青春ブタ野郎はパラレルスプリングの夢を見ない   作:もドえラん

33 / 84
3.夕暮れの図書館は、やさしさの秋を染める

 

 十一月十四日

 

 有栖川宮記念公園の木々は、すっかり冬支度を始めていた。

 

 枝先に残る赤や橙の葉が風に揺れて、淡い光を跳ね返している。

 

 その奥、東京都中央図書館。

 

 自動ドアが開くたびに、暖房のぬくもりと紙の匂いが混ざった空気が頬を撫でた。

 

 閲覧席の窓際に三人。俺、豊浜、づっきー。

 

 向かいの窓越しには紅葉と港区の高層ビルが映っている。

 

 「じゃ、始めようか。まずは英語の長文から」

 

 豊浜がシャーペンをくるりと回して言う。

 

 「今日もリーダーシップ発揮だな」

 

 「英語はあたしのターンでしょ?」

 

 「そうだな」

 

 づっきーが笑いながら教科書を開く。

 

 「なんかさー、この勉強会塾っぽい」

 

 「卯月が一番生徒っぽいからね」

 

 「え、それ褒めてる?」

 

 「ギリ褒めてる」

 

 笑いがこぼれたあと、空気が静まる。

 

 英語の本文を指でなぞるように追う豊浜の目が、ゆるやかに動く。

途中でペンを止めて、俺の方を見る。

 

 「ここの仮定法、時制が混ざってるでしょ?」 

 

 「うん。If節が過去完了、主節が過去形。文全体では“仮定法過去完了+過去”だな」

 

 「そうそう。“今もそうだったら”のニュアンスを出すやつ」 

 

 「……やっぱ英語の説明は、俺よりスムーズだな」

 

 「そうでしょ?」

 

 豊浜は文構造を細かく分解しながら、的確に解説を入れていく。 

 

 づっきーは一つ覚えるごとに「天才かも」と言い、次の瞬間には「やっぱ無理かも」と呟く。

 

 俺はその合間を見計らって、数学のプリントを出した。

 

 「じゃ、こっちは俺の番だな」

 

 「うわー、出たきっしーのターン」

 

 「ほら、この関数の増減表、空欄埋めてみな」

 

 「のどか〜助けて!」

 

 「英語なら助けるけど、これはパス」

 

 「裏切り〜!」

 

 づっきーが半泣きでシャーペンを走らせる横で、豊浜は静かにペンを止めて言った。

 

 「きっしーってさ、ちゃんと間を作るよね。質問される前に答えない」

 

 「まぁ、答えたら考えなくなるだろ」

 

 「そういうとこ、教えるの上手いって思う」

 

 「……まぁ英語で追い越されてるけどな」

 

 「当然でしょ」

 

 口元を緩めながらも、その笑顔にほんの微かな影が差した。

 

 光の加減かもしれない。けれど、俺の目には確かに見えた。

 

 休憩に入る。図書館の食堂でココアを買い、公園を見下ろす席に座る。

 

 外の風景はまるでポストカードのように整っていて、冷たい光がガラス越しに頬を照らした。

 

 「きっしー、今日は差し入れあるよ」

 

 「なんだそれ」

 

 づっきーはリュックのポケットを探り、小さな紙袋を取り出す。

 

 中には、ラッピングされた手作りクッキーが数枚。

 

 「これ、のどかと焼いたやつ!この前のライブで花楓ちゃんたちがクッキーくれたでしょ? あれ見て、私も作りたくなっちゃって!」

 

 「なるほど、触発されたわけか」

 

 「うん!私だってやればできる!」

 

 「へぇ……」

 

 「でも、づっきーがキッチンに立つ姿、想像つかないんだが」

 

 「ちゃんと粉ふるったんだよ!?」

 

 「づっきーがふるって、豊浜が掃除してそう」

 

 「それ、正解に近いよきっしー」

 

 づっきーが頬をふくらませる。

 

 豊浜が吹き出し、机の上に笑いが広がる。

 

 公園の紅葉が、ガラス越しにゆっくり揺れた。

 

 その軽いやり取りに救われるような空気が流れる。だが、ふとした瞬間に豊浜の目が窓の外へ向かう。

 

 紅葉の光が、彼女の頬をやわらかく照らす。

 

 その横顔には、静けさと、ほんの少しの迷いが同居していた。

 

 「……最近、眠れてるか?」

 

 「え?」

 

