青春ブタ野郎はパラレルスプリングの夢を見ない   作:もドえラん

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6.夢と現実の隙間で、記憶を探し続ける

 

 一月一日

 

 正月、年が明けて、俺は布団の中からスマホを取り出し、家族や親戚、友人、豊浜に古賀に国見や双葉、そして麻衣先輩にも「あけましておめでとう」と送った。

 

 送信履歴を見返したときだった。

 

 スクロールの途中で、二件のメッセージに目が留まる。

 

 差出人は麻衣先輩と双葉。

 

 日付は昨日、十二月三十一日。

 

 麻衣先輩からは、《今年はありがとう岸和田くん。来年もよろしくお願いします》、双葉からは、《来年もよろしく、岸和田》とそれぞれメッセージが来ていた。

 

 ……いや、待て。

 

 大晦日の夜、俺がいくら待っても麻衣先輩と双葉からの返事は来なかったはずだ。

 

 既読すらつかずに、少し不安になったくらいなのに。

 

 なのに今、こうして“昨日のメッセージ”として残っている。

 

 画面を見つめるほどに、胸の奥が冷たくざわめいた。

 

 (……俺が見落としていたのか?それとも……)

 

 そこでさらに気づいた。

 

 豊浜との間に、クリスマスと一昨日交わしたはずの履歴が、どこにも残っていなかった。

 

 俺がクリスマスイブに見た夢についてのLINE、豊浜も同じ夢を見たというLINEも、すべてが跡形もなく消えている。

 

 そして慌ててタブレットを開く。

 

 確かに残したはずの“十二月”の記録も……きれいに抜け落ちていた。

 

 まるで最初から存在しなかったかのように。

 

 指先が震え、タブレットを持つ手にじんわりと汗が滲んだ。

 

 全部夢だったのか? 

 

 それとも、俺が中学の頃に経験した“選ばなかった行動ほど、後からやけに思い出される”

あの思春期症候群が、変わった形で再発したのか。

 

 けれど特にそれ以降、異常は起きなかった。

 

 俺は年明け以降、普段通りの生活を続けることにした。

 

 ……年末年始の奇妙な事実を、タブレットに改めて記録しながら。

 

 一月六日

 

 俺は朝、東京の実家から藤沢に戻ってきていた。

 

 昨日の夜、藤沢のファミレスの店長から急に、「明日の午前中ヘルプ頼めないか」と連絡があったのだ。

 

 本来なら明日から三学期が始まるため、今日の夜実家を発つつもりでいたが、仕方なく朝早めに実家を発ち、冷たい風がホームを吹き抜ける時間帯に藤沢駅へ降り立った。

 

 改札へ向かう人波の中で見覚えのある金髪とすれ違った。

 

 「……豊浜?」

 

 声をかけると、厚手のコートを着て、キャリーケースを引いた豊浜がぱっと振り返る。

 

 いかにも遠出の準備万端といった格好だ。

 

 「あ、きっしー!おはよー!あけおめことよろ!」

 

 「おう、ことよろ。ライブか?」

 

 「そうそう、埼玉のショッピングモールでミニライブ!これから移動〜」

 

 彼女はキャリーを軽く揺らして見せた。

 

 「朝から大変だな」

 

 「まぁね。でも新年一発目だから、気合い入れないと!」

 

 軽く笑い合ったあと、俺は聞いてみた。

 

 「なぁ、豊浜……。年末のLINEでさ、麻衣先輩が事故に遭う夢を見たって言ってただろ?」

 

 豊浜は足を止め、きょとんとした顔で首をかしげる。

 

 「……え?なにそれ。きっしーなんかの冗談……?」

 

 心臓がずきりと痛んだ。

 

 確かに俺には、その記憶が残っている。でも当の本人には、その記憶が存在していない。

 

 「……すまん、忘れてくれ」

 

 苦く笑ってごまかすと、豊浜は「?」と首をひねった。

 

 俺がそう言うと、豊浜は思い出したように笑顔を見せる。

 

 「そうだ来月、バレンタインライブ来てよ!あたしのセンター曲あるし!」

 

 「おう……」

 

