青春ブタ野郎はパラレルスプリングの夢を見ない   作:もドえラん

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3.見知らぬ少女を胸奥に、呼び名は広がる

 

 十一月三日 

 

 文化祭当日。校門をくぐると、秋晴れの空に模擬店の呼び込みが響いていた。

 

 ——人混みは見慣れている。実家が目黒で、都会の雑踏の中で育ったからだ。

 

 けれど、文化祭の賑わいとなると、また別の種類の熱気がある。今日は約束もあるし、足を止める理由はなかった。

 

 古賀のクラスへ向かう途中、ざわめく廊下を歩いていた俺は、不意に足を止めた。

 

 階段の踊り場に、一人の女の子が立っていたからだ。制服の色や丈は、どう見ても中学生。

 

 見覚えはないはずなのに、胸の奥をざらつかせる既視感があった。

 

 その瞬間、少女の身体がふらりと揺れ、手すりを掴み損ねて、階段の方へと傾いていく。

 

 「危ない!」

 

 思わず声を上げ、駆け寄って腕を掴む。

 

 細い体が一瞬の重みを預けてきて、転げ落ちる寸前でどうにか支えた。

 

 「ありがとうございます」

 

 か細い声でそう告げると、少女は驚いたように俺を見上げた。

 

 胸が浅く上下し、まだ息は荒い。

 

 「大丈夫?」

 

 問いかけると、少女は小さく首を振り、微笑みに似た表情を浮かべた。

 

 「……お気遣いありがとうございます、大丈夫です。」

 

  「……お大事にしてね」

 

 そう言葉を添えると、少女は一瞬きょとんとした顔をしてから、ふわりとまた小さく会釈した。

 

 そして、まるで風に溶けるように群衆の流れへ姿を消した。

 

 ——その時、世界の輪郭が微かに揺らいだように思えた。

 

 自分だけが時間の外側に踏み出してしまったかのような、説明できない感覚が胸に残っていた。

 

 古賀のクラスに着くと、ちょうどお化け屋敷の入口に立つ古賀と目が合った。

 

 「あ、来た来た! ちゃんと来てくれるって信じてたよ!」

 

 「やけに自信満々だな」

 

 「当然。先輩たちを絶叫させるために練習したから!」

 

 その直後、咲太が現れた。

 

 「じゃあ僕から入るか。古賀の努力を踏みにじるのも悪いしな」

 

 「……先輩ってホント性格悪い」

 

 「へ」

 

 結局、咲太が先陣を切り、わざとらしく「きゃー!」と悲鳴を上げて古賀を呆れさせた。

 

 俺も中を回ったが、確かに出来は悪くなかった。暗闇での仕掛けや小道具もそれなりに工夫されていて、古賀の“やる気”が見える。

 

 外に出てきたとき、古賀は胸を張っていた。

 

 「どう? 怖かったでしょ?」

 

 「……まあ、及第点だな」

 

 「なにそれ!もっとちゃんと褒めてよ!」

 

 そのやり取りを横で見ていた俺は、肩をすくめる。

 

 「……まあ、思ったより本格的だったな。仕掛けも凝ってたし」

 

 「え、ほんとに? やった!」

 

 古賀の目が一気に輝く。

 

 「古賀が頑張ったの、ちゃんと伝わったよ。おかげでいい思い出になった」

 

 そう付け加えると、古賀は照れ隠しみたいに頬を膨らませ、でもどこか誇らしげに笑った。

 

 古賀が照れくさそうに笑うのを横目に、俺たちは人混みの中へ戻った。

 

 このあと咲太は双葉の展示を見に行くと言い、俺もついていくことにした。

 

 「で、次はどこ行くんだ?」

 

 「双葉の展示。先週の金曜にちょっと手伝ったからな」

 

 「へえ、そうだったんだな。」

 

 双葉の展示がある物理実験室に入ると、中はしんと静まり返っていた。

 

 壁にはグラフやレポートが整然と貼られ、机には器具やノートが並んでいる。けれど、見ているのは俺たちだけ。

 

 「……やっぱり、こういうのは目立たないか」

 

 俺がぽつりと言う。

 

 「でも国見が少し前に来てくれたよ」

 

 そう言いながら顔を上げた双葉は、普段通りの落ち着いた口調だった。けれど、心なしか目元に疲れが見える。

 

 「内容はちゃんとしてるのに、もったいないな」

 

 俺は率直に口にした。

 

