ジオリードと共に本部に向かおうとするアイゼが、別れ際私たちに言った、
「あなたたちは研究室へ向かって。あそこには、ある程度役立つ物があるはずだから」
その一言を頼りに、私たちはスズを庇いながらひとまず研究室を目指した。
普段アイゼやジオリード以外がほぼ立ち入る事がなかったそこは、常に適切な研究環境を維持するため、外部から余計な干渉を受けないよう細部に渡り様々な設備投資がなされていた。
防音効果もあるのだろうが、その壁はほかの部屋と違い随分と厚く硬い。
それは裏を返せば、外部からの侵入に対しても最大限干渉を受けにくい環境が整っているという証明になる。
もしかしたらこの部屋の部分だけ、建物自体が特殊な作りとなっているのかもしれない。
そんな研究室の入り口にある厳重に閉ざされた二重扉をくぐり中に入ると、広々とした空間がそこには広がっていた。
研究用の大きめの机の他に冷蔵庫のようなものが数台置いてあり、部屋の片隅にはキッチンスペースと本が散乱した書斎のようなものまでがあった。
その上、外部との連絡を取る事ができるパソコンなどの機材も数多く用意されている。
建物のほとんどの電源は先ほど少女達の襲来時に落ちてしまったが、この部屋には非常用電源が備え付けられていたようで、機材を動かすことはすぐにできた。
「暫くはここで様子を見よう」
パソコンを立ち上げながら私が言うと、リネットは部屋の片隅から何か小さな箱のようなものを抱えて戻ってきた。
「ねえ見て! ここに救急用のキッドがある!」
研究で万が一事故が起こった時のために用意されていたのだろう。
救急用の止血剤や薬も用意されていたらしく、一同はほっと胸を撫でおろした。
これで仮に何かあったとしても、ある程度持ちこたえる事ができる。
弥生の聖域展開も暫くはこの建物周辺の敵の侵入を防ぐことができるようで、ジオリードからの指示を待つ間、スズを匿うにはちょうどいい場所だった。
「スズ、少しは落ち着いたか」
「うん……ごめんねエイト。もう大丈夫」
スズはようやく泣き止んだのか、目じりを軽く擦りながら頷いた。
先ほどまでのどこか不安定な様子はもう鳴りを潜め、しっかりと意識を保ったまま窓の外を見ている。
窓の外では感染対策課から飛び出したネビュラとノアールが、押し寄せる少女たちの群れを軽快にさばいていた。
「さすが即戦力と言われていただけはあるな」
ひゅう、とヴァレリアが口笛を鳴らす。
その横でもしもの時のためにと、弥生は李白に封印の重ね掛けを再度行っていた。
「何か起きてからでは遅いわ。念には念をいれておかないと」
「ありがとうございます、弥生」
そこにジオリードと共に姿を消したと思っていたアイゼが、手に携帯電話のような物をいくつか持って戻ってきた。
「ジオに言われたの。何かあった時のために暫く持ち歩いてる方がいいんじゃないかって」
アイゼはそれを一人一人に配ると、一通り使い方を説明してくれる。
「これは私たち【Fizz】専用のエニグマフォン。簡単に言うと暗号型通信機。あらゆる物からの傍聴を遮断して多人数が同時に会話ができる、私たち専用の携帯電話みたいなものだと思ってくれるといいわ」
掌に収まるほどの小型携帯電話のようなそれは、スライド式の蓋を開けるとシステムが自動起動し、手をかざす事で持ち主の《色》と呼ばれる所謂属性を登録できる仕組みらしい。
魂の色とも言われるそれは、私たちが普段使うVS能力にも少なからず存在しており、このエニグマフォンはVS能力を持つ者が《可能性》を消費することでシステムが稼働し、通信が可能となるという。
私たちは一人ずつ配られたエニグマフォンにそれぞれ自分の手をかざし《色》を登録した。
大抵の人は赤・青・黄・緑のどれかに分類されるらしかったが、私のディスプレイには白とも灰色とも判別つかない、不思議な色の丸が表示されていた。
「私の色はなんだ…?」
「それは無色ね。どの色にも属さない、いわゆる無属性」
アイゼが私の画面を横から覗き見る。
そんなアイゼの画面には、緋色の丸が表示されていた。
「暫く放置していた物だけれど、動きは大丈夫そうね。以前有事の時の為にとジオと二人で独自の連絡手段を開発していたの。ダーザインにも連絡手段はあるし、私たちも普通にスマートフォンを持っているけれど、壊れやすい上に電波の受信が悪くなるとすぐ使えなくなるから。その分、この受信機は頑丈よ。白い鳥の殻として使った成分を応用して作ったの。落としたり投げつけた程度では早々壊れたりはしないわ。それに《色》の登録を行う際に、VS能力を持つ者なら一緒に自身のVS能力とも紐づけられるわ。そのおかげで、僅かな《可能性》を消費すればいつでもこのエニグマフォンを起動させることが出来る……もし万が一、私たちが分断されるような事があればこれを使って連絡して」
