青春ブタ野郎はパラレルスプリングの夢を見ない   作:もドえラん

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6.君と選んだハピネスで、あの日の続きを繰り返す

 

 二月二十六日

 

 みなとみらいの夜景の光は、ガラスに反射して揺れていた。

 

 手を繋いだままの咲太と麻衣先輩の二人の姿が、その中に重なる。

 

 「……」

 

 俺は最初、言葉が出なかった。

 

 出ないまま、数秒が過ぎて、「……二人こそ、どうしてここに?」と、俺は二人に尋ねた。

 

 すると、麻衣先輩が繋いだ手をそのままに、少しだけ首を傾げた。

 

 「次の仕事が映画の吹き替えなの。今日はその関係で、みなとみらいのホールで声優のイベントがあって」

 

 「……なるほど」

 

 頷く。確かに、麻衣先輩ならそういう仕事があっても不思議じゃない。

 

 その横で、咲太が小さく息を吐いた。

 

 「ほんとに今日は、よく知り合いと会う日だな」

 

 「……どういう意味だよ?」

 

 思わず聞き返す。

 

 咲太は、少しだけ面倒くさそうな顔のまま、指を折るでもなく淡々と言った。

 

 「だって今日だけで、麻衣さん、広川さん、赤城、美東、岩見沢さん、姫路さんと会ってるからな」

 

 「……は?」

 

 そして一瞬だけ、言葉が止まる。

 

 (……本当に、来てるんだな)

 

 さっき自分でも思ったことが、頭の中で静かに蘇る。

 

 「……卯月と会ったってことは、のどかとも会ったのかよ?」

 

 自分でも少しだけ早口だったと思う。

 

 咲太はそんなことを気にした様子もなく、あっさり首を振った。

 

 「いや、広川さんとしか会ってねえよ。偶々ロープウェイで一緒になってな」

 

 「ロープウェイ?」

 

 「スイートバレットのメンバーで、コスモワールドに遊びに行くんだと」

 

 「……そうか」

 

 短く返す。

 

 その横で、咲太が小さく肩をすくめた。

 

 「まあ、豊浜と鉢合わせてたら、面倒なことになってただろうけどな」

 

 「……面倒?」

 

 「麻衣さんとのデート、絶対邪魔されるだろ」

 

 「咲太。のどかは別に邪魔なんてしないわよ」

 

 麻衣先輩が呆れたように言う。

 

 「いや、しますよあいつ。そういうとこあるし」

 

 そのまま、思わず口が動いた。

 

 「……確かに、否定しきれないのが悔しいな」

 

 自然と、そう思った。

 

 けど同時に、胸の奥が少しだけざわついた。

 

 のどかも卯月も、今日この街にいるかもしれない。

 

 ついさっきまで、自分が一人で辿っていた場所の近くに。

 

 「で?」

 

 今度は咲太がこっちを見る番だった。

 

 「岸和田こそ、何やってんだよ?」

 

 「……」

 

 少しだけ視線を外す。ガラス越しの夜景が、やけに遠く見えた。

 

 「……ちょっと、二人からの気持ちを整理したくて」

 

 言いながら、自分でも曖昧にしているのが分かる。

 

 「前に一緒に行った場所、回ってた帰り」

 

 それだけ言う。それで十分だと思った。

 

 咲太も麻衣先輩も、たぶん察している。

 

 俺が何を整理しようとしているのかも。

 

 でも、それを自分の口で直接言うのは、まだ少しだけ憚られた。

 

 「……お前さ」

 

 咲太が呆れたように言う。

 

 「そういうとこ、本当不器用だな」

 

 「……うるせえよ」

 

 反射みたいに返す。けれど、否定はできなかった。

 

 麻衣先輩はそのやり取りを見て、ほんの少しだけ目を細める。

 

 何かを言いそうで、でも今はまだ言わない顔だった。

 

 夜景の光が、三人の間に静かに落ちる。

 

 みなとみらいの夜は相変わらず綺麗で、何も知らないみたいに輝いていた。

 

 でも……たぶんここから先は、もう誤魔化せない。

 

 「……まだ、答えてなかったのね。蓮真くん」

 

 不意に、麻衣先輩がそう言った。

 

 「……」

 

 言葉が、詰まる。図星だった。

 

 否定する理由も、誤魔化す余地もない。ただ、そのまま受け止めるしかなかった。

 

 「……はい」

 

 短く、それだけ返す。

 

 麻衣先輩は、少しだけ視線を落としてから、またこちらを見る。

 

 責めているわけでも、呆れているわけでもない。ただ、確かめるような目だった。

 

 「この前ね」

 

 一拍置いて、続ける。

 

 「家で、のどかがちょっとだけ変なこと言ってたの」

 

 「……」

 

 心臓が、ほんの少しだけ強く鳴る。

 

 「『あたしって、やっぱり友だちどまりなのかな』って」

 

 静かに、置かれる。

 

 それだけだった。

 

 それ以上は、何も言わない。

 

 でも、その一言で十分だった。

 

 「……」

 

 言葉が出ない。

 

 頭の中で何かを考えるより先に、その言葉だけが残る。

 

 のどかの声で、再生される。

 

 軽く言ったのかもしれない。冗談みたいに流したのかもしれない。

 

 でも……

 

 (……あいつが、それ言うのかよ)

 

 胸の奥が、わずかに軋む。

 

 「……」

 

 沈黙が落ちる。

 

 夜景の光が、ガラス越しに揺れていた。

 

 その中で、軽い音がした。

 

 「……っ」

 

 額に、軽い衝撃。思わず目を瞬かせる。

 

 目の前に、麻衣先輩の指があった。

 

 「しっかりしなさい、蓮真くん」

 

 声は強くない。でも、逃げ道を残さない言い方だった。

 

 「……」

 

 反射的に、何か言い返そうとしてやめる。

 

 言い返せる言葉なんて、最初からなかった。

 

 麻衣先輩は、そのままゆっくり手を下ろす。

 

 「優しいのはいいことよ」

 

 一度だけ、そう言ってから。

 

 「でも」

 

 ほんの少しだけ、目を細める。

 

 「優しさで誤魔化すのは、優しさじゃないわ」

 

 「……」

 

 胸の奥に、静かに刺さる。

 

 言い方は穏やかなのに、逃げ場がない。

 

 その沈黙を、横で咲太が小さく息を吐いて崩した。

 

 「岸和田」

 

 「……なんだよ」

 

 「麻衣さんにデコピンしてもらえるなんて、羨ましいな」

 

 「……は?」

 

 一瞬、思考が止まる。何を言ってるのか分からない。

 

 「僕だったら、普通にビンタだからな」

 

 「それはお前が悪いだけだろ」

 

 反射的に返す。さっきまでの空気が、ほんの少しだけ緩む。

 

 「いや、デコピンの方がレアだぞ」

 

 「麻衣さん、ちゃんと相手見て使い分けてるからな」

 

 「……分析すんな」

 

 思わず呆れる。

 

 でも、その軽口のおかげで、さっきまで胸に詰まっていたものが少しだけ抜けた気がした。

 

 麻衣先輩は、そんなやり取りを見て、小さくため息をつく。

 

 「……咲太」

 

 「なんですか、麻衣さん」

 

 「そういう話じゃないでしょ」

 

 「そうですね」

 

 軽く流す。

 

 でも、その目はほんの少しだけ柔らかかった。

 

 「……まあ、でも」

 

 咲太が、少しだけ視線をこちらに戻す。

 

 さっきまでより、ほんの少しだけ真面目なトーンで。

 

 「それだけ本気で言われてるってことだろ」

 

 「……」

 

 言葉が止まる。

 

 横を、ほんの少しだけ見る。

 

 長い黒髪が、風に揺れていた。

 

 見慣れた横顔。

 

 桜島麻衣。

 

 何も言わずに、同じように川を見ている。

 

 「……」

 

 麻衣先輩は、すぐには声をかけなかった。

 

 「……」

 

 少しだけ、息を吐く。

 

 「……そんな顔してる時点で、もうわかってるんでしょ」

 

 隣に立った麻衣先輩が、川の方を見たまま言った。

 

 「……」

 

 すぐには、返せなかった。

 

 視線が、ガラス越しの水面に落ちる。

 

 帷子川の流れが、街の光を細く揺らしていた。

 

 (……そんな顔、か)

 

 自分でも分かっていた。

 

 何かを決めようとしているのに、決めきれていない。

 

 どこか別の方向に、寄せようとしている。

 

 「……」

 

 頭の中で、一つの選択をなぞる。

 

 たぶん、そっちを選べば楽だ。

 

 余計なことを考えなくて済むし、今の形も大きくは崩れない。

 

 「……」

 

 なのに。

 

 ここに立って、川を見ているだけで、

 

 浮かんでくるのは、別の光景だった。

 

 昼間の川沿い。人の多い時間帯で、でも少しだけ外れた場所。

 

 並んで歩いて、何でもない話をして。

 

 それでも、どこか空気が違っていたあの時間。

 

 「……」

 

 そして、もう一つ。

 

 何も起きないはずの日に、当たり前みたいに差し出されたもの。

 

 あの時、自分がどんな顔をしていたのかまで、やけにはっきり思い出せる。

 

 (……なんで、今それなんだよ)

 

 苦く、そう思う。

 

 ここは横浜で。思い出すなら、もっと別のはずなのに。

 

 「………」

 

 小さく息を吐く。

 

 (……分かってる)

 

 どっちに引っかかってるのかも。

 

 なんで迷ってるのかも。

 

 全部、見えてる。

 

 それでも。

 

 (……それを、そのまま選ぶのが嫌なんだよな)

 

 視線が、わずかに落ちる。

 

 気づいてるくせに、動かない。

 

 (……ほんと、性質悪いな。俺)

 

 少しだけ、息を吐く。

 

