いつか人となるあなたへ、祝福を   作:RH−

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 斯くして、時は再度ここに至る
 則ち、終末の喇叭が吹き鳴らされし時
 “イレギュラー”の結果が収束せんとする時
 幼子が仕組まれた悪意に呑まれた時

 あるいは──誰ぞかが期待した“その時”に




第1章 悠久を超えた君に
再度、その時へ


「これは……」

「ンだ、この量……」

 

 言葉を失う。

 そういった様で声が漏れる。声の主は、シャーレが先生とミレニアムはC&Cの美甘ネル。残るC&Cの面々もまた同様だ。

 

 場所はミレニアム本校舎付近、敷地内どころかど真ん中と言っても過言ではない辺り。周囲からはパニックに陥ったらしい生徒たちの声が響いている。

 芝生の敷かれた開けた屋外、という立地だからか火災や崩落こそ起きてはいないが、既に停電という形で災禍の先触れは見えている。どちらであろうと起きれば最後、結果は火を見るよりも明らかだ。

 

 だが、たった今ここにまで舞い戻ってきた一行──先生とC&C、そしてDoctorたち──は周囲のパニックを注視しない。否、一応は確認していた。

 ただ……それ以上に目を逸らしてはならないモノがある故、そちらに意識を割けるだけの余裕がないという話だ。

 

 そんな一行の視線の先には、Divi:sionがいた。否、Divi:sion()()がいた。

 稲麻竹葦(とうまちくい)とでも言うべきだろうか。無数に、無尽蔵に、うじゃうじゃと。ひしめき合うみたく、不快な音を立ててDivi:sionは群れていた。

 

 それはあるいは山のように、それはあるいは円錐のように。

 一塊になった全長が7、8メートルに至ろうかという程であると言えば、多少はその規模が伝わるだろうか。

 

「これが──プロトコルATRAHASIS、だと?」

 

 ペストマスクの奥から呟かれた言葉が、現状の異質さを表していた。

 

 

 

 ひとまず、少しばかり状況を整理しよう。

 

 まずは、先生の視点。

 まず、ゲーム開発部の依頼を受けてミレニアムの地を訪れた。その後紆余曲折を経て『廃墟』へと向かう事となり、天童アリスと出会った。それが一週間と少し前の事。

 しばらく経ち、次にあったのがC&Cとの邂逅。アリスを見定めるという名目での、未だに謎の多い衝突。それが二日前の事。

 

 そして、数時間前。

 Doctorと名乗る怪人と出会い、いくつか言葉を交わし、プロトコルATRAHASISやAL-1Sといった存在についての知識を叩き込まれ──至るは現在。

 プロトコルATRAHASISが実行されたがために、急ぎミレニアム本校舎へと引き返した。

 それが先生の視点におけるこれまでの話であった。

 

 

 では次に、C&Cについて。

 まず、廃墟から溢れ出した謎の機械兵であるDivi:sionの処理を生徒会長調月リオより依頼された。それが数か月前の事。

 続けて、そのDivi:sionの調査において、黒色と呼ぶほかない怪存在(姿を隠したDoctor)が最重要捜査対象として浮上した。それが一月と少し前の事。

 その後、Divi:sionの首魁とも呼べる『名もなき神々の王女』が目覚め、さらにはミレニアムに侵入までしていると伝えられ、最後にその見極めと可能ならば()()()()()を依頼された。秘密主義で有名なビッグシスターにしては珍しいようで同時に非常に“らしい”、そんな依頼を受けたのが一週間前の事。

 

 そして、数時間前。

 件の天童アリスについては一旦様子を見るとの事で、Divi:sionの処理と黒色の調査へと舞い戻り、その黒色が先生に接触しているのを発見、奇襲をしかけ──至るは現在。

 先生を抱えた黒色改めDoctorを追いかける形で、なぜかDoctorからいくつかの情報を開示されながらミレニアム本校舎に帰還。これまでに見た事のないほどの量で蠢くDivi:sionを目の前にした。

