ようこそ希望と幸運に満ちた素晴らしき教室へ   作:予測精度30%のカムクラ

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CHAPTER 02 中間テスト編
1. さよなら希望、ようこそ絶望


 新入生の迷っている背中をゆるりと押し出してくれる、五月の風。

 しかし、薫風が届けてくれるはずの若葉色の空気は、オレたちDクラスの教室には存在しなかった。

 

 ──重苦しい。

 ただその一言に尽きた。

 

 平田の爽やかな挨拶も。櫛田のあざと可愛い話し声も。池たちによる馬鹿丸出しの雑談も。

 今のDクラスには物音ひとつ聞こえない。

 張り詰めた静寂の中、彼らはただその時を待っていた。震える手で、端末の画面を何度も更新しながら。

 

 始業のチャイムが鳴る。

 同時に、勢いよく開かれた扉から茶柱先生が入室した。

 ポスターの筒を握りしめ、靴音を響かせながら歩く彼女の顔つきは明らかに普段とは違っていた。

 

 険しい、というよりも。

 何か、忌々しいものでも見るかのような──焦燥と怒りを秘めた瞳。

 

「これより朝のホームルームを始める。お前たちにとっては答え合わせのようなものだが、一応聞いておこう。何か質問のある奴はいるか?」

 

 迷わず平田が挙手する。いつもの涼やかな表情はどこにもない。

 

「確認したいのですが、今月の僕たちのポイントはまだ支給されていないという認識でよろしいでしょうか」

 

 確認、というよりも足掻きに近かった。

 一縷の望みを賭けて声を発した平田。しかし、返ってきたのは無慈悲な否定だった。

 茶柱先生はゆっくりと、残酷な真実を告げるように首を横に振った。

 

「残念ながら、今月分のポイントは全クラスに問題なく振り込まれた。このクラスだけ忘れられた、などという幻想はない」

 

 紛れもない絶望の宣告に、教室内を悲壮感が覆った。

 

 オレも自身の端末に目を落とす。映し出されたポイント残高は、昨日と全く変化していない。

 

 ──ゼロポイント。

 

 これが、オレたちに支給されたポイントということだ。

 

 言い換えるならば、学校側がオレたちに下した評価。

 クラス全員が等しく振り込まれなかったことから、個人ではなくクラス単位での評価であることが確定した。仮説が見事に的中したのは喜ばしいが、もはや慰めにすらならない。

 

「……では、評価の基準を教えてください。どの行動がどのくらいのマイナスだったのか、何をすればプラスに働いたのか。これだけでも知りたいんです」

「残念ながら私からは答えることができない。言っておくが、何もお前たちが憎くて黙っているわけではないぞ。人事考課、つまり詳細な査定については学校規程により教えられないことになっている。これは社会に出ても同じことだ」

「くっ……」

 

 必死の追及も、今度は学校という強大な壁に阻まれる。

 

 あの日、平田と櫛田──そしてその裏にいる狛枝からの警鐘を受けて、Dクラスの雰囲気は確かに変わった。

 遅刻や欠席は減り、授業中の私語も目に見えて少なくなった。

 もちろん、それはあくまで付け焼刃の対策だ。陰に隠れて内職を目論む奴も中にはいたし、完璧とは程遠い。

 それでもやれるだけのことはやった。最低限の努力は果たした。

 

 10万には届かないにしても、せいぜい半分程度の減額に抑えられるのではないか──そんな希望的観測が蔓延(はびこ)っていただけに、この結果はDクラスの面々に深く突き刺さっていた。

 

「Sシステムの裏側に自力でたどり着いたお前たちには釈迦に説法だろうが、とりあえず聞いておけ。これも決まりだからな」

 

 そう前置きした茶柱先生が、底冷えするような声でオレたちに語る。

 

「遅刻をするな。授業中に私語をするな。居眠りをするな──これらは全て、義務教育の九年間で嫌というほど聞かされただろう。我々はその()()()()ができていない奴らに、無償で小遣いを与えるような奉仕企業ではない。容赦なくポイントを削っていく。それがこの学校のルールであり、さらには社会の常識でもある」

 

 絶対的な正論。抗弁などできるはずもない。

 

