学園黙示録 ‐Crosser of the DEAD‐   作:浜田猫@執筆中

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第5話

「さてジャイアン、僕たちはこれから何をするべきだと思う?」

 

 職員室に入った僕たちは、三方の扉に内側からバリケードを作った。それぞれ僕たちが入ってきた踊り場、校長室、校舎を繋ぐ吹き抜けの廊下へと繋がっている。

 職員室の中には血や、行動不可能になった死体がのた打ち回っているばかりで、二回バットを振り下ろすだけで十分な安息場として落ち着いていた。

 それに安心しきっていたからだと思いたいが、油断しきって校長室の扉を開けた時副校長だったものを咀嚼している校長だったものと目が合ってしまい、驚きすぎて「きゅ」なんてわけの分からない声が出てしまった。思わず背中のものを抜きそうになったが、武がいち早く気付いてくれたおかげで結果的には事なきを得た。

 バリケードは、職員室内のとりあえず重そうなダンボールや長机で賄った。集団で来れば扉や窓などの一般的な遮蔽物まで意味を成さないのだから、正直強度には不安があったが、移動する時と滞在時間を考慮し今の形となった。

 さて、長々と現状を説明しても意味はない。問題はやはりこれからだ。

 部屋の隅、本来は教員が保護者と話したりする小さな会議室のような一角から部屋を見渡す限り、今すぐ動き出すような気力は皆無いらしい。

 事が起こってからこっち、はじめての休息。体力的にも辛いし、下手に休息取ったことで精神的な疲労も後押ししているのだろう。体力の限界まで走った後に座ると、いざ立ち上がったとき足が妙に重く感じるのと同じである。

 移動するにしても、おそらくもうしばらく時間が要る。

 

「……難しいことはわからん。もっと具体的に聞け」

 

「これ以上どう具体的に聞けっていうんだ」

 

「なら、これからのやることを具体的に言え。むしろ質問するな」

 

「……なるほど、今までにない返しだね。少し意表をつかれたよ」

 

 肩を竦めて呆れる仕草をしてみる。

 どうにも、最近武とのこういう会話は苦手だ。いや、思い返せば昔からだが、感情が含まれていた分昔のほうが話しやすかった。

 赤を焦がしたような茶色のソファに腕を組んでどっしりと座る武と話していると、まるで銅像か石像にでもはなしているような気分だ。こういう話は武より、九官鳥としたほうが幾らか内容に富む。

 

「そうだね。まあ具体的には“迎えに行く”と“待つ”、かな」

 

 諦め半分で言われたとおりに例を出すと、武は目の彫を深くして言った。

 

「なら迎えに行く」

 

「いやジャイアン、それは愚直って言うんだよ」

 

「なんでだ?待っていてもいつここにくるかわからないなら、迎えに行ったほうがいいだろう」

 

「確かに、そうとも言えるけどね。この状況では、それは少し難しいよ。僕たちは、成り行きとはいえここに入っちゃったから」

 

 武は訝しげに片眉を上げる。完全に意味を理解していない。

 

「僕たちが出ようとすれば、周りはそれを止めようとする。わざわざ構えたバリケードを崩すなんて、中に残る人たちにとっては苦労にしかならないからね。しかも奥のは君にしか無理だ。それに、もし仮に無事出れたとしても、向こうと入れ違いになったら元も子もない。だから、この場合の選択肢は“待つ”の一択だ」

 

 一言一言に反応して厳つさを増していた武の顔が、話し終えたときには納得したのか元の強面に戻った。最後の一言だけ理解できたらしい。

 

「けど、いつまでも待ってられないんじゃないのか?俺たちが動かなくても、いずれは周りが動く」

 

 納得したはずの武は、酷く見当違いなことを聞いてきた。

 僕は溜息を吐きつつ、一番分かりやすい言葉を選びつつ丁寧に答えた。

 

「何か勘違いしてないかいジャイアン。僕らが待つのはのび太達じゃない――君があれを退かすタイミングを待つんだよ」

 

 踊り場へ繋がる扉、その前にある障害物を指差す。長机やダンボールのそのさらに奥。そこには武が一人で運んだ、ゴツゴツの職員用の机が四つも積み上がっていた。

 

