keyとの対話を通して己の望みに気付きを得てから、数えて7日目。
「……来たか」
司祭らの拠点の中でも奥地にある居住区まで響いた大きな揺れに、俺は小さく呟いた。
いよいよ、以前から想定していた“戦争の終わり”が訪れたのだ。
「さて、さて。万全とは言い難いが、打てる手は打った。願いを果たすための布石も、そのための準備も。ならば、後は──」
あの子を、未来に送り届けるのみ。
『
“準備”の副産物としてできた──バイザーとチョーカーの二対一式からなる──装置の起動音を耳にしながら、慎重に居室の戸を開く。
左右に視線を振り、一息。
やはりと言うべきかさすがにと言うべきか、まだこの辺りにまで突入してきた存在はいないらしい。
『マップ情報を更新。第一目的地、マスターの研究室への最適経路を示します』
「少しばかり遠回りはしなければならないか」
S.N.A.K.Eが視界の端にARで表示した経路に、小さく呟く。
何のための装置であるのかは名の通りであるため置いておくとして、副産物ながらもこれは高い性能を持っている。赤外線や熱線の観測を利用した暗視機能、周囲のカメラ情報をジャックしての探知機能、ある程度のセキュリティならば突破できるハッキング機能まで積んでおり、加えて戦闘時には思考を読み取っての肉体の動作補助まで可能。
これ単体でも支援システムとして見れば十分すぎる性能だろう。
「だがまあ、それでは足りなかった」
踊り場を挟んだ下の階、さっきまでいた辺りを複数人の足音が駆けて行く。
S.N.A.K.Eのマイクに拾われた声から、忘れられた神々の電撃作戦がしかけられているらしい事が把握できた。
さっきから度々言っている“準備”。
それの指すものとは、すなわち原作への介入を行うための準備である。
俺がこの場を生き残れるかは分からないが、少なくとも原作まで2桁ではまるで足りない、3桁ですら足りるか怪しいような時間が挟まるのは予想できる。
加えて、一応は名もなき神の勢力に属している以上、オレという存在がいつかは忘れられた神々に消されるのも確定。
そもそもこのタイミングで動き出した程度でどうにか生き残れるのなら、原作でも司祭が行っていただろう。
つまり、結論としては俺は原作の流れに介入できない。
ここでkeyと関わる事はできても、それ以上は望めない。
──が、それでは納得できなかった。
前にも言ったが、原作がどうであろうと“そうはならない”可能性というのは常に存在する。
俺という差異があるのだから、司祭だって原作にない何かをしているかもしれない。keyが役割に縛られずにいられるかは、結局のところは未知数だ。
それに、もしkeyが原作と似た方向性の選択をしたとしても、その後に世界が終わってしまっては意味がない。
そして悲しい事に、原作においても世界が滅ぶ危機というのはいくつか存在していた。存在していたし、生人が言っていた話では先生の生存と世界の存続はほとんど同値であるらしい。
考察だのなんだのはしてきていないが、アイツが俺に嘘を吐く事もなし。誤った考察であるパターンだけは拭えないが、少なくとも俺が生きていた頃までは正しく見えていたのは間違いない。
状況がどうであれ内心がどうであれ、アイツは自分に非がある場合は認められる人間だったからな。……あるいは、“謝ったら死ぬタイプの人間”を全力で馬鹿にしていたからかもしれないが。
ともかく、これらの可能性は無視できるものではない。
あの子の健やかなる成長を阻むものは、何人たりとも、何事であっても許すつもりはない。
それに、単純に俺はあの子の言葉に救われたんだ。その恩は、なんとかして返したいものだろう。
まあ、そんなわけでどうにか原作の流れに介入する、ということは確定した。
じゃあ次に来るのは、どうするのかという方法の部分。ただ、その参考はすぐそこに存在した。
すなわち、AL-1S。名もなき神々の王女。
いつか天童アリスと名付けられるkeyの片割れこそ、俺が踏襲するべき例。
