「少しは思い出してくれた? あなたのした事」
自らをマリスベルと名乗った少女が、水面に映る月の上でほくそ笑む。
スズはその少女の前で、顔面蒼白のまま力なく押し黙った。
「ひどい話だよね、スズ? 全てはあなたが始めたことなのに、当の本人は何一つ覚えてないなんて。でもさすがにもう思い出したでしょ? 《災厄》でオラクルネストの民が沢山死んで、辛かったあの頃を。神の御使いの重圧が常にのしかかって、苦しくて逃げ出したかったあの日々を。一生懸命気丈にふるまってきたけれど、そうは言ってもわたし達はまだ幼かった。全然平気じゃなかったって知ってるよ? だって、その感情こそがわたしだから!」
「……っ」
「前を向くためなんて綺麗事を言っても、あなたが抱えきれない負の感情をオラクルネストに残して行ったのは本当の事。そして何も出来ないくせに、理想だけを掲げて生きてきたの。わたしにとって、たった一つの心の支えだったエイトまでも奪って」
そう言って私を見つめる少女と視線が合う。
出会った頃のスズをそのまま模したような、幼げな少女が悔しそうに俯いた。
こんなに自分の気持ちを露にするスズを、わたしは今まで見たことがない。
だが、この醜い想いを顕著に表へと出すマリスベルの姿こそが、本来のスズの一部なのだろう。
可哀そうにと頭を撫でてやりたい衝動にかられたが、しかしスズと仇成す者となるならば、その存在を簡単に許すことも出来ない。
「……お前は一体スズをどうしたい」
「簡単なことよ、エイト。スズなんて消えてなくなってしまえばいいの。そしてわたしがかわりにスズになる。わたしだって神の御使いの一部だよ? 神託だって、また降りてくるかもしれない。今度はわたしがスズになって、エイトと一緒にいろんな《世界》に行くの!」
「それは無理だスズ。だってお前はもう卵の負のオーラに染まり切ってしまっている。おまえが今、他の《世界》に赴けば、おまえ自体が《感染源》になってしまうだろう」
私が言うと、マリスベルと自らを名乗った少女は一瞬たじろいだ後に、小さく頬を膨らませてそっぽを向いた。
「……わたしの名前はマリスベルよ。スズじゃないもん」
「わかっている、お前はスズだ」
「――っ! だからっ、もう違うって言ってるのに!」
「いいや、スズだ。この頑固さは間違いなくスズだ」
「「へっ……!?」」
目の前のマリスベルと、隣で白い顔をしていたスズが、びっくりしたように一斉にこちらを見た。
「ほら、やっぱり同じじゃないか」
私は思わず、喉の奥で小さく笑ってしまった。
「お前はスズだ。私があの頃気づけなかった、心の内に潜んでいたスズだ。気づいてやれなくてすまない」
「…………っ」
どうすれば、この幼い少女の心を解きほぼしてやれるのだろう。
頑なに内にこもってしまった小さなスズ。
それを目の前にして、どうしようもない後悔と、己の力のなさを痛感する。
必ず守ると決めたのに、私は今まで半分のスズですら守り切る事が出来ていなかったのだ。
それがどうしようもなく悔しかった。
――守ると言って、救われていたのは私のほうだったか。
隣に佇む十八歳のスズは、この目の前に居る醜い自分を押し殺し、少しでも私に負担をかけないようにしながら生きてきたのだ。
本当はこんなにも傷ついてばかりいたのに。
「……そんな事言って、エイトはスズを守りたいだけでしょ!?」
「もちろん私はスズの守護者だ。わたしにはスズを守る責務がある。だが……お前だってスズの一部だろう?」
「そうよ! そうだった……! でももう今は違う……わたしの名前はマリスベル。エイトがスズを守るというのなら、わたしはあなたの、そして《世界》の敵になる……っ!」
