焚き火の元に戻れば、本格的にいじけたレイヴンが指を弄っていた。どうせポーズだろうと放っておいて、眠る気のないジーンはラピードに構いに行く。
この子は初対面の時からジーンに好意的だ。飼い主のユーリと、何か共通点を見出してくれたのかもしれない。フレンも、ジーンとユーリが似ていると言っていたし。
「レイヴン、なんか知らんがジーンに謝ったほうがいいんじゃねえの。一回じゃ足りないかもしれねえから、三回くらい」
「放っておきない、ユーリ。一生恨まれる覚悟があるみたいだから、謝る必要なんかないのよ」
「お、おう……?」
僅かに首をひねったユーリは、ジーンが怒ってはいないことを察したらしい。どちらかというと、ひっくり返ってバタついている亀を棒でつついているとか、そういう感じだ。
となれば豪快に投げ捨てて、ユーリは椅子代わりの丸太に腰掛けた。
「なあ、ジーンが殺したエルシフルって、どんな奴だったんだ?」
「なかなかすごいこと聞くわねえ。うーん。聖人、かしら。
リハビリがてら右手を開いて閉じてと緩慢に繰り返しながらそこに宿っていた遺志の大元の記憶を探る。
「まあでも、死を目前に、来る滅びの時に向けて一人の人間を尖兵にした。そう言う意味では、食えないやつだったかもね」
星喰みと戦わせるつもりだったとして、流石に一人の人間に渡せる力には限度があったらしい。今日は撃退できたが、それでほぼ使い切ってしまったのだから世界全体から見れば小さなものだ。
その些細なきっかけを、誤差で済ますことになるかはジーン次第。
「もしかしてその
「ええ。彼の親友だったようね」
「え」
固まったユーリが、たらりと冷や汗を流した。
「デュークか……。それはちっと、庇えないかもしれねえな……」
「なんであなたも彼とことを構える方向で考えるのよ。そのつもりならとっくにやり合ってどちらかが死んでるわ。あの日、エルシフルが遺した
「その後、キレたデュークが
顔を上げたレイヴンが口を挟んできた。否定する内容でもなかったので頷いておく。
「エアルに還す処置が必要だとかなんとか。あの時はどういうことか分からなかったけど、エルシフルの
殺した責任くらいは取ろうと、無理矢理ついていっただけだとも言える。
断られたが、排斥はされなかった。彼なりに、エルシフルがジーンに何をさせようとして、何を託したのかを敏感に感じ取っていたからだ。
殺すな、と警告する時だけは怒りに飲まれていた眼差しが別の色をしていたことを記憶している。
それすら、ひょっとするとエルシフルが遺した策の一つだったのかもしれない。
「それで?あなたは何にそんなに凹んでいるの?いい加減鬱陶しいのだけど」
「鬱陶しい……」
「構って欲しいのが透けてて鬱陶しい。私、弱みに付け込まれた形になるんだもの、優しくしてもらえるとは思わないことね!」
ぷい、と顔を逸らす。
八つ当たりとは言うまい。この男、ジーンをフった癖に一生苦しめと言ったのだ。惚れた方が負けとはよく言ったものだ。
「まあ……おっさんはアレだろ。ジーンが髪ばっさりいっちまったのに凹んでるとか」
「え、そこ?」
そういえば髪を触られたか。
ダングレストを出る時、確かにジーンは長く伸ばしていた髪を切った。ユーリが背中の中ほどまで伸ばしているのに対し、ジーンは肩につくかつかないかくらいまでの長さになっている。
「それも……なくはないっていうか。あるんだけども。ねえなんで切っちゃったの、ジーンちゃん。それに右目も腕も……。ちと豪快が過ぎるでしょうに」
「別に困ってないし、自分のことなんだから良いでしょ。それに、失恋したら髪を切るって、普通のことだと思うけど」
「はあ?失恋ん!?」
何故か大口を開けて驚いたのはレイヴンだった。どうしてやろう、この男。
「なにか?」
「あ、いや……」
忙しなく視線を動かしながら顎を撫で上げて、かと思えば勢いよく立ち上がる。
「ちょ、ちょっと急用をば……」
「はあ?こんな未開の大陸で?」
「なんだよ、やっぱやましいことがあるんじゃねえか」
一発殴っといても良かったか?とユーリがジーンに首を傾けた。
「死なない程度なら何しても良いわよ?」
「理由なく殴ったらそれはそれでキレるだろ、アンタ」
「怒んないわよ。レイヴン、あなたも馬鹿言ってないで座りなさい」
「あー……。ジーンちゃん、まだ寝てた方がいいんでないの」
「は?私のこと貧弱だと思ってる?」
と言いながらも、ジーンは既にレイヴンの背後に立っていた。ピタリと指を首筋に添えてから、力任せに引き倒す。
「あイタぁ!」
鳩尾に膝を押し付けられたレイヴンが、本気の悲鳴をあげている。喉仏を軽く圧迫しながら、ジーンは表情を変えずにそれを眺めていた。
「やっぱ指先が上手く動かないわねえ。片手じゃ首絞めるのは苦労しそう」
「ジーンさん?ジーンさん!?」
「なあに?なんだか殺したくなったからあなたで発散してるだけだけど」
「本当に死んじゃいそう!ボキってされちゃいそう!青年助けて!」
「大丈夫だろ」
ユーリは目線もくれずに薪を焚き火に投げ込んでいる。パチパチと響く焚き火の音だけが暫く響いた。
「いいわねえ」
「な、何が……?」
呟いたジーンを、レイヴンが恐る恐る見上げていた。
「もう一度『助けて』って情けなく泣いてみて」
「えー……助けて?」
「ふふ、うん」
「大丈夫そ?倒錯してない?」
失礼なことを言っているレイヴンの額を弾いて、ジーンはその上から退いた。そのまま立ち上がって、「今更ね」と返す。
助けて、と子供たちが泣き叫んでいた。あまりにも耳にこびりついたせいで麻痺してしまうほどに。
それでも、何を言われていたのか理解していたのだ。助けを求められて、痛い、怖い、と縋り付かれて。あっという間にジーンの心は死んだ。
原初の記憶がいつまでも胸を刺す。忘れられなくて、それ以上は抱えられなくて、誰の声も聞かないことにした。
死に向かう人間の声など、聞いていられないから。
だが今は、苦しいばかりではないと信じられる。信じるに足るものを、貰ってしまった。
「私、シュヴァーンをやってたあなたの声の方が好きかも」
「え?ああ…………。あ?」
「嘘つくなよ……」
そうか、こういう声だったか。
呆れた声を背中に受けながら、ジーンは星空の下で深く息を吸い込んだ。