 それが彼女らの視点におけるこれまでの話であった。

 

 

 最後に、Doctorについて。

 AL-1S、あるいはkeyの目覚めまでは既に触れた事であるので割愛するとして、その後。意味深な事を言うだけ言って姿を晦ましたマルクトに、そしてその際の言葉に色々と思考を巡らせながらも、C&C同様Divi:sionの処理を行っていた。それが二日前までの事。

 続けて、美甘ネルと天童アリスとの衝突において、keyもまた問題なく目覚めている事、共にあった頃と性格などが変わっていないらしい事を確認。ヒートアップしつつある戦闘に発電施設の屋上から狙撃するという形で割り込み挑発する事でC&Cを引き付け、決着をうやむやに流させた。それが二日前の事。

 

 そして、数時間前。

 これはもはや表舞台に上がらざるを得ない(暗躍よりも直接的に動くべき)だろうという事で先生へと干渉し、吟味しておいた渡すべき情報を渡し──至るは現在。

 兆候も何も見えなかったはずのプロトコルATRAHASISが実行され、急ぎ現場へと向かってみれば明らかに異常な挙動を取っているDivi:sionの姿を確認。司祭の仕込みかkey自身の選択か、あるいは誤動作か、何はともあれそれを確認しなければと意識を切り替えた。

 それが彼の視点におけるこれまでの話であった。

 

 

 さて。現状を整理した段階で分かるだろうが、先生やC&Cの面々が戸惑いを感じているのに対しDoctorは既に臨戦態勢に移っていた。

 もちろんそれは持っている情報の差が原因であるし、もっと言えば事前の心構えの差が原因であるとも言える。

 C&Cだって戦闘者集団として切り替えつつあったし、先生も“大人”として混乱を呑み下そうとしていた。

 

 とはいえ、そこに意識の差が生じていたのは紛れもない事実であった。

 

 故に、だろう。

 Doctorが最初にそれに気付けたのは。

 

「Doctor、さん? 何を──!?」

 

 視界の端で動きを認めたのだろう。そんな先生の疑問には答えず、踏み込み──黒衣の影が跳んだ。

 立ち幅跳びめいた動きと、その軽さに見合わぬ跳躍距離。数秒の浮遊の後、轟音を立てて着()する。大盾を展開しながら指向性を調整されたソレにより粉塵が舞い上がり、同時にそちら側へと溢れつつあったDivi:sionが吹き飛ばされる。

 

「才羽モモイ、才羽ミドリ……それに花岡ユズ、か?」

 

 Doctorの着地箇所には、遮蔽に身を隠すようにした3人分の影があった。

 それぞれ、彼の呟いた名の通りである。すなわち、ミレニアムサイエンススクールはゲーム開発部に属する少女たち。

 

「えっと……あなた、誰?」

 

 代表するかのように、桃色のARを構えた少女、才羽モモイが問いかける。

 平時であればゲームからそのまま出てきたかのような風貌のDoctorに鼻息を荒くしていたであろう、オタク気質の(ナードな色が)強い少女であるが……さすがに今ばかりはそれどころではないようで。

 秘めた芯の強さを示すように、彼女は警戒を忘れずに誰何をする。

 

「……Doctorと名乗っている。AL-1S、今は天童アリスか? あの子の関係者とも言える」

 

 嘘ではない。詭弁ではあったが。

 とはいえ、現状は詳細は不明なれど切羽詰まっている事だけは読み取れるもの。正確性よりも話を早く進める方が重要であるというのも事実である。

 

 まさしく、合理であった。

 

「アリスちゃんの!? な、なら、何とかできるんですか!?」

 

 そんなDoctorの狙いは意図の通りにはたらいたようで。今度は才羽モモイの双子の妹、才羽ミドリが反応した。

 モモイほどではなくとも、なんだかんだ芯の強い少女である。状況に呑まれるなど以ての外であり、可能性が見えたのなら声を抑えられなかったとも言う。

 その内容が言葉足らずになっているのは、まあ、ご愛嬌と言うべきか。

 

