行きとは遥かに軽やかな足取りで、家路につく。
彼女がやることは決まっている。
今日すべきことは……決意表明だ。
玄関の扉を開ければ、夕食の香りが漂ってくる。
「ただいま戻りました!」
「……お帰りなさい。夕食が出来ていますから、手を洗って待っていて下さい」
「はい!」
◆
夕食は済ませ、湯浴みも終え。
寝室の扉の前で、深く呼吸をする。
胸に手を当てる。寝間着の下には、いつぞや月夜に採寸され、渡された下着の上下。
下着としての役割を果たせぬほどに透けたそれらは、この日のためのものだったのだと、彼女は強く思っている。
受け取る瞬間をがっつりタカキに見られているものの、問題はない。
……問題は無い。
(……いざ……!)
扉を開くと、タカキは書机に向かい、何かを書いている最中だった。
「……ああ、出ていたんですね」
「はい。さあ、そろそろ寝ましょうっ」
「…………はい」
彼女の考えた手順はこうだ。
自分がタカキに決意表明をする。
そのままなんかいい感じになる。
服を脱ぎ、見せつける。
ゴールイン。
端から見れば終わり散らした計画であるが、彼女にはこれが精一杯。
というか手順通りに進めることに頭がいっぱいで……タカキの悲しげな表情に、一切気づいていなかった。
ベッドに上がり、逸る鼓動を抑えるアレクシア。
「……シアさん」
「ひゃいっ!?」
「少し、話があります」
「……は、い?」
驚きで諸々が飛び、そこへ聞こえた声色で、漸く異変に気付く。
相手の纏う空気の、異様な重苦しさに。
タカキがベッドへ正座する。
合わせてシアも向き合い、正座する。
目を瞑り、軽く呼吸をするタカキ。
そのまま短く息を吐き、目をゆっくりと開けると、意を決したのか口を開いた。
もしかして、と一縷の望みに縋った彼女は──
「《コントラクト》の解除に……同意して下さい」
──時間が、止まる。
「っ、え」
そのまま、深々と下げられる頭。
しっかりと下げられたそれは、いわゆる土下座の形であった。
「どうか、お願いします」
「な、んで……」
問いに対する返事はない。
ただ下げられた頭が、こちらを向いている。
「……い、いや、嫌です」
彼女とタカキとを繋ぐ繋がり。
それは両者の同意無くしては断ち切れぬものであり、同意さえあれば断ち切れてしまうもの。
しかしそれを、彼は切って欲しいと、離れたいと宣う。
「絶対、絶対に、嫌で──」
「──僕はっ!」
拒絶の言葉を、遮られた。
「僕は、最低の人間です。とんだクソ野郎です」
「……そんなこと」
「あります。あるんです」
鬼気迫る勢いに、言葉が出ない。
「……あの日。【屍肉姫】を倒した時の事を、覚えていますか」
忘れる訳がなかった。
あの日、あの場所で誓われ、そして向き合い……討ち倒したのだから。
「あの時、僕は貴女を止めるべきでした。でも止めなかった、止める気が無かった!」
「倒すと貴女が言った時……僕は喜んだんです。良いものが見れると、いい戦いが見れると! 死地に送ると知っていながら!!」
「……止めなかった」
「それ、は──」
──自分が望んだことだ。
そう言う間もなく、言葉は続く。
「その癖、貴女が死んで、僕は嘆きました」
「取り返しのつかないことをした。蘇るかどうかさえ正しいか解らないのに、殺した。見殺しにした!」
「そんな事を嘆く資格が……僕に、ある筈も無いのに」
嘆いてくれた。悲しんでくれた。
蘇った時、抱きしめてくれた。
それが、とても嬉しかった。
「そして……【グローリア】の報せが来て」
「僕は歓喜しました。そして恐怖しました。貴女がまた、死地へ向かうかも知れないと」
「そしてベルディンさんから戦えなくするように指示を受けた際……私は拒否しませんでした」
「そしてそのことに、落胆した自分がいました」
「背反した気持ちの最中、人々をそれでも助けようと動く貴女を見て……酷く落胆しました」
「あり得てはいけないんです、そんなこと。高潔なことです。尊ぶべきことです。人々の苦しみを取り除く」
「その為に貴女は進んでいる。だから貴女は強い」
「理不尽を吹き飛ばす力を、貴女はとっくに手に入れていた」
それは、貴方とともに。
「僕が居なくとも、いいえ、居ない方が、貴女はきっと、前へ進める」
「死地へ向かわせ、見えぬ強敵と戦わせる。その姿を捉え、膨らませ、本を書く」
「
そんなこと──
「そんな邪魔者は、居ない方が──」
「──ソウ様」
──とっくに、知っている。
◆
■
「顔を、上げて下さい」
……合わせる顔が無い。
「……《パワープレイ》、えいっ!」
突然、無理やり、力任せに上げられる。
抵抗する暇もない早業に、僕は驚きの声さえ上げられず──
「んっ……」
「んむぅ!?」
──そのまま、唇を奪われた。
襟元はがっしりとつかまれたまま。至近にある顔は目を閉じ、しっかりと唇は触れ合っている。
「ぷはっ」
「はぁ、あ、は、っく、ふぅ」
たっぷりと10秒後、ようやく解放された肺は、新鮮な空気を欲しがっていた。
「私は……最低なクソ野郎に命を預けようと思いません」
それは、そうだろう。
だから、僕はこう言っている。
「一緒に戦ってほしいとも、共に進んでほしいとも、夢を叶えたいとも思いませんし──」
顔が、再びずいと寄せられる。
「──キスしたいとも思いませんっ」
「……そう、ですか」
言いたいことは、よく解ったよ。
「貴方は、別に最低なんかじゃないです。クソ野郎でも、資格がないわけでも、邪魔でもない」
「貴方は、私の愛する人です」
「貴方となら、貴方とだから、私は夢を叶えられる。叶えたいと思える」
「貴方が隣にいる限り、どこまでも私は進んでいける」
「貴方が居たから、私はここに居るんです」
……それ、でも。
「それでも、僕は……っ」
「私のこと、嫌いですか?」
「……違います」
そんな訳が無い。
「一緒に居たくないですか?」
「ずっと、居たいですよ」
でも駄目なんだ。
「命も預けられないですかね?」
「いいえ」
とっくに全部預けている。
「じゃあ……どうして?」
「それ、は」
その問いに、言葉が詰まる。
……それじゃあ、駄目だと思ったから。
向き合ってくれて、向き合おうとして、その資格がないと気づいたから。
「貴女の隣で、のうのうと生きていては」
「僕が……僕を、許せないんです」
こんな愚か者を、許せる訳が無い。
許していい訳が無い。
「こんな奴が、貴女の隣にいて良い筈が無──んぶっ……!」
再び、唇を奪われる。
「ぷ、はぁ。じゃあこうしましょう」
「貴方が貴方を許せないなら──」
「──私が、貴方を赦します」
彼女の笑顔に、見惚れる。
慈しみに溢れた、優しい、優しい笑顔だった。
「それで、良いですよね?」
「……は、はは、はっ……」
そんなの、ありかよ。
「何笑ってるんですか? 私は真面目に言ってるんですよー?」
「ふっ、い、いえ。でも、そっか、そっ、かぁ……」
目の前がぼやける。
愛しい人が、見えなくなる。
でも、確かにそこに居る。
「……ゆるされて、いいのかな……っ」
「良いんですよ、もちろん」
ずるい人だよ、貴女は。
「……あ、ああ、ああっ……あぁぁ……ぁ」
「もちろん、泣いてもオッケーですよ」
……ありがとう。
本当に、ありがとう。