学園黙示録 ‐Crosser of the DEAD‐   作:浜田猫@執筆中

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第6話

 高城さんに礼を受けてから数十分といったところ。

 鞠川先生の運転するバスは、不気味なほど静まり返った道を直走っていた。

 ぽつぽつと住宅が見え始めるが、どれも人の気配というものがなく。非難したか喰われたか、普通じゃ考える事も無い二択が自然に頭に浮かぶ。

 意識せずとも表情を歪ませながら、ただ凄然とした光景を流れるままに眺めた。

 

「なあ、スネオ」

 

「ん?」

 

 そこから目を離し、隣に座るスネオを見た。

 

「君は、これからどうする?」

 

 あえて脈絡もなく、そんなことを聞いてみた。

 するとスネオは、僕のことをジッと見据えた後こう聞いてきた。

 

「それは、僕の意見を聞いているのか。それとも、僕の意見を参考にしたいのか」

 

「……あー。まあ、その」

 

「わかってるよ。おまえが隠し事なんて出来ないのは」

 

 スネオは後ろに誰もいないことを確認して、シートを倒し腕を枕にして背を持たれた。

 目を瞑って少し考えて、スネオは鼻で笑った後に楽しそうにこう言った。

 

「そうだね。とりあえず、この場を支配しようとするかな。周りは今まで助け合ったとは言え、いつどんな形で敵に回るか分からない。ならいち早く上下関係をはっきりさせて、この場の支配者としての地位を確立する。そうすれば、自分が助かるための人員を確保できる。まあそうするには、当然この場にいる大多数をうまくその気にさせないとならないけどね」

 

「なるほど」

 

 人間性が似通っているスネオが言うんだから、おそらく紫藤先生もそうするだろう。

 タイミングがよければ今すぐにでも動き出すはずだ。

 僕にはそのタイミングがよくわからないけど、本人が思う最適の時期が絶対にあるはずだ。それも今の状況下で、高確率で訪れる絶好のタイミングが。

 今紫藤先生が後部座席でバスの中全体を眺めているのは、きっとそのタイミングを窺っているからに違いない。

 

「彼に主導権は渡せない。となると彼を止めなければならないけど……」

 

 あまり武力行使はしたくない。

 相手は一切武器を持っていない。その気になれば銃を突きつければことは済むだろう。

 しかしパニックを避けるべき状況であることは、さっきの生徒会室内とあまり変わっていない。これを使う時、僕らが気にかけるべきは紫藤先生だけでなく、このバスに乗っているほぼ全員なんだ。

 となれば道はひとつしかない。

 

「スネオ、あのさ」

 

 平和的提案を聞いてもらおうとスネオに声をかけると、言い終わらないうちにつまらなそうな声が返ってきた。

 

「期待してるところ悪いけど、僕じゃ紫藤には勝てないよ」

 

「え?」

 

 今、ナント?

 固まってる僕を見て、スネオはフッ、と鼻で笑って続けた。

 

「いくら僕でも、この状況じゃあ口では紫藤には勝てない。あれは才能だよ。何か言おうとしても、言いくるめられて終わるだろうね。

 いいかい。紫藤の強みは一切勝負をしないところにある。本当に論破するべき相手をまず置いておいて、その周りにいる連中を最初に取り込んでしまうんだ。その相手と言うのは自分に反発する勢力であり、その周りは自分に賛成もしくはどっちつかずの連中だからね。取り込んでしまうのは容易い。

 そうして周りの支援を獲得した後、自分が作り上げた舞台で改めてその相手と話し合う。孤立した反勢力を徹底的に叩きのめすためにね。

 心理用語には、認知的不協和という状態がある。自分にとって正誤が明確な問題を問われた時、いざ答えようと思っても自分の周りが誤った答えに手を挙げた場合、周りと違うことを恐れて自分も誤ったほうに手を挙げてしまうというものだ。君なんかがよく陥る状態だろう。周りに振り回されやすい君にはね。

 まあつまり、紫藤はこの状況を作り上げる能力が極端に高い。これはあくまで精神的なものだが、秩序が崩壊し人を簡単に傷つけられる世界では、この状態はとても恐ろしく危険なものなんだよ。今の状況は、この状態になる確率もまた極端に高い。

 だから僕は勝てない。こんな狭い空間で孤立することは、まさしく破滅だ。理由も大儀もなく、そんな状態には陥りたくないからね」

 

 長々と語ってくれたスネ夫は紫藤先生のことを言っていたとわかっていたらしい。

 

「………じゃ、どうするの?」

 

「まあ、そうだねぇ。一応ひと当てして、あとは様子見かな。なりゆきに任せるしかない」

 

「そんな……」

 

 落胆する僕を他所に、スネオは緊張感のない欠伸をかきながら目を瞑った。

 難しく色々喋ってくれたけど、用はわかってても為す術無しってことだ。気も抜ける。

 スネオはああ言うが、やはり紫藤先生の支配下で行動するのは、なんというか納得できない。というか、単純に生き残れる気がしない。

 僕は運は悪いけど、こういうときの勘はいいほうだと思う。紫藤先生に主導権を握らせたら、それこそこのバスは死ぬ。生き残るは、きっと紫藤先生だけだ。

 

「どうすれば……」

 

「なぁのび太」

 

 頭を抱えていると、今度はスネオから声がかかる。

 

