夜七時を回った頃、捕らわれの身となっていた蓮太郎は聖居に連れてこられた。今回の事件を受けて聖天子直々の話があるとのことで、後ろ手に拘束された姿で聖女と謁見した。
話の内容と言うのは民警ライセンスの剥奪よりも先に自主的に返納してほしいとのことで、このまま剥奪が執行されて事件が公になれば、なまじ蓮太郎が東京エリアを代表する高位序列者である以上は影響が大きいという判断である。
特に蓮太郎は聖天子肝いりの民警のため彼女にも任命責任が降りかかるという大人の事情を孕んでいるのは言うまでもない。
「―――そういう事なら返納は構わない。だけど一つだけ確認させてくれ。IISOが延珠を連れて行ったのは、俺にこの話を承諾させるためにアンタか菊之丞が手を回した事なのか?」
「弁えろ! 聖天子様がそのような謀略をすると思うか?」
「でもアンタは聖天子様のためならそういう事を平気でやれるよな?」
「今回は手を出してはおらん。キサマ如きを御するのに小細工など要らぬからな」
「そうかよ」
返納を承諾しつつ延珠の件を問う蓮太郎に傍らに控えていた菊之丞は吠えた。
彼の談を信用する限りIISOの動向は聖居側の工作ではないようである。
返納の承諾が取られて民警ライセンスが聖天子の元にわたったことで話はここまでと蓮太郎は聖居を後にした。
再び拘置所まで帰るまでの道に不穏な小さな影が潜んでいた。道中には雑木林となっている区画があったのだが、そこに入ってしばらくすると蓮太郎を乗せたワゴン車の前に人影が現れたのだ。
運転手は影に驚いて急ブレーキを踏むが間に合わない。引いてしまうと恐怖して必死に躱そうとハンドルを切ったのだが、影はハンドルの動きとは逆に飛び退いて無事に衝突を避ける。だがワゴン車は無事ではなかった。火薬が爆ぜる轟音が轟きワゴン車が横転したからだ。
影はワゴン車を避けると側面からショットガンで車を撃ちぬいていた。使う弾頭は対人征圧用の十字ゴム弾だが火薬が増量された特注品である。元は暴徒化した呪われた子供たちを殺すことも辞さずに制圧するために作られたものだが、数倍の威力とハンドルを切ったことによる慣性力を組み合わせれば容易に横転させることが出来たのだ。
運転手や蓮太郎を監視していた護衛は横転の衝撃で頭を打って気絶していたが、蓮太郎は辛うじて護衛がクッションになって気を失っていなかった。
そんな蓮太郎の前に影は顔を出して拳銃を突き立てた。
「ついて来なさい」
影はそういうと蓮太郎を誘拐していった。
その頃、延珠を連れて帰宅したアゲハと桜子は夏世に出迎えられた。この日の夏世は菫の手伝いで彼女の元に出向いており夕方に帰宅していた。本来ならアゲハが勾田大学病院に迎えに行く予定だったが、先ほどの戦闘があったことから先に帰ってきていた。
「夕飯は私が用意するから少し待っていてね」
「雨宮さんの手料理ですか?」
「大したものじゃないけれどね」
三十分ほどかけて桜子は夕飯を用意した。
香ばしく赤い色をしたスパゲティが食卓に並ぶ。
外食や出来合いの弁当が多いためこの日も米を炊いていたわけではないためこのような麺料理は捗る。
「赤いパスタなんて初めてです」
「夏世、お主はナポリタンを知らぬのか?」
「今までパスタと言えば塩とバターだけかデスペラードくらいの貧乏飯くらいしか食べたことありません」
「確かに伊熊のヤローはそういうので腹ごなしして『喰えればいいんだよ』とか言いそうだぜ」
桜子が作ったのは変哲の無いナポリタンと味噌汁だけだったが、客人の延珠よりも夏世の方が食いついていた。
初めて見るナポリタンがよほど気に入ったようで、アゲハは初めて夏世がおかわりを要求する姿を見た。
食事を終えて食休みをしてから桜子は延珠と夏世を風呂に入れる。そのまま十時ごろになると子供二人は流石に眠くなったようでそのまま寝室に寝かせる。
深夜十一時を回る頃になると、この『蓮太郎誘拐』情報は木更の元にも届いた。櫃間から直接聞いた木更はもし予想が当たっていた場合を考慮して櫃間が帰って行ってから電話をかける。
電話を受けたアゲハはまさに拘置所襲撃の準備をしている最中だった。
『もしもし夜科さん、今どこにいますか?』
「天童社長か。どこって言われても自宅だぜ」
『一応念のために質問しますが……里見君と一緒にいたりしませんよね?』
「そんなわけないだろう、アイツは塀の中だぜ」
『嘘じゃないですよね』
「しつこいなぁ……まさか蓮太郎が脱獄した訳じゃあるまいし」
『そのまさかですよ―――』
アゲハはこれからまさに蓮太郎を脱獄させようとしていたのを脇に、冗談めかして答える。だが木更が言うにそれは本当のようで、なんでも謎の襲撃者が聖天使と謁見するために一時的に外出した蓮太郎を誘拐していったとの事である。
木更は自分と蓮太郎共通の知り合いでそのような行動を起こしそうな人間など他に知らなかった。
連絡を取ろうにも蓮太郎自身の携帯電話はライセンスと共に聖天使に返納されているため連絡がつかない。
そこでアゲハに電話をした次第である。
事情を聴いたアゲハは電話を切ってから桜子にそのことを伝え、プランを変えることにした。
「面倒なことになっちまったが、蓮太郎が誘拐されたそうだ。これから向かっても無駄になっちまったぜ。さて、どうする?」
「これって私たちの予想している『里見君の逮捕を画策した黒幕』がやった事……なわけはなさそうね。黒幕がやった事ならこのタイミングって言うのも少し変だし。あえて逃がすことで里見君を強引に殺す方便を立てた可能性もあるとはいえ、回りくどすぎるわ」
とりあえずこの話を自分たちの間に留めて夢の中にいる夏世と延珠には知らせるべきではないと二人は示し合せる。さてこれから現場に向かうべきかと相談していると、今度はおっさんの一団が家に押しかけて来た。
「警察だ、入らせてもらうぜ」
「子供が寝ているんだ、静かにしてくれよ」
やって来たのは多田島とその部下数名だった。襲撃現場の検証を終えたその足で多田島はアゲハらが住むアパートまで車を走らせた。もちろんアゲハが誘拐犯なのではと疑って。
「出来るだけ静かにやるが、部屋の中を調べさせてもらってもいいかな?」
「寝室は子供が寝ているから明日にしてくれ。それ以外ならどこを調べてもいいぜ」
「寝室? だったらそこは入念に調べないとな。なあに、子供は起こさんようにするさ」
多田島はアゲハの頼みなど聞く耳持たずに家中を調べ歩いた。
子供たちが目を覚まさなかったことは幸いだが、睨んでいた蓮太郎の姿が全くないため多田島は苦虫を噛む思いをする。
刑事の勘でいえばアゲハが蓮太郎を誘拐もとい救出してもおかしくないと睨んでいたし、実際にそのような行動に移す予定だったのは正解ではある。だが決行前に第三者が獲物を横取りしたのだからこの家に蓮太郎がいるわけなど無かった。
二時間ほど調べると諦めて多田島は帰って行った。
ハミングバード戦シリーズ一回目
ここからだいぶ変えてしまってとりあえずハミングバードとの戦いまで四回分出来ましたがこの後は最終戦の運びでまた時間がかかりそうです