未踏査領域の一つとなっている伊豆に寂れた病院が一棟あった。かつては世界有数の私設病院として地元でも有名だったそれは、今では人里離れて暮らす異能の力を持つ子供たちにとっての身寄りになっていた。
「今日はサッパリ釣れないな」
海辺で魚釣りをしていた褐色肌の男性、天樹院カイルがぼやく。海の魚はガストレアの影響こそあれども、人間による漁獲量の大幅減少もあり十年前と比べても遜色ない生育している。そのため磯辺での魚釣りでは日に十匹程度は釣れるのだが、この日は半日かけて一匹も釣れないでいた。
その様子を不運に思い、ボヤキの一つが入っても無理はない。
「仕方がない、もう少し沖に出るか」
カイルは場所を変えるために岩礁から海へと歩き出す。自らが持つ異能の力、空気を固める
再開してから二十分ほどで彼の釣り針に大物がかかる。
「コイツはデカいぞ」
カイルは竿が壊れないように注意しながら獲物を引くが、まるで巨木に根がかりでもしたように相手は動かない。しびれを切らしたカイルは服を脱ぎ、海中に潜ることにした。服を足場の上に脱ぎ、竿を片手に海に飛び込む。
息を止めながら糸に沿って潜るカイルは、針が刺さった獲物の姿をついに捕える。
「んんん!」
だがカイルはその姿に驚き、水中ということも忘れて息を吐き出してしまう。思わず海面に出たカイルは息を荒げ、院内にいる仲間に向かってテレパスを飛ばす。
『クソデカいガストレアだ!』
カイルが見つけた獲物はガストレアだった。その大きさは百メートルを超えており、保護色なのかその色合いは水中に潜らなければ見えないほど見つけにくい。それがゾディアックの一体であることはその異様ともいえる大きさが証明していた。
カイルの発見から、天樹の根にて暮らす人々を束ねるエルモアウッドの面々は迎撃態勢を取る。以前、エルモアウッドはゾディアックの一体である天秤宮リブラと戦ったことがある。その際の結果は撃退こそ成功したものの殲滅には至らない痛み分けであった。
リブラ最大の特徴である殺人ウィルスをエルモアウッドの最大火力である天樹院フレデリカによるパイロキネシス……『パイロクイーン・サラマンドラ』で焼き払うことにこそ成功したが、リブラ本体までは焼き尽くせなかったからだ。
ましてや今回は炎とは相性が悪い水辺の戦いである。出来ることならやり過ごしたいというのが本音に近い。そこでエルモアウッドリーダーの天樹院マリーは、ガストレア戦争以後の十年間で連絡を取り合うようになった一団、
「―――と言うわけで、天戯弥勒と連絡を取りたいのですが、頼めますか?」
「わかった。やってみよう」
マリーは天樹の根で暮らす住人の一人である青い髪の女性に頼む。かつてグリゴリ07号と呼ばれた彼女は、W.I.S.Eの首領である天戯弥勒の双子の姉である。互いに高レベルのサイキッカーでもあるため、この二人は同調すれば長距離での無線テレパスで意思疎通が出来る。それを知っているからこそ、マリーは彼女にメッセンジャーを頼んだ。
グリゴリ07号と天戯弥勒。二人の波長は一致し、数百キロの距離はゼロになる。
『奇遇だね、姉さん。俺も姉さんの様子が知りたかったところだ』
『それはちょうどよかった。簡単につながったのはそのためか……
もっともお前に用があるのは私ではなくマリーの方だがな』
『マリー? エルモアウッドの女傑が何の用かな?』
『お久しぶりです、天戯さん。急なお願いになるのですが、力を貸してくれませんか』
『要件次第では構わない。だが俺達も立て込んでいる、期待に沿えるかは解らんぞ』
『それでは……三時間くらい前になるのですが、伊豆の海中にゾディアックと思われるガストレアが出現しました。今は水中に留まってお魚を食べているみたいですが、これが浮上してきた際の迎撃戦力を貸してほしいんです。出来ればグラナさんか天戯さん直々に』