「なんだよ。今考えことしてるから」

 

「君が考えても機械科学のことしかわからないだろ、紫藤はロボットじゃないんだぜ。

 そんなことよりトランプ持ってるんだけど、ポーカーでもしないか?」

 

「……………え?」

 

 突拍子もない上に場違いな台詞にギュルン、と音が鳴りそうな勢いで顔を向ける。

 スネオは笑みを浮かべながら、制服のポケットからトランプを取り出していた。コンビニでも売ってる安いやつだ。

 

「え、ごめん、なんて?」

 

「だから、ポーカーだよ。ついに耳も悪くなったかい」

 

 冗談だったらよかったが、どうやら本気らしい。

 笑っていても目が本気だし、なにより軽快な悪口がそう物語っていた。

 

「なあ、頼むから少し空気を読んでくれ。親しい人物が周りの空気を壊すのは、本人よりもこっちにストレスがかかるんだよ。見ろ、高城さんも睨んでるぞ」

 

 廊下を挟んで隣のシートに座っている高城さんが、睨み殺そうかとでもいう勢いでスネオを睨めつけている。

 今までのことで気が立っているのだ。

 しかし、スネオが一度振り向いて「なに?」と言うと、小さく溜息を吐いて我関せず焉とそっぽを向いてしまった。横顔は心底呆れ果てている。

 

「よし。さあ、やろうぜ」

 

「はぁ…。いいよ、やろう」

 

 スネ夫はどういうわけか、ある時から空気が読めなくなった。それはもう深刻すぎるほどに。

 いや。この場合は、自分に正直になった、と言った方が正しいかもしれない。それはもう豪快すぎるほどに。

 昔は武の後ろに引っ付いて回っていただけのコバンザメみたいなやつだったのに。多分まあ、頭でも打ったんだろう。

 

「でもポーカーって言っても何種類かあるだろう。あんまり難しいのは無理だよ」

 

「わかってるよ。どんな些細なルールでも、君に数分で憶えろだの実際にやって憶えろだのと言うつもりはない。そんなの、はにわに説明するのと大差ないことだからね」

 

 本当にいつも一言が多い。

 まあ、いちいち気にしていたら会話なんて成り立たないから、今となっては慣れたけれど。

 

「やるのはインディアンポーカーだよ。ワンゲーム通して五枚しか使わないし、見よう見まねで楽しめる。僕だってルールは曖昧にしか憶えてないからね」

 

 そう言ってスネオは、持っているトランプの束から五枚取り僕に手渡した。

 

「トランプを使った対戦ゲームは、古今東西持っているカードの数字が高いプレイヤーが勝利する。これをね、一枚ずつ額の前に持ってくるんだ。表面が相手に見えるようにね。プレイヤーは互いに相手のカードを確認する。そのカードが、自分の持っているカードよりも小さければ勝ちだ」

 

「……?でも、額の前に置いていたら、自分のカードの数字が相手のより大きいか小さいかわらかないじゃないか」

 

「察しが悪いね。それを当てるんじゃないか。このゲームの場合、真に視るべきは相手のカードじゃなくて自分のカードなんだ。自分のカードを視たいと思えば、それは相手の表情から察するしかない。あとは、運だね。自分の不利が視えたなら、勝負を放棄する事も可能だ。このゲームで重要なのは、いかに自分の手の内を把握するかだ」

 

「なるほど」

 

 受け取ったカードを額に持っていく。

 ほう、とそれを確認したスネオは、同じようにカードを額の前に持ってくる。そのカードを見て、僕は思わず笑いそうになるのを必死に堪えた。

 スネオの手はスペードのエース。

 僕の手がどんな手でも、最も弱いカード相手に負けることはない。

 

「で、どうするんだ?」

 

 しょっぱなで最低の手が盤面に出たのだ。これで二人とも同じ手なんて確率は低い。

 となればこの勝負は僕の勝ちだろう。

 そう確信してしまって、気付かれない程度に続きを急かした。

 

「ここで勝負か、放棄かを選ぶ。ポーカーは紳士のふりをする人たちのギャンブルだからね。ルールは至って紳士的だ、放棄したプレイヤーを無理やり勝負に引きずったりはしない。今は二人だから、一人が降りれば勝負は無効だ」

 

「よし。じゃあ……」

 

 スネオの長ったらしい説明を聞いた後、僕は揚々とカードを出そうとする。

 

「僕は降りるよ」

 

「へ?」

 

 スネオの降伏宣言に、僕の手はシートに付く前でピタリと止まった。

 僕の手はハートの三。危険な気ではあるが、案の定僕の手のほうが上だ。

 勝負していれば勝ちだったのに。

 

「君はすぐ顔に出る。頑張って隠しているようだけど、何年君のその愉快な顔を見てると思うんだい。それに、無表情だけがポーカーフェイスじゃないんだよ。相手を欺き陥れる。それが真のポーカーフェイスさ。まあ、君の場合はそんなの意識してはいないだろうけど。大方僕の手は、エース辺りだろうさ」

 

