それと、急かもしれないですけど今話で色々と動き始めます。
色々と、ね。
ゲーム開発部が見極めのためとC&Cに呼び出された、二日後の事。
あるいは──結局それ以降に音沙汰の一切がないことへ戦々恐々としながらも
普段と、それこそつい前日とも変わらぬはずの日常の中に、ぽつりと異なる点が打たれた。
「あれ、は……」
呟く彼の視線の先には、文字通りに
午前中の、中天高くには届かぬ日差しに照らされたソレ。十分に明るい景色に浮かび上がるような、それでいて細部の一切が見通せない黒一色は、しかし先生には見覚えのあるものでもある。
なにせ、つい前々日の事だ。
ゲーム開発部とC&C、というか天童アリスと美甘ネルとの戦闘、その最後に介入してきたナニカ。同じように昼間の日差しに目立つ黒色が、ソレであった。
もしくは、だが。
かつて……アビドス砂漠にて、ホシノとユメの再会直後に現れたビナーを撃退した謎の存在、と言ってもいいかもしれない。
(間違いない。あの黒色は、きっと)
どちらにせよ──両者が同一存在でないかと疑念を抱いている以上は──先生にとって無視できない存在である。
それが目の前に現れ、さらには自身へとじっと視線を向けている。その事実は、彼に足を止めさせるには十分すぎた。
と、奇妙な硬直が続くこと数秒。
黒一色のナニカが、動きを見せた。
「……っ! ついて来い、って事?」
踵を返しながらも、幾度か振り返って先生を見る黒色。
シルエットすら曖昧であるために確証は持てないが、その振る舞いから“ついて来い”と言っていると判断すると、先生は覚悟を決めた。
危険である事は疑うまでもないが、しかし正体どころか目的すら掴めないその存在を探るには必要なリスクである、と。
かくして、先生は一歩を踏み出す事となった。
その先に待つものは、果たして。
時を同じくして、ミレニアムがセミナーの執務室。
徹底的に人目の避けられたその場所にて、とある会合が開かれていた。
片や、車椅子に深く身を預けた──少なくとも見かけ上は──酷く儚げな少女。ミレニアムサイエンススクールの歴史を紐解いても三人しか到達していないという“全知”の学位を誇る、明星ヒマリ。
対するは、その長身を黒を基調とした衣服でコーディネートした怜悧な印象を受ける少女。キヴォトス三大学園であるミレニアムの生徒会長を務め、“ビッグシスター”という二つ名で揶揄されもしている……そんな、前者とはまた別の意味でも名高い調月リオ。
少なくとも、現在のミレニアムサイエンススクールにおいて最上位に位置している、その事実は疑いようのない少女たちである。
「電気もつけないままとは、随分なお迎えですね。まるで誰かさんの心根のよう」
「この会合の秘匿性の重要さ、そして緊急性の高さについては貴女も理解しているはずだけれど。それに、ジョークがアイスブレイクとして有効な事は認めるけれど、無駄な皮肉は反感を買うだけよ。癖になっているならやめておいたほうがいいわ、ヒマリ」
「……以前より冗談を解するようになったのはいいですが、本質はそのままですか。相変わらずですね、リオ」
今では度々衝突する事も珍しくなくなった、そんな気配を節々に漂わせながらも両者は席に着き。
改めて、言葉を交わす。
「それじゃあ、本題に入りましょう」
「まあ、そうですね。これ以上は何を言おうと無意味でしょうし」
「……まずは、前提のすり合わせを。本来の私と貴女の計画では、貴女が手段を、私が危機を提供する事で
「ええ。しかし、その予定は崩れ去った」
両者の優秀さ故だろう、一度討論に進めば言葉は淀みなく交わされる。