 

 

     ◇

 

 

 

 暇つぶしに、教師が生徒から取り上げた漫画でも読もうと物色していると、洗面所から出てきた高城と出くわした。

 

「……なによ、その顔」

 

 顔に出ていたらしい。だってしょうがない。昔からだが、高城は眼鏡が似合わないのだ。

 これでも我慢しているんだ。そのせいで顔が引きつってしまっているのだけど。

 

「ふ、くく…いや、ごめん。めずらしいね、眼鏡なんて。いつからか見なくなったけど」

 

「……あんたって、ほんっと性格最悪ね」

 

「いいじゃないか。彼に見せる前に自覚できたんだからさ」

 

「っ、うるさい!」

 

 高城の顔が途端に火照ったように赤くなる。

 高城の視力低下が始まったのは、中学に上がった辺りからだったらしい。ある日高城家に用事があって尋ねたとき、出迎えて来たのは似合わない眼鏡をかけた高城だった。

 それまで何かが見え難いといった素振りなど一切見れなかったのに、突然その姿を目にして少し呆けたが、追って出た反応が爆笑だったのは自分でも驚きだった。

 後の話では高木家当主も僕と同意見だったらしいが、そこは父親、娘を気遣ってどうやんわり治めるかずっと一人で思案していたらしい。

 それ以来高城はずっとコンタクトにしていた。こうして話すときは稀に話題にして彼女の反応を楽しんでいる。

 

「眼鏡って言うのはね高城、時としてその人の本質を隠してしまうんだ。それは、その人の元の能力が高ければ高いほど威力を発揮してしまう。君はその典型的なパターンだね。うん、やっぱり君に眼鏡は似合わない」

 

「……もういい、退いてっ」

 

 高城は僕を押しのけて皆の所に戻っていく。

 視線を戻すと、洗面所の前で平野がタオルを手に持って、桃源郷を見たとでも言うように幸せそうに佇んでいた。

 変わって小室を見ると、眼鏡をかけた高城に一瞬驚いたようだがそれだけだった。高城は気付かれないようにホッと胸を撫で下ろしている。

 小室と、平野や高木家当主或いは僕の反応に、彼女に対する思い入れの差が出てくるのだろう。彼女の想いが報われるには、やはり前途遼遠のようだ。

 

「乙女心、ね。けどわかってほしいな高城。これはね、褒め言葉なんだよ」

 

 けど昔から、僕はそれを敢えて黙っておくことにしている。古今東西、天才は凡人の考えを理解できないものである。彼女は天才であるからこそ光っていられる。なら僕は、その光を鈍らせたくはない。

 踵を返し、部屋の一角のスペースに戻ろうとした時、皆の注目が天井から吊って設置されたテレビに集まっていることに気付いた。そして――

 知っていたはずなのに、世界に対する僕の理解が現実になったのは、このときがはじめてだった。

 

 

 

 

 

 

 

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 戦慄が走った。

 

『全米に広がった異常事態を――』

 

 心臓にまで悪寒が襲う。

 

『――モスクワとは通信途絶』

 

 足が竦み。

 

『北京は全市が炎上。ロンドンは比較的治安が保たれていますが――』

 

 声すらも出ず。

 

『パリ、ローマでは略奪が横行――』

 

 映し出される現実に恐怖し、目を背けたとしても目の前の現実が飛び込んでくる。

 ひたすら逃げ出したい気持ちに駆られ、しかし逃げ場はないと今理解させられた。

 どうしようもない絶望感。

 打ちひしがれる暇も無く、ただ現実を見せ付けられた。

 投げ捨てるように、無慈悲に、残酷に。

 ――この瞬間から生者たちは、未来に対する期待をやめた。

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

「……マジかよ」

 

