青春ブタ野郎はパラレルスプリングの夢を見ない   作:もドえラん

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2.ハロウィンの予知夢は、新しい運命を連れる

 

 十月三十日

 

 その日、梓川咲太は片瀬江ノ島駅の改札前で、友人たちと待ち合わせをしていた。雲ひとつない空の下、龍宮城みたいな駅舎が、観光客たちを青い海の底から迎え入れているみたいだった。

 

 「結構、変わったな、この駅」

 

 隣でつぶやいた国見佑真は、半年の消防学校を終えて一回り大きくなっていた。胸板も腕も声のトーンも、高校時代とは少し違う。

 

 「なあ、国見。ミニスカサンタは好きか?」

 

 「いや、そうでもない」

 

 「なら、大好きか?」

 

 「ああ、大好きだな」

 

 くだらないやり取りに咲太が笑ったところで、背後から冷たい声が割り込んだ。

 

 「その最低な会話、あとどれくらい続く?」

 

 振り返ると、岸和田蓮真と双葉理央が立っていた。

 

 「双葉、早かったんだな」

 

 「十分前には着いてたから。そのへん歩いてただけ」

 

 「二人とも待たせたな」

 

 「蓮真、お前も久しぶりだな!」

 

 「国見もな。半年で随分でかくなったな」

 

 「……なんだかんだで、いい関係だよね」

 

 腕を組んだ双葉が、少しだけ唇をゆるめる。

 

 「まぁ……相変わらずのやり取りだな、とは思うけど」

 

 「蓮真、お前も相変わらず辛辣だよな」

 

 「事実を言ってるだけだよ」

 

 海風が吹き抜けるたび、高校時代の空気が少しだけ戻ってきた。

 

 観光センター脇の海鮮料理屋は、正午前だというのに満席だった。観光客でにぎわう店内で、四人はテーブルを囲む。

 

 「僕、どこか変わったか?」

 

 注文を終えたタイミングで、咲太が唐突に尋ねた。

 

 「一番変わったのは国見でしょ」

 

 まかない丼を前に、双葉が即答する。

 

 消防士の二十四時間勤務の話、非番の過ごし方。国見はさらっと話すが、聞いているこっちは、ただただ感心するしかない。

 

 「国見は、ちゃんと社会人やってんだな」

 

 「そりゃやってるよ。釜揚げしらす丼と唐揚げを一緒に頼める程度には」

 

 「ブルジョワめ」

 

 そう言いながら、咲太も唐揚げをひとつつまむ。

 

 話題は自然と大学生活に移る。

 

 「大学は?」

 

 「普通だな。特に何もない毎日が続いてる」

 

 「蓮真は?」

 

 「俺もまあ……普通だな」

 

 そう答えたところで、双葉がすかさず刺してくる。

 

 「アイドル二人と仲がいいのに普通はないでしょ。桜島先輩の妹さんと、そのアイドル仲間」

 

 「おいおい、そう言われるとなんか違うんだけど……」

 

 「蓮真、お前……モテ男だなぁ」

 

 「国見に言われたくはねえよ」

 

 テーブルに笑いが広がる。

 

 スマホが震え、双葉が席を立つ。「大学の子だ」とだけ言い残し、店の入口の方へ離れていった。

 

 「双葉も大学生やってんだな」

 

 国見は、電話越しに笑っているらしい双葉の背中を見て、うれしそうに言う。

 

 「……高校んときの双葉見てたら、そう思うのも分かるけどな」

 

 (それぞれ、ちゃんと“続き”を生きてるってことか)

 

 そんなことをぼんやり考えながら、味噌汁の湯気を眺めていた。

 

 「あ、そうだ。咲太」

 

 「ん?」

 

 「俺に言うことない?」

 

 「半年の訓練お疲れ様。所属も無事に決まっておめでとう。これでいいか?」

 

 「やっぱり、まだ気づいてないんだな」

 

 「何が?」

 

 「もうちょい黙っとく。その方が面白そうだし」

 

 国見がニヤリと口元をゆがめた、その瞬間だった。

 

 国見の視線が、一瞬だけ俺に流れる。

 

 (……ああ、上里のことか)

 

 その意味を察した俺は、小さく息を吐いて咲太に向き直る。

 

 「まぁ……咲太。楽しみにしとけ」

 

 「お前までなんなんだよ、岸和田」

 

 店を出た俺たちは、片瀬東浜海岸まで歩いていた。誰かが提案したわけでもなく、腹ごなしに歩いていたら、自然と足が向いていた。

 

 夏なら海の家と人で埋まる砂浜も、秋も深まった今は、人もまばらだ。波打ち際のカップル、犬の散歩をする夫婦、石段に座る大学生グループ。

 

 大潮の今日は、砂浜が江の島まで繋がっていた。

 

 「やばい、江の島まで歩ける」「島じゃない。陸じゃん!」

 

 女子大生のふたり組がはしゃぎながら、競うように写真を撮っている。電子的なシャッター音が、秋の空の下によく響いた。

 

 「俺らも撮っとくか」

 

 国見がスマホを構え、俺たち四人もまとめて数枚撮る。

 

 「タイトルは『江の島到達』だな」

 

 弁天橋を下から見上げながら、三人はわいわい話している。

 

 その少し後ろで、俺の足は自然と遅くなった。

 

 (……この三人は、高一の頃からのいつものメンバーなんだよな)

 

 文化祭、体育祭、夏休みの夜。

 

 俺の知らない時間を、咲太と双葉と国見で過ごしてきた。

 

 波音に混じって、三人の笑い声がぽつぽつ届く。

 

 仲間外れにされているわけじゃない。自然に接してくれるし、気を遣われている感じもない。

 

 それでも、胸のどこかがスッと抜ける瞬間がある。

 

 (当たり前だけど……俺は途中から入った側なんだよな)

 

 砂に残った足跡を見ながらそう思う。波が寄せるたび、そのうちのいくつかがゆっくり消えていく。

 

 それは寂しさというより、静かな現実確認に近かった。

 

 「おーい、蓮真。流されたら助けに行けねーからな!」

 

 前から国見が手を振る。

 

 「流されねぇよ」

 

 そう言って歩調を速めると、遅れていた分の距離が縮まり、足跡はまた並び始めた。

 

 (……まあ、それでも今はこうして歩いてるんだから十分だろ)

 

 潮風が髪を揺らし、江の島が目の前に近づいてくる。砂浜の上で、四つの影だけが静かに重なっていた。

 

 国見と別れ、藤沢駅を出てからは三人で北口へ向かった。

 

 「消防士、大変そうだね」

 

 「国見には向いてるよ」

 

 「梓川には向いてないだろうね」

 

 双葉があっさり言い切る。その隣に、俺と咲太も並んだ。

 

 「ま、僕はサンタクロースになるのが夢だからな」

 

 「そんなこと言ってるから、ミニスカサンタの幻を見たんじゃない?」

 

 「幻だったら、いいんだけど」

 

 咲太が苦笑する。そのやり取りを聞きながら、俺は眉をひそめた。

 

 「……何の話だ?」

 

 「そういえば岸和田には、ちゃんと話してなかったな」

 

 咲太は少しだけ声を潜める。

 

 「今週の月曜、大学でミニスカサンタに会ったんだよ。本人は霧島透子を名乗ってた。僕にしか見えてなかったけどな」

 

 「しかも『一千万人分の思春期症候群をプレゼントした』って言ったんだよね」

 

 双葉が補足する。

 

 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥の引っかかりが形を持った。

 

 「……実は、俺もさ」

 

 俺は、自分の大学での出来事を話した。卯月と別れたあと、誰もいない空間から聞こえた声。

 

 「君にはわたしが見えないのね……岸和田くん……」

 

 そして、先月も同じように響いた声。

 

 「……わたしは……霧島透子……」

 

 「姿は見えなかった。声だけ」

 

 「……梓川は“見る”。岸和田は“聞く”。片方ずつの感覚で現れたと考えるのが自然だね」

 

 「双葉はどう思う?」

 

 俺が尋ねると、双葉はあっさり答えた。

 

 「本当だと証明することもできないし、嘘だと証明することもできないと思う」

 

