いつか人となるあなたへ、祝福を   作:RH−

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不和

 

「よし……撤退を始めるよ!」

 

 ネルを庇う形でエイミとトキが前線に入り、更にAMASが援護を務める──といった形で始まった戦闘。

 一部のAMASをネル以外のC&Cの面々の運搬に回し、撤退の準備が整った事で、改めて先生は声を飛ばしていた。

 

 了解の返答はない。

 その余裕がないからだ。しかしながら、アイコンタクトでもある程度の意思は疎通できる。また、現在戦闘を行っている3人は既に先生の指揮下にある。

 撤退戦に移行する事、それ自体は困難ではないだろう。

 

 ……一つ、懸念があるとすれば。

 現時点で手一杯にほど近いというのに、撤退戦を乗り切れるのか、という点だろうか。

 

 古来より、撤退戦は困難なものであると相場が決まっている。そも、撤退とは追い込まれている状況で選択するもの。継戦が不可能だと宣言するのと同義なのだから、相手からすれば追撃するだけでいい。

 無論、そのために撤退戦用の戦術というものも編み出されてきている。いわゆる殿(しんがり)、多くを生かすために捨て駒として一部の兵が残る戦法などは特に有名だろう。

 

 撤退戦とは犠牲が生じる事が常であり、ある意味では犠牲を前提とした戦いでもある。

 今回の場合は、おそらくAMASを殿に置いて撤退戦を行う形になるのであろうが……はたして、それだけで追撃を凌ぎ切れるのか。

 

 先生の顔は暗さを帯びつつあった。

 

 だが。しかしながら、だ。

 

「退いていく……?」

 

 先生らが撤退に姿勢を移したからだろうか。

 Doctorらしき黒色の存在──先生らは“王女”の例に倣って“依代”と呼ぶ事にした──が動きを止めたかと思えば、先生らとは逆の方へと下がり始めたのだ。

 

 先生の脳内に、いくつもの思考が浮かび上がっては消えて行く。

 ドクターの意識が残っている? 活動時間に限りがあった? 単に戦闘で時間を浪費するのを嫌っただけ? ……言葉にするのならば、そんな具合だ。

 

 とはいえ、現時点で動けるのはエイミとトキ、それにAMASのみ。ネルもまた食い下がってこそいるものの、ちゃんと重症と言うべき状態だ。一度下がって回復を挟まなければ危ういだろう。

 先生の結論は、決まっていた。

 

「とにかく、私たちも下がろう」

 

 

──*──

 

 

 重傷であったC&Cの面々を連れ、戦闘から離脱した先生たち。

 追っ手としてDivi:sionがいくらか差し向けられこそしたものの、逆に言えばその程度であったために撤退を成功させた彼らは、ひとまずの応急処置などを行っていた。

 

『それで、ネル。何があったのか話してくれるかしら』

「この声……リオか。あたしも色々と気になる事はあるんだが……」

 

 ちらりと、視線をトキの方へと向けつつ。

 了承を返したネルは、事の経緯を説明した。

 

「あの黒いのに覆われた後、あたしたちは気付いたらこのよく分かんねえ場所に立ってた」

 

 見覚えのないデザインの構造体。

 外部との通信は不可能。

 さらには直前まで近くにいた者たちとも分断されている。

 

 通常ならばパニックに陥ってもおかしくはない状況ではあったが、彼女たちはC&C。想定外の状況には慣れていた。

 

「戦闘は避けて、まずは先生とあのチビたちとの合流する。並行してこの場所の調査も進める。それがあたしたちの立てた方針だった」

 

 戦闘が色々と()()であるネル以外は当然として、彼女自身もまた隠密行動はできる。

 好む好まないはあれど、彼女とてエージェント集団たるC&Cの筆頭を務めているのだ。その程度の能力は有していた。

 

 ではなぜ、ああも戦闘音が轟くような衝突をしていたのか。

 

「んで、Divi:sionを発見して、それを追跡してたんだが……ある程度進んだら、アイツが出てきた」

 

 アイツ。つまり、“依代”。

 そこからに関しては、まあ。察せるだろう。

 

「あたしたちに関してはこんなところだ。それで……そっちは何があったんだ? 先生」

「えっと、そうだね」

 

