正義はめぐる   作:萌花千

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9話 面倒な奴にあった

 

ロキ・ファミリアからの調査依頼を受けてから一日が経った。

 

 私が必死にダンジョンの知識を頭に叩き込んでいる間に、出発準備は着々と進んでいった。

 

 廊下のあちこちから、誰かの声や物音が響く。

 輝夜さんは魔剣やその他の装備を手際よくまとめ、研ぎ澄まされた刃を光にかざしては満足そうに頷く。

 ライラさんは荷袋をいくつも肩にかけて出たり入ったりし、回復薬やマジックアイテムを買い揃えていた。

 リオンさんは他のメンバーを束ねて食料の調達を指揮し、乾燥肉や干し果実、保存食を次々と確認していく。

 アリーゼさんは全体を見渡し、リストを片手に「これがまだね」「こっちは済んだわ」と的確に指示を飛ばしていた。

 

 誰もが自分の役目をこなし、迷いなく動いている。

 その空気は活気にあふれていて、家中が遠足前夜みたいに賑やかだった。

 笑い声も時折混じり、士気は自然と高まっていく。

 玄関には荷物が次々と積まれていき、山ができあがっていた。

 もう少しであの山が天井に届くんじゃないか、なんて思わず笑ってしまった。

 胸が少しだけ高鳴る。これが“冒険へ向かう準備”なんだって実感があったから。

 

 ……その時。

 

 廊下の奥から、重たい靴音が響いてきた。

 その音が近づくにつれて、胸の高鳴りが一気に冷や水を浴びせられたみたいに萎んでいく。

 

「……アレス」

 

 アリーゼさんが小さくつぶやき、顔を向ける。

 

 姿を現したアレスの手には、やっぱり酒瓶。

 アルコールの匂いが距離を置いていても鼻を刺す。

 彼の存在が空気を一瞬で変える。

 さっきまで弾んでいた空気が、まるで糸が切れたみたいに静まり返った。

 

 みんなが次々と顔を出す。けれど誰も何も言わない。

 視線を交わすこともせず、ただ眉をひそめて顔をしかめるだけ。

 

「アリーゼ、俺も行く。食料を追加しておけ」

 

 酒をグビグビと喉に流し込みながら、それだけ短く言い放つと、アレスは踵を返して去っていった。

 

 残された空気はどこか淀んでいて、さっきまでの高揚感が一気に色あせてしまった。

 私は思わず小さく息を吐く。

 ……また、あいつがいるんだ。

 

 

「アリーゼ、それでどうするのですか?」

 

 アレスの背中が暗闇に消えたあと、リオンさんがアリーゼさんに問いかけた。

 

「どうするって?」

 

 リオンさんの抽象的な問いかけに私が首をかしげると、代わりに輝夜さんが答えてくれる。

 

「あの野蛮な男を連れていくかどうか、だ。準備はほぼ整っている。日の出を待つ必要はない」

 

 ……え、つまりアレスさんを置いていくってことですか?

 私は内心で大きく頷いた。大賛成だ。でも、あとが怖そう。

 

 脳裏に浮かんだのは――置き去りにされたアレスさんが鬼の形相で追いかけてくる光景。

 ひぃ、絶対ヤバいやつだ。

 

「別に深く考えなくてもいいだろ。今までだって何度か置いていってるんだからよ」

 

 ライラさんが肩の力を抜いたように言う。

 それに対し、アリーゼさんは難しい顔をしたまま沈黙していた。

 

「まじですか……」

 

 あの傲岸不遜でおっかない人を無視するとか、普通できないでしょ。みんな肝が据わりすぎ。

 

「まあ、その度に酷い目にはあったがな」

 

 輝夜さんがふっと微笑み、他の人たちもそれにつられて笑みを浮かべる。

 

「え、アレスさんにあとで酷いことされたってことですか?」

 

「いいえ、違うわ」

 

 輝夜さんたちが答える前に、アリーゼさんが静かに口を開いた。

 ようやく言葉を紡いでくれたのだと、私は思わず彼女の顔を覗き込む。

 

 その表情はとても柔らかく、どこか懐かしそうだった。

 

「実はね――」

 

 アリーゼさんは、私がまだ知らないアストレア・ファミリアの過去を語り始めた。

 

 まだ団員がいなかった頃。アリーゼさんとアレスさん、二人しかいなかった時代。

 アリーゼさんは基本的に一人で行動していて、アレスさんが街の巡回やダンジョンに同行することはなかった。

 

 けれど、ごくたまに、唐突に「一緒に行く」と言い出すことがあったのだという。

 そのときは決まってトラブルに巻き込まれた。新種のモンスターが現れたり、地面が崩落して下層へ落とされたり……。

 

 最初は偶然だと思っていたアリーゼさんも、二度三度と続けば疑念は確信に変わった。

 アレスさんが同行すると、必ず“イレギュラー”が起こる。

 

 けれど、やがて仲間が増え、状況は変わっていった。

 