 「……まぁ、そうだよな」

 

 俺が納得すると、咲太は少しだけ視線を下げて続ける。

 

 「でも、もし本当なら、前に双葉が言ってたことの裏付けにならないか?づっきーの相談したとき言ってたろ?思春期症候群を起こしてるのは、空気を読んでる大学生全員の方かも

しれないって」

 

 「それが現実だとしたら、梓川と岸和田はどうするの?」

 

 「とりあえず、驚くんじゃないか?」

 

 「俺も驚くな。まず」

 

 「正義の味方よろしく、みんなを思春期症候群から救い出すんじゃないんだ?」

 

 「みんなって、一千万人?」

 

 「そう、一千万人」

 

 「僕は麻衣さんとイチャイチャするので手一杯だな」

 

 「咲太はともかく、俺にそんな力はないだろ……」

 

 すると双葉は、極めて真顔で言った。

 

 「じゃあ二人で五百万人ずつ解決していけばいいんじゃない?」

 

 「……家事の分担みたいに言うなよ……」

 

 「そんなこと言っても、ひとりだけ気になってるんでしょ?赤城郁実って言ったっけ?」

 

 「気になってるって言うか、ちょっと引っ掛かってる感じだな、ずっと」

 

 「咲太、お前……なんで赤城のこと気になってんだ?」

 

 咲太は、ほんの一瞬だけ視線を逸らした。

 

 「……大学の入学式の日。あいつ、僕に声かけてきたんだよ。まるで“僕を探してた”みたいに。ミニスカサンタも、赤城に“プレゼントを配った”って言ってたからな」

 

 「なるほど、そんなことがあったんだな」

 

 「岸和田、お前……赤城とボランティア団体で一緒なんだろ?なんか気になるとことかあるか?」

 

 「いや……特には思いつかないな」

 

 「そうか」

 

 咲太は一度うなずき、表情を曖昧にした。

 

 「梓川は、その理由が思春期症候群にあるんじゃないかと、今になって思ってるんだ」

 

 双葉が代弁する。

 

 「ま、考えすぎなんだろうけどさ」

 

 「そうだね。考えすぎ」

 

 「その後、彼女の様子はどうなの?」

 

 「ミニスカサンタに会ったあの日以来、見かけてない」

 

 「会えないなら、会えないままでいいのかもね。霧島透子も、赤城郁実も、関わらない方が梓川のためかも」

 

 「持つべきものは、心配してくれる友人だな」

 

 塾が入るビルの前で、咲太が苦笑する。

 

 「相談を持ち掛けられるのも面倒だしね。こんなこと言っても、梓川には無駄だろうけど」

 

 俺はその会話を聞きながら、内心そっと同意していた。

 

 (俺としても……赤城と咲太は、なるべく合わせない方がいい)

 

 友部さんからもそう言われているし、赤城自身も、まだ咲太と向き合う準備が整っているとは思えない。

 

 「岸和田は、どう思う?」

 

 「……俺も双葉に同意だな。無理に会う必要はないと思う」

 

 「なるほどな」

 

 咲太は、少しだけ息を吐いた。

 

 「霧島透子については、明日、卯月に聞いてみるよ」

 

 「広川さんに?」

 

 「あいつ、霧島透子の曲カバーしてただろ。何か知ってるかもしれない」

 

 「ああ……頼む」

 

 そこで双葉が、ふいに言った。

 

 「こう何回も続くと、あれと同じだと思ってる」

 

 「どれ?」

 

 「どこに行っても、殺人事件に遭遇する名探偵」

 

 「…………ああ、なるほど」

 

 エレベーターの到着を知らせるベルが鳴る。

 

 「そんな僕に、何かアドバイスはあるか?」

 

 咲太が冗談めかすと、双葉は深いため息をひとつ。

 

 「今度ミニスカサンタに会ったら、連絡先でも聞いとけば?」

 

 投げやりに言って、先にエレベーターへ乗り込む。

 

 「彼女がいるのに、女子に電話番号を聞く男ってどう思う?」

 

 双葉に続いて、俺と咲太も乗り込んだ。

 

 「ブタ野郎だと思う」

 

 双葉は一切笑わずに、閉まるボタンを押す。

 

 扉が閉まりかける中、俺はぼそっと言った。

 

 「……違いないな」

 

 「お前もかよ」

 

 咲太がぼやき、双葉は小さく鼻で笑った。

 

 十月三十一日

 

 俺は午後からの基礎ゼミを受講する前に、学食で昼を済ませようとキャンパスの並木道を歩いていた。

 

 「きっしー!」

 

 弾む声が、横から飛んできた。

 

 振り向くと、卯月が小走りで近づいてくる。

 

 今日は珍しく、髪を三つ編みにして、さらに丸メガネをかけていた。

 

 「……どうした、その格好」

 

 「え?変かな、この変装?誰にも気づかれないって思ったのに〜」

 

 卯月はメガネのフレームを指先でちょんと押し上げる。

 

 「いや、似合ってる……けど、普段と違いすぎて」

 

 「ふふん。今日はメガネ美少女の日だからね!」

 

 そんな記念日あったか?と思いながらも、そういう適当な自作ルールは卯月らしい。

 

 歩幅を合わせて並んだところで、俺はふと、昨日の霧島透子の話を思い出した。

 

 「……卯月。ひとつ聞きたいことあるんだけど」

 

 「なに?」

 

 「霧島透子の曲をカバーした時……本人に会ったりした?」

 

 卯月は一瞬「え?」と目を瞬かせ、それからふわっと笑う。

 

 「ううん、会えなかったよ〜。挨拶したかったけどね?」

 

 「そうか」

 

 俺がそう答えると、卯月は少し首をかしげて覗き込んでくる。

 

 「ねぇきっしー。霧島透子がマイブームなの?」

 

 「いや、そういうわけじゃ……」

 

 「ふ〜ん。なんか隠してる感じ」

 

 「隠してないって」

 

 「じゃあ後で教えてね?」

 

 天然なのか計算なのか、本気でわからない距離感で笑ってくる。

 

 たぶん天然だ。卯月は疑いの概念が薄い。

 

 そのまま並木道の中央まで来たところで、卯月がふっと思い出したように立ち止まった。

 

 「あっ、そうだ!」

 

 振り返った卯月の三つ編みが、陽にきらきら光る。

 

 「来月ね、私……ソロデビューの初ライブ、やるんだ」

 

 言ったあと、頬がうっすら赤くなる。

 

 「だから、その……」

 

 「……蓮真くんにも来てほしいなぁ」

 

 急に蓮真くん呼びに変わるのは反則だ。

 

 胸の奥が、ぐっと高鳴る。

 

 「……ああ。行くよ」

 

 「ほんとっ?やったぁ!」

 

 その瞬間だけ、卯月はわかりやすく嬉しそうに飛び跳ねる。

 

 天真爛漫とか天然とかそういう言葉が全部、卯月のためにあるみたいだ。

 

 すると、前方から女子グループが手を振ってきた。

 

 「卯月ちゃん!早くー!席なくなるよー!」

 

 「はーい!……じゃあきっしー、また後でね!」

 

 そう言って卯月は軽く手を振り、三つ編みを揺らしながら友人たちの方へ駆けていく。

 

 その背中を見送りながら、俺は思わず小さく息を吐いた。

 

 (……なんだよ、あれ)

 

 胸の奥に残った熱を誤魔化すように、ポケットの中でスマホを握り直す。

 

 卯月の足音だけが、まだ少しだけ耳に残っていた。

 

 学食の中央あたりにちょうど空いた四人掛けのテーブルを見つけ、トレーを置いて座ったところで、「岸和田くん?」顔を上げると、美東美織が湯気の立つうどんをトレーに乗せて立っていた。

 

 「隣、いい?」

 

 「ああ、いいよ」

 

 美東さんは小さく会釈して、俺の向かいに腰を下ろした。

 

 同じ学部だから、学食でこうして一緒になることは珍しくない。

 

 「昨日ね、友だちとドライブ行ってきたの」

 

 「ドライブ?どこまで?」

 

 「長野〜。空気おいしかったぁ」

 