「お前たちの推察通り、この学校ではクラスの成績がポイントに反映される。頑張ったから、努力したからなどという感情論は全くもって無意味だ。お前たちのこの一か月の評価が基準を満たさなかった、だからポイントを全て失った。それ以上でもそれ以下でもない」

 

 ここまで言って、茶柱先生は不敵な笑みを平田に送った。

 

「一つだけいいことを教えてやろう。遅刻や私語、居眠りといった項目は減点方式──すなわちポイントの増額には一切繋がらない。そしてポイントがゼロより下になることもない。どうだ、実に()()な情報だとは思わないか?」

「なっ……!」

 

 悪魔の(ささや)きとはまさにこのことだろう。平田の顔に苦渋が滲んだ。

 オレたちがどんなに授業態度を改めたとしてもポイントは一向に増えないが、逆に借金になることもない。真面目な奴ほど馬鹿を見る、悪質なシステム。

 これではますますポイント獲得が遠のいてしまう。

 

 いや、これが茶柱先生の──ひいては学校側の狙いなのか。だとしたら、嘆き悲しんでいる時間はオレたちにない。

 次の試練は、既に始まっているのだから。

 

「さて、お前たちには申し訳ないことにまだ話は続く。むしろここからが本題だと言ってもいい。これを見ろ」

 

 茶柱先生が、今度は手にしていたポスターを黒板に張り付ける。

 

 紙面に書かれていたのは、AクラスからDクラスの名前と、それに対応するであろう数値。Dクラスの横にゼロの一文字が連なることから、おそらくポイントのことで間違いない。

 これが意味するところは──

 

「各クラスの成績……?」

 

 堀北の独り言に、「だろうな」と同意を示す。

 

 一番高いAクラスは940。次いでBクラスの650、Cクラスの490と続いていた。

 こうして比較すると、Dクラスの一桁の数値が異様に目立つ。

 

「ここからはクラスごとの成績を表すCP(クラスポイント)と、お前たち個人の所持金であるppt(プライベートポイント)に分けて呼称しよう。各クラスは一律で1000CPからスタートし、授業態度や成績に応じてCPが変動する。そして毎月一日時点のCPからpptへと換算され、お前たちに振り込まれるという仕組みだ」

 

 1000CPで10万pptということは、レートとして1CPで100ppt。つまり、現在トップであるAクラスの連中は9万円以上も受け取っている計算になる。

 Aクラスだけじゃない。Dクラスを除いた全クラスにポイントが支給されている。

 羨ましい、などと思う余裕は今のオレたちにはなかった。

 

 そして、さらに浮かび上がってくる疑問。

 

「……ねぇ、綾小路くん。おかしいと思わない?」

「ああ……何というか、綺麗すぎるよな」

 

 Aクラスが最も高く、B、C、Dとアルファベットの順番通りに点数が下がっている。

 偶然とは思えない。さも当たり前かのように規則正しく並べられた文字列に、学校側の作為が透けて見えていた。

 

「な、なんで他のクラスはポイントが残ってるんだよ。おかしいだろ……」

 

 池の呟きは、クラス全員の代弁でもあった。

 

「先ほども伝えた通り、採点基準については非公開だ。だが、不正は一切行われていないことだけは断言する。この一か月でこれだけの差がついたのは、単にお前たちの実力が及ばなかったからに過ぎない」

「何故……ここまでクラスのポイントに差があるんですか」

 

 絞り出すような平田の問い。それに対し、茶柱先生は嘲笑うかのように口角を吊り上げた。

 

「まだ分からないのか? それとも現実逃避しているだけか? いずれにせよ愚問だな」

 

 その言葉には、生徒を導く教師としての温情など欠片もなかった。あるのは、ただ事実を突きつける執行官のような冷酷さだけ。

 

「お前たちは無作為にこのクラスに選ばれたのではない。優秀な生徒たちの順にA、B、C、Dと振り分けられる。大手学習塾でもよくある制度だ。つまりここDクラスは、落ちこぼれが集まる最悪のゴミ溜めというわけだ。理解したか?」

 

 ──教室の空気が、一瞬にして凍り付いた。

 

