青春ブタ野郎はパラレルスプリングの夢を見ない 作:もドえラん
1.クリスマスの朝に、夢は現実を食い込む
十二月二十五日
目が覚めた瞬間、枕元のスマホに手が伸びた。
卯月にLINEで連絡、そう思ったのに、画面がいつもより遅い。送信ボタンを押しても、既読がつかないどころか、そもそも繋がってる気配がない。
「……なんだこれ」
再起動。Wi-Fiの切り替え。モバイル通信へ。どれも反応が鈍い。
嫌な予感がして、リモコンでテレビをつけた。
NHKの朝のニュース。画面のテロップに、見覚えのある単語が並んでいる。
『SNS接続障害』
画面には、LINEのアイコンだけじゃなく、X、Instagram、TikTok。いくつか見慣れたロゴがまとめて並べられていた。
原稿を丁寧に読み上げる女性アナウンサーが、淡々と告げる。
「現在、こちらに伝わっている情報としては、この#夢見るというタグをつけた書き込みが一斉に行われたことによるアクセスの集中が原因ではないかと言われています。まだ繋がりにくい状況は続いているそうです」
続けて、「ご存知の方もいるかと思いますが」と前置きして、ハッシュタグの説明が始まる。
#夢見る。最近、妙に関わる機会が増えた。直接的にも、間接的にも。
それに関連する予知夢みたいな現象には、正直、俺も疑問を持っている。
それが、ニュース番組にまで出てくるようになった。
内容が接続障害の話だとしても、あまりいいことには思えない。
「#夢見るが、なんでそんな書き込まれたんだ?」
そう独り言を呟いて、スマホだけじゃなく、ノートPC、タブレットも起動する。
同時にアクセス。どれも画面が固まったみたいに動かない。
それでも、しばらく待つと、ようやくXが表示された。報道の通り、確かに繋がりづらい。
検索窓に、#夢見る
さらに三分近い待機。やっと投稿が流れてきた。
ずらりと、夢の話。
{彼氏と別れ話してる夢見た。言ってる理由がほんとそれな!お前のそういうところな!って話で超ウケる。#夢見る}
{勘弁してくれよ。大学受かってる夢って。おい!夢かよ!上京して、ひとり暮らしはじめて、最高だって思ったら目え覚めたんですが!#夢見る}
{夜桜の下でお花見。飲み過ぎた大学の友達が盛大にリバースしておりました。あいつに酒を飲ませるのはやめようと思いました。#夢見る}
{彼女に振られる夢とか最悪。なんか色々言われて最終的に箸の持ち方が嫌ってなんだよ。今日から直すわ。#夢見る}
どれも短い。切り取った一場面だけ。
なのに妙に具体的だ。
まるで昨日の出来事を語っているみたいに、生々しい。
そして、量が異常だった。
百や二百じゃない。千や二千でもない。桁が万で、その万がさらに積み上がって、数十万が引っかかっている。
つまり、それだけの人数が昨晩、夢を見て、#夢見る、を付けて投稿した。
もし、書き込まれた夢のすべてが本当に未来を見たものだったら?
