「ユーリ!」
「なんだお前ら、来てたのか」
ジーンまで、と咎めるような視線が向く。梯子を登ってすぐ、同じように上階を目指していたユーリと、クリティア族の女性を発見した。レイヴンもいるよ、と手を向けたジーンの後ろから、フレンがひょっこりと顔を出す。
彼は突然階下で響いた鈍い音に慌てて飛び降りて来たので、最後尾にいた。
「フレンまで?おいおい、街の方はどうしたんだ」
「バルボスを捕まえるのは騎士団の責務だ。彼らにお願いして同行させてもらった」
「それよりユーリ、そちらの女性は?」
「ああ、牢で一緒になったジュディだ。この辺ふらふらしてたらバルボスに捕まったんだと」
ジュディと呼ばれた女性は長槍を携えていて、身のこなしも軽やかだった。強そうだったし、と内心頷いて特に揉め事もなく道行きが大勢になるのを見守る。
「ジーン、その手どうしたんです?治しましょうか?」
さらに上に続く梯子を登ろうと移動する途中、エステルが振り返った。堅い壁をぶん殴ったせいで赤く腫れているジーンの右手が気になるらしい。
「ああこれ?フレンくんが、じゃなくてフレンが治癒術をかけてくれたから見た目ほど痛くないのよ」
「呼びやすい方で構いませんよ、ジーンさん」
相変わらず最後尾を歩くフレンの言葉に頷いて、ジーンはヒラヒラと右手を振った。
「どうした?なんかあったのか?」
背後のやり取りに先頭を歩いていたユーリまで立ち止まってしまったので、梯子の下で団子のようになる。
「いや、何もないわ。強いて言うなら唐突に今なら壁を破れるような気がしたけれどそんな事はなかった、ってとこね」
「……まあダングレスト育ちだもんな」
訝しげに目を細めたユーリはそう言って梯子に手をかけた。納得したというよりは諦めたように感じる。
「ボクもうダングレストが何なのか分からなくなってきたよ……」
「いいから行きなさい、ガキンチョ」
ジーン、と再度呼び止めたエステルの声に首を振る。
「大丈夫よ。何なら自分で治せるもの。さ、行きましょう?」
「そう、ですか。あの、痛くなったら言ってくださいね」
そう言って梯子に手をかけたエステルを見送る最中、レイヴンが背後でぼそりと呟いた。
「で、ホントのところは?」
なけなしの義務感からでた酷く興味のなさそうな声色だったので、ジーンも「あなたくらいの大きさの虫がいたの」、と適当に返した。
「おお怖。ちゃんと退治したんでしょうね?」
「さあ?なにぶん、あの手のはしぶといからね」
実際、ジーンの行動の意味なんて一つしかない。レイヴンもそこは察しただろう。
「ジーンさんは、ずっとダングレストにいたんですね。ご壮健そうで何よりです」
しょうもない会話に、フレンの純粋な声が割り込んだ。梯子の二段目に足をかけていたジーンは「そうね〜」とこれまた適当に流してから慌てて振り返る。
「ん?ほんの数日前に会ったばかりよね?」
「え?はい。すみません、その時は気が付かなくって。ユーリ達と別れてから思い出したんです。ジーンさん、ダングレストに引っ越されてたんですね。誰も行方を知らなかったものですから」
「……私、引越しなんてした記憶ないけれど。フレンくんと私ってノールが初対面よね?」
「?はい。ですが、引越されてますよね?下町から。だってジーンさんって、ユーリの」
「レーイヴン!」
小声で怒鳴りつけるという器用な事をしたジーンは梯子からフレンの口目掛けて飛び降りた。
因みに今の「レイヴン」は先に行って上手くやっとけ、ただし地下水道と同じ事をしたら吊るす、の意である。
「またですか。ハイハイ分かりましたよっと」
やれやれと首を振ったレイヴンを見送って、ジーンは口を塞がれてもがもが言っているフレンからそっと離れた。
「手短に一つ。なぜそれを知っている?」
「ぷはっ、何故とは、ジーンさんの事ですか?それならハンクスさんから聞きました。……もしかして、ユーリは気付いてないんですか?」
「……直接確認してないが、私はそのつもりだった。知られているなら私は今すぐここを離れる」
囁く様に口走ったジーンにハッと目を見開いたフレンは、じっと考え込むような素振りを見せた。
