正義はめぐる   作:萌花千

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2話 だから言ったのに

 朝、ふかふかのベッドで目を覚ました。

 普段とは違う寝床――その柔らかさが、ここがもう自分の家ではなく、アストレア・ファミリアの団員としての生活の始まりなのだと、起きた瞬間に実感させた。

 

 同時に、足に鋭い痛みが走る。

 ……筋肉痛。

 体が強張るたび、昨日の巡回のことが鮮明に蘇る。

 

 入団初日の夜。

 ライラさんと一緒に街の巡回へ出た。

 

 最初は雑談を交えながらの巡回で、思ったよりも楽しかった。

 けれど同時に、オラリオという街の治安の悪さを肌で感じて、正直、少し怖かった。

 

 壊れた建物があちこちに点在していて、人が住めるような場所じゃない区画もある。

 あれはすべて、闇派閥との戦いの爪痕だとライラさんが教えてくれた。

 半壊した街並みを抜けて、人通りの多い場所へ戻ってきたとき――事件は起きた。

 

 冒険者たちのグループが口論をしていた。

 

 ライラさんがすぐに間へ入り、仲裁しようとした。

 けれど、男たちは止まらない。

 言葉は荒くなり、互いに煽り立てるような調子で熱がどんどん上がっていく。

 

 さすがにまずい。私も止めに入った。

 ――そこからが、最悪だった。

 

 私が間に割って入ると、そのうちの一人が「女がしゃしゃり出てくるんじゃねぇ」と言って、唾を吐きかけてきた。

 その瞬間、頭に血がのぼった。

 

「……女に仲裁されるような幼稚なこと、するなよ!」

 

 気づけば、売り言葉に買い言葉で返してしまっていた。

 私と冒険者の個人的な口論が始まる。

 横では別の冒険者同士の口論が続いていて、ライラさんは両方を止めようとしていた。混乱の渦。

 

 そして、男は私を罵り尽くしたあげくに吐き捨てた。

 

「黙れ、処女。クソブスが」

 

 ――ぷつん、と音がした気がした。

 胸の奥で何かが切れて、気づけば腰のダガーナイフに手をかけていた。

 

 けれど、その一瞬を待っていたかのように、男が剣を抜いた。

 一人が抜けば、他も連鎖する。

 周囲の冒険者たちも次々に武器を抜き放ち、鋭い殺気が一気に張り詰めた。

 その動きは、まるで慣れきっているかのように無駄がなかった。

 

 ――やらかしたっ!。

 

 息を呑んだ瞬間、ライラさんの低い声が響いた。

 

「……馬鹿野郎が」

 

 彼女は何かを空へ打ち上げた。

 直後、花火のような轟音が空に広がり、夜の街を震わせる。

 

 五分も経たないうちに、長い金髪をなびかせたエルフが空から舞い降りてきた。

 圧倒的な気配とともに冒険者たちを一掃していく姿は、あまりに現実離れしていた。

 

 ――リオンさんだ。

 

 すべてが終わったあと。

 私はライラさんに、はっきりと叱られた。

 

「だからナイフを抜くなって言ったじゃねぇか」

 

「……すみません」

 

 深く頭を下げるしかなかった。

 

 ナイフは護身用。

 自分からは決して抜いてはいけない。

 

 抜けば、相手も抜く。

 それは、喧嘩の合図を自分から与えるようなものだ。

 

 ――私は、相手に戦う理由を与えてしまった。

 

 昨夜の光景を思い出すたび、背筋がぞわりと冷える。

 あのときリオンさんが来なければ、私はどうなっていたのだろう。

 ライラさんまで巻き込んで、取り返しのつかないことになっていたのかもしれない。

 