ぼろぼろの黒い翼を大きく広げ、少女は空高く舞い上がった。
「エイトならわかってくれるかもって、ほんの少しだけ思ってた……でも!」
両手を広げ、卵によく似た禍々しい黒い瘴気をその身に集めたマリスベルは言い切った。
「スズの味方をする人は、わたしにとって全員敵よ……! わたしはスズを許さない、全て奪うって決めたんだから!」
「スズ! やめるんだ!」
「もう遅いよ……! 誰もわたしの事を守ってくれないこんな世界なんかいらない…! スズも、エイトも、みんな消えちゃえばいい……!」
刹那、黒い瘴気がまるで衝撃波のようにあたり一面へと広がった。
隣でスズが顔を覆ったまま、その身を隠すように小さく声を上げた。
「きゃっ……!」
共に風圧で吹き飛ばされるように二メートルほど退陣した後、なんとか踏みとどまり前を見る。
しかしその頃にはもう、マリスベルは虚ろな瞳に闇を湛え、次の手を打っていた。
先ほど《穴》から出てきた無表情な少女の群れ――《現象体》があちらにも、こちらにも姿を現したのだ。
「わたしが居ると知ってここに来たんだから、生きて帰れるなんて思わないでね? 逃がす気なんてないんだから」
そう言うな否や、瘴気を纏った黒い羽がまるで大きな両腕のように形を変える。
「死んじゃえ……!」
憎悪を込めた嘲笑を浮かべ、マリスベルが黒い両腕を勢いよく振るった。
私はそれを左手に持ったコンバットナイフでなんとか薙ぎ払い、スズの身を守る。
「スズ、下がっていろ」
「エイト、でも……!」
「狙いはスズだ、わざわざ的になりにいく必要はない」
「そんな……」
「ふうん……やっぱりエイトは、スズを庇うんだ」
面白くなさそうにマリスベルがこちらを見やる。
しかし暫くすると何かを閃いたように、ぱっと手を叩き微笑んだ。
「そっか! スズを一番苦しめるなら、他の人からやっちゃえばいいってことだね?」
「え……」
スズが凍り付いたように動きを止める。
その姿を見て満足したのか、マリスベルはけたけたと笑いながら羽の両腕に力を込めた。
そしてなんの前触れもなく、まるで一思いに息の根を止める為だけに、その黒い両腕でリネットと弥生を襲った。
「駄目えええええええええッ!」
刹那、スズのプリスターから眩い光が放たれる。
光は亜光速のごとき速さでリネットと弥生を包み込み、光の魔防壁となって間一髪の所でマリスベルの攻撃をはじき返した。
しかしすぐ後ろには、第二陣として《現象体》の群れが襲い掛かってきている。
「リネット! どけ……!」
咄嗟にヴァレリアがリネットを庇うようにその身を投げる。
「ヴァレリア、腕がっ」
「こんなもんかすり傷だ。リネット、混合魔法いけるな!?」
「う、うん!」
「あのうざったい《現象体》の群れを俺らで蹴散らすぞ!」
「よしきた! ドンドコドーン!」
いつもの調子を取り戻したリネットが襲い来る少女の群れを暴風で吹き飛ばし、ヴァレリアはそれらをまとめて魔法で氷漬けにしていく。
二人合わせて『氷嵐の双術師』と言われる彼らの本領発揮といったところか。
ヴァレリアとリネットに《現象体》の足止めを任せると、残りのメンバーはやっと腰を据えてマリスベルと向かい合う事ができるようになった。
しかしマリスベルはここにきても、攻撃の手を緩めるつもりはないらしい。
「こっちが駄目なら、次はあんたよ!」
再び黒い羽が禍々しい二つの腕に姿を変えると、今度は弥生に向かって振り下ろされる。
しかし咄嗟に李白が弥生の手を引き、叫んだ。
「弥生に手出しはさせません……!」
「李白!」
