白翼の守護者   作:綾海しろ

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第17章 もしも彼女を守れるならば

「エイト……そんな……いやあああああああああああッ!」

 

倒れ込んだ私の身体の前で、スズが膝をつき泣き叫んでいる。

だが私はもう、そんなスズを慰めてやることすら出来ないでいた。

全身が痺れ、目の前がチカチカする。

失った腕の先が燃えるように熱い。

それなのに全身から急速に体温が奪われていくような、そんな不思議な感覚を前に思わず額には冷や汗が滲んだ。

そんな私をマリスベルが茫然とした表情で見下ろしている。

 

「なんで……? どうして反撃しなかったのよエイト……」

 

涙を浮かべた少女が、声を絞り出すように呟いた。

そのすぐ傍でスズは私の切り落とされた片腕を抱き、はらはらと涙を流している。

 

――泣かせたかったわけではないのに。

 

途切れそうになる意識の中、二人の少女の姿をぼんやりと眺めながら思う。

私は二人を泣かせたかった訳ではない。

守りたかっただけなのに、どうしてこんなにも彼女達は心で、体で泣いているんだろう。

私に再び生きる意味を与えてくれたそんな少女。

その使命の行き着く先と未来を、隣で見守り続けていたかった。

 

――だがもう、それも無理だろう。

 

片腕を失った今、たとえ一命を取り留めたとしても一体何になろうか。

両腕ですら守れなかったものを、これから先、片腕なくして守れるはずもない。

私の中から生きてゆく意味が少しずつ失われていくのを感じる。

このまま私は死んでしまうのだろうか?

何も出来ぬ存在となるのなら、それももう仕方のない事のような気がした。

ただ二人がもうこれ以上、不要な涙を流すことがなければよいと、それだけを祈った。

 

そんな事を考えながら、私は物言わず二人を見守る。

どれぐらい経ったのだろう。

はらはらと涙を零すスズの背後から、息を切らして駆けつけたネビュラとノアールが声を上げた。

 

「お嬢様!」

「わかってる! スズ、一緒にエイトを治療するよ!」

「ネビュラ………」

「しっかりして! あなたがそんなんでエイトを救えるの!?」

 

ネビュラが私の切り離された左腕を、なんとか体につなぎ合わせようと治癒魔法を唱え始めた。

そのすぐ横でスズも祈る様に手を合わせ、光のエネルギーを傷口に注ぎ込む。

しかし私の腕は元には戻らなかった。

 

「どうしようネビュラ……くっつかない……」

「二人がかりでやってるのに、なんで治癒されないの!? 体力は少しは回復してるはずなのに……腕だけが少しも元に戻らない!」

 

ネビュラが頭をかきむしる。

そのすぐ傍で、立ち尽くしていたマリスベルがようやく口を開いた。

 

「……エイトの腕は、切り口からわたしの負のオーラが侵入して完全汚染されてるわ。だからもう、治らない」

 

瞳に涙を浮かべたまま、しかしマリスベルは次の瞬間嬉しそうに微笑んだ。

 

「ふふっ、ふふふ……あははははっ! やっぱりエイトはエイトだった……! エイトは好き……! どんな時でもあなたはわたしを守ろうとしてくれるから。だからエイトだけは信じられるの。エイトはわたしを傷つけられない。ねぇそうでしょう……?」

 

恍惚とした顔で同意を促すようにこちらを見たマリスベルに、私は僅かに回復した体に力を入れ、一言だけ声を振り絞った。

 

「満足したろう……もうこれ以上、スズを傷つけるな……頼む」

「スズ、スズ、スズ、スズ! こんなボロボロになっても、まだこの子を心配するの……?!」

 

途端に金切り声を上げてマリスベルが不快な様子を露にする。

ネビュラがそんなマリスベルを一喝するように声を荒げた。

 

「いい加減にしなよマリスベル! さっきから聞いてればグダグダグダグダ、もうウンザリ! 見てわからないの? あんたの大好きなエイトがこんな姿になって、どうして笑ってなんかいられるのさ!」

「うるさい! うるさい! うるさい! 何もしらない奴が、わたしにとやかく言わないで…! エイトはわたしの為に攻撃をやめたの! わたしを助けるために! わたしのためにエイトは死ぬの! だからわたしの手で、一思いに殺してあげる。そうすればもう、苦しまなくて済む! わたしがスズを傷つける所も見なくてすむよ、嬉しいでしょエイト……!」

 

マリスベルは自暴自棄になっていた。

動けない私に狙いを定め、闇雲にその羽の腕を振り上げる。

治療を中断したネビュラとスズがなんとかその攻撃を防ごうとするが、二人とも治癒術師であるため攻撃手段に乏しく、マリスベルを本格的に抑え込むことが出来ずにいた。

 

「ほらほらどうしたの? 威勢のいいお姉さん。人にお説教するのもいいけど、まずは自分の事をどうにかしてよね、ほらこーんなに隙だらけ!」

 