 逃げ場がなくなった、とは思わなかった。

 

 ただ……もう、誤魔化せないな、とは思った。

 

 「……」

 

 しばらく、言葉が出なかった。

 

 横にいる気配は、何も急かさない。だから、余計に黙っていられなくなる。

 

 「……麻衣先輩」

 

 ようやく、口が開く。

 

 視線は、まだ川のまま。

 

 「どっちかを選んだら、たぶん、何かは変わるんですよね」

 

 声は小さい。

 

 でも、自分でもはっきり聞こえるくらいには、ちゃんと出ていた。

 

 「今までみたいには、いかなくなるかもしれないし」

 

 「……」

 

 麻衣先輩は、何も言わない。ただ、聞いている。

 

 「それだけじゃなくて」

 

 一度、言葉を切る。全部は言えない。

 

 でも、ここで止めたら、何も変わらない気がした。

 

 「……どっちかのこと、ちゃんと傷つけることになるんだろうなって」

 

 「そういうのが、ずっと引っかかってて」

 

 「……」

 

 風が吹く。川の匂いが、少しだけ流れてくる。

 

 「でも」

 

 喉の奥が、少しだけ詰まる。

 

 「……ちゃんと向き合ってくれたのは、嬉しかったんです」

 

 その言葉だけは、濁さない。

 

 「だから、余計に」

 

 そこまで言って、止める。十分だった。

 

 これ以上は、もう言葉にしなくてもいい。

 

 沈黙が、少しだけ落ちる。

 

 そのあとで。隣にいた麻衣先輩が、静かに口を開いた。

 

 「未来を変えるのって、簡単なことじゃないわよ」

 

 「変えた先で、何かを失うことだってあるし」

 

 「誰かが幸せになるってことは、別の誰かにとってはそうじゃないかもしれない」

 

 少しだけ間を置いて、こちらを見る。

 

 「……それでも、やめた方がいいなんて言わない」

 

 「言えるわけない」

 

 その声は静かで、でも迷いがなかった。

 

 「だって私も、咲太も、同じことをしてきたから」

 

 視線が、ほんの一瞬だけ隣に向く。

 

 すぐに戻る。

 

 「私はね、蓮真くん」

 

 「咲太に幸せにしてもらう、なんて思ってない」

 

 「そうじゃなくて」

 

 言葉を区切る。

 

 夜の風が、少しだけ強く吹く。

 

 「二人で、幸せになるの」

 

 「そのために選んできたし、これからも選ぶ」

 

 「……」

 

 言葉が、そのまま胸に落ちる。

 

 逃げ場がない。

 

 でも、不思議と、押しつけられている感じはしなかった。

 

 ただ。そこにあるものを、そのまま見せられたみたいだった。

 

 「……」

 

 少しだけ、視線を落とす。

 

 帷子川の水面が、揺れている。

 

 さっきまでと同じ景色なのに、どこか違って見えた。

 

 その横で。麻衣先輩が、静かに言葉を続ける。

 

 「だから」

 

 一拍、置く。

 

 その間に、変に考える余地を与えない、絶妙な間だった。

 

 「蓮真くん」

 

 名前を呼ばれて、自然と視線が向く。

 

 「一緒に未来を選びたい相手を、選びなさい」

 

 「……」

 

 それだけだった。

 

 どっちがいいとか、どっちが正しいとか。

 

 そんなことは、一切言わない。

 

 ただ、選ぶ基準だけを置いていった。

 

 「……」

 

 言葉が出ない。

 

 でも、不思議と。

 

 さっきまでみたいな迷い方は、していなかった。

 

 胸の奥にあった“引っかかり”が、少しだけ、形を持った気がした。

 

 「……」

 

 視線を、もう一度川に戻す。

 

 揺れている光は、変わらない。

 

 でも。その中に、ちゃんと自分の立っている場所が見えた気がした。

 

 咲太が、肩をすくめるように言った。

 

 「まあ、芸能人と付き合うのは大変だけどな」

 

 一拍置いて、こっちを見る。

 

 「ましてや、豊浜もづっきーもアイドルだし」

 

 「……そうだよな」

 

 短く返す。

 

 それ以上の言葉は、すぐには続かなかった。

 

 大学での咲太の立場は、嫌でも目に入る。

 

 桜島麻衣の彼氏。

 

 その肩書きだけで、あいつは学内でも有名人みたいに扱われているし、SNSや週刊誌で名前を見かけることだってある。

 

 それでも、咲太は変わらない。

 

 隠れることも、怯えることもなく、当たり前みたいに麻衣先輩の隣に立っている。

 

 それが、梓川咲太という男なんだと、ずっと思っていた。

 

 自分とは違う側の人間だと。

 

 自分には関係のない話だと。

 

 どこかで、そう線を引いていた時期もあった。

 

 でも今はその、“関係ないはずだった場所”に、自分が立たされている。

 

 のどかも、卯月も。

 

 麻衣先輩ほどの国民的な知名度があるわけじゃないにせよ、確かに人の目の中にいる存在で。

 

 そこに、自分が踏み込もうとしている。

 

 ふと、頭に浮かぶ。

 

 まだ高校生だった頃、麻衣先輩が記者会見まで開いて、咲太との交際を公表したあの日のこと。

 

 ——彼は、私が芸能活動を再開するきっかけをくれた人です。彼と出会わなければ、こうしてまたカメラの前に立たせていただく機会は来なかったと思っています。

 

 言い切ったあと、彼女は立ち上がって、真っ直ぐに報道陣を見渡していた。

 

 ——私一人のプライベートは構いません。ですが、彼は芸能界とは無縁の一般の男の子です。プライバシーまで侵すような行為は、どうか控えていただけないでしょうか。

 

 あれは、覚悟だった。

 

 自分の立場も、相手の立場も、全部分かった上で、それでも選んだ人間の言葉だった。

 

 「……」

 

 胸の奥が、少しだけ熱くなる。

 

 怖くないわけがない。失うものがないわけでもない。

 

 でも、それでも選んでいる人たちが、今目の前にいる。

 

 その時だった。

 

 咲太が、あっさりと言った。

 

 「まあ、僕はそんなの関係なく、麻衣さんと一緒にいられて幸せだけどな」

 

 間髪入れず、麻衣先輩が呆れたように眉を寄せる。

 

 「咲太。何かっこつけてるのよ」

 

 「かっこつけてるわけじゃないですよ」

 

 「十分それっぽいわよ」

 

 そんなやり取りが、あまりにも自然で。

 

 作ったものじゃなくて、積み重ねてきたものなんだと、はっきり分かる。

 

 「……」

 

 視線を落とす。

 

 自分が怖がっていたものも、確かに現実だ。

 

 世間の目も、関係の変化も、全部ある。

 

 でも。それを理由に、何も選ばないままでいる方が、今の自分にはよほど中途半端だった。

 

 咲太が、少しだけ真面目な顔でこっちを見る。

 

 「岸和田」

 

 「……なんだよ」

 

 「もし僕が豊浜とづっきーだったら」

 

 一拍。

 

 「ごめん、って言われるより、好きって言われる方が断然嬉しいな」

 

 「……」

 

 言葉が止まる。

 

 咲太はそのまま、肩の力を抜いたまま続ける。

 

 「大好きなんて言われたら、普通に有頂天になる」

 

 「……まるで、お前に告白してるみたいで気持ち悪いな」

 

 思わずそう返すと、咲太がわずかに口元を上げた。

 

 「それはこっちの台詞だ」

 

 「言い出したのお前だろ」

 

 「岸和田が面倒くさいから、わざわざ言ってやってるんだよ」

 

 「余計なお世話だ」

 

 そう言いながらも、声は少しだけ緩んでいた。

 

 胸の奥に残っていた硬さが、ほんの少しだけ解ける。

 

 「……でも、ありがとな」

 

 ようやく、それだけ言う。

 

 咲太は軽く肩をすくめるだけだった。

 

 その横で、麻衣先輩が静かにこちらを見る。

 

 「麻衣先輩も、ありがとうございます」

 

 自然に、そう言葉が出た。

 

 麻衣先輩は、小さく目を細める。

 

 「どういたしまして」

 

 それだけだった。

 

 でも、その一言で十分だった。

 

 「……」

 

 視線を、もう一度夜景に戻す。

 

 揺れている光は、変わらない。

 

 でも、その中に、自分の立っている場所だけは、もう見失っていなかった。

 

 横浜駅から東横線と目黒線に乗って、目黒に戻ったのは、二十一時を少し回った頃だった。

 

 改札を抜ける。

 

 夜の目黒駅は、昼間より人が少ない。

 

 それでも、誰かの笑い声が絶えたわけじゃない。

 

 特別な場所じゃない。

 

 ただの都会の駅だ。

 

 毎日、誰かが通って、誰かが帰っていく場所。

 

 その改札前で、足が止まる。

 

 「……」

 

 小さく、息を吐く。

 

 今日一日、いろんな場所を辿った。

 

 三人でいた時間も、二人でいた時間も。

 

 楽しかったことも、落ち着いたことも、眩しかったことも、ちゃんと全部思い出した。

 

 どれも本物だった。

 

 だからこそ、迷った。

 

 でも。

 

 「……最初から」

 

 声にすると、少しだけ喉が震えた。

 

 「理由なんて、いらなかったんだよな」

 

 それだけだった。

 

 長く考えて、ようやく辿り着いた答えが、あまりにも単純で、少しだけ笑いそうになる。

 

 でも、間違っていないと思った。

 

 それが、たぶん一番嘘のない気持ちだった。

 

 結局、答えってこういう、何でもない場所でしか決まらないのかもしれない。

 

 「……」

 

 スマホを取り出す。

 

 画面を開く。

 

 二つの名前が並んでいる。

 

 そこで、ほんの一瞬だけ指が止まる。

 

