学園黙示録 ‐Crosser of the DEAD‐ 作:浜田猫@執筆中
「のび太はどこで待ってろって言ってた?」
「職員室だ」
放送の後、屋上から下りて廊下を歩く。
想定していた通り、皆我先にと飛び出して行ったのだろう。
机や椅子が倒され、教科書類はものの見事に散乱していた。
「この分だと、先に着けそうだな。ところでジャイアン、それなに?」
僕は武が手に下げている袋を見てそう聞いた。
すると武は、思い出したように「おお」と言って袋ごと差し出してくる。
受け取り、中を覗いてみて納得した。
「のび太からか。頭はよくなってもドジは健在なんだな。僕だって装備くらいは持ってると言うのに。君が使うかい?」
「使い方がわからねぇ。俺は」
武は近くの教室に入ると、転がっていた野球部のバックを物色しバットを取り出した。
片手で二、三回振った後それを持って戻ってくる。
そして獰猛な笑みを見せてこう言った。
「俺はこっちのほうがいい」
「だね。そっちのほうが君らしいよ、ジャイアン」
「アリガトよ」
バットを肩に乗せ前を行く武に、僕は袋から取り出したソレのスライドを一度引いてズボンの背に差し追いかけた。
◇
窓の外に人が見えた。
「ん?ちょっと止まって」
前を歩いていた武は、僕の呼び声に足を止め振り返る。
僕の視線を追って窓の外を見る。
「誰だ?」
「あれは……小室か」
朝に屋上で会った小室孝と、その友人といったところか。
いち早く状況を察知したらしく、下に行って歩く死体の餌食になることはなかったらしい。
「やっぱり、生きていてくれたか」
「知ってるのか?」
「まあね。知り合いの知り合いさ」
あの様子だと管理棟から逃げるつもりらしい。
「おい、誰か来たぞ」
小室たちの前に立ちふさがるように、フラフラと覚束ない足取りで教師が一人出てきた。
遠めに見ても、その姿が怪しいとわかった。
おそらくもう、あれは人ではないのだろう。
「あれか。……実物を見ても信じられないな。あれが死んでるなんて」
そう、あの教師はすでに事切れている。
なのに動いているのだ。
死して動くという絶対的矛盾の現像物。
当然、見ていて気分のいいものではなかった。
「……撃てないのか?」
「こんな距離、のび太でもなきゃ無理だよ」
武器を持っているし、みすみす殺されることはないだろうけど、やはりわからない。
確実性もなく、完全に状況も理解できていなくては、仕留めることもおそらく難しい。
多分、あの三人の誰かが負傷する。
けどそれが分かっていても、僕にはなす術がなかった。
「――行けるかい?」
彼がいなければ、だが。
「それでこそだ、心の友!」
そう言って武は窓を開け放ち、ひとつ下の階の足場へと飛び降りた。
驚異的な身体能力で一階分の高低差を難なく着地した武は、そのまま三人に――いや、歩く死体に突進して行く。
その頃、三人のうち小室じゃない方の男子生徒が教師を羽交い絞めにして動きを抑えていた。
「拙いっ」
あの体勢は極めて危険だ。
何せ噛まれたら負けだ。
相手の顔の傍に体の一部分をおくのは、どう考えても正解じゃない。
――な、なんだこいつ!?
――永!
思ったとおり教師が凄まじい怪力を見せ、男子生徒の腕に牙を剥いた。
だがその瞬間、
――があっ!!!