 ふわっとした口調で言いながら、うどんに七味を振る。

 

 その動作は妙に丁寧で、誰に対しても態度がフラットだ。

 

 「岸和田くんって、免許持ってるの?」

 

 「八月に合宿で取りに行ったよ」

 

 「へぇ〜いいなぁ。わたしも免許取りたいんだよねぇ」

 

 「合宿は安いけど、けっこう詰め込みだよ。運転技術は通学でコツコツ学んでる人のほうが上手くなると思う」

 

 「ふーん……岸和田くん、詳しいね」

 

 「そうか?」

 

 俺が首をかしげると、美東さんは何か思い出したみたいに「あっ」と声を上げた。

 

 「そうだ、岸和田くんにこれ」

 

 鞄から小瓶を取り出し、俺の前に置く。

 

 「リンゴジャム?」

 

 「うん、長野行ったから〜。お土産」

 

 「へぇ、ありがとう」

 

 素直に受け取ると、美東さんはどこか満足そうに頬をゆるめた。

 

 その時だった。

 

 「ここ、いいですか」

 

 少しだけ間延びした声が聞こえて、咲太がトレーを持って現れた。

 

 美東さんがちょうど、うどんを口に入れていたところだった。

 

 ちゅるん。

 

 咲太の声で顔を上げ、ほっぺに麺の温度を残したまま、もぐもぐ……もぐもぐ……最後に、ごくん。

 

 それから、わざとらしいほどきっぱりとした口調で言う。

 

 「嫌ですけど」

 

 唇を尖らせる角度だけは、無駄に完璧だった。

 

 「おいおい……」

 

 「ま、座りますけど」

 

 咲太はわざとらしい敬語のまま、美東さんの正面へ腰を下ろした。

 

 「梓川くん、今日はひとり?」

 

 「見ての通り、美東とふたり」

 

 「この人、うざいわー」

 

 美東さんは眉ひとつ動かさずに言い返す。

 

 「美東、今日はひとりか?」

 

 「見ての通り、梓川くんとふたり」

 

 「この人も、うざいわー」

 

 俺は思わず苦笑した。

 

 ……だが、完全に会話が ふたりの世界になっている。俺の存在、空気より薄いんじゃないか?

 

 「おい」

 

 思わず声が漏れた。

 

 「勝手に俺を省くなよ、そこのふたり」

 

 すると美東さんが、まるで俺のツッコミを最初から読んでいたみたいに顔を上げる。

 

 「え、いたの?」

 

 「最初からずっといたろ」

 

 「いや、存在感が薄いからさぁ」

 

 「おいおい……」

 

 咲太は笑いながら肩をすくめる。

 

 「岸和田、大学では透明化スキル持ってるからな」

 

 「持ってねぇよ!」

 

 「じゃあスルースキル?」

 

 「それは……まあ、あるけど」

 

 「自覚あるんだ……」

 

 美東さんはふふ、と喉で笑ってから、うどんを一口啜る。

 

 「そういえば岸和田くん、なんで今日は広川さんといないの?」

 

 「なんで卯月基準なんだよ」

 

 「ほら、“岸和田くんは広川さんの付属物”って、学部内でけっこう有名だし?」

 

 「聞いたことねぇよ」

 

 美東さんと咲太は、顔も合わせず同時に言った。

 

 「言われてるよ」

 

 「言われてるよ」

 

 「なんで俺の話だけ一致するんだよ!」

 

 学食のざわめきの中で、三人だけ妙に会話のテンポが揃っていた。

 

 美東さんは気を取り直して、湯気の立つうどんを眺めながら尋ねる。

 

 「梓川くん、麻衣さん、今日はお仕事?」

 

 「今日も、昨日も、一昨日もお仕事」

 

 「そっかぁ。じゃあこれ、麻衣さんの分も一緒に」

 

 美東さんがおもむろに鞄から取り出したのは、ストロベリージャム、ブルーベリージャム。

 

 「今日って、ジャムの日だっけ?」

 

 「ジャムの日は、四月二十日だったような?」

 

 「あるのか……ジャムの日」

 

 「これは、お土産。真奈美が免許取った記念に、昨日、みんなでドライブ行ってきたの」

 

 「海には誘ってもらえなかったのにな」

 

 「この人、ほんとうざいわー」

 

 厳重注意とばかりに、美東さんが箸でびしっと咲太を差してくる。

 

 「お行儀悪いですよ」

 

 「どこ行ってきたと思う?」

 

 美東さんが箸を引っ込める。

 

 「どこだろうなぁ」

 

 適当に相手をしながら、ジャムの瓶に手を伸ばす。裏面の成分表示のシールに、堂々と答えが書いてあった。

 

 「長野県か」

 

 製造会社の住所は軽井沢となっている。

 

 「正解は、梓川サービスエリアでした」

 

 どうだと言わんばかりに、美東さんが満面の笑みを浮かべる。

 

 「別に面白くはないな」

 

 そっと、ジャムの瓶をテーブルに戻した。どや顔で言うほどではない。

 

 「これは没収します」

 

 咲太の手と入れ替わりで、美東さんの手がブルーベリーのジャムを載っていく。

 

 ストロベリーのジャムまで失うのは悲しいのか、咲太は先にリュックサックの中に入れていた。

 

 俺は頷きながら続ける。

 

 「梓川サービスエリアか。神奈川からだと、まあまあ距離あるよな」

 

 「でしょ?岸和田くんみたいに普通に応対してくれる男子、ほんとありがたいなー」

 

 美東さんは、咲太の方をちらりとも見ない。

 

 咲太が俺に向き直る。

 

 「岸和田もジャムもらったのか?」

 

 「ああ。俺はリンゴジャムを貰ったよ」

 

 「リンゴ……長野っぽいな。さすがに“梓川味”とかは無かったと」

 

 「この人うざいわー」

 

 美東さんがじとっと咲太を見る。

 

 「……岸和田、交換しないか?」

 

 「しねぇよ」

 

 咲太からの提案に俺は即答した。

 

 すぐ横で、美東さんはあからさまに満足そうな笑顔を浮かべていた。

 

 「ジャム、ありがと。でも、友だちの美由紀さんだっけ……?」

 

 「真奈美ね」

 

 「その子とは、今も上手くやってんだ」

 

 俺も美東さんとはじめて会った日に、その真奈美さんが狙っている男子から、美東さんの方が好かれてしまい困っているような話を聞かされた。

 

 正確には、咲太が勝手にそう推測して、美東さんに「だいたいそんな感じ」と白状させたのだが……

 

 「みんな、もう大学生だし、その辺は上手くやるよ。誰かと揉めたって、得することなんてないし」

 

 けろっとした顔で乾いた発言をした美東さんは、残っていたうどんをずずっと音を立ててすすり上げた。

 

 「今日は合コンにも誘われてるしね。都内の難関大に通うイケメンだそうです」

 

 うどんを咀嚼しながら、困ったように美東さんが笑う。

 

 「ほら、前に話さなかったっけ?海のお詫びに合コンをセッティングしてくれるって言われ

た話」

 

 「聞いたな、そんな話」

 

 「社交辞令だと思ってたんだけどなぁ」

 

 苦笑いを浮かべた美東さんは、「わたしのためだから、断れなくて」と、嫌いな食べ物を目の前にした子供のような難しい顔で付け足してくる。

 

 「もう大学生だし、その辺は上手くやるしかないな。誰かと揉めても、損するだけだし」

 

 「この人、むかつくわー」

 

 咲太が平然と弁当を口に運ぶと、もう一度、語尾を伸ばして「むかつくわー」

 

 怒っているようで全然怒っていない、不思議な愛嬌がそこにはあった。

 

 俺はコップに口をつけながらぽつりと言う。

 

 「美東さんも、合コン行くんだな」

 

 「……あれ、岸和田くんも行くの?」

 

 唐突に矛先がこっちへ向く。

 

 「ああ、この前ひとつ誘われたな」

 

 「へぇ……岸和田くん、行くんだ」

 

 美東さんがじいっと俺を見る。

 

 「岸和田くんには広川さんと豊浜さんがいるのに?」

 

 「おいおい……なんだその言い方」

 

 俺は思わず眉を上げたが、美東さんは本気で不思議そうな顔をしていた。

 

 咲太は、その横顔を何気なく見て、ふと、心の奥でひっかかった。

 

 (……なんでだ?)

