青春ブタ野郎はパラレルスプリングの夢を見ない   作:もドえラん

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5.特異点の証人は、沈黙を守り続ける

  

 九月二日

 

 朝の登校中。並んで歩くのは、桜島麻衣と梓川咲太——そして桜島麻衣の妹、豊浜のどかのはずなのに、表情のぎこちなさで、二人が入れ替わっているのはすぐに察せられる。

 

 麻衣の姿をしたのどかが、不安そうに口を開いた。

 

 「その……そもそもの話なんですけど、あたしが麻衣さんのフリをするなんて無理なんじゃ……」

 

 「仲の良い友達とかは、変だってすぐに気づくと思います」

 

 「大丈夫、麻衣さん友達いないから」

 

 咲太があっさり言ってのける。

 

 「は?」

 

 麻衣の姿をしたのどかが、目を見開く。

 

 「何よ、咲太も似たようなものじゃない」

 

 今度はのどかの姿をした麻衣が口を挟む。

 

 「僕は友達いますって、三人も」

 

 「とにかくそういうわけだから、学校で私のフリをするのは簡単」

 

 「黙って授業を受けて、終わったら帰る。誰とも話す必要はないから」

 

 「あ、はい……」

 

 その直後、のどかの姿をした麻衣がふと呟いた。

 

 「そういえば……岸和田くんにはどう対応するか、考えてなかったわね」

 

 咲太は苦笑する。

 

 「……ああ、そういえば。麻衣さんが岸和田に介添え頼んでたんだった。」

 

 のどかの姿をした麻衣は小さく頷き、視線を逸らしながら肩をすくめる。

 

 「ええ。でも彼なら余計な詮索をしないから。静かに“証人”でいてくれるとは思うわ、でも……放っておいたら察する子よ」

 

 咲太は少し顎に手を当てて考え込む。

 

 「となると、この状況で、あいつにどう説明するか……考えておかないといけないですね。」

 

 麻衣の姿をしたのどかは、不安そうに眉をひそめた。

 

 「……え、そんな人にまであたし、バレない自信ないんですけど……」

 

 声が小さく震えている。

 

 「大丈夫よ」

 

 のどかの姿をした麻衣が、さらりと言い切る。

 

 「岸和田くんは“証人”であって、余計な口を挟む子じゃないから……」

 

 麻衣の姿をしたのどかは、まだ納得しきれない表情のまま、視線を足元に落とした。

 

 そして、三人はそのまま駅へと足を運んでいった。

 

 校門をくぐって教室に向かう途中、咲太が声をかける。

 

 「じゃ、三年一組な」

 

 麻衣の姿をしたのどかは、小さく頷きながら答えた。

 

 「分かってる。私の席は窓側の後ろから二番目……あとは大人しく授業を受けてればいいんでしょ。介添え人だって言う子には近づかないようにするから」

 

 「ああ」

 

 咲太は少し肩をすくめ、けれど表情には安堵の色が滲んでいた。

 

 「……ちゃんとそれっぽくできるのな。麻衣さんの話し方と表情になってる」

 

 のどかは気づかれないように深呼吸しながら歩を進める。それでも、その瞳の奥にはまだ不安が残っていた。

 

 「子供の頃、よく真似していたのよ。あたしの自慢で、憧れだった。」

 

 そう言いながら、視線は窓の向こうの空へと吸い寄せられる。

 

 表情は和らぐことなく、胸の奥に沈んだままのざわめきが、淡くその横顔に影を落としていた。

 

 その日、咲太は物理実験室で双葉に向き合っていた。机の上には参考書やビーカーが雑然と置かれている。

 

 「……で、そういうわけで。今学校には“麻衣さんのフリをしてる麻衣さん”がいるんだ」

 

 咲太の言葉に、双葉はため息をひとつ落とす。

 

 「何が起きているかの考察はさておき、今回のケースに関していえば、解決の糸口は明確なんじゃない」

 

 「というと?」

 

 咲太が眉をひそめる。

 

 「思春期症候群を引き起こしているのは、人の不安定な精神状態じゃないかと私は思ってる」

 

 双葉は顎に手を当て、真剣な声音で続けた。

 

 「まあ……そうなるわな」

 