 「絶対に、相手が抜くまで武器には触れない」

 この教訓を、私は胸の奥に深く刻み込んだ。

 

~~~~

  ベッドから起き上がり、水でも飲もうと階段を降りると、男の声が聞こえた。

 ――私が嫌いな声だ。

 

「昨日、俺、お前に言ったよな? 教育しとけって。それでなんでああなるんだ? ああん?」

 

 とてつもなく不機嫌な響き。

 足が止まる。喉がきゅっと詰まった。

 

 そっと食堂を覗くと、アレス・ヴァルガンとライラさん、そしてリオンさんが向かい合って座っていた。

 テーブルの真ん中には紙か何かが置かれている。

 

「わ、悪い。言ったんだが……ティスリアの奴、動揺して武器を触っちまったんだよ」

「んなことはわかってんだよ!」

 

 ドンッとテーブルを叩きつける音。

 体がびくりと跳ねる。

 

 ――私のせいだ。

 私のせいで、ライラさんが怒られてる。

 いかなきゃ。守らなきゃ。

 

 そう思うのに、足は床に張りついたみたいに動かなかった。

 

「それを含めて、教えて面倒を見るのがテメェの仕事だろうが!」

「アレス、ライラは悪くありません。これは――」

「黙れ、リュー! すまし顔で座ってやがるけどな、テメェもやりすぎなんだよ! レベル2やレベル3相手に骨折までさせやがって! 馬鹿が!」

「そ、それは……すみません。手加減が難しくて……」

 

 リオンさんの声が、どんどん小さくなる。

 

「なんでお前らそんなゴミなんだ? なぁ、どうしてだ? ライラ、教育しておけって言ったよな? そもそも入団初日で巡回させるのも意味わからねぇしよ。脳みそドングリでできてんのか? なぁ? ……なぁ!?」

 

 怒号の直後、椅子が倒れる音。

 視線を戻すと、ライラさんが頬を抑え、床に崩れ落ちていた。

 

「なんとか言えよ、ゴミが!」

「わ、悪かった! あたしが悪かった!」

 

 詰め寄るアレスに、ライラさんが必死に手を前に出して静止する。

 けれど、そのままアレスは彼女の顔に蹴りを入れた。

 

 リオンさんは――助けようとしない。

 その場にいるのに、ただ見ているだけ。

 

 私よりずっと強い人なのに。

 どうして。助けてあげてよ……!

 

 そう思った。

 でも、その顔を見て理解してしまった。

 

 リオンさんも怖いんだ。

 あんなに強い人でも、アレスを前にすれば、ただの一人の人間なんだ。

 

「悪かったで済めば、こんなことにはなってねぇんだよ!」

 

 ライラさんは鼻血を出し、お腹を押さえて蹲っている。

 そこにさらに蹴りを叩き込むアレス。

 リオンさんは青ざめた顔で、それを必死に見ないようにしていた。

 

 ――助けなきゃ!

 だれか、だれか呼ばないと!

 

 そのとき、不意にライラさんと目が合った。

 

 胸が締めつけられる。

 私はこの人を見捨てるのか。

 昨日、あんなに親切にしてくれた人を。

 

 「誰かを呼びに行く」なんて、ただの言い訳じゃないか。

 この場から逃げたいだけじゃないか。

 

 だれか、じゃない。

 私が――私が助けるんだ。

 昨日助けてもらったように、今度は私が!

 

「昨日もしかしたら――」

 

 口から出かけた言葉を、自分で振り払うように叫んだ。

 

「や、やりすぎです!」

 

 その瞬間、アレスの鋭い眼光が、私に突き刺さった。

 

 

「そ、そこまで、し、しなくても……いいじゃないですか!」

「あぁ? 雑魚がなに言ってんだ?」

 

 膝が震えて、今にも崩れ落ちそうになる。

 必死に耐えて立ち続ける。

 

「つ、強さとか……関係ないです!」

 

 アレスが一歩、また一歩と私に近づいてくる。

 その巨体が目の前まで迫った。

 私よりも一回り以上大きな体。

 首なんて、簡単にへし折られてしまいそうだ。

 

「なにニヤついてんだ、気持ちわりぃ」

 

 声の温度が一段下がる。

 その冷たい響きに、恐怖を覚えながらも――なぜか、殴られなかったことに一瞬の安堵を覚えてしまった。

 

「お前ら、影で俺の悪口言ってるだろ? なぁ、聞かせてくれよ。どうして俺より弱い奴が、俺より偉そうなことを言えるんだ? どうして入団したばっかのルーキーに、俺が反論されなきゃなんねぇんだ? テメェらは何をもって俺に反論してんの?」

 

 ライラさんも、リオンさんも――黙ったままだ。

 

 だめだ。

 なにか言わなきゃ。

 私が言わないと、また……殴られる。

 だけど、何を? 何を言えば……。

 

 アレスの肩がわずかに動いた。

 次の一撃が来る。

 

「そ、それは……それは! アレスさんが、ま、間違っているからです!!」

「俺のどこが間違ってる? 言ってみろよ、クソカス」

 

 言葉が喉に詰まりそうになる。

 でも、止められなかった。

 足がすくんで逃げられなくて、口だけが必死に動いていた。

 この瞬間に吐き出した言葉を、私は心の底から後悔することになる。

 

 言うのは怖かった。

 黙っていればよかったかもしれない。

 でも――誰かが言わなきゃ。

 誰かが声を上げなきゃ……!

 

「あ、あなたが間違ってなければ……! あなたの前の仲間は、誰も死んでないはずだからですよ!」

 

 刹那。

 ドスッ――鈍い衝撃が、私の腹にめり込んだ。

 

「アッ……ガッ……!」

 

 お腹……痛い……!

 息が……できない……!

 苦しい……!

 

 気づけば私は床に倒れていた。

 体が、動かない。

 感覚が……ない。

 

 苦しい。

 あぁ……これ、死ぬのかな。

 私……死ぬんだ。

 

 視界の端で、ライラさんとリオンさんが焦った顔で何か叫んでいる。

 でも、もう何も聞こえない。

 世界が遠ざかっていく。

 

 闇がじわじわと視界を覆っていく、その最後。

 私は――視界の端に、アリーゼさんの姿を見た。

 

 

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