青春ブタ野郎はパラレルスプリングの夢を見ない 作:もドえラん
六月二十七日
それまで接点の薄かった梓川と、見覚えのない後輩の女子が、妙に親しげに話していた。
——まるで、何日も一緒に過ごした仲のように。
さらにその日、もう一つの噂が校内を駆け巡った。
桜島先輩と梓川が、正式に付き合い始めた——と。
廊下ですれ違う生徒たちがひそひそ声で名前を出し、スマホを覗き込む。
「マジで付き合ってるのかよ」
「校庭で告白したのガチだったんだな」
そんな声を聞きながら、俺は黙って教室の窓から二人の姿を探した。
少し距離を置いて歩く梓川と桜島先輩。けれど、その間に流れる空気は、もう誰の目にも隠せないものだった。
——やっぱり。
梓川は“誰かのために走る”やつだ。そして、その隣に立つ資格を得たのは、桜島先輩なんだろう。
廊下のざわめきが遠のいていく中で、俺は無意識に視線を窓の外へ向けていた。校庭の端を歩く梓川と桜島先輩。二人の距離は一歩分ほど空いているのに、その間にあるものは誰にも割り込めない。
気づけば、俺は目で追っていた。特別な理由なんてない。ただ、自然とそうなった。
あの日、藤沢の図書館で見た光景。
消えていくはずの彼女と、迷わず声をかけ続ける梓川の姿。その残像が胸の奥に残っていて、どうしても無関心ではいられなかった。
俺は観測者でしかない。踏み込むつもりはないし、二人の関係に口を挟む資格もない。
けれど、目を逸らすこともできなかった。
梓川咲太。お前がどう走るのか。
桜島先輩が、その隣でどう笑うのか。
そして、俺はそれを確かめずにはいられなくなっていた。気づけば、俺の役割はその後から始まっていた。
“介添え” この日を境に、俺がその立場に置かれていたのは確かだった。
六月二十八日
次の日、放課後の峰ヶ原高校。
昇降口から伸びる道は、部活帰りの生徒や買い食いする生徒でごった返していた。下校ラッシュ特有のざわめきと、靴音の重なり。
その中に、桜島先輩と梓川咲太の姿があった。
梓川は隣で気だるそうにポケットへ手を突っ込み、桜島先輩は人目を気にせず歩いている。
ただ、それだけで周囲の視線が集まっていた。
俺は昇降口から少し遅れて出て、その二人を見つけた。気づかれないように距離を保ちつつ歩く。
その時、後方から部活帰りの集団が一気に流れ込んできた。通路が狭まり、桜島先輩が押し流されそうになる。
俺は一歩前に出て、自然に歩幅を広げる。それだけで人の流れは左右に分かれ、桜島先輩の周囲に小さな余白ができた。
ほんの数秒の出来事。
「……あ」
桜島先輩の唇が微かに動いた。
けれど梓川は気づかず口を開いた。
「麻衣さん、早く帰りましょう。僕が独り占めしたので。」と肩をすくめる。
彼女は何事もなかったように歩き出す。だが、その横顔には安堵が滲んでいた。
——やっぱり、この子。
人混みの中で歩調を合わせ、自然に人の流れを作ってくれる横顔を見た瞬間、私は思った。
——この子は、咲太と私の関係の証人だ。
私が“消えていた”あの頃を、咲太と同じように見届けていた人。
もし誰かに「そんなことはなかった」と言われても、この子が「確かにあった」と証明してくれる。だから、こんな行動を即座に出来たのかもしれない。
その日の夜。部屋の机に広げたのは、明日から鹿児島で撮影するドラマの台本だった。
台詞を追ってはいるのに、目は同じページを行ったり来たりするばかり。
咲太と付き合うようになって、まだ二日。
嬉しいのは本当。でも同時に、彼はきっとまた走り回るだろう。
誰かのために、迷わず突っ込んでいくあの子のことを、私は一番知っている。
そのとき、私はどうする?彼の彼女である私が、立ち止まるわけにはいかない。でも、すべてを咲太に預けてしまえば、私はまた“外側”に取り残されてしまう。
——だから必要なのかもしれない。
彼の代わりでも、彼に並ぶ存在でもない。
ただ私が消えていたあの時期を確かに見届けた“証人”。咲太と私の関係を、静かに証明してくれる第三者。
今日、岸和田くんが人混みの中で作ってくれた、ほんの一瞬の余白。
あの自然さに触れた瞬間、私は確信した。
彼なら、余計な言葉はいらない。
恋人として支えてくれるのは咲太だけ。
でも、岸和田くんなら“証人”として静かに歩幅を見届けてくれる。
「……介添え、か」
声に出して呟いてみる。
大げさなことじゃない。ただ日常の中で、私が立ち止まらずに済むための支え。
それなら、岸和田蓮真に頼んでみてもいいのかもしれない。
「……週明けでいいわ」
小さく呟き、台本を机に置いた。
——近いうちに頼んでみよう。岸和田蓮真に、私の介添えを。
