白翼の守護者   作:綾海しろ

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第18話 撤退

誰もかれも満身創痍で、指揮をとれる人はもう居ない。

倒れる私のすぐ傍で、力を使い果たしたのか《不浄のもの》すらも膝をつき肩で息をしながら呼吸を整えている。

そんな中、風のように現れた黒ずくめの男がスズをその腕に抱いたまま声を張り上げた。

 

「動けるやつはいるか!? もうすぐ弥生の結界術が完成する、それまで俺が時間を稼ぐ。今は一度引け!」

 

男の掛け声にノアールが《現象体》の群れから一旦離れ、木に括り付けられたままになっていたネビュラを解放する。

それを見届けると男はネビュラの元にスズの身体を静かに降ろし、かわりに先ほど窮地を救った大きな盾を拾い上げた。

盾は男が拾い上げると、その持ち主の思考を読むかのように小さな機械音を発しながら鎌の形へ姿を戻す。

その大鎌を握りしめて男は言った。

 

「ネビュラ、スズを頼む」

「え? あ、うん。助かったけど……あなた誰!?」

 

ネビュラの問いかけに、男は踵を返しながら首を振る。

 

「話は後だ。今は時間が惜しい」

 

男は一言そう言い残すと、スズ目掛けて降りてくるマリスベルの方へ大鎌を手に走り出した。

 

「俺が相手だ! マリスベル!」

「誰よあんた……! あとちょっとだったのに、余計な事をしてくれたわね……!」

 

黒い翼をはためかせ、禍々しい気を纏い男に狙いを定めるマリスベル。

しかしそのマリスベルに一切怯むことなく、男は右手に握った大鎌を低く構える。

そして躊躇いもなく真っ直ぐに、下から鎌を力強く振り上げた。

 

――まるで私が左手に持ったコンバットナイフを振るう時のように。

 

鎌の背が今にも黒い両腕に姿を変えようとしてたその片翼を弾くと、男は低く身をかがめ、地に降りようとしていたマリスベルの細い身体の下を疾風のごとく駆け抜ける。

そして少女の身体の下を潜り抜けるや否や、その細い首に鎌をかけ、喉元にきらめく刃を添えた。

 

「――っ」

 

マリスベルは喉が刃に触れる寸でのところで、己の身を止める。

今まで戦ってきた誰よりも早く、強い。

黒ずくめの男にそんな力の差を歴然と見せつけられ、今までにない焦りを浮かべた少女は、なんとしてもその男の姿を一目見ようとゆっくりと鎌の刃から視線を逸らす。

その時突然、マリスベルの前を一羽の白い小鳥が横切った。

 

「……間に合ったようだな」

 

男がマリスベルの動きを封じたままその小鳥の行きつく先に目をやると、そこには右手に霊符を携えた弥生が立っていた。

鳥だと思ったそれは彼女が魂を吹き込んだ式紙の数々で、弥生が従えた式紙達はくるくるとマリスベルの周りを取り囲んだかと思うと、やがて霊水を紡いで作られた光の糸でマリスベルの身を拘束した。

 

「あんた、一体何を……!」

 

マリスベルがなんとか糸から逃れようと、男の鎌を押しのけて必死に藻掻く。

しかし弥生はその糸を緩めることなく締め上げ、右手の霊符を空へと掲げた。

 

「東方を守りしもの青龍よ! 南方を守りしもの朱雀よ! 西方を守りしもの白虎よ! そして北方を守りしもの玄武よ……! 今一時、契約のもとに我にその力を貸したまえ……闇を抑え、束の間の平穏なる光の時を!」

 

弥生の力強い叫びと共に、北から、南から、西から、東から、清浄なる大きな光のうねりが夜空を包んだ。

その輝きはやがて星のように漆黒の空を駆け、流れるように弥生の持つ霊符の元へと集積される。

弥生は最後に片手で印を結ぶと、マリスベルの頭上目掛けて右手の護符を掲げ投げた。

空の果てに、大きな光の爆発が起こる。

 

「急急如律令、神光招来――!」

 

眩い光を放ったそれは、夜の森に束の間の朝を齎すかの如く辺り一面を煌々と照らす。

 

「眩しい……やめて、やめてよ……いああああああああああああッ!」

 

絶叫を上げながら、マリスベルがその場に崩れ落ち倒れた。

しかし頭上の光は消えることなく、マリスベルの周囲一帯を清浄な光で照らし続けている。

 

「……遅くなって、ごめんなさい」

 

ふらふらとした覚束ない足取りで、弥生がゆっくりと歩いてくる。

一歩一歩、なんとか地に足をつけながら。

 

「どうにか一時、彼女をこの結界の中に閉じ込める事が出来たわ……四神の持つ光の力がこの森を照らし続けている限り、マリスベルは動けない。効果はせいぜい一週間程よ。それまでに……何か、別の手段を、模索して……」

 

そう言い残すと弥生は辿り着いたその先で、ついに意識を手放した。

いつの間にか周囲に群れていた《現象体》の姿も消え、森の湖畔には束の間の静寂が蘇る。

真夜中であるというのに、弥生の張った結界がまるで朝の陽の光のように周囲を照らし続けている。

その清浄な空気の下で、私は光に照らされた男の姿をはっきりと見た。

 

深紫の髪に、私によく似た琥珀色の瞳。

黒いコートの中に藍色のネクタイを締めたその男が、スズの身体をしっかりと抱き上げる。

 

「帰ろう。俺達にはまだ、やらなくてはならない事が沢山ある」

「怪我人の手当てが最優先だけど……あなたが何者かっていう説明も、してもらわなくちゃいけないしね」

 

満身創痍の身体を大地に横たえていた輪の中で、ネビュラが最後の力を振り絞り真っ先に立ち上がった。

そして比較的軽傷であったジオリードの身に僅かに残った力で治癒術をかけると、ノアールに指示を出し私の身体を担がせて、黒づくめの男の後を歩き出す。

この男が何者であるのか、わたしにはわからない。

だがスズが窮地からなんとか救われた事に安堵しながら、私はノアールの肩越しに残りのメンバーを眺めていた。

ネビュラの治癒術でなんとか体を起こしたジオリードは、倒れたアイゼの薄黒く汚れた身体を抱きあげ私達の後に続くと、《不浄のもの》から意識を取り戻した李白が、そっと弥生を抱えて更にジオリードに続く。

リネットがまだ横腹から血を流すヴァレリアに手を貸し私達の最後尾をゆっくりと歩き始めると、湖のほとりにはマリスベルただ一人が残された。

その頭上は今も燦々と輝く光で満たされている。

 

「結局また……わたしだけが残されるんだ」

 

夜とは思えぬ清らかな光の中で、マリスベルは静かに、眠る様に涙を流していた。

その姿が脳裏に焼き付き、いつまでもいつまでも離れなかった。

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