 逃げるためじゃない。

 

 今度は、ちゃんと向き合うための迷いだった。

 

 「……」

 

 息を整える。

 

 言うべき相手は決まっている。

 

 画面の光が、夜の改札前で静かに揺れた。

 

 ——同じ時間の、横浜汽車道。

 

 夜風が、海側からゆるく吹いていた。

 

 観覧車の光が水面に落ちて、赤や青の色を細かく揺らしている。

 

 赤レンガ倉庫からの帰り道。スイートバレットの五人は、まだ人通りの多い歩道を並んで歩いていた。

 

 「楽しかったあ!」

 

 最初に声を上げたのは、ほたるだった。

 

 両腕を軽く振りながら、子どもみたいにそのまま感情を言葉にしている。

 

 「コスモワールドも久々だったし、赤レンガのあの限定パンケーキも当たりだったし! なんか、今日ずっとテンション高かったかも!」

 

 「ほたるん、ずっとテンション高かったよね〜」

 

 蘭子が、のんびりした声で笑う。

 

 「私も、久々に気分転換できたね〜」

 

 「毎回それくらい素直なら、もうちょっと可愛げあるのにね」

 

 のどかが軽く言うと、蘭子はまったく気にした様子もなく、「え〜、私いつも素直じゃない?」、と返す。

 

 「違う意味でね」

 

 「それ褒めてないよね〜?」

 

 そんな軽口に、ほたるがまた笑う。

 

 卯月もつられるように笑って、「でも今日ほんと楽しかったよね!」と明るく言った。

 

 その声は、いつも通りだった。

 

 少なくとも、表面上は。

 

 「……」

 

 八重はその横顔を、少しだけ見る。

 

 卯月は笑っている。

 

 のどかも、ちゃんと受け答えしている。

 

 でも、二人ともどこかだけ落ち着かない。

 

 スマホを意識するみたいに、時々視線が落ちる。

 

 会話に入っているようで、半歩だけ遅れている。

 

 「……」

 

 やっぱり、と思う。

 

 この間から、なんとなくそんな気配はあった。

 

 無理に明るくしているわけじゃない。

 

 ただ、心の一部だけが別の場所にあるみたいな感じ。

 

 八重が何か言おうとした、その時だった。

 

 ほとんど同じタイミングで、二つのスマホが震えた。

 

 のどかと卯月が、同時に足を止める。

 

 「……え」

 

 小さく声を漏らしたのは、卯月だった。

 

 のどかは何も言わない。

 

 でも、画面を見たまま、一瞬だけ息を止めたのが分かった。

 

 八重が視線を向ける。

 

 「……来た?」

 

 その問いに、のどかがゆっくり頷く。

 

 卯月も、画面を見たまま小さく「うん」と返した。

 

 メッセージは、ほとんど同じ内容だった。

 

 《遅くなってごめん。明日、会えないか。返事をしたい》

 

 「……」

 

 蘭子とほたるも、さすがに空気の変化を察したらしい。

 

 さっきまでの軽さが、少しだけ引く。

 

 「……きっしーくん?」

 

 蘭子が控えめに聞く。

 

 卯月が、小さく頷いた。

 

 のどかはまだ画面を見ている。

 

 返事を打とうとして、止まって、また打ち直しているのが分かる。

 

 「場所は、こっちに合わせるって」

 

 のどかが短く言う。

 

 八重は何も言わない。

 

 ここで何かを挟むのは違うと思った。

 

 卯月が先に顔を上げた。

 

 少しだけ迷って、それから、

 

 「……私、新宿の方がいいかも」と呟く。

 

 「新宿?」

 

 ほたるが聞き返す。

 

 「うん。私が通ってた高校からちょっと歩いたとこに、よく行っていた緑道があって」

 

 言いながら、自分でも少し意外そうな顔をしていた。

 

 でも、選んだ以上、そこに意味があるのだと、八重には分かった。

 

 「……そっか」

 

 八重はそれだけ言う。

 

 卯月は、そのままメッセージを打ち始めた。

 

 少し遅れて、のどかも画面から顔を上げる。

 

 「……あたしは、藤沢駅の北口」

 

 短く、そう言った。

 

 それもまた、迷いのない言い方だった。

 

 八重は小さく息を吐く。

 

 ああ、と思う。

 

 もう、ここまで来たんだと。

 

 卯月は夕方。のどかは夜。

 

 二人とも、もう自分の中で会う場所を決めている。

 

 それは、ただの待ち合わせ場所じゃない。

 

 たぶん、それぞれが自分の気持ちを置くための場所だ。

 

 「……」

 

 八重は、何も言わなかった。

 

 今ここで何かを言うのは、もう野暮だと思ったからだ。

 

 ただ、横を歩く二人の背中を見ながら、小さく思う。

 

 明日で、変わる。

 

 誰がどう選んでも、もう今までと同じではいられない。

 

 けれど、それでもきっと、この時間が全部無駄になるわけじゃない。

 

 観覧車の光が、また水面で揺れる。

 

 五人は、そのまま汽車道を歩いていく。

 

 夜の横浜は変わらず綺麗で、でもその綺麗さの中に、明日の気配だけが静かに混じっていた。

 

 二月二十七日

 

 翌日。

 

 夕方の空は、昼の明るさを少しだけ残したまま、ゆっくりと色を落としていた。

 

 時計を見る。まだ、約束の時間には少し早い。

 

 それでも、足は止まらなかった。

 

 山手線で新宿へ。

 

 車内は、平日の夕方らしくそれなりに混んでいた。

 

 誰かの会話が断片的に聞こえて、スマホの通知音が時々鳴る。

 

 いつもと同じはずの景色なのに、どこかだけ現実感が薄い。

 

 (……落ち着けよ)

 

 心の中で、そう呟く。

 

 もう決めたはずだ。

 

 昨日の夜、あの場所で。

 

 理由なんていらないって、ああ思ったはずなのに。

 

 それでも、胸の奥は静かにざわついていた。

 

 電車が、新宿駅に滑り込む。

 

 人の流れに乗って、改札を抜ける。

 

 西口の雑踏を抜けて、少し歩く。

 

 高層ビルの間を抜けて、少しずつ人通りが落ちていく。

 

 喧騒が、背中の方に遠ざかっていく。

 

 目的の場所は、そこからさらに少し先だった。

 

 玉川上水旧水路緑道。

 

 名前だけ聞けば大層な場所みたいだけど、実際はただの細い遊歩道らしい。

 

 両脇に木が並んで、アスファルトの上にところどころ落ち葉が散っている。

 

 時間帯のせいか、人も多くない。

 

 犬の散歩をしている人と、イヤホンをつけて歩いている学生がちらほらいるくらいだった。

 

 ビルの高さが少しずつ低くなって、コンビニと住宅が混ざるような街並みに変わっていく。

 

 さっきまでの喧騒が、背中の方に置いていかれる。

 

 (……この辺か)

 

 スマホの地図を軽く確認して、顔を上げる。

 

 緑道から少し外れたところに、小さな公園が見えた。

 

 ブランコが一つ。

 

 色褪せたフレームと、風でわずかに揺れるチェーン。

 

 奥には滑り台とトンネル遊具、そのさらに奥に丸いクマみたいな遊具が並んでいる。

 

 子どもがいない時間帯だからか、静かだった。

 

 (……ここで合ってるよな)

 

 入口で足を止める。

 

 新宿のすぐ近くなのに、妙に時間がゆっくりしている。

 

 (……卯月っぽいな)

 

 理由は分からないけど、そう思った。

 

 ブランコの前に立つ。

 

 軽く揺れているそれを見下ろしながら、小さく息を吐く。

 

 (……逃げるなよ)

 

 自分に言い聞かせた、その時。

 

 「きっしー!」

 

 声が飛んできた。

 

 振り返ると、卯月が手を振りながら小走りでこっちに来ている。

 

 「ごめんね! 待った!?」

 

 「……いや、俺も今来たとこだ」

 

 「よかったー!」

 

 ぱっと笑って、そのまま隣に来る。

 

 距離はいつも通り。空気も、いつも通り。

 

 「ね、ここさ!」

 

 卯月がそのまま公園を見渡した。

 

 「なんかいいよね!」

 

 「……まあ、静かだしな」

 

 「でしょでしょ!」

 

 勢いよく頷く。

 

 「こういうとこってさ、“普通の高校生の放課後”って感じしない?」

 

 「……」

 

 少しだけ、言葉が詰まる。

 

 卯月は気にせず続ける。

 

 「私さ、通信だったからさ、こういうのなかったんだよね」

 

 ブランコの方に歩いていって、そのまま腰掛ける。

 

 ぎし、と小さく音が鳴る。

 

 「みんなで帰って、公園寄って、なんかくだらない話してさー」

 

 軽く足で地面を蹴る。

 

 ブランコが、ゆっくり揺れる。

 

 「……ちょっと憧れてたんだよね」

 

 ぽつりと、でも軽く言う。

 

 そのまま、ふと思い出したみたいに顔を上げた。

 

 「あ、そういえばさ」

 

 「……?」

 

 「学校のPR用の映像で、インタビュー撮ってもらったことあるんだよね」

 

 「インタビュー?」

 

 「うん。『一年過ごしてどうだった?』ってやつ」

 

 ブランコに座ったまま、軽く足を揺らす。

 

 「でさ、私なんて答えたと思う?」

 

 「……さあな」

 

 「『今は友だちいますよ!』って」

 

 ぱっと笑う。

 

 「『やっぱり、空気読めないねって言って笑われるけど、みんな面白がってくれてます』って」

 

 少しだけ得意げに言う。

 

 「ちゃんと答えられてたでしょ?」

 

 「……ああ」

 

 短く返す。

 

 卯月は満足そうに頷いた。

 

