「洗礼だ」
都市最強の男がそう呟いた途端、両壁の岩肌から黒い穴が穿たれるように裂け、そこからモンスターが次々と湧き出してきた。
一階層で見たゴブリンから、十九階層で苦戦したバグベアーまで――。
その種類は多岐にわたり、まるでこれまで歩んできた冒険の総決算のようだった。
咆哮と唸り声が混じり合い、足音が地を震わせる。耳が割れそうな騒音が、一匹の巨大な生物が呻いているかのように響き渡る。
数を数える余裕なんてなかった。
ただ、あまりの多さに足が竦む。
五や十ではない。三十? いや、それ以上だ。
視界に広がる灰色の床が見えなくなるほどの群れ。
心臓が痛いほど脈打ち、喉が渇く。
逃げたい。
膝がガクガクと震える。
いつも先陣を切るリオンさんですら、足を止めていた。
――勝てるのか? 本当に?
だが次の瞬間、轟音とともに複数のモンスターが一斉に灰と化した。
その灰を切り裂くように立っていたのは、ただ一人。
「アリーゼさん」
彼女はまるで恐怖を知らぬかのように笑みを浮かべ、剣を振り払っていた。
その姿に、私も、皆も、目を奪われる。
「行くわよ! 私たちは正義の眷属、アストレア・ファミリア! これくらいのこと、なんてことないわ!」
透き通る声が響き渡る。ホームでいつも耳にしていた声と同じなのに、この場では不思議と別物に思えた。胸の奥に熱が灯り、足の震えが収まっていく。
「団長に言われるまでもない」
輝夜さんが笑い、静かに刀を抜いた。
その気配に応じるように、リオンさんが一歩踏み出し、剣を抜く。
彼女たちの背中に続くように、他のみんなも武器を構えた。
私も、遅れを取ってはいけないと剣を強く握りしめる。
震えはまだ残っていたが、それでももう逃げ出したいとは思わなかった。
――やるしかない。私も、この中の一人なのだから。
最初の衝突は嵐のようだった。
リオンさんの剣が唸りを上げてゴブリンの群れを薙ぎ払う。その度に血飛沫が舞い、灰が散る。
輝夜さんは群れの奥へ一閃。鋭い斬撃が一瞬で三体を切り裂き、その動きに隙がない。
アリーゼさんは戦線を駆け回り、声を張り上げて仲間の士気を引き上げる。
「落ち着いて! 一匹ずつ、確実に仕留めるのよ!」
彼女の声に応じるように動きが噛み合っていく。
恐怖で乱れていた呼吸が、次第に整っていった。
私の前にも、一体のゴブリンが迫ってきた。黄色い眼がぎらつき、鉄片を振り下ろしてくる。
必死に剣で受け止めると腕が痺れる。
だが歯を食いしばり、横に払った。
刃が肉を裂く感触と同時に、ゴブリンは灰となって崩れ落ちる。
――やった。やれる。
背後から迫った影に振り返ると、今度は牙を剥いたバグベアー。
体が竦みかけたが、リオンさんの大剣が横から叩きつけられ、その巨体は崩れ落ちた。
目が合った瞬間、彼は無言で頷く。胸が熱くなり、再び剣を握り直した。
数は減らない。倒しても倒しても、次が来る。
それでもアリーゼさんたちは一歩も退かず、連携を崩さない。
私はその背に守られながらも、少しずつ剣を振るうことに慣れていった。
どれだけの時間が経ったのか。気づけば汗で全身がびしょ濡れになっていた。腕は鉛のように重く、呼吸も荒い。
けれど、不思議と心は折れていない。
仲間の声と刃の音が、何度も私を奮い立たせてくれたからだ。
ようやく、最後の一体が灰になり、喧騒が静まった。
「一通り終わりましたか。モンスターの気配は」
「ないな。団長、一旦態勢を立て直そう」
リオンさんの言葉に輝夜さんが続く。
あれほどいたモンスターは、もう一匹残らず倒れて灰になっていた。
後ろを振り返れば、あちこちに魔石が転がっている。光を反射してきらきらと輝き、まるで戦いの証そのものだ。
持ち帰れば、きっと相当なお金になるだろう。
「そうね! みんな一旦休憩よ!」
アリーゼさんの言葉にみんな腰
「……あの、魔石、拾ってきてもいいですか!」
みんなが腰を下ろし、息を整え始める中、私はアリーゼさんの前まで出て許可を求めた。
別に、自分の懐に入れたいわけじゃない。ただ――ここまでの戦闘で、私はほとんど役立てなかった。
せめて何か、みんなの助けになることをしたかった。
アリーゼさんが一瞬、困ったような笑みを浮かべる。
「おい、ふざけるな」
低い声が飛んだ。
振り返れば輝夜さんが眉をひそめている。
「たった今休憩に入ったばかりなんだぞ。誰がお前の護衛をするんだ。モンスターがもう一度現れ、分断されたらどうする。たわけめ」
「……た、確かに」
そこまで考えていなかった。
引き返した時に、さっきの量のモンスターがもう一度現れたら――。背筋に冷たいものが走る。
「すみません」
慌てて頭を下げると、後ろからぽん、と手が肩に置かれた。
「俺がついていく」
「ギョェッ!?」
思わず変な声をあげて飛び退く。
巨体の男――アレスだった。
「「「あ」」」
周りの空気が一瞬凍る。私も、自分がやらかしたことに気づいた。
恐る恐るアレスの顔を見上げると、彼の視線は私に向いていなかった。
――よ、よかった……。
胸を撫で下ろしていると、アレスがぶっきらぼうに「さっさと行け」とでも言うように顎で合図してきた。
私は慌てて魔石を拾いに駆け出す。
魔石を拾っている間、アレスが護衛についてくれた。
世界一安心できるはずなのに、私は生きた心地がしなかった。
のんびりしていたら、いつものように怒鳴られるんじゃないか――そんな恐怖ばかりが頭をよぎる。
足を止めず、必死に拾い集める。
「お、終わりました!」
布袋がパンパンに膨れ上がり、私はそれをバックパックに詰め込んだ。
これだけで、たぶん百万円近くある。そう思うと、少しだけ胸が誇らしかった。
「あそこにまだ残ってるぞ」
「す、すみませんっ!」
アワワワ~ッ!