「理由は二つ。一つは、貴女の提供する予定だった“鏡”という手段が不発となった事。そして、もう一つが──」
「──時間的余裕が、なくなったから」
被せるような、白髪の少女の言葉。
それに数秒ほど口を閉ざして、再度リオは続きを語る。
「……その通り。そして、その理由こそがDivi:sionと呼ばれる未知なる機械群。無名の司祭の遺したオーパーツであり、そして『名もなき神々の王女』の手勢として駆動する無尽蔵の兵力。これまでも“廃墟”から溢れ出ていたアレがさらに活性化した事で、拙速であろうとすぐさま手を打たなければならなくなった」
「そして、その結果こそがつい一昨日の戦闘……ですよね?」
「ええ」
コクリ、と首を縦に振るリオ。
「考察を深める時間がない事は申し訳ないけれど。解釈の結論は、出たかしら?」
「もちろんです。私は超天才清楚系美少女ですから。一日もあれば大抵の事には結論を出せますとも。……アリスの正体、それは無名の司祭の創り上げたオーパーツであり」
「遥か昔の記録に存在する、“名もなき神々の王女”」
「……」
「……」
天使が通り過ぎる。
室内が静寂の空白に満たされ、数秒後。
「そう……同じ解釈になったようね。つまり、天童アリス──いえ、AL-1Sの本質は」
「ええ。アリス、あの子は」
示し合わせたように、言葉を紡いで。
結論が、口に出される。
「世界を終焉に導く兵器」
「“かわいい後輩”ですよね」
真っ向から相反するような、その結論が。
口にされて……再度、沈黙が場を満たした。
会合は、まだまだ終わりそうにない。
「ここは……?」
人気の無い郊外を超え、“廃墟”にすら入り。
黒色のソレを追って先生が辿り着いたのは、開けた空間であった。
彼の通ってきた抜け道のような通路を除いて、出入り口となる道は存在しない。三面がマンションにも似た雰囲気の建造物に囲まれ、通路のある一面だけが瓦礫が詰み上がるようになっている。
建造物の高さは30メートルほどだろうか。おおよそ10階建てのように映る。ツタやコケに覆われ、一部は木の幹が突き出ている様は──差し込む日差しの柔らかさも相まってか、威圧感や不気味さよりも荘厳さや神秘性を漂わせる。
あるいは、この光景も自然との共存と呼べるのかもしれない、なんて。どこか場違いで的を外れたような思考が、先生の脳裏を過ぎった。
囲まれたスペースは、大人が駆け回るにも余裕があるほど。体育館ほどの広さだろうか。碁盤状に、縦横規則正しく線が交差している。
そこまでを見通して、先生は改めて中央へと目を向けた。
視線の先には、二本分の木が並ぶように。実はついていないが、青々とした葉はその生命力を分かりやすく示している。
神社にある御神木、といった雰囲気とは異なるが、十分すぎるまでに神聖な気配を放っていた。あるいは、本能的に“触れてはならない”と先生に思わせるほどには。
そして──その片方の傍らには、彼をこの場にまで導いた黒色が。
「この場所を、あなたは見せたかったの?」
場に満ちる神聖さに呑まれそうになったからか、はたまた単に会話の主導権を握るためか。
問いかける声は、日差しに溶けるように響いた。
「……」
返答の無いままに、10秒。
20秒。
30秒。
鳥のさえずりも聞こえぬ静寂に、いよいよ耐え切れぬとばかりに先生が再度問いを放とうとした辺りで、黒色が動きを見せた。
『先生、で──相違ないか?』
如何なる原理か、中空に描かれる文字。
フォントで言うならば、明朝体だろうか。滑らかで読みやすく、しかし拭いきれない機械的な冷たさが漂っている。
(姿だけじゃなく声まで隠す、か……)