 

 美東美織という子は、普通なら相手に距離を詰めさせないタイプだ。それなのに。

 

 (岸和田には……ほんの一歩だけ、近い気がする)

 

 はじめて自分と会ったときから、美東美織の“距離”は一ミリも動いていない。だが岸和田に対しては、言葉の向け方も、視線の柔らかさも、ほんの少しだけ違う。

 

 気のせいと言えば気のせい。だけど、気のせいじゃないと言えば、きっとそれも正しい。

 

 (……なんでだろうな)

 

 咲太はそれ以上考えなかった。ただ、心のどこかに妙な違和感だけが、ぽつんと残った。

 

 そんな咲太の思考を止めたのは、聞き覚えのある声だった。

 

 「あ、いた。梓川!岸和田!」

 

 学食の名物どんぶりを持ってやってきたのは、福山だ。

 

 「お、美東さん……!」

 

 後ろに座った人の陰で美東さんが見えていなかったのか、福山が大げさに驚く。

 

 「えっと……」

 

 美東さんが、福山に目を向ける。

 

 「梓川と同じ統計科学学部の一年、福山拓海です」

 

 「国際商学部の一年、美東美織です。てか、基礎ゼミで、一緒だよね?懇親会にもいたし」

 

 「そう、その通り!」

 

 興奮した様子で、福山が身を乗り出す。覚えられていたことがうれしいらしい。

 

 「じゃあ、あとは若い三人でごゆっくり」

 

 食べ終わった弁当箱を片付けて、咲太は席を立とうとする。美東さんにむかつかれているので、早々に退散した方がいいと思ったのだろう。

 

 だが、その肩を福山が力強く掴んでくる。

 

 「待てって。梓川に頼みがあって、捜してたんだよ」

 

 「よこいち丼を頼んで?」

 

 学食の名物どんぶりだ。しかも、大盛り。

 

 「腹が減っては戦はできないって言うだろ」

 

 「僕を捜すのは戦じゃないからできるだろ」

 

 咲太が立ち上がるタイミングを選していると、そんな咲太の代わりに美東さんが席を立った

 

 「じゃあ、あとは若い三人でごゆっくり」

 

 悪戯っぽい笑みを浮かべて、使った食器を返却口の方へと持っていってしまう。

 

 返却口へ歩きながら、ふいにこちらへ振り向いて言う。

 

 「じゃあ、岸和田くん。また授業でね」

 

 俺にだけ向けられた柔らかい声。

 

 美東さんが去ると、福山が身を乗り出す。

 

 「岸和田、なんで美東さんとも仲良さそうなんだよ」

 

 「いや、まぁ……同じ学部だし」

 

 妙に納得していない顔で福山がうなった。

 

 そして咲太へ向き直る。

 

 「で、本題。梓川、今日ヒマ?」

 

 「四限まで授業がある」

 

 「それは知ってる。そのあと」

 

 「家に帰って、なすのを風呂に入れるのに忙しい」

 

 「ヒマなら合コン来て。ひとり風邪引いて、メンツが足りないんだよ」

 

 「僕の話、聞いてたか?」

 

 福山は続ける。

 

 「岸和田も来る予定だから」

 

 「……岸和田が行くって言ってた合コンってそれかよ」

 

 咲太が勢いよく振り返る。

 

 「ああ、言ってなかったか?」

 

 「聞いてねぇよ!」

 

 咲太が半眼で俺を見る。

 

 俺はというと、ただ少し肩をすくめた。

 

 「……たまたまだよ」

 

 「小谷良平さんって覚えてない?ほら、授業取ってないのに、基礎ゼミの懇親会に紛れこんんでた一個上で、国際商学部の」

 

 「まったく記憶にない」

 

 「とにかく、小谷さんとは岸和田と中国語で一緒でさ。今度、合コンしたいって話してたのよ。そしたら、ほんとにセッティングしてくれて」

 

 「いい話には裏があるから気を付けろよ」

 

 「しかも、女子は三人とも看護学科だって」

 

 神妙な顔で福山が訴えかけてくる。

 

 「看護学科、ね」

 

 「ナースだぞ、ナース。もっとテンションプリーズ」

 

 「未来の、だろ?まだ学生なんだし」

 

 「まさか、お前ナース嫌いなの?」

 

 そんな人間が存在するのか……とでも言いたそうな驚愕の眼差して咲太を見ている。

 

 「相手がミニスカサンタなら、迷わず参加するけどな」

 

 「それもいいな」

 

 福山が力強く頷いて同意していた。

 

 「とにかく頼む、梓川」

 

 「彼女持ちの男がいると、そういう場所ってしらけるんじゃないか?」

 

 「で、僕が女子のひんしゅくを一身に受けるのか?絶対に嫌だな」

 

 女子側からすれば、男子の枠がひとつ減っているようなものだ。そんな環境には絶対に行きたくない。

 

 「俺にナースの彼女ができなくてもいいと?」

 

 「別にいいな」

 

 「そこをなんとか!」

 

 両手を合わせて福山が拝んでいる。

 

 「だいたい、麻衣さんが許可するわけないだろ」

 

 「お許しが出たらいいんだな?」

 

 福山も引くつもりはなさそうだ。別の誰かを誘えばいいだろうに。ただ、このままでは埒が明かない。

 

 「わかった。電話して聞くだけ聞いてみる。ダメって言われたら諦めてくれよ」

 

 「おう」

 

 (そろそろ、行かないとな)

 

 基礎ゼミの教室までは、少し距離がある。のんびり歩いていたら、すぐにチャイムが鳴ってしまうだろう。

 

 「じゃ、悪い。俺、先に行くわ」

 

 トレーを片づけて立ち上がると、福山が「岸和田、今日ちゃんと来いよ!」と念押ししてきた。

 

 「検討しとく」

 

 曖昧な返事を残して、俺は学食をあとにした。

 

 基礎ゼミの教室に入ると、まだ半分も埋まっていなかった。

 

 窓際の二列目あたりで、見覚えのある二人組が並んで座っている。

 

 「あ、蓮真」

 

 先に気づいたのはのどかだった。手をひらひら振ってくる。

 

 「やっほー、きっしー」

 

 その隣で、卯月がメガネをくいっと持ち上げる。さっき並木道で会った時と同じ三つ編み姿だ。

 

 「隣、空いてる?」

 

 「空いてる空いてる。きっしー、こっちこっち」

 

 当然のように、のどか側の席じゃなく、卯月側の席をポンポン叩く。

 

 「……じゃあ、お言葉に甘えて」

 

 「蓮真、さっき学食じゃなかった?」

 

 「学食だったけど、そのまま来た」

 

 「ふーん?」

 

 のどかは、何かを探るような目を一瞬だけして、それからいつもの笑顔に戻った。

 

 ゼミ担当の教授がまだ来ないせいか、教室内はゆるい空気だ。後ろの席では、男子グループが学祭の出し物について喧々囂々やっている。

 

 「ねぇねぇ、きっしー」

 

 卯月が椅子の背もたれに腕をかけて、くるっと身体をこちらに向けてくる。

 

 「明日からさ、学祭ライブのリハ、いよいよ本格的になるんだよね〜」

 

 「そうそう。ステージ立ち位置も全部合わせるやつ」

 

 のどかも身を乗り出してくる。机ががたんと鳴った。

 

 「……そうか。忙しくなるな」

 

 「うん。だからさ、今日の授業終わったあと、そのままスタジオ行くんだ〜」

 

 「私たち、今日は帰れま10リハだよね」

 

 「やめてそのタイトル、縁起悪い」

 

 ぽんぽんと自分の頬を叩きながら、のどかが笑う。

 

 「でさ」

 

 のどかが、さらっと話題をこちらに振ってきた。

 

 「蓮真は?今日、授業終わったあと何か予定あんの?」

 

 「えっと……」

 

 口を開いたところで、背後のドアが開いた。

 

 「お、岸和田」

 