 アレスさんの態度は団員が増えるたびに悪くなり、仲間たちとの対立も深まった。

 彼が「行く」と言っても、無視してダンジョンに向かうこともあったという。

 

 その結果、当時の彼らでは対応できない強敵に遭遇し、生死の境をさまよった。

 時には必死に逃げ、時には一丸となって戦い、なんとか勝利をもぎ取った。

 

 死者はまだ出ていない。けれど、誰かが大怪我を負い、数日間も目を覚まさなかったことは一度や二度ではなかった――。

 

 

 

 つまり、アレスさんの「同行する」という発言は、この探索がただの遠足では終わらない――そんな証明みたいなものなんだ。

 

「え? それだったら絶対に同行してもらった方がいいじゃないですか。躊躇う理由なんてなくないですか?」

 

 思わず口を突いて出た。

 

 だって、正直言って私はアレスさんが嫌いだ。

 酒臭いし、横柄だし、キモいし、うざい。

 でも……その強さは本物だ。いや、本物どころか一級品。

 命が懸かっている以上、安全には代えられない。

 

「そうだな。しかし、奴を連れていくと闇派閥の活動が活発になる」

 

「あー……なるほどです」

 

「性格は腐っていても、実力は折り紙付きだからな」

 

 輝夜さんの言葉にうなずく。

 都市最強と呼ばれる男がダンジョンに潜る――それはつまり、オラリオに大きな隙が生まれるってことだ。

 

「それに、奴が同行すれば……いざ危機が訪れても、一人で片付けてしまう」

 

「それ、いいことじゃないですか?」

 

「いや、私たちの成長につながらない」

 

 なるほど……。

 そういう考え方もあるのか、と私は唸った。

 

 その後もライラさんや輝夜さんが、アレスさんを同行させるメリットとデメリットを整理してくれた。

 

メリット

 安全の確保

 

デメリット

 オラリオに大きな隙ができる

 成長の機会を奪われる

 そして……アレスと一緒にいなきゃならない

 

 こうやって書き出すと、デメリットの方が圧倒的に多く見える。

 でも実際は違う。安全の確保という一点、その重みがとんでもなく大きいのだ。

 

 実際、過去の探索で生死を彷徨ったことのあるマリューさん、セルティさん、イスカさんの三人はアレスさんの参加に賛成していた。

 普段あんなにアレスの悪口を言っているくせに――いや、だからこそ説得力があるのかもしれない。

 

 そして、たぶん私は三人と同じ考えだ。

 アレスとの模擬戦で感じたけど、アリーゼさんたちの戦い方は、正直あまり優秀とは言えない。

 隙や危うさが目につく。

 

 昔、村の人たちと狩りをしていたことがあるけど……そのときと比べても、彼女たちの戦い方は質が悪いように思えてしまう。

 もちろん、動物を狩るのとモンスターを相手にするのは全然違う。

 それでも――どうしても不安になるのだ。

 

 

その後も、アレスを参加させるかどうかについては、延々と議論が続いた。

 

 反対の声を強くあげていたのは、輝夜さん、ライラさん、リオンさんの三人だ。

 三人の意見はほとんど同じで――「アレスに頼っていては成長できない」「彼に依存するのは良くない」というものだった。

 

 話を聞いていてすぐにわかった。

 この三人は他の誰よりも責任感が強い。だからこそ、厳しい言葉を選んでいるんだ。

 

 今のアレスさんの状態を考えれば、いつファミリアを抜けてもおかしくない。

 毎日酒をあおって、ぐうたらして、やる気なんて欠片も見せない。

 逆に、どうしてまだ所属しているのかが不思議なくらいだ。

 

 でも……もし本当に唐突にアレスが抜けたとしたら?

 そのとき、肝心なところで彼に頼ってきた私たちは――間違いなく詰む。

 

 とくに、闇派閥との闘い。

 あれはアレスがいるからこそ抑えられている部分が大きい。

 彼が抜けた瞬間、活動が活発になるのは火を見るより明らかだ。

 そうなれば、今の戦力では輝夜さんたちでも抑えきれない。

 きっと彼女たちは、その未来を誰よりも理解しているんだろう。

 

 私は、ただ黙って聞きながら、胸の奥がざわついて仕方なかった。

 安全と成長――どっちを選んでも犠牲はある。

 

「今回はティスリアもいるわ!」

 

 堂々と響く声に、議論の空気が一瞬にして断ち切られた。

 アリーゼさんだ。

 

 その言葉に、私もハッと顔を上げた。

 自分の名前が出たことに驚いて、心臓が跳ね上がる。

 

 輝夜さんはしばし黙り、そして苦虫を噛み潰したような顔をする。

 彼女の表情が、胸にズシリと刺さった。

 

 ――結局。

 アリーゼさんの一言で、アレスを連れていく方向に話は進んでしまった。

 

 私の存在が、その決定の理由のひとつになってしまった。

 その重さに、思わず喉がカラカラになる。

 

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