この状況は、どう理解すべきなんだ。
考えがまとまらないまま、スマホが震えた。卯月からの着信だった。
通話ボタンを押す。
「きっしーおはよ!」
耳元に飛び込んできた声だけで、さっきまでの不穏が、少しだけ遠くなる。
「おはよう卯月。今連絡しようと思ってたんだ」
「私も!でも、なんかLINEもインスタも繋がらなくって、だから直接電話しちゃった!」
「卯月らしいな」
「えへへ。ねえきっしー、昨日の夜、夢見た?」
「夢って、今ニュースでやってるやつか?」
「そう!私はね、横浜のホールでライブしてる夢見たよ!エイプリールフールにそこでライブやるんだ!きっしーは?」
「エイプリールフールって、随分先だな」
「俺は……見てないよ。何にも」
「へぇそうなんだ。お母さんもお父さんも見てないって言うから、見ない人もいるのかな?」
「まあ多分、そうじゃないか」
「話変わるんだけどさ。今日、横浜に何時ぐらいに行けそう?……九時ぐらいでいいか?」
「うん!」
「場所は、この間紅葉見に行った時に迎えにきてもらった、横浜駅の東口のロータリーでいいか?」
「うん、いいよ!きっしーは午後から用事だっけ?」
「ああ。十四時までに大学の近くの公民館に行かないとだから」
「わかった!じゃあまたねきっしー!」
通話が切れた。
俺は朝食を軽く済ませて、支度をして、藤沢駅へ向かう。
東海道線。窓の外は冬の色で、昨日より空気が澄んでいる。
それでも頭の片隅に残るのは、さっき見た、#夢見るの数だ。
横浜駅。
東口のロータリーは、午前中から人が多い。クリスマスイブの翌日なのに、街のテンションがまだ落ち着いていない。
人混みの向こうで、手を振る影が見えた。
白の長袖ブラウスに、胸元に大きめのリボンタイ。
深めの赤のフレアスカートに、白のロングブーツ。
清楚で女の子らしい服装。でも、卯月は卯月だ。
近づいてくる足取りが軽い。見つけた瞬間に笑う表情が明るい。
「きっしー!お待たせ!」
「いや、俺も今来たとこ」
そう言いながら、鞄の中の小さな箱を確かめる。
カービィのイヤーマフ。
花楓ちゃんの助言で選んだものだ。
「……はい。これ」
差し出した瞬間。
卯月の目が、ぱっと丸くなる。
「えっ……なにそれ」
「クリスマスの。昨日渡せなかったから」
卯月が箱を受け取って、まるで我慢できないみたいに、その場で開ける。
一瞬、箱の中を覗いたまま固まって。
次の瞬間。
「えっ!?これ……!」
顔がぱっと明るくなる。
「カービィだ!!」
声が一段高くなって、思わず両手でイヤーマフを掴む。
「かわいい!カービィのイヤーマフだ!」
完全に素に戻ったみたいな反応だった。
周りの目なんて一切気にせず、卯月は子供みたいに笑う。
そして取り出して、いきなりつけた。
「ふっふっふっ」
返ってきたのは、謎の笑い声。
鏡なんてないのに、卯月は当たり前みたいに胸を張ってこっちを向く。
「きっしー、どう?似合う?」
ピンクのふわっとした耳当てが、卯月の頬の赤さを余計に目立たせる。
「……似合う。めちゃくちゃ」
「だよね!」
嬉しそうに笑ったあと、卯月が一瞬だけ声のトーンを落とした。
そして、言う。
「……ありがとう、蓮真くん!」
「………」
呼び方が変わっただけ。ただ、それだけなのに。胸の奥が、ぐっと高鳴った。
卯月は自覚がない顔で、イヤーマフの位置を直している。
「ねえ、きっしー」
「ん?」
「ちょっとだけ、“秘密のデート”しよ」
「……は?」
「だってさ、せっかく横浜なんだもん!」
「スキャンダルとかになったらどうするんだよ」
「大丈夫!変装アイテム持ってきた!」
卯月が鞄をごそごそ漁って、得意げに取り出したのは、サングラス。
しかも、でかい。顔の半分が隠れている。
「……そのサングラスの主張が強すぎるんだよ。前も言ったけど」
「えっ、ダメ?私的バレないモード第一位なんだけど!」
「逆に目立つ」
「じゃあ、これは?」
そう言って卯月は、今度は髪を一気にまとめた。
長い黒髪を、手際よくポニーテールにする。
「これならバレない!」
「もう勝手にしてくれ……」