 一人の男子生徒が、震えながらも声を上げる。

 その声を皮切りに、我を取り戻した人から次々に反応を示した。

 ただ無言で愕然とする者。泣き縋る者。慰める者。

 彼らの反応は、人間として正しい。人はどうしようもない出来事に直面した時、絶望するのが当たり前だ。

 希望が途絶え、活路さえ見出せなくなった時。それが今の彼らだ。

 横を見ると、泣いてはいないが、酷く青ざめた表情で制服を掴んでくるしずかちゃんがいる。彼女だって、知っていなければこれだけではすまなかっただろう。

 

「皆さん、落ち着いてください。大丈夫です」

 

 だから僕は、この人が不気味だった。

 二年A組担任、紫藤浩一。

 この人はテレビで流れる映像を見ている間も、終わってからも、一切表情が変わらなかったのだ。

 知っていた僕らでさえ気分が悪くなる映像だったのに、まるで能面のような無表情で、テレビをずっと凝視していた。まるで、そうであることを望んでいるように、そうであることが当たり前のように。

 気付いてしまった僕にとっては、テレビよりも紫藤先生ほうがよっぽど恐怖だった。

 先生はリモコンを使ってテレビを消し、全員によく見えるようテレビの真下に移動した。

 

「私たちは絶対に助かります。そのためには、絶対に安全な場所を確保する必要があります。残念ながらこの学校は最早安全ではありません。――脱出するのです。皆さんで力をあわせて、この学校から脱出しましょう」

 

 大仰な仕草でそう言う紫藤先生。

 しかしこういう場合、大抵の人間は保身、現状維持に全力を注ぐ。

 今こうして安全なのだから、これ以上を望むべくもない。それが彼らの思考だ。

 嫌な予感が過ぎる。思えばこのときから、僕の中の警笛は静かになり始めていたのだ。

 

「ふざけんなよ!今安全なんだから、出て行く必要なんかねェだろ!」

 

 見るからに不良の生徒が声を荒げる。

 すると紫藤先生は、右手の人差し指を口の前に持っていってこう言った。

 

「しっ、気付かれますよ」

 

「っ――」

 

 男子生徒は咄嗟に自らの口を手で塞ぎ、周りも体を固めて押し黙った。

 意図的に沈黙を築き上げた紫藤先生は、次に小声でこう続けた。

 

「どうですか?こんな些細なことにも気を使う場所が、はたして安全と言えるのでしょうか?」

 

 ごくり、とどこからか聞こえた。

 空間を撫でるように右手を横に振った紫藤先生は、そのまま腕を広げて残念そうな顔を作る。

 

「その上こんな小さく閉鎖的な空間では、精神的なストレスは謀りえない。さらに衛生面でも、問題は多々あります。いずれは、食料にも困ることでしょう。そうすれば、生きていくことすらできなくなる。一時を凌ぐ場所としては申し分ないでしょうが、人が生活するとなってはここはあまりに不適切です。――どうでしょう。ここは、本当に安全でしょうか?」

 

 紫藤先生の説明は、とにかくわかりやすかった。何故ならば今先生が言ったことは、全て想像しやすいことだし、とても原始的なものだったからだ。

 こんな部屋では、用も足せないし食事も無い。人としての活動すら極端に制限される。

 さらに人は、抑圧と言うものにかなりの精神的ストレスを覚える。部屋の規模に反する人口密度。ストレスが溜まるのは明確だ。

 事も事だ。こんな場所、あと小一時間もいれば狂うものも出てくるだろう。

 分かりやすく現状を伝え、しかし本当に大事な事は伏せて話す。それによって聞く側は変に疑問を持たなくなるのだ。

 

「ぐ………」

 

 彼らの反抗意識が薄れていく。

 それに連れて、段々と彼らの紫藤先生を見る目が捨てられた子犬のようになっていっていた。

 

「怖いのは分かります。私だって恐ろしいのです。ですから、皆さんで力をあわせるのです。共に助け合い、全員で脱出しましょう!」

 

 感情の共感。成功した場合、これ以上絶望している人の心を打つものはない。

 紫藤先生は見事、彼らの賛同を呼んだ。見れば彼らは笑顔を浮かべ、中にはまだ助かってもいないのに喜びの涙を流すものもいる。

 それほどに、先生の演説は素晴らしかった。

 的確に人の心を掴み、感動を引き寄せる。生まれ持った才能だろう。羨ましい限りである。

 そう、本当に素晴らしすぎて――吐き気がした。

 