 スネオは言いながら手を下ろして確認する。満足げに頷いたあと、そのカードを捨ててもう一枚を取った。

 釈然としない僕も自分のカードを捨て、渡されたカードから一枚取り額に当てた。

 それを三回続け、勝敗は全部引き分けだった。それというのも僕が全部逃げたからで、一回も勝負していないからだ。

 こればかりはしょうがないということをわかってもらいたい。なにせ、スネオの手を見てると勝てる気が一切しないのだ。なぜ三回連続で絵札が出てくるんだろうか。

 さらに捨てる時に自分のカードを確認すれば、驚くことに最初の三以上の数字がひとつもなかった。泣きたくなった。

 そうしていよいよというか、最後のゲーム。

 僕は最後の持ち札を、スネオは山札からカードを一枚めくった。

 

「なあ、のび太」

 

「ん?」

 

 僕は額の前に最後のカードを持っていくと、スネオは自分のカードの裏面を見ながら低い声で話しかけてきた。

 

「このカードは、僕らの未来を表してる」

 

「え?」

 

 そう言ってスネオは、カードを額の前に持ってくる。

 

「これからこの世界は、疑心に満ちていくことになる。常に相手を疑っていないと、自己を保持することが難しくなるからだ。だから君は、誰かを信じることと同じくらい、知らなければならない。相手を疑うこと。相手を欺くことを。このゲームはね、僕らの、ひいてはこの世界の未来の縮図なんだよ」

 

 僕はそのカードを、穴が開くほどに凝視していた。

 

「――さあ、僕のカードを見て、君は一体何が視えた?」

 

 

 

 

 

 

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 野比と骨川のポーカーが終わる頃、車内にいるものたちは安全を肌で確認することで落ち着き始めていた。

 これからどうするかを考えたり、友人達の変わり果てた姿を思い返せる。

 しかし、自分の保身を考えなくなったわけではない。

 落ち着いたことで口が動くようになった一部の生徒が、これからの行動に反論を始めたのだ。

 

「なんで俺たちまで小室たちに付き合わなけりゃいけないんだ!?おまえら勝手に街へ戻るって決めただけじゃんか!」

 

 バスの中に不穏な空気が流れる。

 続けざまに何人かが口を出し始め、やれ学校で安全な場所を、やれさっきのコンビニに立て篭もるだの自分勝手なことばかりを言い始めた。

 本来彼らは、助けられた立場である。

 どこかそれを理解できていない言動を取るのは、バスに乗るまでの過程が原因だった。

 彼らの中では、自分で考え行動してバスに乗り込んだわけではない。あくまで先導者がいて、その人物に連れられて来た。その結果として、小室たちがバスで脱出するついでとして拾われたのだ。

 つまり、彼らがこのバスに乗ったのは已む無くであり、彼らの総意ではない。紫藤の独断であった。反発が起こるのは、当然と言えばそうだったかもしれない。

 しかし、バスはこうしてすでに発進している。今更降ろすことなど出来ないし、ましてや引き返すなど以ての外だ。

 

「今からだって遅くはない!大体俺は――」

 

 走っていたバスがキィ、と音を立てて急停止することで、男子生徒の言葉が止まる。

 代わりにバスを止めた鞠川が荒げた声を上げた。

 

「もういい加減にしてよ!こんなんじゃ運転できない!」

 

「……んだよ」

 

「ならば君はどうしたいのだ?」

 

 それに、毒島が落ち着いた声で聞いた。

 すると男子生徒は一瞬押し黙るが、バッ、と小室を見たかと思うと真っ直ぐ指を差した。

 

「気にいらねェんだよ!こいつが気にいらねェんだ!!」

 

 明らかな言いがかりである。

 逃げ場がなくなり、どうしようもなくなった苦し紛れの一言は支離滅裂だった。

 今までのことに目を瞑っていた何人かが動き出そうとして、それを止められる。

 釘打ち機を構えた平野を高城が、棒を取って立ち上がろうとした宮本を井豪と源が抑えた。野比はそれを眺め、骨川は両手を枕に我関せずと目を瞑り、剛田は腕を組み二人分のシートに石像のように座っていた。

 

「なにがだよ?俺がいつおまえに何か言ったよ?」

 

 腹が立つのも無理はなく、小室は一人称まで変えて答えた。

 それが売った喧嘩を買われたと思ったのか、男子生徒は「てめぇっ!!」と声を荒げて食って掛かろうとした。

 

「な――?」

 

 男子生徒の動きが急に止まった。

 腕に圧迫感を感じて左側を見ると、男子生徒の顔ほどもありそうな手が彼の腕を掴んでいた。太すぎる腕を辿ると、そこには石像が――石像のように憮然とした表情の剛田がいた。

 

「やめろ」

 

「な、んだよっ」

 

 男子生徒はその屈強な手から離れようとするが、岩のようなそれはピクリともしない。

 

「ぐぁ、ああ、ああああああああああああ!!!!」

 

 剛田が男子生徒の腕を握った手に力を入れると、その腕がミシミシ、と音を立てた。骨を折られる寸前の激痛に絶えられず、声をあげて逃れようとする。

 その様子はさながら、噛み付いてきた熊から逃れようとする鹿のように滑稽だった。

 剛田がパッ、と手を放すと、男子生徒は左腕を抱えながら後ろに倒れこんだ。

 

「目障りだ」

 

 気絶寸前で顔をグシャグシャにしている男子生徒をひと睨みして、剛田は元の石像に戻った。

 

「いやぁ、ジャイアンはカッコいいネまったく」

 

