私は庭の隅っこにちょこんと座り、戦いを見守っていた。
心臓がやかましいくらいに跳ねている。
アリーゼさんたちが剣を振るい、技を繰り出し、必死に挑んでいる相手は――たった一人。
重厚な鎧に身を包み、武器は一切持たず、己の肉体だけを武器とする化け物。
対するこちらは十人近い。
普通に考えれば数の利で押し切れるはずだ。
私だって、最初はそう思った。
けれど――
「クソッ!」
「なんでだ!」
「化け物め!」
悲鳴に似た怒号が響く。
誰の攻撃も届かない。
魔法を撃っても、剣を振るっても、アレスには掠りもしない。
前衛で盾を構えていたライラさんが、またも吹っ飛ばされた。
もう何度目だろう。
見るたびに胃が縮む。
「ライラに回復魔法を! リオン、輝夜! 時間を稼いで! リャーナとセルティは詠唱続けて!」
アリーゼさんの鋭い指示。
リオンさんと輝夜さんが声もなく駆け、アレスに挑む。
「ぬるいな」
低く呟いた瞬間、二人の姿がぶつかり合った。
衝突事故……? いや、違う。
アレスが位置をずらし、二人を同士討ちさせたんだ。
怯んだリオンさんに追撃が迫る。
輝夜さんは体勢を崩しながらも必死に刀を振るうが――簡単に腕を掴まれ、鎖のように振り回された。
「うそ……」
その隙にリオンさんが食らいつこうとする。
だが、輝夜さんをまるで棍棒のように叩きつけられ、攻撃は届かない。
二人まとめて、地面に叩き落とされる。
間髪入れず、リャーナさんとセルティさんの詠唱が終わり、強烈な魔法がアレスに直撃した。
爆炎と轟音。土煙が上がる。
二人の顔に一瞬、勝利の笑みが浮かぶ。
私だって「やったかも」と思った。
「油断すんじゃねぇ!」
煙を切り裂いて、鉄の塊が飛び出した。
全身鎧が質量兵器のように突っ込み、二人は小石のように吹き飛ばされる。
ごう、と風を切る音。
ヘルムの奥から覗く目がギョロリと動き、アリーゼさんを捉えた。
「団長、下がれ!」
イスカ、アスタ、ネーゼの三人が立ちはだかる。
だが、それもほんの刹那。
一撃ごとに的確に腹を撃ち抜かれ、三人同時に地面へ沈んだ。
目の前で仲間が無残に散らされる。
アリーゼさんの視線が鋭く光り、覚悟を決めたように前を見据える。
「お前で――」
言葉を言い切る前に、彼女は地面を強く蹴った。
瞬きの間に間合いを詰め、剣が閃く。
五連撃。
雷鳴のような速度で繰り出される連撃。
しかし――アレスはそれを寸分違わず受け止めた。
金属のぶつかる甲高い音が何度も連なり、火花が散る。
「すごい……」
思わず言葉が漏れた。
あれだけの速度と重さを備えたアリーゼさんの剣撃を、すべて正面からさばききるなんて。
普通の冒険者なら、一撃だって耐えられないはずなのに――。
背中に冷たい汗が流れる。
ただの訓練だとわかっていても、目の前の戦いは命を削り合う本物の戦場にしか見えなかった。
次はどんな技が繰り出されるのか――私は目を離せなかった。
アリーゼさんの剣筋は速く、鋭く、美しい。見ているだけで胸が高鳴る。けれど、その手からぽとりと剣が零れ落ちた。金属が土を叩く鈍い音と同時に、アリーゼさんの体が糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
「ティスリア!!」
「は、はい!」
アレスの呼ぶ声に、私は条件反射のように立ち上がった。
頭で考えるより先に体が動いていた。気づけば足は勝手にアレスのもとへ駆け寄っていた。
「三十分休憩だ。こいつらの面倒を見ろ」
低く響くアレスの声。その瞬間、あちらこちらから屍兵のような呻き声が湧き上がる。戦場は終わっても、修羅場は続いていた。
