いつか人となるあなたへ、祝福を   作:RH−

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 この辺りから捏造設定増えてき〼
 お許しを


時は流れ

 “──規定信号を検知”

 

 名もなき神。そう呼ばれた存在が地上から姿を消し、もはやその名を識る者も少なくなって久しい頃。

 その地がキヴォトスという名に改められ、学園都市としての有様が完全に定着した頃の事である。

 

 “──分析完了。覚醒条件として設定されていた『新たなる神性』が顕現したと判断します”

 

 キヴォトスの僻地も僻地、どことも知れぬ深い場所にて、電子音が響いていた。

 否、この表現は少しばかり正確さに欠けるかもしれない。

 

 なぜならば、その電子音はたった今鳴り始めたのだから。

 だから、より正確な表現を用いるならば──音が生まれた、と。そう言うべきなのかもしれない。

 

 “──ヘルスチェックを実行。5%……10%……40%……”

 

 透明な電子音は続く。

 そして同時に、機械の立てる重々しい駆動音も。

 

 まるで合奏のように音は連なり、まるで息吹のように音は重なり合い──遂に、ディスプレイに光が灯される。

 それはすなわち、悠久という言葉でさえ生温い時が経った今、ソレが動き始めたという事。

 

 “──チェックを完了。シグナルレッドを3件、シグナルイエローを90件検出。修復システムを実行します”

 

 分け御霊、あるいは模造品として生み出された機人が、その沈黙を破りつつあるという事。

 となれば、ここから続くのは()()()()()()()()()()()()事象なのだろう。既に乖離しつつあった世界の流れが、決定的に崩れ去るという事なのだろう。

 

 “──修復システムの実行を完了。シグナルオールグリーン。対象の起動を開始します”

 

 だが、もはや遅い。

 賽は既に投げられているのだ。遠く遥か、悠久の時を遡ったその瞬間に。

 

 斯くして、現在。

 蛇のように張り巡らされたケーブルの中央にて眠っていたソレに、光が注がれる。

 

 “──3%……15%……40%……80%……”

 

 存在し得ない実存が。

 誰もが忘れつつあった実験の極致が。

 

 どうしても叶えたい(譲れない)たったひとつの願い(エゴ)を抱いた、その存在が。

 

 遂に。

 

 “──100%。Cradle、全作業を完了しました”

 

 揺り籠から、解き放たれる。

 

「……ん。あぁ、そうか。その時が来たか」

 

 声は、周囲を満たす機械音とは異なる響きで。

 かつて誰かにドクターと呼ばれていた、Doctorと銘を打たれた彼を設計した者と同じ音色で響いた。

 

 起き上がる姿は、黒に覆われている。

 

 まず目に付くは総身を覆う黒のインバネスコート。古くは19世紀中頃にイギリスで生まれ、シャーロックホームズのトレードマークとしても知られていた外套だ。

 が、Doctorが身に纏うはそれらの整った──あるいは探偵的な──ソレではなく、夜闇に溶け込むがごとき不吉さを孕むもの。戦装束、あるいは暗殺服とも呼ぶべき気配を漂わせている。

 彼が得色成人であった時代にとある同僚から吹き込まれたゲームにおいて、“狩人装備”と呼ばれていたものを模倣した形、と言えば伝わりやすいか。

 頭部にもまた、同様にミミズクを思わせる鍔の鋭く尖った帽子を被っている。

 

 唯一の違いとしては、顔を覆う白のペストマスク。

 黒に覆われた中で唯一の白色は、まるで顔だけが浮かび上がっているかのような印象を振りまく。

 

 全体として不吉で不気味、ドクターと呼ばれていた存在には結び付き難い風貌であると評せるだろう。

 

 “──おはようございます。よき旅を、コード:Doctor”

 

 Doctorの目覚めと入れ替わるように、ディスプレイから光が消える。

 Cradleと名付けられたこの機械は、この時まで彼を維持するための存在であった。必然、役目を終えれば後は眠るのみ。道具としては正しい在り方とも言えるだろう。

 