 「でね、そのあと先生に『いいコメントだったね』って言われたんだよ」

 

 くすっと笑う。

 

 そう言いながら、またブランコを軽く揺らす。

 

 その顔には、迷いも、引っかかりもない。

 

 ただ、楽しそうだった。

 

 「……だから、ここにしたんだな」

 

 そう聞くと、卯月は一瞬だけきょとんとして、それから「うん!」と答えた。

 

 ブランコを軽く揺らしながら、少しだけ上を見上げる。

 

 「ここね、高校のとき、たまに来てたんだよね」

 

 「学校帰りって感じじゃないんだけどさ。なんか、この辺ちょっと寄りやすくて」

 

 足で地面を蹴る。ブランコが、ゆっくり前に揺れた。

 

 「一人で来て、ちょっと座って帰ったりしてた」

 

 その言い方は軽い。でも、どこかだけ静かだった。

 

 「……」

 

 何も言わずにいると、卯月は少しだけ笑って続けた。

 

 「でさ、きっしーと会うようになってから、たまに思ってたんだ」

 

 「……何を」

 

 卯月は、ブランコを止める。

 

 足を地面につけたまま、こっちを見ないで言った。

 

 「きっしーと同じ高校だったらさ」

 

 一拍。

 

 「こういうとこも、一緒に来れてたのかなーって」

 

 「……」

 

 言葉が出なかった。

 

 卯月は、その沈黙を気にした様子もなく、くるっとこっちを見る。

 

 「ほら、なんかあるじゃん。放課後にコンビニ寄って、公園寄って、ちょっと話して帰る、みたいなやつ!」

 

 両手でざっくり空中に円を描く。

 

 「私、ああいうのちょっと憧れてたから」

 

 「……」

 

 「だから、ここかなーって思って」

 

 そこまで言ってから、卯月は少しだけ肩をすくめた。

 

 「まあ、私が勝手に“それっぽい”って思ってるだけなんだけどね!」

 

 ぱっと笑う。

 

 その笑い方は、いつもの卯月だった。

 

 明るくて、軽くて、少しだけこっちの呼吸を乱す。

 

 でも。その奥にあるものまで、見えないふりはできなかった。

 

 「……そっか」

 

 ようやく、それだけ返す。

 

 卯月は、満足そうに、「うん!」と頷いた後、ぱっと表情を戻した。

 

 「で!」

 

 軽く首を傾ける。

 

 「きっしー、話あるんでしょ?」

 

 「……」

 

 逃げ場はない。最初から、分かっていた。

 

 「……ああ」

 

 短く答える。卯月は、小さく頷く。

 

 「うん」

 

 それだけ言って、少しだけ笑った。

 

 「ちゃんと聞くよ」

 

 その一言で、十分だった。

 

 「……」

 

 息を整える。

 

 「……卯月」

 

 名前を呼ぶと、卯月はブランコに座ったまま、こっちを見た。いつも通りみたいに笑っているのに、その目だけは、ちゃんと次の言葉を待っていた。

 

 「俺、卯月といるの、好きだよ」

 

 「……」

 

 卯月は何も言わない。ただ、ブランコの鎖を軽く握ったまま、じっと聞いている。

 

 「卯月といるとさ、無理しなくていい気がするんだ」

 

 言葉を探しながら、でも、逃げないように続ける。

 

 「楽しいし、居心地がいいし……それだけでいいって、思えてしまう」

 

 「……うん」

 

 小さく頷く声が返ってくる。

 

 その相槌が優しくて、余計に胸が痛んだ。

 

 「たぶん、俺も卯月のこと、好きなんだと思う」

 

 言い切る。曖昧にしたくなかった。

 

 ここで濁したら、たぶん一番失礼になる。

 

 卯月の目が、ほんの少しだけ揺れた。

 

 「でも、それは……一緒にいたら楽しいとか、安心するとか、そういう“好き”なんだ」

 

 「……」

 

 「卯月と一緒にいると、俺、ずっと走り続けちゃう気がする」

 

 自分でも、変な言い方だと思った。

 

 でも、今の自分にはそれが一番近かった。

 

 「止まるのが怖くて、考えるのも怖くて……全部、楽しい方に流されそうになる」

 

 「……」

 

 卯月はまだ黙っている。けれど、その沈黙は拒絶じゃなかった。

 

 ちゃんと受け止めようとしてくれている沈黙だった。

 

 「それが悪いって言いたいわけじゃない」

 

 俺は首を振る。

 

 「卯月は、何も悪くない」

 

 「……うん」

 

 今度の返事は、少しだけ弱かった。

 

 「ただ……俺が卯月を選ぶと、卯月の人生まで、俺の臆病さに付き合わせる気がした」

 

 喉の奥が、少しだけ詰まる。

 

 「楽しいまま、ちゃんと自分を決めないで済む気がした」

 

 それでも、止めなかった。

 

 「俺さ……卯月の優しさに、甘えちゃう気がしたんだ」

 

 「……」

 

 沈黙が落ちる。

 

 公園の外を車が通る音がして、また静かになる。

 

 卯月は、ブランコのつま先を地面にこすらせたまま、しばらく俯いていた。

 

 それから、ぽつりと。

 

 「……そっか」

 

 そう言った。

 

 明るく言おうとして、少しだけ失敗した声だった。

 

 「……やっぱり、のどか、なんだよね」

 

 「……」

 

 否定できなかった。

 

 ごまかしたくもなかった。

 

 卯月は、そんな俺を見て、小さく笑った。

 

 泣きそうなのに、笑っていた。

 

 「卯月を選べないのは、卯月が足りないからじゃない」

 

 ようやく、それを言う。

 

 ずっと言わなきゃいけないと思っていた言葉だった。

 

 「俺が、立ち止まれる相手を必要としてたからだ」

 

 「……」

 

 卯月の睫毛が、わずかに震える。

 

 今にも泣きそうで、でも、ぎりぎりのところでこらえていた。

 

 それでも、最後にはちゃんと口元を持ち上げた。

 

 「そっかぁ……」

 

 力の抜けた声だった。でも、嫌いじゃない響きだった。

 

 「私、ちゃんと好きって言えてよかった」

 

 「……」

 

 「蓮真くん……きっしーが、逃げないで考えてくれたなら」

 

 一瞬だけ、卯月の目がまっすぐこっちを向く。

 

 「だって」

 

 そこで、少しだけ笑う。泣きそうなままの、卯月らしい笑い方で。

 

 「それが……私にとっての岸和田蓮真だから」

 

 胸の奥が、静かに締まる。

 

 たぶん、救われているのは俺の方だった。

 

 「……ありがとう」

 

 自然と、そう言っていた。

 

 「俺のこと、好きになってくれて」

 

 卯月が、一瞬だけ本当に泣きそうになる。

 

 でも、すぐに顔をくしゃっとさせて笑った。

 

 「……ずるいよ、きっしー」

 

 そう言って、鼻をすすりそうになるのをこらえてから、卯月は改めて背筋を伸ばした。

 

 ブランコから立ち上がる。

 

 俺の方をちゃんと見て。

 

 まっすぐに。

 

 「私、蓮真くんのこと、大好き!」

 

 その言葉は、最初に告白された時よりも、ずっと澄んで聞こえた。

 

 失うってわかっていて、それでも手放さないまま差し出された気持ちだった。

 

 だから俺は、何も軽く返せなかった。

 

 ただ、ちゃんと受け取るみたいに、頷いた。

 

 「……ありがとう」

 

 もう一度だけ、そう言う。

 

 卯月は、泣きそうな目のまま、それでも笑っていた。

 

 少しのあいだ、どちらも何も言わなかった。

 

 夕方の光は、さっきよりさらに薄くなっている。

 

 公園の遊具の影が長く伸びて、ブランコの下に落ちていた。風が吹くたび、鎖が小さく鳴る。

 

 卯月が、ふっと息を吐いた。泣くのを終わらせるみたいに。

 

 それから、いつもの少し弾んだ声で言う。

 

 「じゃあさ」

 

 「……ん?」

 

 「私、きっしーの親友第一号になる!」

 

 「……は?」

 

 思わず間の抜けた声が出た。

 

 卯月は気にした様子もなく、びしっと人差し指を立てる。

 

 「だって、きっしー、友だち少なそうだから!」

 

 「……余計なお世話だ」

 

 反射的に返すと、卯月は「やっぱり!」と笑った。

 

 その笑い方が、妙にいつも通りで、胸の奥が少しだけ痛くなる。

 

 けれど、その痛みは、さっきまでのものとは少し違っていた。

 

 「第一号ってなんだよ」

 

 「そのままだよ?」

 

 卯月は当然みたいに言う。

 

 「きっしーのいちばん最初の、ちゃんとした親友」

 

 「……順番つけるなよ」

 

 「えー、でも第一号って、なんか特別っぽくない?」

 

 「そういう問題か?」

 

 「そういう問題!」

 

 きっぱり言い切る。それから、卯月は少しだけ笑いを引かせた。

 

 さっきまでの明るさが、ほんの少しだけ静かなものに変わる。

 

 「……それに」

 

 今度は、言葉を選ぶみたいに少しだけ間を置いた。

 

 「きっしーと会えたこと、消したくないから」

 

 「……」

 

 その一言で、胸の奥がまた静かに締まる。

 

 卯月は、こっちを見て笑った。

 

 泣きそうなのに、ちゃんと笑えてしまうところが、やっぱり卯月だった。

 

 「きっしーとのこと、全部なかったことね、ってしたくない」

 

 「そんなの、絶対やだから」

 

 「きっしーと出会ったことも、遊びに行ったことも、話したことも、笑ったことも」

 

 「ぜんぶ、ちゃんとあったことだから」

 

 「……うん」

 

 やっと、それだけ返す。

 

 たぶん、今の俺に言える一番ちゃんとした返事だった。

 

