正義はめぐる   作:萌花千

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5話 見ることも勉強

 

 翌日から、ついに本格的な訓練が始まった。

 

 朝は日の出と同時に起床。

 眠い目をこすりながら動きやすい恰好に着替えると、まず“柔軟”というものをやらされた。

 体を伸ばしたり縮めたりして、怪我を予防するための運動らしい。

 正直、これで本当に効果があるのかは分からないけど、確かに筋が伸びている感覚はある。……まぁ、言われるがままやるしかない。

 

 柔軟が終わると、街中を走る。

 先頭はもちろんアリーゼさん。

 ただのランニングかと思ったら、これがとんでもなかった。

 

 まず速い。めちゃくちゃ速い。

 「軽く走るだけだから大丈夫」なんて先輩に言われて安心していた私が馬鹿だった。気を抜いたら一瞬で置いていかれる。

 

 しかも、変なルールがいくつもあるのだ。

 

 一つ、前を走る人の背中を必ず触らなければいけない。触れなかったらペナルティ。

 一つ、背中を触ったらその人と位置を交代する。

 一つ、終了時に最後尾だった者にもペナルティ。

 一つ、開始時に先頭だった者は背中を触られてはいけない。ただし距離を空けすぎてもいけない。

 

 ……いや、なんでこんなめんどくさいルールをわざわざ?

 と思ったら、案の定アレスの考案らしい。あの悪魔め。

 

 当然、私はずっとペナルティ続きだった。もう嫌になる。

 

 ランニングが終わると休む間もなく次の地獄。最下位の罰をやらなければいけない。

 膝を前に出さずに腰を上下させる“スクワット”。

 腕を地面に突いて体を持ち上げる“腕立て”。

 それから“体幹”という、動かずに耐える拷問みたいな訓練。

 

 足や腕の奥で「プチプチ」と嫌な音がしたときは、本気で壊れるかと思って冷や汗が出た。

 

 これ私が一番大変だろう」と思ったけど、どうやら違ったらしい。

 一番きついのは、アリーゼさんだった。

 汗で服が肌に張り付き、終了直後にはその場に倒れ込んで動けなくなっている。ときどき吐いているし。

 私も初日は吐いたけど、二日目以降はギリギリ耐えている。

 吐きながら次の準備をしている。

 狂気だ。

 

 先頭を務めるのは相当神経を使うらしい。

 背中を触られないように、でも後ろが見失わないように、絶妙な距離感を保たなきゃいけない。

 一度だけ輝夜さんが先頭を試したことがあるけど、その後「二度とごめんだ」と吐き捨てていた。

 当たり前だ。

 

 休憩はたった五分。すぐ次に移る。

 

 基礎訓練だ。

 各自、自分の武器を手に取り、決められた型をひたすら体に叩き込む。

 数十分も続けるうちに、全員腕が重くなって上がらなくなっていく。

 それでも、アリーゼさんは吐きながら剣を振っていた。ほんと、どうかしてる。

 

 魔導士の先輩たちはどうしているのかと気になって見てみたら、杖を振っていた。

 魔法の詠唱はしないのかと尋ねたら、ものすごい剣幕で怒鳴られた。

 

 「走って息があがった状態で詠唱などできるか!!」

 

 確かに。

 

 途中、一人の先輩が明らかに手を抜いていた。

 するとどこからともなくアレスが現れ、雷のような怒号を浴びせ、そのまま思いきり殴り飛ばした。

 

 裏庭に響いたアレスの怒声に、私も含め全員がビクリと背を跳ねさせた。

 剣を振る速度が一段階上がり、必死さが増す。

 もちろん、私も例外じゃない。

 

 ――アレス、怖すぎる。

 

 

 次は、対人訓練だった。

 二人一組に適当に分かれていく。

 

 全員、頭には木の棒が突き出した兜をかぶり、手にはそれぞれの得物に似せた木剣や木製のナイフを持つ。

 開始の合図と同時に、相手の兜についている棒を折り合う戦いが始まった。

 

 もちろん、これにもペナルティがある。

 負ければ“腿上げ”――その場で足を高く上げ続けて走る罰だ。

 

 ……これが、本当にきつい。

 だからこそ、誰もが必死に勝ちを狙う。

 目つきが血走っていて、誰ひとり手を抜かない。

 むしろ、長引けば二人とも倍のペナルティになるから、なおさら容赦はなかった。

 早く決着をつければ、その分だけ休憩できる。だから最初から全力でぶつかり合う。

 

 勝利の雄叫びと、負けた者の悲壮な叫びが、あちこちで響いていた。

 

 こうして午前の訓練は終わった。

 

 午後は、座学か、あるいはダンジョンへ。

 私は基本的に座学組だ。

 

 ダンジョンの知識、オラリオの現状、そして闇派閥に関する情報――。

 知れば知るほど、この街の底の深さに怖さを覚える。

 

 リオンさんや輝夜さんは、ほとんど毎日のようにダンジョンへ出ている。

 アリーゼさんはというと、あまりダンジョンには行かない。

 最初は私の勉強につきあってくれているのかと思った。

 でも、どうやら違うらしい。

 

 勉強がない日でも、彼女は裏庭でひたすら剣を振っていた。

 その姿は、まるで何かを思い描きながら、見えない敵と戦っているようで。

 最後に剣を収めるとき、必ずと言っていいほど悔しそうな顔をして汗をぬぐうのだ。

 一体、何を相手に戦っているんだろう……。

 