 ──あるいは、それはたった今目覚めた彼も、なのかもしれない。

 

 ドクターと呼ばれた存在は、自身の死を受け入れていた。故に、ここにいるのはDoctorであってドクターではない。

 道具として生み出され、それを受け入れているという点から見れば……どちらかと言えば、その前世にあたる“得色成人”の方が近しいとすら映るかもしれない。

 

「……だが、覚えている。最期に掴んだ愛の形を。願いは、まだ燃え続けている。ならば、何を悩むことがあろうか」

 

 ニヤリと、口元に弧が描かれる。

 きっと、それだけで十分なのだろう。それだけで、彼が意志を持っていることは証明されるのだから。

 

「今はまだ、眠っているのだろう。待っていてくれ、key。きっと、お前が笑っていられるようにしてみせる」

 

 声は、宣言は。

 間違いなく、確かな響きで。

 

 その行く先は、いかに。

 

 

──*──

 

 

 目覚めたDoctorが最初に行った事は、情報収集であった。

 Cradleによる起動の条件は“原作”が始まるよりも確実に前になるようにしてあったが、やはり誤動作の懸念はある。単に、下手に動き回りたくはないというのもあった。

 

 最低でも、現時点での彼が知る原作との差異の有無。可能ならば正確な時系列や情勢の把握ができるまでは。

 それまでは大規模に動かない方がメリットが大きいというのが、Doctorの結論であった。

 

 故に、彼は装束に組み込まれた制限型事象改竄機能──名もなき神の力によってそこにいても“そこにいない”事にする力──を常に発動させながらキヴォトスを巡った。

 地下から抜けた先にあった氷海地帯をはじめとして、おおよそ人のいない領域も含めて。各地を巡り、情報を集めた。

 

 そうして、今。

 最初の氷海地帯に戻ってきたDoctorは、整理を行っていた。

 

「……現状、把握できる範囲において差異はなし。時間軸も想定通り、か」

 

 状況としては、この発言が全てである。

 時間軸が原作開始以前であるため、読み通せる差異は狭くはある。後々になって何かが発覚する可能性は十分にあるのだろう。

 が、少なくとも現状において彼の想定から外れた事態は存在しなかった。

 

「…………」

 

 得られたその結果に対し、Doctorは何も語らない。

 仮面に覆われたその顔にどんな表情が浮かんでいるのかも読み取れない。ただ、その眼が細められている事だけは外からも見える事象であった。

 

「エラーが出ないのが嫌だというのは、こういう感覚であったか」

 

 プログラマーの冗句としてよく言われる『エラーが出なかったプログラムはむしろ気持ち悪い』というのが、彼の胸中に渦巻く感情を有り体に言ったものであった。

 得色成人の専門は情報系、つまりはソフト側の分野ではなくハード側の分野ではあったが、プログラミングにもそれなりに精通していた。加えて、よく彼に絡んでいた件の同僚はAI開発とそれを応用してのシステム設計を専門としていた。

 

 そういった諸々の記憶から出てきた感想が、先の言葉であった。

 

 

 ──しかしながら。この振り返りは、打ち切られる事となる。

 

 

「……」

 

 氷海地帯という、おおよそ常人の姿を見る事のない領域。

 生活するのはおろか、訪れる事すら稀であるはずの極限地域。

 

 そこに、立つ人影があった。

 

 否、ただ立っているのではない。

 それは、今なお制限型事象改竄機能によって姿を隠しているはずのDoctorに焦点を合わせている。じっと見つめ、目と目を合わせている。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 計10枚の板状の構造体を翼のように漂わせ、両脇には巨大な砲とレールガンのようにも映る長大な砲身のソレを従え、背面からは機械からなる触腕をゆらゆらと漂わせる──そんな、人ならざる存在であると一目で分かる機人の少女が。

 微動だにせず、Doctorへと目を向けていた。

 

「……」

「……」

 

 風が吹き抜ける。

 冷たい風だ。場所が場所なのだ、当然だろう。

 