 「ひとりでここまでやったのか」

 

 「まあね」

 

 軽く肩をすくめて答える仕草が、逆に孤独を際立たせていた。

 

 咲太は「ふーん」とだけ言って、展示の一枚一枚をじっくり眺めていた。

 

 その背中を見ながら、俺は、こういう静かな時間の方が咲太には合ってるのかもしれない、なんて思った。

 

 実験室を出たところで、咲太が小さく息をついた。

 

 「まあでも最近、ちょっと忙しかったからいい気分転換になったな」

 

 「学祭の準備でか?」俺が尋ねる。

 

 「いや……妹のことで。色々リハビリしてるんだ」

 

 声は落ち着いていて、特別な負担を感じさせるものではなかった。

 

 「……そうなのか。まぁでも妹さんも、きっと頑張ってると思うな。」

 

 「……根拠あんのかよ」

 

 「なんとなくな。でも、咲太なら大丈夫だろ。」

 

 咲太は少し笑みを浮かべ、「そうだといいけどな」と呟いた。

 

 その顔にはどこか満足げな色があり、リハビリが順調なのだと自然に伝わってきた。

 

 俺はそこで咲太と別れ、ひとりで校内を歩いた。

 

 人混みの熱気と笑い声が、昼下がりの風に混ざって流れていく。

 

 教室から漏れる音楽や呼び込みの声を聞きながら、知らないクラスの展示を覗いたり、屋台の甘い匂いに足を止めたりする。

 

 誰かと一緒に回るのも悪くないが、こうして一人で眺める文化祭の景色も悪くなかった。

 

 その喧騒の中に、自分の過去や今が少しだけ溶けていくような、不思議な静けさがあった。

 

 咲太と古賀と再合流したときには、古賀はちょうどお化け屋敷の担当を終えたばかりで、咲太はちょっとしたトラブルに巻き込まれたあとだった。

 

 クラスの空気が淀んでいると悩んでいた古賀だったが、友達の支えもあって、なんとか乗り切れた様子だった。

 

 「まだギスギスはしてるから、とりあえずって感じだけど……」

 

 「僕のクラスなんて、僕を中心に空気が淀んでるらしいから大丈夫だろ」

 

 咲太が平然とした顔で言う。

 

 「空気淀んでるは言い過ぎだろ。」

 

 そう口を挟むと、咲太はわざとらしく「そうか?」とだけ返した。 

 

 「なにそれ」

 

 古賀が呆れたように言う。

 

 「うちのクラスでやってるフリーマーケットの店番してるときに、国見の彼女から言われたんだよ」

 

 「ああ上里か」

 

 上里沙希。咲太に対しては、彼氏である国見の評判が悪くなると考えているのか、普段から辛辣な態度をとっている。

 

 俺に対しては多少マシだが、それでも最近は学校で咲太と話すことが多いせいで、やはり警戒はされている。

 

 「先輩ってほんとすごいね」

 

 「褒めるなら、それを面と向かって言える上里の方にしろ」

 

 「同級生にそこまで言わせる先輩がすごい」

 

 「まぁ国見には悪いけど、俺もあんまり上里は得意じゃないしな」

 

 フォローを入れたつもりだったが、古賀と咲太の議論は、残念ながら平行線に終わった。

 

 俺は、話題を変えるため、前から気になっていたことを今思いついたように古賀へきいた。

 

 「……そういえば、なんで俺“きっしー先輩”なんだっけ」

 

 「え、今さら聞く?」

 

 古賀が呆れたように笑った。

 

 「あたしが、“岸和田”の“きし”だけ取って、言いやすいように伸ばして“きっしー”。で、そのまま定着」

 

 「そんな雑な理由か」

 

 「雑じゃないよ、呼びやすさは正義!」

 

 咲太が「まあ、岸和田はきっしーっぽい顔してるしな」と適当な相槌を打つ。

 

 ……“ぽい顔”ってなんだ。

 

 夕暮れの校門を出ると、模擬店の片づけを終えた生徒たちの笑い声が通りに響いていた。

 

 俺と咲太、古賀の三人は並んで歩く。

 

 「今日はありがとな」

 

 俺が軽く言うと、古賀は横を向いたまま小さく首を振った。

 

 「……きっしー先輩の方こそ、来てくれてありがと」

 

 その声は昼間の元気さよりもずっと控えめで、でも真っ直ぐだった。

 