随分と用心深い事だと感じつつ、同時に“質問に別の質問で返すのはやめてほしいな……”なんて思いつつ。
先生は、首肯を返すことでその問いに答えた。
敵対するとなれば断固とした姿勢を取る事もあるが、そうでなければいたずらに噛みつくほど彼は尖っているワケではない。
むしろ、その対極にあると言ってもいいだろう。
「どうやら既に知っているみたいだけど、私はシャーレの先生。貴方は?」
『Doctor。できれば片仮名ではなく英語をイメージして呼びかけてほしい』
「なるほど……? にしても、綺麗な場所だね」
黒色改めDoctorの、少しばかり妙な要望に小首を傾げつつ、先生は周囲を見渡して言う。
改めて見ても息を吞むような、美しい場所だと。
『それに関しては是を返そう。とはいえ、俺も偶然発見しただけなんだが』
「へえ。てっきり、貴方が作ったのかと」
『生憎、美的センスについては自信すら持ち合わせていない。ここまでのものを作れるだけの能力は無いし、ついでに言えば余裕も無い。まあ、そういう事だ』
他愛もない会話だ。
決して毒にはならないが、しかし薬にもならない。そんな言葉の応酬だ。
あるいは、アイスブレイクと呼ぶべきだろうか。
とはいえ、これがアイスブレイクであるのならば──いつかは本題へと切り込む事となる。
『さて。時間に余裕があって仕方がない、というわけではない。そちらもそうだろうし──そろそろ、本題へ入らさせてもらおうか』
「うん」
僅かに、場の空気が変質する。
(……来たか)
神聖さと穏やかさが共存していたそこに漂い始めたのは、刺すような鋭い気配。有り体に言うのならば、緊張感と呼ばれるもの。
先生の唾を呑む音が、少しだけ響いた。
そうして、いよいよ決定的な言葉が形にされる。
『先生──知識が欲しくはないか』
少しばかり、想定していなかった言葉へと先生が身を固める。
正体どころか目的すら判明していない相手なのだから、想定も何もないと言ってしまえばそれまでだが……それにしても、というヤツである。
「知識……?」
『あるいは知恵。あるいは叡智。あるいは深知。知られざる過去、失われし事実を識る術。もっと分かりやすい言葉を使うならば──天童アリスについて。ミレニアムにて起きている事象について。AL-1Sとは何か。あの子が眠っていた場所は何か。あの子が創られた理由は何か。知りたいとは、思わないか?』
「それ、は」
言葉が途切れる。
Doctorは問いかけたから。そして、先生は。
「知りたいと、言ったとして。貴方はそれを教えてくれるのかい?」
『当然に』
“知りたくないと言えば嘘になるが、それはそれとして疑わしい”。飾らずに表すのであれば、それが先生の内心であった。
そもそもの話として、現在の状況を整理するならば『姿も声も晒そうとしない、それなのに自治区を跨いで
これで信じられると言う人間など少ないという言葉でも足りないだろうし、残念ながら先生であってもそれは不可能であった。
「正直に、言ってもいいかな。信じる事ができない」
『だろうな。信用できない、信頼できない。それは当然の感想だろうよ。なにせ、貴方の視点において俺の目的はまるで見えず、従ってこの行動が俺にもたらすメリットもまた見えてこない。言うなれば、突然現れて“力が欲しいか”と契約を迫る悪魔と同じようなものだ。あるいは詐欺業者か? まあ、むしろこれで信じると言われた方が正気を疑ったよ』
「……いや、そこまでは言ってないけど」
自虐と似た文脈とはいえ、そこまで言うほどだろうか。先生の顔が少しだけ引きつる。
(ただ……思ったよりも、会話は通じるっぽい?)