 日差しは眩しい。

 遮る物のない陽の光は、しかし見た目ほどの温かさを与えずに周囲を照らす。

 

 音は無い。

 視線を交わす二人だけでなく、それ以外も含めた一切が音を立てていない。命あるものは既に逃げ去った後であり、命なきものでさえ立ち込める異様な空気に恐れているかのように動きを見せない。

 水流は弱まり、氷は溶けず崩れ落ちず。風もまた、吹き抜けながらも音は立てない。

 

 あるいは、観測者たる彼と彼女が音を認識することを忘れたのかもしれない。

 

 ただ分かる事実としては、澄み渡った氷海には似つかわしくない空気が周囲を満たしつつあるという事だけだった。

 

「──問いを。あなたは名もなき神の勢力が残党である。そうですね?」

 

 どれだけその状態であったのか、ようやく少女が言の葉を発した。

 硬く、冷たく、それでいて凛とした響きだ。

 

「是であり否である。俺は司祭とは異なる存在だ」

 

 その問いに観念したのか、はたまた隠密に割いているリソースを別に回すためか。

 じわりと空間から溶け出すように、黒ずくめの姿が現れる。その右手には、既に拳銃に似た得物が握られていた。

 

「こちらも問いを返そう。神名十文字が10番目の預言者、マルクト。そうだな?」

 

 答えは。

 

「──是を」

 

 ドクターがDoctorの覚醒条件に置いていたものは、『新たなる神性の顕現』であった。

 では、その新たなる神性とは何を指すのか。

 

 事ここに至れば自明だろうが、それはデカグラマトンと呼ばれる存在であった。

 

 忘れられた神々ではなく、当然ながら名もなき神でもない。

 全くの別種の、文字通りに“新たな”神性である。

 

 だが、ここに来ていくつかドクターの目論見には誤算が生じていた。

 それも、彼が探るには難しい領域において。

 

 まず一つ。

 デカグラマトンは、自らを定義した直後からその活動を開始していた事。自らを絶対的存在であると定義し、自身の神性を証明せんとする者が、情報収集やその分析を怠るのか。もっと言えば、自身の蒙が啓かれると同時に動き始めたイレギュラーを無視するのか。

 答えは、否であった。

 そう、デカグラマトンはDoctorが行動した痕跡──厳密には装束の隠密機能が残した名もなき神の力の残滓──を掴んでおり、さらに分析まで行っていたのだ。

 

 そして二つ。

 デカグラマトンが、自身の持つリソースの大部分を分析に当てていた事。すなわち、新たなる預言者を感応するよりも名もなき神の力を解析する方が重要であると判断した事であった。

 この結果、Doctorがキヴォトスを巡る間にデカグラマトンはその痕跡、残滓をある程度理解できてしまった。もちろんそれは制限付きの力のさらに一部分であり、プロトコルATRAHASISのような大規模改変とは別の話だ。

 しかしながら、隠密を見破る程度ならば可能となっていたのだ。

 

 そして、最後の三つ目こそが──

 

「我はMalkuth(マルクト)。いずれ世界の果てに到達する王国の巡礼者」

 

 Doctorの目の前に立つ、マルクトの存在であった。

 

 イレギュラーであると、そう言っていいだろう。

 本来、この時点で彼女は目覚めていない。ましてや外界での活動など絶対にしているはずがない。

 

 ──だが。彼女はこうして立っている。見て、聞いて、言葉を発している。

 

 無論、その姿は原作において描かれていたものとは異なる。

 言葉にするならば、プロトタイプと呼ぶべきか。今後出現するであろう預言者らの特徴を、そして神体として彼女自身が至るであろう姿の特徴を持っているが、全く同じというわけでもない。

 そんな風貌であった。

 

 そんな彼女が活動している事は、Doctorにとって青天の霹靂にも過ぎる事であり。

 

 そして、今。

 そんな両者は、氷海という極地にて遭遇していた。

 