『それは本当か?』
弥勒は先日の会議を思い出す。予知により近々東京エリアに二匹のゾディアックが襲来することを察知していた弥勒は、伊豆に現れたゾディアックらしき何かはそのうちの一体に違いないだろうと予想する。
『……良いだろう。ジュナス、ウラヌス、カプリコをそちらに送る』
『ありがとうございます』
今回の人選はウラヌスが凍結能力『
弥勒はエルモアウッドの共闘により片方の討伐に必要な戦力が少なく済んだと心の中でそろばんをはじいた。
『例には及ばない。こちらとしても行方を追っていた獲物だ』
弥勒は姉との交信を終えると、早速三人を呼び出して指示を与えた。三人は特に異を唱えることは無く、カプリコがイメージを具現化するPSI能力にて生み出した
「あと一匹か……そっちはお前に任せるとするか、グラナ」
「そういう弥勒はお留守番か? アンタだって戦いたいだろうに」
「構わんさ。星将全員が出払ったら島の護りが手薄になる」
「違いねえや」
弥勒とグラナ、W.I.S.Eのツートップはシャイナたち三人を見送ると談笑にも近い打ち合わせを始めた。弥勒の言うように星将と三十組強のサイキッカーと呪われた子供たちのペアを送り出せば慰問島の護りが手薄になることは自明の理である。
弥勒は一人で手薄になった慰問島を護るつもりであると、グラナに打ち明けているのだ。
「ミスラの時もそうだったが、俺は未来視ってやつはどうも信用できないタチでな。本当に東京エリアで戦力を動員する必要があるような襲撃が起きるのか?
確かにゾディアック二体の出現は当たっているんだろうよ。だがゾディアックを相手に雑兵なんて禄に役には立たないぜ。それに撃破されたタウルス以外は群れでは行動しないらしいじゃねえか。雑魚が押し寄せるとしたらゾディアックに蹂躙された後の話になるんじゃないのか?」
「つまりジンが腹に一物を抱えていると言いたいわけか、ミスラのように。俺が戦力を東京エリアに向けるように仕向けていると」
ミスラとはかつてW.I.S.Eにて参謀役を務めていた予知能力者の名である。彼女は最終的に弥勒を裏切り、牙をむいていた。その時は未来を知って眼前に現れた夜科アゲハ達の協力で難を逃れたが、グラナはその時の顛末故に未来視能力への不信感を持っていた。
未来など予め決まっているものではないという主観を持つこともその一因であろうか。
「そういうつもりじゃないが用心は怠るなと言う話だ。俺だってガキの頃から育ててやった相手だ、ミスラとジンが違うことなど承知しているしアイツが裏切るとは思ってはいねえ。それでも予知を妄信するのは危険だと言いたいわけだ。未来は確定しているわけなんてないんだからな」
「ならばヴィーゴをここに残すか」
「それがいい。アイツは集団行動が苦手だからな」
これからの方針が決まり、後は事が起きるのを待つばかりとなった。
――――
人面鳥の羽搏きにより四時間ほどで伊豆に到着したジュナスたちは、エルモアウッドと合流していた。ジュナスとウラヌスは育ちのせいか人当りが悪い性格と言うこともあり、交渉役にはカプリコが買って出る。
「エルモアウッドのみんなも久しぶりね」
ガストレア戦争以後の十年でそれなりに見知った間柄になったということもあり、簡単な挨拶を済ませると三人は天樹の根に招き入れられる。案内された会議室の円卓にはカイルが撮影してきたガストレアの写真が何枚も並べられていた。
会議にはリーダーの天樹院マリーを含め、天樹院カイル、天樹院シャオ、天樹院フレデリカの三名も参加していた。
カプリコは撮影された写真を見るなり、今まで蓄えてきたガストレアについての知識と照らし合わせてその正体を見極めた。
「これは……たぶんアクエリアスだね。体内に蓄えた水を巧みに操る厄介な相手よ。タクラマカン砂漠にオアシスを作るほどの水分を蓄えた水陸両用のガストレアだわ」