 「この前より、少し疲れてる気がしたから」

 

 豊浜は一瞬驚いたように目を瞬かせ、すぐ笑って誤魔化した。

 

 「気のせいだよ。ライブ続きだっただけ。来週も休みだし、ちゃんと寝る」

 

 「ならいいけど」

 

 「……ありがとね」

 

 日が暮れる頃、図書館を出た俺たちは麻布十番へ向かった。

 

 広尾の坂を下る途中、街の灯りがぽつぽつとともり始めていた。

 

 冷たい風が頬を撫で、鼻先にほんのり甘い焼き菓子の匂いが混じる。

 

 「お腹すいた〜!」

 

 づっきーが両手を上げて伸びをする。

 

 「きっしー、何食べたい?」

 

 「なんでもいい」

 

 「一番困るやつ!」

 

 豊浜が笑いながら肩をすくめる。

 

 「じゃあ、ここにしよ。オムライスのお店」

 

 店内は暖かく、卵の香りがふわりと広がっていた。三人で並んで座るカウンター席。

 

 づっきーは注文してすぐに水を一気飲みして、「生き返る〜」と息をついた。

 

 「のどか、この前のライブ、最高だったね」

 

 「うん……あのトラブル、よく乗り切れたよね?」

 

 「八重がすぐ歌い出したの、鳥肌立った。あの子、ほんと度胸ある」

 

 「そうそう。スピーカー止まってるのに、観客のみんな聴き入ってたもんね」

 

 俺も相槌を打ちながら、彼女たちの会話を聞いていた。この間のライブの余韻と、図書館での静けさ。

 

 どちらもまだ身体の奥に残っていて、不思議なバランスを保っている。

 

 「づっきーがスプーンを指差してくる。

 

 「オムライス、冷めるよ?」

 

 「ああ」

 

 慌てて一口食べると、トマトソースの酸味が広がった。その味に、なぜか少しだけ安心した。

 

 「ねぇ、のどか」

 

 づっきーが口をもごもごさせながら言う。

 

 「来週のリハ、ちょっと減らしてもらったんでしょ?」

 

 「うん。少し休むって言った」

 

 「よかった〜。さすがに飛ばしすぎてたもん」

 

 「……まぁね」

 

 豊浜はスプーンを握ったまま、少しだけ視線を落とした。づっきーは気づかず、水を一口飲む。

 

 夕食を終え、店を出た頃には、街の明かりが夜を完全に覆っていた。人の流れも穏やかで、吹く風に冷たさが増している。

 

 「ふぃ〜、食べた!」

 

 づっきーが両手を広げて伸びをする。

 

 「きっしー、のどか、今日はありがと!帰ったら寝落ち確定〜!」

 

 「風邪ひくなよ」

 

 「はーい!また連絡するね!」

 

 づっきーが駅の階段を降りていくのを見送る。

 

 残されたのは俺と豊浜の二人。

 

 街灯が歩道のタイルを淡く照らし、近くの東京タワーのライトアップが滲んでいた。

 

 「……づっきー、ほんと元気だな」

 

 「うん。卯月がいると、空気が明るくなる」

 

 「たしかに」

 

 会話が途切れた。しばらく並んで歩いていると、豊浜が小さく息を吐く。

 

 「……今日、このあと実家に帰るんだ」

 

 「そうなんだ。そういえば、豊浜の実家ってどこだっけ?」

 

 少しの間を置いて、彼女は答えた。

 

 「あたし、久が原だよ。……話してなかったっけ?」

 

 「いや、初めて聞いた。叔母の家が池上線沿いだから、あのあたりは馴染みあるよ」

 

 「へぇ……なんか不思議だね」

 

 信号待ちの青白い光の中で、彼女の横顔がわずかに沈んで見えた。

 

 「実はね——お母さんから、“もう一度戻ってきたら?”って言われてるんだ」

 

 「……戻るって、実家に?」

 

 「うん」

 

 小さく頷いて、マフラーの端を握りしめる。

 

 「向こうにいたころは、あんまりいい思い出がなくて。でも、“大学進学するなら帰っておいで”って言われて……どうすればいいのか、わからなくなっちゃった」

 

 しばらく黙って歩く。街のざわめきが、遠くで途切れたように感じた。

 

 「麻衣先輩には話したのか?」

 

 首を小さく振る。

 

 「ううん。話してない。……お姉ちゃんには、まだ言いたくない」

 