笑いながら言ったのに、心臓だけは妙に落ち着かなかった。
卯月が近い。物理的にも、距離感的にも。
しかも、今日は“秘密のデート”という単語までついてくる。
横浜駅を離れ、みなとみらいの方へ向かうにつれて、空気が変わった気がした。
同じ街のはずなのに、人の流れも、音の混ざり方も全然違う。
「こっちだよ、きっしー」
卯月が少し前を歩く。
白いブラウスの背中と、赤いスカートが人混みの中でも妙に目に留まった。
横浜ランドマークタワー。
スカイガーデンへ上がるエレベーターの中で、卯月はずっと上機嫌だった。
「きっしー、横浜ってさ、上から見るとおもちゃの街みたい!」
「卯月の感想、だいたい大きいか小さいかだな」
「だってそうじゃん!」
展望フロアに出ると、窓一面に広がる景色。
冬の澄んだ空気が、遠くの建物の輪郭まで綺麗に見せる。
卯月はガラスに手をついて、顔を近づけた。
「わぁ……」
その横顔が、イヤーマフのピンクと相まって、妙に無防備に見える。
俺は、余計なことを言わないように息を整えた。
ここで何か言うと、変に“特別”になってしまう気がしたから。
でも、卯月は“特別”を勝手に引っ張ってくる。
「ねえ、きっしー」
「ん?」
卯月が、少しだけこちらを見る。
「……今日、会えて嬉しい」
さらっと言って、また景色に戻る。
それが卯月のずるさだ。
言葉が軽いわけじゃない。重くしないだけだ。
だから、俺は余計に揺れる。
「ご飯、どうする?」
誤魔化すみたいに聞くと、卯月は即答した。
「食べる!」
MARK IS みなとみらいのキッチン大宮。
卯月は純白のオムライス。
俺はハンバーグステーキ。
食べ始めてすぐ、卯月がスプーンを止めずに言う。
「きっしーって、ハンバーグ好き?」
「まあ好きだよ。さわやかとかよく行くし」
「さわやか!静岡の!……きっしーって静岡県民だっけ?」
「俺は東京都民だ」
「あ、そうだった!」
「おいおい。俺の誕生日に、のどかも一緒に目黒にご飯食べに行ったろ」
「そうだった!あの頃はきっしー若かった!」
「今も若いだろ。三人の中じゃ一番誕生日遅いし」
「たしかに!えへへ!」
卯月が笑う。
俺も笑う。
それだけで、この時間が成立してしまう。
それが、怖い。
食事が落ち着いた頃、俺は意を決して口を開いた。
「卯月、年末年始って暇か?」
「うん!特に何にもないよ!どうかした?」
「昨日、のどかにも話したんだけど……一緒に初詣、行かないか?」
「初詣!行く行く!どこ?」
「俺の実家の近くにある大鳥神社ってとこ。そのあと、一緒にお節でも食べないかって思って」
卯月が、ぱっと顔を明るくする。
「いいねそれ!のどかも一緒?」
「ああ」
「やった!みんなでお願いごと、いっぱいしよ!」
「……神様に負担かけるな」
「えー!神様って忙しい方が嬉しいんじゃないの?」
「知らん」
そう返しながら、俺は胸の奥の温度を誤魔化した。
三人で、未来の予定を決める。
昨日ののどかと同じ。今日の卯月も、同じ。
なのに、同じじゃない。
別れ際。
横浜駅へ戻る道の途中で、卯月がくるっと振り返って言う。
「じゃあね、きっしー」
いつもの呼び方。
それだけで、さっきの「蓮真くん」が胸の奥で勝手に反響する。
そして、卯月は続けた。
「やっぱりきっしーといると、楽しいね!」
その言葉が、軽く聞こえないのは、俺の方が勝手に重く受け取ってるからだ。
俺は歩みを止めて、少しだけ躊躇してから、言った。
「……俺も」
卯月が目を瞬かせる。
俺は視線を逸らさずに続けた。
「俺も、卯月といると、無理しなくていい気がして」
「楽しくて、居心地がよくて」
「それだけでいいって、思えてるよ」
一瞬、卯月の表情が止まった。
それから、ゆっくり笑う。
「……なにそれ、ずるいね」
「お前に言われたくない」
「えへへ」
卯月はイヤーマフに触れて、少しだけ照れたみたいに視線を逸らした。
「じゃあ、またね。きっしー」
今度は、さっきより優しい声だった。
俺は頷いて、改札へ向かう卯月の背中を見送った。
改札を抜ける卯月の背中が見えなくなってから、俺は一度だけ、深く息を吐いた。