 「帰りに好きなメンバーの手渡しチョコもらえるよ」

 

 「チョコは目当てじゃないけど、まだ豊浜のライブ行ったことないし……行こうかな」

 

 「お姉ちゃんはライブ来てくれるって約束したけど、さっき咲太も誘ったら来てくんないっぽい」

 

 「まぁ、あいつはそういうやつだからな」

 

 「それでね、全席アリーナで六千五百円って言ったら、“身内なんだからチケットくれ”って言われてさ〜」

 

 「六千五百円か……確かにちょっと高いな」

 

 「やっぱり?でもあたしだって毎回身内割はできないっつーの」

 

 苦笑しながらも、俺は小さく頷いた。

 

 「まぁでも、アイドルのライブなんて新鮮だし、考えてみるよ」

 

 豊浜は「やったー!じゃあまたね!」と声を弾ませ、キャリーを引き直して足早に改札を抜けていった。

 

 構内に吹く風はまだ冷たかったが、不思議と胸の奥に、ほんの少しだけ熱が残っていた。

 

 しかし残された俺は、冷たい朝の風の中で立ち尽くしていた。

 

 (やっぱり……俺の記憶のほうが、歪んでるのか?)

 

 そして、豊浜との今までのやりとりを淡々と書き残す。

 

 ——記録しておかないと、俺の記憶はまた揺らいでしまう。

 

 そう自分に言い聞かせるように、タブレットの画面に文字を打ち込んだ。

 

 その日の午前中、俺はさっそく藤沢のファミレスに入った。

 

 正月休み明けのせいか、店内はまだ人も少なく、のんびりとした空気が漂っている。

 

 すでに咲太、国見の二人がシフトに入っていた。厨房の方からは、ちょっとしたやりとりが聞こえてくる。

 

 「咲太、朝のシフト珍しいな」

 

 「そっちこそ、部活はどうした?」

 

 「今日は午後から」

 

 「部活前にバイトするって、お前正気か?」

 

 「来月、上里の誕生日なんだよ」

 

 「どんだけ貢ぐんだ、お前」

 

  「人聞き悪いな。そんな高いもん買わないって、大事なのは気持ちだと思うぞ、桜島先輩の誕生日を当日に知ったやつに言われたくねえよ」

 

 着替えながら、その掛け合いを耳にして、思わず苦笑いが漏れる。

 

 (……国見も咲太も、相変わらずだなぁ)

 

 俺が着替えを終えて厨房に出ると、国見がにやりと笑って手をあげてきた。

 

 「蓮真、久しぶり。あけましておめでとう」

 

 国見は爽やかに声をかけてくる。

 

 「ああ、今年も頼むわ」

 

 そして、ホールから戻ってきた咲太とも目が合う。

 

 「お、岸和田、あけましておめでとう。」

 

 「ああ、おめでとう。」

 

 ランチタイムがこれから忙しくなる正午。国見は俺と咲太を残してバイトを上がると、さっさとバスケ部の練習へ行ってしまった。

 

 国見が「んじゃ、あと頼むな」と言い残し、部活へ向かう。

 

 「薄情者め」

 

 咲太が背中に向かってぼやくと、俺は苦笑しながら声をかけた。

 

 「練習、頑張れよ」

 

 その一言に、国見は振り返って軽く手を振り、去ていった。

 

 入れ替わりでバイトにやってきたのは古賀だった。

 

 「あ、きっしー先輩!あけおめ〜!」

 

 エプロン姿の古賀が手を振ってきた。

 

 「おう、あけおめ。今年もよろしくな」

 

 「もしかして?先輩たちって朝からだった?」

 

 「古賀は重役出勤か?」

 

 「そういうシフトなの!」

 

 咲太が古賀をちらりと見て、首をかしげる。

 

 「……いや、なんつーか。古賀、膨らんで ね?」

 

 「は!?」

 

 顔を真っ赤にする古賀。

 

 「正月に餅食べて、餅肌でも手に入れたのか?」

 

 「先輩、マジでムカつく! ばりむか!」

 

 二人のやり取りを見ながら、俺は小さく息を 吐いた。

 

