白翼の守護者   作:綾海しろ

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第11章 弥生と李白

「李白、あなた調子は大丈夫なの?」

 

黒い髪を豊かに背に広げ、トレードマークの巫女服をきっちりと着込んだ弥生が「お気に入りの茶葉があるのだ」と言ってかわいらしい白いティーセットを使い優雅に紅茶を淹れている。

見た目は和そのものといった具合の彼女であるが、中身は随分と洋風に傾倒しているらしい。

なんでも寮の自室も洋風で、白いベッドにフリルの枕、レースのついたこれまた少女めいた布団をかけて寝ているというのだから驚いてしまった。

実家は代々続く由緒正しき神社であると言うので、てっきり慣れ親しんだ和風が好きなのかと思っていたが、意外である。

そんな弥生のお気に入りの紅茶とやらを嬉しそうに受け取った李白は、喉を湿らせながらゆっくりと話し出す。

 

「正直なところ、今の私の状態はそれほど良くありません。《不浄のもの》が絶えず私を刺激し、唆してくるのです」

「唆す…?」

「ええ。誘惑とでも言えばいいんでしょうか。楽な方に逃げたくなるような選択肢を私に与え、気持ちをかき乱し翻弄してくる……そんなところです」

 

まだほんの少しだけ紅茶の残ったカップを置き、李白は弥生に向かい微笑んだ。

それをおかわりの合図と受け取ったのだろう、弥生が少し嬉しそうにティーセット一式を持ってきて李白の隣に腰を下ろした。

 

「……おかわり、いる?」

「お願いします。弥生の淹れてくれたお茶を飲むと随分と心が落ち着くんです」

「それは何よりだわ。美味しいでしょう? 私のお気に入りの茶葉なんだから」

「ええ、とても。いつもありがとうございます」

 

まるで老夫婦のように、お茶を片手に暫しのんびりとした会話が続く。

謎の声の正体がもしかしたらわかるかもしれないと思ったのに、私としては完全に肩透かしを食らったような状態である。

 

――だが、これが本来の二人の時の姿なのだろう。

 

お茶を片手に自然と隣に座り、のんびりと語らう。

まるで夫婦のように。家族のように。

それこそ小さなころから幼馴染だと言っていた弥生と李白は、ずっとこんな風に当たり前の日々を過ごしてきたのかもしれない。

聞けば二人は許嫁であるという。

しかし李白が《不浄のもの》に取り憑かれて、そんな日常は一変した。

いつ表に出てくるかわからない《不浄のもの》の存在に怯え、頭を悩ませている姿は今のスズと大差ないだろう。

だからこそこんなささやかな平和でさえ、二人にとってはかけがえのない時間となっているのだ。きっと。

 

「話を聞かせてもらえるか、李白」

「……先ほどの、湖でスズさんが聴いた謎の少女の声のことですね」

「李白と《不浄のもの》に近い関係性のものではないかという話だったが」

 

おかわりの紅茶で喉を湿らせながら李白は頷く。

 

「何からお話すれば分かりやすいでしょう……少し、私のことをお話してもよろしいでしょうか? 私と《不浄のもの》が一体どういった関係なのかを」

「ああ。そこにスズを救う鍵がみつかるかもしれない」

「わかりました。では少し長くなるかもしれませんがお話させてください」

 

そう前置きして、李白は語り始める。

 

「まず前提として。《不浄のもの》は、時たま私の身体を乗っ取り暴れはしますが、私は《不浄のもの》が私とまったくの別人格だとはどうしても思えないのです。そこからお話いたしましょう。例えば昨日、私はジオリードさんやアイゼさんの監視下のもと竹笛を吹いていましたが、その後随分と暴れて皆さんにご迷惑をかけました。……しかし、そうしたい理由が私にはあった。言っている意味が伝わるでしょうか」

「暴れたのは本当はあなたの意思であり、望みだったという事?」

「弥生、そういう訳ではありません。暴れたのはあくまでも手段の一つであって、目的ではないのです。目的を果たすために、本来の私ならば暴れないシーンで《不浄のもの》が暴れた。とでも言えばいいのでしょうか」

「《不浄のもの》は本来の李白なら出来ない事を、一時的に代替わりして行った……という事か?」

「それも少し違います、エイトさん。出来ない事ではありません。私があえてやらないでおこうとしている事をしようとするのです。本来ならばしてはいけない事……しかし私も人間ですから、人並みに欲も望みも持っています。《不浄のもの》はそういった私の悪い願望を増幅させる……まさに負の感情を大きくし、後押ししようとしてくる……そんな存在なのです」

 

李白はふうと一息つくと、空になったカップを覗き込むようにして言った。

 