楽しかった、という感情だけが、少し遅れて胸に残った。
その後、俺は京急線に乗る。
行き先は、金沢八景。
車窓に流れる冬の街の景色が、やけに現実味を帯びて見えた。
大学近くの公民館に着くと、すでに中は賑やかだった。
壁際には色紙で作ったリースや、少し歪んだ星形の飾り。テーブルの上には、簡単なお菓子と紙コップ。
豪華じゃないけど、人の手の温度が残っている準備だった。
「岸和田くん」
先に来ていた赤城が、俺に気づいて近づいてくる。
その視線が、自然と俺の右腕に落ちた。
「よかった。ギプス外れて、シーネになったんだね。ちゃんと治ってきてるみたいで」
「まあな。まだ無理はできないけど」
赤城は少しだけ眉を下げて、申し訳なさそうに言った。
「……ごめんね。私のせいで怪我させちゃって」
「赤城のせいじゃないって。気にすんな」
言い切ると、赤城は小さく息を吐いて、ようやく笑った。
そのタイミングで、入口の方がざわつく。
「ごめん、郁実。遅れちゃって」
上里だった。
少し早足で入ってきて、コートを脱ぎながら赤城に声をかける。
「沙希、忙しいのに来てくれてありがとう」
「ううん。こっちも大事だし」
それから、上里の視線が俺に移る。
「岸和田くん、骨折、シーネになったんだ。よかったね」
「よかったの使いどころ、そこか?」
「だって、ちゃんと治ってきてるってことでしょ?」
悪気はない。いつもの上里だった。
今回のクリスマス会は、先々週に俺と上里も準備を手伝ったけど、その後は赤城が、いつも世話になっている学習支援ボランティアの先生と一緒に仕上げたらしい。
学習支援も兼ねているから、顔なじみの中学生たちも来ている。
男子が二人、女子が一人。
ケーキとお菓子が一段落したところで、赤城が手を叩いた。
「じゃあ、そろそろ……お待ちかねの時間です」
その言葉に、中学生たちが一斉に反応する。
「きた!」
「ビンゴでしょ!」
「早くやろうよ!」
赤城は苦笑しながら、段ボール箱を机の上に置いた。
「はいはい。ちゃんと順番にね」
箱の中から出てきたのは、色とりどりの小さな包み。
派手じゃないけど、数だけは多い。
「これ、赤城と一緒にボランティアの先生が選んできたのか?」
俺が言うと、赤城が少しだけ照れたように頷く。
「うん。年齢もバラバラだし、好みも分からないから……」
「無難なのと、ちょっと面白いの、半々で」
「それ、だいたい地雷混ざるやつだろ」
「えっ、そうかな?」
そんなやり取りをしながら、ビンゴカードが配られる。
中学生たちは、番号を確認するだけで楽しそうだった。
「よし、いくよー」
赤城が番号を読み上げる。
「Bの……7」
「私あった!」
「俺も!」
「ねーよ!」
番号が呼ばれるたびに、一喜一憂の声が飛ぶ。
上里はカードを覗き込みながら、小さく呟いた。
「こういうの、久しぶりかも」
「大学入ったら、意外とやらなくなるよな」
「うん。なんか懐かしい」
その言葉通り、場の空気は完全にイベントだった。
数分後。
「ビンゴ!」
一番最初に声を上げたのは、男子の中学生だった。
「おー!」
「早っ!」
赤城が拍手しながら言う。
「はい、一番目。好きなの選んでいいよ」
男子は少し迷った末、細長い包みを手に取った。
開けてみると、中から出てきたのは文房具セット。
「おっ、これ使えるやつじゃん」
「当たりじゃん!」
本人も満足そうだった。
そのあとも、次々にビンゴが出る。
お菓子の詰め合わせ、ハンドクリーム、靴下、キーホルダー。
中には、微妙にセンスが尖ったものも混ざっていた。
「……このマグカップ、なんでこの英文?」
「先生が『これ面白い』って言ってたやつだと思う」
赤城が申し訳なさそうに言うと、上里が笑った。
「でも、こういうのが一番記憶に残るんだよ」
最後まで残った女子の中学生が、少し緊張しながら番号を待つ。
「次……Iの、24」
一瞬の沈黙。
「……あっ」
控えめな声。
「ビンゴ、です」
赤城が、ぱっと表情を明るくする。
「おめでとう」
女子が選んだのは、小さな包み。