「わたしが時間を稼ぎます。弥生。一時でもあの少女を封印する事はできますか?《現象体》の数が多すぎて、このままではいずれ騒ぎが起こります。周囲の人里まで影響が出てしまう恐れが」
「封印用の護符と霊水はわずかだけど残ってる。でも、結界を張るには時間がかかってしまうかも」
「時間は私が稼ぎます、弥生。ですから」
「……わかった、やってみるわ!」
弥生が懐に手を入れ式紙を取り出すのを確認すると、李白は竹笛を取り出し独り言ちた。
「……《不浄のもの》よ、今一時、あなたの力をお借りしますよ……!」
李白が竹笛に唇を添えると、すうと息を吸い込む。
その時、殺伐とした森のほとりに清らかな一筋の笛の音が響き渡った。
全てを浄化するように発せられたその音色に、誰もが一瞬、我を忘れて息を呑む。
「何……?」
マリスベルが一瞬怪訝な顔をし、一歩後ずさった。
どうやら清涼な笛の音は、悪意の塊であるマリスベルにとってあまり心地よいものではないらしい。
マリスベルが怯んだ姿を確認した李白は、その隙に笛口の下についている勾玉にそっと触れた。
勾玉はまるで驚いたように勢いよく反応を示し、李白の身体を取り囲むが如く、禍々しい空気が彼の身体の周りを包み込んだ。
「李白! あなた一体何を……!?」
弥生が気づいた頃にはすでに遅く、李白の意識はもうなかった。
代わりにその身を《不浄のもの》へと明け渡していたのだ。
「クククッ、まさかこんな所で俺様の出番が回ってくるとは思わなかったぜ。なぁ優男? あの女が封印術の重ね掛けをするもんだから、暫く表に出られる機会もそうないと思ってたのに。まさか自ら勾玉に触れて俺様を呼び出すなんて、狂ってるぜ。……まあいいだろう。俺様の予定とはだいぶ変わっちまったが《可能性》が貰えるならなんでもいい。優男、お前の願いを叶えてやろう! この女が封印術を唱え終わるその時まで、俺様があの黒羽女の相手をしてやる」
「なんですって!?」
「安心しろ、女。俺様はお前に危害は加えない。それが優男の望みだからなァ! 優男の望みを叶えて《可能性》をいただき、この身を出て俺様はすぐそこにある卵と融合する。我ながら良い手だ」
クククッと笑い、そして《不浄のもの》は大きな声で叫ぶ。
「さぁグズグズしてる時間はないぞ女! 今一時、俺様と共闘だ! 優男の身体が駄目になる前に、とっとと封印術を完成させることだな!」
「なによ……散々酷いことしてきたあんたにとやかく言われたくないわよ! いいわ、やってやろうじゃない! 私の術式が完成するまで、なんとしてでも無事でいなさいよ……!」
「はっ、誰に物言ってやがる! 相変わらず気の強ぇ女だ……!」
マリスベルとの間に立ちはだかるようにして立つ李白の姿を尻目に、弥生は霊水を取り出す。
「光明真言……祓え給い、清め給え、神ながら守り給い、幸え給え……急急如律令、演舞式紙! 水の陣!」
弥生の言葉に反応し、淡い光が辺りを照らす。
その光に照らされて自立飛行し始めた式紙達に向かい、弥生は霊水を振りまいた。
「さあいきなさい! あの子をこの地に縛りつける結界を貼るのよ!」
式紙達が躍る様に東西南北、まるでマリスベルを囲うように辺りへと散ってゆく。
その様子を確認すると、今度は《不浄のもの》に取り憑かれた李白が、にやりと笑いマリスベルの方を見た。
「ご愁傷様だなァ、黒羽女」
「……あなた、誰?」
「俺様はお前は同じように負の感情を寄せ集めて作られた存在だ。似た者同士、仲良くやろうぜ? クククッ。まあ、今は敵同士だがなァ!」
竹笛を武器に、李白の身体がマリスベルに襲い掛かる。
「穢れ者同士、頂上決戦だ!」
「……わたしをあなたと一緒にしないで!」