 「そうか」

 

 「帰るのが嫌なわけじゃないんだ」

 

 豊浜は信号の明かりを見上げながら言った。

 

 「お母さん、いつもライブ観に来てくれてるし、連絡もしてるし。……嫌いとかじゃなくて」

 

 少し間を置いて、かすかに笑う。

 

 「でも、この一年、藤沢で暮らしててさ。楽しかったんだよね。“豊浜のどか”として、自分で選んで歩いてる感じがして」

 

 風が通り抜け、彼女のマフラーが揺れた。

 

 「お母さんを安心させられるし、地元の友達もいるんだ。久が原に帰れば、あの頃の自分に戻れる気もする。でもね……」

 

 少し息を整えてから、彼女は続けた。

 

 「藤沢で過ごしたこの一年が、すごく楽しかったの。ここでの時間が、“桜島麻衣の妹”じゃなくて“豊浜のどか”として生きてた証みたいで。それを全部置いて帰るのが、ちょっと怖いんだ」

 

 俺は少し歩を緩めながら言う。

 

 「藤沢で得た“今”を手放したくないんだな」

 

 「……そうかも」

 

 豊浜は足を止めて、小さく笑った。

 

 「それに、咲太とか、花楓ちゃんとか、それにきっしーとか……ここで出会った人たちがいるから。離れたら、もう同じ時間は戻ってこない気がして」

 

 街の明かりがガラスに反射し、彼女の瞳に淡く光を落とす。

 

 少しの沈黙。遠くでタクシーのブレーキ音が聞こえる。

 

 「帰るのが“逃げる”になるのか、“休む”になるのか……わからなくて」

 

 「……どっちでもいいんじゃないか」

 

 「え?」

 

 「どっちにしても、戻る場所があるってことは、強いことだから」

 

 豊浜は目を瞬かせ、それから少しだけ微笑んだ。

 

 「……ありがと」

 

 その言葉が夜風に溶けていく。

 

 街の喧騒が少し遠のき、信号の青が夜気ににじむ。

 

 豊浜は歩道の端で立ち止まり、小さく息を整えた。

 

 「……ねぇ、きっしー」

 

 「ん?」

 

 「この前、約束したどっか行きたいって話」

 

 「ん?ああ、あれか」

 

 彼女は少しだけ頬を緩めて、続ける。

 

 「来週の日曜でもいい?」

 

 「来週って……二十二日か?」

 

 「うん」

 

 ほんの少し間を置いて、俺は尋ねた。

 

 「もしかして、来週リハ休むって言ってたの、それか?」

 

 豊浜は小さく笑って肩をすくめる。

 

 「模試が前日にあるからって言うのもあるけど……そう」

 

 「卯月には内緒だけどね」

 

 「内緒かよ」

 

 「たまには、いいでしょ?」

 

 夜風が二人の間を抜けていく。

 

 街灯の下、豊浜の表情はどこか柔らかく、少しだけ安心したようにも見えた。

 

 「わかった。いいよ」

 

 俺は軽く頷く。

 

 「俺も模試が前日あるけど、日曜は空けとく」

 

 「……ありがと」

 

 豊浜はマフラーを直しながら、どこか照れくさそうに笑った。その笑顔が、さっきまでの迷いをほんの少しだけ遠ざけて見せた。

 

 十一月十九日

 

 藤沢の図書館は、冬の光が静かに差し込んでいた。窓際の机には数人の生徒がいて、鉛筆の音とページをめくる音だけが淡く響く。

 

 俺はノートを開き、模試対策の英語長文を解いていた。ふと隣の席を見ると、見慣れた姿が視界に入った。

 

 「……珍しいな、咲太が図書館で勉強してるなんて」

 

 「岸和田か……僕だって一応、受験生なんだよ」

 

 咲太は気の抜けた声で言いながら、ペンをくるくる回している。

 

 「どうせ麻衣先輩に言われたんだろ」

 

 「まぁな。“模試前くらいは集中して”って。最近は麻衣さんの撮影スケジュールと時間を合わせながら、夜は予備校の自習室で問題集と睨めっこしてるのにさ」

 

 「そりゃ正論だろ」

 

 俺は苦笑して席を詰める。

 

 咲太もノートを広げ、英語の過去問を開いた。

 

 こうして二人っきりでいるのは、いつ以来だろう。

 

 「そういえば」

 

