合格を言い渡された。
正義について答えられなかったのに。
どうして私が合格したのか、正直わからない。
嬉しさもあった。胸がじんわり温かくなる感覚。
けれど、それ以上に困惑と疑問が勝っていた。
本当に、正義について語れない私が正義のファミリアに入ってしまって大丈夫なのだろうか。
でも、その疑問を口にすることはできなかった。
だから、話はどんどん先へ進んでいった。
今はアリーゼさんがホームを案内してくれている。
まず私の部屋から始まり、リビングやダイニング。
トイレに客間、キッチン、武器庫……。
正直、覚えられる気がしない。
間取り図がほしいくらいだ。
とにかく広すぎる。
これはもう家ではなく、屋敷だ。
カーテンも椅子も机も、そして足元を覆う絨毯さえも、どれも高そうで上等なものばかり。
まるで貴族様の家に迷い込んだようだ。
冒険者って、どれほど稼げばこんな生活ができるんだろうか。
私は驚きのあまり、ぽかんと口を開けてばかり。
その様子をアリーゼさんが横目で確認しては、満足そうに鼻を鳴らしている。
「す、すごいですね……」
「ふふん! そうでしょ!」
得意げに振り返り、笑みを向けてくれるアリーゼさん。
けれどその時、廊下の角を曲がったところで彼女は誰かとぶつかってしまった。
「あら、ごめんなさい!」
「気をつけろ、ボケが」
ドスのきいた低い声。
乱暴な物言い。
廊下から現れたのは大男だった。
私が街で出会った横柄な男なんて比べものにならない。
背丈は二メートル近くもありそうで、肩幅は壁を塞ぐほど。
その腕なんて、私の胴体と同じくらいの太さがある。
村で見かけたら熊と間違えるんじゃないかってくらいの迫力だ。
その大きな腕には酒瓶が握られていて、そこから強烈な酒の匂いが漂ってくる。
一、二本じゃない。
どれだけ飲んだらこんな臭いになるんだろう。
だけど、それ以上に私の胸を突き上げたのは――彼がアリーゼさんに謝らなかったこと。
どう考えても今のはお互い様だった。
それなのに、この大男は吐き捨てるような言葉で済ませようとした。
その態度が、どうしても許せなかった。
「ちょっと待ってください! 今のはあなたも悪いんじゃないですか。アリーゼさんに謝ってください!」
気づけば声が出ていた。
自分でも驚くくらい強い調子で。
アリーゼさんが目を見開いて、私を見た。
なんであなたが驚くんですか。私は本気なんです。
「おい、アリーゼ。なんだこのガキ」
「あ、新しい団員よ」
「芋臭いガキだな」
「あなたは酒臭いですね!」
しまった、と思った。
けれど言葉はもう引っ込められなかった。
次の瞬間、ギロリと大男の視線が私を射抜いた。
その目は鋭く、獣のように恐ろしかった。
全身がびりびりと震え、膝が笑う。
息が詰まって、心臓が耳の奥で鳴り響く。
「アレス、待って! 彼女はまだ恩恵を授かっていないわ!」
アリーゼさんの焦った声が響いた。
その直後、視界が暗転して――私は意識を失った。
~~~~~~~~
「もっと早く言えよ、この糞女が」
アレスは廊下に無防備に倒れ込んだ女を見下ろし、吐き捨てるように言った。
「ごめんなさい……で、でも、殴らなくてもいいじゃない……」
か細い声が返る。必死に縋ろうとするその言葉に、アレスは眉をひそめた。
「あぁ? 俺に指図すんじゃねぇ!」
ヒュ、と風を裂く音が響き、次の瞬間、アリーゼの頭に衝撃が走った。
酒瓶が砕け散る甲高い音が廊下を満たし、飛び散った破片と酒が床に散乱する。
「テメェのせいで、せっかくの気分が台なしだ」
「……ごめんなさい」
アリーゼは震える声で答える。だが、アレスの怒りは収まらない。
「ふざけやがって」
彼は倒れていた女の腕を乱暴に掴み上げ、荷物のように肩へと担ぎ上げた。その姿は迷いも容赦もなく、そのまま闇の中へと消えていった。
残されたアリーゼはしばし呆然とその背中を見送る。
やがて、深く息を吐き出すと、床に散らばった瓶の破片と、べったりと染み広がった酒を片付け始めた。冷たい液体の匂いが鼻を突き、彼女の胸の奥に不快なざらつきを残す。
~~~~~~~~~
ズキンッ――鋭い痛みが頭を貫き、私は目を覚ました。
まず真っ先に気づいたのは、その痛みが頭からきているということ。そして次に、身体が柔らかなものに包まれていることだった。ベッド……だろうか。白く清潔な布に覆われていて、なんだか現実味がない。
「あ、起きたのね!」
声に顔を向けると、椅子に腰掛けていたアリーゼさんがこちらを見ていた。彼女の表情は、私が目を開いた瞬間にぱっと安堵に変わった。
「……あ、あの……わたし……いったい、何が?」
言葉を絞り出そうとしたが、直前の記憶が霞んでいて掴めない。胸の奥がざわつく。何が起きた?