 リオたちにしたのと同様の説明を、再度行う先生。

 ついでとばかりにエイミやトキの自己紹介も済まされて。

 

 話は、今後の行動についてへと議題を移す。

 

「とりあえず、まずは私はモモイたちとも合流したいかな」

 

 先生の言葉には、反対の声はない。

 何はともあれ、全員の無事を確認するべきというのは共通認識だからこそ。ついでに言えば、その後をどうするにしてもアリスとは合流しておかなければならない、というのもまた。

 

『その後は……keyについて、ですね』

「……」

 

 ヒマリの言葉には、沈黙が返される。

 先の先生の言葉にも同様に沈黙は返されていたが、今回は少しばかり毛色が異なる。つまり、その困難さ……もっと言えば実現可能性の低さを前に、口を閉ざさざるをえない、という。

 いわば消極的な沈黙なのである。

 

 一段と、周囲の空気が重くなった。

 

 ──だが。その空気は変化する。良い方向へ、ではなく。

 ()()()()()()()()()

 

『……そうね。一度、ここで言っておくべきね』

「リオ?」

『keyとドクター。それらを救う必要性は、本当にあるのかしら』

「……え?」

 

 呆気に取られたような先生の声を気にも留めず、リオは続ける。

 

『色彩の顕現によってこの事態を引き起こしたドクター。世界を滅ぼす“名もなき神々の王女”を起動する“名もなき神々の鍵”。無理をしてまで……いえ、そもそもそれがどれだけ容易くとも、このような危険因子を生かそうとするのは非合理的。むしろこれらは積極的に排除するべき。私の考えは、間違っているかしら』

 

 合理的だ。

 あるいは、有理数的なんて形容してもいいかもしれない。

 

 なるほど、感情を排した理性のみで考えるならば──その意見は至極真っ当であろう。

 ドクターもkeyも、世界を滅ぼし得る存在なのだ。もっと言えば、世界を滅ぼすために創られた存在なのだ。

 

 厳密には違っていようと、彼女らの目線で考えればそうであるには違いない。今自分たちが生きている世を害そうとする存在。

 

 であるならば、それを排除しようと思うのは当然の結論であろう。

 

『いえ、それだけじゃないわね。天童アリスと名乗る“名もなき神々の王女”……やはりあれも排除しなければ。鍵を消せば安全、なんて早合点は油断でしかないのだし』

 

 一つ、彼女の考えに問題があったとすれば。

 

「リオ……お前、それ、本気で言ってんのか?」

『リオ。あなたの性格が下水道を煮詰めて固めたような代物だとは知っていましたが……そこまでだとは思っていませんでしたよ』

 

 人には理性だけでなく感情が備わっている事、だろう。

 たしかに人間の持つ理性は絶大な力を有している。ヒトという種が地の果てまでを覆うようになった要因の一つは、間違いなくその存在であろう。

 

 だが、人の持つ理性は決して完全無欠なものではない。人間の全てを規定できるまでの効力はないのだ。

 “感情が理性を振り切る”という例などは、多くの者にとって身近な話だろう。

 

 それを不完全さと捉えるか、あるいは人としての証左であると捉えるか──というのは少しばかりの余談であるとして。

 

 調月リオという少女みたく、感情を排した理性での判断を行える存在はそういない。

 その意見を理解できはするが、納得はできない。そういう話だ。

 

 また、人格を生命として捉える者も多くいる、というのも一つの問題であった。

 たとえ人間的な──もっといえば生命的な──誕生をしておらずとも、0と1の羅列であっても、そこに人格が宿っているならば一つの生命(いのち)として考える。

 

 無論、そこには様々な意見が付随するだろう。

 いわゆるイライザ効果、単なる錯覚であるという批判もある。生命の定義、線引きをどこに置くのかという論もある。あるいは派生して、そもそも人間の感情とは、心とは何であるのかという哲学問答まで出てきうるだろう。

 とはいえ、人格と生命を等価として考える者も多くいる、という事実は間違いない。

 

 そういった点を踏まえれば、先のリオの発言のどこが問題であったかは分かるだろう。

 だが、彼女とてそれらを理解していないわけではない。これまでの人生で自身が異端の側に立つ人間なのだと学んできているし、その分析もちゃんとしてきている。

 