僅かな期待を感じつつ、彼は続けて口を開いた。
「それで、そう言うって事は」
『無論、説明するとも。とはいえ、全てを明かす事はできないのだが』
「まあ、それは当然なんじゃないかな。私と貴方は初対面なんだし。──最低限、嘘を吐かないと保証してもらえるなら。私は構わないよ」
『そう釘を刺さずとも十分に理解しているさ。この学園都市で貴方と敵対する事の意味も含めて、な』
そう言って、どこか意味ありげな間を挟んで。
Doctorは“さて、まず俺の目的だが”と続けた。
『俺の目的は、ある子どもが望むままに生きられるようにする事にある。アビドスにおける活動も、このミレニアムにおける活動も、あるいはそれ以外における活動も。全てが、そのためだ』
「その子は……アビドスの子なの?」
『否を返そう。そもそもあの子は生徒ではないからな。まあ、ある意味ミレニアムの生徒だと強弁できなくもないのかもしれんが』
「なるほど。……その、その子との関係は聞いても?」
『……ふむ』
ここに来て初めて、Doctorの言葉が途切れる。
シルエットすら曖昧であるために確証は持てないながらも、先生は逡巡しているのだろうかと想像した。
『どう、表すべきなんだろうな。創造者と被造物と呼ぶには熱を持ち過ぎた。師と弟子と呼べるほど何かを教えたとも思えん。隣人の一言で表すには深くに立ち入り過ぎた。だが、まあ……そうだな。関係とは違うかもしれんが……救われたんだよ。俺はあの子に』
「救われた……?」
『ああ。とどのつまり、ありがちな話だ。救われたから、救い返す。まあ俺のコレがあの子の救いになるかは知らないがな』
(まだ、信用するわけにはいかないけど。もしかしたら、この黒い人は……)
あの黒服のような存在ではないのかもしれない。
そんな思考が、期待の念が鎌首をもたげる。
文面の会話故、その内心を読み取る事はできないが……もしかしたら、と。
とはいえ、耳触りの言い嘘を並べている可能性もある。
先生は小さく首を振る事で気を取り直した。
『これ以上はパーソナルな部分に触れすぎる。話を進めさせてもらおうか』
「そうだね。不躾なことを聞いてごめん」
『構わん。さて、俺の目的はあの子が望むままに選択し、そして生きていけるようにする事にある。つまり──生徒になる、という選択肢もまた選べるようにしてやりたいわけだ』
「もしかして……私に、そうなった時の後ろ盾を?」
『頼みたい。それ以外にも狙いはあるが、最も大きな部分はそれだ。そして、その対価として天童アリスの正体に関する知識を渡す。まあ、釣り合いは取れているだろうよ』
再度、沈黙。
Doctorは語り終えたから、そして先生は思考を巡らせているから。それぞれの理由が噛み合った事で、静寂が満ちる。
そうして、10秒が経ち。今回沈黙を破ったのは──
「いくつか、質問をしていいかな」
先生の側であった。
『是を』
「まず、それ以外の狙いの内容は?」
『言うなれば、知識を渡す事そのものが狙いとなっている。知ってしまえば最後、先生ならば手を打たずにいられなくなるだろうからな。それに、あるいはその先で真の意味での同盟を結べる可能性もある。以上だ』
「それじゃあ、次。貴方が健やかに生きてほしいと思っている子は、アリスに関係する存在だよね」
『是を。露骨すぎたかもしれんが、それは正しい洞察だ。お見事、と言っておこう』
「なら、最後だ。貴方は、生徒の敵じゃない。けれど──」
そこで言葉を切り、一呼吸分の間を挟んで。
核心に踏み込む問いが、放たれる。
「けれど、貴方は生徒たちの味方でもない。その子の選択次第でどちらにでも転び得る。そうだね?」
答えは。
『──是を』
先生の顔に、苦笑いが浮かぶ。
彼にとってこの返答は予想通りのものではあったが、こうも断言されるとは思っていなかったのか。あるいは、
もしかすれば、両方なのかもしれない。
『貴方の倫理観で言えば、誤った選択を正す事もまた務めであるのだろうが──何分、あの子も