 (古賀も……相変わらずだなぁ)

 

 昼のピークを過ぎ、客足が一段落したころ。古賀が片付けに回り、厨房には俺と咲太だけが残っていた。

 

 その時、丁度来客があった。 「いらっしゃいませ」と咲太が応対しに行くと、来店した客の顔は見覚えがあった。

 

 入口に立っていたのは、双葉だった。まだ冬休みなのに、制服を着ている。

 

 きっと、部員が双葉ひとりの科学部の活動実績のために、文句を言われないよう冬休みも実験をしていて、その帰りなのだろう。

 

 俺が軽く手を挙げると、双葉も小さく手を上げて応じてくる。

 

 それだけの仕草だったが、不思議と心が和らいだ。

 

 咲太が双葉の注文を取り終えて戻ってきたあと、ふと口をついて出た。

 

 「……咲太。お前、先月……病院で、胸から出血して倒れただろ?」

 

 咲太が手を止め、怪訝そうに眉をひそめる。

 

 「は?なんだそれ。僕が?」

 

 「……いや」

 

 否定するように笑いながらも、胸の奥が冷たくなる。

 

 あの日、市民病院で確かに耳にした看護師の声。

 

 ——『梓川咲太』と書かれた病室のプレート。

 

 俺にとっては夢とは思えない、確かな現実の出来事だった。けれど、当の本人にはその記憶が存在していない。

 

 (やっぱり……俺だけなのか。この記憶を持っているのは)

 

 胸の奥に重たい感覚を抱えたまま、俺は話題を切り替えることにした。

 

 「……なぁ、シフト何時までなんだ?」

 

 「二時まで」

 

 「俺も同じ時間だ。なんか用事でもあるのか?」

 

 咲太は少し言いづらそうに目をそらしながら答える。

 

 「……麻衣さんと、鶴岡八幡宮まで初詣いくんだよ」

 

 「奇遇だな。俺も今日、長谷寺に初詣に行こうかと思ってた」

 

 言いながら、胸の奥に別のざわめきが生まれる。

 

 (……咲太との記憶の食い違いが、麻衣先輩ともあるんじゃないか)

 

 だから俺は、思い切って口にした。

 

 「なぁ、途中まで一緒に行ってもいいか?」

 

 咲太は少しの間だけ黙り込み、眉を寄せた。やがて小さく息をつき、肩をすくめる。

 

 「……好きにしろ」

 

 それは素っ気ない返事だったが、拒絶ではなかった。俺は小さく頷き、手の中の皿を拭き続けた。

 

 シフトを上がり、長谷寺に初詣へ向かおうと、藤沢駅の改札へ咲太と一緒に足を運んだときだった。

 

 人だかりの中で見覚えのある背中を見つける。麻衣先輩だ。

 

 そして近くには、『途上国の貧しい子供たちへの支援活動』そして、『心臓移植を必要とする患者への募金活動』

 

 そんな立て札が横に掲げられていた。

 

 「……あけましておめでとうございます、麻衣先輩」

 

 俺が声をかけると、麻衣先輩がこちらを振り返った。彼女は柔らかく微笑みながら、軽く会釈してくれる。

 

 「あら、岸和田くん……あけましておめでとう。今年もよろしくお願いします」

 

 ふと立て札を見て、自然に言葉が出た。

 

 「募金するか」

 

 財布を取り出し、それぞれ五百円ずつを心臓移植の活動と発展途上国への支援活動の募金箱に入れた。

 

 「岸和田くん、偉いわね」

 

 麻衣先輩が感心したように言う。

 

 咲太が小声で付け足す。

 

 「お前も募金するんだな」

 

 「まぁな」

 

 それ以上は何も言わなかった。

 

 俺が合計で千円も募金したのは、NGOをしていた母を心臓病で亡くしているから。けれど、その理由をわざわざ二人に話すつもりはなかった。

 

 咲太も、財布から小銭を全部出すと 「これ」と、一番近くにいた男の子に声をかけてそれぞれ二つの募金箱に入れた。

 

 一呼吸おいて、俺は麻衣先輩に問いかける。

 