彼らの目の前に突然現れた巨漢によって、教師は頭を一撃で木っ端微塵に叩き潰された。
「よしっ」
さすがに目の前で負傷されては、こちらとしても気分が悪い。
無事助けられたことに、僕は思わず拳を握った。
「……?」
小室も助けられた男子も、傍で狼狽していた女子も唖然としている。
見れば武は糸が切れた人形のように動かない死体を見下ろし鼻息を荒くしていた。
「……まあ、普通なら怖いかな。確かに」
ただでさえあの巨体にあの強面だ。
見た目通りの獰猛さが加われば、本能レベルで恐怖を与えかねない。
この状況ならなおさらだ。
あたりを見渡し、誰もいないことを確認して急ぎ僕もそこへ向かう。
僕は彼のような身体能力はないので、当然階段を使って。
◇
僕がそこに着くと、三人はもういなくなっていた。
やはり、死体を見て興奮する巨漢を危険と判断したんだろう。
無理もない。状況が状況だけに、確かに相当危なく見えてしまう。
「気付いた時にはいなかった」
開口一番にこう言われたとき、そう判断した。
「そう。じゃあ行こう。ここからだと、丁度反対側だ」
ここだってそう広くはない。
生きていれば、どこかでまた会えるだろう。
そう思い、ここから校舎を挟んで反対側に位置する職員室を目指した。
1
「うお」
「視点が変わると、またひどいな」
天文台からの屋上の光景は、まさに地獄絵図だった。
すぐ隣では、階段を塞いだバリケードに阻まれた<奴ら>が唸り声を上げている。
じきに下の連中もここにやってくるだろ。
管理棟へ行く途中、いきなり昼休みに見た巨漢が目の前に現れた。
おそらく助けてくれたのだろうが、あの表情を見てしまうとどうにも信じられなくなる。
得物を仕留めた熊のような獰猛な笑みに、鼻息荒く瞳孔も開ききっていた。
今冷静に考えれば、もしかしたら、現実離れした世界を見て、精神が錯乱していたのかもしれない。
危険を肌で感じ取った僕たちは、彼に気付かれないように道を迂回し屋上に登り、今はこの天文台で救助を待っているところだ。
「救助を待つのはいいけど、本当に来るのか?」
「わからない。ただ、希望がないわけじゃない。さっきのを見る限り、自衛隊はまだ機能してるからな」
僕たちが屋上に出てすぐ、学校の上をヘリが通過して行った。
必死に麗が手を振っていたが、それに気付くこともなくヘリは離れて行きついには見えなくなった。
“民家の惨状を見ても放っておくのだから、何か政府からの特別な任務を受けているのだろう”というのが永の意見だ。
おそらく、永の言うとおりなのだろう。
麗の言葉を借りれば、永はいつだって正しいのだ。
「永、孝」
天文部の部室から出てきた麗の手には、数本のペットボトルと菓子袋を抱えていた。
ペットボトルには水も入っている。
さらに部室内には寝袋や、流しとトイレも備えられているらしい。
下手な場所よりゆっくり出来そうなところだ。
もっと早く見つけておけばよかった、と思って、鍵が無いか、とすぐ考え直した。
下を見ると、<奴ら>と化した女生徒が、呻き声をあげながら在らぬ方向へ腕を伸ばしていた。
「このっ」
さっき麗に渡されて、中身を飲み終えていたペットボトルを投げつけようとし、永に咄嗟に止められた。
空になったペットボトルに水を溜めておけば、食料がなくなっても何とかなるとのことだ。
冷静な時の僕ならわかりそうなことだ。
余程余裕がなくなってきているらしい。
「二時間前は、いつも通りだった。映画やゲームじゃあるまいし、なんだってんだ一体!」
人が人を喰い、喰われた人も人を喰う。
喰われた人は死に絶え、死んだ人が生者を求め動き出す。
そんなフィクションだけの非常識が現実となり、常識へと動き始めていた。
地獄だ。
だがどう見てもこれは冗談なんかじゃない。
さっきだって、永が噛まれかけたのだ。
あのまま噛まれていたら、永もきっと――
「原因は……あるはずだ。今はわからないが、きっとなにか」
「今はここで、様子を見るしかないのか」
「ああ。一応、これからのことを考えよう。万が一のためだ」
「……そうね」
後で思い返せば、このときの僕たちには目の前のことしか考えることが出来ていなかった。
ちゃんと学校の外のことが見えていたというのに、どこかで考えないように頭の隅に押しやっていたのだ。
仕方なかったのかもしれない。
この状況なら、多分誰もが自分の身の安全をまず考えるだろう。
実際に、僕たちがそうだったのだから。
僕たちが“学校の外”にいる家族のことに気付いたのは、麗が僕の携帯を使って親父さんに連絡を取った後のことだった。
2
生者の悲鳴が殆ど聞こえなくなった頃、中庭を挟んで職員室のある校舎とは反対側の校舎で彼らは生き延びていた。
扉の上に設置されたプレートには生徒会室と書かれている。
部屋の内側からバリケードが張られ、外からの進入は十分防げるものだろう。
さらに幸いなことに、扉の外にも歩く死体の気配はない。
