勾田大学病院を出たアゲハらは光風ファイナンスがあるハッピービルディングに到着した。
ハッピービルディングには当然天童民間警備も入っており、窓からは微かに光が漏れていた。
その光に気付いたアゲハは桜子に提案する。
「灯りが付いているし、天童社長もいるみたいだな。クスリの事を聞きに行く前によっていかないか?」
「そうね。延珠ちゃんのこともあるし」
二人はクスリの件を聞きだす前にと天童民間警備の扉を開けた。
中には委縮しているのか、それとも落ち込んでいるのか大人しくしているティナと、煌びやかな白のドレスに身を包んだ木更がいた。
「こんちわ! そんな恰好をしてどうしたんだ?」
「これはですね……その……」
受け応えたティナの口調はどこか違和感がありこの格好に不満があるのは暗い表情から容易に想像がついた。木更も作り笑いなのか表情が硬い。
そんな二人を嘲笑うかのように、にこやかな男性が物陰から現れる。
白のスーツに身を包む警察官僚櫃間篤郎は調子に乗っていた。
「やあ、お客さんかな?」
「そういうアンタこそ誰だよ」
「これは失敬。私はこういうものです」
櫃間は胸元から警察手帳を取り出して二人に見せる。中には警視・櫃間篤郎と書かれており、二人にも彼が刑事なのだろうことを知らせる。
だが浮かない顔をした少女二人と浮かれ過ぎな中年男性という構図は不審に思わざるを得ない。
「わかっていただけたかな? 今日は忙しいから木更に用があるなら後日にしてくれないかな。もしティナだけに用があるなら連れて行ってくれて構わない。木更のパートナーだから同席を許しているが、どうも彼女は懐いてくれなくてね」
「うるせーぞ! だいたいそのふざけた格好はなんだよ? まるで今から結婚式でもやるみたいじゃねぇか」
「みたい? 違いますね、これは衣装合わせです」
「どういうことよ」
「今朝方やっと彼女も心を決めて見てくれたところでしてね。気が変わらないうちに挙式をあげるんですよ。だから『みたい』ではなく『そのもの』なんですよ」
「本当なの?」
「仕方がないじゃない。こうでもしないとみんながバラバラになってしまうじゃない」
「おや、木更は嫌なのですか?」
「ごめんなさい。言葉のアヤで……」
「クズね」
必死に涙をこらえて作り笑いで答える木更の表情に桜子は怒る。つい『クズ』と呼んでしまい櫃間の眉間に青筋が立つ。桜子は怒りに任せて手を出そうかと拳を握るが、それより先にアゲハは動いていた。
頬を穿つ拳は櫃間を突き飛ばし、地面で擦ったスーツは汚れる。
「なにをする!」
櫃間は立ち上がると怒髪天を突くというにふさわしく激昂してアゲハに手錠をかけた。
一応は刑事であるということか、結婚式の衣装であっても警察手帳と会わせて手錠と拳銃は手放さない様子である。
さらに拳銃をホルスターから抜くと、銃口をアゲハの額に押し当てて彼を
「私は寛大だから一度くらいなら許してもいい。だから答えろ、何故私を殴った?」
「反吐が出るぜ!」
アゲハは挑発の意味も込めて櫃間に唾を吐きかけた。頬の擦り傷に付いた唾はひりひりと痛む傷に不快感を与え、そこに見知らぬ男に殴られただけではなく唾までかけられたという精神的侮辱が合わさっていよいよ怒りは頂点を超える。
ぐりぐりと銃口を押し当てて今にも発射させると言わんばかりに脅す。こうでもすれば死にたくなければ平謝りするだろうと櫃間は思っていた。
「冗談はそれくらいにしろよ。逮捕どころか死にたいのか?」
「やめてください! 私からも謝りますから」
「木更は黙っていてください。これは彼らと私の問題だ。おいそこの女! 逮捕されたくなかったらこの男と一緒に謝れ」
「謝るわけないでしょう。アナタの事は里見君から聞いているわ、櫃間篤郎さん。首尾よく木更を手籠めに出来たからって調子に乗り過ぎよ」
「なにか誤解があるようだな。嫉妬した彼が吹き込んだのかもしれないが、手籠めだなんて人聞きが悪い」
「そう? だったらこのティナちゃんの委縮っぷりはおかしいわよ。それに下種の心なんて気持ち悪くて読みたくないけれど、シラを切るなら仕方がないわ」
桜子には櫃間は下劣な男にしか見えなかった。本来ならばもっと真っ当な場面もあるのかもしれないが、桜子は木更と婚約して有頂天になる彼の様子しか知らないのだから仕方がない。
それに曇った顔をした二人の顔を見たら桜子には櫃間が悪者にしか見えないのは当然である。
櫃間はこれでも警察官僚なのだから黒そうな腹を探れば何か今回の事件に関わりのある情報の一つでも奪えそうだなと思いながら桜子はWMJを敢行する。掌から伸びるトランスの端子を櫃間の額に突き刺そうとするが、ここで一つ問題が起きる。差し込もうとすると端子が雲散霧消してしまうのだ。
