高級ホテルの一室で二人の男が食事をしていた。一人は三十前後の働き盛りといった風貌でブランド品に囲まれた青年で、もう一人は二十歳にも満たない少年である。
「まさか四枚羽根の方に協力していただけるとは思いませんでしたよ」
「僕としても目的がありますのでね」
「ほう?」
「里見蓮太郎と夜科アゲハの二人です」
「理由を聞いてもいいかな?」
「里見君は僕の同類ですからね。単純に勝ちたいだけです。腑抜けた彼に勝っても虚しいかもしれませんが、こうでもしないと彼を殺したら面倒な事態になりますから」
「では夜科アゲハは?」
「彼は教授に捧げるサンプルです。これ以上はあなたが知る必要がない話なので割愛しますが」
「教授がですか……でしたら何かの罪をでっち上げて逮捕しますか? 里見君のように」
「それは難しいでしょう。里見君はこちらの都合に丁度良いエサがいましたが、彼にはそのような人間などいませんから」
「一応資料を調べてみたが、彼と親交が深い望月朧が失踪状態の今ならつけいる隙があると思いますがね」
「あなたの方こそ彼らを見くびりすぎです。僕のカンでは水原の死体を持ち逃げしたのは望月朧です。なにせ水原が最後に電話をした人間ですからね。彼が証拠を握っている以上、迂闊な行動は致命的な失敗に繫がりますよ」
「では、あなたのカンが正しいとしたら何故望月氏は姿を消したのだと? 私には死体を隠したところで死体遺棄の罪になるだけとしか思えませんが」
「その方が面白いからでしょうね」
「?」
「当初の計画通りに死体を盗まれなければこのような事態にはなっていなかったのですが……ミラージュインダストリィの力なら死体を新鮮な状態で保存していてもおかしくありません。的確なタイミングで本物の死体を持ち出せば逮捕の証拠が偽物である以上、里見君は釈放される可能もありますからね。警察と我々のメンツを潰す最高のタイミングを図っているのでしょう」
「だがそれでも、今警察にある死体は里見君が殺人を犯した証拠には相違ないのでは?」
「単純に考えれば警察が被害者を間違えただけの話になりますが……あなたの指示で碌にDNAや歯形の鑑定をせずに『あの死体が水原鬼八である』とごり押ししてしまった手前、その前提が崩れればそれだけでスキャンダルですよ」
「そうなってしまったら私の計画が―――」
「だからこそ、あなたは我々の手の中にある里見君と天童木更に狙いを搾るんです。既に水原を筆頭に『ブラックスワン・プロジェクト』を嗅ぎ付けた連中の口は封じ終えた以上、余計な欲を見せたら姫を逃がしますよ。あとは既成事実を作るだけで良いんです。それさえ出来れば里見君の冤罪が証明されようとも後の祭ですから。それにどうせ里見君は僕が殺しますからそれまで望月朧をけん制出来れば充分です」
「そういうことか……ならば私も急がないとな、動揺で彼女の気持ちが揺れている今のうちに」
「僕もそうさせて貰いますよ。里見君が檻の中にいて手が空いている今のうちに夜科アゲハを捕らえます。それが終わればいよいよメインディッシュとさせてもらいますよ」
「では我々の勝利を祈願して……改めて、乾杯」
「僕はジュースですけれどね」
二人の密談はしばらく続いた。
夜が明けて里見蓮太郎の逮捕から二度目の朝を迎えた。
朝一番に木更は蓮太郎に面会に訪れた。
何やら神妙な顔をして。
「里見君……今日は大事な話があって来たの」
「なんだよ? もしかしてクビとかそういう話か」
朝の時点でまだ蓮太郎は気丈に振る舞っていた。
自分はやっていないという自信を持っていることもその元気の源泉でもある。
「話は二つ。一つはIISOからライセンスと序列を剥奪するって通達が来たわ。執行はまだ先だけど、このままだと二百十位って今の順位はパーになるわ」
「スコーピオンの事件まで十二万代のぺーぺーだったんだぜ? またやり直せばいいじゃないか」
「問題はここから。例え冤罪を晴らして復帰しても、延珠ちゃんと別れるしかないのよ」
「どういうことだよ」
「ちょっと妙な話なんだけれど、執行に先立ってと無理矢理に延珠ちゃんの身柄を引き渡す様に言ってきたのよ。私も反対したんだけれど……ごめん」
「もしかしてもう延珠は―――」
「今朝押しかけて来た職員に連れていかれたわ」
「俺はアイツのパートナーだって言うのに……ちくしょう!」
蓮太郎は口惜しさのあまり手をテーブルに叩きつけた。まさかこんな別れが来ようとは思いもしなかっただけショックは大きい。
「それともう一つ……IISOから延珠ちゃんを取り返す事と里見君の冤罪証明に協力してくれるって言う人が現れたの」
「本当か?」
どん底に突き落とされた気分の蓮太郎に対してすぐに舞い込む救いの話は彼の顔を明るくする。だが彼もそんな美味い話があるわけないとすぐに思い知らされる。