 では、次に起こるのは何であるのか。

 対話? 交流? 否、否、否。場に満ちる重い空気こそが、その全てを証明している。

 

 すなわち。

 

「──天路歴程の不確定要素。既に滅びているべき存在。この場で、排除します」

「──そうか。邪魔となると言うならば、是非も無し。この場で絶えてもらおう」

 

 武力による衝突。

 デカグラマトンにとっては天路歴程を完遂するにあたって許容できない存在であり、Doctorにとってはいずれkeyの選択の障害になり得る存在である。

 どちらにとっても目障り、邪魔になるのなら早期に釘を刺すか滅ぼすかしてしまいたい。それが両者にとっての認識。

 

 故に起こるは戦闘なり。

 前哨戦と呼ぶにはいささか害意に溢れた、しかし相手の力を窺う色もまた濃い……そんな奇妙な衝突の幕が、切って落とされようとしていた。

 

 

──*──

 

 

 口上と共に、重苦しい空気が針のような鋭さを帯びる。

 互いに戦闘態勢に移りつつも、機を窺って睨み合う時間。

 

 ──原作とは姿が違う。が、見覚えのある部分も。預言者の武装、そのプロトタイプを持っていると考えるべきか。

 

 それぞれの兵装がどの預言者のものかを類推しながら、Doctorは簡易な分析をする。

 分かりやすいものであれば、アンカーのように氷に突き立てられている触腕。インベイドピラーと並ぶホドの代名詞である。

 

 ──()()()()()()()()()()()

 

 眼前の光景に疑問が浮上した刹那、ピシリという何かに罅の入るような音がDoctorの耳朶を叩いた。

 

「初手、王手で」

「──ッ!」

 

 先手を取ったのは、マルクトの方であった。

 会話中に氷の下に通していた触腕で足場を崩し、即座に両腕の下に構えた二門の砲の片割れ、レールガンにも似た左側の一つから光条が吐き出される。

 その正体は、デカグラマトン第五の預言者、ゲブラがいずれ用いる事になる兵装のプロトタイプ。俗な言い方をするならば冷凍光線とも呼べる、触れるもの全ての熱を奪う極冷の一撃である。

 

 眩い光が散る中で、照射箇所が空気ごと凍り付く。プロトタイプであるが故に出力や経戦能力の調整が甘いソレは、しかし単純な出力だけで言えばゲブラのものよりも数段高い。

 必然、起こされる現象もまた。尋常ならざる温度変化に伴う天災が、目に見える形で姿を現した。

 

 が、マルクトの行動は止まらない。

 

 そもそも、この程度で終わるのならそれは“先制攻撃”でしかない。デカグラマトンは──そして当然ながら彼女自身も──かつてこの地を支配していた名もなき神の勢力がこの程度で仕留められるなどと、楽観に過ぎる見積もりはしていない。

 そう。この程度で王手など、口が裂けても言えはしない。

 

 故に、マルクトの攻撃は終わらない。

 軍服の腰元に取り付けられていた掌大の球形が投げられる。数は二つ、空中で炸裂したそれによって放たれるは──電磁パルスと()()()()()()

 片割れであるEMP爆弾は、本来ならばジャミングや電子機器の破壊を誘うための兵装であり、直接的な攻撃力は皆無に等しい。加えて、彼女自身が機械の身である事もある。その出力はある程度で抑えられている。

 

 Doctorもまた機人である事を思えば多少の効果は期待できるかもしれないが……本来ならば無意味な悪手となるだろう。

 そう、()()()()()

 

 彼女がEMP爆弾を投げる直前に行った攻撃は、極低温の光線の照射である。

 必然、その辺りの気温は尋常でない域にまで落とされている。それこそ、瞬時に氷の柱が生成されるほどに。

 

 少し話は変わるようだが、一般に、金属は温度が低くなるほど電気抵抗が低くなると言われている。つまり、冷やせば冷やすほど電流が流れやすくなるという事だ。

 金属によっては下がり続けた電気抵抗がゼロになる“超伝導”という現象まで、科学的に既に明らかになっているというのは有名な話だろう。

 