 骨川は依然シートに踏ん反りかって目を瞑りながら、そんな白々しいことを言った。その間も男子生徒は悶えている。

 ――紫藤浩一は、それを跨いで現れた。

 

「実にお見事です」

 

 わざとらしく拍手をする紫藤の顔には歪みきった笑み。

 紫藤はこの瞬間こそを絶好のタイミングと踏んだ。その証拠に、倒れ伏す男子生徒には目も向けない。

 

「皆さん実に仲間思いなんですね。しかし………」

 

 緩急をつけながら、まるで役者のように芸達者な仕草でバスの真ん中まで歩いた紫藤は高城の座るシートの背に手を置いた。

 その先に紫藤が先導してきた生徒達はいない。

 つまり彼らを、紫藤は最終的に叩きのめすべきと踏んだのだ。

 

「こうして争いが起こるのは私の意見の証明にもなっています。だから、リーダーが必要なんですよ。我々には」

 

 リーダー、そして我々という節を強調する。

 

「で、候補者は一人きりってワケ」

 

「私は教師ですよ高城さん。そして、皆さんは学生です。それだけでも資格の有無ははっきりしています」

 

 眼鏡を上げながら高城が確認を取ると、紫藤は高城にわざわざ顔を近づけて答えた。

 鬱陶し気に見る高城の不満だけしかないその表情は、ひとえにこれから先のことを予期しているが故である。

 聡い高城は入学当初から紫藤の本質に気が付いていた。状況がこうなれば何か起こすだろうと思って見ていれば案の定だ。しかし、骨川と同じく紫藤の戦い方を心得ている高城は傍観に甘んじるしかない。

 紫藤は高城から反論がないことを確認して、今度は懐柔するべき先導してきた生徒達に問いかけた。

 

「どうですかみなさん?私なら……問題が起きないように手を打てますよ?」

 

 学園に噂が立つほどの天才美少女を言い負かしたことで、彼らの紫藤を見る目がまた少し変わっている。高城のあの確認は、紫藤にとって願ってもない誤算となった。

 色々と理由はある。そしてそれは全て、用意周到な紫藤の策でもあった。

 だが、確実に決めたのはやはり今の出来事だった。

 羨望の眼差しを受け、感動で立ち上がるものもいながら、紫藤は問いかけた全員から賛同の拍手を受けた。

 

「――と、言うわけで。多数決で私がリーダーと言うことになりました」

 

 鳴り止まない拍手のなか、紫藤は勝ち誇った表情で再び振り返った。

 このとき、彼らは確かに感じ取ったはずだ。自分達はこの男に敵と判断されている。そして、生きていく上でこの紫藤という男が、明確な敵であることが。

 一人、この状況に耐え切れず動き出そうとした。

 だが、それはこの状況を予感して抵抗した高城ではない。

 紫藤の本質とこの状況を知っていて回避しようとした宮本だ。

 けど動くことは出来なかった。

 その前に、動き出したものがいたからだ。

 

「ふふふ、あはは、はははははははっ!」

 

 それは、この状況を推測して“待っていた”骨川だった。

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

「ふふふ、あはは、はははははははっ!」

 

 急な出来事だった。

 油と水のように混ざりきれない雰囲気の中、それを諸共粉砕するようにスネオの笑声が響いた。

 

「何故、笑うのですか骨川君。私は面白いことを言ったつもりはありませんが」

 

 紫藤先生の顔から一瞬だけ笑みが消えた。

 その表情が戻る頃、スネオはもたれていたシートから体を起こし立ち上がる。

 

「そうですか、なら先生と僕の笑いのツボは大分異なっているようです。先生があまりに可笑しなことを言うもので、さっきから笑いを堪えるのが大変でした」

 

 スネオはいきなり挑発から入った。

 しかし、紫藤先生の表情はもう崩れることはなく、終始笑顔だった。おそらく、あれが紫藤先生のポーカーフェイスなのだろう。

 

「ほう、私が可笑しなことを?是非聞いておきたいですね骨川君、興味があります」

 

 紫藤先生がそう言うと、スネオはご冗談を、と首を振って笑いながら両手を上げた。

 

「僕は興味がないです。言ってどうなることでもないし、理解もできないでしょうから。

 それに、誰がここの支配者になろうと僕には関係のないことです」

 

「支配者?骨川君、可笑しなことを言っているのは君ですよ。いつ私が支配者になりました?

 支配者とは他を圧倒する存在のことですよ。他人を陥れ自らの駒として扱い、自分一人が生き延びればいいと考える独裁者。

 私は一致団結して、皆さんで助け合いながら生き延びましょうと言っているんです。どこが独裁者でしょうか?」

 

「だから、それを言っても理解できないと言っているでしょう。頭が足りないんじゃないんですか先生」

 

「……………はぁ。私は悲しいですよ、骨川君。優等生でさらに特別枠を受けている君が、そんなに口が汚い生徒だったなんて。一教師として嘆かわしい限りです」

 

 周りは唖然としてついて来れていない。来る気がない者と、付いて来ていてなおその行動の意味が読み取れない者もいるが。

 僕はただ一人、静かに受け流し見定めていた。

 

「くくくっ、また可笑しなことを。そんな生徒を高く取ったのはあなた方でしょう?こっちが少し寄付してやっただけで、あなたたちは僕の望み通りにしてくれた。そんな下衆が、自ら教師を名乗るなんて滑稽としか言いようがないですね」