 きっと彼らは少なからず思っていたはずだ。自分たちは狭き門を潜り抜けた特別な高校生であると。歴代の卒業生に並ぶエリートの一員として認められたのだと。

 しかし、それは錯覚でしかなかった。

 エリートが集うこの学校の中で、唯一選別された底辺中の底辺。それがオレたちDクラス。

 

 言うなれば、優秀な生徒たちの踏み台。嚙ませ犬。引き立て役。あるいは──

 

「──この、()()()どもが」

 

 吐き捨てるように。あるいは汚物でも見るかのように。

 放たれたその言葉は、鋭利な刃物となってオレたちの心臓を貫いた。

 

 堀北の顔が強張る。プライドの高い彼女にとって、これ以上の屈辱はないだろう。

 ……否、彼女だけではない。

 平田の顔から血の気が失せ、驚いた表情のまま動かない櫛田。幸村は固く拳を握りしめ、須藤の机からはガンと蹴るような音が響いた。

 

 反応は様々だが、みなこの事実を受け入れられないでいた。

 

「いやぁしかし恐れ入ったよ。毎年Dクラスを受け持っているが、一か月で10万ポイントを吐き出したのはお前たちが初めてだ。よもやここまでだとは流石の私も思わなかったぞ。立派立派」

 

 パチパチと、乾いた拍手が虚しく教室に木霊(こだま)する。

 

「ついでに言っておこう。このCPは支給額を算出するだけでなく、数値の大小がそのままクラスランクに反映される。もし仮にお前たちが500CPを保有していたら、今日から晴れてCクラスに昇級していたということだ……ま、この点差のお前たちには関係ないだろうがな」

 

 先生の補足説明も、今のオレたちには何の意味も持たない。

 明日からの生活をどうすればいいのか。失った10万円分の価値をどう埋め合わせればいいのか。その絶望だけで頭がいっぱいだからだ。

 

「さて、残念なことにお前たちにはさらに通達しなければならないことがある」

 

 新たな資料が黒板に貼り出される。

 クラスメイト全員の名前と、またしても横に連なる数字。

 

「……小テストの結果、でしょうか」

 

 平田が力なく尋ねる。もうこれ以上の悪い知らせは勘弁してくれ、という懇願すら浮かんでいた。

 

「そうだ。揃いも揃って粒ぞろいで先生は嬉しいぞ。中学生でさえ八十点は取れるよう設定されているこのテストで、まさかここまで()()な点数を叩き出すとはな」

 

 茶柱先生の嘲るような視線がオレたちを射貫く。特に須藤、池、山内といった()()()()()()()生徒たちには念入りに。

 

 ざっと見たところ、平均点はおよそ六十五点。

 須藤の十五点という恐ろしい数字は見なかったことにしても、ブービーの池も二十五点となかなかのツワモノだ。

 

「良かったなお前ら。これが本番だったら七人のお友達が入学早々いなくなっていたところだ」

「……は?」

 

 池の間の抜けた声が上がる。

 

「いなくなるって、どういう……」

「言葉通りの意味だ。この学校では中間テスト、期末テストともに一教科でも赤点を取った生徒は即刻退学処分となる」

「た、退学?」

「今回で言えばボーダーは三十二点。それに満たなかった奴らは全員対象というわけだ」

「はああああああああッ!?」

 

 悲鳴にも似た絶叫が、教室中を駆け巡った。

 

 ゼロポイントの衝撃すら霞むほどの、あまりに理不尽で残酷なルール。

 退学という二文字が、実感を伴って赤点組に襲い掛かっていた。

 

「ふっざけんなよ! 一発で退学なんて聞いたことねぇぞ、冗談じゃねぇ!」

 

 激昂した須藤が席を蹴って立つ。

 

「聞いていないからなんだ? 社会に出れば理不尽な常識、規則などいくらでもある。その度にガキみたいに泣き喚くのか? そんな幼稚な言い訳が義務教育を卒業したお前たちに通るわけないだろう」

「ぐっ……」

「安心しろ須藤、今回はあくまで予行演習だ。退学にはならない。だが中間テストで同じ失態を犯せば、今度こそ退学届を書いてもらうことになるぞ。残り数週間の命、有意義に過ごすんだな」

 

 もはや死刑宣告に近かった。赤点回避が絶望的な須藤は生きた心地がしないだろう。

 

 そしてオレたちの不幸は止まらない。

 