私は慌てて水やタオルを用意し、走り回る。
氷をぎっしり入れた冷水に布を浸し、冷え切ったタオルを次々と仲間に手渡した。中には、受け取る力すら残っていない人もいる。「頭の上に置いて……」と弱々しく頼まれ、私は顔全体が隠れるようにタオルをそっとかけてやった。
「だから殺すんじゃない!」
怒鳴られ、私は思わず舌を出した。
……てへぺろ。
「アリーゼさん、大丈夫ですか?」
地面に力尽きて倒れるアリーゼさんを覗き込む。
殴られて倒れるより、今の方がよほど危うい。そんな気がして、思わず呼吸の確認をした。
胸が規則正しく上下している。
……大きい。羨ましい。
「え、ええ。大丈夫よ……水を、もらえるかしら」
声を張ろうとしたものの、すぐに力が抜け、細い息に変わった。腕や足が小刻みに痙攣している。誰の目にも限界だとわかる。
「はい、どうぞ」
私は彼女の上半身を抱き起こし、支えた。力が入らないのか、彼女の体は重みというより柔らかさだけを私に預けてきた。ゆっくり、少しずつ水を口元に運び、流し込む。
「ありがとう」
「いえいえ」
脈は速いまま、顔色も青ざめている。けれど私にできることはもうない。ただ自然に回復するのを待つしかなかった。
できることない私は次の患者の元へ向かう。
リオンさんのもとへ。
彼女は腹を押さえ、派手に嘔吐していた。
清廉潔白で気高いエルフが……吐いている姿を、私はできれば見たくなかった。
正直、かなり汚い。しかも吐き方が下手だ。
しずつ我慢して小出しにするから余計につらそうに見える。
こういうのは一気に出さなきゃダメなのに。
私は背中をさすりながら、思わず掛け声をかける。
「さん、にー、いち、はい!」
「オウェェェェェェ!」
……お昼食べすぎじゃない?
けれど、今の嘔吐でようやくすっきりしたのか、リオンさんの嗚咽はぴたりと止まった。
表情も少しだけ和らいだように見える。
「お水です。ゆっくり飲んでくださいね」
「あ、ああ……ありがとうございます」
どもるリオンさん。恥ずかしさのせいなのか、それとも口元が痙攣してうまく回らないのか。……まあ、どっちでもいいか。
「ふん、あれくらいで吐くとは。存外――うぷっ」
「我慢するのが一番よくないんですよ~」
青い顔で汗をだらだら流しながらも、強がりを言う輝夜さん。
見栄っ張りすぎて痛々しい。
私は苦笑しながらその背中をさすり、また掛け声をかけた。
「オウェエエエエ!」
「リオンさんより上手ですね!」
……ほんと、この人たちお昼食べすぎなんじゃない?
「だ、黙れ小娘……!」
と言いながらも、輝夜さんはリオンさんにドヤ顔を向ける。
リオンさんも負けじと睨み返す。
この人たち仲いいな。
緊張と笑いが入り混じったその空気に、私は少しだけ胸を撫で下ろした。
ここで、私は彼女たちの回復力の異常さに心底驚かされた。
たった十分ほどで――あれだけゲロ吐いて倒れていた人たちが、何事もなかったかのように顔を上げ、輪になって反省会を始めたのだ。
「ここはよくなかった」
「次はこうすればもっといい」
まるで普通に作戦会議でもしているみたいに、真剣で、冷静で。
……いやいや、ついさっきまで死にかけてなかった!?
冒険者だから? それともレベル4の力なの?
どちらにしろ、人間離れしていて怖い。
「ティスリア」
片付けをしている途中で、不意に名前を呼ばれた。
振り向けば、ライラさんが手招きをしている。
「なんですか?」
「次はお前も入れ」
一瞬で血の気が引いた。
駆け寄ろうと足を動かすけど、信じられないくらい重い。
心臓はドクドク暴れているのに、足は鉛みたいだ。
――あのゲロまみれの地獄に、私も入るの?