「……なんて、惨い」

 

 人は誘惑に弱い。目先のものに囚われて、物事の本質を見抜けない。

 そこに付け込み、人を陥れる悪人がいることは、今の時代幼稚園児でも知っていることなのに。恐怖で我を忘れている彼らは、そのことを思い出すことができなかった。

 まんまと、甘言に騙されたのだ。

 

 ――“手を取り合い、皆で脱出しよう”

 紫藤先生のその言葉には、何ひとつ本音が無い。

 

 そうだ。これが違和感だったのだ。

 事が起こってからの、紫藤先生の今までの冷静さは異常だった。

 知っているわけではない。知っていてなお、僕たちはこんなに狼狽えているのだから。

 紫藤浩一という人間は、正しく生き残ろうとしている。そのために、周りを駒としか見ていない。先生の言葉に耳を傾けてしまった時点で、彼らは先生にとって駒でしかないのだ。

 先生の行き過ぎた才能は、執拗に彼だけを生かそうとする。はっきり言って、先生の能力は異常だった。

 ――紫藤先生は、視えすぎているのだ。

 

 

 それを確認した時、僕ははっきりとこの人を危険と悟った。

 この人と一緒に行動してはいけない。すれば必ず、関わろうとしなくても厄介事が降り掛かってくるだろう。

 幸い彼らは今すぐにでも出て行かんばかりの勢いだ。タイミングを見計らい、一気に職員室に行ってもいい。

 僕たちが職員室で待ち合わせたのは、部活遠征用のマイクロバスを使って逃げようとしたからだ。スネオがいるのだから、当然職員室の彼らは脱出する時マイクロバスを使おうとするはず。職員室の全員を合わせても逃げられる。

 だが、向こうはさっき入ったばかりで当分出て来そうにない。

 この部屋と同じくバリケードを張っているのは確実だろう。ならば向こうにいけても、入ることは難しい。

 何か合図を送れればいいのだが、生憎そんなものは持ち合わせていない。

 思考に行き詰まってふと顔を上げた時、まだ先生の演説が続いていることに気付いた。

 

「まだ、やってるの?」

 

「ええ、あれからずっとよ。ちょっと、怖いわ」

 

 しずかちゃんも、紫藤先生の異質さには気付いているらしい。

 

「聞いていると、言葉が違うだけでずっと同じ事を繰り返してる。皆は気付いていないみたいだけど」

 

「ずっと、同じ……?」

 

 それはおかしい。紫藤先生は視えているのだから、すでに心を掴んだ人たちに念押しするなんて無駄な行動は極力避けようとするはず。

 なら何故、今それをしているのか。

 

「―――っ」

 

 背筋が凍った。

 紫藤先生と、目が合った。

 いや、合いかけた。

 正確には紫藤先生の視線は、僕の後ろに伸びている。

 僕たちはさっき彼女を助ける為に、職員室側の窓際に移動した。

 つまり僕の後ろには誰もいないし、何も無い。

 “なら、何を見ている?”

 そう思っていると、控えめに袖が引かれる。

 

「なに?」

 

「皆、移動するみたい」

 

 しずかちゃんは、僕にしか聞こえないくらい小さく言った。

 

「え?」

 

 職員室を見ると、バリケードを解体しているのが見えた。多分向こうも、脱出しようと考えているのだろう。

 ならそろそろ、僕たちも動かなければならない。何とかしてこの部屋を出よう。

 

 そう思い振り返ったとき――僕の心臓は一瞬で凍結した。

 

 笑っていたのだ。何かを待っていたといわんばかりに、目を怪しく光らせいやらしく口を歪ませ、紫藤浩一が笑っていた。

 

「――まさか」

 

 間違いない。先生は知っていたのだ。生き残った数人の生徒が職員室にいることも。その生徒達が、いずれ自分と同じ考えにいたり脱出しようとすることも。そして、職員室に置いてある鍵に気付き、マイクロバスを使おうとすることでさえも。