 入団して、どのくらい経っただろうか。

 体力づくりや基礎訓練にも少しずつ慣れ、ようやく余裕が出てきたころ。

 その日は、突然やってきた。

 

 昼食時。

 珍しく、アレスが食堂に現れたのだ。

 

 途端に、みんなの手が止まる。視線が一斉に彼へと注がれた。

 いつも通り、不機嫌そうな顔。

 けれど珍しく酒瓶を持っていない。……もっとも、酒の匂いはぷんぷん漂ってきているけど。

 

 アレスは何も言わず、しばらくじっと私たちを眺めて――。

 

「休憩終わったら裏庭に集合しろ」

 

 その一言だけ残して、去っていった。

 

「な、なんでしょうね?」

 

 私は隣にいたリオンさんに声をかけた。

 けれど、彼の顔は血の気が引いて真っ青になっている。

 

「え? リオンさん……?」

 

 周囲を見渡せば、みんな同じような顔をしていた。

 まるで、いたずらが親にばれた子どものように固まっている。

 

「あの……みなさん、どうしたんですか?」

 

 恐る恐る問いかけると、一人の団員が小さく答えた。

 

「……アレスの指導が始まる。地獄だ」

 

 地獄。

 その言葉だけで、背筋に冷たいものが走った。

 

「え? それって……アレスさんが直接、ってことですか?」

 

 今までの訓練メニューは、ほとんどアレスが考案したものだ。

 それも十分“指導”のようなものだったはず。

 なのに改めて「直々に」と言うのなら――一体、どれほどのことをさせられるのか。

 

 食堂に重苦しい空気が満ちた、そのとき。

 

「ええ、そうよ! アレスが見てくれるなんて、どれくらいぶりかしら! 楽しみだわ!」

 

 澄んだ声でそう言ったのは、アリーゼさんだった。

 ルンルンとした足取りで食器を片付けていく。

 

「変態だ」

「変態だな」

「変態ですね」

「正真正銘の変態ですわ」

 

 みんな一斉にドン引きしていた。

 

 ……いや、正直、私もそう思った。

 

 あのアレスだ。

 乱暴で、口が悪く、短気で、不遜。

 今までの訓練だって頭おかしい内容ばかりだったのに。

 

 直々の指導なんて――考えただけで胃が痛くなる。

 せっかく美味しかったはずのご飯も、もう味がしなかった。

 

 

 味のしない料理を、普段よりずっとゆっくり口に運んだ。

 食べ終えた私は、重い足取りで裏庭へ向かう。

 

 もちろん、私だけじゃない。

 みんな同じように沈んだ顔で歩いていた。

 中には「仮病を使おうかな……」と真剣に呟く先輩までいた。

 私は曖昧に笑ってごまかすしかなかった。

 

「おせぇ! なにチンタラ歩いてんだ! 走れ!」

 

 裏庭に足を踏み入れた瞬間、アレスの怒号が飛んできた。

 その声だけで背筋が震える。

 みんな即座に反応し、駆け足に切り替えた。私も慌てて続く。

 

 やがて二列に並び、整列。

 空気が一気に張り詰めた。

 

「じゃあまず武器持て。総力戦だ。指揮官を一人決めろ。ルールはいつも通り。五分以内に準備を完了させろ」

 

 総力戦……?

 

 聞き慣れない単語に首を傾げていると、近くの先輩が小声で説明してくれた。

 

 どうやら――私たち全員で、アレスと戦うらしい。

 しかも真剣で。

 

 指揮官を一人選び、その人は木の棒が刺さった兜をかぶる。

 指揮官の棒を切られたら負け。

 逆に、アレスの兜に刺さった棒を折ることができれば勝ち。

 

 ……胃が、ぎゅっと痛んだ。

 

 いやいやいや、私レベル1なんですけど!?

 開始直後に腹パンされて転がる未来しか見えないんですけど!?

 

「レベル7に勝てるわけないじゃないですか……」

 

 思わず弱音が口から漏れてしまった。

 

「いえ、そんなことはありませんよ」

 

 隣にいたリオンさんが指差す。

 その先には――重厚なフルプレートに身を固めたアレスの姿があった。

 まるで中世の騎士のような全身鎧。

 兜も私たちが普段使っている簡易なものではなく、分厚いヘルム。

 昔、どこかの貴族の護衛が似たものをつけていた記憶がある。

 

「あれは相当重いはずです。それに、ヘルムは視界がかなり悪い。勝機は十分あります」

 

 リオンさんは自信満々に言い切った。

 

 ……え? じゃあ、なんで今まで勝ててないんですか!?

 

 心の中で全力でツッコミを入れたけど、さすがに声には出せなかった。

 リオンさんやアリーゼさんですら勝てない相手。

 その事実だけで、アレスがどれほど高みにいるのかを思い知らされる。

 

「ティスリア、お前は見学な」

 

 不意に、横からぶっきらぼうな声が飛んできた。

 ライラさんだった。

 

「え?」

 

「アレスの野郎がな。『初回は見学してろ』ってよ」

 

 思いがけない言葉に、私は固まった。

 

 アレスのことだ。

 てっきり「お前から叩きのめす」とか言い出すと思っていた。

 だって、このあいだ、あんなことあったし……。

 

「わ、わかりました! みなさんのことは、決して忘れません!」

 

「まだ死んでねぇよ!」

 

 ……でも、死ぬかもしれないじゃないですか。

 

 

 

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