黒い腕がネビュラの頬を僅かに掠る。

美しい頬からじわりと血が滲むのを確認すると、マリスベルは上機嫌に笑った。

 

「あははは! 素敵! 素敵ね! さぁお姉さん、回復する時間をあげる。あなたの攻撃がそんなに痛くないのはもうわかっちゃった。だからこれからはこうしてジワジワ傷を作っていくね。一体どれだけもつかなぁ、たのしみだね!」

「あんたって子は……ほんと性格悪いわね!」

「うるさい! あなただって同じじゃない! この性悪!」

「お嬢様はね、だいたい性悪って相場が決まってるのよマリスベル。はっはっはー!」

 

高らかに笑い、マリスベルを挑発しながらネビュラは自身に防御魔法をかける。

 

「その程度の攻撃しかしてこないなら、こっちはそれを無効化するまでだよ! 残念だったね、あはは」

「……ほんっと性悪」

「お互い様でしょ」

 

べーと舌を出したネビュラが、スズに向かい小さく囁いた。

 

「あたしが暫く囮になる。その間、エイトを頼んだよ」

 

そう言うや否や、一目散にネビュラは駆け出す。

 

「ほらほら~こっち! 当たるかな~?」

 

すぐ傍の木の前でぴょんぴょんと飛び跳ねながらマリスベルを挑発する。

 

「……むかつく奴ね。いいわ、あんたから始末してあげる!」

「できるものならいくらでも! はい、せーのっ!」

 

掛け声に合わせ、ネビュラが近くにあった木の幹を蹴り上げる。

そこに一寸遅れてマリスベルの黒い両腕が思い切り振り降ろされた。

 

「いっちょあがり!」

 

木の幹に深く深く突き刺さった二本の腕。

それが暫しの間マリスベルの身を拘束している。

マリスベルはその様子に随分と苛立ち、ついに小さく舌打ちをした。

 

「よくもわたしで遊んでくれたわね……!」

 

怒りにまかせて、マリスベルがその黒い両腕を勢いよく引き抜いた。

引き抜かれた両腕は翼の形に戻ることなく、今度は真っ黒な小鳥の群れへと姿を変える。

そのうちの数羽が瞬く前にネビュラの周りを取り巻くと、その身を引きずるように木の幹へと括り付けた。

 

「ちょっと、何する気!?」

「別に? ただお姉さんは少し邪魔だから、暫くここで見ていてもらおうと思って」

 

にんまりと笑ったマリスベルが踵を返し手を振る。

 

「わたしの力が弱まるまで、暫くず~っとそこにいてね! ばいばい!」

 

残りの小鳥を大きな翼へと戻しながら、振り返る事もなくマリスベルは私たちの元へと帰ってきた。

 

「これでえーっと、何人目? ま、いっか。もう他に邪魔ものはいなくなったし」

 

パンパンとスカートについた土埃を払ったマリスベルは、まだ私の治療を続けていたスズを見て呆れたようにため息を吐いた。

 

「まだやってたの? もうどんなに治療しても、エイトの腕はくっつかないのに」

「……っ」

「あなたっていつもそう。無駄な事ばっかり全力で頑張って。空しくならない?」

「――ならない。ならないよ、ベル」

 

スズはマリスベルの顔も見ずに答えた。

 

「空しくなんて絶対ならない。だって全力でやらなければきっと、今以上にわたしは後悔ばかりしてしまうもの。全力でやったって後悔はするかもしれない。でも、やらないよりはましだって、そう思うからわたしはやるの」

 

体はだいぶ回復してきたというのに、癒せども癒せでも元に戻る様子はない私の腕。

それを見てスズは気落ちしたようにため息をつき立ち上がる。

 

「エイトの腕はくっつかないかもしれない……でも、それでもわたしはエイトを救いたい。生きていてほしいの。だからこれ以上あなたがわたしたちを攻撃してくるのなら……わたしもあなたと戦うよ」

 

白い翼を広げ、スズはマリスベルの前に立つ。

 

「わたしはあなた、あなたはわたし。……あなたのその憎しみの心に、わたしが全力で最後まで付き合うから」

「……えらそうに……!」

 

対するマリスベルも黒い翼を広げ、スズの前に立つ。

白と黒の少女が二人、見つめ合い、にらみ合い、そして二人同時に空へと舞い上がる。

 

それはまるで、何か神聖な儀式や演舞でも見ているかのようだった。

神々しい白い羽が輝くように辺りを照らし舞い踊る。

一方、漆黒のごとき黒の翼が地を抉り、黒塵をあげてその光を断つ。

月明かりの下、共に銀の髪が光を受けてきらめく姿は美しい光景だった。

もはや二人を止めなくてはという思いも忘れかけ、ただその幻想的な夜空の小鳥達に心奪われる。

 

――まるで姉妹のようだ。

 

