青春ブタ野郎はパラレルスプリングの夢を見ない   作:もドえラん

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6.入れ替わりの影を、図書室で感じる

 

 九月十一日

 

 昼休みの図書室は、今日も静かだ。

 

 本棚の間を抜けると、窓際の席に麻衣先輩の姿を見つけた。

 

 有名人がこんな場所にいるなんて、周囲の生徒はちらちら視線を送っているが、本人は平然と文庫本を開いている。

 

 「麻衣先輩、今日は図書室なんですね」

 

 声をかけると、ぱちりと顔を上げた。

 

 その目に、ほんの一瞬だけ意外そうな色が混ざる。

 

 「夏休みが明けてから、あまりお見かけしなかったので。介添えも二学期に入ってからなくなってたし……ちょっと心配してたんです」

 

 ……誰、この人?

 

 そういえば、この間お姉ちゃんと咲太が言ってた、「介添え人がいる」って。

 

 ……まさか、この人?

 

 「……ええ、まあ。落ち着くから」

 

 少し間を置いた返事。

 

 なんとなく、いつもより言葉の端に鋭さが混じっている気がする。

 

 「落ち着くっていうのは、静かだからですか?」

 

 「……そう。静かだと、色々考えられるから」

 

 口調は穏やかなのに、言い切るタイミングが妙に早い。

 

 「なるほど。……でも、今日はちょっと雰囲気が違いますね」

 

 「えっ……ど、どう違うのかしら」

 

 ほんのわずかに動揺が混ざる。

 

 普段の麻衣先輩の柔らかい物腰に比べて、今の声には微妙な“ツン”の輪郭が見える。

 

 「うーん……なんというか、言い方がちょっとだけ刺さるというか」

 

 「……それって、悪いこと?」

 

 「いいえ。正直、面白いです」

 

 何かを隠すような、けれど探られたくない、そんな表情だった。

 

 ——その瞬間、不意に図書室の静けさがねじれた。

 

 ページをめくる音も、窓の外の蝉の声も、遠くへ退いていく。

 

 まるで自分だけが時の流れから切り離された層に滑り落ちたみたいで、ほんの一瞬、世界の歯車が噛み合わなくなる。

 

 違和感に触れた瞬間、ふと脳裏に咲太の言葉が蘇った。「お前さ、仮に……人が入れ替わったりしても、気づかないフリできるタイプだよな」

 

 あれは冗談でも、ただの世間話でもなかったのかもしれない。

 

 (……まさか。本当に“入れ替わり”なんてことが……?)

 

 心臓がひとつ跳ねる。けれど俺は、問い詰めたりはしなかった。

 

 ただ視線を逸らし、「じゃあ、また」とだけ残して席を離れる。

 

 名前も関係性も、まだ曖昧なまま。

 

 けれど、この微妙な違和感の正体が“入れ替わり”かもしれないという予感は、強烈に胸に残った。

 

 俺は後に知ることとなる、この時の麻衣先輩は、豊浜のどか、麻衣先輩の妹。

 

 麻衣先輩から夏休みに少しだけ話を聞いたことがある子だった。

 

 夕方、江ノ電の車内。

 

 窓の外には、茜色に染まりはじめた街並みが流れていく。

 

 麻衣の姿をしたのどかは、スマホを手に自分の顔を映していた。

 

 角度を変え、笑顔を確認しては、ぱしゃりと自撮りを繰り返す。

 

 「明日は朝からCM撮影だっけ?」

 

 隣に座る咲太が、気の抜けた声で問いかける。

 

 「こんな感じの笑顔でどう?」

 

 画面を見せながら、のどかはわざと明るい調子で返す。

 

 ——本当は昼休みに“介添え人”だっていう人に会ってしまったかもしれないことが頭から離れなかった。

 

 けれど、それを咲太に言うわけにはいかない。だからこそ、余計に明るく振る舞ってしまう。

 

 咲太は肩をすくめる。

 

 「そういうのは麻衣さんに聞いた方がいいん じゃないか?」

 

 「誰もそんな話してない」

 

 不機嫌そうに言いながらも、その声音には無理に作った軽さが混じる。

 