嫌だ。怖い。女の子として大事なものまで失いそうで、本気で嫌だ。
「次はティスリアが指揮官をお願い」
「わ、私がですか!? やったことなんてないんですけど!」
アリーゼさんの突然の指名に、思わず声が裏返った。
入団して二週間ちょっとの新人にやらせることじゃない。
私が下手に指示すれば、かえってみんなが混乱する。
「大丈夫よ! ただ兜を被って立っていてくれればいいわ!」
そう言って渡されたのは、頭に木の棒が突き刺さった妙な兜だった。
「えっと……この棒を切られたら負け、なんでしたっけ?」
「そうよ! ティスリアがかぶってくれたら、みんなもっと自由に動けるの!」
なるほど。確かに、前衛のアリーゼさんが被っていた時は、棒を庇う動きで窮屈そうにしていた。
「そ、それは……よかったです」
……いやいや。つまり今度は私が標的になるってことじゃん。
本気で大丈夫?
絶対アレスにぶっ飛ばされる未来しか見えないんだけど。
――あのときの発言、きっと根に持ってるよね。
私だったら根に持つ。確実に。
「ティスリアは後ろで隠れていて!」
「わ、わかりました!」
返事はしたけど、内心では思う。
後ろってどこだよ。
相手は都市最強、レベル7。
さっきの戦いを見た限り、本気を出されたら誰も止められない。
アレスが私を認識した瞬間に突っ込んできたら、誰にも防げない。兜の棒なんて一瞬で斬られる。
――よし、誰かの背中の影に隠れよう。それが一番安全。うん、そうしよう。
そして、二回目の訓練が始まった。
私はアリーゼさんの指示をあっさり無視し、前衛の誰かの背中に身を隠した。
標的を絞らせないように、ひたすら移動し続ける。
アリーゼさんたちは一瞬「えっ」という顔をしたけど、アレスの猛攻を前にして注意する余裕などなかった。
「下がって!」
後衛のセルティさんたちが叫ぶ。
私は聞こえないフリをした。
後ろに下がったら、確実にアレスが私を目掛けて突っ込んでくる。
腹パン食らってオエオエ吐くのは絶対嫌。痛いのはもっと嫌だ。
それに、後衛がそんなことを言うなら魔法の詠唱ぐらいしろって話だ。
打ち込める隙は何度もあったのに。もったいなさすぎる。
戦闘が開始して五分も経たないくらいだろうか。
問題が発生する。
私はレベル1。
私が頼る背中はレベル3か4。
つまり――動きについていけない。
すぐに置いて行かれる。
置いて行かれた瞬間、私は標的になる。
だから必死に追いかける。
ただひたすら、死角を探し、背中を追い求める。
けど、体力は限界を迎えた。
ただ逃げ回っているだけなのに、息が切れ、肺が焼けるように痛い。足ももう上がらない。
「はぁ……はぁ……!」
輝夜さんの背後にいたとき、アレスが一気に間合いを詰めてきた。
私は慌てて、一番近いリオンさんの元へ走る。
――けど、あと一歩届かなかった。
足がもつれ、体が前に傾く。
やばっ!
と思ったその瞬間、目の前にリオンさんのぷりっとしたお尻が迫ってきた。
なんで!?
リオンさんが私にぶつかって、そのまま一緒に転がる。
「――ッ!」
視界の端に、アレスの拳が振りかぶられるのが見えた。
こちらに一直線に迫ってくる。
逃げようにも、リオンさんが足の上にのしかかっていて、私は動けない。
もうダメだ。
逃げられない。
恐怖で体が硬直し、私はぎゅっと目をつぶった。
「クソブスが、死ね」
落雷のような拳は振り下ろされる直前、その冷たい呟きが耳を貫いた。