「水か……こりゃあフーのパイロクイーンとは相性が悪そうだぜ」
「フン! そもそも水中に引きこもられている時点で分が悪いわよ」
「オマエ達は脚を引っ張らなければそれでいい。ゾディアックと呼ばれてもしょせんは只の人間にだって倒せる相手だ。俺の神切とウラヌスの氷碧眼があれば充分だ」
ジュナスが言う只の人間とはゾディアックの内の一体、タウルスを倒した民警の事である。実際にこの民警が只の人間かと言われれば限りなくその可能性は低いのだが、ジュナスの認識としては只の人間と言う話である。
ジュナスはグリゴリの実験体であるがゆえに、人間社会の常識として化け物に相違ない『軍事バランスすら崩しかねないIP序列一位』という肩書もむしろ過小評価の対象となる項目なのだ。
「同感だ。俺達にとってゾディアックが厄介なのは隠密性だ。逆にいえば場所さえわかれば後は叩き潰すだけに過ぎない」
「僕たちもあなた方の実力は承知しています。ですが現にリブラにはフレデリカの炎が通用しなかった。正確にいえば倒しきれなかったというのが正しいのですが、あまり油断してかからない方がいいです」
自信満々のジュナスとウラヌスに対してシャオが窘める。シャオとてリブラと実際に対峙するまではどちらかと言えばジュナスやウラヌスに近い意見を唱える立場にあった。ゾディアックガストレアが持つ耐熱能力が生物としての常識をはるかに超えていることが、シャオを筆頭にエルモアウッドの面々には大きな不安要素として挙がっていた。
今回W.I.S.Eに応援要請を頼んだ最大の理由も、熱と言う自前の最大火力が通用しない以上はより強力な衝撃によるダメージでなければ倒せないだろうという過去の経験を踏まえた判断にある。
「パイロクイーンが通用しなかったのは、たぶん何かしらの防御手段を持っていたからだと思うよ。ガストレアだって突き詰めれば炭素の塊だから、極度の高熱には普通なら耐えられないはずなのよ」
エルモアウッドの不安にカプリコが生物学的な見地を示した。
「たとえば体の表面から無数の泡を出し続けるなどして熱を遮断したのなら、耐えられても不思議じゃないわ」
「カプリコさんはそれがすべてのゾディアックに共通する能力だと?」
「それはやってみないことには……」
シャオはカプリコに迫るが、流石のカプリコもデータが少ない事象については実験してみないことには答えられない。申し訳なさそうな顔をするカプリコを見かねたジュナスはエルモアウッドを威嚇する。
「とにかく、これ以上は時間の無駄だ! 俺達は移動の疲れもあるから休ませてもらう。お前はヤツの居所を見失わないように見張っていろ!」
ジュナスに凄まれたシャオは気圧されてしまう。客室に向かうジュナスたちの背中を眺めながらマリーの前で情けない姿を見せてしまったと落ち込むシャオに、マリーはフォローを入れる。
「シャオ君は悪くないわ。ただ、ジュナスさんはカプリコさんが心配だから気が立っているだけよ」
「そんなことは解っているさ。それでも彼の思い上がりを正せずに言い返されたことが辛いんだ」
「シャオは真面目すぎるんだよ。それに浜辺までアクエリアスを引き寄せて戦うことになっても、追い返すまでなら俺達だけでも充分出来るのは前にもやったとおりだぜ。今回は援軍もいるんだから、大船に乗ったつもりでいようぜ」
「僕は時折、キミの明るさが羨ましいよカイル」
「俺はそのぶん馬鹿だからな。おばば様も言っていただろう、みんな誰しも足りないものがあるからこそ、人は協力するんだってな」
「そうでしたね」
この日は打ち合わせの後、シャオがトランスによる楔をアクエリアスに打ち込み様子を見ることになった。時刻は夜の九時半、ちょうど東京ではドルキとシャイナがガストレアと交戦していた頃である。
エルモアウッド登場の話
合流させずに東京組と伊豆組をうまく整理できればいいんだが