しそうになる匂いだ。どちらもジーンで、だからこそまともでいられない。
至極。極めて単純な道理だった。
「死なないでって、言ったじゃん……。死ねって言われたくらいで死なないでよ」
「無茶苦茶仰る」
ジーンがこの男の死を望むなんてあり得ない。
だってジーンにとって、命の価値は不平等だ。
常に選んできた。これはジーンが選んで生かした命だった。選ぶというのは、そういうことだ。どちらか一方だけで、もう一つは選べない。
ジーンは確かに、不殺を選んだ。
「私は……。私は、もう無理だ。殺せない」
そのことが苦しい。人を殺したくないのに、殺せないのが苦しい。矛盾していた。ずっと胸中で相反し、反発する。ジーンにはもうどうすることもできない。
「でももう、こっちを選んじゃった。これまではいくら人を殺したって無駄で無駄で無駄で無駄で無駄で!!無駄だったけど!あれが殺してくれるんだったらそれでいいって、誰も殺さないまま滅びていくならそれがいいって、もう私は選んだんだ!」
「そう思い込むのは楽だろうな。信じて死んでいくのがお前にとっちゃ一番幸福な道だ」
突き放すような言い方だった。また思い込みを語っているからだ。知ってる。悪い癖だって。そこに真実が含まれていたことが、一度たりともなかったって。
そんな上がりは許さない、と膝をついたレイヴンが顔を覗き込んでくる。
「もう一度言う。『俺の知ってるジーンであってくれ』。人が嫌いで、恐れてもいて、けれど人を愛することを知っていて、死を願い、死を忌避し、衝動をひたすらに飲み込んで、誰も殺さず、耐え切れず壊れていって、自罰と自傷にのたうち回る。それが俺の知っているお前だ。どれだけ苦しくても、そのお前でいてくれ」
死刑宣告の方が余程有情な告白だった。
ジーンが何に苦しんでいて、どうして死にたくて、何故破綻しているのか聞いて見て確かめて、噛み砕いで理解した上でそのままであれと言う。
「死にたいままで、俺の『生きろ』の言葉だけで生きちゃくれないか。勘違いじゃなくて、そのままの意味で。お前が俺にそうしたように。かつて、お前の生きる理由が俺だった時のように」
無茶苦茶だ。無茶苦茶で、何の解決にもなっていなくて、けれど、無視のできない言葉だった。
ジーンは救われたいのではなくて。どこまでも、罰を求めているからだ。
「お返事は?無いならイエスと取るけど?」
「言葉が出なかった、だけだ。鬼みたいなこと言いやがって、くそやろうが……」
「でも好きだろ?傷付くのも、咎められるのも、俺のことも」
「本当に鬼かよ」
獅子は子を谷底に突き落とすと言うが、庇護対象だとしているジーンに対してのこの仕打ちは、似たようなものなんだろうか。谷底から這い上がった子獅子は親を逆恨みして襲わないのか、なんて栓無き事を考えた。
あり得ない話だ。
「もう、好きにして」
抱いた愛情が反転して憎悪になることはあっても、それまで受けた愛情を憎悪と称すことはできない。
「生かしたいなら、あなたが勝手にそうして。どうせ自力じゃ這い上がれないし、私はずっと落ちていくだけ。……って、この話前もしたっけ」
「したねえ」
騎士団長の部屋での一夜で、ジーンは己の半生をこの男に打ち明けた。その上で、勝手にしろと言い放ち、自分も勝手に落ちていくのだと宣言した。
その直前、エステルと話したことも関係しているだろう。
人として崩落する、とジーンは表現した。
それは自分では止められないし、這い上がれない。誰かが手を差し伸べたとして、あまりにも落ちすぎていれば共に落ちていくだけだろう。
ジーンはもう自棄になっていて、何でも良かったしどうでも良かったし、ただ、誰でも良かったわけではなかった。
長い話が終わってから空が白み始めるまで、この男は黙りこくったまま一点を見つめて動かなかった。何を考えていたかは知らない。知ったことを噛み砕き、そこからの行動を決めたことだけは想像がつくが、それ以上のことは何も。
その成果がこれなのだとしたら。
「イカれてるよ、あなた……」
「なんとでも?」
ぐちゃぐちゃで、支離滅裂で、終わった人間を前に、その男は心底幸せそうに笑っていた。
「一生、恨んでやる」
「光栄だな。んじゃあ手始めに。見て、俺ら結構ピンチなの」
膝を打って、背後を立てた親指で示す。促されるように顔を上げれば、魔術の光をモロに食らった。
戦闘音すら聞き漏らしていたが、依然として星喰みとの戦いは続いている。災厄なぞ、そもそも一個人で立ち向かうようなものではないのだ。
彼らは文字通り、壊滅寸前だった。
返事など聞く前から分かってる、と言わんばかりに微笑んで、レイヴンはジーンを覗き込んだ。
「助けて?」
それは幼き日、このステージで子供たちが叫んでいた、答えてあげられなかった四文字。