『たしかに、心が痛むのは分かるわ。天童アリスには感情や人間味といったものがあるようにも見えた。鍵やドクターも同類の存在であると考えれば、躊躇うのも理解できる。──でも、これは世界の存亡に関わる話なの。個人の感情は、切り捨てなければならない』

『……そういう事を言っているのではありません。これは個人の感情をどう扱うかではなく、人の命をどう扱うかという話なのです』

『同じ話よ、ヒマリ。天童アリスたちを生命と捉えるかは個人の自由でしょう。でも、たとえ生きていると捉えたのだとしても、個人の生命と世界の存続は比べるべくもない』

『最大多数の幸福のために少数を犠牲にし続けるならば、いずれは残る者と犠牲となる者の総数とが逆転しますよ。それとも、ただ一人が生き残るまで少数の側を間引き続けると? ……その論は破綻しています』

『だとしても、それは今全てを巻き込んだ自滅を選ぶ理由にはならないわ。それとも何かしら、貴女は全員が仲良く涅槃を渡る方が良いと言うのかしら』

 

 先生らとは違い、通信の向こう側で対面しているからだろう。

 ヒマリとリオの舌戦は、ますますヒートアップする。

 

『ならば、あなたのそれも最初から諦めて少数を切り捨てる理由にはならないでしょう。昔からそうです。あなたはいつも自分一人で勝手に考えては、その結論がさも正しいかのように他人に押し付けようとする。自身が誤っているかもしれない、とは考えないのですか? その意識が欠如しているのは、研究者として問題外だと思いますよ?』

『論点をすり替えないでちょうだい。今、貴女の好悪は問題ではないの。世界の存続のために行うべき選択について話をしているのよ』

『ならば改めて問いますが、あなたの結論が世界の存続に繋がっているという保証はどこにあるのですか? あなたはさも自身が正しく私たちが誤っているかのように言いますが、あなたの正しさをどのように証明するというのです?』

『それがどれだけ非道であろうと、世界を滅ぼし得る存在は排除するべきという私の結論と、非道であるから世界を滅ぼす可能性があろうとその原因を看過するというあなたの結論。どちらが正しいかなんて一目瞭然だと思うのだけれど? 今は理想論ではなく現実を考えるべき局面なのよ』

『それは自身が切り捨てる側にいるからできる考えです!』

『いいえ。私は、私の存在が世界の存続に不都合だというのなら、自身のヘイローを砕いてでもその不都合を解決する覚悟がある。他人に犠牲を強いておいて自分の番になったら例外を求める、なんて都合のいい考えが通るわけがないでしょう? ──犠牲について話しているのよ。その程度の覚悟、とうの昔に固めている。あるいは、事態を解決した後に人々が私を人殺しとして訴えるならば、その罪だって背負うわ』

 

 それは、どちらが正しいという話ではないのだろう。

 

 もちろん、そもそも正しさとは個々人の価値観によって大きく変わるものであり、さらには状況によっても大いに変わってくる、という前提はある。

 “一人殺せば悪人だが、100万人殺せば英雄だ”、という言葉は端的にそれを表しているだろう。あるいはもっと極端な例を挙げるならば、クーデターは罪であるが国家転覆さえ成功させてしまえば無罪となる、という例もある。

 

 結局のところ、いついかなる時にも万人に適用可能な正しさなど幻想に過ぎない。

 だが、その前提を踏まえてもなお両者の論の正しさは判別できるものではなかった。どちらにも誤謬、誤りがあるのだ。

 

 しかしながら──少なくとも、そこに籠める覚悟には大きな隔たりがあった。

 

『ヒマリ。私はそれだけの覚悟をして臨んでいるの。誰に理解されずとも構わない、たとえ罪人として後ろ指を指される事になろうと──私自身が切り捨てられる側となったとしても。この世界を存続させる。貴女はどうなの?』

『──っ、あなたは』

 

 声だけでも、それが本気であると分かる重さ。

 決してその場でのポーズなどではない。彼女は人殺しの咎を背負うことも、ともすれば自身の命を擲つことですらも覚悟の上で、その上で言葉を紡いでいるのだと。

 そう思わせるに十分な、酷く重い言葉であった。

 

 実際に対面しているヒマリなどは、先生たち以上にそれが伝わったのだろう。

 息を吞む音には、どこか気圧されたような色が滲んでいた。

 