「おっさん達……本当に何から何まで先を見越して動いてたんだな。研究してるとは言っても、普段何してんのか全く俺にはわからなかったぜ」
「不測の事態に備えていただけよ。私も一応、爆発事故で一度は死んでいる身だもの、物は便利で頑丈に越したことはないというだけ。……こんな物も必要なければよかったんだけど」
エニグマフォンの表面を撫でながらアイゼが独り言ちる。
それでも私は、アイゼ達がエニグマフォンを用意しておいてくれた事に心から感謝した。
スズを守るうえで、力不足だと感じる出来事がここ数日多発している。
私一人の身で守る事が出来ないのなら、他を頼らざるを得ないだろう。
「しかしこれだけの事が起きているのですから、世間ではパニックが起こっていないのでしょうか」
弥生の封印の重ね掛け作業が終わり、ヴァレリアと共に窓の外を見上げた李白がぽつりと零す。
李白の率直な疑問を前に、私は先ほど付けたPCで直近のニュース記事を手あたり次第調べてみたが、かろうじて見つかったのはつい先ほど、少女たちが出現したと思わしき時間に「震度4を観測」といった地震の記事のみで、ほかに関連しそうなものは一つもみつからない。
SNSにも少女たちの群れや多数の穴が出現している様子は何一つ上げられてはいなかった。
――何かがおかしい。あの空気の揺れや振動は、この程度のものだったのか……?
私はこの奇妙な現状に、酷く胸騒ぎを覚えた。
スズのプリスターが作動するほどの大きな危機のはずだ。
地響きのような空気を切り裂く悲鳴も、その空気の揺らぎも、ただ事ではなかった。
《穴》も一つどころではない。
感染対策課の窓から仰ぎ見たすぐ近くの空には、いくつもの黒い空洞がその姿を現していたのだ。
ここ以外の場所でも、同じようなことが起きていてもおかしくはない。
それなのに。
「なぜ、これだけの事が起きているのに酷い騒ぎになっていない……?」
不思議に思ったその時、アイゼが声を上げた。
「ジオから連絡が入ったわ! みんな、通話を繋げる?」
その声を皮切りに各々が急いでエニグマフォンの蓋をスライドさせた。
システムには一件の通信連絡が入っている。
「皆聞こえるか、私だ」
「こちらエイト。私たちは全員無事だ。ジオリード、そちらは?」
「ああ、こちらも今は問題ない。先ほどダーザイン本部に確認を入れた。感染対策課前と同じく、上空に無数の《穴》が出現し多数の少女の姿の《現象体》が観測されている。しかもこちらは上空だけではない。机の引き出しや本部の建物内にある行き止まりの踊り場等、《穴》を開けやすそうな場所にもいくつかの《穴》が発見された。上空と同様に、例の少女の姿の出現も確認されている。その数、合わせて五百程」
「五百体も……!?」
リネットが驚きの声を上げる。
「とはいっても、一つ一つの個体の力は極めて弱い。本部には多数のバースセイバーも在籍している上、偶然Sランク級の部隊が複数居合わせた事もあり対処も早かった。今はその《現象体》も鎮圧済みかつ《穴》も閉じ終わっている。……まだその名残で辺りは騒がしいがな」
「それならよかったわ……」
ほっと胸を撫でおろした弥生の隣で、李白は確認を取る様にジオリードに声をかける。
「ジオリードさん、今回の件で特に巷ではパニックは起きていないのですか? 一般の方々の身が心配です」
「その点についてはどうやら問題ないようだ。というのも今回のこの《穴》と少女の姿をした《現象体》の群れの出現は、どうやらダーザイン本部の極めて周辺だけに起こった出来事らしい。他の建物への被害が一切見られないところからみても、どうやらターゲットとされたのはダーザインという組織なのだろう。感染対策課のあるそちらの建物周辺も、全てダーザインの管轄下のものだ。他に被害は出ておらず、本部側ではもう事態をほぼ収束できている。反対にそちらはどうだ?」
「感染対策課前の《穴》はネビュラとノアールが対処に当たってくれている。見た所、力の差は歴然としていて問題ない。この分だと二人が終息させるだろう」
窓の外で少女の群れを裁く二人の姿を見て、私はジオリードに問うた。
「私たちは今、一応スズの身を守る為に研究室に身を潜めている。指示を仰ぎたい」