結論から言ってしまえば、俺の人格をデータ化してインストールさせたアンドロイドをAL-1Sと同様に眠らせておき、しかるべきタイミングで覚醒させる。
それが俺の取った方法だった。
key自身も着想元ではあるが、生人には度々フィクションに関する知識を吹き込まれていたため、この発想は案外すぐに浮かんできた。
たしか、人格コンストラクトだったか。サイバーパンクなる作品に登場したらしく、“これはいつかの未来に直面することになる新たな形のスワンプマン問題だ!”などとアイツは鼻息荒く言っていたが……これは余談か。
このS.N.A.K.Eの名前もまたアイツが話に出したステルスゲームの主人公から取ったものだし、やはり俺は生人から相当な影響を受けているらしい。
……話を戻そう。
Doctorと名付けた俺の模造体は、既に完成した状態でここではない場所に保存してある。人格データも入れた後であり、電源を入れれば今すぐにでも活動できるだろう。
起動テストができなかったのだけは懸念点ではあるが、時間の問題と司祭に露見してはならないという問題がある以上はそれもやむなし。あまりこういう物言いは好きではないが、どうなるかは神のみぞ知るというやつだろう。
「keyに無駄な期待をさせかねない、というのも……懸念点ではあるか」
keyに関する全てのデータが収められた研究室。俺に割り当てられたその部屋のほど近くまで来たことで、不安が鎌首をもたげる。
自惚れでなければ、俺はkeyとそれなりの縁を結べた自信がある。
彼女が関われる存在が少なかったというのもあるだろうが、あの子の人格が形成されるにあたって俺はいくらかの影響を与えたという自信もまた。
それ故に、俺でありながら俺ではないDoctorは彼女にとって思うところができる存在になるだろう。
あるいは、Doctorはあの子の前に姿を現さない方がいいかもしれない。
「──なんて考えながらも、今でさえ足が重くなっていないのが答えなんだがな」
懸念ではある。不安ではある。
けれども、やる事は変わらない。Doctorがどう判断するのかという話ではあるが、姿を見せずにいた方がいいと思えたのなら姿を見せなければいい。
ただあの子が望むままに生きられるようになるのなら、それだけで十分だ。
全ては俺のエゴ。俺がそうしたいからそうする、そこに報酬だの見返りだのは求めちゃいない。
そもそも、救いは十分すぎるほどにもらってるんだ。これ以上など、求めすぎというものだろう。
口角を上げて、目の前にまで来た研究室の扉を開ける。
見慣れた部屋。壁も床も白く、椅子や机もまた同様に。AL-1Sと違い人格データだけであるkeyは、設計において特殊な機械を要求したりしない。あるいは、前世における自分の研究室を思い起こすような景色だ。
唯一の違いは、本棚が一つも置かれていない事だけか。文献の電子化が完了しているからだが、少し殺風景にも映る。
息を、吸う。
「──key。突然ですまないが、時間が来た」
『……ドクター。そういう、事なんですね』
スピーカー越しの彼女の声に、首を縦に振る。
「お前にはこれから、AL-1Sと共に眠りに就いてもらう事になる」
『はい』
言葉は重くとも、確かな意志が乗せられていた。
本当に、強い子だ。強い子になってくれた。
「key。俺は、お前に会えて幸せだったよ」
『私も、あなたに出会えて──ドクターに育ててもらって、幸せでした。きっと、これだけはずっと変わりません』
「なら、俺も嬉しいよ」
ここから直接AL-1Sへとkeyを送るための準備はしてあった。
だから、この場での言葉はこれが最後。
否。名もなき神々の王女の主人格がAL-1Sである事を思えば、これはきっと本当の意味で最後の会話になる。この後にAL-1Sを“40日と150日後のための玉座”へと転移させる必要はあるが……その時には、もう。
そう思えば、自然と口から言葉が出ていた。
「key。元気でな」
『……ッ』
泣きそうな、息を呑むような音。
声にならない揺れる音は、けれども声に繋がった。