李白の禍々しい瘴気を纏った竹笛と、マリエベルの黒い羽で出来た両腕が力の限りせめぎ合う。
母体となる卵の力の差が歴然としている為か、マリスベルの攻撃のほうにやや分がありそうな展開に見えたが、李白の身軽な身体を使いこなし《不浄のもの》は手数で攻めた。
「オラオラオラァ!」
「……っ、なんなのよ、邪魔ね…………!」
苛立ちを隠せなくなってきたマリスベルは、翼を元に戻して一歩引くと距離を取って反撃を開始した。
「ちょこまかと煩かったけれど、これならどう? その竹笛じゃ、ここまで届かないでしょ!」
黒い羽の先を尖らせ、その羽を疾風のごとく李白に向かい打ち込む。
何本もの矢を連射されるように打ち込まれたそれは、少しずつじわじわと李白の身体に傷をつけ、彼の体力を奪っていった。
「ひと思いには殺せないけれど、これはこれでいいのかもしれないね? スズ」
「ベル……お願いやめて! あなたの狙いはわたしでしょう?」
ついに膝をついた李白の身体の前で、スズが彼を庇うように両手を広げた。
攻撃する意思は無いのだと、丸腰のままで。
「羽女! なんのつもりだ!」
《不浄のもの》が忌々し気にスズをみやる。
しかしスズは一歩も譲れないと言ったように首を横に振り、跪くとを光の力で傷ついた李白の身体を癒す。
「李白さん、もうやめよう。あの子の目的ははわたしだよ。これ以上、誰かが傷つくところなんて見たくない」
李白の傷の手当てを終えると、スズはゆっくりと立ち上がってマリスベルを見た。
マリスベルはそんなスズを、気に入らないといった表情でねめつける。
「相変わらず、随分と都合のいいことばっかり言ってるのね、スズ」
「……ごめんね、ベル。わたしが沢山の人に守られて、そして自分の思うまま生きてきた事に反論できるなんて思ってないよ。わたしはきっとベルを犠牲にして、そして今まで何も知らずに生きてきたんだ。オラクルネストも救えず、神の御使いの役目も果たせず、そして今も仲間を散々犠牲にしてここに居る。でもね、こんな出来損ないなわたしだけれど、一つだけどうしても譲れない想いがあるんだ」
マリスベルとは対照的に、瞳に青い炎を小さく揺らめかせスズは断言した。
「わたしはあなたを救いたい。仲間も、ここに生きている人も、《世界》も、全てを救いたいと思いながら生きてきた。だからもしわたしが消える事であなたと仲間を救えるのなら。それならここで、消えてしまってもいい」
はっきりと己の想いを告げたスズが、意を決したように一歩、また一歩とマリスベルの元へ向かい歩いていく。
その姿に驚いたのか、たじろぎ、マリスベルは慌てて羽を広げると逃げるように空へ舞い上がる。
しかしスズは怯まない。
力強く白い翼を広げると、地を蹴り、同じように空高く舞い上がった。
「……やめろ、スズ! やめるんだ!」
「ごめんね、エイト。わたしが頼んで一緒に今まで来てもらったのに。でも何も出来なかったわたしに今、やっと出来る事がみつかったの」
スズは今までより幾分穏やかな顔で、湖のさざ波に耳を傾けながらそっと瞳を閉じる。
「いままでありがとう、エイト。わたし、あなたと一緒に過ごせて幸せだった。そしてみんなも。こんなわたしを守ってくれてありがとう。でももうそれも終わり。さあベル、わたしという存在をあなたに返すね」
「何よ……あなたって本当に嫌な奴! そうやって最後まで自分だけお綺麗な存在のまま、わたしを悪者にするのよ……!」
「そうだよベル。わたしはあなたを悪者にしてしまう嫌な奴。だから躊躇う必要はないの。だからあなたも、幸せになって」
スズはベルの元へ寄り添い、その頬にそっと触れると涙を流しながら謝罪した。