 卯月はそれで十分だと思ったのか、少しだけ満足そうに頷いた。

 

 「だから、親友第一号」

 

 「勝手に決めるなよ」

 

 「だって、きっしー、ずっと一人で抱え込みそうだから!」

 

 図星だった。

 

 何も言い返せずにいると、卯月がくすっと笑う。

 

 「それに、親友なら」

 

 「……?」

 

 「これからも、きっしーがしんどそうな時に、空気読まずに話しかけていいってことでしょ?」

 

 「それは……まあ」

 

 「やった!」

 

 ぱっと、少しだけ本気で嬉しそうに笑う。

 

 その顔を見て、ようやく少しだけ肩の力が抜けた。

 

 「……卯月」

 

 「ん?」

 

 「親友第一号かどうかは知らないけど」

 

 「うん」

 

 「これからも、よろしく」

 

 一拍のあと、卯月の目が丸くなる。

 

 それから、今度こそ本当に嬉しそうに笑った。

 

 「うん!」

 

 その返事は、びっくりするくらい明るかった。

 

 さっき泣きそうだったのが嘘みたいに。

 

 でも、たぶん嘘じゃない。

 

 泣きそうなままでも、ちゃんと前を向けるのが、卯月なんだと思った。

 

 「じゃあ、きっしー」

 

 卯月はブランコから少し離れて、こっちに向き直る。

 

 「今日の私は、これでおしまい!」

 

 「……なんだそれ」

 

 「失恋した日の私!」

 

 「自分で言うなよ」

 

 「言った方が整理つくの!」

 

 そう言って、ひとつ大きく深呼吸をする。

 

 それから、わざとらしいくらい胸を張ってみせた。

 

 「明日からは、親友第一号の広川卯月だから!」

 

 「切り替え早いな」

 

 「空気読まないからね、私!」

 

 「開き直るな」

 

 言いながら、少しだけ笑ってしまう。

 

 卯月も、それを見て笑った。

 

 その笑顔は、少し赤くて、少し寂しそうで、それでもちゃんと前を向いていた。

 

 「……じゃあ、行ってきなよ」

 

 卯月が、ふとそんなふうに言った。

 

 「……え?」

 

 「のどかが、待ってるんでしょ?」

 

 「……」

 

 言葉に詰まる。

 

 卯月は、そんな俺を見て少しだけ肩をすくめた。

 

 「わかるよ、そのくらい」

 

 「私、空気読める時もあるし」

 

 「どっちだよ」

 

 「今日は、ちょっとだけ読める方」

 

 小さく笑う。

 

 「ちゃんと行って、ちゃんと話してきてね!」

 

 その言葉は、不思議なくらいまっすぐだった。

 

 もう、拗ねてもいないし、意地も張っていない。

 

 ちゃんと、自分の痛みを越えたところから言ってくれている声だった。

 

 「……ああ」

 

 静かに頷く。

 

 「行ってくる」

 

 「うん」

 

 卯月は、少しだけ手を振った。

 

 「いってらっしゃい、きっしー!!」

 

 その言い方が、あまりにも自然で。

 

 恋の終わりの台詞には、少しも聞こえなかった。

 

 だからこそ、余計に胸に残った。

 

 俺は一度だけ振り返って、それから公園を出た。

 

 緑道に戻る。

 

 さっきより少しだけ暗くなった道を、駅の方へ向かって歩き出す。

 

 新宿の雑踏が近づくたび、現実の輪郭がはっきりしていく。

 

 スマホを見る。

 

 時刻は、のどかとの約束までまだ少し余裕があった。

 

 それでも、足は自然と速くなる。

 

 小田急線に乗って、新宿から藤沢へ。

 

 車内の窓に映る自分の顔は、思ったより落ち着いて見えた。

 

 たぶん、卯月のおかげだった。

 

 さっきまで胸の奥にあった重さの形が、少しだけ変わっている。

 

 消えたわけじゃない。

 

 でも、ちゃんと受け取って、ちゃんと置いてこられた気がした。

 

 (……親友第一号、か)

 

 思い出して、少しだけ苦笑する。

 

 勝手で、明るくて、でも妙に救われる言い方だった。

 

 失ったものも、確かにある。

 

 でも、それだけじゃなかった。

 

 あいつは、終わり方まで卯月だった。

 

 電車が駅をいくつも通り過ぎていく。

 

 代々木上原、下北沢、登戸、新百合ヶ丘、町田。

 

 流れていく街の灯りを眺めながら、俺は静かに息を吐いた。

 

 次に会う相手は、もう決まっている。

 

 言うことも、たぶん決まっている。

 

 それでも、怖くないわけじゃなかった。

 

 卯月に話したあとだからこそ、その重さはむしろはっきりしている。

 

 でも、もう逃げたくはなかった。

 

 藤沢に近づくにつれて、胸の鼓動が少しずつ速くなる。

 

 窓の外の景色が、見慣れたものに変わっていく。

 

 川。低い建物。駅前の明かり。

 

 藤沢駅に着いた。

 

 ホームに降りる。

 

 夜の空気は、新宿よりも少しだけやわらかい気がした。

 

 改札を抜けて、北口の方へ向かう。

 

 人は多すぎず、少なすぎず。

 

 仕事帰りの人たちと、学生と、買い物帰りの誰かが行き交っている。

 

 その流れの向こうに、見慣れた金髪が見えた。

 

 街灯の下で、スマホを見ていたその姿が、ふと顔を上げる。

 

 のどかだ。

 

 「……」

 

 足が、ほんの一瞬だけ止まりそうになる。

 

 でも、止まらなかった。

 

 ここまで来たんだ。

 

 卯月とちゃんと話して、その先まで歩いてきた。

 

 だから、今度もちゃんと向き合うしかない。

 

 のどかが、こっちに気づく。

 

 ほんの少しだけ、目が揺れた。

 

 それから、何でもないみたいな顔を作ろうとして、たぶん少しだけ失敗する。

 

 そんな表情まで、妙にはっきり見えた。

 

 俺は、息を整える。

 

 もう一度だけ、胸の奥で言葉を確かめる。

 

 そして、そのまま、のどかの待つ方へ歩いていった。

 

 「……」

 

 数歩の距離だった。

 

 でも、その数歩がやけに長く感じた。のどかは、何も言わずにこっちを見ている。

 

 強がってるみたいな顔。

 

 でも、ほんの少しだけ不安が混ざっているのが分かる。

 

 「……遅かったね、蓮真」

 

 先に口を開いたのは、のどかだった。

 

 いつもより少しだけ低い声で。

 

 「……悪い」

 

 短く返す。

 

 それ以上、言い訳はしなかった。

 

 のどかは、少しだけ視線を逸らして、それからまた戻す。

 

 「……別にいいけど」

 

 そう言いながら、指先がわずかに落ち着かない。

 

 待ってた時間の分だけ、言葉が軽くなりきれていない。

 

 「……返事、してくれるんでしょ」

 

 先に言われる。

 

 でも、その声は少しだけ震えていた。

 

 「……ああ」

 

 息を整える。

 

 ここで逃げたら、たぶん全部が無駄になる。

 

 卯月と向き合った意味も、ここまで来た意味も。

 

 「……のどか」

 

 名前を呼ぶ。

 

 のどかの肩が、ほんの少しだけ揺れた。

 

 「……うん」

 

 短く頷く。

 

 のどかは、何も言わない。

 

 ただ、こっちを見ている。逃げ場を与えないみたいに。

 

 「……俺さ」

 

 ゆっくり、言葉を出す。

 

 「のどかといると、ちゃんと立ち止まれる気がする」

 

 「……」

 

 のどかの目が、少しだけ揺れる。

 

 「楽しいだけじゃなくて」

 

 「ちゃんと考えないといけない時に、逃げられないっていうか」

 

 「……」

 

 言いながら、自分でも分かっていた。

 

 これは、卯月に言った言葉とは逆の意味だ。

 

 「一緒にいると、楽な方に流れないで済む」

 

 「ちゃんと、自分がどうしたいか、考えさせられる」

 

 「……それ、褒めてる?」

 

 少しだけ拗ねた声で、のどかが言う。

 

 「……褒めてるよ」

 

 ちゃんと返す。

 

 のどかは、真っ直ぐこっちを見る。

 

 逃がさない目線だった。

 

 「……」

 

 一度だけ、息を吐く。それから。

 

 「俺さ、これから先も」

 

 言葉を選ばないように、でも逃げないように続ける。

 

 「ちゃんと立ち止まって、選びながら進みたい」

 

 「……」

 

 「楽な方に流れるんじゃなくて」

 

 「自分で決めて、その先をちゃんと引き受けたい」

 

 のどかは、何も言わない。でも、目を逸らさなかった。

 

 「その時に」

 

 一拍、置く。

 

 ここが一番大事なのは分かっていた。

 

 「……隣にいてほしいのは、のどかだと思った」

 

 「……」

 

 空気が、止まる。

 

 のどかは、すぐには何も言わなかった。

 

 ただ、目を見開いたまま、こっちを見ている。言葉の意味を、ひとつずつ確かめるみたいに。

 

 「……」

 

 俺も、それ以上は急がなかった。

 

 “好き”とは言わない。

 

 でも、ここで濁すつもりもなかった。

 

 のどかの喉が、小さく動く。それから、ゆっくりと息を吐いた。

 

 「……あたしさ」

 

 ぽつりと、言う。

 

 「蓮真は、卯月を選ぶと思ってた」

 

 「……」

 

 言葉が止まる。

 

 のどかは、少しだけ視線を逸らしたまま続ける。

 

 「だってさ」

 

 一拍置いて、少しだけ苦く笑う。

 

 「卯月といる時の蓮真、すごく自然で、楽しそうだったし」

 

 「卯月も、あのまんまの卯月でいられてたじゃん」

 