 怖気がした。

 彼は、人を利用することに関して天性の才を持っている。だが彼の性格は最悪だ。なぜならその才能を、自分の為にしか使おうとしないから。

 今の世界では、生きるものにとってこれ以上の邪魔はいない。

 “排除してしまうか”

 そんな考えさえ一瞬浮かんでしまうほど、僕は彼に脅威を感じた。

 紫藤先生のこれからの行動は僕にだってわかった。

 危険な道を彼らに先導させ、歩く死体を彼らに引き付けさせるのだ。そうして自分達はのうのうと安全な道を通り、彼らが使うマイクロバスに乗り込み脱出する。

 乗せてくれるとも限らないし、間に合わないかもしれない。けどきっと先生はそこまで考えが至っているのだろう。でないと、あそこまで凶悪に笑えない。

 恐れ入った。一体何手先まで読んでいるのか、それすらもわからない。抵抗できたことといえば、さっき彼女を助けたことだけだ。

 

「はぁ」

 

 まったく、運がない。これを呪ったのは、実に小学生以来だった。

 受け容れたと思ったが、やはりそう簡単にはいかない。

 

「さあ、行きますよ皆さん。覚悟は、決まりましたね?」

 

 バリケードは外され、状況的にも追い込むことに成功している紫藤先生が皆に呼びかける。

 後戻りは出来ないと判断したのか、青い顔をしながらも僕たちを除いた全員が頷いた。

 扉が開かれる。

 紫藤先生が飛び出すと、餌を見つけた同類を追いかけるように、彼らも飛び出していった。

 

「行こう。今は付いて行くしかない」

 

「……ええ」

 

 少し遅れて、しずかちゃんを連れて外に出る。

 ――地底の鬼のような声を掛けられたのは、その直後だった。

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

「武さん、スネオさん!」

 

 しずかちゃんが、世界が変わってからはじめて嬉しそうな声を上げた。

 振り返ると見慣れた幼馴染の姿。

 何故か二人とも、どこか呆れたような顔をしていた。

 

「君は本当、いつまでたっても世話をかけさせるね」

 

「まったくだ」

 

 その言葉に僕は嬉しくなった。

 前と同じように、危険なときでもこうして笑っていられる。

 そしてやっと、四人揃うことができた。

 

「うん、ごめん」

 

「よかった、二人とも無事で……」

 

「どうしてここに?」

 

 涙を浮かべるしずかちゃんを横目に、僕はスネオに聞いてみた。

 

「決まってるだろう、迎えに来たんだよ。僕たちだけで逃げても、意味は無いしね」

 

「友を見捨てると言う選択肢はない」

 

 スネオは少し照れくさそうに、武ははっきりとそう言った。

 嬉しい事を言ってくれる。

 スネオがふん、と鼻を鳴らす。

 

「さて、喜ぶのは後にしようぜ。とにかく脱出だ。実は高城たちに、僕たちが間に合わなかったら行っていいと言ってしまったんだ」

 

「けど、どこを行く?」

 

 僕がそう聞き終わる前に、スネオは走り出した。

 その後を追うと、走りながらスネオが答えてくる。

 

「高城たちは正面玄関から駐車場までの道を行くと言っていた。おそらくは無事に通れないだろうけど、きっとバスにまでは辿り着く。そうなればそこは通れるルートだ。他の道は、通れるかすら分かったものじゃない」

 

 こんな状況だ。何も無く歩く死体の群れを素通りできるとは確かに思えない。

 けどなにかあるにしても、全滅にはならないはずだ。バスに辿り着きさえすれば、その時点で安全ではないにしても一本の道が出来上がる。

 安全性を重視する必要のない僕らにとって、最短の道こそが最上となる。

 

「正面玄関か」

 

「ああ、ジャイアンを先頭にして一気に突っ切る。多少危ないけど、行けるかい?」

 

 スネオが横を走る武に問いかける。

 この問いに対して、返ってくる答えはいつも決まっている。

 なにせスネオは、答えが分かっている時しかこの質問をしないからだ。

 

「おうよ、心の友」

 