中身は、淡い色のマフラーだった。
「……かわいい」
その一言で、場の空気がふっと和らぐ。
「よかった」
赤城が、ほっとしたように息を吐いた。
ビンゴが終わる頃には、みんな少しだけ距離が近くなっていた。
イベントとしての役目は、ちゃんと果たした。
全員に景品が行き渡り、机の上が少し静かになった頃。
赤城が、箱の底を覗き込んで首を傾げた。
「あれ……これ、まだ一つ残ってる」
取り出されたのは、薄い紙袋だった。
中から出てきたのは、二枚組のポストカード。
夜の海を背景にした、七里ヶ浜と江ノ島の写真。
街灯と波の反射で、海と空の境目が曖昧になっている。
「……あ」
思わず、声が漏れた。
赤城がこちらを見る。
「岸和田くん、これ……よかったら」
「先生がね、『余ったら誰かに』って言ってて」
俺は一瞬だけ迷ってから、受け取った。
指先に伝わる、つるりとした紙の感触。
「ありがとう」
そう言いながら、カードを裏返す。
何も書かれていない、白い余白。
上里が横から覗き込む。
「夜景?江ノ島だよね、それ」
「七里ヶ浜もあるな」
「へえ、いいじゃん。綺麗」
俺は、小さく頷いた。
確かに、綺麗だ。
でも……胸の奥が、ほんのわずかにざわついた。
理由は分からない。
嫌悪感でも、恐怖でもない。
ただ、近づきすぎると、何かを間違えそうな感じ。
視線を向け続けていると、足元が一歩だけ前に出てしまいそうな、そんな予感。
俺はそれ以上考えないようにして、ポストカードを重ねた。
「大事にするよ」
そう言って、鞄の内ポケットにしまう。
見えない場所に。
少しだけ、距離を取るみたいに。
ビンゴを終え、昨日のクリスマスイブは何をしたかといった話を一通り終えたあと、話題は自然と、あれに移った。
「なあなあ、昨日見た夢さ!」
「絶対未来の出来事だって!」
「だよな!? あれ、リアルすぎ!」
中学生たちは、口々に騒いでいる。
俺と赤城、上里も、その流れに自然に巻き込まれ、#夢見るについての話題に移った。
「上里さんは、どんな夢見たんだ?」
そう俺が聞くと、上里は少し考えてから言った。
「私?友だちと桜を見に行ってる夢」
「桜?」
「うん。今年は佑真が消防士に就職して、私も大学入学前でバタバタしてたでしょ。来年は一緒に観に行きたいねって話してたのに……」
少しだけ言葉を切る。
「なんか、起きたらショックだった」
その空気を引き継ぐように、上里が赤城を見る。
「郁実は?どんな夢見たの?」
赤城は、一瞬だけ視線を泳がせた。
「……私は」
少し躊躇ってから、静かに言う。
「梓川くんから、電話をもらう夢」
上里が、ぴくっと反応する。
「え。郁実、そんな夢見るって……梓川と、普段から連絡してるの?」
そこで俺が口を挟んだ。
「上里さんがいない時に、一回だけ、咲太がボランティア活動を見学に来たことがあってさ」
「それから、たまに活動のこと聞かれたりするから、そのせいじゃないか?」
「ふーん……」
上里は納得したような、していないような顔だった。
視線が、今度は俺に向く。
「岸和田くんは?夢見たの?」
「俺は見てないよ」
即答すると、上里が即座に返す。
「岸和田くん、ロマンなさそうだもんね」
「歯に衣着せぬ言い方だな」
そのやりとりを聞いて、赤城がくすっと笑った。
少しして、俺は赤城にだけ聞こえる声で言った。
「赤城。さっきの話、何か隠してるだろ」
赤城は一瞬だけ目を見開いて、それから苦笑した。
「……やっぱり、岸和田くんの観察眼はすごいね」
「その夢の中で、夕方くらいにね。梓川くんから連絡があったの」
「今日、横浜駅で会えないかって。頼みたいことがあるって」
「しかも、すごく真剣そうな声で……スマホの番号からだった」
「咲太、スマホ持ってないのにか?変だな」
赤城は小さく頷く。
「……そう思った」
俺は少し考えてから言った。
「赤城。その夢、もしかしたら、未来の出来事なんじゃないか」
「未来?」
「中学生たちも騒いでたし、午前中に卯月と会った時も、エイプリールフールにライブする夢を見たって言ってた」
「未来なら、咲太がそれまでにスマホを買ってても不思議じゃない」