 「……」

 

 「なんかさ」

 

 もう一度、小さく息を吐く。

 

 「見てて、“あ、こっちなんだろうな”って思ってた」

 

 そのまま、ゆっくり視線を戻す。

 

 「だから」

 

 ほんの少しだけ、声が揺れる。

 

 「今日も、半分くらいは覚悟してた」

 

 「……」

 

 「振られる前提で、来てた」

 

 静かに、言い切る。そのあとで、少しだけ笑う。

 

 「……なのにさ」

 

 目の奥が、わずかに潤む。

 

 「ちゃんと来て、ちゃんとそれ言うんだから」

 

 ようやく出てきた声は、思ったよりずっと小さかった。

 

 「……ずるいよ、蓮真……」

 

 責めるみたいな言い方なのに、強さはなかった。

 

 むしろ、張っていたものが少しずつ緩んでいくみたいな、そんな声だった。

 

 「……悪い」

 

 そう返すと、のどかは少しだけ眉を寄せる。

 

 「悪い、じゃないから」

 

 視線が、ほんの少し揺れる。

 

 「……あたし、ずっと待ってたんだけど」

 

 「……うん」

 

 「ちゃんと、待ってたのに」

 

 「……うん」

 

 そこまで言って、のどかはふっと息を吐いた。

 

 怒りきれないみたいに。責めきれないみたいに。

 

 「……でも」

 

 少しだけ、唇の端が上がる。

 

 「……よかった」

 

 その一言が、いちばん本音だった。

 

 その瞬間。のどかの目元が、ほんのわずかに揺れた。

 

 こらえきれなかったみたいに、一粒だけ涙がこぼれる。

 

 「……」

 

 すぐに、指先で軽く拭う。

 

 見せるつもりはなかったみたいに。

 

 「……っ」

 

 小さく息を整えて、それから、もう一度こっちを見る。

 

 今度は、ちゃんと笑っていた。

 

 「……嬉しい」

 

 さっきより少しだけ震えた声だった。

 

 でも、その分だけ、誤魔化していない言葉だった。

 

 まっすぐ、そう言った。飾っていない声だった。

 

 「……」

 

 その一言で、胸の奥の何かが静かにほどける。

 

 「……待たせてごめん」

 

 ようやくそう言うと、のどかは小さく首を振った。

 

 「……ううん」

 

 「ほんとは、ちょっと文句言いたいけど」

 

 「今は、それより先に……安心した」

 

 少し照れたみたいに視線を逸らして、また戻す。

 

 「蓮真が、ちゃんと来てくれてよかった」

 

 「逃げないで、ちゃんと来てくれて」

 

 「……それが、一番嬉しいかも」

 

 その言い方が、のどからしかった。

 

 ただ返事の内容だけじゃなくて、そこに来るまでの俺の迷いごとを受け取っている。

 

 「……」

 

 俺は何も言えずに、ただ頷く。

 

 すると、のどかは少しだけ困ったみたいに笑った。

 

 「……なに、その顔」

 

 「いや……」

 

 「安心した、みたいな顔してる」

 

 「……してるんだろうな」

 

 正直に返すと、のどかはふっと笑う。

 

 「そっか」

 

 その笑い方は、強がりじゃなかった。

 

 「……じゃあ、よかった」

 

 そう言って、のどかは一度だけ小さく息を吐いた。張っていたものを、ようやく緩めたみたいに。

 

 少しだけ視線を落として、それからまた上げる。

 

 「……で」

 

 「……ん?」

 

 のどかが、ほんの少しだけ首を傾ける。

 

 「……ここから、どうするの?」

 

 その言い方は軽いのに、逃げ道はなかった。

 

 冗談っぽく聞いているようで、ちゃんと核心を突いている。

 

 「……」

 

 一瞬だけ、言葉に詰まる。

 

 でも、さっきまでとは違った。

 

 逃げたいからじゃなくて、ちゃんと答えようとして詰まっているだけだった。

 

 「……前さ」

 

 少しだけ視線をずらしながら、口を開く。

 

 「目黒川、一緒に行っただろ」

 

 「……うん」

 

 すぐに返事が来る。その声が、少しだけ柔らかい。

 

 「ああいうの」

 

 一度、言葉を区切る。

 

 「また、一緒に行こうと思ってる」

 

 「……」

 

 のどかが、少しだけ黙る。

 

 その沈黙は、考えてるっていうより、確かめてる感じだった。

 

 それから、ほんの少しだけ目を細める。

 

 「……それってさ」

 

 「……」

 

 わざと間を置いてから、続ける。

 

 「デートってことで、いいんでしょ?」

 

 少しだけ意地悪な言い方だった。

 

 でも、逃がさないための問いでもあった。

 

 「……ああ」

 

 短く、そう答える。ごまかさない。

 

 のどかの目が、ほんの少しだけ揺れる。

 

 「……そっか」

 

 小さく呟く。

 

 それから、すぐに顔を上げて。

 

 「じゃあさ」

 

 「……?」

 

 「ちゃんと言ってよ」

 

 少しだけ頬を膨らませる。でも、その奥はちゃんと嬉しそうだった。

 

 「そういうの、曖昧にするの嫌だから」

 

 「……」

 

 一瞬だけ、息を吸う。

 

 それから、今度は逃げずに、ちゃんと、言い直す。

 

 「……のどか」

 

 名前を呼ぶと、のどかがまっすぐこっちを見る。

 

 「一緒に、デート行こう」

 

 「……」

 

 ほんの一瞬だけ、時間が止まる。

 

 そのあとで。のどかが、少しだけ顔を逸らした。

 

 「……うん」

 

 小さく頷く。それだけなのに、やけに重みがあった。

 

 「……楽しみにしてる」

 

 付け足すみたいに、そう言う。

 

 照れを隠しきれていない声だった。

 

 「……俺も」

 

 自然と、そう返す。

 

 その会話だけで、十分だった。

 

 何かを決めた、っていう実感が、ようやく形になる。

 

 のどかが、少しだけ歩き出す。

 

 「……ね、どこ行く?」

 

 振り返らずに聞いてくる。

 

 「まだ決めてない」

 

 「なにそれ」

 

 くすっと笑う。

 

 その笑い方は、さっきまでよりずっと軽かった。

 

 「じゃあさ」

 

 「……?」

 

 「考えるとこから、一緒にやろ」

 

 振り返って、そう言う。

 

 その顔は、もう不安じゃなかった。ちゃんと、前を向いている顔だった。

 

 「……ああ」

 

 頷く。並んで歩く。

 

 藤沢の夜は、少しだけ静かで。

 

 でも、その静けさの中に、ちゃんと次の時間が続いていた。

 

 ——同じ時間。

 

 玄関のドアが開く。

 

 「ただいまー」

 

 いつも通りの声だった。

 

 少しだけ弾んでいて、何も変わっていないみたいな声。

 

 靴を脱いで、リビングに入る。

 

 「おかえり、卯月」

 

 キッチンから卯月の母親が顔を出す。

 

 「遅かったわね。今日はオフだったんでしょ?」

 

 「うん、ちょっとねー」

 

 軽く笑って返す。

 

 バッグをソファに置く動きも、いつもと同じ。

 

 「ご飯、どうする?」

 

 「あとでいいや。先にお風呂……」

 

 そこまで言いかけて。

 

 「……卯月」

 

 呼び止められる。

 

 「……蓮真くんと、どうだった?」

 

 その一言だった。何を、とは言わない。

 

 でも、全部わかってしまう問いだった。

 

 「……」

 

 一瞬だけ、止まる。

 

 「……なにがー?」

 

 軽く返す。笑ったまま。

 

 でも、ほんの少しだけ声が揺れていた。

 

 母親は何も言わない。ただ、静かに近づく。

 

 「……」

 

 卯月は、目を逸らしたまま動かない。

 

 そのまま、何も言えずにいる。そして。

 

 母親が、何も言わずにそのまま抱き寄せた。

 

 「……っ」

 

 その瞬間だった。

 

 「……っ、ぁ……」

 

 卯月の呼吸が、崩れる。

 

 「……っ、ぅ……っ」

 

 さっきまで必死に保っていたものが、音を立てて壊れる。腕の中で、体が小さく震える。

 

 「……っ、ごめ……っ」

 

 言葉にならないまま、声が漏れる。

 

 「……っ、うまく……できなかった……っ」

 

 母親は、何も言わない。

 

 ただ、少しだけ強く抱きしめる。逃げ場を作らないみたいに、でも優しく。

 

 「……っ、ちゃんと……笑ってたのに……っ」

 

 「……っ、最後まで……っ」

 

 声が途切れる、息が詰まる。

 

 それでも、止まらない。

 

 「……っ、なのに……っ」

 

 そのまま。

 

 「……っ、ぁ……っ」

 

 卯月は、完全に崩れた。

 

 母親の胸に顔を押しつけて、声を殺そうとして、でも殺しきれずに。

 

 わんわんと泣いた。子どもみたいに。

 

 「……っ、好き……だったのに……っ」

 

 その一言だけが、はっきり聞こえた。

 

 母親は、背中をゆっくり撫でる。

 

 何も言わない。慰めもしない。

 

 ただ、ここにいていいと伝えるみたいに。

 

 「……っ、ぁ……っ」

 

 卯月は、そのまま泣き続ける。

 

 肩を震わせて、息を詰まらせて。

 

 さっきまでの、空気読まない明るさなんて、どこにもない。

 

 ただの、失恋した女の子だった。

 

 「……っ、でも……っ」

 

 しばらくして、少しだけ呼吸が戻る。それでも、涙は止まらないまま。

 

 「……ちゃんと……言えたから……っ」

 

 「……っ」

 

 母親の服を、ぎゅっと掴む。

 

 「…………よかった……っ」

 

 泣きながら、少しだけ笑う。

 