 聞き慣れた声とともに、咲太が教室に入ってきた。手にはレジュメの入ったファイル。

 

 「お兄さんも来た〜」

 

 そして、さっきの会話の続きを勝手に引き継ぐ。

 

 「岸和田は、合コン行くんだろ?」

 

 「おいおい、それは……!」

 

 即座に遮ったが、時すでに遅し。

 

 「合コン!?」

 

 卯月の声が一音上がる。

 

 「合コンねぇ……」

 

 のどかは、露骨に白い目を向けてきた。

 

 「ちょっと待て」

 

 俺が言い訳の形を探している間にも、会話の暴走は続く。

 

 「きっしー、合コン行くの!?いいなぁ、私も行きたい!」

 

 「アイドルは合コン行ったらダメだろ」

 

 即答すると、卯月は「え〜」と口を尖らせる。

 

 「のどかもアイドルだけど?」

 

 「あたしは仕事で男の子と話すことはあっても合コンは行かないって!」

 

 のどかははっきりと言い切って、おまけに俺の方をじっと見る。

 

 「……で、その合コンに蓮真が行くわけねぇ」

 

 「一応な。行くかもな」

 

 かも、を強調したつもりだったが、どう聞いても言い訳にしかならない。

 

 「一応ってなに。その一応、どこにかかってるの」

 

 のどかのツッコミは、容赦がない。

 

 「言っとくけど、のどか。咲太も一緒に行くからな」

 

 「はぁ!?」

 

 のどかの声が、さっきより一段高く跳ねた。

 

 「ちょっと咲太、お姉ちゃんいるのに合コン行くの?浮気じゃん!」

 

 「言い方が極端だな、豊浜」

 

 咲太はわざとらしく肩をすくめる。

 

 「ちゃんと、麻衣さんからは許可を得てるぞ」

 

 「ほんとに?」

 

 「ほんとに」

 

 (咲太、麻衣先輩から許可下りたんだな…)

 

 卯月はと言えば、完全に別ベクトルのところで話を聞いていたらしい。

 

 「えっと……じゃあ、お兄さん、新しい彼女つくるの?」

 

 「違う」

 

 咲太が即答する。

 

 「そういう場じゃないからな。たぶん」

 

 最後の「たぶん」が小さいのを、のどかは聞き逃さない。

 

 「たぶん、って言ったよね今」

 

 「気のせいだろ」

 

 「録音しておけばよかった」

 

 のどかがぼそっと呟き、俺は内心で頭を抱えそうになった。

 

 (……これ、どうフォローするのが正解なんだ)

 

 そんな俺の混乱をよそに、教室前方のドアが開き、教授が入ってきた。

 

 「はい、席についてくださーい。出席とりますよー」

 

 救いのチャイムみたいな声が響き、いったん会話は強制終了になった。

 

 基礎ゼミの授業は、珍しくあっという間に過ぎた。

 

 「じゃあ、今日はここまで。続きは次回やります」

 

 教授の一言で、教室の空気が一気にゆるむ。

 

 レジュメを鞄にしまっていると、前の席からくるっと椅子を回したのどかが、机越しに身を乗り出してきた。

 

 「じゃ、あたしたち行くね〜」

 

 「学祭ライブのリハーサルか、頑張れよ」

 

 俺が答える横で、卯月も立ち上がる。

 

 「今日はちゃんと怒られないように頑張る〜」

 

 「怒られてたのかよ」

 

 思わず突っ込むと、卯月は「ちょっとだけね」と笑ってごまかす。

 

 「でさ」

 

 のどかが、さっきの話題を忘れるはずもなく、すっと俺の正面に立つ。

 

 「じゃ、蓮真。合コン、頑張ってね」

 

 最後の「ね」のところだけ、ほんの少しだけトゲがあった。

 

 「いや、その……別に頑張るような場所じゃないというか」

 

 「ふーん?」

 

 のどかは意味ありげに目を細める。

 

 「まぁ、どうせ咲太と一緒なら、変なことはしないでしょ」

 

 「信頼されてるのか、されてないのか、微妙なラインだな」

 

 「半分信頼、半分監視かな」

 

 そう言って、のどかは笑う。笑っているのに、どこか釈然としない表情だった。

 

 「じゃ、行こ、のどか」

 

 卯月がのどかの腕を軽く引っ張る。

 

 「きっしー、合コン今度連れてって!」

 

 「いや、だからお前はダメだって」

 

 「なんで〜?私も合コン経験してみたい〜」

 

 「合コンの意味、ちゃんと分かって言ってるか?」

 

 「んー……男女で集まってワイワイごはん食べる会?」

 

 「だいたい合ってるけど、一番大事なところがすっぽり抜けてるな」

 

 「じゃあ、今度ちゃんと教えて?」

 

 「教えるから行こうとするな」

 

 そんなやり取りをしていると、のどかが小さくため息を吐いた。

 

 「……蓮真がモテない方が平和だよね」

 

 「どういう意味だ、それ」

 

 「そのまんまの意味」

 

 のどかはそう言って、小さく片手を振った。

 

 「じゃ、リハ行ってくる」

 

 「いってらっしゃい」

 

 卯月は、最後までテンション高く手を振る。

 

 「きっしー、ちゃんと帰ってきてね〜。変な女の子に持っていかれないように〜」

 

 「持っていかれねぇよ」

 

 そう返すと、卯月は意味ありげな笑みを浮かべて教室を出て行った。

 

 ふたりの後ろ姿が角を曲がって見えなくなるまで見送ってから、俺はようやく椅子に深く座り直した。

 

 (……なんか、妙に疲れたな)

 

 合コンに行くだけで、これだけ突っ込まれる男もそういないだろう。

 

 教室の後ろの方から、「おーい、岸和田」と福山の声が飛んできた。

 

 「準備できたら、また連絡するからな!」

 

 「……ああ」

 

 頷きながら、ポケットの中のスマホに触れる。

 

 俺は重くなった身体を起こして教室をあとにした。

 

 教室を出たあと、俺はそのまま金沢八景駅まで歩いた。

 

 四限まで授業がある咲太と福山を待つには、ちょうどいい距離と時間だ。

 

 夕方前の駅前は、それなりに人が行き交っていた。塾帰りらしい高校生、部活のジャージ姿、買い物袋を提げた主婦。

 

 (……高校の時は、あっち側だったんだよな)

 

 スマホを取り出して、さっきもらったリンゴジャムの写真を撮る。のどかと卯月にも、あとでネタとして見せられそうだ。いや、今ののどかには火に油か。

 

 (合コン行くってだけで、あの反応だもんな)

 

 スクロールした画面の中で、のどかとのトーク履歴が目に入る。

 

 《ちゃんと帰ってきてよ、蓮真》

 

 そんなLINEでも送られてきそうな気がして、慌てて画面を消した。

 

 やがて、《四限終わったー!》というメッセージが福山から届く。

 

 《駅前いる》と返すと、ほどなくして、見慣れたシルエットが見えてきた。

 

 「おー、岸和田!」

 

 先に手を振ってきたのは福山だ。その後ろから、咲太が眠そうな顔でついてくる。

 

 「悪いな、待たせて」

 

 「まぁ、想定内の待ち時間だな」

 

 肩をすくめると、福山がやる気満々の顔で親指を立ててきた。

 

 「よし!じゃあ、運命の合コン会場へレッツゴーですよ、お二人さん!」

 

 「そのテンションで空回りしないことを祈るよ」

 

 俺たちは改札を通り、京急のホームへと向かった。

 

 ドア横に立ち、なんとなく三人で車窓を眺める。

 

 金沢八景駅を出た電車は、ほどなくして隣の金沢文庫駅に滑り込んだ。

 

 「梓川、緊張してきたんだけど」

 

 ドアの上の路線図を眺めながら、福山が真顔で言う。

 

 「緊張をほぐすいい方法があるぞ」

 

 「お、どんな?」

 

 「まず、両手の人差し指を口の端に入れてだな」

 

 「こうか?」

 

 「そのまま、外向きに……左右に広げるように引っ張るんだ」

 

 「こう?」

 

 「それで、金沢文庫って言ってみ」

 

 「かなざわうんこ」

 