「……言いたい事がないと言えば、嘘になるけれども。事情を何も知らない現状でそれを口にするのは、私が気持ちよくなりたいというだけの行動になる。だから、一旦答えないでおくよ」
『そうか。こうして相見えて理解したが……やはり、教職に就く者としては貴方のような存在が望ましいのだろうな』
「……?」
『すまない、話の腰を折った。それでは、改めて結論を聞こうか』
(うん、まあ……)
問いへの答えが予想通りであった時点で、その結論もまた決まっている。
一つ頷いて、先生は答えた。
「是を、返そうかな」
Doctorに倣ったように返し、不敵にも映る笑みが浮かべられる。
「つまり、その子がそんな選択を──生徒たちと敵対しようと、そう思わないぐらいにしてあげればいい。なら、普段と変わらないからね。子ども達が健やかに、幸せに生きていられるようにする。そんな環境を作り上げる。それが大人の責任なんだから」
『……眩しいものだな』
言葉は、文字だけだというのに感慨深く。
(たぶん、評価してくれてるんだよね)
まさかハゲていると言っているわけでもないだろうし、と。
先生はその言葉を賞賛として受け取った。決してアロナの書いてくれた似顔絵など脳裡に過ぎったりしていない。
決して。
なんて、僅かばかりの油断も混ざってしまったからか。
先生は、少しだけその後に起きた事象への反応が遅れてしまった。
いや、きっと反応が遅れてなどいなくとも何かできたわけではないのだろう。
とはいえ──それが、油断であった事は間違いない事実であった。
『さて、ならば──知識を、与えよう』
Doctorが、そう告げて。ナニカが展開されたと、先生が本能的に察知した瞬間だった。
事が、起きたのは。
起きてしまったのは。
「ぐっ、う……!?」
一つは、先生の脳に直接知識が流し込まれた事。
彼の知り得ない、そもそもこの世界から消失して久しいはずの情報。名もなき神々。無名の司祭。プロトコルATRAHASIS。そして、名もなき神々の王女と、その従者たる鍵。
深くまで踏み込まないよう表層部分だけで抑えてあるからか、頭痛が襲ってくる、というほどの量ではない。攻撃的な行動でない事は間違いないが──未知の感覚だ。その戸惑いは、語るまでもない。
「あはは、見つけたよ!」
「アスナ! お手柄だ!!」
一つは、どこからか現れたC&Cの面々がDoctorへと襲撃を行った事。
おそらくこの奇襲攻撃に相当のリソースをつぎ込んでいるのだろう、粉塵が周囲に立ち込める。
そして──
『設定条項の達成を確認。只今より──プロトコルATRAHASISの実行を、開始します』
最後の、一つは。
直接脳内に響くような、そんな宣言と。
ミレニアムの校舎がある辺りに、真っ黒な光の柱が発生した事。
(プロトコル、ATRAHASIS……?)
「っ! まさか!」
叩き込まれた知識に該当の言葉があったからだろう。
混乱から立ち直った先生が、目を見開いて本校舎の方を見る。周囲を囲む建造物の奥に覗く真っ黒な柱は、幻覚ではないたしかなものとしてその視界に映った。
そして、反応を示したのは彼だけではなかった。
「このタイミングでプロトコルATRAHASISの実行……? 何が起きた!?」
声は、確かな音として。
同時に、辺りに立ち込める粉塵が切り裂かれるように払われる。
その奥に姿を現すは──
「司祭が何かを仕掛けていたか……?」
総身を覆うは、革のような硬さを感じさせる黒のインバネスコート。
その内側の装束もまた黒を基調としているが、各所に金属製の防護具やベルトが覗いている。裾の辺りは酷く痛んで解れているが、それによって漂うのは不潔さではなく不吉さ。歴戦の風格を漂わせていた。
頭には同じく黒の、ミミズクみたく鍔の鋭く尖った帽子を被り、顔には全体を覆うような真っ白なペストマスク。
全身で唯一の白色は、顔だけが浮かび上がっているようにも映る。