「直接何も言われていないなら、ユーリはジーンさんの事自体覚えていないのかもしれません。下町の人たちも知っているのはハンクスさんとあと何人かだと思います。彼らもユーリに向かってはわざわざ口にしませんでしたし、ユーリの性格からして興味を持っていなかったかも……あ、ジーンさんの事を、というのではなく、下町にいない人全てに対してです。良くも悪くも、ユーリの世界は下町だけでした」
「……そう、か。フレンくん、済まないがこの事は」
「分かりました。事情は分かりませんが、今は明かすつもりが無いんですよね。家族の問題ですから、僕から告げるような事はしないと約束します」
躊躇う素振りもなく交わされた約束に、多少拍子抜けしてジーンは小さく息を吐いた。
「理由、聞かないのね」
「ええ。何か悪意があって隠しているなら別ですが、貴女からはそうした感情は感じません」
「そう。ありがとうね、フレンくん。……みんなは、元気?」
「下町ですから。素直にはいとはお答えできません。けれど、昔より格段に住みやすくなりました。人の温かさも変わりません」
そう、と目を伏せたジーンは慌てていて流してしまった事を思い出して、梯子に手をかけながら問いかけた。
「ジーンって、別に珍しい名前じゃ無いと思うけれど。どうして私だって思ったの?」
「ああ、それなら。名前もありますが、一番は目ですね」
「目?」
「はい。色もそうですけど、目付きです。特に騎士団の船に引き上げた後、周りに見せないようにこっそり安堵していた時とか。たまたま目に入ったんですが、どうしても引っかかって。落ち着いた後に思い返してみたらユーリと全く一緒なんです。彼は普段、そういった類の顔を他人に見せる事を嫌いますけどね」
「いい事聞いたわ!じゃあ私は鏡を見ればいつでも見放題なのね」
「何が見放題なんだ?」
てっぺんで待ち構えていたユーリがジーンの言葉尻を攫った。差し出された手を取って身体を持ち上げると、「ユーリくんには内緒の話よ」とウインクを送る。
仄かに顎を上げた疑問の表情に、顔を出したフレンが「ほら、これも」と言って笑った。
「ジュディスちゃんが呼んでるわよ〜。自己紹介しましょってさ」
塔の中に入り、階段に足をかけたところで、レイヴンがクネクネしながら寄ってきた。ジュディスはレイヴンの隣で、なんとも言えない表情でこちらを見ている。
「あなたに話しかけるにはそちらのおじさまの許可が必要なのかしら?」
「わあ、ごめんなさい!ぼうっとしてたわ!ええと、ジーンよ。旅の軽業師で、ユーリくん達とはカプワ・ノールで一度会っていて、ダングレストで再会したの。だから付き合いはそんなに長くないわ」
「そうなのね。ジュディスよ、よろしく」
「ジュディじゃなくて?」
「それでもいいわよ」
「ならジュディちゃん。よろしくね」
長身かつ、その辺で調達したであろう槍を手にした女性。見た目からしてクリティア族だ。
見渡せば隊列はすっかり乱れていて、今はフレンが先行しエステルと何やら会話している。お子様組も気になるのか前方に固まっていて、反対にユーリが後ろに下がってきていた。
今一度ジュディスの全身をくまなく確認し、ジーンは小首を傾げる。
「そういえば、かなりの業物のようだったけれど、あの槍はどうしたの?」
「……あら?もうバレてしまったのね」
「ああー、ジーン。ちょっと」
「どうかした?」
ユーリの手招きに応じれば、「ジュディの正体は黙っててくれ。バレると煩いのがいるんでね」とのこと。
「リタちゃんね、分かったわ。でも、今は協力してくれるのよね?」
「ええ、勿論。槍も取り戻さないといけないし」
「取られちゃったのね。私も何処かに隠されてないか探してみるわ」
「ありがとう、でも大丈夫よ」
信頼されていないな、と苦笑する。それはきっとお互い様か。
「そういやジーン、フレンやジュディも小さい子扱いするんだな?フレンの奴は確かに年上受けもいいし気持ちは分かるんだが」
「あら?あなたより私の方が背が高いんじゃないかしら?」
「確かに、ジュディは背が高いわね」
「いや、そう言う事じゃなくてだな。小さい子相手にお姉さんぶってるんだ、って言ってなかったか?」
よく覚えているものだ。少し苦しい言い訳に、実情を知るレイヴンだけが苦笑いしていた。
「言動は人を形作るとも言うでしょう?」
「ん?じゃあジーンはお姉さんになりたいのか?」
「まあ、野暮な人ね」
首を傾げたユーリに、ジュディスが茶々を入れた。同時にこちらにウインクが寄越される。