 横に引っ張られた口では唇が閉じられず、「ぶ」を上手に発音できない。ドアが閉まった電車は、金沢文庫駅から走り出す。

 

 俺は、思わず額を押さえた。

 

 「……お前ら、ほんとに大学生かよ」

 

 「説明を求めます」

 

 口から指を抜いた福山が、若干うるんだ目で咲太を見る。

 

 「おかしいな。地元の小学生には大ウケなのに」

 

 「俺、大学生よ?」

 

 「精神年齢は、さっきので証明されたけどな」

 

 俺がそう突っ込むと、福山は「ぐさっ」とか言いながら胸を押さえるジェスチャーをした。

 

 「今日の合コンで、会話に困ったら使ってくれ」

 

 「使わなくていいように、俺、がんばるわ」

 

 「そもそも合コンで『かなざわうんこ』って言う状況になったら、その場が終わるだろ」

 

 俺が真面目に指摘すると、咲太は「それもそうだな」とあっさり認めた。

 

 そのあとは、横浜駅に到着するまで、大人しく電車に揺られていた。

 

 人で溢れ返った横浜駅でJR根岸線に乗り換える。俺たちが次に電車を降りたのは、ひとつ隣の桜木町駅だ。

 

 駅前の広場は、仮装した人たちにより、不思議の国と化している。

 

 今日はハロウィン。かぼちゃのお祭りの波は、若者が集まるこの街にも、しっかり押し寄せていた。

 

 魔法使いに、ドラキュラ、赤ずきん、映画や漫画の人気キャラクターに扮している人もいる。

 

 「梓川、岸和田、はぐれないでくれよ?」

 

 「はぐれたら、帰るだけだな」

 

 「だから、言ってんの」

 

 「じゃあ、手え繋ぐか?」

 

 「イヤだわぁ」

 

 心底嫌そうな顔をしてから、広場を離れようと福山が歩き出す。その後ろから俺はついていく。

 

 人の数の割に混雑を感じないのは、殆どの人が立ち止まっているからだろうか。意外とすいすい進んでいける。

 

 意外とすいすい進んでいける。

 

 そう油断した矢先に、横から飛び出してきたナースのコスプレ女子と、危うくぶつかりそう

になった。

 

 「岸和田くん、なんで……」

 

 目が合うと、俺は驚いた。

 

 彼女は見慣れないコスプレ姿だったし、今ここに「彼女」がいるとは思っていなかったから……

 

 だけど、彼女が会釈をして立ち去ろうと背中を向けた際に、「赤城.......?」と、頭に浮かんだ名前を俺と咲太は呼んでいた。

 

 ナースの背中がぴたりと立ち止まる。

 

 体の半分だけ、彼女が静かに振り返る。

 

 戸惑った視線は、左右に揺れていた。

 

 まさか、こんなところで俺たちに会うとは思っていなかったのだろう。それは、咲太も同じだ。

 

 何の準備もしていなかったから、次の言葉が出てこない。

 

 そうしているうちに、「ごめん。行くから」と、小さく呟いて、赤城が離れていく。

 

 呼び止めようにも、呼び止める理由が思いつかない。赤城の足は、目的を持って進んでいるように見えた。広場の真ん中に立った街灯に、真っ直ぐ向かっていったから……

 

 赤城は、誰かを探すように、仮装する人々に目を凝らしている。それも、真剣な表情で。

 

 ひとりだけ纏っている空気が違っていた。お祭りを楽しんでいる顔ではない。

 

 そんな赤城の横を通り抜けて、かぼちゃのランタンの街灯に近づいていく小さな人影があった。赤ずきんの格好をした低学年の女の子。

 

 「写真、かぼちゃと撮る!」

 

 ランタンを指差して後ろの両親に笑顔で呼び掛ける。女の子の足が、さらに街灯の下に近づこうとした瞬間。

 

 「そっちはダメ!」と、赤城が女の子の肩を掴んだ。驚いた女の子がびくっとして足を止める。その直後だった。

 

 かぼちゃのランタンが、街灯から落下したのは……

 

 地面に落ちて、がしゃんっと固い音を鳴らす。細かく割れたガラスの破片が、あたりに飛び散った。

 

 女の子との距離は一メートルもない。赤城が止めなければ、赤ずきんの女の子にぶつかっていた。命に係わるほどではなくても、確実にケガはしただろう。

 

 周囲にいた魔法使いやドラキュラも、会話や撮影をやめて、「なに?」、「どうしたの?」と、落ちたランタンと赤ずきんの女の子、それと赤城の様子を見ていた。

 

 その赤城は、女の子の前にかがんで、「大丈夫?」と、やさしい表情で声をかける。

 

 「うん」

 

 遅れて、女の子の両親が駆けつけた。

 

 「美優、ケガはない?」

 

 「へーき」

 

 「ありがとうございます」

 

 父親が赤城に頭を下げる。

 

 「いえ」

 

 「ほら、美優も。お姉ちゃんにお礼言って」

 

 「お姉ちゃん、ありがとう」

 

 「どういたしまして」

 

 女の子の目線の高さで、赤城がにっこり微笑む。

 

 そこに、広場のパトロールをしていた男性がやってきて、ケガ人がいないかを聞いて回る。市の職員だろうか。誰もケガ人がいないとわかると、落下したランタンの破片を回収していた。

 

 ランタンが落下しただけ。ケガ人はいない。

だから、何の問題もない。明日になったら、殆どの人が忘れている程度の出来事。

 

 そういう雰囲気だった。

 

 だけど、その中で、俺と咲太だけは、強烈な違和感を覚えていた。

 

 明らかにおかしかった。不自然だった。

 

 どうして、赤城はランタンが落下する前に赤ずきんの女の子を止めたのだろうか。

 

 まるで、落ちるのがわかっているかのようなタイミングだった。

 

 「………」

 

 俺も咲太も、赤城を遠巻きに見ていると、気づいたのか、目が俺たちに振り向いた。

 

 また目が合う。けれど、ほんの一瞬だけ。

 

 赤城は逃げるように視線を逸らすと、ハロウィンの仮装集団の中に紛れていく。その姿は、気合の入ったゾンビメイクをしたグループの陰に消えて、二度と見つけられなくなった。

 

 俺の顔を見て、一拍おいて。驚きと戸惑いが混ざった声で。

 

 「……見たよな、今の」

 

 俺は、かぼちゃのランタンがあった街灯を見上げる。

 

 「ああ。赤ずきんの子が踏み出すより先に、腕つかんでた。あれは……たまたま気づいたってレベルじゃないと思う」

 

 「だよな」

 

 赤城が女の子を掴んだ位置、ランタンの落ちた位置、あいだにあった距離。どう見ても、ただの反射神経とか勘の良さで説明できる感じじゃない。

 

 「しかもさ」

 

 咲太が、少し声を潜める。

 

 「ぶつかりそうになったとき、赤城、まず僕じゃなくて“お前”の名前呼んだろ」

 

 「……それは聞こえてたか」

 

 ごまかす意味もないので、素直に認める。

 

 「『岸和田くん、なんで……』って言ってた。『なんでここにいるの』なのか、『なんで一緒にいるの』なのかは知らないけど」

 

 「どっちにしろ、俺たちに会うのは予定外だったってことだろ」

 

 「予定外なのに、ランタンが落ちるタイミングだけは、予定通りみたいな顔してたけどな」

 

 目の前で見た光景を思い出して、ふたり同時にため息が出た。

 

 「梓川、岸和田。はぐれたかと思った」

 

 声とともに肩に手を置かれて振り返る。焦った表情の福山がいた。

 

 そのまま肩を掴んで、咲太を方向転換させる。

 

 「ここ、真っ直ぐね」

 

 リュックサックのベルトを手綱にして、福山が咲太を歩かせ、俺はその一歩あとをついていく。もちろん、目指すのは未来のナースが待つ合コン会場だった。

 

 福山に連れてこられたのは、広場の喧騒を抜けて五分ほどの距離にある商業ビルの前だった。

 

 会場の創作和食居酒屋の前に移動し、モダンなデザインの暖簾をくくった。

 

 「いらっしゃいませ」

 