「――私は《不浄のもの》が自分と別人だとは思えません。何よりも私のことを知っている、もう一人の私……そんなふうに思う時があるのです。スズさんが聴いたという少女の声も言っていたのですよね? わたしはあなた。あなたはわたし、と」

「……!」

 

李白の言葉に、私は弥生を顔を見合わせはっと息を呑む。

李白は自嘲気味に少し目を伏せると、そっと囁いた。

 

「やはりそれは、私と《不浄のもの》によく似た存在ではないかと感じます。その声に酷く怯えてしまうその気持ちが……私にもわかる気がするのです」

 

何かを考えるように。

そして何かを諭すように。

 

「私は《不浄のもの》に呑まれてしまいそうで怖くなる時があります。まるで私のようなのに、私ではない何かに抗い続けなければならない苦痛。それが一体いつまで続くのかわからない恐怖。呑まれてしまえばきっと楽だろう……そう思う時もあるのに、いざ身を任せようとすると取り返しがつかない事が起こりそうで、身を任せる事すらままならない。不思議なものです、はたからみれば全くの別人格であるという《不浄のもの》に、こんなにも私自身が共通性を感じているなんて」

「《不浄のもの》は悪いものではないのか……?」

「善か悪かと問われれば、間違いなく悪でしょう。しかしその悪は、何もなかった場所から生まれたものではない……私の内側から、零れ出るようにして生まれた悪。私としては消したかった存在……そんな所でしょうか」

「我がままや欲望みたいなものなのかしら……」

「いい例えですね、弥生。そう言ったものに少し近いかもしれません。例えば――」

 

そう言って立ち上がった李白が、突然弥生の腕を掴むと小さくひねり上げた。

 

「いたっ――――」

「こういう事をしても許されるのが俺様、ってワケだ。なぁ、女?」

「あんた……出たわね《不浄のもの》……!」

 

一瞬にして李白の中身が入れ替わったことを理解した弥生が、李白の顔を睨め付ける。

必死に腕を解こうとしているがひねられた手はびくりとも動かないようで、痛みのせいか弥生は小さく顔を歪めた。

 

――助けなければ。

 

そう思ったのもつかの間のこと、《不浄のもの》は空いた片手を前に出し私の動きを封じる。

 

「おっと動くなよエイト。今俺様が用があるのはこの女にだけだ。余計な手を出してみろ、優男の身体共々女も八つ裂きにしてやる」

 

ククッ、と喉の奥で笑い声をあげた《不浄のもの》は、ひとしきり私たちを見回すと弥生を引きずり壁際へと連れ出す。

 

「でだ。優男も言っていた通り、俺様も優男の一部みたいなものだからな。優男の望みを叶えてやるためにあれやこれやと奮闘してやってるわけだが。どうにもこうにも意思が強すぎて素直にならねーんだよ。だから女、お前からも言ってやってくれよ。もっと素直になって、お前も自由に生きろよって。こんなふうにナァ!」

 

瞬間。

李白の唇が、弥生のそれと重なる。

時間にして僅か数秒。

しかし――。

 

「…………なっにすんのよ!」

 

パン、と頬を叩く乾いた音が部屋に響きわたる。

肩で息をした弥生が、目じりを真っ赤にしたまま物凄い形相で李白を睨みつけていた。

その視線の先は勿論、李白の中に潜む《不浄のもの》である。

 

「おー……いてぇ。お前、体は優男に対してなのに案外容赦ねぇな?」

「あったり前でしょう! 一体何様のつもり!? 私のファーストキスを奪っておいて!」

「げ、お前ら初めてだったのか……まじかよ?」

「大マジよ! それをよりにもよってあんたが! あんたなんかが……っ」

 

目じりに大きく溜まった涙が、気づけばボロボロと弥生の頬を転げ落ちている。

 

「最低よ……っ、こんな事してあんたに一体何の利があるっていうのよ《不浄のもの》……!」

「おっと、俺を責めるのはお門違いってもんだぜ? お前のファーストキスは、お前が愛した優男の最低な感情によって無残にも散ったんだ。俺はあの優男の理性の蓋をちょっと外して、自由に、お望みどおりにしてやっただけだ。クククッ、俺様も早く自由の身になりたいんでなあ! 悪く思うなよ?」

 

弥生の髪の先を幾度か引っ張りながら《不浄のもの》は高らかに笑う。

 

「ハハハッ、これでわかっただろう? 優男。いい子でいるのは疲れるぞ? 自由に生きれば、お前はいくらでも望んだ生活が手に入る。あんまりグズグズしてると、仲間の羽女もお前と同じ目に合うぜ?」