 

「私が聞いたのは結果だけです。教師や学校の人間に隠匿するように理事長に相談したのは骨川君、君だと聞いていますよ。たまたま私はそのことを聞くことができましたがね。

 骨川君、どうやら君は私を陥れようとしているようですが、君がさっきから述べているのは言い掛かりであり理屈でしかない。全て自分の墓穴を掘っているだけということに、気付いたらどうですか?」

 

 無駄とも思える会話を続けることに嫌気が差したのか、紫藤先生はスネオが逃げやすいように道を作った。

 するとスネオは理屈ねぇ、と呟きながらシートの引っ掛けに腰掛けて、不気味な声と顔を作りながら喉を鳴らして笑い始めた。

 

「そうですね先生。僕は理屈は好きですよ大好きです。僕にはそれだけしかありませんでしたからね。

 僕の周りにいるのはいつも金にしか興味のない下衆ばかりですから、理屈でもこねてないとやってられないんですよ」

 

 急に語り始めたスネオに、さっきまでの捲くし立てるような勢いはない。

 どこか面妖な雰囲気さえ醸し出してさえいた。

 

「でもね先生、僕はまだまだ子供なんです。すぐ駄々をこねたくなる。でも周りには理屈しか通じないから皆僕を無視するんです。汚い顔、汚れた脳髄。昔はとても大好きだったお金も、今ではそこらに転がってる犬の糞のようで……全部、嫌になる。

 そんな時ね先生、僕、なにもかも壊したくなるんです」

 

「……」

 

 不吉な何かを感じ取ったのか、紫藤先生の笑顔はどこか引きつっているように見えた。周りも、スネオに物の怪でも見るような目を向けている。

 けど、スネオはそんなこと気にする素振りもなくただ淡々と続けた。

 

「――だから、僕は理屈が通じない純粋な力っていうのも好きなんですよ」

 

 再び、誰かの意識の隅で石像が息を吹き返した。

 しかし、気付くものはいない。スネオが気を引いているのだから。

 

「それは言葉も、汚れも、金も、全部、ぜんぶ。何もかもを壊せるから。――だろ、ジャイアン?」

 

 猛獣が、放たれた。

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

「ヒッ」

 

 紫藤先生が小さな悲鳴を上げる。

 それで全員が気付いた。僕たちの後ろで、今までコンクリートで固められたように動かなかった武が、スネオの呼びかけに答えるように立ち上がったことに。

 紫藤先生が後退る。

 今彼は、死神の視線を一身に感じて本能から身の危険を察知しているはずだ。武の視線はそういうものだから。

 

「そうです先生、話し合う気にもなれないでしょう?なにせジャイアンは、人と話し合う気なんて微塵もないんですから。

 さあジャイアン、これなんかどうだい?」

 

 スネオは笑いながら自分が座っていたシートを叩きながら武に言った。

 すると武はそのシートを持ち、あろうことか持ち上げようとした。

 その奇行を見た周りは、到底理解できなかっただろう。スネオがどういう意味でそれを伝え、武がどういう意味でそれを受け取ったのか。

 当然だろう、誰も考えるはずがない。

 彼らは互いに、純粋な力を持ってして全てを論破するべき、と意思を疎通し合ったのだ。

 

「――え?」

 

 見たもの全員が唖然とした。聞いたもの全員が呆然とした。目前の光景に理解が追いつかず、しかし本能だけが必死に逃亡の意思を示していた。

 見ても信じられるようなものではない。実際周りはその現実を信じられず硬直し慄いている。

 

 ――武が手にしたシートは、バゴッ、という音を立てて持ち上がったのだ。

 

 人間の怪力とは思えないだろう。

 だが武は、人の身で人外と思える怪力を実際にこうして扱えるのだ。そして武は当然人である。ならばこれも、立派な人の力に間違いはないのだ。

 

「やめろジャイアン!」

 

 咄嗟に僕は声を上げる。けど、一旦興奮状態になった武は起動の合図しか受け入れはしない。

 それをわかっていても声を上げられずにはいられなかった。このままでは、最悪死人が出てしまう。

 

「あはは!いいよジャイアン、やっちゃいな!!」

 

「がああ!!!」

 

 無情に放たれたスネオの声に呼応し、武は猛り狂う衝動に任せてシートを後部座席へ放り投げた。さながら背負い投げのように投じられたシートは、その途中にいる紫藤先生をも巻き込む。

 紙切れのように簡単に吹き飛ばされた紫藤先生は、後部座席と飛んできた二つのシートに両挟みにされた。

 せもたれの部分で挟まれているためたいした怪我にはならないだろうが、状況的にはとことんまで悪化してしまった。

 だが、それでも武は止まろうとはしていない。

 

「うわあああ!!!」

 

 倒れていた男子生徒が、鬼を見た子供のように必死に後退ろうとした。

 けどその手足は恐怖で動かず、滅茶苦茶に動いている姿は陸に上がった魚じみていてまた滑稽だ。

 

「ジャイアンやめろ!やめるんだ!」

 

「何言ってるんだのび太。興を殺ぐようなことを言うなよ。見ろよ、ジャイアンは今すごく楽しそうだ。僕も楽しい。僕たちは今楽しんでるんだぜ」

 