 「じゃあ素人の僕に聞かれても困る」

   

 「だったら聞かない」

 

 ぷいと視線を逸らし、スマホをしまう。

 

 車内が揺れる、その沈黙のなかで、のどかは胸の奥のざわめきを必死に隠し続けていた。

 

 九月十二日

 

 麻衣と入れ替わったのどかのCM撮影が、一テイクも一カットも撮れず失敗した

 

 そんな朝から、咲太はいつにも増してテンションが低かった。

 

 ——理由はわからない。

 

 ただ、何かしら厄介なことを抱えているのだろうというのは、見ていれば察せられた。

 

 昼休み。俺は席を立ち、購買へ向かおうとした。

 

 昨日は弁当を作らなかった。理由は単純、ただ面倒くさかったからだ。

 

 一人暮らし歴は中学の頃からと長い。だから炊事洗濯は人並み以上にできるし、弁当だって作ろうと思えば毎日用意できる。

 

 けれど、全部を自分の裁量で決められる環境は、時に自由すぎて、その分億劫になることもある。

 

 「今日はいいか」と思ったら、簡単に習慣が崩れてしまうのだ。

 

 教室を出ようとしたその時、廊下から国見が入ってきた。

 

 すれ違いざまに、軽く手を上げながら声をかけてくる。

 

 「よ、蓮真」

 

 「……おう」

 

 俺も短く返す。 

 

 国見とは、夏休み中に藤沢駅前のファミレスでヘルプに入った時にはじめてまともに話した。

 

 厨房で皿を下げていた俺に、「お疲れ!」と気さくに声をかけてきたのが最初だ。

 

 その時から、無駄に壁を作らない奴だと思っていた。

 

 そのまま数歩進んで、なんとなく振り返った。

 

 国見が咲太の席へ向かい、机に突っ伏すあいつに話しかけているのが見える。けれど俺は足を止めず、そのまま購買へ向かった。

 

 購買から戻ると、国見の姿はもうなかった。その代わりに、教室には妙な緊張が漂っていた。

 

 視線を向けると、上里が咲太に向かって鋭い視線を飛ばしている。

 

 いつもより一段と険悪な空気をまとっていて、周囲の空気さえ固まっているように見えた。

 

 上里は俺の前の席に座っている。出席番号がひとつ違いだから、自然と視界に入る機会も多い。

 

 クラスの女子グループの中心的な存在で、声も大きく、立ち回りも巧い。そんな彼女が国見の彼女だと知ったのは、つい最近のことだ。

 

 二人の関係を意識して見てしまうと、今の咲太への刺すような視線にも、別の意味が透けて見える気がする。

 

 もっとも、俺が口を挟むような話じゃない。

 

 パンの包みを机に置きながら、俺は何も見なかったふりを決め込んだ。

 

 九月十九日

 

 先週から機嫌が悪そうな咲太だったが、今日は朝から機嫌が良さそうに見える咲太を教室で見ていた。

 

 理由を探ろうとしたわけじゃない。ただ、そういう変化があること自体が、観察対象として面白いと思っただけだ。

 

 昼休み、廊下に出ると人通りが少なかった。

 

 俺はそこで立ち止まり、鞄からタブレットを取り出す。

 

 画面を起動し、指を滑らせながら「朝の表情に変化あり。機嫌の差は一週間単位で顕著」とだけ記録を残す。

 

 そうして黙々と文字を打ち込んでいると、背後から声をかけられた。

 

 「岸和田、廊下で何してるの」

 

 振り返ると、分厚い参考書を抱えた双葉が立っていた。

 

 廊下で立ち止まっていたのは、別に意味もなく時間を潰していたわけじゃない。

 

 朝から妙に機嫌の良さそうな咲太の様子を、どう言葉に残せばいいか考えていたのだ。

 

 いつもと同じ無気力な態度の奥に、ほんのわずかな高揚感が混ざっている……それをどう記録するか、立ち止まっていた。

 

 俺にとってはただの観察の一環。理由なんてそれ以上でもそれ以下でもない。

 

  「記録」

 