 「これから長谷寺に寄るんですけど、もし麻衣先輩さえよければ、途中までご一緒してもいいですか?」

 

 麻衣先輩は一瞬だけ目を瞬かせ、それから穏やかな笑みを浮かべた。

 

 「ええ、いいわよ。せっかくだし、一緒に行きましょう」

 

 その返事に、咲太が小さく肩をすくめたのが視界の端に入った

 

 江ノ電藤沢駅まで歩き、改札にSuicaをかざした。ホームには鎌倉方面から走ってきた電車が入ってくるところだった。

 

 発車時刻になり、電車はゆるゆると走り出す。三人で江ノ電に揺られながら、車窓には冬の光を受けた海がきらめいていた。 

 

 きらきらと反射する波面を、しばらく無言で眺めていると、隣の麻衣先輩がふいに声をかけてきた。

 

 「岸和田くんも、海が好きなの?」

 

 「まぁ……そうですね」

 

 突然の問いに少し考えてから答える。

 

 麻衣先輩は、窓の外を見つめながら小さく笑った。

 

 「私は思い入れがあるの。だってこの海は、私が演じた心臓病の女の子。ドナーを待つ役の映画を撮った場所だから」

 

 (……そんな映画、あったか?しかも麻衣先輩が出てたか?)

 

 思わず問い返しそうになったが、喉の奥で飲み込んだ。

 

 冬の光に照らされた横顔はあまりに自然で、俺の知る“桜島麻衣”そのものだったからだ。

 

 結局、胸の奥に小さな違和感を残したまま、俺はただ頷くしかなかった。

 

 長谷駅が近づくと、俺は降りる支度をした。

 

 「じゃあ、ここで」

 

 軽く手を振る。

 

 「岸和田くんも、良いお参りをしてきてね」

 

 麻衣先輩が柔らかい声でそう言った。

 

 「はい、麻衣先輩も。……咲太もな」

 

 「また学校でもよろしくな。」

 

 二人を見届けてから、俺は再び歩き出した。

 

 江ノ電は静かに揺れながら、目的地、鎌倉に向かって走り出した。

 

 長谷駅で降り、冷たい空気を吸い込む。吐いた息が白くほどけていく。

 

 足を進めながらも、胸の奥のざわつきは消えなかった。

 

 (……麻衣先輩が言っていた“映画”なんて、聞いたことがない)

 

 (咲太の入院も、本人には記憶がない……)

 

 一つひとつは些細な違和感かもしれない。けれど、繋ぎ合わせるとどうしても無視できない線が浮かび上がってくる。

 

 初詣の人波に混ざりながらも、心は妙に冷えたままだった。

 

 手を合わせて祈っても、願いごとよりも「本当に俺だけが覚えているのか」という問いが、頭の中でこだまし続ける。

 

 鈍い痛みのような不安が、正月の澄んだ空気に溶けきらず、ずっと後を引いていた。

 

 一月七日 

 

 翌日、体育館での始業式が終わり、生徒たちがざわめきの中を散っていく。

 

 出口へ向かう途中、隣に並んだ咲太が、何気ない調子で口を開いた。

 

 「長谷寺への初詣、どうだった?」

 

 昨日のことを持ち出され、俺は軽く肩をすくめる。

 

 「普通だよ。おみくじは吉だった。大凶じゃなければなんでもいいかな。」

 

 「へえ」

 

 咲太は小さく頷く。その横顔は一瞬だけ和らいだが、すぐに真剣な色を帯びる。

 

 「……ひとつ、聞いてもいいか?」

 

 足が自然と緩む。咲太は前を向いたまま、低く続けた。

 

 「お前、どうして……僕が胸から出血したことを知ってた?」

 

 胸の奥がざわつく。

 

 あの日の記憶。『梓川咲太』と記されたプレート、看護師の声。

 

 俺は少し間を置き、淡々と答えた。

 

 「……インフルでな。夕方以降に内科やってるのなんか、あの病院ぐらいしかないだろ?」

 

 咲太がぴたりと足を止める。驚いたように俺を見やり、言葉を探す。

 

 「……病院に、来てたのか」

 