「っ!ふざけたことを言うな、スネオ!」

 

 僕たちのやり取りを完全に無視し、事態はさらに悪い方向へ進んでいっている。

 武はバス内を狭いと言わんばかりに突き進み、男子生徒に手を伸ばした。

 

「ヒィ!」

 

 恐怖が臨界を突破したのか、ようやくまともに動くようになった体が翻り後ろへ逃げようとした。

 しかしそれも一歩遅く背中を掴まれてしまった。さっきのことで、一度掴まれれば逃げられないことは十分思い知らされているからか、掴まれたと分かった途端に男子生徒の顔は一瞬で蒼白となった。

 武がそのあとどうするかはわからない。長い付き合いでの僕らでさえ、おそらく武自身にも武の限界がよくわかっていないのだ。

 けどどちらにしても、あの男子生徒の身が危険ということがわかった。理由はそれだけで十分すぎるだろう。

 

「――やめろ武!!」

 

 気付けば、僕は叫んでいた。

 いつもの愛称ではなく、一番楽しかった時代の呼び方ではなく、彼にとって一番身近でいて彼の全てである唯一の名を。

 ピタッ、とあらゆるものが停止した。

 武は捕まえた男子生徒を数センチ浮かせた状態で止まり、スネオはそれを冷めた目で眺めて、しずかちゃんが泣きそうな表情をしていた。

 

「がっ」

 

 武の手から男子生徒が落ちた。

 それを見て、僕は彼のところまで歩いていく。

 

「ジャイアン、紫藤先生からシートを退かしてくれ」

 

「…………」

 

 武は僕を一瞥し、何も言わずに紫藤先生の上に乗っているシートを持ち上げた。

 そのシートを持ったまま僕の横を通ってスネオの前まで行くと、シートがもとあった場所にそれを下ろした。

 圧迫が消えたことで肺が急に活発になったからか、紫藤先生はゲホッゲホッ、と咳き込んだ。

 僕は紫藤先生が落ち着くのを待って、なるべく周囲に聞こえるように切り出した。

 

「申し訳ありませんでした紫藤先生。僕の友人がご迷惑をお掛けしました」

 

 頭を下げる。

 紫藤先生は、武が急に暴れだしたところから時間が止まってしまっているようだ。僕の方を凝視してパクパク、と口を動かすばかりで、何も言ってこようとしない。

 

「て、てめぇ……」

 

 だが、散々コケにされた挙句、ついさっき恐怖の臨界を越えたばかりの男子生徒は、どこか感情が麻痺しているようだ。

 ここに来ていきなり場を仕切りはじめれば、武に向いていた怒りの矛先も変わるか。当然な理屈を、どこか乾いた心中で呟いた。

 男子生徒はふらふらと立ち上がり、固めた拳を振りかざして僕に向かって思いっきり振りぬいた。

 

「――――」

 

 バキッ、という音が、鼓膜に直接振動してくる。

 痛い。殴られたのだから当然だろう。けど、こんな日常の痛みなんて気にする必要はない。

 ぐらっ、と傾きかけた体勢を直し、右手を向けて武に声をかける。

 

「いいよ、ジャイアン。大丈夫だ」

 

 嗾けようとした訳じゃない。動き出そうとしたから止めただけだ。

 

「のび太、さん……」

 

 しずかちゃんが、口元を抑えながら僕を見ている。

 “ああ、また泣かせてしまったか。”

 僕は自分に対する殺人衝動を抑えながら、強く紫藤先生を睨みつけながらこう言った。

 

 

「責任は取ります。問題を起こした骨川と剛田、そして連帯責任として僕がバスを降ります」

 

 

 誰かがえっ、と声を上げた。皆が驚愕しているのが、背中越しにも感じられる。

 唖然とする紫藤先生を後にし、僕は踵を返して乗車口に歩き出す。

 その途中で、スネオは頬を引きつらせながらこんなことを言ってきた。

 

「おいおい、本気かのび太?こんなところで降りるなんて正気の沙汰じゃ」

 

「その状況を作り上げたのは誰だ?少なくとも君たち二人には拒否権はない」

 

「…………ちっ」

 

 武が立ち上がって僕の後ろに続き、スネオはわざとらしく舌打ちをしてもおとなしく付いて来た。

 

「のび太さん!」

 

 一番前の席に座っていたしずかちゃんに呼び止められる。

 僕たちが出て行けば、しずかちゃんは一人になる。けど彼女はそれより、僕たちと離れることを危惧しているのだろう。

 僕はしずかちゃんの耳元にそっと口を寄せた。

 

「      」

 

「――」

 

 顔を離す。しずかちゃんは息を呑むように僕を見た。

 僕は瞳を涙で潤ませた彼女の顔を目に焼き付けて、バスを降りた。

 

 

 

 

 

     2

 

 

 

 

 

 バスを出た瞬間、バスに襲われた。あまりに早すぎる展開に理解が追いつけず、避けるだけで精いっぱいだった。

 僕たちがバスを出た時、反対車線を暴走したバスが僕たちにむかって爆走してきていた。見たところ観光バスで、乗客の誰かが感染していたらしくチラッと見えてしまった車内は、筆舌に尽くせぬほど惨たらしい光景が広がっていた。