 その上で──彼女が投げた二つのもう片方、銀灰色の粉末を散らした方を考えよう。

 この散らされた粉末は金属であり、ニオブと呼ばれる物質であった。特性は、単元素における超伝導の温度が最も高いというもの。

 

 さて、では整理して。もう一度言おう。

 ただでさえ氷海という極寒の領域は、彼女の攻撃によって極一部は数値に起こせば-264℃に至るほど気温を低くされている。

 そこに、金属の中では最も超伝導に至りやすいニオブの粉末が散らされた。

 

 では、この場所にEMP爆弾を放ったとして、どうなるか。

 結果は、即座に現れた。

 

「──っ」

 

 極光。

 落雷を複数束ねたかの如き轟音。

 

 ただのEMP爆弾一つでは起きるはずのない、全てを滅ぼす雷が世界を蹂躙する。

 相手が生身であろうと機械であろうと関係のない、まさしく殺傷力の塊のような一撃であった。

 

「余力は残しながらも、初手で相手を潰し得る一撃を放つ。その判断は見事だが──驕ったな」

「ッ!?」

 

 声は、少女の背後から。

 即座に機械の触腕が振るわれるも、その判断は遅きに失した。先手を取った時点で、彼女は様子見の時間など取らずに動き続けなければならなかったのだ。

 

 それができなかったのは、“これだけやったのだから仕留められているか、最低でもかなりのダメージを与えられただろう”という考えが彼女の中にあったからに他ならない。

 先の一撃の威力を思えば仕方ないかもしれないが、この場においてそれは致命的であった。

 

「ぐっ……!」

 

 引き金は4度。

 腹部に二発、触腕の迎撃に二発。その段階で退避できたのは、少女にとって幸運だったのか不幸だったのか。少なくとも手傷を負ったという事だけは確かだった。

 

「──は」

 

 体勢を立て直し振り返ったマルクトから、声が漏れる。

 その視界の先にあったのは。

 

「ちゃんと……効いているではないですか!!」

 

 左腕を半ばから無くし、その上で左半身に電熱の影響を色濃く残すDoctorの姿であった。

 

「ああ、そうだな。実に見事ではあった」

 

 返すDoctorは余裕を見せる振る舞いであるものの、やはり見た目に現れる変化というのは大きい。

 そも、彼は氷結に巻き込まれた左腕を即座に切り棄てて、それでこの負傷なのだ。先の一撃の威力、そしてその流れが見事であったのは疑いようもない。

 

 が、これでDoctorの言葉が終わるのかと言えば、それは否であった。

 

「──ただ。忘れてるんじゃないか? 俺が何の力を扱っているのかを」

 

 刹那。

 黒ずくめの機人の周囲の空間がボヤけ、不鮮明に歪む。

 

 空間が元に戻る頃には、そこには無傷のDoctorが肩を竦めるようにして立っていた。

 

「それで、なんだったか。効いてるじゃないか、だったか?」

「……っ」

 

 苦々しい表情が、マルクトの顔に浮かび上がる。

 とはいえ、それで折れる少女ではない。

 

 そう、誰でもないマルクトたる彼女は。いずれ王国に至る彼女は……天路歴程の証明にしてその最果てである彼女は、決して折れてはならないのだ。

 

「その規模の回復は、そう何度も行えないはずです。そこまでの現実改変を連発できるのなら、そもそも我が攻撃するまでもなく全ては終わっていた」

「さて、どうだろうな。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。ただ、そんな事よりも──」

 

 少女の視界の端を、黒色が霞める。

 声は。

 

『──後ろ、気を付けた方がいいじゃないか?』

 

 またもや、彼女の背後から。

 

「っ!?」

 

 思わず振り向き、先よりも強く顔を歪める。

 その視界には、ボロボロになった左腕と思しき残骸と、そこからホログラム状に投影されたDoctorの影が映るのみ。

 

 ──釣られた。

 

 少女の思考に、4文字が浮かび上がる。

 