 ぐしゃぐしゃのままの笑顔だった。

 

 母親は、ようやく小さく息を吐く。

 

 そして、もう一度だけ、優しく抱きしめ直す。

 

 「……頑張ったね、卯月」

 

 それだけ言う。それで、十分だった。

 

 「……っ」

 

 卯月は、そのまま母親にしがみつくみたいにして、もう一度強く泣いた。

 

 今度は、少しだけ安心したみたいに。

 

 部屋の明かりは、やわらかく灯っている。

 

 外の夜は、変わらず続いていた。

 

 二月二十八日

 

 夕方の店内は、学校帰りの学生と仕事終わりの客が少しずつ混ざりはじめる時間帯だった。

 

 ファミレスの自動ドアが開くたび、外の冷たい空気が少しだけ流れ込んで、すぐに店内の油とコーヒーの匂いに溶けていく。

 

 俺はホール側で伝票をまとめながら、ちらりと入口を見る。

 

 今日は、花楓ちゃんと古賀も同じシフトに入っていた。

 

 花楓ちゃんは、慣れた手つきでドリンクバーの補充をし、さっきシフトに入ったばかりの古賀も自然にフロアを回っていた。

 

 「きっしー先輩、これ下げていいですか?」

 

 「いいよ。三番テーブル、会計終わってるから」

 

 「了解」

 

 古賀が軽く返して動く。

 

 その横を、花楓ちゃんがトレーを持って通り過ぎた。

 

 「蓮真さん、厨房から、七番さんのハンバーグです」

 

 「ありがとう」

 

 短く受け取る。

 

 花楓ちゃんは、それ以上何も言わなかった。

 

 昨日のことも、一昨日のことも、聞かない。

 

 聞いていないけど、たぶん何かが変わったことは察している。

 

 それでも、踏み込まない。

 

 その距離感が、花楓ちゃんらしかった。

 

 「……」

 

 俺も何も言わず、七番テーブルに料理を運ぶ。

 

 注文の追加、会計、下げもの。

 

 やることが途切れずにある方が、ありがたかった。

 

 余計なことを考えずに済むからだ。

 

 その時だった。

 

 自動ドアが開いて、明るい声が店内に飛び込んできた。

 

 「こんばんはー!」

 

 反射的に顔を上げる。

 

 そこに立っていたのは、キャップを被ってマスクをつけた卯月だった。

 

 ラフな私服に、大きめのバッグ。たぶんレッスン帰りなのだろう。

 

 だが、目元だけで十分わかる。

 

 卯月はこっちを見つけるなり、ぱっと手を振った。

 

 「きっしー!」

 

 「……お前、なんで来てんだよ」

 

 思わずそのまま口から出る。

 

 卯月は悪びれもせず、当然みたいに言った。

 

 「調査!」

 

 「……は?」

 

 「きっしーが浮気してないかの調査!」

 

 店の入口で堂々と何を言ってるんだこいつは、と思う。しかも声量をまったく調整していない。

 

 近くの席の客が一瞬だけこっちを見る。

 

 「声でかいんだよ」

 

 「えー、でも大事でしょ?」

 

 「大事じゃねえよ」

 

 「大事だよー。親友第一号としては、そこちゃんと見とかないと!」

 

 「……お前な」

 

 呆れながら近づくと、卯月はマスクを少しだけ下げて、いたずらっぽく笑った。

 

 「ちゃんと来たでしょ?」

 

 「……来なくていいとこまで来るな」

 

 「空気読まないからね、私!」

 

 開き直り方まで昨日の続きみたいで、思わず息が抜けた。

 

 そのやり取りを少し離れたところから見ていた花楓ちゃんが、ほんの少しだけ目を丸くしていた。

 

 でも、すぐにその表情はやわらかく整う。

 

 たぶん、全部察したのだ。

 

 卯月の声の明るさと、距離の取り方と、俺の返し方で。

 

 昨日、何かが終わって、でも壊れたわけじゃないことを。

 

 花楓ちゃんは何も言わない。

 

 ただ、少しだけ安心したみたいに微笑んだ。

 

 その時、下げものを終えた古賀が、こっちに近づいてきた。

 

 「きっしー先輩、そのお客さん……って」

 

 そこで、古賀の動きが止まる。

 

 「……え?」

 

 卯月は、すぐに古賀の方を向いた。

 

 ぱっと、営業モードみたいな明るい笑顔になる。

 

 「はじめまして!」

 

 唐突にぺこっと頭を下げる。

 

 「きっしーの親友第一号の、広川卯月です!」

 

 「親友第一号を名乗るな」

 

 思わず横から突っ込むと、卯月は「だってそうだもん」と当然みたいに返す。

 

 古賀は一瞬ぽかんとして、それから「もしかして……」と目を瞬かせた。

 

 「広川卯月って……あの、づっきー、ですか?」

 

 「そうだよー!」

 

 卯月がにこっと笑う。

 

 「知ってる?」

 

 「知ってるも何も、めっちゃ知ってます……」

 

 古賀が少し慌てたように言う。

 

 「花楓ちゃんにライブ映像見せてもらったことあるし、この前のイヤホンのCMも観ましたし……最近TVでも普通に見かけるし……」

 

 「あ、ほんと?」

 

 卯月は嬉しそうに目を輝かせる。

 

 「やったー!」

 

 古賀は、少しだけ緊張したまま頭を下げた。

 

 「その……この前、大学の推薦合格祝いで、きっしー先輩経由でワイヤレスイヤホンもらって……ありがとうございました」

 

 「てことは、あなたが古賀さん?」

 

 「はい。古賀朋絵です」

 

 「イヤホン、使ってくれてる?」

 

 「めっちゃ使ってます!」

 

 「よかったー!」

 

 卯月は本気で嬉しそうだった。

 

 その反応が完全に素で、古賀の緊張も少しだけ緩む。

 

 「朋絵ちゃん、って呼んでいい?」

 

 「は、はい」

 

 「今度ライブ来てよ!」

 

 「え?」

 

 「なんだったら今チケットあるから!」

 

 言うが早いか、卯月はバッグをごそごそ漁りはじめた。

 

 「おい待て」

 

 俺が止めるより早く、卯月は封筒を取り出していた。

 

 「ほら!」

 

 そこから、ライブチケットを何枚かまとめて引っ張り出す。

 

 「朋絵ちゃんの分と、花楓ちゃんの分と、きっしーの分!」

 

 「いや俺の分はなんだよ」

 

 「きっしーは強制参加でしょ?」

 

 「勝手に決めるな」

 

 「だって来るじゃん」

 

 「……まあ行くけど」

 

 「ほらー!」

 

 勝ち誇ったみたいに言うな。

 

 卯月はそのまま、困惑気味の古賀の手にチケットを押しつけようとする。

 

 古賀は明らかに受け取っていいのか迷っていた。

 

 「え、あの、いいんですか、そんな急に」

 

 「いいよいいよ!」

 

 「でも……」

 

 「来てほしいし!」

 

 勢いがすごい。というか、ほぼ押し売りである。

 

 それを見て、俺はさすがに口を挟んだ。

 

 「お前、古賀が困ってるだろ」

 

 「え?」

 

 卯月が心外そうな顔で古賀を見る。

 

 古賀は「いや、困ってるっていうか……」と露骨に困っていた。

 

 「ほら見ろ」

 

 「えー、でもライブ楽しいよ?」

 

 「そういう問題じゃねえんだよ」

 

 「えっ、そうなの?」

 

 「そうだって」

 

 そこで、少し離れたところにいた花楓ちゃんが、控えめに会話へ入ってくる。

 

 「卯月さん」

 

 「あ、花楓ちゃん!」

 

 「朋絵さんも、びっくりしてるだけで、行きたくないわけじゃないと思います」

 

 「ほんと?」

 

 卯月がぱっと古賀を見る。

 

 古賀は少しだけ笑って、ようやく落ち着きを取り戻した。

 

 「……びっくりはしたけど、普通に行ってみたいかなぁ、づっきーのライブ」

 

 「ほんとに!?」

 

 「はい」

 

 「やったー!」

 

 また全力で喜ぶ。

 

 その喜び方があまりに素直すぎて、古賀もつられて笑ってしまっていた。

 

 花楓ちゃんも小さく微笑む。

 

 「じゃあ、朋絵さんの分、受け取りますね」

 

 花楓ちゃんが間に入って一枚受け取り、古賀にも渡す。

 

 流れが綺麗すぎる。助かった。

 

 「花楓ちゃんの分も、ちゃんと来てよ!」

 

 「はい。楽しみにしてます」

 

 「きっしーもね!」

 

 「だから俺は最初から行くって言ってるだろ」

 

 「浮気調査も兼ねてるから!」

 

 「まだ言ってんのか」

 

 古賀が吹き出しそうになるのを堪え、花楓ちゃんが少しだけ肩を揺らして笑う。

 

 店の空気が、少しだけ明るくなる。

 

 その中心にいるのは、やっぱり卯月だった。

 

 昨日あんなふうに泣きそうだったとは思えないくらい、いつも通りで、空気をかき回して、勝手に人の距離を縮めていく。

 

 でも、俺には分かる。

 

 それが、何もなかったからじゃないことも。

 

 ちゃんと泣いて、ちゃんと受け止めて、それでも前を向いてここに来ていることも。

 

 「……で、何食うんだよ」

 

 俺がそう聞くと、卯月はメニューも見ずに言った。

 

 「ドリンクバー!」

 

 「いや、それだけで来るなよ」

 

 「あとポテト!」

 

 「子どもか」

 

 「えぇ!私、ちゃんとライブ帰りのアイドルだよ?」

 

 「そこは疑ってない」

 

 「じゃあ大事にして!」

 

 「してるだろ、十分」

 

 そう返した瞬間、卯月が一瞬だけ目を丸くして、それから少しだけ笑った。

 