 「そういうことだ」

 

 俺は事実を述べたに過ぎない。

 

 けれど、あの病室の前で出会った黒髪の女性のことは、口にしなかった。

 

 俺にとって彼女は“知らない人間”のはずだった。

 

 名前も素性もわからない。ただ咲太の病室の前に立っていた女性。

 

 ……それなのに、なぜか俺の名前を知っていた。

 

 初対面のはずなのに、「岸和田くん」と呼ばれたときの感覚、そして大晦日に見た夢でも出てきた事実、今でも説明できない。

 

 疑問は残っている。

 

 だが、自分でも答えを持たない話を咲太に告げたところで、混乱を広げるだけだろう。

 

 だからあのときのことは、誰にも話さず胸の奥にしまい込んだ。

 

 咲太の目が細くなる。

 

 「……まさかお前、全部覚えてるのか?」

 

 「……全部覚えてる?なんのことだ?」

 

 返した声は震えていた。

 

 咲太は黙り込み、唇を結んだまま視線を逸らす。廊下のざわめきが、急に遠のいたように感じられた。

 

 岸和田は牧之原さんに会ったことはない。

 

 牧之原さんの名前を出したことも、一度もない。

 

 でももしかしたら……その残滓だけが滲んでいるのかもしれない。

 

 麻衣さんが、ドナーを待つ心臓病の女の子を演じたみたいに。……そう考えれば、一応の説明はつく。だから今は、これ以上追求するのはやめよう。

 

 小さく息を吐き、咲太は言葉を飲み込んだ。

 

 「……悪い。やっぱりなんでもない」

 

 人波に紛れていく背中を、俺は冷たい冬の光の中でただ見送っていた。

 

 ——たぶん、咲太もどこかで“同じ縁”に触れている。

 

 そう思うと、ほんの少しだけ胸の底が温まった。安堵に似たものが、指先まで行き渡る。

 

 けれど、腑に落ちない。

 

 年末の欠け落ちた履歴、入れ替わったみたいなメッセージ、病室の前の黒髪の女性、そして“映画の記憶”。

 

 「記録」が残らず、「記憶」だけが残る。

 

 これはきっと、俺が中学の頃に患った“選ばなかった可能性が現実に干渉する”あの思春期症候群。

 

 その名残が、今も形を変えて残っているのだろう。

 

  双葉に相談してみるか。そんな考えも一瞬よぎった。

 

 理屈っぽい彼女なら、きっと筋道を立てて整理してくれるだろう。

 

 ……だが、やめた。

 

 彼女に話せば、自分の思春期症候群そのものを打ち明けざるを得なくなる。

 

 あの症状は、俺にとって単なる“過去の出来事”ではない。

 

 選ばなかった行動、失われた時間、取り戻せなかったもの……。

 

 そして、その果てに辿り着いた“抜け道”の絶望に、かつて自分を終わらせようとまで思った夜がある。

 

 結局は踏みとどまったけれど、その記憶はまだ胸の奥で生々しく疼いている。

 

 だから今は、誰にも渡したくない。抱えたまま記録するしかない。

 

 そうやって俺は、思春期症候群を“乗り越えた”………そうなのだから………

 

 そう自分に言い聞かせるように区切りをつけ、俺はチャイムに促されるまま歩き出した。




物語解説

今回の物語では、年明けの静けさの中で、蓮真の“記録と記憶の齟齬”が鮮明に姿を現しました。

夢か現実か分からない出来事を「記録」として残そうとするのは、蓮真なりの抵抗であり、同時に不安を抱えたまま歩き続けるための手段でもあります。

咲太や麻衣やのどかとの会話に混じる小さな違和感は、答えを出せないまま置き去りにされました。ほんの些細な綻びのように見えても、その奥に広がるものを意識しながら、蓮真はあえて目を逸らしているのかもしれません。

いずれ向き合わなければならない予感を抱えながらも、日常は変わらず続いていく。

そんな不安を先送りにしたままの余韻を、感じてもらえたら嬉しいです。

蓮真は最終的にどちらを選ぶと思いますか?

  • 豊浜のどか
  • 広川卯月
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