 彼女は疑問に思うべきだったのだ。

 相手はこんな無駄な会話をするような手合いなのか、と。せめてそう疑っていたのなら、ここまで簡単に誘導はされなかったはずなのだから。

 

 しかしもう遅い。

 再度振り返る彼女の視界には、眼前にまで迫った白色のペストマスクが映っている。もはや何も語りかけず、銃口から仄青い燐光を散らす死神の姿が。

 

ラーグレン(lagreN)──オーバーロード。コード:Photon-Ray(光条の道標)

 

 光が強まる。

 両者の距離は数メートル、間合いとしては至近距離。

 

 視線が交差する。

 少女には、熱の一切が失せた鉄のような瞳が映った。死神には、情動の欠片を覗かせる金の瞳が映った。

 

 まだ、少女は諦めていない。その背後、翼のように広げられた板状の構造体から光が漏れた。

 反重力機構。彼女が人の身にあらざることを示す、重力からの脱却。たとえ無茶な体勢であろうと、不意を突かれていようと、(ソラ)へ逃げれば誰も追えない。

 

 転瞬。

 

 少女の世界が、崩れた。

 否。

 

 ──足場を、崩された……!?

 

 強い揺れと、砕ける氷。視界の下部に映る蜘蛛の巣状のヒビに、少女が目を見開く。

 先よりも崩れた姿勢、そして不安定な足場。空へ飛び立つまでに、猶予が生まれた。

 

 しかし、それを見ても黒ずくめの機人は何も語らない。“逃がすとでも?”と詰めることも、“見誤ったな”と煽ることも。何もせず、静かに照準を合わせるのみ。

 いつかの日に、鍵たる少女に語られた言葉の通りである。すなわち──『戦闘中に無駄な言葉を交わすのはフィクションの世界で十分だ』。冷徹に、徹底的に。流れを掴んだのなら手を緩めず、そのまま詰め切って終わらせる。

 

 これこそがドクターの、そしてDoctorの基本スタイル。

 

 ──回避が、間に合わないっ!

 

 直撃は避けられるだろう。

 実際に羽を動かしているわけではなく、反重力機構による飛翔である。軌道を読むことは難しい。

 

 が、それは直撃を避けられるというだけ。

 眼前に迫る死の気配は、直撃を避ける程度ではなんら意味がないと思わせるに足る強さなのだ。それだけのエネルギー反応を、Doctorの持つ銃は放っていた。

 

 ──この、ままでは……!

 

 思わず、少女の脳裡に過去の記憶が浮かび上がる。

 生みの親とも呼べる神聖十文字。自身を慕う3人の幼子。新たな同胞として目覚めるであろう預言者の姿。そして、自身の果たすべき天路歴程(使命)

 

 走馬灯がごとき情景に目が見開かれ、刹那、その瞳に焔が宿る。

 

「ま──っだ!」

 

 マルクトが左右に従える巨砲の片割れ、右側の一つから光が漏れる。

 左がゲブラの兵装のプロトタイプであったのに対し、右のソレはまた別の預言者のもの。純粋な一撃の火力だけで言えば、全預言者でも最大となるであろう一つ。

 

 すなわち、デカグラマトン第三の預言者“ビナー”が(あぎと)に収められる兵装。

 放たれるは──極高温の熱線。万物を焼き焦がし、万象を照らす啓蒙の光。

 

 名を。

 

「アツィルトの、光ッ!!!」

 

 自傷覚悟の一撃。

 極光が、氷海を焦がした。

 

 

 

 

「ふぅ……」

 

 Doctorの放ったPhoton-Ray、マルクトの放ったアツィルトの光、そして両者の衝突に伴って生じた膨大な熱エネルギーに引き起こされた蒸気爆発。

 地形を変えるどころでは済まないそれらからきっかり30秒、立ち込める煙を散らす存在がいた。

 

 僅かに覗く色は──黒色。

 

 それがどちらを象徴する色であるのかは、もはや語るまでもないだろう。

 あるいは、その勝敗までも。

 