『……誰が、あなたを唆したんですか。アリウス分校の主、でしたか。あの人物ですか?』

『……何を言っているのかしら? あの人がどうしてここで──』

『あなたはたしかに極端な人間でした。悲観的で全てを自身の手で管理できなければ安心できないような。ですが、ここまでではなかったはずです。誰かが唆しでもしなければ』

『不名誉な言いがかりは止めてほしいわね。たしかに、賛同者が現れた事は小さくない出来事ではあった。けれど、私はミレニアムを背負う者なのよ。元から覚悟はあったし、そもそも顔を合わせてもいない相手に唆されるほど軽い人間であるつもりはないわ』

『あなたがそう思っていようと──』

「──もう、やめよう」

 

 割り込んだ声は、大人のもの。

 誰かについては、述べずともいいだろう。

 

「少なくとも、今は味方同士で言い争っている場合じゃない。でしょ?」

『……そうね。少し、熱くなりすぎたわ』

『私も、はい。……ごめんなさい』

 

 その内心がどうかは別の話として、先生の振る舞いは冷静なものだ。

 そんな彼に諭されたことで、ヒートアップしていた二人は落ち着きを取り戻す。少なくとも、気まずさを感じられる程度には。

 

『リオ。あなたの言いたいことは分かりました。受け入れはしませんが、そこに一定以上の正しさがあることも認めましょう。ですので、少し切り口を変えます』

『……続けてちょうだい』

『今回の一件によって、私たちは無名の司祭という存在を確認しました。名もなき神の力を解し、私たち生徒を害さんとする明確な脅威……となれば、そこには対策が必要となるはずです』

『ドクターたちを協力者に、と?』

『はい。彼らを取り戻すことができれば、友好的な関係を築くことはできるでしょう。名もなき神の研究についても、彼ら自身から学べるならば大きく進むはず。これは、彼らを生かすことの明確なメリットと言えるのでは?』

『……』

 

 沈黙。

 少なくとも、そこに反論はない。

 

 そして、畳み掛けるように声は続く。

 

「ちょっといいか?」

「ネル?」

 

 手を挙げたのは、橙髪の少女。

 この場でできる処置は終わったのだろう、その全身には包帯が巻かれている。

 

「リオ。てめぇの言いてえ事は分かった。その覚悟も伝わった。気に食わなくはあるが、理解はできた。だが……実際にそれができるのかは別の話じゃねえのか?」

『……』

「“依代”だったか? はっきり言って、アイツを壊すのに苦戦するのは目に見えてる。お前の作ったっていうこのブレスレットで身体の重さはマシになったが、確実に壊せるとは言えねえ」

 

 コールサイン00とは、勝利の象徴である。

 その彼女が勝てると断言できない、その意味はとてつもなく重い。

 

 とはいえ、彼女たちC&Cは依代との戦闘でここまで追い込まれていたのだ。それを殺し切ろうと思えば、相応の戦力が必要となるのも当然の話。

 

「ドクターを戻せるのかは別の話だ、ってのは分かってる。それが無理なら依代を壊すしかねえしな。ただ同時に、一度は試してみるべきだってのが現場の判断だ」

 

 人道的な視点からの反論。

 今後を見越した戦略的な視点からの反論。

 現場から見た戦術的な視点からの反論。

 

 それらを受けて、彼女の下す結論は。

 

『……分かったわ。keyおよびドクターの救済に関して、私はこれ以上何も言わない』

「リオ……ありがとう」

『これ以上討論しても不和を生むだけなのは私にも分かる。少数側は我慢しなければならない、というわけではないけれど、分別ぐらいは付けられるわ』

 

 以前の彼女であれば、なおも食い下がっていただろう。

 口にしている通り、彼女は自身が誤っているという結論を出してはいないのだ。

 たとえ数多くの反論を受け、自身が少数派である事を理解しようと、自身が正しいと思っているのならそれを主張する。それが調月リオという人間の在り方であった。

 

 そも、誰に理解されずとも構わない、とまで語っていたのだ。

 反論が多い程度で止まるほど()()な人間性をしていない。

 

 その彼女がこうして折れたのは、成長の証であるのか、あるいは──

 

 僅かばかりの不和を孕みながら、一行はゲーム開発部との合流を目指して移動を開始するのだった。

 

 

 

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