正義はめぐる   作:萌花千

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8話 最初はみんなそう

 

 私はアリーゼさんたちにしこたま詰められた。

 

「なんで言うことを聞かないの?」

「あんたがちょこまか動いたら、みんな戦いにくい」

「普通に迷惑」

「自分のことだけじゃなくて、周りのことも考えて」

 

 次々と浴びせられる言葉に、私はぐうの音も出なかった。

 心臓を直接握られたみたいに苦しくて、ただ小さく頭を下げるしかできなかった。

 反論したい気持ちはあったけど、口を開けば喧嘩になる。

 これ以上空気を悪くしても仕方ない。逃げきれなかった私が悪い。

 

 しょうがないじゃん。私だって生き延びたかったんだ。

 

 結局、次の戦闘からは大人しくセルティさんたちの背中に隠れることにした。

 頼りない背中――でも、それしか頼れるものはない。

 私は盾を持たない、ただのレベル1なのだ。

 吹き飛ばされるたび、背中越しに響く衝撃音に心臓が跳ね、胃が縮み上がる。

 安心なんて一秒だってできなかった。

 ……実際にセルティさんたちは何度も吹っ飛ばされ、そのたびに私も一緒に転がった。

 でもそれは、結局私の責任だった。

 覚悟を決めて背中にすがったくせに、その後の動きを見越して動かなかった私が悪い。

 

 アレスは真っ直ぐ私を狙ってくることもあれば、一人ひとりを潰してから悠々と迫ってくることもあった。

 どうして戦い方を変えるのか。こちらの反応を探っているのか。

 それとも緩急をつけることで、対策されるのを避けているのか。

 あれこれ考えてみたけど、答えは出ない。

 ただ一つだけ確実に分かったことがある。アレスは必ず、必ず、私の位置を確認してから動いていた。

 

 その視線と目が合うたびに、背骨が凍る。

 心臓が喉から飛び出そうになる。

 怖くてたまらなくて、私は毎回わざと明後日の方向を見た。

 あれ以上見つめられたら、私の足はきっとその場で止まってしまう。

 

 

 日が沈むまで戦闘訓練は続いた。

 私たちは一度も勝利できなかった。

 いや、一撃を入れることすら叶わなかった。

 地面に並んだ兜の残骸が、その惨めさを物語っている。

 犠牲になった兜は、合計十五個。

 

「……気持ちわる」

 

 思わず、口から漏れた。

 並べられた兜が、まるで首の山みたいに見えたから。

 冷たい風が吹き抜けた瞬間、背筋がぞわりとした。

 

 アレスはレベル7。都市最強の冒険者。

 その言葉だけなら、まだどこか現実味がなかった。

 だけど今、私はそれを思い知らされている。彼の強さは想像すらできない領域にある。

 私よりはるかに強いアリーゼさんたちでさえ、その高さを測りきれていないのだから。

 

 天を突き抜ける、絶望的に高い壁。

 私には到底越えられそうにない。

 見上げているだけで胸が苦しくなった。

 

 だけど……。

 それでも、半日のあいだ、たった一人で十人弱の中級冒険者を相手取り、勝ち続けるなんて。そんなの、異常としか言いようがない。常識では説明できない。

 

「これが……都市最強」

 

 呟きながら、私は一つひとつ兜を拾い上げる。手に取るたびに重さが指に食い込む。冷たい鉄の感触が、敗北の記憶を刻みつけてくるようだった。

 

 悔しい。怖い。情けない。

 でも――私の胸の奥には、小さな灯のようなものが生まれていた。

 

 あの高みに、いつか届けるのだろうか。いや、届きたいと願えるのだろうか。

 

 自分でもまだ分からない。

 けれど確かに、私は今、その壁の存在を手で確かめたのだった。

 

 

 

 アストレア・ファミリアの倉庫は二つある。裏庭の隅っこに建っている小屋と、建物の中にある部屋だ。

 建物の中にあるほうは「倉庫」というより、部屋をそのまま武器庫にしたような感じで、まるで展示場みたいに整然としている。置かれている装備は手入れが行き届き、ほこり一つない。触るのをためらうくらい綺麗で、正直、私なんかが近づくのも申し訳なくなる。