 咲太も腕を組み、視線を斜めに逸らす。

 

 「少し事情を聞いただけの私にも、原因がどこにあるか想像できているんだから。当然、梓川も気づいているんでしょ?」

 

 図星を突かれたように、咲太は小さく肩を落とした。

 

 「一言で言えば、よくできた姉へのコンプレックスだな。……けど、んなもんどうやって克服すればいいんだよ」

 

 双葉はわずかに笑みを浮かべ、皮肉っぽく言った。

 

 「国民的アイドルにでもなればいいんじゃない?」

 

 咲太は頭を抱え、椅子に体を預ける。

 

 「……無茶言うなよ」

 

 咲太が頭を抱えていると、双葉は試験管を指先で回しながら、ふと別のことを思い出したように口を開いた。

 

 「そういえば……“介添え人”って呼ばれてる子。岸和田くんって、何者なの?」

 

 唐突な問いに、咲太は少し考え込むように視線を落とした。

 

 「……あいつ、中学の同級生なんだ」

 

 「え、そうだったの?」

 

 双葉の声に、わずかな驚きが混じる。

 

 「クラスは違ったけどな。……当時から大人しいやつで、でも妙に周囲を観察してる感じがあった」

 

 「……なるほどね」

 

 双葉は顎に手を当て、興味深そうに目を細める。

 

 咲太は少し声を落とした。

 

 「今も、全部を話すわけにはいかない。けど……岸和田なら察してくるかもしれないし、余計な口外は絶対しない」

 

 「放課後にでも、それとなく話してみるつもり?」

 

 「……まあ、そうだな」

 

 双葉は小さく頷き、窓の外へ視線を移した。

 

 「梓川がそこまで言うなんて珍しい。……確かに、“普通じゃない”匂いがする子みたいだね」

 

 そして眼鏡を押し上げ、淡い笑みを浮かべた。

 

 「……梓川が岸和田くんに会いに行ったその後、私も接触してみようかな。」

 

 咲太は肩をすくめる。

 

 「お前が興味持つなんて珍しいな」

 

 「……研究対象としてね。」

 

 物理実験室に日差しが差し込み、双葉の目に探究心の光が宿った。

 

 咲太はしばらく黙った後、ぽつりと付け加える。

 

 「……ただ、岸和田には今の“入れ替わり”のことは話さないでくれ」

 

 「口止め、ってこと?」

 

 双葉が軽く片眉を上げる。

 

 「そうだ。あいつなら気づいても騒ぎはしないだろうけど……麻衣さんと豊浜さんに、余計な負担をかけたくない」

 

 双葉はほんの一瞬考えるように目を伏せたが、すぐに小さく頷いた。

 

 「……了解。ことが終わるまでは、私の口から言うことじゃないし」

 

 そう言って眼鏡を押し上げた横顔は、研究者らしい冷静さを湛えていた。

 

 放課後昇降口を出たところで、廊下の向こうから咲太が歩いてくるのが見えた。

 

 「よう、岸和田」

 

 軽い調子で手を挙げる。

 

 「……なんだよ」

 

 俺も歩みを緩め、自然に並ぶ形になった。

 

 咲太はしばらく無言で歩いたあと、ふと口を開く。

 

 「お前さ、仮に……人が入れ替わったりしても、気づかないフリできるタイプだよな」

 

 「は?」

 

 唐突すぎて、足が止まりそうになる。

 

 「いや、なんとなく思っただけだ。」

 

 咲太はポケットに手を突っ込み、気だるげに前を向いたまま続ける。

 

 「そういうの、お前は無駄に察するだろ。でも、余計なことは言わない。……そういう性格だって、麻衣さんも言ってるみたいだし」

 

 「……何の話だよ」

 

 そう返しながらも、胸の奥がざわめいた。

 

 入れ替わり?それに、麻衣先輩まで?