「この前見合いした櫃間さんがね……いろいろ協力してくれるっていうの」
「あの人が? やったじゃねえか」
「でもその条件が―――」
「なんだって言うんだよ?」
「私が彼の嫁になることなのよ。要するに結婚よ」
「え……」
突然結婚と言われて蓮太郎の顔は凍り付く。
「彼の話では名家の女を娶れば警視庁内の地位も向上するからその力で里見君を救えるって言うの。うまくいけば延珠ちゃんも取り返せるわ」
「なんだよそれ―――」
「悪い話じゃないでしょう? それに櫃間さんも復讐に手を貸してくれるって約束してくれたわ。里見君も延珠ちゃんも帰ってきて、おまけに復讐を手伝ってくれるパトロンまで現れて……一石三鳥の吉報でしょ」
「―――木更さんはいいのかよ?」
「……」
明るく振る舞う木更だが、蓮太郎に「いいのかよ?」と言われてうっすらと涙を貯めていた。
本当は嫌だが彼女がこの事件で急速に瓦解の危機にある天童民間警備をまとめるためには櫃間の力に頼るしかないのもまた事実である。
現実と願望を天秤にかけて櫃間の話を飲むしかないと考えている木更は表情以上に心の中で泣いていた。
「ごめん」
木更は我慢できなくなってその場を立ち去った。
恐らく物陰で涙を流しているのだろうと蓮太郎も察する。
だがそれよりも木更の決断はいわゆる人身御供である。
蓮太郎は申し訳ない気持ちとやるせなさに苦しみ顔は覇気をなくす。
木更が去って三十分ほど経過したころ、取り調べを受けたことで蓮太郎の逮捕を知ったアゲハと桜子は拘置所に顔を出した。
面会に現れた蓮太郎の顔はやつれていた。
「オマエも散々な目にあったな」
「……」
アゲハの呼びかけに蓮太郎は応えない。目の光りもなくよほど腑抜けているのだろう。
桜子は事情を知るために無理やりWMJに捉えて心を探る。
桜子が見たのは蓮太郎と鬼八の最後の記憶である。
『ブラックスワン・プロジェクト』『新世界創造計画』と物騒に思える怪しいワードを口にして異様に身の回りを警戒する鬼八の様子は桜子には異様に見えた。
『黙ってないで答えなさい。これはどういうことなの?』
「どうって―――」
桜子のテレパスにやっと口を開けた蓮太郎は「俺にはどうしようもない」と言いたそうに答えた。
このとき蓮太郎の心を支配していたのは先ほどの木更との話である。
桜子も木更の事はこのとき知ったが、今はそれよりも鬼八との事が大事だと判断していた。
「ここからは頭に念じて答えなさい」
桜子は盗聴を警戒してテレパスでの会話に絞る。
『水原君が言っていた言葉に、本当に思い当たりはないの?』
『そっちか……全くないぜ』
『でも望月朧に連絡をするように勧めたのでしょう?』
『俺の記憶を覗いたのならわかるだろうが、水原の様子は普通じゃなかったからな。なにせ聖天子様に会わせろとまで言うくらいだ。すぐにコンタクトを取れそうな大物っていったら他に居ないじゃねぇか』
『キミは知らないだろうけれど……いま望月朧も姿を消しているのよ。私たちも連絡を入れたけど電話も通じないわ』
『なんだって?』
『彼が殺されるとは思わないけれど、姿を消したことと今回の事件はきっと関係がある。それだけ水原君が言っていた言葉の裏には重大な秘密が隠されているのよ。私が思うにアナタの逮捕もきっとその絡みよ』
『俺は水原からなにも聞いていねぇけどな。それに俺は塀の中だぜ? 何ができるって言うんだ』
『私たちがここから連れ出してあげるわ』
『それじゃあアンタらが……』
『この際、逮捕なんてどうでもいいでしょ?』
テレパスなので周囲の人間には聞こえていないとはいえ物騒なことを言いだす桜子に蓮太郎も驚く。
「冗談だろ?」
「冗談なわけないでしょう」
思わず口を開いた蓮太郎に対して桜子も口で返し続きはテレパスに戻す。
『すぐに逃げた方が身のためだと思うけれど……力尽くで今すぐだとアシが付くわ。決行は後にしましょう』
『そんなこと言われても俺には何も出来ないぜ? それにそんな暇があるのなら先に延珠を助けてやってくれ。アイツは今、IISOに連れてかれちまっているんだ』
『それは私たちのツテを頼ってみるわ。夜になったら迎えに来る、それまでに体調を整えておきなさい』
テレパスを終えた桜子は最後の一言を口で伝える。
「お大事にね」
「ああ、そっちこそ」
桜子主導で思念通話による物騒な打ち合わせを終えるとアゲハと共に桜子は拘置所を後にした。
つい了承してしまった蓮太郎も実のところ悩む。冤罪なのは自分が良く知っているとはいえこのまま逃げてもいいのかと。
だがアゲハと桜子が首尾よく延珠を確保してくれるのなら脱獄して己が手で無実を証明し、そして木更を人身御供にしなくて済むかもしれないと考える。
希望の灯は死にかけた彼の心をよみがえらせた。
この際どうでもいいでしょの話
原作五巻にあった帰納法でいえばここで一区切りですが次も用意してあります