『私は、あなたを忘れません。ドクターの想い、考え、存在──ドクターの、意志を。私があなたを、生き続けさせてみせます。だから……だからっ』
「大丈夫。大丈夫だよ、key。ちゃんと伝わってる」
『ありがとう、ございました』
これで、本当に最後。
スピーカーから響く音は消え、僅かに感じられた人の気配も旅立った。もう、ここにはkeyは存在しない。
なぜだか少し広くなった気がする研究室で一つ息を吐いて、そして切り替える。
まだ、俺の仕事は終わっていないから。
『目的地を更新。最適経路を表示します』
「ああ、行こう」
S.N.A.K.Eが示すマップと脳内の地図とを重ねながら、俺は一歩を踏み出した。
俺の最後の仕事。
すなわち、名もなき神々の王女を送り出すこと。
原作において王女が眠っていた場所──この世界では“40日と150日後のための玉座”と呼ばれているらしい──は、この地表に存在しない。地表にあっては、忘れられた神々の目に付く場所にあっては壊されてしまうから。
だからあれは、ここではない地下深くに造られている。転移装置を用いなければたどり着けないその場所に。
雑に言ってしまえば、一種の核シェルターのように考えてもらえばいい。
「仮称:ドクターさん。この道は最短経路ではありません。修正することを推奨します」
「最短経路は途中の階段が瓦礫で塞がれている。撤去するよりもコッチの方が早い。オーケー?」
「了解しました」
そんなわけで、俺は今AL-1Sを伴って転移装置の下へと向かっているわけだ。
ちなみに既に服は着せてある。前々から用意していたからな。というか誰がkeyを全裸で送り出すものか。
これで原作との差異が生まれる可能性はあるが、その辺りはDoctorに任せよう。自重や躊躇いを覚える地点は疾うに超えているのだから。
「仮称:ドクターさん。前方から忘れられた神々が向かってきているようです。ご指示を」
「戦闘は無し。装備の情報は入ってるな? 装束に積んである制限型事象改竄機能を使ってやり過ごす。最優先事項は“40日と150日後のための玉座”への移動だ」
「了解しました」
声と共に、俺の視界からAL-1Sの姿が消える。
おそらく、俺もまた彼女の視界では同様になっているだろう。
これもまた、原作介入の準備において組み上げたシステムだ。
名もなき神の基本にして最大の権能、事象の曖昧化と任意の形への確定。それへ制限に制限を重ね、使用者個人にのみしか作用できなくなるかわりにコストを極限まで抑えた形のシステムになっている。
できる事といえば装備の見た目変更や修復、重くない傷の治癒、それに今やっている光学迷彩の上位互換など。プロトコルATRAHASISのような大規模な現実改変はできないが、使い勝手はかなりいい。
「よし。隠密機能は切らず、弱状態で常に回しておけ」
「了解しました」
忘れられた神々が通り過ぎて10秒ほど、同時に姿を戻したAL-1Sにそう告げる。
どうやらかなり深くまで突入されているようだし、ここからは常に姿を誤魔化しておく方がいいだろう。さっきのレベルにまで出力を上げると姿どころか声も匂いも消えるから、一緒に行動できなくなるのだが。
「最寄りの転移装置まで5分程度だが、それが破壊される可能性もある。急ぐ──ッ!? こっちに!」
AL-1Sの手を引っ張り、転瞬、衝撃。
次いで、爆発音と共に
「……っ、なんて事を、してくれてんだ」
これまでも、忘れられた神々による攻撃で天井が崩れたりはしていた。
だが、今回は違う。何もかもが違う。
「自爆、だと……!?」
今回の爆発は、司祭によるものだった。
感じた力がそうであったし、S.N.A.K.Eを通して収集したデータもその事実を裏付けている。
つまり、これが差す事とは、司祭らが忘れられた神々を道連れにするために自爆攻撃を敢行したという事。そう遠くない内に、この拠点は消え去るという事だ。
さっきの爆発は、そのための準備段階。退路を封鎖するためのものだった。──力を蓄えている今、次は全体が消し飛ばされるだろう。