 

 けれど、裏庭の倉庫は……ひどい。

 扉を開けた瞬間、鼻を突く汗と土と草の混じったむわっとした臭いに思わず顔をしかめた。

 中に積まれた防具はどれも泥や汚れがこびりつき、戦いの記憶がこすり付けられたみたいに鈍く光っている。

 そこに並ぶのは、まさにアストレア・ファミリアの歴史そのもの。

 華やかな武勲ではなく、泥臭い現実が詰まった歴史だ。

 

 そんな中――奥の方に、一つだけ場違いなくらい綺麗な斧が立て掛けられていた。

 柄まで含めると私の身長と同じくらい。刃にはしっかりとカバーがかけられ、重厚な存在感を放っている。

 

 ごつくて大きい。けど、不思議と目を奪われた。

 これでモンスターをぶった斬ったら……絶対、気持ちいいに決まってる。

 誰の装備なんだろう。アリーゼさん? そんなわけないか。

 

「使ってみたいな~」

 

 ひとり呟いて、名残惜しく扉を閉じた。

 

 そのまま屋内に戻ろうとしたとき、遠くから声が飛んできた。

 

「すみませ~ん!」

 

 聞き覚えのない声。

 道路の方からだとすぐに分かった。

 

「は~い」

 

 振り返ると、柵の向こうに一人の女の子が立っていた。

 翡翠色に少し茶色が混ざった長い髪、大きな瞳、小さな口。十歳くらいだろうか。

 顔立ちは整いすぎていて、人形みたいに可愛い。思わず抱きしめたくなるくらい。

 

「ロキ・ファミリアからの遣いです!」

 

 彼女は背伸びをして、柵越しに一通の便箋を差し出した。

 

 その髪の隙間から尖った耳が見える。

 ――エルフだ。

 

 なるほど、可愛くて当然だ。エルフは総じて容姿が整っていて、男女問わず憧れられる。けど、長寿ゆえに恋愛に淡泊な者も多くて、結局報われない冒険者が後を絶たない。

 

 ……うん、私もイケメンでお金持ちの彼氏がほしい。

 でも、積極的に動くほどではない。

 そのうちいい人が見つかるだろう。

 

「ん? ロキ・ファミリア?」

 

 あれ? ちょっと待って? 今、ロキ・ファミリアって言った?

 私の耳が聞き間違えたんじゃないよね?

 都市二大派閥の――あのロキ・ファミリア?

 

 あまりにも唐突すぎて、すぐには理解が追いつかなかった。思考が止まり、反射的にオウム返しする。

 

「ロキ・ファミリア……?」

 

「はい! フィン――いえ、団長からのお手紙です!」

 

 にこにこと元気いっぱいに答える女の子。

 

 え? ちょ、ちょっと待って。ロキ・ファミリアから直々に手紙!?

 この前の酒場での件? いやまさか……お叱りの手紙とか?

 

 それより、この子……ロキ・ファミリアの一員なの!?

 こんな小さな子が? 信じられない。

 でも、わかる。

 確実に私より強い。絶対に強い。間違いない。

 

 少なくともファミリアがこの治安が悪いご時世に一人で外出許可を出すくらいには。

 レベル3? もしかしたら4かも。

 

 もしかしたら、たまたま歩いていた女の子に頼んだかもしれない。

 

 私はそのわずかな希望を抱いて確認する。

 

「あ、あなたもロキ・ファミリアなの?」

 

「はい!」

 

 だよね。

 

 元気よく即答され、私は固まった。

 うわ……完全に格上じゃん。私なんて足元にも及ばない。

 

「じゃあ、お手紙を渡したので、私はこれで帰ります!」

 

 そう言うと、彼女はくるりと背を向け、ぱたぱたと走り出した。その速度は、子供どころか熟練冒険者のように軽やかで速い。私なんかじゃ到底追いつけないだろう。

 