 もっとも、それは彼女だけではなかったのだが。

 

「その、アリスちゃん、変な機械に襲われて……それで、変になっちゃって、でも! 私たちをここにまで突き飛ばして、隠れさせてくれたんです!」

 

 ゲーム開発部の残る一人、部長を務める赤髪の少女──花岡ユズ。

 人見知りで気の弱い部分もあるが、腹を決めればあるいは人並み以上の勇気を示す少女である。

 

 そして、そんな彼女の言葉が、天童アリスと一緒にいたはずの3人が離れた場所に身を隠している事、そして3人がほとんど無傷でいる事の理由でもあった。

 とはいえ、彼女らを突き飛ばしたのはアリスではなくkeyなのだが。そもそも、眼前に現れたDivi:sionに対応したのはkeyである。アリスでは荷が重いとの判断であり、最低限の信頼関係を両者が築いていたが故の入れ替わりであった。

 

 また、3人が退避できた理由もまたその入れ替わりであると言えた。

 生まれたてと言って過言でない天童アリスではなく、かつては戦闘訓練まで行っていたkeyであったからこそ、無意識的に“この場にいさせてはマズい”と3人を逃す事ができていたのだ。これがアリスのままであれば、あるいはあのDivi:sionの山に圧し潰されていた危険すらあっただろう。

 レールガンの銃身で吹き飛ばすという手荒な手段ではあったが、紛れもなく思いやりであった。

 

 そして、それ故にDoctorの疑念はより強く深まる。

 

「……やはり、望まぬ形だったのか? だとすれば原因は司祭の連中か」

 

 当人以外には聞き取れないような、小さな小さな呟き。同時に、纏う気配が剣呑さを帯びる。

 刺すように鋭く、それでいてドロリと重く粘性もある。殺意よりも強い、どんな手段を取ってでも苦しめてやろうという害意であった。

 

 が、一秒もしない内にそれは霧散する。

 報復は今すぐに行えるものではないし、そもそも行えるのかすら不明。加えて、それ以上に差し迫った脅威が目の前にあるのだ。

 悠長になどしてはいられないかった。

 

「いや、ともかく、だ。先生とC&Cは分かるな? まずはそちらに合流したい」

「っ! 先生──は、ともかく、C&Cも? ですか?」

「……そうか。いや、そうだったな。安心しろ、C&Cもそう短絡的な選択はしないはずだ。それに、何があろうと天童アリスを殺させはしない。少なくとも今は、な。最後にだが、無理に敬語を使ったりはしなくていい。リソースの無駄だ」

 

 警戒、そして不安を見せるモモイ。

 原作においては共闘関係にあったが、この世界では武闘派集団としての噂と急に呼びつけてアリスを攻撃したという印象しかないのだ。そのような反応になるのも仕方のない話であった。

 

 とはいえ、Doctorとしては下手に敵意を持たれては困る。

 C&Cはもちろん、ゲーム開発部もまた先生の指揮下であれば十分な戦力となるのだ。背中を預けられる(味方として協力を)、などというのは不可能だろうと切り捨てているが、せめて背中を気にせずにはいられる(敵でなく中立には持ち込める)ようにしておきたい。

 そのためにわざわざC&Cにも情報を共有したのだから、という所まではさすがに口にはしないが。柄にもないフォローを入れる程度には、彼は現状を危険だと認識していた。

 

 なにせ、直接ではなくともkeyの設計という形でプロトコルATRAHASISには関わっていたのだ。その脅威に関してはよくよく知っている、という話であった。あるいは、専門家として。

 その上で、今回の発動はおそらくイレギュラーなのである。

 

 

 ──一手の遅れが致命傷になりかねない。

 

 

 ペストマスクの奥に覗く瞳は、鋭く細められていた。

 

 

──*──

 

 

 3人を抱えたDoctorが再度天高くにまで跳ぶというアトラクションめいた方法によって合流した、先生らとゲーム開発部の面々。

 ある程度の情報共有が終われば、必然、ここからどうするのかという点を話し合う事になるのだが……その話し合いの場は、控えめに言っても険悪な雰囲気になっていた。

 