 

 曖昧に濁した咲太の言葉は、俺に“何かが起きている”ことを匂わせるには十分だった。

 

 けれど俺は問い詰めず、ただ肩をすくめる。

 

 「……まあ、俺は静かなのが一番だからな、咲太」

 

 名前を口にした瞬間、彼の表情が一瞬だけ止まる。

 

 「……お前、今僕のこと名前で呼んだか?」

 

 視線の端で、ほんの少し睨みをきかせるようにこちらを見てきた。

 

 「麻衣先輩の影響だよ」

 

 わざと軽く返すと、咲太は鼻を鳴らし、前を向いたまま言う。

 

 「……お前、麻衣さんのこと、そう呼ぶんだな」

 

 その声音には、どこか探るような響きがあった。

 

 俺は返事をせず、ただ黙って歩を進める。

 

 咲太は横目でちらりと笑みを見せた。

 

 「やっぱりな。そういうとこ、助かるよ」

 

 それだけ言って、彼は手をひらひらと振り、校門の方へと歩いて行った。

 

 残された俺は足を止め、深く息を吐く。

 

 やっぱり、咲太は何かに巻き込まれてる。

 

 でも、俺の役割は踏み込むことじゃない。静かに観測することだ

 

 その後、物理実験室の前を通りかかると、半分開いたドアから名前を呼ばれた。

 

 覗くと、メガネを掛けた女子が黒板を眺めている。

 

 双葉理央。科学部唯一の部員で、実験中に学校の一部を停電させたとか、ボヤ騒ぎを起こしたという噂を耳にしたことがある。

 

 「岸和田くんだっけ?」

 

 顔を上げた彼女は、俺を一目見て、探るように聞いてきた。

 

 「梓川と同じ中学って聞いたけど」

 

 「そうだけど」

 

 「梓川からちょっと聞いた。珍しく“同級生が同じ高校にいる”って話してて」

 

 わずかに笑みを浮かべながら続ける。

 

 「梓川が普通に話してる人って珍しいから」

 

 観察するような目でこちらを見ながら、双葉は言った。

 

 「あと梓川から聞いた。夏休み前の“未来シミュレーションのループ”のとき、君は一度も出てこなかったんだよね」

 

 「……未来シミュレーション? ループ?なんのことだ?」

 

 眉をひそめる。まるで話がかみ合っていない。

 

 双葉は「ああ、やっぱり」と呟いて、ノートを閉じた。

 

 「そう。知らないならそれでいい。……でも、確かに“いないはずなのに、現実では役割を持っている”人間がいる。それが、君」

 

 「……勝手に俺を不思議枠に入れるなよ」

 

 そう返すと、双葉は小さく笑った。

 

 「不思議枠じゃなくて、“特異点”。私はそう仮定してる」

 

 胸の奥がわずかにざわついた。けれど、問い詰めはしなかった。

 

 踏み込めば消える。それが自分のルールだから。

 

 双葉はしばらく黙って俺を観察していたが、やがてペンを指先で転がしながら言った。

 

 「……で、その“特異点”の君は、実際に何か経験したことがあるの?」

 

 一瞬、返答に詰まる。けれど誤魔化すのも不自然だ。

 

 「……まあ、多少は」

 

 それだけ答えると、双葉の目がわずかに光を帯びた。

 

 そこから話は自然と“思春期症候群”に移った。俺が経験した“ループ”のことはぼかしつつ、観察メモをつけているとだけ伝えると、双葉は意外そうに笑った。

 

 「珍しいね。関わるより記録するタイプ」

 

 「安全第一だから」

 

 そう言うと、彼女は「悪くない」と呟いた。

 

 双葉と“特異点”の話をした数日後。

 

 俺は放課後の図書室に足を運んでいたが、妙な違和感を抱えていた。

 

 ——麻衣先輩を、ここ最近見かけない。

 

 夏休み前までは、窓際で静かに本を読んでいる姿や、昇降口を通る後ろ姿をよく目にした。それが、二学期になってからはぱったり途絶えている。

 

 さらに言えば、咲太と学校で一緒にいる場面も、ほとんど見なくなった。

 

 いつもなら廊下で軽口を叩き合っていたり、並んで歩いていたりするのを目にした。

 

 けれど最近は、咲太はひとりでいることが多い。

 

 忙しいのか、ただ時間が合わないだけなのか。

 

 けれど理由を推し量るのはやめた。もとより、俺の立場は“遠くから見守る”程度のものだ。

 

 ただ、そのぽっかり空いた空白に気を取られるのも事実で。気がつけば俺は、別の場所に足を向けていた。

 