「そうでしょう、そうでしょう?失礼しちゃうわ」
「……なんで挨拶早々結託してるんだ」
「青年、女心ってやつが分かってないね〜」
「あらレイヴン、あなたは論外よ。この男、女心なんかちっとも分かってないから、ジュディちゃんもよーく覚えておいてね」
「ええ、よーく分かったわ」
やりやすいな、と感じた。ジュディスは相手に深く踏み込まず、けれど友好的な態度を取れる。その点レイヴンも似たようなものなのに、どうしてこうも違うのだろうか。
自分のことを棚に上げて、ジーンはそんなことを思った。
「この魔物、飼っているのかしら?」
今しがた倒した魔物を覗き込む。識別用のタグは付いていないし、人に慣れているようでもない。
塔の外ならともかく、塔の中に入り込めてからも魔物の姿をよく見かける。規則的に配置された戦闘員は警備のためだと思うが、魔物までそうだろうか。
「そうなんじゃないの?それか、勝手に入り込んでるのを放置してるのか」
「でも、いちいち魔物を倒さないと移動出来ないって不便じゃん。仲間内で内輪揉めしてるようにも見えなかったよ」
「じゃあ飼ってるんじゃないの。倒さなきゃ進めないんだから、どっちでも同じでしょ」
「そうだけどさあ」
口をへの字に曲げたカロルの後ろでユーリがソーサラーリングという指輪の形の装置で巨大な歯車を照射した。
「お、動いたぞ」
「不思議よねえ、それ。あ、おっさんに向けないでよ?」
「ならふらふらしてんなよ。っと、階段が降りてきたな。益々構造がよく分からねえ、上から出入りしろってことか?」
「バルボスもソーサラーリング持ってるとか?」
「あり得ない話じゃないわね。コソ泥すら持ってたし」
嘆かわしい、とリタが首を振った。
ゴウンと低い音を立てながら、高濃度のエアルが塔の中心を流れていく。この塔もこの塔で、不自然な構造物だ。最近の流行りだとしたら、ついていけそうにない。
「もうすぐ最上階ね」
階段の先を伺いながら、ポツリと漏らす。止まっていた歯車を動かしながらここまで登ってきたが、そろそろ終わりだろう。
「ん、分かるのか?ジーン」
「?ええ。階段の高さが一定だから、今降りてきた階段を登ればすぐのはずよ」
「あんたのその感覚、普通の人間には共感されないわよ」
即座にリタが口を挟んだ。
頭上を指差したジーンに、何となしにソーサラーリングを擦っていたユーリは鼻白む。
「おいおい、見ただけで塔の高さが分かるとでも?」
「だから、目が良いのよ。多分、それ以外の五感も鋭いんでしょうけど。長さや時間はかなり正確に計測できるんじゃない?魔術の発動がやたら早いのもそのおかげね。本人の身体能力の高さで魔術を補完するっていうあんまり見ないケースよ。あんた、本業は軽業師だったっけ?」
「開店休業中だけどね」
「色々やるけど、浮雲ジーンのメイン演目はダガーを使ったジャグリング。両手の指以上の本数の行方を把握しながらどこにどれだけの高さで投げて何秒後に何処に落ちてくるのかってのを常に考えてるワケ。ジーンちゃんのそれはある種職業病だね」
「かもね。同業者なら大抵同じ事が出来るはずよ」
見たことないけど、と付け足してジーンはダガーを一本引き抜いて片手で弄んだ。
掌の周りを這うように回転させてから天井スレスレを目掛けて鋭い弧を描くように投げ飛ばす。天辺に到達する寸前に、左から鏡合わせのようにもう一本を投げた。
回転しながら交差した二本はお互いの軌道をなぞり、緩く腕を広げていたジーンの両手に全く同時に収まる。
「わあ、すごいです、ジーン!」
「あら、本番はもっとすごいわよ」
「そうだよ、ボクたちまだジーンの公演見れてないんだった!」
確かにそうだ、とジーンは首を竦めた。トリム港で幸福の市場との交渉でいくつかの演目をしたが、ユーリ達は去った後だった。日銭稼ぎ以上の公演を行わないジーンは開店休業状態になる事が多いので、家と食事のアテのあるダングレストで仕事をする事は滅多にない。
「それはバルボス捕まえた後にな。早いとこ終わらせようぜ」
「そうね。仕掛けを解いていくのは面白かったけれど、どうせならもっとゆっくり出来る状況で楽しみたいわ」
くるりと長槍を回転させ、鋒を上に向けたジュディスが階段に向かう。
反対の声が上がることは勿論なく、やがて一行は最後の扉まで辿り着いた。