 ゲーム開発部とC&Cに蟠りがあるから、ではない。

 

 多少ギクシャクした空気こそあるものの、C&Cの口から先日の件についての説明が直接なされたのだ。

 守秘義務もあるためボカさざるを得ない部分もあったが、彼女らに天童アリスへ危害を加える意思はない事は共有できていた。

 そも、事前の観察において天童アリスは普通の──あるいは普通よりも天真爛漫な──少女であると彼女らは判断していたのだ。少なくとも、積極的に殺害しようなどという気が湧くはずもなかった。

 

 先日の戦闘はあくまでも依頼を達成するためのものであり、本気で天童アリスをどうこうするつもりなら全員で、事前通告も何も無しに攻撃していた、という説明(正論)が強すぎたというのもある。

 

 

 ともかく、そんなわけで、ゲーム開発部とC&Cは一応ではあるものの中立以上の関係を築くに至っていた。

 

 では、何が話し合いの空気を悪くしているのか。

 勿体ぶらずに言えば、それはC&CとDoctorであった。

 

 というのも、未だ動きは見えないもののあのDivi:sionらの中央にいるアリス、あるいは“王女”を押さえる必要があるという合意がなされた後に、振り分けをどうするのかという点で揉めたのだ。

 一目瞭然という話であるが、現状は王女を止めて万事解決とはいかない。うず高く積み上がるまで至った無数のDivi:sionが残っている。

 むしろ、王女の動きが見えない現状ではそちらの方が分かりやすい危険であるとさえ言えた。

 

 そんなわけで、王女を止める側と周囲のDivi:sionへ対処する側とで二手に分かれる必要が出てきたのだ。

 そして、当然のように前者へ手を挙げたDoctorに対しC&Cが、というか美甘ネルが待ったをかけた、というのが事のあらましであった。

 

「……悪いが、アンタをそこまで信用する事はできねえ」

「何故を聞いても?」

 

 視線がぶつかり合う。

 両者ともに、握る得物を持ちあげてはいない。とはいえ、一触即発の2、3歩手前といった気配ではあったが。

 

「いや、アンタが誠意を見せようとしてくれてんのは分かってんだ。移動中にあたしらにわざわざ情報共有をしたり、そこのチビ共を真っ先に助けに動いたのも見てる」

 

 美甘ネルの口にしたDoctor の行動の理由は、言ってしまえば“念のため”と言うほかないものだ。

 先生を引っ張って来ること、C&Cに情報を渡すこと、ゲーム開発部を救助すること、全てにおいて彼にメリットが薄い。

 Divi:sion(雑兵)程度は相手にもならないし、一応ではあるもののプロトコルATRAHASISの誤動作にも対応できるようDoctorは設計してある。

 

 枕詞に“自身の存続を度外視するならば”という注釈が付きこそするが、Doctorは単騎で突入できるだけの能力は有しているわけである。

 あるいは、手遅れを恐れるならば一人で動く方が早い可能性すら十分にある。

 

 最低限、敵を増やさずに中立以上の勢力を増やす。その目的があり、加えて労力として大したものが要求されないから、リターンが見合っていたからこれらの行動を取ったのであり、言ってしまえばそれだけでしかない。

 

 そして、それを正確に読み取っているが故に美甘ネルは『誠意を見せようとしているのは分かっている』と口にした。

 とはいえ、それで終われば反対などするはずもない。言葉には続きがあった。

 

「ただ……その情報共有。あたしらの持ってない情報をピンポイントに話しすぎだ。どっかで探ってたとしか思えねえ」

 

 粗野な言葉使いや任務の(暴れた)際の被害の大きさなどに目が行きがちではあるが、美甘ネルという少女は馬鹿ではない。

 C&Cとはミレニアム随一の武力組織なのだ、そのトップが馬鹿に務まるはずもない。武力だけの人間であれば、参謀に動かされる駒で収まっていただろう。

 