「それからもう一つ。我が校が掲げる『進学率・就職率百パーセント』というフレーズ、これは紛れもない真実だ。だが普通に考えてみろ。お前たちのような不良品がそんな都合のいい希望を叶えてもらえるはずがないだろう」

「つまり、僕たちがその恩恵を受けるためには、Cクラス以上に上がる必要がある……ということですか?」

「いいや違う。A()()()()()()()()()()()、それが唯一で絶対の条件だ。仮にお前たちが奇跡的にBクラスまで上がれたとしても、進路は何一つ保証されない」

 

 今日一日でもう何度叫喚が響き渡ったか。

 混沌を極める教室内。一際吠えるように机を叩いて立ち上がったのは、珍しいことに幸村だった。

 

「聞いてないですよそんな話! ほとんど詐欺じゃないですか! 滅茶苦茶だ!」

「幸村、私は嘘をついた覚えも騙した覚えもないぞ。事実、Aクラスの生徒は全員希望の進路を叶えてもらえるんだからな。ほら、お望みの百パーセントだ。何も間違ってはいない」

 

 茶柱先生の馬鹿にするような態度、さらには高円寺の鼻につく言動もそこに加わり、幸村を含むクラスメイトたちの精神状態は限界だった。

 

 ──Dクラスは今、まさに底なしの絶望へと叩き落されていた。

 

 怒号。断末魔。恐怖。

 負の感情が渦巻き、これまで彼らが思い思いに描いていた理想の学校生活がガラガラと崩れ去っていく。

 

 将来が約束されていたはずなのに。

 昨日まで楽しくワイワイ過ごしていたはずなのに。

 起こり得るであろう試練に、協力し合って立ち向かったはずなのに。

 

 どうしてここまでの仕打ちを受けなければならないのか。

 

 無慈悲な現実。蹂躙された希望。

 

 それらを突き付けた張本人である茶柱先生は、今一度オレたちを冷徹な視線で見回した後──突如、()()()()()()()()()()

 

「……さて、ここまでは教師としての通達だ。そしてこれからは、茶柱佐枝という個人からの感想だと思ってくれ」

 

 雰囲気の急変に、クラスメイトたちは何事かと静まり返る。

 

 彼女の瞳に浮かんでいたのは──()()()の色だった。

 

「お前たちは本当によくやったと思う。入学からわずか一か月でSシステムの真実に近づき、的確な対策を講じた。ここまでほぼ完璧な初動を見せたのは、歴代のDクラスでは成し得なかったことだ。胸を張っていい」

 

 オレたちを好き放題こき下ろしたかと思えば、一転して手放しの賞賛を送る。

 ……何がしたいんだ、この教師は。

 意図の全く読めない賛辞に、むしろ不気味さだけが胸中を満たしていった。

 

「今回のCPの査定もそうだ。断じて()()()()()()()。お前たちがゼロになったのは、単に巡り合わせが悪かった──そう、()()()()()()としか言いようがない。この結果は覆らないが、中間テストでは全員で必ず乗り越えられると祈っている。()()、な」

 

 まるで犯人に悟られないように、重大なメッセージを遺す犠牲者かのような。そんな不自然な強調を繰り返す彼女に、Dクラス内に不信感が募っていた。

 

 

 

 ──その時だった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「────あはっ」

 

 

 

 その光景は、あまりにも常軌を逸していた。

 

 何が起こったのか。何が起きているのか。オレは最初、全く理解できなかった。

 

 

 

「あははははははははははははははははははははははははははははははははははははは────」

 

 

 

 オレだけじゃない。

 

 堀北も、櫛田も、平田も、池も、山内も、須藤も、軽井沢も、幸村も、長谷部も、佐倉も、佐藤も、松下も──茶柱先生や高円寺でさえ。

 

 誰一人として、この状況を予測できた者はいないだろう。

 

 

 

「あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」

 

 

 

 喉の奥をヒクつかせ、喘ぐように吐き出された狂笑。

 

 その場違いで不愉快な音が、静寂に染まった教室を侵食していく。

 

 

 

 教室の中央、四十もの視線を浴びる中。

 

 肋骨が軋むほどに天を仰ぎ、狂気の衝動に身を任せていたのは──

 

 

 