 すぐに若い男性の店員が出てきて、丁寧な物腰で出迎えてくれる。

 

 その後ろから、「あ、連れです」と、小谷先輩が姿を見せた。

 

 「小谷さん、お待たせ」

 

 「席、こっち」

 

 同じように手を上げて応えた小谷先輩が、俺たちを店の奥に案内する。

 

 店内は程よく音が入り、おしゃれで綺麗な流行の店といった雰囲気だ。

 

 「ここね」

 

 店の一番奥。座ると隣の席が見えなくなる半個室の堀座敷。大人がゆったり七人は座れる広さだ。

 

 ガラス越しに、夜景が少しだけ見えた。残念ながら目玉の観覧車は見えなかったが、商業施設の明かりを反射する海の色は深く、十分見応えのある景色だ。

 

 「奥から座って。女子、さっき着いたって連絡あった」

 

 勧められるまま、咲太は一番奥に座り、俺、福山、小谷先輩の順番で横に並んだ。

 

 「ひとり遅れるらしいから、ふたりが来たらはじめちゃおうと思う」

 

 小谷先輩が咲太に自己紹介をしている傍ら、テーブルに置いた俺のスマホが、かすかに震えた。

 

 「あれ、岸和田。豊浜さんと広川さんから?」

 

 福山が横目で覗いてくる。

 

 「……まあな」

 

 画面をスワイプすると、《きっしー観察会》に、二人からのメッセージが並んでいた。

 

 《きっしー、息してる?》

 

 《ちゃんと良い子の座り方してる??》

 

 《さっき授業で言ったよね?“頑張ってね” って。頑張り方間違えたら許さないから》

 

 返信しようと指を動かした瞬間、また通知が来る。

 

 《ねぇねぇ、どんな子来た?》

 

 《写真送って?》

 

 《送んなくていいってば卯月》

 

 《まだ来てないから落ち着け二人とも……》

 

 《むしろ落ち着く理由ある???》

 

 《合コンって“出会いの場”だよ??》

 

 (お前ら、勝手に盛り上がらないでくれよ……)

 

 顔を上げると、福山がニヤッと笑っていた。

 

 「岸和田……目が完全に監視されてる彼氏なんだけど?」

 

 「違うって言ってるだろ」

 

 「いや、俺フツーに既視感あるぞ。彼女持ちが合コン来たときの目だ」

 

 「……だから違うって」

 

 そこへ、さらに追撃の通知が飛んでくる。

 

 《ねえねえきっしー、広川卯月さんは心配です》

 

 《あたしは蓮真が無事帰れば許す、多分》

 

 《“多分”って何〜のどか!?》

 

 《ごはんおごってくれたら許す》

 

 《私は?》

 

 《……卯月はスタバ一杯で許す》

 

 《どかちゃんやさしい〜》

 

 《どかちゃん言うな!》

 

 そんな空気を切り裂くように、店員が襖を少し開けて言った。

 

 「お連れの方、いらっしゃいました」

 

 場の空気が一瞬だけ整う。

 

 「あ、ここだ。ごめん、一分遅刻かぁ」

 

 「一分はぎりセーフでしょ」とか言いながら、ふたりの女子がやってきた。

 

 ひとりは小柄のロングで、もうひとりは平均的な背丈のボブ。

 

 「失礼しまーす」

 

 ブーツを脱いで先に堀座敷に上がったのは小柄な女子。ワンピースの上に、カーディガンを一枚羽織っている。もうひとりは、ロングスカートにニット。デニムのジャケットを、袖を通さずに肩からかけていた。

 

 そのふたりが着席し、注文したドリンクが届いたところで、俺の人生初となる合コンはスタートした。

 

 「今日は来てくれてありがとう。感謝」

 

 小谷先輩の音頭で乾杯する。

 

 そのまま、小谷先輩が先陣を切って自己紹介をはじめた。名前と所属学部、学年、今はまってることを簡潔に。次に福山、その次が咲太、最後に俺の自己紹介となった。

 

 ひとりが終わるごとに、拍手をして場を盛り上げる。テンポよくテンション高く。小谷先輩も、福山も、女子ふたりも楽しそうに笑っている。

 

 俺と咲太は適当に合わせていたが、実際、話の半分も頭には入っていなかった。もっと別の気になることが、俺たちの頭を占拠していたから……

 

 先ほど駅前の広場で見た出来事。

 

 赤城郁実の行動は、何を意味していたのだろうか。それが心に引っ掛かっている。

 

 だから、自己紹介が一巡しても、女子ふたりの名前はあやふやだった。

 

 とりあえず、お互いを「千春」「明日香」と呼び合っているのだけは確認しておく。

 

 小柄な方が千春で、平均的な方が明日香だ。

 

 話題は自己紹介からの流れで、自然と地元話に変わっていた。高校が意外と近かったとか、部活の試合でそこ行ったとか、「じゃあ、どっかで会ってたかも」とか、「ないない」とか……

 

 市立の大学だからなのか、横浜市出身の学生は多いし、神奈川県出身も多い。六人の中で違うのは俺と福山だけ。

 

 その後も、「わかる」、「それ知ってる」を繰り返して、共通点が洗い出されていく。俺と福山にも話がわかるように、女子二人はスマホで高校時代の写真を見せたりしながら、最初の三十分はあっという間に過ぎていった。

 

 全員、二杯目のドリンクを頼んでいると、次の写真を物色していた千春さんのスマホが震えた。

 

 「あ、もうひとりの子、駅着いたって」

 

 今、桜木町駅のホームに降りたのなら、あと十分くらいかかるだろうか。駅前は今もハロ

ウィンの仮装で混雑しているはずだ。

 

 「あ、そうだ。見て見て」

 

 返事のついでにスマホを操作した千春さんが、俺たちに画面を向けてくる。

 

 表示されていたのは、Xの書き込みだ。

 

 {十月三十一日、桜木町で合コン参加するみたい!!もしかしたら、この日に、運命の

出会いあるかも!#夢見る}と綴られている。

 

 「#夢見るのポスト当たっちゃったよ」

 

 「あんた、毎週合コンやってんだから、こんなの当たって当たり前」

 

 そう言ったのは、隣で焼き鳥を食べていた明日香さんだ。

 

 「書いたの一ヵ月前だよ?もう忘れてたってぇ」

 

 「本当かなぁ」

 

 小谷先輩が疑う素振りでちょっかいをかけている。

 

 「本当だって」

 

 狙い通り、千春さんはむきになって、小谷先輩の顔にスマホを突き付けていた。日付をよく見ろ、と言わんばかりに。

 

 「その#夢見るってなに?」

 

 ここで聞いておかないと完全に置いていかれる。そう思ったのか、咲太がストレートに尋ねると、千春さん、明日香さん、小谷先輩の驚く いた顔が咲太に向けられた。

 

 「知らないの!?」

 

 「咲太さ、スマホ持ってないから、こういうの疎いんだよ」

 

 俺は即座に咲太をフォローする。

 

 「まじ?」

 

 「正気?」

 

 「このくだり、何度もやってるからもういいよ」

 

 「私たちははじめてなんだってぇ」

 

 「で、#夢見るってなんなの?」

 

 再度咲太が尋ねると、千春さんより先に小谷先輩が口を開いた。

 

 「元々は、その日に見た夢の話をするだけのタグだったみたいだね」

 

 「タグってのは、その話題をしてるよって、目印みたいなもんね」

 

 グラスを傾けながら、福山が教える。

 

 「それが最近、書いたことが次々と正夢になっているって噂が広まっているんだ」

 

 福山の言葉に頷いてから、小谷先輩が続きを説明していた。

 

 「俺もリサーチしたけど、芸能人のスキャンダルが的中してたり、大雨災害が本当になったり、まさに予知夢になってるんだよな」

 

 「そういえば卯月も #夢見るに、“葉山・鎌倉行きたい!”って書いたら当たったって言ってたな。六月ぐらいに」

 

 「六月!?」

 

 咲太が眉を上げる。

 

 「そんな前からあるのか?」

 

 「ああ」

 

 千春さんが乗り気で食いついてくる。

 

 「ほらー!やっぱり当たるんだって」

 

 「あと、私の合コンの夢も!」

 