 ——物理実験室。

 

 双葉理央。

 

 彼女なら、自分の抱える違和感を「分析対象」として処理してくれる気がした。

 

 打ち明け話ではなく、観察記録の延長。

 

 俺にとっては、その距離感がちょうどよかった。

 

 九月十日

 

 放課後、物理実験室で黒板をいじっていた双葉が、ふと手を止めてこちらを見た。

 

 「……岸和田って観察ばっかしてるけど、自分のことはあんまり話さないよね」

 

 「まあ、話す必要がなければ」

 

 双葉は試験管を弄びながら、ふっと笑った。

 

 「……まるで隠してるみたいに」

 

 その一言が、不意に胸を突いた。

 

 完璧に立ち回れてるつもりでも”見透かされ”ているその証拠みたいで。

 

 双葉は少し間を置いて、肩をすくめた。

 

 「……まあ、話したくないならそれでもいいけどさ」

 

 その声音には突き放す冷たさはなく、ただ観察者同士の線引きを示すような淡さがあった。

 

 双葉は少し間を置き、何気ない調子で言った。

 

 「私もね……夏休み中にちょっと変になったことがある。二人に分かれたんだ、私が」

 

 「二人?」

 

 「そう。どっちも私で、どっちも私じゃない。誰かに構ってほしいくせに、そういう自分を許せない。……そんな気持ちが、別々の形になって現れたんだと思う」

 

 その言葉に、俺は手元のペンを止めた。

 

 ——別々の形になった感情が、同じ世界でぶつかる。

 

 形は違えど、それは俺が経験した思春期症候群に、少し似ている気がした。

 

 双葉は淡々と話を続ける。

 

 「お互いがお互いを認められなくて、ずっと平行線。……正直、途中まではどうしたらいいのか全然わからなかった」

 

 そこで双葉は一度口をつぐみ、窓の外に目をやった。

 

 「でも、結局ひとりに戻った。……まあ、それだけ。参考にしてみてよ。」

 

 それ以上語る気はなさそうだ。

 

 俺は無理に踏み込まなかった。  

 

 ただ、その複雑に絡まった感情の話が、妙に胸の奥に引っかかっていた。

 

 それから、物理実験室で顔を合わせるたびに、双葉とは言葉を交わすようになった。

 

 最初は本当に事務的なやり取りだけだったが、授業で使う資料や実験データのやり取りがきっかけで会話の頻度も少しずつ増えていき、いつしか連絡先を交換した。

 

 静かに観察するだけのつもりだった。

 

 でも、こうして関わる人間が少しずつ増えていくと、知らないうちに日常の輪郭が変わっていく。

 

 俺のタブレットには、自分の中学の時の記録に、麻衣先輩の学校での様子や人混みでの立ち回りの記録だけでなく、梓川やその周囲の変化までもが書き込まれるようになっていた。

 

 ——だからだろう。

 

 こちらから麻衣先輩に接触してみようと思ったのは。

 

 気づけば、「静かな高校生活」という目標は、もうどこにも見当たらなかった。




物語解説

今回の物語で双葉理央が岸和田蓮真に関心を示したのは、単なる同級生だからでも、異性としてでもありません。

彼女にとって「思春期症候群」は研究対象であり、その根本には、思春期症候群は、“人の心の揺らぎが現実に干渉する”という仮説があります。

蓮真は表向きは大人しく目立たない生徒ですが、咲太や麻衣から「余計な詮索はしないのに、察してしまう」という評を受けています。

双葉からすれば、それは「観測者でありながら干渉を避ける」という稀有な態度に見えるのです。

さらに彼の過去には“ループ”という形で思春期症候群を経験した気配があり、本人が語らずとも、観察や記録に徹する彼の行動や言動は、周囲との齟齬としてにじみ出てしまいます。

双葉が「特異点」と表現したのは、まさにその違和感を捉えたからでした。

彼女にとって蓮真は、咲太とも違う角度から症候群に触れている「もう一つの実例」であり、観察する価値がある存在であり、そこに確かな「興味」はあるけれど、それはあくまで研究者としての眼差しとして描いています。

蓮真は最終的にどちらを選ぶと思いますか?

  • 豊浜のどか
  • 広川卯月
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