青春ブタ野郎はパラレルスプリングの夢を見ない 作:もドえラん
九月二十七日
藤沢のファミレスに夏休みが明けて以来、ヘルプで呼ばれた。
制服からエプロンに着替えて、客席の片付けをしながら、同じシフトに入っている峰ヶ原高校の後輩の女子と雑談になる。
本来、俺のバイト先はここじゃない。普段は新宿副都心のファミレスで、週に一、二回シフトに入っている。
そこを選んだのは偶然じゃない。父の職場が新宿副都心にあるからだ。
高校入学以降、家族の距離感はまだどこかぎこちないままだったけれど、それでも父と会う“理由”を持つために選んだ。
バイト自体は高校生になってすぐから始めていて、今では新宿副都心店の中ではベテラン扱いされている。
だから最近になって、時々、人手不足かつ俺の住んでいる近くの藤沢店に応援で呼ばれることがあった。
「そういえば、この前先輩が……」
古賀朋絵が話し出したのは、咲太についての軽い愚痴だった。聞きながら、俺は皿を片付ける手を止めない。
「……咲太、相変わらずだな」
「でしょ? 先輩、いっつも面倒事に突っ込んでる」
そんな他愛もない話をしていたときだった。ふと、古賀と最初に顔を合わせた日のことがよみがえる。
——古賀朋絵と最初に会ったのは、夏休み中の七月二十七日。
ちょうど今日から二ヶ月前、普段は土日に出勤している新宿のファミレスの代わりに、夏休みの観光シーズンになると、江ノ島や片瀬海岸に向かう客で駅前が一気に混み合い、海帰りの家族連れや学生グループでファミレスも常に満席になり人手が足りなくなるという、藤沢の店舗に、ヘルプを多く回されていた初日だった。
古賀はエプロン姿で、トレーを片手に忙しそうに客席を回っていた。
「新人さんですか?」
「いえ、他店からの応援で、岸和田蓮真です。」
「古賀朋絵です。……あ、もしかして、峰ヶ原の生徒なんですか?」
そう言われて、俺は目を瞬かせた。
「どうしてそれを?」
古賀はいたずらっぽく笑った。
「店長が言ってたんですよ。『峰ヶ原の子が一人応援に来る』って。だから、あ、そうなんだって」
「……なるほど」
思わずため息が漏れる。知らなくてもいい情報を、ここの店長はさらっと流すらしい。
ふと思い立って、俺は口にした。
「……もしかして、君も峰ヶ原の生徒か?」
「そうそう、一年です。だから岸和田先輩になりますね。」
古賀はにっと笑い、トレーを持ち直した。
そのやり取りの最中、ふと胸の奥がざわついた。
六月二十七日。廊下の向こうで、咲太と親しげに話していた“見覚えのない後輩”。
まるで何日も連れ添ったような距離感を見せていた女子。
今、目の前で笑っている古賀朋絵の横顔に、そのときの姿が重なった。
——やっぱり同じ子だったのか。
咲太と妙に近い理由はまだ知らない、でも興味深い子だと思った。
「……ちょっと聞きたいんだけど。梓川咲太ってやつ、知ってるか?」
古賀は一瞬きょとんとしたあと、目を丸くした。
「え、先輩のこと知ってるんですか?」
「……まぁ、同じクラスだしな」
少し言いよどんでから、付け加える。
「……中学も同じだし」
「へぇ、そうなんですね!」
古賀はぱっと明るく笑い、それから思い出したように言葉を添えた。
「先輩もここでバイトしてるんですよ」
「……は?」
意外な情報に、手にしていたタブレットを落としそうになった。咲太の顔と、このファミレスの制服姿が頭の中でどうにも結びつかない。
「……それは初耳だな」
「けっこう普通に働いてますよ。厨房で皿洗ったり、ホールにも出たり……まあ、あたしには意地悪ばっかしてくるんですけどね。」
そう言いながらも表情は楽しそうで、その距離感の近さが逆に伝わってくる。
咲太のそういう態度は、きっと彼女にだけ見せるものなんだろう。
休憩中、古賀は休憩室の端の席に座り、ファッション雑誌を見ながら話しかけてきた。
「先輩と同じ中学ってことは、色々見てきたんですか?」
「まぁ色々とな……」
その後も夏休み中は藤沢でのシフトが増えたため、自然と古賀と軽く話すようになった。