 武の笑みが獰猛になる。目は血走り、今か今かと獲物を待ち望むようにバットを握り締めた。

 金属製のバットがミシミシ、と握力だけで捻りあがりそうになっている。あのまま殴り続けたら、バットのほうが先に音を上げるかもしれない。

 すでに頭蓋を砕きすぎてか、殴った部分がへこんでしまっている。

 僕は手近にあった野球部のバックから素早くもう一本を調達し、武に渡しておいた。

 

 

 

     ◇

 

 

 

 階段を下り正面玄関に着くと、死体は一体もいなかった。

 先に行った彼らに釣られて出て行ったのだろう。素直に喜べないが、絶好の好機ではあった。

 しかし玄関を抜けると、そこは地獄だった。

 学校の中とは比にならないくらいの数が、群をなして蠢いていたのだ。

 

「ひっ」

 

 しずかちゃんが小さく悲鳴を上げる。

 それでも足を動かすのをやめまいと、必死に走り続けている。

 

「もう少しだから、頑張ろう」

 

「……ありがとう」

 

 呼びかけ、元気づける。

 

「突っ切るぞ。離れないように付いて来い!」

 

 武が声を上げる。

 彼は手に持った二本の鈍器を双剣のように構え、先陣を切って死の集団に突進していった。

 

「■■■■■■■■ーーーーーーー!!!!!」

 

 人を本能から震え上がらせる咆哮。

 昔は泣くほど嫌いだったその声も、今はこの上なく頼もしく響いた。

 

 

 

 

 

     2

 

 

 

 

「■■■■■■■■ーーーーーーー!!!!!」

 

 

 それは、人が上げられる声だっただろうか。

 周囲に反響し、耳の中で木霊し続ける。脳髄を震わせ、本能が警笛を掻き鳴らした。

 例えるならば核兵器か。衝撃波さえ作ってしまいそうな獣の咆哮だった。

 

「な、なに?!一体何!」

 

 紫藤とかいう教師とその連れを助けようとしていた時、それは聞こえた。

 おかげで紫藤たちも、<奴ら>でさえ一瞬動きを止めた。

 

「あ、あれ!」

 

 雄叫びは周囲に響き渡り、どこから聞こえたものかさえ分からなかったが、一人の女生徒が気付いた事で判明した。

 なんともわかりやすい。けど俄かには信じ難い光景が、そこにはあった。

 

「た、高城さん…人って飛ぶんですかね?」

 

 車内ですでにシートに座っていた平野が、横に座る高城に話しかける。だが高城は、ただ唖然とその光景を見て黙り込むしかなかった。

 バスの外、自分達が出てきた正面玄関の前で、アクション映画のスタントのように<奴ら>が空中を飛んでいたのだ。

 ゴス、ドカ、とここまで聞こえてくる鈍い音と一緒に、<奴ら>が円を描いて殴り飛ばされていく。

 

「おい!今のうちだ、早く!」

 

 バスの外で小室が紫藤たちに呼びかける。

 その声でハッと我に返った紫藤たちは、再びバスを目指して走り始めた。

 彼らが次々と乗り込んでくる中、ずっと<奴ら>が飛んでいく光景を凝視していた高城があることに気付く。

 見慣れた顔が、<奴ら>の中から出てきたのだ。

 

「骨川!」

 

「え?」

 

 高城が上げた声に平野が気付き、バスに乗った全員がそっちを見る。

 

「間に合ったんだ!」

 

「後ろの二人を迎えに行っていたのか」

 

 先ほど知り合った二人は、見慣れないもう二人を連れてこっちに向かってきている。

 職員室を出てすぐ「少し用がある」と言って、止める間もなく別行動を取った彼らの用というのを見て、自然に毒島は笑みを浮かべていた。

 

「源…源!」

 

「無事だったのか」

 

 二人が連れてきた男女のうち一人は、宮本も井豪もよく知る人物だ。仲のいいクラスメイトが生きていたことに、二人は諸手を上げて喜んだ。

 

「――あ!」

 

 誰の声だっただろうか。紫藤たちが全員乗り込んだ頃、骨川たちに異常が起こった。

 剛田が使っていたバットの一本が、根元から折れ曲がったのだ。

 バスまでの距離はおよそ十メートルも無い。

 走れば、まだ十分間に合いそうな距離だった。

 