 千春さんがスマホを小谷先輩の顔に向けて、自分も事例に追加しろと迫っている。

 

 「正夢で、予知夢ね」

 

 「信用されてないよ、千春」

 

 「ひどーい」

 

 テーブルは笑いに包まれていたが、俺の胸の奥だけ、ひとつだけ沈んだ重りが落ちていた。

 

 (……赤城も、最近#夢見るを見てたよな)

 

 ランタンが落ちる前に女の子を止めたあの動き。偶然と言われればそれまでだが、どうしても引っかかる。

 

 そんな思考の渦に巻き込まれかけたところに。

 

 「……岸和田」

 

 隣から、咲太の肘が俺の脇腹を小さく突いた。

 

 会話の熱量のせいで、女子たちは気付いていない。俺と咲太だけの、わずかな隙間。

 

 「……お前も気づいたんだろ?」

 

 声は、ほとんど囁きだった。

 

 俺は一瞬だけ咲太を見る。

 

 (やっぱり……咲太も、同じところに引っ掛かったか)

 

 赤城郁実の、不自然なほど正確なタイミングに。

 

 #夢見る

 

 俺は、声にならない息だけで返す。

 

 「……後で話す」

 

 咲太は小さく頷いた。

 

 「了解」

 

 その瞬間だけ、テーブルのにぎわいから切り離されたような、静かな気配がふたりのあいだに流れた。

 

 「あのさ、今日、桜木町の駅前広場で、なんかあるって書き込みはない?」

 

 「なーんだ。梓川くん、結構こういうの好きなんじゃん。ちょっと待ってね」

 

 何の疑いもなく、俺と咲太を除いた四人は、面白がって一斉にスマホを操作する。十秒ほど待つと、「あった」という声が四つ同時に上がった。

 

 「{かぼちゃのランタンが落ちて、赤ずきんの女の子がケガする夢見た。最悪}だってさ」

 

 代表して福山が文面を読み上げる。

 

 俺が隣から画面を覗き込むと、書き込まれた日付は九月三十日となっていた。一ヵ月前だ。

 

 (やっぱりか……)

 

 赤城がどうして、かぼちゃのランタンが落下する前に、女の子を止めることができたのか。その謎が解けてしまった。

 

 ただの噂、都市伝説。赤城はそんなものを信じて、赤ずきんの女の子をケガから守ったことになる。まるで、正義の味方のように…...

 

 ひとまず種明かしはできた。だが、まだわからないことは残っている。

 

 むしろ、疑問は大きくなっている。

 

 どうして、赤城はそんなことをしたのだろうか。書き込みを見つけて、気になったからだろうか。それとも……

 

 「梓川くん、岸和田くん次はなに飲む」と、千春さんがメニューを差し出してくる。

 

 ほんのり赤くなった顔で、千春さんは咲太を見つめていた。瞳には強い好奇心が宿っている。その様子から、「あの話が来るな」と、俺は思った。

 

 「梓川くんって、本当に桜島麻衣と付き合ってるの?」気づけば、明日香さんも、小谷先輩も咲太を見ていた。

 

 福山だけは、トマトを食べて、「ここの、美味いな」とか言っている。

 

 「付き合ってないよ」

 

 咲太は、ひとまず堂々と嘘を吐いた。この子にはこれくらいの冗談が通じるはずだと思ったのだろう。

 

 「だよねえ」

 

 「いや、付き合ってるよな?」

 

 俺が即座にツッコミを入れる。

 

 「まぁ」

 

 仕方なく曖味に咲太は認めた。余計なことを話して、スキャンダル厳禁の芸能人である麻衣先輩に、迷惑をかけるわけにはいかないと思ったのだろう。 

 

 「どうやったら、芸能人と付き合えるの?」

 

 明日香さんが続きを聞いてくる。

 

 「同じ高校に通ってれば?」

 

 「それだけじゃ付き合えないでしょ!。切っ掛けはなんですか?」

 

 千春さんがエアマイクの手を咲太の口元に伸ばしてくる。その口調はすっかりリポーター気取りだ。

 

 「中間試験の途中で教室を抜け出して」

 

 「抜け出して?」

 

 千春さんと明日香さんの声が重なる。

 

 「誰もいないグラウンドに出て」

 

 「出て?」

 

 今度は、小谷先輩までユニゾンした。

 

 「全校生徒に聞こえるように『大好きだー』って告白した」

 

 「本当に?」

 

 「ああ本当だよ」

 

 俺が肯定すると、明日香さんが目を丸くする。

 

 「え、ほんとに?岸和田くん、梓川くんと同じ高校だもんね?」

 

 「そ。岸和田くんの言う通り、全部本当。私、教室から見てたし」

 

 肯定の声は、千春さんでも明日香さんでもない。当然、咲太でもない。

 

 聞き覚えのある声だった。

 

 (……まさか?)

 

 全員が一斉にそちらを向く。

 

 そして、咲太だけが固まった。

 

 「は?」

 

 最初に咲太から漏れたのは、素直すぎる間抜けな声。

 

 それ以上何も言えない。開いた口から、呼吸だけがこぼれる。

 

 遅れてやって来たその女子大生は、靴を脱ぎ、静かに堀座敷へ上がった。

 

 千春さんが「あ、来た来た!」と手を振る。

 

 その子は軽く会釈をして、俺たちの真正面に視線を向けた。

 

 咲太を見る一瞬だけ、わずかに揺れた。

 

 そして。

 

 「遅れてすみません。看護学科の一年、上里沙希です」

 

 その名前が告げられた瞬間。

 

 テーブルの空気が、ほんのわずかに震えた。

 

 (……やっぱり、上里か)

 

 俺は内心で小さく息を呑む。

 

 咲太は、まだ驚愕の途中にいた。声も動きも、追いついていない。

 

 そんな咲太の混乱を置き去りにして、合コンは、思わぬ方向へ静かに転がり始めていた。

 




登場人物紹介

名前 国見佑真『くにみゆうま』
身長 178cm
誕生日 9月21日(※オリジナル設定)

梓川咲太・双葉理央とは一年生のときに同じクラスだった少年。その時期からふたりにとって数少ない友人であり続けている存在で、咲太や理央の周囲に漂っていた悪評に左右されることなく、自然体で接してきた人物でもあります。

すっと通った目元が印象的な整った顔立ちをしているが、その外見とは裏腹に気取ったところはなく、ざっくばらんな性格で誰とでも構えずに話せるタイプで、上里沙希とは高校時代から交際を続けており、互いを尊重し合いながら安定した関係を築いています。

バスケットボール部に所属していた彼は、放課後になればシュート練習を欠かさない努力家だった一方で、生活面では早く自立できる道を求めており、母子家庭で育った背景から、大学には進学せず消防士を志望するという明確な進路観を持っていました。

高校時代、佑真は蓮真、咲太、朋絵と共に同じファミレスでアルバイトをし、普段は咲太と軽口を叩き合う気楽な関係でありながら、いざ咲太や理央の身に危機が迫れば、理由すら聞かずに自転車で駆けつけるような、迷いのない行動力を見せる。その友だち思いの姿勢が原因で、沙希とケンカになったことすらあります。

双葉理央から好意を寄せられていた時期もあり、その気配に気づいていなかったわけではなく、けれど、どう応えるべきか判断できず、あえて気づかないふりをして距離を保っていました。

高二の夏、「返事はいいよ」と告げられながら理央に告白され、その後も彼女との関係は友人として静かに続いています。

咲太から牧之原翔子の話を聞かされていた数少ない高校生のひとりであり、翔子が入院すれば見舞いに訪れ、危篤と聞けばすぐに病院へ向かうなど、佑真は誰に対しても「見て見ぬふりができない」優しさを持ち続けています。

消防学校を経て正規の消防士となったあとも、蓮真・咲太・理央とは定期的に顔を合わせ、近況を語り合う仲で、特に父子家庭で育った蓮真とは、言葉にしなくてもどこか気持ちが通じる部分があり、互いが互いを理解しやすい関係と言えます。

蓮真は最終的にどちらを選ぶと思いますか?

  • 豊浜のどか
  • 広川卯月
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