「#夢見ると関係してるなら、なおさらな」
赤城は、黙り込む。
「……そうなのかな」
「何か、引っかかってる?」
「ううん。何でもない」
その言い方が、一番引っかかった。
クリスマス会は、十七時に終了した。
上里は「佑真とデートがあるから」と言って先に帰り、残ったのは俺と赤城だけ。
二人で黙々と片付けを進める。
椅子を畳み、ゴミ袋をまとめ、テーブルを拭く。
ようやく一段落したところで、赤城のスマホが震えた。
見慣れない番号。
赤城が画面を覗き込む。
俺は一目で分かった。
「それ、咲太の家の電話だよ」
赤城の目が大きくなる。
続けて、メッセージ通知。
画面には、こう表示されていた。
「こちら、赤城郁実さんの番号でお間違いないでしょうか。梓川咲太と申します。もし間違っていなければ、折り返しいただけるとありがたいです。失礼します」
赤城は一度だけ、深く息を吸った。
それから、通話ボタンを押した。
夢は、もう夢じゃなくなり始めている。
俺は、そう確信していた。
「私、赤城と申しますが」
「あ、僕だけど。梓川」
「うん」
頷くような小さな声で赤城は応じた。
「悪いな。こんな日に急にさ」
「平気、クリスマス会の片付けも終わったところだから」
「それって、学習支援のボランティアのやつか?」
「うん。みんな、喜んでくれてよかった」
「それはやったかいがあったな」
「梓川くんの方こそ、素敵な彼女がいるのに、私に電話をかけてていいの?」
「デートならちゃんとしてきたよ。このあと、一緒に夕飯を食べる約束もしてる」
「それで?私の番号、誰に聞いたの?」
「誰にも聞いてない」
「なら、どうやって?」
「夢で見たんだよ。僕が赤城に電話をかけててさ」
「その番号を覚えてて、試しにかけてみたってこと?」
「赤城は話が早くて助かるよ」
「それは……随分気持ち悪いね」
「気持ち悪いのは、この状況のことだよな?」
「半分はそう」
「もう半分は僕か?」
「………」
赤城が返したのは沈黙。肯定の沈黙だ。だったら、せめて「そう」と認めた方が、咲太にとっては良かっただろうに。
「梓川くんが見た夢って、今日ニュースになってるやつだよね?」
「たぶんな」
「私の携帯番号が本物ってことは、本当に未来を見ているのかもしれないね」
とんでもない話をしているはずなのに、赤城は妙に落ち着いている。
だが、それもまたなんとも赤城らしいと俺は思った。
思春期症候群による不思議な現象は、赤城自身も経験済みだ。だからこそ、こういうこともあるかもしれないと、心は柔軟になっているのだろう。
「それを確かめるために、赤城に電話をしたんだよ。ほんと急に悪かったな」
「気にしないで。そのことで、私も梓川くんに話しておきたいことがあったから」
「もしかして、赤城も夢を見たのか?」
「梓川くんと同じ日の、同じ時間の夢だったんだと思う。梓川くんから電話をもらう夢だったから」
「……そうか」
「僕は何を話してた?」
「急にかけてきて、今日、横浜駅で会えないかって言ってきて。私に頼みたいことがあるみたいだった。真剣で。あと、スマホの番号からだった。もう日が暮れた時間で」
「僕の見た夢と確かに重なるな」
聞いている限り、違うのは、電話をかけた側か、電話を受けた側か。咲太視点か、赤城視点かの違いだけ。それ以外は見事に一致している。
こんな偶然があるだろうか。もちろん、あるかもしれない。だが、ニュースにも取り上げられるような状況になった以上、ただの偶然で片付ける気にはさらさらなれなかった。
少し間が空いて、咲太の声のトーンが変わった。
「……赤城。今さ、クリスマス会ってことは」
「うん」
「岸和田も、そばにいるか?」
赤城の視線が、俺に向く。
その一瞬で、咲太が“俺にも聞かせたい”と思っていることを、赤城が察したのが分かった。
「いるよ。スピーカーにするね」
次の瞬間、スマホから出る音が少し広がった。部屋の空気に、咲太の声が馴染む。
「……岸和田、聞こえるか?」
「聞こえてる」
「悪い。急に」
「いや。こっちも片付け終わったとこだし」