「のび太さん」
僕にしか聞こえないように呟かれた声と共に、制服の袖が控えめに引かれる。
目を向けることで答え、意識を耳に傾けた。
「こんなところにいていいの?二人との待ち合わせは」
「しょうがないよ……。こうなっちゃったんだから」
部屋の中を見渡すと、皆思い思いに休息をとっていた。
職員室に向かっていた僕たちは、ここにいる連中に無理やりここに引っ張り込まれたのだ。
僕たちがいいと言っても聞こうとしてくれなかった。
多分ここにいる連中は、目の前の人間をゲームでいう“機”として見ている。
自分の周りにより多く人がいれば、土壇場で手近な誰かを差し出せば自分は助かるのだ。
だからそのための“機”を、より多く所持しておきたかったのだろう。
自分がその“機”になりえるということなんて、冷静にならないと気付けないようだ。
「でも、二人をいつまでも同じ場所で待たせるわけにはいかない。チャンスを見てなんとかここを出ようと思う。そのときは合図するから、しずかちゃんから先に出て」
しずかちゃんは一度「えっ」と声を上げて戸惑ったが、少し経つと辛そうにコクリと頷いた。
責任感の強い彼女のことだ、何も出来ない自分を責めているのかもしれない。
少しでも安心させたいと思い手を伸ばし――引いた。
何も掴めていない手には、未だ人を撃った感覚が克明に残っている。
僕は、人を撃ったのだ。
「………」
何も考えないようにぼんやりと手を眺める。
何かを考えれば、後悔してしまいそうだったからだ。
一度してしまえば、多分歯止めが利かなくなってしまう。
彼女の前で、それだけは避けたかった。
無理やり払い除けようと目を瞑り、手を下ろそうと力を抜いた。
そして重力に任せ落ちた手は――床ではなく、小さな両手に包まれた。
「しずか、ちゃん……」
彼女の両手が、僕の手を握っている。
見たときはただ驚きしかなくて、それがどういうことか気付くと、今度はとても温かくなった。
彼女の手は血の気が引いたように冷たい。
けどその手から感じられた彼女の気遣いは、今の僕にとって何よりも温かかった。
「寒い?手、冷たいよ」
「少し。けど手が冷たい女性って、心が温かいんだって、知ってる?」
「へぇ、今知ったよ」
「ふふ。賢くなっても、知らないことはホントに知らないのね」
「そりゃそうだよ。でないと、高校なんて通ってない」
そうだ。
僕には後悔なんて許されない。
大切な人を守ると決めたからには、振り返るなんてことをしてはいけない。
常に前を向いて、その人の手を引いていなくては。
そうでないと、守れなくなるから。
腰に差してあるソレに触れる。
これの存在は、まだ彼女しか知らない。
言えばおそらく、辛うじて纏まっているコミュニティーを崩壊させかねない事態を巻き起こす。
我先に生き残ろうとする連中にとって、どんな手を使ってもこれを手に入れたいはずだ。
今ここで言うべきではない。
「………ひっ…うぅ」
部屋の隅で二人いる女生徒のうちの、眼鏡をかけた女生徒が嗚咽を漏らした。
ひと段落が着いてしまって、冷静になった脳が改めて状況を判断してしまったようだ。
「大丈夫だから、ね?」
隣にいた女生徒が、眼鏡の女生徒の背中を摩りながら優しく声をかける。
俄かに、室内に話し声が生まれ始めた。
そのどれもが後ろ向きで、現状を確かめようとするものだった。
散々見てきたはずなのに、敢えて理解しようとしないのだ。
数時間前の平和を、自分の中に維持するために。
だが――
「皆さんお静かに」
部屋の奥で椅子に深く腰掛けていたこの男は一人、とても冷静に、全てを判断していた。
3
ある者たちが家族の存在に気付き、ある者たちが武器を手に入れ、ある者が策謀を巡らし、ある者たちが手を取り合っていた頃。
彼女らは保健室から、彼らは屋上からの、職員室へ行く道中にて鉢合わせた。
「でかいな」
「大きいわね」
二人の視線は僕の隣に注がれている。
驚いているように見えるのは、おそらく武を初見か一度見て忘れているからだろう。
武は入学式以来学校に来ていないから、無理もない。
対して僕らは、
「でかいな」
「大きいね」
……ここは敢えて言わないでおこう。
わかる人にはわかる話だ。
いくらなんでも“J”はありすぎだろう“J”は。
「ごほんっ。えっと、どうも。僕は二年D組、骨川スネオ。こっちも同じく二年D組の剛田武」
軽く自己紹介すると、またも二人は露骨に驚いていた。
けどなんとなくわかる気がする。
流石に失礼だと思ったのか、ハッとなった女生徒も同じようにひとつ咳をして向き直った。
「鞠川校医は知っているだろう。私は三年A組の毒島冴子だ。よろしく」
「よろしく」
4
見える世界はひとつではない。
視点を変えれば違うものが見えてくることもある。
選択肢ひとつで、その世界自体が変わることすらも。
ちなみに、これもそのひとつ。
――決死の大脱走は、まだ少し先のこと。