「羽女だと……?」

「そうだ、エイト。あの銀の髪をした、背中に羽を生やした女の事だよ。優男も言っていただろう? 羽女と優男は同じだ。どっちも《感染》すれば自分の身を守る為にこうするしかなくなる……! 誰だって自分の身が一番大切だからな。優男は勾玉に触れ《感染》した。だからこうなった。羽女も放っておいたらまた手遅れになるぜ? クククッ」

 

そう吐き捨てた李白の身体は、急にすべての力を失い崩れ落ちる。

 

「李白!」

 

泣きながら駆け寄った弥生が、李白の身体を支えきれず一緒に倒れそうになったところを寸でのところで二人まとめて受け止めながら、私は声を絞り出した。

 

「弥生、大丈夫か? 動けそうなら、ひとまず李白を休ませよう」

「……ええ」

 

くすんと小さく鼻を啜った弥生が、私の反対から李白の身体を支えて歩き出す。

しかし李白は一向に目を覚まさなかった。

何かが事切れたように、体中の力を失い眠っているようにも見えた。

 

――上手く頭が働かない。

 

あまりにも今日は、色々なことがありすぎた。

しかし取り急ぎ、目下の後始末ぐらいはしておかなくてはならない。

まとまらない思考をいったん放棄して、私と弥生は二人がかりでぐったりと力の抜けた李白の身体を抱え、彼の部屋まで運んだ。

スズも弥生も守る事が出来なかった私に追い打ちをかけるかのように、彼の体重が想像以上に大きく伸し掛かってくる。

どちらかと言えば華奢な体系をしている李白の身体でさえこれなのだ。

自分の弱さと不甲斐なさを悔やむと同時に、男女の根本的な身体能力の違いにさえ思わずため息の一つもつきたくなった。

 

「李白はこのまま一人で寝かしておいて大丈夫なのだろうか」

 

やっとの事、李白を彼の布団に横たわらせる事に成功すると、私たちは流石にその場に座り込んだ。

暫く呼吸を整えるために大きく息をつき、弥生は額に滲んだ汗をそっと袖の端で拭った。

 

「おそらく大丈夫だと思うわ。寝ている間に封印の重ね掛けを行うつもりだし」

「では、明日の朝までなら大丈夫そうだな。二日連続でヴァレリアが寝ずの番をする必要がなくて良かった」

「……ふふっ、そうね。そう考えると、寝る前に表に出てくれて助かったわ」

 

弥生がくすりと笑う。

暫く休んで息も整い、少し元気が出てきたようだ。

例えそれが空元気であったとしても、笑えないよりはましである。

 

「弥生、すまない。《不浄のもの》から守ってやる事ができなくて」

「そんな、エイトのせいじゃないわ。気にしないで。全部あいつが悪いのよ!」

「しかし――」

「しかしも何もないわ。エイトだって私と同じ女性でしょう? 同じようなことされた可能性だってあったわけだし。あなただけでも無事でよかったわ。力ではどうやったって男の人に勝てない事だってあるもの」

「……そうだな」

「そうよ。悪いのは全部、こいつなんだから!」

 

横たわる李白の顔を一発殴ろうと片手を振り上げて、しかし弥生は手を下ろした。

 

「たとえ李白が今日の事を覚えていたとしても、今日のはノーカンよ。何もなかった。いいわね?」

「……わかった」

「それ以外の事は、とりあえずまた明日以降話し合いましょう。卵の仮封印は済ませてあるから、暫くは落ち着いた時間を取れるはずよ」

 

そこまで言って、弥生がふと思い出したように顔を上げる。

 

「あ。そういえば李白を運ぶのに必死で、感染対策課の電気を消してくるのを忘れてたわ。消してこなきゃ」

「ならば私が行こう。弥生はまだ、最後の仕事が残っているだろう?」

 

弥生には李白が寝ているうちに封印の重ね掛けを行ってもらわねばならない。

どうせ飲みかけの紅茶のカップも残したまま、ここまで来てしまったのだ。

 

――戻って部屋を片づけるついでに電気も消してこよう。

 

そう思い、弥生と別れた後に再び感染対策課へ続く廊下を歩いてゆく。

途中、一つだけ煌々と明かりが灯る部屋を見つけて私は一瞬だけその部屋の前で振り返った。

 

『感染対策課・研究室』

 

この部屋はいつも、夜遅くまで明かりが灯っていることを私は知っていた。

夜のトレーニングで外に出た帰りも、スズが寝付けずホットミルクを入れるためにキッチンを借りる際にも、皆が寝静まった夜更けまで研究室の窓からだけはいつも変わらず電気の明かりが漏れていたのだ。

中には恐らくアイゼとジオリードが居る。

今日もきっと、感染対策に関する研究に励んでいるのだろう。

邪魔をしては悪いかろうと、あえて声をかけずにその部屋の前をゆっくりと通り過ぎる。

中から微かに、アイゼの話し声が聞こえた気がした。

 

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