 

 

     ◇

 

 

 

 今の彼を一言で表すならば、破壊神という単語がぴったりだろう。

 目先の障害物に弾き飛ばして進んでいく様は、神々しいまでに破壊的だった。

 紙切れのように飛んでいく死体。暴れまわる狂った獣の前に、地獄の死者たちは為す術もないようだ。

 

「ははっ。やっぱり君は最高だよ、ジャイアン」

 

 スネオの賛辞は、彼には聞こえない。

 興奮状態の武は、しばらく暴れさせないと落ち着こうとしないのだ。過去それで、スネオも僕も何度か怪我を負ったことがある。

 僕にはわからないが、もしかしたら武には、この世界がとても素晴らしいものに映っているかもしれない。

 

「バスが見えた」

 

 視界が開け、駐車場が見えた。そこにはすでにバスに乗っている職員室にいた彼らと、乗り込もうとしている紫藤先生たちの姿があった。

 やはり、こうなる事が分かっていたようだ。

 

「結構無事みたいだ。というより、無事な奴のほうが多い。高城も生きてるよ、ちゃんと」

 

 それは僥倖だろう。彼らも色々とうまくやったらしい。

 最後の台詞には、僕もしずかちゃんもホッとした。せっかく危険を冒して助けたのに、死なれては後味が悪い。

 バスまで残り十メートルほどに差しかかろうとした時、バキィ、という音が聞こえた。

 

「む」

 

 見れば、武が振り回していたバットが一本、根元から折れてしまっていた。

 武は使い物にならないそれを目の前の死体に放り投げた。

 まずい。

 武一人でここまで突貫出来たのはバットが二本あったからで、一本ではカバーしきれなくなる。案の定武は進み倦ねた。

 バスを見る。距離はそうないし、全力で走れば辿り着けそうではある。

 だが絶対ではない。

 僕たちは安全性を無視できるのは、武がいるからだ。その武が万全に動けないのであれば、危険性は格段に上がってしまう。

 判断は一瞬だ。間違えれば死ぬ。その一瞬の決断は――

 

「走れ!」

 

 彼のこの一言で決定した。

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

「走れ!」

 

 小室が叫ぶ。

 その直後、意を決したように骨川たちが真っ直ぐバスに向かって全速力で走ってきた。

 剛田は三人に先に行かせ殿に回った。

 骨川たちは、何とか<奴ら>を掻い潜りバスへと到達する。

 無事に辿り着き、最初に入ってきた源に宮本が駆け寄り、互いに抱きしめあう。

 

「よかった。源、生きててくれて」

 

「私も、会えて嬉しいわ」

 

 宮本はこの一瞬のみ外敵のことを忘れ、大切な友人の生存を喜んだ。

 次に骨川が入り、続けざまに野比が入って未だ孤軍奮闘している剛田を振り返った。

 

「ジャイアン、早く!」

 

 野比が呼ぶと、剛田はこっちを一瞥し目を見開いた。

 何事かと思い野比は小室の横を見ると、小室の死角から<奴ら>が一体襲い掛かろうとしていた。

 小室は気付いていない。

 

「君、危ない!」

 

「え?」

 

 野比の声に反応して小室が横を向くと――それと同時に、<奴ら>が飛んできたもう一体によってグシャ、と音を立てて弾き飛ばされた。

 

「うおっ」

 

 思わず小室が後退り野比が剛田を見ると、剛田は何かを放り投げた後の動作で止まっていた。

 間に合わないと悟った剛田は、手近な<奴ら>をこっちに投げ飛ばしたのだ。

 剛田からバスまでは六メートル弱。一連の出来事を見ていた者は、三人を除いて皆唖然としていた。

 そうこうしているうちに剛田も乗り込む。

 

「何してる、早く乗れ」

 

 最後に残している小室に剛田が呼びかける。

 

「あ、ああ。ありがとう、助かった」

 

「気にするな」

 

「いや、今のもだけど。昼も助けて貰っただろ。その分もだ」

 