 バスは角から突出して停車していた車に衝突し、車体が浮き上がり勢いそのまま突っ込んできたのだ。

 僕たちは命からがら危険から逃れ、トンネルを挟んだ向かいの土手の通りに出ていた。

 

 

「お、これなんかいんじゃないか?」

 

「キーがないけど」

 

「まあなんとかするさ、任せときな。ところでジャイアンは?」

 

「向こうでひと仕事してるよ…」

 

 背後では力強い雄叫びと、グシャ、という音が聞こえ続けている。

 

「ヘルメット被ってるってことは、さっきのバイクの持ち主かな」

 

 スネ夫は心底どうでもよさそうに、荒れ狂う友人から視線を逸らし目の前の車を見た。おそらく、こうなる前からここに停めてあったものだろう。

 スネ夫は内ポケットから鍵を取り出した。けどその鍵、見たところ普通の鍵ではないらしい。ギザギザしていないのだ。

 そしてもうひとつ、携帯電話より少し大きめの使用方法がまったくわからない箱状の機械を取り出した。

 

「こんなこともあろうかとね、持ち出しといたんだ」

 

 スネ夫はまず鍵を鍵穴に差し込んだ。当然奥まではいかない。すると今度は、その鍵を箱の穴に差し込みプレスした。

 取り出した鍵は、プレスした部分がへこんでいる。それをもう一度鍵穴に差し込む。スネ夫はそれを繰り返していく。

 彼が一体何をしているのかは、言われなくてもわかった。

 非常に信じられないがスネ夫は、今この場で鍵を作っているのだ。やれることにも驚くが、この状況でやろうとすることにも驚く。

 そしてさらに驚いたのは、それから五分もしないうちに鍵が開いたことだった。一体どこでそんな技術を習得するのか。

 

「運転はまかせていいんだよね?」

 

「ああ。免許とかいう契約書もどきは、残念ながら持ってないけどね」

 

「契約書?」

 

「あんなもの、契約書とそう変わらない。運転ができるのに、わざわざそれを証明するものを金を払って取得しなければならないなんて、馬鹿げた法律だとは僕も思う。

 いや、彼女は実にいいことを言ってくれる」

 

 わけのわからにことを言いながら、スネ夫は運転席に座りエンジンをかけた。

 

「彼女って?」

 

「偉大なる伝奇作家の作品に登場する、素晴らしく美しい人形を創り出す魔術師のことさ」

 

「……えっと」

 

「わからないならそれでいい、もとより期待もしてなかった。それより、ジャイアンを呼んでくれよ」

 

 釈然としないままジャイアンを呼ぶと、彼は最早肉塊とすら判別がつかないほどのそれから離れた。ゆっくりと歩いてきて後部座席に乗り込む彼は、まだすこし息が荒い。

 バックミラーで彼を一瞥したスネ夫は、ハンドルを握りアクセルを踏み込んだ。

 

「ふぅ。ようやくひと段落かな」

 

「にしてもいい演技だった。のび太にしては上出来だったよ」

 

「褒めてるんだよね?」

 

「もちろん。ちゃんと僕が指示したとおりにやってくれたしね。きっとみんなはこう思ってる。『紫藤先生に学校での不祥事についてばらされた骨川が、怒り心頭に剛田をけしかけて、その責任を取るため野比が問題を起こした二人を連れてバスを降りた』ってね」

 

 実は、このバスに乗り合わせた時点で、僕たちの次の行動はすでに決まっていた。それは、バスを降りて、新しい移動手段を見つけることだった。

 全寮制である学校に、あらかじめ持ち込める武器の量はかなり制限される。これからこの世界で生き抜くうえで、武器が拳銃二丁というのは、武を勘定に入れたとしてもかなり心細い。そこで、かねてよりの計画で“学校を脱出したのち、武器をつんだスネ夫の車に合流する”ことにしていたのだ。たまたま今日はスネ夫が学校に来れることになってしまったため、急遽取りに行くことになったのだが。

 バスに乗っていたのが僕たちだけだったのなら簡単だった。けど実際は、何人もの生徒が同乗し、あまつさえこれから敵となるであろう人物まで乗り合わせた。

 途中で降りることは絶対。だが危険が伴うため、しずかちゃんだけはバスに残した。あのバスの中は、まだ辛うじて安全と言えるだろうから。

 僕は自分でも足りないと自覚している脳味噌をフル活用して、なんとか脱出できないものかと考えていた時、スネ夫が一計を案じて来た。

 当然のことだが、この計画は誰かに知られるわけにはいかない。耳打ちでもすれば、高城さんあたりには感づかれるだろうから、迂闊にそんなことできない。そんな状況で、どうやってスネ夫から案を受け取ったのか。その答えは、あの時のポーカーだ。

 スネ夫は最後の一戦の時、彼が額に持って行ったカードの表面に、これからのことをメモした紙を貼り付けていた。僕がそれを読んでいる間、違和感がないようにスネ夫も世界がどうたらと言って間を繋げた。

 

 『僕がジャイアンを紫藤にけしかける。その後君は、騒動の責任を取って三人でバスを降りると言え』

 

 この言葉通り、スネ夫はジャイアンに紫藤先生を襲わせ、僕たちは責任を取り、無事にバスを降りることが出来た。

 

「けどわからないな。わざわざこんなことをしなくても、あんな険悪にならずに降りれたんじゃないか?」

 