 「別に礼を言われるようなことはしてない」

 

 「いいの。あたしが言いたいだけだから」

 

 振り返った古賀の笑顔は、夕陽に照らされてどこか子供っぽく見えた。

 

 それは——文化祭なんて憂鬱だと嘆いていた顔とは、まるで別人のようだった。

 

 そんな二人のやりとりを横で聞きながら、咲太が小さく笑う。

 

 「……古賀、今日は憂鬱って顔してなかったな」

 

 「先輩がからかうからでしょ」

 

 「僕のおかげってことだな」

 

 「全然違うし!」

 

 くだらない言い合いに、俺も思わず吹き出す。そのまま江ノ電に揺られ、三人で藤沢駅に着いた。

 

 改札を出ると、学校帰りらしい制服姿の豊浜さんと鉢合わせた。

 

 肩にレッスンバッグを下げ、どこか疲れたような、それでも明るさをまとった顔。

 

 豊浜さんは即座に咲太の名前を呼び、そのまま俺たちに歩み寄ってくる。

 

 「あ、咲太じゃん!」

 

 「やっ……こんにちは、岸和田くん」

 

 砕けた声には、前にスーパーで会ったときと同じ、探るような色が少しだけ混じっていた。

 

 けれどその一瞬の間、声音の端にかすかな迷いが混じったように思えた。

 

 彼女は古賀を見て問いかける。

 

 「この子は?」

 

 「僕の後輩の古賀朋絵」咲太が代わりに紹介する。

 

 「古賀朋絵です。はじめまして」

 

 軽く会釈する古賀に、豊浜さんは柔らかく笑みを返した。

 

 「豊浜のどかです。はじめまして。」

 

 古賀が小首をかしげて尋ねた。

 

 「先輩と、その……豊浜さんって、どういう関係なんですか?」

 

 咲太は肩をすくめながら答える。

 

 「豊浜は、麻衣さんの妹なんだよ」

 

 「え、桜島先輩の妹さん!?」

 

 古賀が思わず声を上げる。

 

 彼女はにこっと笑い、軽く会釈した。

 

 「よろしくね」

 

 その流れで古賀が、何気なく俺を指差す。

 

 「今日は先輩ときっしー先輩に付き合ってもらって、文化祭まわったんですよ」

 

 「……きっしー?」

 

 豊浜さんは首をかしげる。

 

 「岸和田先輩の名前から、“き”と“し”を取ったあだ名。あたしが勝手につけたんです」

 

 古賀は得意げに言った。

 

 一瞬きょとんとしたあと、にこっと笑う。

 

 「へえ……呼びやすいね。じゃああたしも“きっしー”って呼んでいい?」

 

 「え、豊浜さんも?」

 

 「だって古賀さんだけズルいじゃん」

 

 二人の笑顔に、俺は言葉を失う。

 

 横で咲太が面白そうに肩を揺らした。

 

 「岸和田、これで正式に“きっしー”確定だな」

 

 ……俺の意思とは関係なく、あだ名が広まっていく未来が見えた。




物語解説

今回のお話は、アニメでは描かれていない文化祭当日を舞台にしました。原作でも少ししか触れられない一日ですが、「もし蓮真が、咲太や古賀と一緒に動いていたら?」というような形で描いています。

また、蓮真が咲太の妹・かえでのリハビリに触れる会話。この時期、咲太は家で一生懸命かえでを支えているはずなので、その影響が日常会話の中ににじむのは自然かなと思いました。

もっとも、蓮真自身はリハビリに直接関わるわけではなく、あくまで咲太の言葉を聞いて受け止めるだけ、という立ち位置にしています。こういう“つなぎ”を入れると少し世界が広がるかなと思いました。

そして、のどかと古賀の初対面。ここは完全にオリジナルですが、今後の関係を考えると、こういう小さな出会いが自然にあった方がしっくりくる気がして盛り込みました。

そして、階段の踊り場に現れた“見知らぬ少女”。誰なのかはあえて説明していませんが、原作を読んでいる方ならピンと来るはずです。ちょっとした違和感や伏線を残すのも、青ブタらしい仕掛けかなと思っています。

“呼び名が広がる”というささやかな出来事と、“見知らぬ少女”という不思議さ。二つを並べることで、青春と非日常の同居を楽しんでもらえたら嬉しいです。

蓮真は最終的にどちらを選ぶと思いますか?

  • 豊浜のどか
  • 広川卯月
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