 俺は廊下の壁にもたれ、タブレットに指を滑らせていく。今朝から気づいたことを、箇条書きのように淡々と入力する。

 

 双葉は呆れ顔を見せて、ため息をついた。

 

 「普通はもっとまともな返事をするでしょ」

 

 「……ああそうか」

 

 「……岸和田はほんと変わってるね」

 

 そう言いながらも、双葉は足を止めてこちらを見ていた。

 

 俺の言葉を突き放すわけでもなく、むしろ続きを促すように。

 

 この間の麻衣先輩の挙動。声の抑揚や目線の向き。そして今朝の咲太。週初めより表情が柔らかくなっていたこと。無駄話の切り返しが妙に軽やかだったこと。

 

 そうした小さな差異を、ひとつひとつ記録に残す。

 

 全部、データとして残しておく価値がある。

 

 俺がそう言うと、双葉は呆れ半分、興味半分といった目を向ける

 

 「……ほんとに観察ばかりしてるんだね」

 

 双葉が、物理実験室に足を運ぼうとしたその時、国見が俺たちに話しかけてきた。

 

 「お、双葉!」

 

 「蓮真も一緒か、珍しい組み合わせだな」

 

 そう言うと、双葉は「別に」と短く返しつつ、ほんのわずかに口元を緩めた。

 

 その日の放課後、国見を交えて三人で駅まで歩いた。

 

 話題は他愛もない話だったが、時折双葉が俺にだけ向ける視線があった。

 

 観察対象を見るような目——たぶん、俺と同じことを考えていたのだろう。

 

 九月二十六日

 

 翌週の週末、国見が部活帰りに「双葉、蓮真も一緒に寄ってかないか?」と声をかけた。

 

 断る理由もなく、三人でファストフード店に入り、他愛ない話をした。

 

 「でさ、蓮真——」

 

 不意に名前を呼ばれ、手にしていたポテトが一瞬止まった。

 

 国見は特に気にした様子もなく話を続ける。

 

 「この前、咲太から聞いたんだけど、お前、咲太と中学の同級生なんだって?」

 

 「ああ、まあ……」

 

 そう返すと、隣の双葉が少しだけこちらを見て、またストローをくるくる回した。

 

 その視線は、何かを測っているようでもあり、ただ聞き流しているようでもあった。

 

 双葉はほとんど口を挟まなかったが、時折こちらの言葉に小さく頷く。

 

 会話の合間に生まれる沈黙が、以前よりずっと軽くなっていることに気づいたのは、この時だった。

 

 ——特別仲良くなったわけじゃない。

 

 でも、会話の間に生まれる沈黙が、以前よりもずっと軽くなっているのはわかった。

 

 それは、観察者同士の間にだけ生まれる、奇妙な信頼のようなものだった。

 




登場人物紹介

名前 双葉理央『ふたばりお』
身長 155cm
誕生日 10月23日

峰ヶ原高校二年生で、科学部の唯一の部員。常に冷静沈着で一定の調子で話す理系女子ですが、恋愛話になると動揺してしまう不器用さを持っています。

科学的な知識に明るく、不可思議な現象である思春期症候群に対しても論理的な説明を試みる姿勢から、原作では咲太が真っ先に相談する相手となっています。

男子の視線を嫌い、制服の上から白衣を羽織っているのは、大きな胸を隠すためでもあり、自分の身体に対する強いコンプレックスの現れでもあります。本当は自虐的に自分を低く評価していますが、その探究心と冷静さで、原作では度々、思春期症候群の解決の糸口を導いたことも多くあります。

夏休みには自らがドッペルゲンガーの思春期症候群を発症し、国見への恋の揺らぎと孤独への不安を露わにした経験も持ちます。

蓮真に対しては、「観測者でありながら当事者でもある」という稀有な立ち位置に関心を抱き、彼を“特異点”と呼ぶようになります。

双葉にとって蓮真は、研究対象としての興味と、どこか似た孤独を映す存在の両方を併せ持った、気になる相手といえるでしょう。

蓮真は最終的にどちらを選ぶと思いますか?

  • 豊浜のどか
  • 広川卯月
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