「その……ごめんなさい。うちの団長が」
「団長? ……あっ! あの男!」
記憶が唐突に蘇る。あの酒臭い大柄な男――。アリーゼさんにぶつかって、まるで私たちを睨みつけるようにして……。胸の奥に嫌悪感が込み上げる。なんてガラの悪い男だ。
「ま、待ってください。団長? あの人が団長なんですか!?」
耳を疑った。まさかあんな人物が、正義を掲げるはずのファミリアの団長だなんて。喉の奥が冷たくなる。
「ええ、そうよ。レベル7、アレス・ヴァルガン」
「レベル……7!?」
思わず声が裏返った。
フレイヤ・ファミリアの最強と呼ばれる冒険者でさえ、たしかレベル6だったはずだ。ロキ・ファミリアの勇者でもレベル5……。
じゃあ――あの酒臭い男を抑えられる冒険者なんて、いまのオラリオにはいないってこと?
「えっ!? じょ、冗談ですよね? あんな人がレベル7って……」
「いいえ、正真正銘のレベル7よ」
「だ、大丈夫なんですか……?」
震える声が勝手に口をついた。
けれど、アリーゼさんは迷いなく笑って言った。
「ええ、もちろん!」
その笑顔は太陽みたいに自信に満ちていて、私の不安を吹き飛ばそうとしているみたいだった。
――でも。
胸の中に残った黒い塊は消えてくれなかった。
どうしても、信じ切ることができなかった。
=====
そのあと、軽く体調の検査をしてもらい、異常がないことがわかった。
――どうやら私は、アレス・ヴァルガンに殴られて意識を飛ばしたらしい。
頭がズキズキ痛むのは、そのせいか。
けれどアリーゼさんは「レベル7が殴ったのにケガもしていないってことは、大丈夫よ!」なんて、なぜかアレスを庇うように言った。
いやいやいや……。
そもそも、恩恵を授かっている冒険者が一般人に暴力を振るうこと自体が大問題でしょ。
全然「大丈夫」じゃないんですけど。
その後、私は主神室――アストレア様の個人の部屋に呼ばれた。
「アレスの件はごめんなさい。悪い子じゃないの。あんまり怒らないであげて」
開口一番、そう謝られて戸惑った。
「は、はい。大丈夫です」
笑顔で答えてしまったけど、内心では全然納得なんてしていない。胸の奥に苦いものが残ったままだ。
「じゃあ、恩恵を授けるわね。上を脱いで頂戴」
私は言われるままに服を脱ぎ、丸椅子に腰かける。
本当に、これでいいんだろうか……。
アストレア・ファミリアは「正義」のファミリアのはずだ。
でも、その団長はどう見ても正義の反対――邪悪の側じゃないか。
アリーゼさんもアストレア様も、あんな振る舞いを強く注意しているようには見えなかった。むしろ、放任しているように思えた。
そんな組織が「正義のファミリア」と言えるのか? 本当に、私が目指してきた正義なのか?
「授けるわね」
背中からアストレア様の優しい声が聞こえる。
「あの……ちょっと待ってください」
ピタリと音が止まった。
アストレア様は何も言わず、私の言葉を待っている。
「アレス・ヴァルガンは……本当に大丈夫なんですか。正義の眷属に……とても相応しいとは、思えないです」
声が震え、後半になるにつれてどんどん小さくなる。
最後のほうなんて、聞こえていないかもしれない。
言うべきじゃなかった、とすぐに後悔した。
私はまだよそ者だ。これから入団しようという身で、団長に意見するなんて無礼で非常識極まりない行為だろう。
きっと今までも内部で何度も揉めてきたはずだ。正義を掲げるファミリアなら、あんな蛮行を許せない人も絶対にいたはずだ。
「ティスリア。あなたの懸念はとてもよくわかるわ。入団するとき、みんな同じことを言うの」
アストレア様の声は優しく、あたたかい。
その一言で、意見を述べたのが私だけじゃないと知り、少しだけ安心した。
「あの子は態度が悪くて誤解されやすいの。でも、誰よりも悪を許せない、とてもいい子なのよ。今は少し休憩しているだけで」
……それだと、「休憩」すると正義の眷属は悪人になるってことなんじゃ?
心の中で突っ込まずにはいられなかった。
「どうする? アレスに懸念があるのは、とてもよくわかるわ。もしあなたが断るなら私は、無理強いはしない」
――どうしよう。
アレス・ヴァルガンは私の大嫌いなタイプの人間だ。
口は悪いし、態度も横柄。酒臭くて不潔。正義とはほど遠い。
でも、アリーゼさんは違う。
彼女はとても強く、美しく、誰かを守ろうとする姿はまぶしいほどだった。
私もあんなふうになりたい。困っている人を助けて、希望の光になりたい。
それなら――
「入団します」
私は答えた。
ファミリアに入り、アレス・ヴァルガンを監視する。
そして、アリーゼさんを助けるんだ。