「今まで……ほんとうにごめんね。小さい頃のわたし」
スズの目尻からこぼれた涙が、月明かりに照らされてポタポタと湖へと落ちる。
それは水面にいくつもの波紋を作り、どこまえもどこまでも広がっていった。
私はそんな空の上の出来事を、成すすべもなく下から見守ることしかできなかった。
――必ず守ると誓ったのに。
しかし今の私には、スズも、マリスベルすらも救ってやれる力がない。
たとえ空を飛べたとしても、わたしは一体どちらを守れば良いのか、その結論すら出せずにいた。
「もうすぐ弥生の結界術が完成しちゃう。だから急いで、ベル」
「……っ!」
スズの一言にマリスベルは我に返ったように踵を返す。
しかしその一瞬の隙を、ジオリードは見逃さなかった。
「勝手にここで終わらせられては困るな! このままスズを渡しはしないぞ――ブラッドバインド!」
ジオリードの叫びと共に、血のように真っ赤な炎がマリスベルの身体を包む。
炎の鎖でその身を拘束されたマリスベルは、唐突に体を襲った熱さと痛みに耐えきれず、鈍い叫び声を上げのたうち回った。
驚愕に目を見開くスズの足元で、緋色の瞳を煌々と光らせてアイゼも叫ぶ。
「あなたの都合で勝手に死なれては困るわよ、スズ! 人ならざる血よ……私に一時、人ならざる力を! イグジラレイション!」
その瞬間、アイゼの身体がしなやかに宙を舞った。
人間には到底不可能な高さまで跳ねたその身体が、スズを横抱きにしてマリスベルの前から姿を消す。
「よくやったアイゼ!」
ジオリードが叫んだ頃には、アイゼはスズを抱えたまま颯爽と地に戻り、その身をそっと地面へと降ろしていた。
「スズ。あなたがすべてを守りたいと願うその姿は美徳だと思うけれど、それで悲しむ人間がいることを忘れているんじゃなくて?」
咄嗟にスズの元へと駆け寄った私をみて、アイゼは言う。
「しっかりしなさいエイト。このままでは本当に取り返しのつかない事になるわよ」
「……すまない」
「貴女の守るべきものは何? スズを守りたいのなら躊躇うのはやめなさい。その躊躇いが、スズにとっても貴女にとっても命取りになるわ」
容赦なくそう言うと、アイゼは己の尖った指先をマリスベルの前で構える。
ジオリードの放った炎の鎖からようやく抜け出したマリスベルは、ボロボロの羽を引きずりながら忌々しそうにこちらを見た。
「スズが犠牲になる以外にも、あの子を救う道はきっとあるはず。弥生の結界が完成すれば、マリスベルの身体を一時的にこの地に拘束することができるわ。その間に私達は新たな手段を考える時間が取れるはず」
私とスズははっとして顔をあげた。
「諦めるのはまだ早いわよ!」
そう言い残し、先手必勝とばかりにアイゼはマリスベルへ向かい駆け出す。
ジオリードの炎の鎖の影響なのか、思うように自分の力を出すことができないマリスベルは、アイゼの執拗な攻撃をかわす事で暫し精一杯の様子だった。
「ジオリード様が一時的に少女の力を抑える術を施したのですね。大したものです」
ほっほと笑い声をあげながら、後ろからノアールが合流する。
更にその後ろからはヴァレリアとリネットに回復魔法をかけ終わったネビュラと、遅れてジオリードもこちらに向かって駆け寄ってきた。
「はーっはっはっはー! 楽勝楽勝! これぐらいの傷なら全部ネビュラ様にお任せだよー!」
「まったく頼もしい限りだな」
「まあまかせてよ、肢体切断とかそんなでもならない限り、立て直すことはできるはずだから」
ネビュラが気合を入れたように拳を叩く。
「だから今はあの子を、全員総出で全力で止めよ! いい? みんな!」
ネビュラの掛け声で、一同は顔を見合わせ頷いた。