「……くそっ、たれが」
咄嗟に庇いはしたが、AL-1Sは頭部に瓦礫を受けてしまったらしい。ぐったりと目を閉じている。
俺はどうなのかと言えば、彼女より多少マシな程度。おそらく全身に裂傷、左脚はふくらはぎの辺りから潰されたか。左側の視界が赤くなっているのを見る限り、頭からも出血しているらしい。
「
念のため持っておいた銃で瓦礫を消し飛ばし、AL-1Sを抱える。
全身を激痛が走っているが、今はそれを気にしている暇もない。とにかく、転移装置へと向かわなければ。
『バイタル低下。このままでは1時間以内に生命活動の継続が不可能になります。治療を受けることを推奨します』
「は……だろうな」
脳内に響くS.N.A.K.Eの警告に、短く返す。
首を吊った時と同じだ。少しずつ、体の末端から死が這い上がってきているのを強く感じる。単純に血を流し過ぎたのだろう、痛みが薄れれば酷く寒くなってきた。
だが。
「それでも、だ」
司祭が何を考えているのかは分からない。
だが、俺のやる事は決まっているのだ。ならば、後はただそれを行うのみ。苦痛を無視するのは慣れている。
「──いいか、key。覚えておけ。全ては、お前の解釈次第だ。美しいもの。護りたい存在。成し遂げたい事。その全てが、お前の解釈次第でいくらでも変わる。もちろん、俺の言葉も例外じゃない」
意識を留めるためか、口が勝手に言葉を紡ぐ。
あるいは、言葉を遺すためか。
「だから、考え続けろ。
ああ、今さらな言葉だ。
こんなこと、keyにとっては言うまでもない事だ。何度も何度も伝えてきたのだし。
少なくとも、このタイミングに話す事ではないだろう。
なのに、だけれども──言葉は途切れない。
「古い言葉に……本当に旧い言葉に、人間は……あー、つまり生命とは考える葦である、というものがある。一つ一つは弱く、細く、脆い植物のようでありながら、しかし考える能力がある。そんな意味だ」
はたして自分は、keyは、司祭は、忘れられた神々は人間と呼んでいいのだろうか。人間とはどこまでがそうなのだろうか。
そんな、脇道に逸れた思考が浮かんでくる。
ああ、本当に、今考えるべきことではないだろうに。
「つまり、だ。俺やお前が獣と異なる点、異なる理由とは、すなわち考えるという力にあり、そして考えるという力にしかないわけだ。思考を止めるな。考えたくないと感じる事ほど考え続けろ。答えを出す事から逃げるな。そして、答えが出せたのなら全力で誇れ」
この言葉がkeyに届いているかは分からない。
いや、現実的に考えれば届いてはいないのだろう。腕に抱えたこの子の主人格はAL-1Sであり、そのAL-1Sでさえ意識を失っているのだ。
だけれども、言葉は止まらない。
遺したいという感情は、決して。
「いつか、その日が来る。お前が、お前自身の手で答えを出せるようになる日が。随分と先の事かもしれないが……きっと」
──ああ。
ここになって、気付いた。
そうか。そうだったのか。これがそうだったのか。
これが、愛だったのか。
自らが絶えるその時に、何かを遺したいと思えること。今俺が抱いているこの想いこそが、きっと愛なんだ。
「愛している、key。どうか、この先も君の歩みが絶えず、成長し続けていける事を。いつか君が
何かを掴んだ感覚がある。
何となく、この言葉を彼女が思い出すのは目覚めの時になるのだと直感した。いや、俺がそう願っているのか?
分からない。
何も分かりはしない。
でも、いい。
分からなくとも、今感じている全ては確かなものだ。
痛みすら、死の気配すら振り切れるようなこの温かさは。
AL-1Sの身体を転移装置に収め、口角を上げる。
「──これは、その日が近くなったという証だ。だから、好きに生きて、好きに選択をするんだ。俺は全力でそれを祝福するから。だから笑えよ、
最後。
視界を光が埋め尽くす最期まで、笑顔を浮かべたままで。
俺はそう言って、あの子を送り出した。
──どうか。その行く末に、最大限の幸のあらん事を。
──さようなら、key。