 咲太が顔を上げる。

 

 「来週の模試、どこで受ける?」

 

 「戸塚の市民センター」

 

 「マジか?僕もそこだよ」

 

 「奇遇だな」

 

 「お互い、集中できるといいな」

 

 「お前の“集中”ってどんな状態だよ」

 

 「とりあえず、寝ないで座ってたら合格ラインだな」

 

 「低いなぁ……」

 

 「人生、ハードルは低い方が続くんだよ」

 

 軽口を交わしながらも、どこか懐かしい空気が流れた。

 

 ページをめくる音が止み、咲太がふと呟く。

 

 「そういえば、来週、花楓の誕生日なんだ」

 

 「へぇ、そうなのか」

 

 「ああ。二十五日。母さんと父さんも呼んで、実家でお祝いする予定」

 

 「家族全員で?」

 

 「まぁな」

 

 咲太は淡々と言ったが、その声には柔らかい光があった。

 

 「やっと、“普通の誕生日”ができそうなんだ」

 

 「……普通、か」

 

 その言葉が、静かに胸の奥に残った。

 

 また数分ほど、ペンの音だけが響いた。けれど、ふと俺の口が勝手に動いた。

 

 「なぁ、咲太」

 

 「ん?」

 

 「お前ってさ……なんでいつも他人のために踏み込めるんだ?」

 

 咲太の手が止まる。軽く眉を上げ、俺を見た。

 

 「……いきなりどうした」

 

 「別に。ただ、気になっただけ」

 

 「誰かのことか?」

 

 「……まぁ、そんなとこだ」

 

 咲太はしばらく考えるように視線を落とし、それから肩をすくめた。

 

 「いつも観察してる岸和田がそんなこと聞くなんて、ちょっと意外だな」

 

 そう言って咲太は、ペンを止めて天井を仰いだ。

 

 何かを思い出すように目を細め、それから一瞬だけ口を閉ざす。

 

 その沈黙には、微かなためらいがあった。

 

 ──まるで、言葉にした瞬間、何かが揺らぐと思っているかのような。

 

 双葉から聞いた“ある仮説”が、咲太の頭をかすめていたのかもしれない。

 

 岸和田蓮真は、牧之原翔子と量子もつれを起こした可能性があると……

 

 「前に、僕が中学の時に七里ヶ浜で会った女の子の話、したことあったろ」

 

 「ああ。覚えてる」

 

 「その人に言われたんだ」

 

 咲太の声が、静かに柔らかくなる。

 

 「“人生って、やさしくなるためにあるんだ”って。“昨日のわたしよりも、今日のわたしがちょっとだけやさしい人間であればいいなと思いながら生きています”って」

 

 静かな言葉だった。でも、どこか現実よりも深く刺さる響きがあった。

 

 穏やかな声の響きが、図書室の空気に溶けていく。咲太はペンを指で転がしながら、少しだけ笑った。

 

 「……牧之原翔子さん、っていうんだけどな」

 

 その名前を聞いた瞬間、胸の奥がかすかに震えた。

 

 「牧之原翔子さん、か……」

 

 その名前を、口の中でそっと転がしてみる。

 

 どこかで、聞いたような響き。

 

 確か、去年の冬頃、国見が何気なく名前を出していたような記憶が、霞のように浮かんでは消える。

 

 それ以上は思い出せなかった。

 

 けれど、胸の奥がわずかにざわついている。

 

 まるで、その名前の奥に、まだ触れてはいけない記憶が潜んでいるかのように。

 

 夕陽が窓のガラスに反射して、白い光がふっと揺れる。

 

 その光の中に、断片的な輪郭が次々と浮かんだ。

 

 ——去年の文化祭で、階段で倒れそうになった女の子。

 

 ——去年咲太が胸から出血して倒れた時に、病室の前で出会った黒髪の女性。

 

 ——大晦日の夢に現れた中学生ぐらいの女の子。

 

 ——春先、ファミレスのシフトに遅れそうになった時にぶつかった女の子。

 

 それらの残像が重なり、ひとつの姿になろうとした瞬間、まるで風に溶けるように、淡く消えた。

 

 咲太が小さく息を吐く。

 

 「……多分、それが答えなんだと思う」

 

 「優しくなるために、生きる……」 

 

 口に出した自分の声が、妙に遠く聞こえた。

 

 その時だった。

 

 胸の奥で、微かな声が響いた気がした。

 