スズも、私も、一縷の望みにかけてマリスベル捕縛に全力を注ぐ。
そんな一致団結した姿を目の当たりにして、マリスベルは激しく怒り、地団太を踏んだ。
「そうよね、あなたって子はいつもそうだった……! 死を受け入れたその時も、あなたのまわりにはいつも引き留めてくれる人がいる……! 許せない、許さない……あああああああやっぱりわたしが殺すしかないんだ! スズ!」
抑えきれない怒りを前に、マリスベルはうめき声をあげた。
「一人だけ幸せになるなんて、絶対絶対許さない……! 卵よ、力を貸して…!」
醜い嫉妬を糧に負のオーラを増幅させたマリスベルは、あろうことかその禍々しい瘴気の塊を、李白に狙いを定めて放つ。
「何をしやがる、この黒羽女……!」
「ふん、出来損ないの卵が出しゃばっても意味ないんだから……!」
勾玉の負のオーラで満たされていた李白の身体は、そこに溢れる程のマリスベルの穢れを受けて正気を失ってしまったらしい。
突然雄たけびを上げた李白の身体は、暫し抵抗するように悶え、やがてゆらりと踵を返しこちらを見る。
《不浄のもの》が一度暴走をし始めると、それを皮切りに状況は一変した。
「クッ………クックックッ、お前ら生きて帰れると思うなよォ!」
「くっそ、こんな時に暴走かよお前! 何度俺らに迷惑かけりゃあ気が済むんだよ……!?」
《現象体》の足止めをしていたヴァレリアに突如襲い掛かる李白の肢体。
それをなんとかかわしながら、ヴァレリアは《現象体》の足元へ氷の雨を打ち込む。
「ちっ……氷漬けにまでする時間がねぇ。このままだとそのうち《現象体》どもを抑えきれなくなるぞ!」
「わたしも、李白さんに当てないように暴風も突風も出せないよ! 一体ずつ処理してたら手が回らなくなる!」
「加勢しよう。私が李白の身体の動きを奪う!」
ジオリードが詠唱を始めると、今度はマリスベルと対峙していたアイゼが小さく呟く。
「まずいわね……」
見れば段々アイゼの動きに切れがなくなり、マリスベルの攻撃をよけきれなくなってきている。
「私の身体能力強化の時間もそろそろ切れるわ。そうしたら最後、暫くの間立て直すのは難しくなる。エイト、代わりにいける?」
「了解した」
武器を手に構え、私はマリスベルを見据える。
仲間たちのおかげでやるべき事が決まった為、私はマリスベルとの戦いにようやく集中できそうだった。
――殺しはしない。殺させはしない。
スズも、マリスベルも。
二人を守る為に、私は今、マリスベルを捕縛しなければならない。
そのためには弥生の力が必要だ。
彼女がこの地に結界を貼り終わるまで、なんとか耐えなければならない。
「――なんだ、結局エイトもわたしと戦うんだ」
「なんとでも言うがいい。これが私なりの、スズと、お前の守り方だ」
「そう……」
「わたしも支援するよ、エイト! もう誰も、死なせはしない……!」
「頼んだぞ、スズ!」
顔を見合わせ頷く。
その様子が気に入らないのか、マリスベルはとうとう耐えきれないと言わんばかりに両手で頭をかきむしる。
「どいつもこいつも……守るって言ったのに、救いたいって言ったのに、結局最後に犠牲になるのはわたし! スズじゃない! なんで……? なんでなの? わたしの何がそうさせるの? ひとりぼっちは嫌……ただわたしを受け入れてほしいだけなのに……!」
絶望に染まったマリスベルの想いが《現象体》となり姿を現す。
「ちょっと! 数が多いよ……!」
「李白の拘束が切れる! 今のうちに少しでも奴らをさばいてくれリネット!」
痺れを切らしたジオリードが叫んだ。
だがしかし。
「ごめんジオさん……もう魔力がない」
「何!?」