魔石を回収し終わるとアリーゼさんたちが労いの言葉をかけてくれた。
ほんとですよ。アレスに見られている間生きた心地がしませんでした。
「25階層にこんなところがあるなんてな」
「そうだな。何度も来ているが知らなかった」
「私もです」
リオンさん、輝夜さん、ライラさんが腰を下ろし、壁に背中を預けながら話している。
三人とも顔に防具や顔にモンスターの返り血がつくほど戦っていたが、その顔にはまだ余裕がありそうだ。
始めはモンスターの数に圧倒され、対処に手一杯だったが、むしろ後半は三人で巻き返した感じがする。特に輝夜さんとリオンさんの戦いは圧倒的だった。
アリーゼさんも含めこの四人がいれば安泰だろう。
四人の背中はとても大きい。
「それにモンスターも強化種ばかりでした。」
「ああ、どうりでつえぇわけだ。あたしが弱くなったのかと思ったぜ」
「ああ。強化種で生まれている。おそらくそういったギミックなのだろう。あのクソ野郎め」
強化種だったの!?
全然気づかなかった。
ていうか25階層の強化種って、私攻撃されたら死なない?
まあ、リオンさんたちがいるな大丈夫か。
「壁をぶった斬ったことを考えると、そこまで含めてなんだろうな」
「ええ」
ダンジョンで壁を斬りつけると通常はモンスターが出現しなくなる。
ダンジョンが修復を優先するためだ。
でも今回は逆だった。
不思議だ。
そもそもアレスはそこまで強烈な一撃を穿つ必要があったんだろうか。
あんな派手にやらなくても、もう少し軽く傷をつければよかったんじゃないか。
意味がわからない。
「そういえば団長」
輝夜さんが座った状態で体を前に出す。
「これを知っていたな」
その視線は真直ぐアリーゼさんを捉えている。
「も、もちろ、ん! し、ししし知って――知らなかったわ!」
「悩みながらいってんじゃねぇ!」
アリーゼさんがあからさまに目を泳がす。
しかもカミカミだ。
カワイイ。
「アハハハ」
ライラさんの激しいツッコミに笑ってごまかすアリーゼさん。
「いったいいつ?」
「そんなことはどうでもいい。問題はこのあとだ。正規ルートまではまだまだ長い。あのクソ野郎のことだ。これで終わりのはずがない!」
リオンさんの言葉をぶったぎった輝夜さん。
声には抑えきれない苛立ちがにじみ、目は鋭く吊り上がり、噛みつくように言葉を吐き捨てる。吐く息ひとつひとつが熱を帯び、全身から不満と怒気が迸っているようだった。
というかもう最後は爆発していた。
それからアリーゼさんはこのあと起こることであろうことを語ってくれた。
正規ルートまでに戻るまでにあとモンスターパレードは4回ある。
途中途中、モンスターが出現しなくなる今みたいな休憩ポイントがある。
回数をこなす度にモンスターは強くなり、数も増える。
最後は最初の倍強いモンスターが倍出てくる。
アリーゼさんがこの洗礼を受けたのはレベル4になったばかりのこと。
しかもその時は第二波の途中で力尽きたらしい。
勿論アレスは一緒だった。だけど、モンスターに腹を貫かれるまで助けてもらえなかった。
アリーゼさんが倒れたあとはアレスが全て一人で片付けた。
そして第五波であのアレスでさえも、傷を負った。
苦笑いしながら聞いていたが、途中からその顔が険しくなり、最後の言葉に空気が変わった。
顔つきは鋭くなり、最後、みんなの顔から笑みが消えた。
アリーゼさんが話し終わったタイミングでアレスが出発の合図をした。
みんが重い腰を上げるなか、目の前の四人はすっと立ち上がった。
「団長、私とリオンで前衛を張る。あなたとライラは中衛だ」
「わかったわ!」
リオンさんとライラさんも頷く。
刀は既に鞘から刀身をむき出しにしてた。