「…………気にするな」

 

 背を向けたまま何かを考えた後、同じ言葉を繰り返した。

 バスの扉を閉めながら乗り込んでもう一度剛田の背中を見た小室は、彼はいい奴なんだと認識した。

 一度車内を見渡し小室は、全員が座ったのを確認して出発の合図を出す。

 

「行きます!!」

 

 鞠川がアクセルを踏み込むと、温め貫いたエンジンは即座にトップスピードを叩き出し走行する。駐車場から飛び出すように奔り抜け、<奴ら>犇く校門へと辿り着く。

 校舎にはもう用は無いと言わんばかりに集まっている<奴ら>は、しかして門に遮られていたため外に出れないでいた。

 かなりの数が集まっていたのはそのためだ。

 それを前にした鞠川は、自分の中の甘さを振り払うようにアクセルをさらに踏む。

 

「もう、人間じゃない!!」

 

 硬いものを弾く音と衝撃が、何度も奔走するバスを襲う。

 その正体が分かってか、奥にいる女生徒は抱き合いながら身を竦めている。

 そんな中、紫藤は計画を次の段階へと進める準備をしていた。

 

「助かりました。リーダーは毒島さんですか?」

 

 そんなものはいない、と答える毒島の言葉に「それはいけませんね」と重畳と言わんばかりに嗤いながら言った。

 

「生き残るためにはリーダーが絶対に必要です。目的をはっきりさせ、秩序を守らせるリーダーが」

 

 そんな会話を隅で聞いていた小室は、強く腕を引いた宮本を見る。

 表情は憎悪に歪み、今にでも持っている棒で背を向ける紫藤に食って掛かろうとしている様だ。

 宮本の様子に驚いている小室に、宮本は小声でしかしはっきりとこう言った。

 

 ――絶対に助けた事を後悔する、と。

 

 その言葉を聞いて小室は訝しむばかりだったが、後ろの席で偶然それを耳にしてしまった彼は確信した。

 

 ――殺そう、と。

 

 

 

 

 




【閑話】


 紫藤が動き出す直前、二人は焦っていた。
 向かいの校舎、職員室の前で彼女の知り合いが死体に喰われかけているからだ。
 それを見つけた彼女は彼に助けてやって欲しいと頼んだ。
 しかし彼は迷った。
 確かに現状で、彼には彼女の知り合いを助けることは可能だった。腰の物を使えば、彼ならば寸分違わず向かいにいる死体の脳天をぶち抜ける。
 だがそうすれば、この場でパニックが起こるだろう。
 音を出さないための装備は持っているし、彼ならばそれを取り付けるのは一瞬で足りる。しかしいくら音が出なくとも、見られれば終わりだ。
 それだけは避けたい。彼にとって何よりも守らなければならないものに危険が迫る事は、どうしてもあってはならないのだ。
 今にも泣きそうな彼女を、心臓を握り潰す思いで見ていると、思いもよらない好機が訪れた。
 ――紫藤が、立ち上がったのだ。静かだった空間で、それはあまりにも目立った。
 彼は瞬時に窓を開け、消音機を取り付けて腕ごと窓の外に出し真っ直ぐ狙いを定める。障害はガラス張りの扉一枚のみ。
 彼にとってそれは障害にすらならない障害の向こうへ引き金を絞り、またも一秒足らずで装備を取り外し腰に差した。
 開けた窓から風が入り込む。彼女がそれを静かに閉めたことで、再びこの空間は密室となった。
 注目が一点に集中しているこの状況で、誰が気付く事が出来ようか。
 あの紫藤でさえ知る由もなく、たった今亀裂の入った計画を完遂させようと動き出した。

「皆さん!安心してください。助かりますよ、必ず」

 紫藤が立ち上がり高々と宣言するまでの、僅か三秒の間の出来事だった。
 



     ◇



「あ、そうだ高城。のび太に礼を言っておいたほうがいいよ」

 そう言うと、高城は訝しげに骨川を見る。
 いつものように内容のはっきりしない台詞だったが、高城はこの時は文句を言わず野比に礼を言った。


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