 実際、彼女は必要ならば隠密行動を選択できるだけの分別を備えているし、状況に呑まれたりせずに冷静な判断ができるだけの頭脳も有している。

 むしろ、自身の実力を過信せず、あれもこれもと抱え込みすぎたりせず、必要ならば外部に助けを求められるだけの精神的な安定性まで有していた。ある意味、組織の長としてはキヴォトス全体でも上位に入る器であると言える。

 

 ……同時に、自身の正しさに反するようであれば上役相手であろうと噛みつくような凶暴性も備えているのだが、ともかく。

 そんな彼女の指摘は、確かな事実であった。

 少なくとも、Doctorが反論や韜晦の言葉を口にしない程度には。

 

「それに、どうにもあたしの勘が言ってんだよ。アンタを中央にまで行かせるとヤベー事が起きるってな」

 

 さらに続けられたのは、幾度もの鉄火場を超えてきた者特有の直感。

 たかが直感と馬鹿にするなかれ、口にしたのは単体戦力なら間違いなくミレニアム最強である美甘ネルなのだ。事実、それを口にした彼女の雰囲気は本気のソレであった。

 そして──言葉はまだ終わらない。

 

「私も、Doctor? さんをあっちに行かせるのは良くない気がする……かな」

 

 口にしたのは、同じくC&Cのメンバーの一人。コールサイン01を務める、一之瀬アスナである。

 こちらはネルとは異なり、未来予知か因果の逆転か、異能じみた直感を有する少女である。

 

 そして、そんな彼女が()()()()()()()()()直感を口にした事を他の面々は誤認しない。

 組織としてのC&Cの意見は、固まっていた。

 

 

 さて、こうなってくると困るのは他の者たちである。

 

 まずゲーム開発部。

 彼女らからすればアリスが世界を滅ぼし得る『名もなき神々の王女』であるなど青天の霹靂もいいところであったが、何はともあれ早く彼女を助けたいというのが紛れもない総意であった。

 出会ってからの期間は短くともアリスは大切な友人であり、仲間であるのだ。この話し合いの時間すらもどかしいと言えた。

 加えて、話をややこしくしているのはC&Cであるのだ。一応中立にまで関係は修復されているとはいえ、愉快なものではなかった。

 

 続いて、先生。

 Doctorとの取り引きに応じこそしたものの、C&Cの彼を信用できないという意見は至極真っ当であるとも思っていた。彼自身、アビドスでの一件*1がなければ今とは違った態度になっていただろうと予想できるからである。

 ただし、論拠の多くが直感であるというのがいただけなかった。C&Cとの関わりが薄いままであるため、ネルやアスナの直感というのがどれだけの重みを持つのか判別しかねていたのだ。

 同意を示すにも反対をするにも材料が足りない。手をこまねていると言うほかなかった。

 

 対するDoctor。

 こちらもこちらで対応に悩んでいた。

 現状から推測できる範囲であれば、keyの望まぬ形でプロトコルATRAHASISが発動した可能性が高いのだ。その対応を他者に任せるなど言語道断だという感情があった。

 また、キヴォトスにおいて最も上手く名もなき神の力に対応できるのは自分である、という合理もあった。

 そういった諸々もあり、ただ『信用できない』と反対されただけであれば一蹴するつもりであったのだ。

 

 が、問題であったのは一之瀬アスナの直感が反対しているという事実。

 原作という知識を持つ彼にとって、それは到底無視できるものではなかった。

 

 ──譲歩も、考えるべき……か。

 

 憤懣やるかたない。実に、実に実に不愉快ではあるが、まだ呑み下せる領域の話でもある。

 Doctorはそう嘆息した。

 

 何より、誰かが折れねば話が進まない。この場はそういった膠着状態であった。

 故に、彼は口を開こうとして──状況が変わった。

 

「……ッ!」

 

 誰かの息を呑む音。

 一同の視線が、一つに固まる。

 

 向かう先は。

 

「アリス、ちゃん……?」

 