たったそれだけのやりとりなのに、咲太の声音には、妙な現実感があった。夢の話をしているくせに、現実の方が追い詰められているみたいな響き。
「岸和田も夢見たのか?」
「いや、俺は見てないよ」
「……そうか」
少しだけ息を吐く音。
「麻衣さんと同じか……」
その言葉が、妙に引っかかった。
「麻衣先輩も見なかったのか?」
「ああ。僕が『おかしな夢とか見なかったの?』って聞いたら、『見てないわよ』って即答された。いつも通りの顔で」
いつも通り。その言葉が逆に、どこか不安を含んでいるようにも聞こえた。
俺は、咲太に聞き返す。
「じゃあ、咲太はどんな夢見たんだ?」
「……僕はさ」
咲太は一度言葉を探してから、少し早口に続けた。
「赤レンガ倉庫の広場。ステージがあって、音楽フェスみたいになってて」
「そこで、麻衣さんが歌ってた。……霧島透子の歌を」
赤城が、小さく息を呑む気配がした。
俺は眉をひそめる。
「麻衣先輩が?音楽フェス?」
「それだけじゃない。歌い終わったあとにさ」
咲太は、苦笑にも似た声で言う。
「急に“自分が霧島透子だ”って言い出すんだよ。夢の中の麻衣さんが」
「……妙にリアルだな」
口に出してから、俺は続けた。
「でもさ。麻衣先輩、音楽フェスなんか出るような人じゃないだろ。女優とは畑違いの仕事だし」
「しかも霧島透子だって、自分から名乗るなんて」
「そうだ」
咲太が、すぐに同意する。
「だけど……今日、麻衣さんに“音楽フェスのオファー”があったんだよ」
「……は?」
「四月一日に」
その瞬間、背筋のどこかが冷えた。
赤城が、スピーカー越しでも分かるくらい静かに固まったのが伝わってくる。
俺は、反射的に口を挟む。
「四月一日……」
そして思い出す。今朝、卯月が言っていた夢の中の日付。
「卯月の夢と同じだ」
沈黙のあと、咲太が聞き返してきた。
「……広川さんも、なんか夢見たのか?」
「ああ。エイプリールフールに横浜でライブする夢だったらしい」
「そうか」
咲太の声が、ほんの少し低くなる。
「……じゃあ、偶然じゃないな」
赤城が、ようやく言葉を継ぐ。
「夢が、みんな同じ“日付”を指してるってこと……?」
「しかも、内容が現実に追いつき始めてる」
俺がそう言うと、咲太は短く息を吐いた。
「だから、赤城に電話した。……変だと思ったけど、夢で見た番号が頭から離れなくてな」
「結果、合ってた」
「うん。合ってた」
赤城の声は落ち着いているのに、言葉の端だけが震えていた。
俺は、ふと、鞄の内ポケットに入れたままのポストカードを思い出す。
七里ヶ浜と江ノ島の夜景。
綺麗なのに、なぜか胸の奥がざわついたあれ。
いまの話と直接繋がるわけじゃない。けれど、世界が“偶然”の皮を剥がし始めた感覚だけは、同じだった。
「ねぇ、梓川くん」
考えがまとまっていないであろう咲太に、赤城の方から呼びかける。
「ん?」
「それで、私、気づいたことがあるんだけど」
「夢のことで?」
「あの夢の正体がわかった気がする」
「本当か……!?」
「あの夢って本当は、未来を見てたんじゃなくて、もうひとつの可能性の世界を覗いていたんじゃないかな?」
「可能性の世界をか?」
「うん、あの世界なら、梓川くんはスマホを持っていたし、夢を見ている時の感覚も、私が可能性の世界に行っていた時の感覚に似てたから」
「……確かに、赤城は半年以上、別の可能性の世界にいる自分と入れ替わっていたんだしな」
「赤城が言うなら、確かにそうかもしれないな」
咲太の声が、ほんの少しだけ落ち着いた。
「……とりあえず、僕は麻衣さんや双葉に相談する。赤城も、変なことがあったらすぐ連絡してくれ」
「うん。私も、何か分かったら言う」
「岸和田も」
呼ばれて、俺は短く返事をした。
「ん」
「……悪い。巻き込んで」
「今さらだろ」
そう言うと、受話口の向こうで小さく笑う気配がした。
「じゃ、また」
通話が切れる。
赤城がスピーカーを解除して、スマホを胸元で一度だけ握り直した。
「……本当に、夢が現実に追いついてるんだ」