最初は「岸和田先輩」と呼んでいたが、次第に「きっしー先輩」と口にすることが増え、気づけばそれが当たり前になっていた。
また、国見ともシフトが一緒になることが多かった。母子家庭で育った彼は、早く自立するために積極的にシフトに入っているらしい。
父子家庭の俺もまた、似たような背景を持っていたが、わざわざ語り合うことはなかった。
そんなある日、注文が重なって慌ただしく動き回っていたとき、国見が皿を受け取りながら何気なく言った。
「蓮真、このあと裏に下げといてくれるか?」
呼び捨てにされたことに一瞬だけ驚いたが、本人はまるで気づいていないように次のテーブルへ向かっていった。
それからは自然に「岸和田」ではなく「蓮真」と呼ばれるようになり、互いに深入りはしないまま、自然と打ち解けていった。
夏休みの間、咲太とはシフトが重なることは一度もなかったものの、こうして咲太の周りにいる人間と、俺の距離は少しずつ縮まっていた。
八月十七日
お盆のUターンラッシュのニュースが休憩室のテレビで流れていた。
「すごいな……空港も駅も、人で溢れてる」
俺がつぶやくと、隣で麦茶を飲んでいた古賀が、ふと思い出したように言った。
「そういえばきっしー先輩って、どこ出身なんですか?」
「俺? 東京だよ」
「へぇ〜、都会っ子なんだ。店長から、きっしー先輩は普段は新宿のシフトだって聞いたから……なんか気になっちゃって」
「まぁな。でもこっちの方が落ち着くんだ。湘南って、なんか空気がゆっくりしててさ。だから今は一人暮らししながら峰ヶ原高校に通ってる」
「へぇ、かっこいい……! 一人暮らしって憧れる!」
古賀は感心したように頷いてから、少し笑みを浮かべた。
「そういう古賀はどこなんだ?」俺が聞き返す。
「あたしは福岡なんです」
「福岡? そうなのか。」
「そうそう。だからたまに博多弁が出ちゃうと『あれ?』って言われるんですよ」
「確かに、ちょっと違和感ある時があったかも」
「ええ!やっぱりバレとったっちゃ……」
最後の一言で自分でも気づいたらしく、古賀は慌てて口を押さえた。
「……あ、今のは聞かなかったことにしてくださいね!」
照れ笑いを浮かべた古賀は、すぐに話題を変えるように続けた。
「そういえば、二日後に江ノ島で花火大会あるじゃないですか。先輩と国見先輩も行くらしいですよ」
「へぇ」
俺が相槌を打つと、古賀は首を傾げて尋ねてきた。
「きっしー先輩も行くんですか?」
「いや、行けないな。お盆が明けるから、新宿副都心店のシフトに戻る日なんだ。お盆の時期はサラリーマンがいなくて閑散とするから、藤沢に応援に来てただけでさ」
「そうだったんですね。ちょっと残念……」
「まぁ、夏休みが明けるまでは藤沢店にも、ちょくちょく来ると思うよ。藤沢の家を長い時間ほったらかしにするのも嫌だし。」
古賀は安心したように微笑み、「じゃあ、また一緒に入れる日がありますね!」と明るく答えた。
こうして軽口を叩き合ううちに、古賀が福岡出身だと知り、逆に俺の“湘南での一人暮らし”も知られてしまった。
——そんな夏休み中のやり取りを思い出していた。
咲太の愚痴をひと通り聞き終えたあと、休憩時間になった。
従業員用の休憩室には、俺と古賀しかいなかった。自販機のファンが低く唸りを上げる音と、壁掛け時計の針の音だけが響いている。
テーブルを挟んで向かい合いながら、俺は水筒の麦茶を口に運ぶ。古賀は携帯を親指で操作しながら、時おり画面をスクロールしている。
そして、視線は画面に落としたまま、不意に口にした。
「……そういえば、きっしー先輩って“ループ”とか信じる?」
「ループ?」
思わず声が低くなる。心臓が一瞬、強く跳ねた。
耳慣れたはずの単語なのに、頭の奥で古い記憶を呼び覚ます響きを持っていた。俺にとっては、ただの冗談では済まされない言葉だ。
「あたし、この前、ちょっとそういうのに巻き込まれて」
そこで一度、言葉を切る。詳細を話す気配はない。ただ、携帯の画面をスクロールしていた指を止めて、ふっと笑った。
「最後は……自分の気持ちをちゃんと伝えたら終わりました。まあ、先輩だからできたんだけど。」