玉切れだと言わんばかりに何も出てこない指先を振り、泣きそうな顔をしたリネットがぺたんと座り込む。
ずっと暴風を打ち続けて、もはや立ち続ける体力すら残っていないようだった。
「スズ! ネビュラ! どっちでもいい、リネットの回復を――」
ヴァレリアが助けを求めて振り返ろうとしたその時。
「あんた達はもう用済みだから、邪魔しないで」
マリスベルが片翼を黒い腕に代えて、無遠慮にヴァレリアの腹の横を貫いた。
瞬間、血を吹き出しヴァレリアが倒れる。
「……え…嘘…ヴァレリア! ねえ返事してよ! ヴァレリア! ねえってば!」
座り込んだままのリネットが、途端に声を大にして叫ぶ。
しかしヴァレリアは動かない。
「いや……いやだあっ! 誰か、誰かヴァレリアを助けて……」
そこまで口にして、最後の力を使い果たしたのかリネットはその場で気を失った。
「まずは二人」
マリスベルが嬉しそうに倒れたヴァレリアとリネットの姿を見やる。
その光景に衝撃を受け茫然と佇む私たちの中で、誰よりも早くネビュラが動いた。
「大丈夫、まだヴァレリアは死んでない! ノアール! 援護して!」
「お任せください、お嬢様」
マリスベルの前に立ちはだかったノアールに背を任せ、ネビュラは駆け出した。
「さっき言ったでしょ!? 肢体でもふっとばない限り立て直す事はできるんだから! だからヴァレリアは私にまかせて! そのかわり誰か、リネットを!」
「リネットなら無事だ」
ジオリードがリネットを抱きかかえ私達の元へ戻ってくる。
ジオリードの腕の中では、血の気の引いた青白い顔をしたリネットがぐったりと横たわっていた。
「リネット……っ、今、支援します!」
そう言って駆け寄ったスズがリネットの身体に手をかざし、プリスターから集めた光のエネルギーを注ぎ込む。
「幾星霜紡ぐ、聖なる慈しみよここに……! ホーリーイアシス!」
幾重にも重なる淡い光が、少しずつリネットの身体に染み入るように傷を、そして体力をも癒していく。
しかしそんな平穏もつかの間の事、暴走する《不浄のもの》が後ろからジオリードを襲った。
「危ない! ジオ……!」
咄嗟にアイゼが、ジオリードの身体を突き飛ばす。
その代わりに、無防備なアイゼの身体は禍々しい縦笛に力強く撃ちつけられた。
「ハハハハ! くたばりやがれッ!」
狂った笑い声をあげた《不浄のもの》の前で、アイゼの美しい体がゴム毬のように跳ねる。
ジオリードは彼女に向かい手を伸ばしたまま、大きく瞳を見開いた。
恐ろしい既視感が彼を、そして私達を襲った。
「貴様……よくもアイゼを……!」
怒りに体を戦慄かせるジオリードをよそに、李白の身体は傍に落ちたアイゼの身体を片足で蹴り上げる。
ジオリードは激高した。
群がる《現象体》を蹴散らし、なぎ倒し、そうして転がされたアイゼの元へと駆け寄るとその身体を抱きしめた。
息はあるようだったが、美しい体のいたるところに赤黒く血だまりが出来ている。
「これで三人目、だね?」
マリスベルはそう言い捨てると、今度は李白の方を見て嗤った。
「お疲れ様《不浄のもの》、あんたももういらないっ」
そう言うと、李白に溢れんばかりに注いでいた負の瘴気をマリスベルは手元へ戻す。
ふと糸がきれたように、李白の身体はかくんと生気を失いその場に倒れた。
「はいこれで四人目」
「――――許さん、許さんぞ……!」
ジオリードが声をあげて、マリスベルへ向かっていく。
しかしその身体を黒い翼の羽ばたき一つで吹き飛ばすと、マリスベルは片翼でジオリードの腕を貫いた。
「うるさいなぁもう……いつまでも出しゃばらないで」
「ぐあああああ……っ」