右手に握るは、拳銃を一回りほど大きくさせたサイズの機械銃。左手には角ばった十字架上の大盾を構えている。
顔以外の全てが黒色で構成された、どうしようもなく不気味な出で立ちの怪人。
それが、土煙の奥に立っていた。
と、刹那。
「何はともあれ──先生!」
「っ!?」
呼びかけと共にその姿が掻き消えたかと思えば、いつの間にか先生はDoctorの小脇に抱えられていた。
「あちらへと向かう。悪いが付いてきてもらうぞ、先生」
「……分かったよ」
あの大盾はどこに行ったのだろう、と微かな疑問を抱きつつ、了承を返す先生。
この状態では抵抗したとしても無意味だろうし、どうせ向かうのは変わらないのだから送ってもらった方が早く済むだろう……そんな、諦めと打算の混じった答えであった。
「C&Cもだ。Divi:sionの処理に際して調月リオから多少は話を聞いているかもしれんが、事は一刻を争う。俺の信頼度に関しては十分に理解しているが、付いてきてもらいたい」
有無を言わせぬ調子でそう告げると、返答を聞く前にDoctorは駆け出す。
付いてこないならばそれはそれで、といった様子だ。
どことなく、避難指示を下す教師のような鋭さがそこにはあった。
「それが、お前の選択なのか……? key」
呟かれた、焦燥に塗れた言葉は──風に呑まれて消えて行く。
先生どころか彼自身の耳朶も震わせずに。
ミレニアム本校舎にて、何が起きたのか。それを知る術は、今は。
場所は移り、場面は少しばかり戻り……二人の少女が討議を行う室内にて。
真っ向から対立する結論を出したリオとヒマリは、口を閉ざしたまま視線を交わしていた。
「……」
「……」
もはや睨み合いにも等しい様相。今回ばかりは、常の衝突など比較にもならないような状態だ。
いや、表面上は常の様子にも見えるのかもしれない。リオは普段通りの無表情であり、ヒマリもまた笑みを浮かべているのだから。
だが前者は能面もかくやとばかりに表情を凍らせており、その手に握られたタブレット端末からもギシギシと音が鳴っている。後者もまた、完全に下り切っていない瞼から覗く瞳は欠片も笑っていない。
すなわち、一触即発。
未だ決定的な破綻にまでは落着していないが、“ビッグシスター”たる少女は一度決めたならば躊躇なく実行に移れるだけの思い切りの良さがあり、“全知”たる少女もまた無抵抗なままでいるほど正直な存在ではない。
分水嶺を超えれば、この場の緊張感の行く末はどうなるか……目に見えているというものだろう。
「一つ、問うわ。あの存在の内包する危険性、それは理解しているのよね?」
「あの存在、ではなく天童アリスです。あの子は既に“名もなき神々の王女”ではなくこのミレニアムの後輩なんですから」
「論点をすり替えないでくれるかしら? 私は、天童アリスを名乗る存在の有する危険性について理解しているのか、その点について聞いているのよ」
「……それは」
ここに来て初めて、ヒマリが言葉を濁らせる。
端麗な顔に、僅かに苦々しさの色が浮かんだ。
そもそもの話として、である。
比較的歴が浅くともキヴォトス三大学園にまで規模を広げたミレニアムサイエンススクール、その歴史において三人しか到達できなかった“全知”の学位を有しているのが明星ヒマリという少女なのだ。
つまり、決して彼女は馬鹿ではない。むしろ人よりもよっぽど優秀であると評せるだろう。
そんな彼女が、天童アリス……否、“名もなき神々の王女”の危険性を理解していないのかと言えば──それは間違いなく否である。
いや、もはや理解できないわけがないとまで言ってもいいだろう。
では、なぜ彼女がリオと真っ向から反する結論を出したのか、だが。
そちらに関しては単純な話である。とどのつまり、彼女はあくまでも“天童アリス”について評価を下しているのだ。名もなき神々の王女ではない、ただの天真爛漫な幼子である天童アリスについて。
そして、天童アリス自体には大した危険性はない。明白なまでに。