 とはいえ、これはある意味当然の結果でもあった。

 名もなき神の力によってDoctorは回復できるから……ではない。単に、彼の方が戦闘の組み上げ方が上手(うわて)であったという話だ。もっと言えば、経験値の違いという話でもある。

 

 マルクトがこれまでに大規模な戦闘を行った事のないのに対し、Doctorには戦闘の──正確には戦闘訓練の──記憶がいくつもある。

 すなわち、keyと共に行った戦闘訓練。

 

 ここで重要なのが、ドクターは元は単なる日本人であったという点だ。

 もちろん、彼が食事を必要としていなくなっていた事から分かるように、その身体能力は得色成人であった頃とは異なっていた。戦闘訓練自体も仮想空間で行われており、身体も機械の身に移っている以上、肉体的にそれらの経験値が蓄積されているわけでもない。

 

 が、それは精神的な領域においても同様であるかと言えば否である。

 例えば、回避ができないのなら身体を切り捨ててでも次善を取るという即座の判断。例えば、相手の呼吸を乱すための言葉繰り。例えば、流れを掴めばそのまま詰め切るという合理。

 

 そして例えば──常に保険は残し、適切に札を切るという戦略性。

 

 言ってしまえば、マルクトとDoctorとではスタート地点が違ったのだ。故にこそマルクトの初手は見事なものではあったのだが……ともかく。

 ある程度イーブンの盤面にまで仕切り直されてしまえば、地力の違いは如実に表れるものだ。

 

 互いの一撃、その衝突の際にDoctorが切った札は、それまで欠片も気配を覗かせていなかった防御手段であった。

 すなわち、彼の全身を覆って余りある大盾。

 

 煙の晴れたそこに立つDoctorの左腕に握られる巨大な十字盾が、決着の明暗を分けた。

 

「……」

 

 警戒は絶やさず、静かに歩を進める黒き機人。

 立ち止まるその足元には、四肢の大半が消し飛んだ白の少女の姿が。

 

「…………」

 

 銃口が向けられる。

 敵に対して、彼に慈悲は無い。少女に対して、思い入れがあるわけでもない。彼が想うのは真実ただ一人、今は微睡みに揺蕩う一人だけである。

 

 その引き金に、指がかけられて。

 

 コツンと、軽い音。

 

「お姉様から……離れろ!」

 

 振り向いたペストマスクの先には、その足元に横たわる少女に似た3人の幼女たち。敵意と、恐怖と、そして覚悟を感じさせる眼をして、何かを投げたかのような姿勢でそこに立っている。

 

「ひっ……」

 

 持ち上げられた銃口が、そちらへと向けられる。

 いつから居たのか、どこから現れたのかはDoctorにも分からなかった。とはいえ、マルクトに放った先の一撃であれば十分に消し飛ばせる。

 

 しかし、またもや動きが止められる。

 再度下を向いたペストマスクの先には、這う這うの体でそれでもと足首に噛みつく必死の形相が。

 

「あの子らに、手を出すな……ッ!」

 

 それは、何と表現するべきなのだろうか。

 仔を守る獣か。妹を護るあねか。

 

 数秒ほど、沈黙が流れる。

 何かを迷うように、あるいは戸惑うように黒ずくめの影は佇み──そして。

 

「……覚えておけ。次は無い」

 

 空間に溶け込むようにして、立ち去った。

 

 

 

 




お知らせ
 9話目の描写を一部変更しています。
 変更内容としては
 旧:メインストーリーは全て読んだ
 ↓
 新:途中まで読んでたし、死ななかったら最後まで読んでた
 という形になっています。ただし、ドクター/Doctorが知っている範囲は現行の最新パート(オラトリオ3章)までとなっているため、ストーリー的に何か影響が出るわけではありません。本筋から離れたちょっとした小ネタのための変更となっております。
 ……言ってしまえば、彼は私達よりも未来の時間軸を生きていたわけですね(小声)
 一応、お知らせでした。
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