 花が開くように、円錐の頂点からDivi:sionが動く。

 中央に座す、否、中央に浮かぶは、炭か灰のごとき黒色の装束を纏う少女。ワンピースのようであり、司祭服のようでもある。

 重力に逆らうように、黒の長髪は揺れていた。

 

 瞳が、開かれる。

 

 真っ黒な、ドス黒いまでの黒色だった。澄んだ青色(天童アリス)でも、菫色(key)でもなく。

 塗りつぶされたかのような黒色であった。

 

 厭、それは瞳だけではない。

 ヘイローもまた、悍ましい黒色に覆われていた。それは、あるいは無数の色が混ざり合ってしまった結果のように、あるいは塗り潰されてしまったかのように。

 

 

「……はぁ?」

 

 

 塗り潰された、と思考して、動く影が一つ。

 

 総身は黒色に覆われている。ある意味では薄く微笑む少女に近しいとも言えるだろう。

 ──もっとも、内実はまるで違っているが。

 

 少女の黒色が喪服を思わせるような黒色であるのに対し、機人の纏うは夜闇の黒色。月も星も差さぬ無明の黒なのだ。

 似て非なる、と表現するのが正しいだろう。

 

 ギシ、と軋む音がした。

 源は、機人の握る得物のグリップ部分だ。

 素材は不明なれど相当に丈夫そうに映るそれから音が漏れるとはどういう事であるのか。考えるまでもない。

 

 もう一歩、影が進み出る。

 黒色の総身からは、しかし赤のオーラが漏れ出ているように幻視できた。少なくとも、真横にいた先生からはそう見えた。

 

 一触即発、ではない。この気配は、その先の段階のものである。

 すなわち、激発。()()()()()()()()、誰もがそう直感した。万が一にも矛先を向けられてはならない。障碍であるなどと思われてはならない。

 放たれた銃弾が戻らないように、射線上にある全てを穿ち貫こうとするように、コレはそう振る舞う。理性でなく本能で、直感した。

 

 幸いであったのは、そこまでの激情に駆られてなお彼に理性の色があった事だろう。

 

Divi:sion(ゴミ共)は引き受けてやる。ただし、終われば即座に向かう。これ以上はない」

 

 端的な、()()()()()()()()()という言葉。

 声に浮かび上がる色は、嫌悪であり憎悪である。

 

 そう、憎悪。

 事実として、今なお彼は自分が“王女”の方へ向かいたいと思っていたし、向かうべきだとも考えていた。key本来の輝きを奪うような姿を見せられた故に、むしろ、それら感情と合理の判断は強まってすらいた。

 

 だがしかし、自身が世界の全てを把握しているわけではないという事実も彼は心得ている。心得ているし、重く見てもいた。

 例えば、デカグラマトンやマルクトが『ドクター』の名を知っていた事。今このタイミングでプロトコルATRAHASISが発動しつつある事。

 

 ──あるいは、自身がこの世界(キヴォトス)にある事。

 

 それらの理由をDoctorは知らないし、理由があるのかすらも分かっていない。

 原作という知識は一つの指標であって、何もかもが原作の通りに行くなどという保証はないのだ。そして、原作において描かれていなかった範囲では何も起こらないという保証もまた存在しない。

 

 ならば、可能な限り打てる手は広く持つべきである。

 敵を増やさず、中立以上の関係を築く。味方にできずとも、敵が減るだけで選択肢は広がるのだから。

 自分一人で何でもできるというのならばそんな事を気にする必要は無いのだろうが、Doctorはそこまで自惚れるつもりはなかった。

 

 もっとも、必要となればそういった合理だの理屈だのを踏み潰して自身の目的を最優先するつもりもあるのだが。

 ある意味、非常に人間臭いとも言えるだろう。

 

「20分だ。20分で終わらせる」

 

 三桁ですら収まるか怪しい数のDivi:sionの群れ。

 それを前にして呟いた言葉を最後に、返答を待たずに影は駆ける。

 

 暴虐が、その内心を出力するが如く蹂躙を開始した。

 

 

 

 

*1
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