「なるほど、そこは確かに安全だ。暫くスズと隠れてそこに居ろ。……と言いたいところだが、今一時鎮圧が済んだとしても、例の少女の《現象体》の大元となるものを処理しなければ、また再び同じことが起こる可能性がある。【T=/M+】ニュートラル・ミスティックの森のほとりで見かけたというその、幼いスズとよく似た少女……あれがやはり大元の存在なのだろう。危険は十分承知しているが、今はそうも言ってられまい。その少女を探せ。場合に寄ってはそれも大きな《感染源》となりうるだろう。その場合、やはり私たちの手で処理しなければならない」
「了解した。では向かう先は【T=/M+】ニュートラル・ミスティック」
「ああ。ネビュラとノアールの仕事が片付き次第、森の入り口で落ち合おう。……スズの警備は怠るな」
「わかっている。この命尽きるまで守ろう」
「エイト、だからって死んじゃだめだよ……!」
スズが慌てたように私の腕を掴む。
「もちろんだ。その為に、スズも力を貸してくれ」
「うん……!」
こうして少女の群れを殲滅したネビュラとノアールと合流した我々一行は、《穴》の後処理をダーザイン本部に任せ、T=/M+】ニュートラル・ミスティックへと向かい、ジオリードと合流を果たした。
夜の【T=/M+】ニュートラル・ミスティックも、それはそれはとても美しい場所だった。
森のほとりに辿り着いた頃には陽は既にすっかり落ち、満点の星空に白い満月が昇っていた。
湖の水面にはそんな幻想的な風景が、幾度となく波打ち浮かぶ。
その湖に映りこむ月の上に、その少女は居た。
「やっときたのね」
銀の髪に赤い差し色の一房が、夜風に舞い踊る。
目の前に佇む少女は、齢十五前後のスズそっくりな姿をして私たち一同を迎え入れた。
「何度見てもスズそっくりだわ……」
弥生がしみじみとそう呟く。
その声を聞いてか聞かずか、スズが意を決したように一歩前に出て少女に問うた。
「あなたでしょう? 私に何度も声をかけてきたのは。あなたは一体、何者なの……?」
スズの問いかけに、目の前の幼い少女は憐みの目を向けて嗤う。
「本当に、覚えていないの? ――もう薄々、気が付いているんでしょう?」
嘲笑気味に吐き捨てた少女が、次の瞬間スズに対する憎しみを隠そうともせず、声を震わせ戦慄いた。
「わたしは、あなたが捨てた不安や悲しみ、悪意の煮凝り。あなたは五年前、絶望に満ちた誰も居ない寂しいあの世界に、たった一人わたしだけを捨ててあの《穴》に飛び込んだ。そしてわたしの大好きな人と仲間に恵まれ、綺麗事だけを並べて今も呑気に暮らしてる。許せない……!」
スズの青い瞳とは対照的に、燃えるような少女の真っ赤な瞳が大きく見開いた。
「わたしは五年前、オラクルネストで卵の《感染》を受け、どうにかして助かる術を見出そうとした。……あなたは何も気づいてなかったかもしれない。でもプリスターは、翼はちゃんと気づいてた。卵の瘴気に晒され続けたあなたの身体は、もう自我を保っては居られなくなってきているって。だからあなたは、わたしを分離したの。神の御使いとしての使命を果たすため、そして卵の《感染》から逃れるために自らの悪い部分だけを寄せ集めて、切り離して《現象体》を生み出した。そして《穴》を通る間際、オラクルネストにそれを捨て置いたの。……そうして生まれたのが、ここに居るわたし」
ぼろぼろの翼を背に広げ、少女は悲しそうに笑った。
「オラクルネストに残されたわたしは、ただ一人《世界》の終焉を見守るしかなかった。だって《現象体》なんだもの、何もできる訳なかった。荒れ果て朽ちていくその世界で、負の感情のみが《感染》したことでわたしは唯一生き延びた。同じく負の感情に蝕まれたその《世界》と、偶然にも共存することができたから。そして衰滅したその《世界》でわたしは卵と出会ったの」
少女はすぐ傍にある、仮封印された卵を見やる。
「卵は言ったの。《可能性》さえあればどんな願いだって叶うって。でもわたしは絶望、悲しみ、苦しみ……生まれた時からずっと負の感情しか知らない。綺麗な望みを願いたくても、わたしには一欠けらだってそんなものは残されていなかった。だから……願えなかった。かわりに憎悪だけが、ただひたすらに胸に渦巻くようになっていった。……ずっと一人で寂しかった、苦しかった、辛かった! だからわたしは願えないかわりに、何もかも持っているあなたから奪うことに決めたの。綺麗だったはずの心も、幸せも、居場所も、その存在も! その為だったらなんだってする」
そう言って少女は静かにスズを指さした。
「わたしが一体何者なのかと問うのなら何度でも教えてあげる。わたしの名前はマリスベル。……あなたの負の感情のみを背負った《幾星霜の悪意》」