「追いついてるっていうか、もう……最初から同じ線路だったのかもな」
俺がそう言うと、赤城は小さく頷いた。
それ以上、言葉は続かなかった。
説明しようとすると、余計に現実味が失われる。そんな空気が、二人の間にあった。
片付けの続きを終え、公民館の鍵を返す時間になった。
外に出ると、冬の夜気が頬を刺す。
空は澄んでいて、街灯の光がやけに白く見えた。
駅までの道を並んで歩く。
赤城は歩幅を合わせてくれている。俺の右腕のことを気にしているのが分かった。
「……岸和田くん」
「ん?」
「さっきの話、梓川くんが岸和田くんにも聞いてほしいって思ったんだよね」
赤城の声は穏やかなのに、観察の精度だけが鋭い。
「多分な」
「二人って、似てないようで似てるよね」
「それは心外だな」
「心外って言い方が、もう似てる」
赤城が小さく笑う。
その笑い声に、俺はほんの少しだけ救われた気がした。
駅前に着くと、人の流れが増えてくる。
改札の手前で、赤城が足を止めた。
「今年、岸和田くんと会うの、たぶんこれで最後だよね」
俺は一瞬だけ考えて、頷いた。
「そうだな。年末は…さすがに予定もあるし」
「うん」
赤城は軽く息を吐いてから、いつもの落ち着いた声で言った。
「……また来年も、よろしくね。岸和田くん」
来年も。
その言葉が、当たり前の挨拶であるはずなのに、妙に重く胸に落ちた。
世界がずれていくかもしれないのに、来年が当然みたいにそこにある。
だからこそ、言葉にする必要があるのかもしれない。
俺は、余計な感情を見せないようにして返す。
「ああ。よろしく」
赤城は安心したみたいに微笑んで、軽く手を振った。
「気をつけて帰ってね」
「赤城もな」
赤城の背中が改札の向こうに消える。
俺は一度だけ、鞄の内ポケットに触れた。
硬い紙の感触。
七里ヶ浜と江ノ島の夜景のポストカード。
理由は分からないのに、そこにあるだけで胸がざわつく。
まるで、次の年に持ち越される何かが、すでに決まっているみたいに。
俺はそれを確かめないまま、改札へ向かった。
物語解説
今回は、夢と現実の境目が、静かに溶け始めた回でした。
クリスマスの朝。祝祭の余韻が残るはずの時間に、最初に壊れたのはSNS。繋がらない、届かない、止まる。その小さな違和感が、「#夢見る」という言葉と結びつき、個人の夢を社会の現象へと押し出していきます。
夢は本来、内側のものです。けれど今回は、夢が外に溢れ、現実のインフラを揺らす。現実が、夢を笑えなくなった瞬間でした。
一方で、卯月との横浜は、この回に残された温度です。
イヤーマフを無邪気に喜び、「蓮真くん」と呼ぶ。その何気なさが、蓮真の中に確かな揺れを残します。迫られているわけではない。だからこそ、逃げ場がない。
後半の郁実と咲太のやり取りは、滲みが確信に変わる場面でした。
夢で見た番号が現実に繋がり、夢の内容が具体的な日付を持ち始める。もはや偶然では片付けられない段階です。
郁実が示す、可能性の世界、という仮説は、経験者だからこそ辿り着ける答えでした。
対して蓮真は、夢を見ていない。だからこそ安全圏にいるようでいて、実は一番逃げられない立場にいます。
そして、七里ヶ浜と江ノ島の夜景のポストカード。
綺麗なのに、ざわつく。その理由を言語化できないまま、しまい込んで距離を取る。その感覚こそが、これから起きることの前触れです。
クリスマスは祝福の日です。けれどこの物語では、祝福の顔をしたまま、現実が少しずつ歪み始める。今回は、その瞬間を描いた話でした。
次は、年末年始、初詣の予定と、みんなでの約束が、どういう形で揺れていくのか。四月一日に向けて、世界の方が勝手に準備を進めてしまうのか。
そして蓮真が、夢を見ないまま、何を選ばされるのか。
次回もぜひ、お楽しみください。
蓮真は最終的にどちらを選ぶと思いますか?
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豊浜のどか
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広川卯月