古賀のその一言が、遠い記憶をかすかに引っかいた。
——俺も中学時代、ループを経験した。
そして同時に、二つのことがふと頭をよぎる。
一つは七月下旬のこと。咲太が期末試験でやけにいい点を取っていたこと。
普段の勉強ぶりを知っている身としては不自然で、答案の解き方にも「初めてじゃない」感触がにじんでいた。まるで中学時代の自分みたいに。
もう一つは、双葉に初めて会ったとき言われた“未来シミュレーションによるループ”という言葉。
俺はそのとき意味を掴めなかったが、今思
えばあれも古賀の体験に繋がっていたのかもしれない。
“いないはずなのに、現実では役割を持っている特異点”とも双葉は言った。
その中に俺が含まれているのだとしたら……
けれど、それを口にするつもりはなかった。
それと同時に俺は思った。
——古賀は強いな……
俺なら、あんな出来事のあと、すぐに笑って話せる自信はない。
そしてそれは、咲太が俺とは真逆の、人を動かす力があったからだと感じた。
古賀は「休憩終わりますね」と立ち上がり、何事もなかったように仕事へ戻っていった。
帰宅後、机に向かいタブレットを開く。
麻衣先輩の言動、双葉との会話、古賀から聞いた咲太の動き、それら全部を書き込む。
これは趣味じゃない。症状と、その周辺の人間関係の記録だ。
麻衣先輩は俺を「介添え人」と呼び、双葉は「特異点」と呼び、古賀は「きっしー先輩」と呼ぶ。
呼び方は違っても、俺の立ち位置は変わらない。
——観察者としての距離感を保ち続ける。それが俺のやり方だから。
九月二十八日
夜、藤沢の自宅で、なんとなくタブレットを開いてニュースを流し見していたときだった。
『桜島麻衣電撃スキャンダル! 隣を歩く彼は恋人か!?』
見出しに目が止まった瞬間、心臓が跳ねる。
——ついに来てしまったか。
添えられた写真には、麻衣先輩と、咲太らしき男子学生の姿。記事には「熱愛発覚か」などと煽るような文言が並んでいる。
だがすぐに、強烈な違和感が胸を突いた。麻衣先輩が、そんな迂闊な真似をするだろうか。
八月に“介添え”をしたときでさえ、彼女は徹底していた。人目のある場では隣に並ばず、常に半歩距離を置くように俺に指示していた。
それほど慎重な彼女が、よりにもよって咲太と並んで歩いているところを撮られるなんて、考えにくい。
写真を見つめながら、首を傾げるしかなかった。
記事の文字はセンセーショナルに踊っているのに、そこに映る光景だけがどうにも麻衣先輩らしくない。
俺はため息をつき、タブレットを閉じた。
「……本当に、あの人がこんな隙を見せるだろうか」
確信は持てない。ただ、胸の奥にひっかかる違和感だけが残り続けた。
登場人物紹介
名前 古賀朋絵『こがともえ』
身長 152cm
誕生日 5月23日
福岡で育ち、高校進学を機に峰ヶ原に来た女子高生。普段は標準語を話すが、驚いたときに博多弁が出てしまう癖を持つ。明るく人懐っこいがそそっかしい一面もあり、原作では咲太との初対面で不審者と勘違いして蹴りを入れてしまいます。
友人関係を守ろうとした結果、咲太を“嘘の恋人”に仕立て、告白を避けるために一日を繰り返す思春期症候群を発症、双葉はその性質を「高度な未来予測の繰り返し」と分析し、彼女を『ラプラスの小悪魔』と呼びます。古賀の”ループ”は「未来のための予測」に縛られたものと言えます。
一方で蓮真もかつて”ループ”を経験しているものの、それは「過去からの引力」によるもの。選ばなかった可能性が現実に干渉し、同じ時間をやり直さざるを得なかったものでした。
古賀と蓮真は似た現象を知る存在でありながら、そのことを古賀はまだ知らない。だからこそ、二人の間に生まれる無自覚な距離感には、表に出ない共鳴が潜んでいるといえます。
蓮真は最終的にどちらを選ぶと思いますか?
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豊浜のどか
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広川卯月