 ほんの少しだけ。昨日から今日にかけての全部を知ってるやつにしか分からない、静かな笑い方だった。

 

 「……そっか」

 

 小さく、そう言う。

 

 でも次の瞬間には、またいつもの調子に戻る。

 

 「じゃあ、きっしー!ポテト大盛りで!」

 

 「調子乗るな」

 

 「親友第一号特権!」

 

 「そんなもんねえよ」

 

 古賀が「きっしー先輩、ほんとに大変だね……」と半分呆れたみたいに呟き、花楓ちゃんが「でも、楽しそうです」と静かに言った。

 

 その一言に、俺は少しだけ言葉を失う。

 

 たぶん、そうなんだと思う。

 

 大変で、振り回されて、でも、確かに楽しい。

 

 そういうやつが、広川卯月だった。

 

 その後、卯月は、結局ドリンクバーだけで済むはずもなく。

 

 ポテトに加えて、チョコパフェ、パンケーキまで頼んだ。

 

 「お前、食いすぎだろ」

 

 「だって今日は特別だから!」

 

 「何が特別なんだよ」

 

 「親友第一号の日だから!」

 

 「理由になってねえよ」

 

 「なるよ!エネルギー使ったもん!」

 

 「堂々と言い切るな」

 

 古賀が隣で吹き出して、花楓ちゃんが小さく笑う。

 

 店の空気が、自然に和む。

 

 いつも通りみたいに。でも……

 

 「……」

 

 ほんの一瞬だけ。

 

 卯月がスプーンを持つ手を止めたのを、俺は見逃さなかった。

 

 でもすぐに、卯月は何事もなかったみたいにまた食べ始めた。

 

 (……ほんと、強えな)

 

 そう思う。

 

 無理してるんじゃない。

 

 ちゃんと受け止めた上で、前に進んでる。

 

 だから余計に、こっちが言えることは何もなかった。

 

 一時間ほど過ぎてから、卯月が席を立つ。

 

 「じゃあねー!」

 

 「気をつけて帰れよ」

 

 「うん!」

 

 出口のところで、ふと立ち止まる。

 

 それから、くるっと振り返って。古賀に向かって自然に歩み寄る。

 

 「じゃあ朋絵ちゃん!」

 

 距離が近い。相変わらず遠慮がない。

 

 「ライブ、ほんとに来てね!」

 

 「は、はい……!」

 

 「絶対楽しいから!」

 

 にこっと笑う。

 

 その笑顔は、営業でも作り笑いでもなくて、ちゃんと、卯月のままだった。

 

 「花楓ちゃんも!」

 

 「はい!」

 

 「きっしーも!」

 

 「だから行くって言ってるだろ」

 

 「よし!」

 

 満足そうに頷いて、そのまま外に出ていく。

 

 ドアが閉まる。外の夜が、ガラス越しに戻ってくる。

 

 「……」

 

 少しだけ、静かになる。その沈黙を破ったのは、古賀だった。

 

 「づっきー、ほんとにあのまんまなんだね」

 

 呆れ半分、感心半分。

 

 花楓ちゃんは、少しだけ考えてから。

 

 「はい」

 

 小さく頷く。それから、ほんの少しだけ間を置いて。

 

 「……でも」

 

 視線を、さっき卯月がいた席に向ける。

 

 「今日はたぶん、少しだけ違いました」

 

 「……え?」

 

 古賀が聞き返す。

 

 でも花楓ちゃんは、それ以上は言わなかった。

 

 ただ、小さく笑うだけだった。

 

 「……」

 

 俺は何も言わない。でも、その意味は分かっていた。

 

 バイトが終わって、休憩室。

 

 スマホが震える。画面を見る。

 

 のどか。

 

 《お疲れ様、蓮真》

 

 《デートだけどさ、場所決まった?》

 

 少しだけ、息を吐く。

 

 さっきまでの空気とは違う、静かな時間。

 

 でも、逃げる理由はもうない。指を動かす。

 

 《まだだけど》

 

 《無難に、江ノ島水族館行って、そのまま江の島回って》

 

 《七里ヶ浜で夕焼けでも見るか》

 

 送る。少し間があって、すぐに既読がつく。

 

 《いいじゃん》

 

 《それ、普通に楽しそう》

 

 《決定だね!》

 

 短い返信。でも、それだけで十分だった。

 

 「……」

 

 スマホを閉じる。

 

 胸の奥が、少しだけ軽くなる。

 

 昨日と今日で、いろんなものを失って、いろんなものを選んだ。

 

 それでも……今、ちゃんと手の中に残ってるものがある。

 

 「……」

 

 ふと、思う。

 

 (……こういうのでいいんだよな)

 

 特別じゃなくていい。派手じゃなくていい。

 

 ただ、一緒にいて、次の予定を考えて。

 

 それだけで満たされる時間。

 

 それが、たぶん。

 

 「……」

 

 小さく息を吐く。

 

 (……これが、幸せってやつか)

 

 そう思った。

 

 帰り道。夜風は冷たくて、でもどこか心地よかった。

 

 駅へ向かう途中、ふと立ち止まる。

 

 「……?」

 

 理由は分からない。

 

 ただ、足が止まった。

 

 さっきまで普通に歩いていたのに、何かに引っかかったみたいに。

 

 「……」

 

 周りを見る。

 

 特に何もない。

 

 いつもの帰り道。

 

 見慣れた街灯。通り過ぎる人。

 

 「……なんだよ」

 

 小さく呟く。

 

 でも、その違和感はすぐに消えた。

 

 気のせいみたいに。

 

 「……幸せ、か……」

 

 歩き出す。

 

 さっきと同じ道。さっきと同じ夜。

 

 でも……ほんの一瞬だけ。

 

 頭の奥で、何かが引っかかった。

 

 ——この時間が、ずっと続けばいいのに。

 

 そう思った、その瞬間。

 

 わずかに、ほんのわずかにだけ、何かが、ズレた気がした。

 

 「……」

 

 足は止まらない。

 

 そのまま、家へ向かって歩いていく。

 

 夜は、何も知らないみたいに静かだった。

 

 

————————

 

 

ずっと嘘みたいな うろ覚えの歌

 

ふと唐突醒めた夢

 

ずっと泣いてたかった 句点のない世界

 

そっと解く 君の腕

 

本当は離れ離れ

 

引き裂かないで

 

寄せて 返して返して!

 

傲慢なんだ

 

水平線は僕の古傷 

 

まだ青く 溢れるmonologue

 

僕はこのまま 象られてくだけなの?

 

それじゃいっそ

 

ずっと知らなかった みんなが好きな歌

 

君も歌えたんだね

 

もっと泣いてたかった 融点のない世界

 

茫洋 あの影は誰

 

いつも流れ任せ

 

曖昧がいい

 

寄せて 返して返して!

 

ちょっと怖い

 

水平線は僕の古傷

 

押し寄せた 言葉の波間

 

君はそれでも やさしかったね

 

少し今 そっちへ踏み出すから

 

水平線は僕の古傷

 

足跡は ふたりのdialogue

 

何も残せない それでも僕は僕だと

 

思えたら

 

行間の透明な言葉や

 

誰かの超音波

 

共感できないこと

 

わかりたくないこと

 

あの歌も僕の古傷

 

消したいのに 消えないでほしい

 

波と砂浜 境界線は

 

まるで今 手と手を繋ぐみたい

 

水平線は僕の古傷

 

まだ青く 溢れるmonologue

 

僕はこのまま象られない

 

自由で ありのままの形になりたい

 

 

————————

 

 

次回

『青春ブタ野郎はソアリングメモリーの夢を見ない』

 

豊浜のどか

『さすが蓮真、ブタ野郎だね』

広川卯月

『さすがきっしー、ブタ野郎だね』

 




この章をもって、『青春ブタ野郎はハピネスフォビアの夢を見ない』の物語は一区切りを迎えます。

時系列でいえば、大学一年生の二月のお話しです。

この章では、蓮真・のどか・卯月の三人の関係に、一つの答えを出すことを描きました。

ここまで積み重ねてきたものを踏まえたうえで、それでも「選ぶ」という行為から逃げないこと。そして、その選択が誰かを救うと同時に、誰かを傷つけることからも目を逸らさないこと。

三人それぞれの立場での「好き」の形と、その終わらせ方、残し方を丁寧に描くことを意識した章になっています。

また、本章の舞台や空気感については、アニメ『青春ブタ野郎はサンタクロースの夢を見ない』のBlu-ray購入特典の、『青春ブタ野郎はバレンタインデーの夢を見ない』、そしてスペシャルイベント『青春ブタ野郎はイルミネーションの夢を見ない』の生アフレコ劇で描かれた、二月の藤沢と横浜という時間軸や雰囲気を強く意識し、その設定を踏まえたうえで物語を構築しました。

横浜の夜景や、冬の終わりに近づく藤沢の街の空気、その中で揺れる感情というのは、青ブタの世界観においても非常に象徴的な要素だと思っています。

本作でも、それを自分なりに再解釈し、蓮真の物語として落とし込むことを試みました。

そして、この章で恋愛の決着が描かれた一方で、物語としては、ここからが本当の意味での核心に入っていきます。

タイトルにもある「ハピネスフォビア」。

幸福を選んだことそのものが、どのような意味を持つのか。

この先、蓮真が直面するものは、これまで以上にシビアで、しかし同時に、これまでの積み重ねがすべて問われる展開になっていきます。

次回から、いよいよ山場です。

感想や考察など、一言でもいただけたら、次章を書くうえで大きな励みになります。

これからも、岸和田蓮真の視点が照らす青春に、どうぞお付き合いいただければ幸いです。

蓮真は最終的にどちらを選ぶと思いますか?

  • 豊浜のどか
  • 広川卯月
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