 ──狛枝だった。

 

 

 

「こ……狛枝、くん……?」

 

 櫛田の必死に絞り出した声が、無情にも掻き消されていく。

 

 彼女は狛枝と隣同士ということもあり、Dクラスの中で最も親交がある生徒だった。

 一緒じゃない時間の方が短いんじゃないか。そう思えるくらいには、二人の仲睦まじい会話がいつも聞こえていた。

 それだけに、櫛田にとってこの現実は到底受け入れられるものではないだろう。

 

「あはは、あはっ、くふ、うぷぷ…………」

 

 ひとしきり高笑いを続けていた狛枝だったが、突然真顔になったかと思うと。

 

「…………あーあ、ガッカリだよ」

 

 侮蔑を隠そうともしない響きで、そう呟いた。

 

「最初からオカシイと思ってたんだよ。オーラも輝きもないキミたちが、どうしてこの学校に入学できたのか。有望な人材だの、将来を担う若者だのと持て(はや)されてるのか。認識と現実のギャップに気が狂いそうになってたけど、ようやく腑に落ちたよ」

 

 普段の狛枝からは想像できない、抑揚を失った低い声。

 

「ボクの目が節穴だったんじゃなくて、キミたちの役目が違っていただけなんだ」

「な、何を言って……」

「キミたちは(つぼみ)でも種子でもない。Aクラスという希望の花を咲かせるための腐葉土、培地、苗床に過ぎなかったんだ。才能ある人間のために、才能なき人間を糧にする……なるほど、()()()考えることは一緒ってことか」

 

 友人からの呼びかけにも無反応を貫き、ただただ毒を垂れ流す。

 昨日までの慈愛と聡明に満ちた彼はどこにもいなかった。

 

「なぁ……狛枝の奴、なんかキャラ違くね?」

「なんであんなひどいこと言えるの? 私たち、何か悪いことしたのかな……」

 

 ようやく事態を飲み込み始めたクラスメイトたちが、額を寄せて好き勝手に(ささや)き合う。

 教室内に漂う不穏な空気。それを機敏に察知した平田が、ハッとした表情で立ち上がった。

 

「みんな落ち着こう。狛枝くんもきっと混乱してるだけなんだ。あんな話を聞かされてショックを受けない人はいないよ。僕だってそうだ。だからこそ今は一丸となって、この窮地を乗り越えていかなきゃいけないと思うんだ」

 

 注目を自身に集めてヘイトを分散し、同時に彼らの共感を誘うように論点を絶妙にすり替える。

 流石の反応速度だ。クラスの均衡を保つという一点において、平田の右に出る者はいない。

 

「それに狛枝くんは、今まで僕たちのために色々と動いてくれたじゃないか。その恩を仇で返すようなことは、僕はしたくない」

「け、けどよ……」

「誰かに不満をぶつけたい気持ちはよく分かるよ。けれど、それをしたところで状況は変わらない。今やるべきなのは、原因と対策をみんなで話し合うこと、そして諦めずに希望を持つことなんだ。だから──」

「あのさぁ、そこまでにしてくれるかな」

 

 だが、平田の決死のフォローさえ、狛枝は台無しにする。

 

「こんなゴミみたいな茶番、さっさと終わらせてほしいんだよ。ここの空気を吸ってると吐き気がしてくる。ストレスで胃に穴が開きそうだよ」

「狛枝くん……」

「平田クンもそろそろ黙ってくれないかな? 希望の何たるかを知らない奴が、知った風な口を利くのが一番耳障りなんだよね。無価値な人間は何をしたって無価値なままだって、そんな単純な事実も理解できないのかな」

 

 心底下らないといった表情で一蹴する。平田に対する明確な拒絶。この瞬間、Dクラスのほぼ全員の女子が敵に回った。

 

「平田くんに向かって何なの、その口の利き方! 謝ってよ!」

「その言葉、そっくりそのままお返しするよ軽井沢さん。キミたちが希望の象徴になり得る存在だと信じてたのに、最悪の形でボクは裏切られたんだ。むしろボクの方が被害者なんだよ。今すぐ土下座してくれない?」

 

 狛枝の言い分は支離滅裂だ。希望や才能というワードに対して、いつにも増して深い妄執(もうしゅう)を見せている。

 今のあいつに話し掛けたところでまともな返答は見込めそうにない。

 