「それじゃ駄目なんだよ。普通に降りようとすれば、確実に一緒に降りようとするやつが出てくる。あの宮本といった女子は、是非にと言わんばかりに飛び出してただろうね」

 

「宮本さんって、あの棒を持っていた人だよね。しずかちゃんと同じクラスの。なんでそんなことがわかるんだ?」

 

「僕はあの学校の内部事情にも一応詳しいからね。生徒の成績を改竄できるのは、あの学校の教師の中じゃ紫藤だけなのさ」

 

「どういうこと?」

 

 本人はそれで答えたつもりなのかもしれないけど、謎が深まっただけで一切質問の答えになっていない。

 

「……宮本が二年なのはそういうことか」

 

「え?」

 

 思いもよらず、後ろから聞こえた声に度肝を抜かれた。

 

「おっと、今回はジャイアンのほうが賢かったね。この結果は僕にも意外なものだ」

 

 スネ夫は窓を開けて、ポケットに手を突っ込んですぐに顔をしかめて「忘れたんだった」とつぶやいた。「煙草?」と訊くと、ため息をつきながら頷いた。

 

「彼女は本来なら3年生のはずだった。けど、成績を紫藤に改竄されて、留年させられてしまったんだよ」

 

「なんで?」

 

「……君はもっと、灰色の脳細胞を働かせた方がいいよ」

 

「なにそれ?」

 

「なんでも。ただ言ってみただけ。いや、女王は偉大だ」

 

 どうやら、今日のスネ夫は絶好調らしい。

 世界がこんな風になってしまって、少しずつ変化が出始めているようだ。ジャイアンもスネ夫も、そして僕も。

 

「そんなことより僕は、お前がしずかちゃんにどんな愛の言葉をささやいていたのかが気になるな」

 

「……なんだよ愛の言葉って」

 

「バスを降りる直前に、しずかちゃんの耳元で何か言ってたろ。あれだよ。いったいどんなくさい台詞を言ったんだ?」

 

 からかわれている。

 こういう時のスネ夫はわかりやすい。表情を見ればすぐにわかる。

 だから僕も、大して動揺したりせず正直に答えた。

 

「別に。愛の言葉だなんだのは、言ったつもりはないけど」

 

「まあそうだろうな。君にそんな度胸はないのはよくわかってる」

 

 張り倒していいのだろうか。

 いや、そうすると運転に支障が出る。万が一どこかに衝突したら困るから、降りてからにしよう。

 

「毒島先輩についていくように、と。そう言っただけだよ」

 

「……へぇ、何故?」

 

 スネ夫は少し目を丸くした後、興味深そうに笑って訊いてきた。

 

「紫藤先生には従わなそうだったから」

 

「それなら宮本でもいいんじゃないか?」

 

「宮本さんは、感情的過ぎる。いざというとき、判断を見誤る可能性がありそうだったから」

 

 まだ学校にいた時、職員室の前で武に掴みかかろうとする宮本さんを見た。あとからスネ夫に聞いたところ、宮本さんの勘違いによるものだったという。

 ほかにも、さっきバスの中で何度も立ち上がろうとしていた。状況をよく理解して行動しようとしないふしがかなりある。

 しずかちゃんと中はいいようだけど、それだけでは不安だった。

 

「高城は?」

 

「彼女は頭がいい。君からもそう聞いてる。判断を見誤ることはないと思う。けど、高城さんではしずかちゃんを護ることは出来ない」

 

 実際に戦えない高城さんでは、しずかちゃんの身に危険が迫ったとき、直接的に救うことができない。

 

「小室や井豪や平野は?」

 

「男子は……駄目だよ」

 

「ああ、そうだったね。なるほど。じゃあ一応聞いておこう。何故毒島さんなんだ?」

 

「だから、紫藤先生に従わなそうだったから」

 

「……つまり、消去法ってわけか?」

 

「うん」

 

 スネ夫はこれ見よがしに大きくため息をついた。

 いったい何が悪いんだ。いい判断だったと思うけど。

 

「いやね、驚くべきことに僕と同じ考えだったから、期待してたんだけど。お前は見てなかっただろうけど、僕もバスを降りるときしずかちゃんに耳打ちしておいたんだ。『なにかあったら、毒島さんについていくといい』ってね。

 その理由を教えてあげようか?

 僕の中で、しずかちゃんが信用すべき人物を導き出すための条件は決めてあった。まずその人物は、自分自身をある程度余裕をもって守れなくてはならない。そして常に冷静で、他者に気を配れて、なおかつ聡明でなければならない。この条件にあてはまるのは、というかもう最初の条件だけで、一発で毒島さんに白羽の矢が立ってもおかしくないんだけどね。

 僕の目の前には、その決定をわざわざ消去法なんて回りくどい方法でしたやつがいるわけだ。しかもそれが仲のいい友人と来た。ため息もつきたくなるさ」

 

 それは悪いことをしてしまった。

 張り倒すのはなしにしておいてやろう。

 

「さて、早いとこ武器を持って、しずかちゃんと合流しないとね。彼女が現実に戻ってくる前に」

 

 そう言ってスネ夫は、さらにアクセルを強く踏み込んだ。

 僕は静かに目を閉じ、つかの間の休息に浸るように一瞬で意識を飛ばした。

 

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