七月十日
梓川の家で、バニー姿で問題集を広げながら、桜島先輩が梓川に問いかける。
「ねぇ、岸和田蓮真って子、知ってる?」
咲太はペンを止め、少し考え込むように眉を寄せた。
「……ああ。あいつ、同じ中学だったな」
麻衣が首を傾げる。
「同じクラスだったの?」
「いや、クラスは別。でも覚えてますよ。東京からわざわざ近場の横浜に転校してきたやつで。」咲太は苦笑しながら肩をすくめた。
「大人しいけど、妙に観察してる感じがあったんだよな」
麻衣が小さく笑みを浮かべ、問い返す。
「何に納得してるの?」
「いや、なんかそういう匂いがするので」
麻衣は興味深そうに目を細めた。
「……そういう印象の子だったのね」
麻衣は続け様に小さく笑いながら言った。
「私、あの子に“介添え役”を頼もうと思うの」
——おかしい。
古賀とのループの中では、麻衣さんが岸和田蓮真に介添えを頼むなんてことはなかったはずだ。
それなのに今は、当たり前のように「岸和田」という第三の立場が割り込んでいる。
(……ループの中にはいなかったのに、現実では定着し始めてるってことなのか?)
思春期症候群は理屈で説明できない。けれど、未来にすら映らなかった”岸和田蓮真”という存在が、今こうして麻衣さんに必要とされている。
その事実が、不気味で、同時に興味が惹かれる存在でもあった。
「介添え……、なんで岸和田なんですか」
いつもの気だるそうな口調、だがその眉間にはうっすら皺が寄っている。
「別に変な意味じゃないわよ」麻衣はきっぱり言う。
「咲太は人のために走り回るでしょう。誰に対しても、付き合い始めたからこそ、余計にね。」
「まあ……否定はできないかな」
「その間、私だって“外側”に置かれることがあるの。だから、必要なのよ。余計なことを言わず、ただ“見届けてくれる人”が」
咲太は少し視線を落とし、ポケットの中で手を握った。
「……それが、岸和田ってことですか」
「ええ」麻衣は迷わず答える。
「人混みの中で、自然に場を作れる子。私が消えていたことを知っている証人。それだけで十分」
咲太は口を止め、横を向いた。
「……待って。麻衣さん、今なんて言った?」
「だから、“私が消えていたことを知っている証人”って」
「……あいつ、見えてたんですか?」
麻衣はゆっくりと頷く。
「気づいてたわ。図書館で、あの子もちゃんと私を見てた。驚いたけど……不思議と納得もしたわ」
咲太の喉がごくりと鳴る。
「……初耳なんですけど」
「言う機会がなかったのよ。でも、そういうこと」
しばしの沈黙。咲太は小さくため息をついた。
「……ずるいな、麻衣さん」
「なにが?」
「他の男に頼るの、普通なら嫌に決まってる。でも今の理由聞かされると、反論できないじゃないですか。」
麻衣はふっと笑った。
「安心して。私が頼るのは“彼氏”じゃなくて、“証人”よ」
咲太は肩をすくめ、視線を前に戻す。
「……わかりました。麻衣さんがそこまで言うなら、余計なことはしないでしょうから。」
麻衣は窓の外に視線を向け、ふっと笑った。
「そう。だから安心できるの」
——けれど、咲太の胸の奥にはまだ小さな棘が残っていた。
岸和田蓮真という名前。古賀の“未来シミュレーション”では一度も出てこなかったのに、現実では麻衣さんに必要とされている存在。
それはどうにも不自然で、気になる。
(……明日、古賀のタイムループと合わせて、双葉に相談してみるか)
あいつなら理論的に整理してくれるはずだ。
そう思いながら、咲太は手元のペンを握り直した。
物語解説
今回描いたのは、桜島麻衣が岸和田蓮真に「介添え役」を頼もうとする場面です。
これは咲太への不満や疑念ではなく、むしろ彼を信頼しているからこその選択でした。
咲太は誰かのために走り続ける人です。そして、その恋人である麻衣は、彼の隣に立ちながらも、ときに置き去りにされてしまう危うさを知っています。
だからこそ「外側に取り残されないための支え」として、第三者である蓮真を必要としたということです。
恋人に全てを預けて依存するのではなく、関係を健やかに保つために外側から支えてくれる”証人”といえる存在を選ぶ。
この選択の仕方にこそ、麻衣らしい冷静さと強さが表れている、と思っていただけると幸いです。
蓮真は最終的にどちらを選ぶと思いますか?
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豊浜のどか
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広川卯月