「これは……対トランス手術を受けているの?」
「トランス? 何のことだ」
「桜子! とりあえず伸ばしちまえ」
「ハァ!」
トランスが失敗して少し桜子は惚けてしまうが、アゲハの呼び声に反応して気を入れ替える。
そのまま飛びついた桜子は櫃間の頬を太ももで挟んで首をひねる。
骨折しかねないほどの衝撃は一発で櫃間を失神させて脱力した右手からは拳銃が抜ける。
人呼んで『桃源落とし』が見事に決まり悪漢櫃間は気絶した。
櫃間の気絶を確認したアゲハはもういいだろうと力を込めて手錠を力ずくで引きちぎり、懐からくすねた鍵で輪を外す。
「下種には過ぎた技ね。それに今のはいったい……」
「まあいいじゃねえか。とりあえず簀巻きにして奥の部屋にでも入れておこうぜ」
「そうね」
桜子は言われるがままに櫃間を布団で簀巻きにすると身動きが取れない状態のまま隣の部屋に押し込んだ。
櫃間からの威圧が無くなった木更とティナの顔にも次第に明るさが戻り始めて、木更は桜子の薄い胸に飛びついて泣き出す。
「なんてことをしてくれたのよ。彼が協力してくれなかったら、里見君は犯罪者のまま殺されちゃうわ!」
「大丈夫よ」
「大丈夫なんかじゃないわ! それに延珠ちゃんのことだって……」
「今日はその延珠ちゃんのことで来たのよ。安心して、彼女は私たちが預かっているわ」
「え?」
「それは本当ですか?」
「本当よ。嘘だと思うなら菫先生の所にいってみなさい。それにとりあえず私たちが掴んでいる現状の情報も伝えるわ」
桜子は木更を落ち着かせてから二人に自分たちが知る事件の裏側を語った。
具体的にはブラックスワン・プロジェクトの事、そしてそれに関係してトリヒュドラジンの流通を追っていること、そして鬼八が実は生きていることである。
鬼八が生きている時点で警察も信用できない存在であり、桜子は避難の意味も込めて菫の所に隠れたほうがいいと二人に進める。特に口では蓮太郎の冤罪を晴らすのに協力すると言っていた櫃間の言動は怪しかった。いくら木更の首を縦に振らせたからとはいえ浮かれ過ぎているし、なにより蓮太郎が逃亡したという本来なら遊んでいる暇などなさそうな不測の事態にあっても浮かれて遊び惚けているのだから余程の大人物でなければ何か腹の内側に隠しているとしか桜子には見えなかった。
それに結果論とはいえ対トランス手術を受けていたことが露呈したのは決定的だった。聖天子の例から考えて聖居関係者ならもしかしたらという思いが桜子にもあるとはいえ、単なる警察関係者が受けたにしては過ぎた手術に思えたからだ。
それに櫃間のリアクションはどう見てもトランス線を見えていなかったとしか思えない。ならば本人も知らないうちにこのような手術を受けていたことになるが、そう考えると高度な人体改造に精通した人間がバックに居ることになる。昨日にも同じ手術を受けたエージェントと遭遇しているのだから桜子がその二つを結びつけることは当然であろう。
「それにね……昨日戦った男が櫃間と同じ対トランス手術を受けていたのよ。私にはこの二つが無関係とは思えないわ」
「その男は里見君の事件とは何か関係があるのですか?」
「確定したわけじゃないけれど、私はあると思うわね。彼は延珠ちゃんを相棒殺しに引き渡そうとしていたわ。そもそも延珠ちゃんがIISOに連れていかれた時点できな臭かったわけだし、わざわざ職員を名乗って延珠ちゃんの引き渡しをしていた時点でその男は怪しいと思うわ」
「雨宮さん、こうなったら私も協力します。追い込まれてどうかしていました。この程度の状況すら打破できなければ私の目的だって達成出来っこないのに目の前の誘惑に負けてしまって」
「……目的ってのが何かは別にして、だったらアナタには彼の帰る場所を護ってもらうわ」
「それって?」
「アナタ自身だけではなく、ティナちゃんや延珠ちゃん、それに菫先生も……今回のイザコザで何かあれば里見君も帰って来たときに辛いじゃない」
「わかりました。ところで、彼は……」
桜子の提案を了承した木更はチラっと簀巻きにされて気絶する櫃間を見る。
そのまま連れていくわけにもいかない、かといって放置も出来ない彼の存在を心配するのは致し方が無い。
「私が責任をとって尋問するわ。アナタは先に先生の所でまっていなさい」
「そうですか」
少ししぶしぶながら了承した木更はティナを連れて勾田大学病院に向かう。
アゲハは光風ファイナンスに向かい、残った桜子は肌を褐色に染めながら櫃間を見つめた。
櫃間をとっちめる話
原作での時計の件もなく木更の悲壮感も減らしています