しかし、である。天童アリスという人格、無邪気な精神に危険性が無くとも、その肉体は“名もなき神々の王女”のものに他ならない。
内包する危険性に関しては、語るまでもないだろう。
そこに加えての、前々日の美甘ネルとの戦闘である。
しばらく前からミレニアムに出没するようになった、黒色のナニカ。Divi:sionの活性化の原因とも疑われているソレが介入してきたせいで、決着こそ曖昧に流れたものの──戦闘中に、天童アリスはまるで
今でこそ元のアリスに戻っているようだが、アレが本来の“名もなき神々の王女”でないという保証はない。
つまり、どれだけの猶予が残されているかすら定かではない、という事。
「ヒマリ。人道、倫理が重要である事は間違いないわ。けれど、今回は話が違うの。私たちの結論で、決断で──世界の存亡まで左右されてしまう。分かっているでしょう?」
「世界を維持するためならば、あの無垢な幼子を殺す事も仕方がないと? それがあなたの独り善がりでないとどうして言えるんですか?」
両者の意見は真っ向から対立している。
そもそも立っている場所が、視点を置いている場所が違うのだ。リオは合理に、ヒマリは人道に重きを置いている。そこが完全なまでに対照的である以上、出せるのは折衷案がいいところだろう。
だが、今回に限っては折衷案が生まれ得るかすら怪しい。
「あなたはいつもそうです、リオ。自分が正しいと思えば……思い込めば最後、独り善がりに実行しようとする。周囲の意見も何もかもを無視して。『理解されなくともいい』なんて嘯いていますけど、その原因はあなた自身にあるんですよ?」
「……そう、ね。私にそういった部分がある事は間違いないでしょう。けれど、人道を気にしている場合じゃないのは間違いないでしょう? それに──今回は、決して私の独り善がりではないわ。だって、賛同者が、協力者がいるんですもの」
今度こそ、目に見えるまでヒマリの顔が歪められる。
露骨に表れたその色は、苦々しさを通り越して忌々しさの領域にすら至りつつあるかもしれない。
「……アリウス分校の主、ですか」
「知っていたのね」
「あなたの悪趣味なセーフハウスについては、常に調べていましたから」
アリウス分校の主。
それは、調月リオの協力者の名前であり、そして彼女の手掛ける要塞都市エリドゥの建設資金を一部提供した者の名前であった。
いや──もしかすれば、それは協力者の域を超えてさえいるかもしれない。
なにせ、Divi:sionが廃墟から溢れ始めた段階でリオにコンタクトを取り、さらにはエリドゥに関するアイデアまで提供しているのだから。
少なくとも、単なる協力者の域からは逸脱しているだろう。
「今回に関しては、私にも賛同者がいる。決して独り善がりなんかじゃない」
「…………」
形勢が傾く。
天童アリスの無邪気な人格が表出していようと変わらない、その肉体が名もなき神々の王女のものであるという事実。一向に活性化の治まらない
いかな賢者であろうと、これだけの事象が積み重なってなお反論するのは難しい。
ああ、けれども。
この討議に、結論が出される事はなかった。明星ヒマリにとっては、間違いなく
なぜならば──
『設定条項の達成を確認。只今より──プロトコルATRAHASISの実行を、開始します』
それよりも先に、何よりも明確な“答え”が出てしまったからである。
「……っ!? 今のは」
「まさか!? いったい何が──」
脳内に響いた声へ、驚愕も露わに反応を示す二人。
が、もはや手遅れ。何せ、既に宣言通りに事は起きている。
巧遅は拙速に如かず。
計画を前倒しにしていたとしても、彼女らはまだ遅かったのだ。あるいは、敵の計画が速すぎたという話であるのかもしれないが。
「セキュリティシステムへのハッキング──いえ、既に掌握された!?」
「停電……これは、つまり」
代償は、世界を滅ぼすシステムの起動。
終末の喇叭が、高らかに謳い始めた。