二人の少女たちが、本気で行う姉妹喧嘩。

私は今、それを見ているのだきっと。

どんなに分かり合えなくても、憎しみが消えなくても。

それでも二人は一つの存在だった。

その事実は揺るがない。

だから抗うのだ。無視できないのだ。

こんなにもボロボロになるまで、彼女たちは闘い続けている。

それが悲しかった。

 

もっと他に、道はなかったのだろうかと今でも思う。

五年前、私がもしスズの弱った心に少しでも気づいてやる事が出来たなら。

僅かでもその不安を取り除いてやる事が出来ていたなら、マリスベルは産まれてこなかったのだろうか。

幼いスズの心の不安に気づいてやる事が出来なかったとしても、もしも私が男だったならどうなっていただろう。

オラクルネストを発つ時も、森のほとりで卵を見つけた時も、少しは卵の持つ負のオーラを緩和でき、彼女の不安の増幅を抑えてやることが出来たのではないだろうか。

そうすれば少なくともスズが再び《現象体》を作り出すことはなくなり、マリスベルという存在から襲撃を受ける事もなかったのではなかろうか。

そもそも私に力があればこんな状況に陥る事もなく、スズとベル、二人を共に守りきる事ができたのではないだろうか――。

 

考えれば考える程、私の中での後悔は尽きない。

私を救うために戦い、私を奪う為に戦う、そんな少女達が悲しくも愛おしかった。

頼むから喧嘩はやめてほしいと、心の中で思いはしても。

 

――守りたい、彼女を。

 

腕がなくなった今でも、心がそう叫んでいる。

もはや私にはしてやれる事が何もないというのに。

 

あれから一刻が過ぎた。

拮抗を極めていた姉妹喧嘩にも、やがて決着がつく時が訪れる。

白い翼は千切れてボロボロになり、プリスターの青い宝石が弱々しく点灯する。

ずっと治癒術を使い続けていたスズの光のエネルギーがマリスベルのそれよりも少し早く底を尽き、白い翼ははついにはためきを止めた。

黒い翼は容赦なくその身を捉え、そして地面へ向かい突き落とそうとする。

白い翼はもう動かなかった。

今まさに真っ逆さまに落ちてこようとしているスズを、私はもう体を張って助けてやることが出来ない。

 

――どうすればいい。

 

私は一心不乱に考えた。

スズを助けるためならば、私の命を差し出してもかまわない。

なんでもいい、彼女が最後まで諦めなかったように、私も何かしなければ。

藁にも縋る思いで周囲を見回したその時だ、視界の端にゆらりと近づいてくる人影が見えたのは。

スズの治癒を受けて少しばかり動くようになった泥だらけの身体を、《不浄のもの》がなんとか動かし私の傍で立ち止まる。

 

「よぉ、エイト。酷い姿だなァ」

「李白……いや《不浄のもの》。お前はまだ、私達の味方か……?」

「女の結界術が完成してないからな。それまでは一応、味方って事になってるぜ」

「なら……私の願いを叶えてくれないか?」

「お前のを?」

「そうだ。私の望みを叶えてくれたなら、私の《可能性》をお前にやろう」

「…………ふん、面白いじゃねぇか」

 

《不浄のもの》が楽し気に口の端を釣り上げた。

 

「俺様もあの黒羽女にやられっぱなしは面白くねぇと思ってた所だ。《可能性》をもらえる上に、あいつに一泡吹かせてやれるっていうなら、協力してやらない事もねぇぜ」

「交渉成立だ。どんな形でもいい。スズを……あの子を助けてやってくれ……!」

 

今まさにマリスベルの手を離れ、落ちてくる白い翼。

それを見やりながら、私は無心で神に祈った。

彼女が無事に助かる様にと。

彼女のこれからの未来を、少しでも望む形でかなえてやることができますようにと。

 

「……本当に、どんな形でもいいんだな?」

「任せる」

「いいだろう! お前のその《可能性》、俺様が半分頂くぜ……!」

 

《不浄のもの》が禍々しい負のオーラを勢いよく放つ。

真っ逆さまに落ちてきたスズが、そんな李白の姿を捉えると最後に一言だけ口を開いた。

 

「李白さん……エイトを……エイトを助けてあげて……」

 

その声を尻目に《不浄のもの》は笑った。

湖のほとりに張り詰めた竹笛の音が突き刺すように響き渡る。

刹那、虚空の彼方から一陣の風と共に大きな鎌が姿を現し、私のすぐ傍をぶんと音を立て駆け抜けていく。

その鎌は空を切り裂きながら形を変え、やがて大きな黒い盾となり落下途中のスズの身を受け止めた。

身を打ち付けた衝撃でスズが一瞬鈍い声を放つ。

しかし気づけば傷ついたそのスズの身体を、見知らぬ黒ずくめの男が抱き上げていた。

大切な物をもう二度と離しはしないと、しっかりと腕に抱き込むように。

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