「……解せないわね」

 

 それを知ってか知らずか、新たな追撃の気配が隣から発せられた。

 

「随分と私たちのことを見下しているようだけれど、あなたも同じように不良品の烙印を押されているのよ? 自分にとって不都合なことからは目を背けて、聞くに堪えない雑言(ぞうごん)を喚き散らかす。みっともないにも程があるわね」

 

 堀北が臆せずに狛枝を睨みつける。傷つけられた矜持を取り戻したいという思いも少しはあったのだろう。普段の三割増しで眼光が鋭かった。

 しかし、それでも狛枝の独壇場は揺るがない。

 

「……で?」

 

 と、むしろ神経を逆撫でするような態度でこちらに振り返った。

 

「ボクが決定的に愚劣で愚鈍で愚昧(ぐまい)な人間だってことは、ボク自身が一番よく理解しているよ。それこそ生まれた時──いや、()()()()()からね。自分が優秀な人間だと疑わない堀北さんよりも、ボクの方がずっと弁えてると思うけどな」

「……何が言いたいのかしら」

「まだ分からないの? ボクは人よりも劣った存在なわけだけどさ、そのボクにすら小テストの点数で負けてる堀北さんは一体何なのって話だよ」

 

 狛枝はDクラスでただ一人満点をとっている。幸運のおかげとは本人の談だが、同率二位の堀北や高円寺を十点も上回る成績には、誰も口出しできない。

 

「ね、()()()()さん?」

 

 その一言に、堀北の体が大きく跳ねる。

 部活動説明会の際に垣間見えた、脆弱な一面。そのウィークポイントを的確に狙った弾丸(ダンガン)は、彼女のひび割れていたプライドを打ち砕くには十分すぎる威力だった。

 

 悔しがるように着席する堀北。それを一瞥した狛枝は、「はぁ」と露骨に呆れを漏らした。

 

「キミには期待してたんだけどな……残念だよ」

「気は済んだか、狛枝」

 

 ポスターの片付けを終えた茶柱先生が、狛枝に視線をぶつける。

 

 ……まただ。

 怒りとも焦りともつかない、()い交ぜになった感情。教室に入った時もこんな目をしていた。

 

「お前は私とともに職員室に来い。訊きたいことが山ほどある。来なければ即退学だからな」

「……うーん、別に今更退学を拒む理由なんて無いんだけどな。まぁいいや。ここに残るよりはずっとマシだ」

 

 片手をこめかみに当て、いかにも面倒だという顔で歩き出そうとして。

 

「っ、待って……!」

 

 櫛田の指が、袖を捉えた。華奢な指先が、布に食い込むほど強く。

 

 狛枝は足を止め、ゆっくりと振り返る。

 すぐには振りほどかない。まるで彼女の瞳の奥に潜む感情を、じっくりと味わうかのように覗き込む。

 

 数秒の静寂。

 やがて、彼は何かを確認したように目を細めると、ひらりと身を翻して手を躱した。

 そのまま振り返ることなく、茶柱先生の背中を追って教室を出て行く。

 

 嵐が去った後の異様な静けさ。その重い空気を振り払うように、平田が前に出てオレたちを見回した。

 疲労感は隠せていないが、それでも目は死んでいない。

 

「とにかく一度、みんなで話し合おう。対策の強化に中間テストの勉強……課題は山積みだけど、一つずつ片付けていくしかないよ」

 

 不幸中の幸い、と言っていいのかは怪しいところだが。狛枝がある種の悪役を演じてくれたおかげで、クラスの空中分解という最悪の事態だけは免れた。

 屈辱のゼロポイント。理不尽な退学。詐欺に等しい卒業特典──それらへの不満や怒りを、狛枝が一身に受けた形になる。所謂スケープゴートという奴だ。

 

 想定よりも立ち直りの早そうなクラスメイトを眺めながら、オレはぼんやりと先の光景を思い起こしていた。

 

 ──最後に櫛田を見ていた時のあいつの目。

 

 全てを拒絶するドス黒い闇。だが、その深淵の中で──燐光(りんこう)のようなハイライトが、ゆらりと灯ったように見えた気がした。

 

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