白翼の守護者   作:綾海しろ

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第10章 少女の謎

ずぶ濡れで帰ってきたスズのために湯を沸かし湯舟に浸からせ、身体が温まった所に蜂蜜を入れたホットミルクを飲ませると、スズはやっと寒さと緊張で強張らせた身体から力を抜き、うつらうつらと私の布団の隣に横たわった。

 

「どうしてわたしにだけ、あの女の子の声が聞こえるのかな」

 

布団の中で、ぽつりとスズが呟いた。

 

「あの子、わたしにそっくりだった……」

「例の少女の姿を見たのか?」

「直接は見てないよ。でも、水面にわたしじゃない誰かが映っていたの。それがとっても小さい頃のわたしにそっくりで……あの子から向けられた悪意が、とても恐ろしかった……」

 

タオルケットに包まり、スズはそのまま顔を覆ってしまう。

泣いてはいないようだが、ずっとその少女の事を考えてしまっているらしい。

眠りの淵に落ちながらも、スズはずっとその少女の事を話し続ける。

初めて声が聞こえた時の事や、昨日水面に引きずりこまれるように向けられた悪意の事。

その全てが突拍子もない出来事の陳列で、話しているスズ本人ですら、なぜそのような事が起きたのか何一つわかっていないようであった。

 

「……でもね、はじめてあの声を聴いたとき『一人にしないで』って言ってたの。わたし、あの子を放っておけない」

 

随分と例の少女に感情移入してしまっているようだ。

誰彼構わず困っている人を助けてやりたくなるのはスズの神の御使いとしての本能なのもしれないが、私としてはスズの安全確保が第一優先だ。

他に手を回すとしても、それは彼女の存在が護られた後の話となる。

しかも例の少女は、今のところスズに危害を加えようとしている存在だ。

スズがあの少女を救いたいと言ったところで、場合によっては首を縦に振ってやることは出来ない。

 

「……ごめんねエイト、迷惑をかけたわたしが言えた台詞じゃないのに」

 

私の心情を察したのだろう。

起き上がり謝りかけた彼女を制して、私は首を横に振った。

 

「謝る必要はないさ、ただこの話の続きはまた今度にしよう」

 

そう言ってスズを再び布団に寝かしつけると、洗いたての銀の髪を軽く撫でてやる。

何か言いたそうに一瞬彼女が私を見たが、しかしそれには気づかないふりをして私は座ったまま瞳を閉じる。

こうでもしないと、いつまで経っても彼女は寝やしないのだ。

自分のことより他人を優先してしまう彼女の姿を隣でずっと見てきた。

今回だってきっと同じだろう。

 

暫く隣で無言を貫いていると、やがて観念したのか、スズは大きく息を吸い込みそのまま深く眠りの淵へと落ちていった。

恐らく今日もこのまま、私の部屋で眠らせたほうがいいだろう。

どうせまた夜中に目が覚めて、一人今日の出来事を思い出し不安を覚えるに違いないのだから。

 

「スズの様子はどう?」

「問題ない。ちょうど眠ったところだ」

 

暫くして、遠慮がちにドアをノックした弥生に返事をすると、そっとスズの傍を離れる。

ここで話し込むとせっかく眠りについたスズを起こしてしまうかもしれない。

そう思い、弥生を促し部屋の外へと出た。

寮から感染対策課の事務所へ向かう廊下を歩きながら、いくつか確認しておきたかったことを問う。

 

「現時点における各メンバーの状況を知りたい」

「さっきエイトがスズを介抱している間に、私がジオリードさんへ今日の事を報告に行ったわ。リネットはヴァレリアの様子を確認がてら、今日の出来事を伝えに行ってくれてる」

「なるほど。李白には?」

「これから私が伝えに行くわ」

 

弥生が頷く。

 

「念のため私も同行しよう」

「エイト……いいの?」

「李白は不安定だ。弥生に危害が及ぶ可能性も十分ある。それに…何かあった時に悲しむのは李白自身だろうからな」

「ありがとう。実は少しだけ一人で行くのは不安だったの。……助かるわ」

 

普段のはきはきした様子とは一変して、弥生はしおらしく頭を下げる。

ここ最近立て続けにいろいろな事が起きた為、彼女も少し疲れているのだろう。

ただでさえつい先ほど、スズが湖に落ちてあわや一大事といった所だ。

おまけに今日は大掛かりな封印術を使い、身体もきっと疲弊している。

いくらしっかり者とは言っても、弥生もまだ二十歳になったばかりだ。

何もかも彼女一人に背負い込ませる訳にはいかない。

 

「ところでさっきはバタバタしていて聞けなかったけれど、スズが湖に落ちた原因はなんだったの?」

 

弥生が小さく首を傾げる。

そういえばスズが聴いたという声の話を、まだ誰にも話していなかった。

私自身、一度もその声を聴けた試しがないというのもあるが、スズの説明もとにかく曖昧で、要領を得なかったというのもある。

何と説明すればいいか暫し迷ったのちに、結局はスズに聞いた通りの言葉を口にするしかなかった。

 

「スズがあの湖で、謎の声を聴いたらしい。それが一度ではなく前回、そして今日もだ」

「謎の声って……私たちの他に、あの場に人間が居たっていうの? そんなまさか。ありえないわ」

「同意見だ。最初の調査時ならまだしも、今日はもうあの周辺は立ち入り禁止区域になっている。私たち以外の人間が立ち入れないはずなんだ。しかしスズは今日も声を聴いたと言うんだ。わたしはあなた。あなたはわたし。わたしはあなたを許さない――そう言ったらしい」

「わたしはあなた。あなたはわたし……? 一体どういう事?」

「わからない。スズも思い当たる節がないらしい。だが湖を覗き込んでいたらその声がして、気づけば体を水面に投げ出していた……引き込まれたとでも言おうか」

「何よそれ、スズに危害を加えようとしたって事?」

「その可能性が高い。しかも水面に移るその少女の見た目は、幼い頃のスズによく似ていたらしい」

 

弥生は答える言葉を失い、暫し絶句したのちに虚空を仰ぎ見た。

気持ちはとてもよくわかる。

 

「その少女の目的は一体なんなのかしら?」

 

許さないと言うぐらいだ、何か明確な悪意を持ってスズに接触してきているとしか思えないその少女。

しかし問題はスズに悪意を向ける明確な理由がわからない以外にもいくつかある。

声しか聞こえない上に、スズ以外の人間にその少女を認識する術がないという事だ。

 

――確固たる形がないものからスズを守るには、一体どうすれば良いのだろうか。

 

感染対策課に辿り着いたその先で、しかし思考はまとまらず立ち止まる。

実害が無いのならば、まだよかった。

だが現に今日、スズは湖へと引き込まれていた。

咄嗟に近くに居たリネットが気づき、私たちを呼びに来てくれなければ今頃どうなっていたかもわからない。

スズの身に危険が迫る可能性があるのならば、それらはなんとしても排除しなくてはならない。

私は彼女が望む使命を果たせるよう、必ず守り抜くと天啓を前に誓ったのだから。

 

「せめてその声の主が何者なのかだけでも知りたいのだが……」

 

しかしこれといったアイデアは浮かばない。

圧倒的に情報不足なのだ。

どうしたものかと弥生と二人、扉の前で顔をしかめていたその時。

 

「……それはもしかして、私と《不浄のもの》に近しい関係のものではないのでしょうか?」

 

どうやらドアの外で話し込む私たちに痺れを切らしたらしい。

ドアの内側から話を半分盗み聞いていた李白が、カラカラと音を立てて扉を開け、おずおずと会話に参加してきたのだった。

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