 唖然と立ち尽くしながら、手に残った便箋をぎゅっと握りしめた。

 

 あんな小さな子が私より格上。

 ロキ・ファミリア、恐るべし。

 

 

 

 

 女の子から受け取った手紙を、私はアリーゼさんに差し出した。

 ついでに、さっきの子の話もすると、アリーゼさんは小首をかしげる。

 

「ロキ・ファミリアにそんな子、いたかしら?」

「あたしは知らねーよ」

「私も聞いたことない」

 

 アリーゼさんに続いて、ライラさんや輝夜さんも同じ反応。

 確認のためにリオンさんに視線を向けても、やっぱり首を振られた。

 

 でも、手紙そのものは確かにロキ・ファミリアからのものだった。

 前に届いた便箋と並べて見比べても、紋章も印字も一緒。偽装ではなさそうだ。

 

 それでも皆で少し疑いつつ、封を開ける。

 

「ふむふむ。……なるほど、ダンジョンの調査依頼ね」

 

 アリーゼさんが読み上げる。

 要約するとこうだ――30階層付近で新種と思われるモンスターが出現。

 冒険者にも被害多数。

 調査、可能なら討伐を願うとのこと。

 特徴は“二本の角を生やした鋼色の狼”。体長は三メートル前後。

 

 三メートルの狼? 笑えないんだけど。

 足なんて嚙まれたら一瞬で食い千切られるでしょ。

 

 しかも30階層。

 私、まだ18階層までしか行ったことないんですけど。

 

「こ、これは……私はお留守番ですかね?」

 

 正直、怖い。行きたくない。

 だけど、置いて行かれるのも寂しい。

 そんな矛盾が喉に詰まって、情けない声が出た。

 

「30階層くらいなら大丈夫だろ。別に階層主と戦うわけじゃねぇんだから」

 

 ライラさんがあっさり言う。

 アリーゼさん、輝夜さん、リオンさんも当然のように頷いた。

 

「あ、アハハ……。なにかあったらリオンさんのところに逃げます」

 

 無理やり笑ったけど、胃の奥がキリキリする。

 

 

 アリーゼさんが、手紙に書かれた“至急”の文字を指差す。

 

 

「じゃあ準備を始めましょう。明後日には出発したいわね」

 

 瞬間、空気が変わった。

 部屋全体がピシッと引き締まった気がする。

 

「そうだな。じゃああたしはマジックアイテムを調達してくる」

「私は魔剣を。いつも通りな」

「私は食料とテントの用意を」

 

 まるで決められた台本を読むみたいに、みんなが当然のように役割を口にする。

 

 私は、強い孤独感に襲われた。

 みんなが動き出すその流れに、私の居場所はない。

 ――いらないじゃん、私。

 

「あ、あの! 私は何をすればいいですか?」

 

 思わず声が大きくなった。

 その場に縋るような声。

 

「お前はダンジョンの知識を叩き込んでおけ」

 

 輝夜さんが、間髪入れずに言った。

 その声には迷いも遠慮もなく、ただ真っ直ぐで重みがあった。

 

 一瞬、“足手まとい”と突きつけられた気がして胸がズキンと痛んだ。

 だけど――違う。そうじゃない。

 

 私はまだ入団して一か月も経っていない。

 レベルだって1。

 それは事実で、覆せない。

 

 なら今の私にできることは何か。

 食らいつくだけじゃなく、生き残るための力を積み上げること。

 そのために必要なのは知識だ。

 

「焦るな。お前はまだルーキーだ。まずは生き残ることだけを考えろ」

 

 輝夜さんの瞳が、真っ直ぐに私を見据える。

 突き放すでも、甘やかすでもない。

 本気で、私に生き残れと言ってくれている。

 

 胸の奥にあった悔しさが、少しずつ熱に変わる。

 今の私は、まだ何もできない。だからこそ、やるべきことをやる。

 私は小さく息を吸い込み、頷いた。

 

「……はい。叩き込みます」

 

 それが今の私の役目。

 認めてもらうためじゃない。生きて、次につなげるために。

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