 ——まだ、聞いちゃいけませんよ

 

 誰の声かはわからなかった。

 

 けれど、その響きには懐かしさと静けさがあった。

 

 まるで、時間と空間の向こうから、やさしさだけを伝えてくるように。

 

 次の瞬間、心臓の鼓動が一拍遅れて跳ねた。

 

 視界の端がかすかに歪む。

 

 (……これ以上、考えるのはやめよう)

 

 理由は分からない。けれど、そうしなければならない気がした。

 

 自分でも説明できない警告のような感覚が、どこかから届いていた。

 

 ——大丈夫。あなたは、やさしくなれますから

 

 その思念が届いた瞬間、全ての像が音もなく消えた。

 

 それが、誰の意思だったのかはわからない。

 

 けれど、もしその声が本当にあったのなら……それもきっと、誰かのやさしさだったのだろう。

 

 咲太はそう言って、ペンを回した。

 

 「まぁ、たまにサボるけどな」

 

 「……咲太らしいな」

 

 図書室の窓の外では、夕陽がゆっくり沈みかけていた。その光がページの上を淡く照らす。

 

 ——やさしくなるために生きる。

 

 その言葉が、豊浜の奥にある何かを、少しだけ照らした気がした。

 

 十一月二十一日

 

 模試を受け終えた会場の外は、夕方の冷たい風が吹いていた。

 

 試験場を出たところで咲太と合流し、並んで駅へ向かう。

 

 「どうだった?」

 

 「俺は……まぁ、余裕だったな」

 

 「出たよ、優等生発言」

 

 咲太は苦笑しながら肩をすくめた。

 

 冗談めかして言いながらも、どこか抜けたような笑みを浮かべている。

 

 咲太のそういうところが、ずっと変わらないと思った。

 

 「お互いお疲れさん」

 

 「だな。……帰ったらどうするんだ?」

 

 「麻衣さんに報告して、それから花楓の誕生日プレゼントの最終確認だな」

 

 「そうか。花楓ちゃん、喜んでくれるといいな」

 

 「ああ。まぁ騒がしくなるだろうけど」

 

 「じゃあな岸和田、また学校でな」

 

 「おう」

 

 咲太は笑いながら改札を抜けていった。

 

 その背中を見送り、俺はスマホを取り出す。

 

 通知が一件。豊浜からだった。

 

 《きっしー、明日行きたいとこ……横須賀でいい?》

 

 LINEの文字を見つめる。さっきまで頭の中で回っていた問題文や選択肢が、すっと消えていく。

 

 《横須賀?》

 

 返信を打つと、すぐに既読がつく。

 

 《うん。猿島とか、横須賀美術館とか。ちょっと歩きたい気分で》

 

 《了解。何時に集合?》

 

 《十時くらいに横須賀駅で》

 

 メッセージの最後に、ウサギのスタンプが跳ねていた。

 

 「横須賀、か……」

 

 小さく息を吐き、スマホをポケットにしまう。夕暮れのホームに、電車のブレーキ音が低く響く。

 

 横須賀。海と風の街。

 

 彼女がそこを選んだ理由が、なんとなく分かる気がした。

 

 




物語解説

今回の物語では、三人のやさしさと、ためらいが、ひとつの秋の光の中で交差しました。

有栖川宮記念公園の紅葉に包まれた図書館。
そこに集まったのは、のどか、卯月、そして蓮真。

英語と数学のノートを広げながらも、三人の視線はそれぞれ別のものを見つめています。

“教えること”と“支えること”の違い。“笑うこと”と“誤魔化すこと”の境界。

そんな些細な揺らぎの中で、蓮真は初めて気づきます。沈黙の奥にある小さな変化を、見逃さない自分がいることに。

のどかの笑顔の裏に潜む迷い。卯月の明るさに隠された優しさ。そして、そのどちらにも寄り添おうとする蓮真の視線。

「誰かを支えることは、同時に自分を見つめ直すこと」それが、この秋に彼が掴みかけた答えです。

次に訪れるのは、横須賀。風と海の街で、岸和田蓮真の物語は静かに冬へと歩き出します。

穏やかな日常の中で、まだ誰も気づいていない波が、少しずつ、音もなく寄せてきていることを知らぬまま。

どうかその続きを、見届けてください。

蓮真は最終的にどちらを選ぶと思いますか?

  • 豊浜のどか
  • 広川卯月
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。