「ごれで五人目。魔導士の処理は楽でいいね、魔術を使う口を衝撃波で塞いで、魔法を出す腕を使い物にならなくしちゃえばいいんだもん」
そう言ってほくそ笑んだ。
ネビュラがヴァレリアの治療を行う最中も《現象体》の数は増え続け、ノアールはそちらを抑えるのにかかりきりになっている。
いよいよ私たちの半数以上が動けぬ状態になった頃、マリスベルはようやく私とスズに照準を定めた。
「どう? スズ。今の気持ちは。ふふふっ――うれしいね、たのしいね!」
虫を踏みつけて遊ぶ無邪気な子供の様に、マリスベルがケタケタと笑う。
「でももうそろそろおしまいにしよっか? いい加減、わたしを守ってくれないエイトを見てるのも嫌になってきちゃった!」
そう言って私を見る。
「――わたしを守ってくれない人なんて嫌い! いらない! 邪魔よ……!」
ぼろぼろの黒い羽を大きく広げて、マリスベルは叫んだ。
「どっちから殺してほしい? エイト? それともスズ? あなた達二人は特別に、完全に息の根を止めるまで戦ってあげる」
「殺させはしない。スズも、私も」
「そう? じゃあエイトから、遠慮なく行くね。そのなんの裏付けもないその自信を、粉々に打ち砕いてあげるから……!」
マリスベルは今までにない強烈な瘴気を発し、辺り一面を暗闇に染めた。
「手加減はしないよ、エイト。わたしは本物の悪になる為に、自分の手でエイトを殺すの。それがあの子の……スズの絶望に繋がる!」
今にも泣きだしそうな顔をしながら、マリスベルは嗤った。
大きな黒い腕が、けして私を逃がさないと言わんばかりに両側から交差するように押し寄せた。
「くっ……」
耐えきれるだろうか。
わからなかったが、やるしかなかった。
「あああああああああああああああああっ!」
私はその両腕を薙ぎ払うように、体中の隅々にまで力を込めて己の手を振り上げた。
しかし。
「やめて! エイトを傷つけないで……!」
咄嗟に私の前に飛び出したスズが、その白い翼を大きく広げる。
その刹那、溢れ出す神々しい光と衝撃波。
それらがマリスベルの二本の腕を弾きとばし、私の身を守った。
「スズ! 余計な事ばっかり……っ!」
「いけない! スズ、避けろ……!」
激高したマリスベルが、もはやその怒りから反射的にスズ目掛けて黒い羽をはためかせ突進する。
「わたしの邪魔をしないで!」
再び翼を禍々しい両腕に代え、マリスベルが大きく振るったその時。
私はなんとかぎりぎりスズの身体をこちらへ引き寄せると、マリスベルとの間に立つ。
スズが何かを叫んだ気がしたが、もはや耳は音を拾ってはいなかった。
私の全神経が瞳に集中する中、まるでスローモーションのように黒い腕が二本、こちらへと近づいてくる。
右から迫りくる一本目の腕を、私は咄嗟に右足で蹴り飛ばしなんとか払いのけた。
しかし二本目はもう間に合わない。
私とは反対側、スズのすぐ傍にまで来たそれを見て私は思った。
――殺らなくては殺られる……!
私はスズの身体をなんとか突き飛ばし、コンバットナイフを握った左手を低く構えた。
黒い翼を閃かせ、マリスベルが風を斬るように私の元へと詰め寄る。
距離にしてもうあと数メートル。
構えたその左手を前に出したまま、しかし私はその腕を彼女に突き刺すことが出来なかった。
泣いていたのだ。
マリスベルは泣きながら黒い片翼を振り上げていた。
「エイトなんて……きらい……大きらい……!」
最後まで反撃することの出来なかった私の左腕が、そのまま黒い片翼により切り落とされて宙を舞う。
マリスベルの黒い瘴気に包まれ空中でまるで炎のように一瞬揺らめいた後、私の身体から離れたそれが、ぼとりと地面に転がり落ちて動きを止めた。