白翼の守護者   作:綾海しろ

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第19章 俺の名前は

森のほとりを後にした一行は、普段暮らす【T=/M-】ニュートラル・フィジックへなんとか全員無事に帰還すると、重症人からダーザイン付属の医務室へと運ばれ、手あたり次第の上質な治療を受けた。

中でも横腹を深く抉られてしまったヴァレリアと左腕を切り落とされた私の身体は損傷が酷く、スズやネビュラをはじめとする感染対策課所属のヒーラー達と、臨時で駆り出されてきたS級部隊の選りすぐりの治癒術師が総出で対処に当たったにもかかわらず、二、三日は絶対安静を言い渡されてしまった。

お陰様で斬り落とされた腕以外はある程度動かすことができるようにまで回復したのだが、今回の件で出た負傷者の数も随分と多かったので、今もざわついている医務室の片隅で私は特に何もすることもできず、ベッドの上に括り付けられた状態で暇を持て余していた。

 

「そうは言っても、これでも全然マシなほうなんですよ? エイトさん。本来でしたら腕を斬られたその段階で、体のほうにも負のオーラが侵入して完全汚染されていてもおかしくない状態だったんですから。スズさんが事前に使っていらした光のエネルギーがある程度攻撃を中和していてくれたおかげで、私達も治療できたんですからね?」

 

そう言っておっとりとした笑顔を浮かべ、私のベッドの直ぐそばにある窓辺の棚に洗い立てのタオルやシーツを用意してくれているのは、同じ感染対策課に所属しているシャルトリーゼという女性だった。

清楚な修道服風のスカートを身に纏い桜色の淡い髪を腰よりも長くたなびかせて歩くその姿は、まるで春の陽だまりのように暖かな雰囲気を醸し出している。

同じ課に所属しているものの、シャルトリーゼは《感染》を受けた人々の治療に当たるヒーラーである為、普段はこの医務室に常駐している事がほとんどだ。

だからこうして直接会話を交わすのも、今回が初めての事なのであった。

 

「随分と世話をかけたな……ありがとう」

「あら、お礼はスズさんとネビュラさんに言ってあげてください。先ほども言いましたが、スズさんの光のバリアと、帰ってきてからも早々に治療に専念してくださったネビュラさんのおかげで今があるんですよ。私達残りのヒーラーは、少しばかりお手伝いしただけですから」

「そうか……二人にも礼を言わなくていけないな」

「ええ、是非そうしてください♪ それでは私は、少し他の仕事を片付けてきますね。私が居なくなったからと言って、無理はしちゃだめですよ?まだ傷は完全には癒えていないんですから。ちゃーんと、暫く安心していてくださいね」

 

まるで小さい子供に言い含める姉のようにシャルトリーゼはしっかりと念押しした後、美しい桜色の髪をたなびかせて医務室から出て行った。

私は特にやる事もなく暫く窓の外を眺めていたが、やがてざわざわとしていた医務室から一人二人と治療を終えたヒーラー達が姿を消し、辺りに束の間の静寂が訪れた。

隣のベッドでは、ヴァレリアがまだ目を覚まさぬまま横たわっている。

腹部を損傷したことで大分回復が遅れているらしい。

その横では泣き腫らした目をしたリネットが、椅子に座ったままベッドに顔を伏せうつらうつらと眠りの淵に居た。

早期にスズの治癒を受けていた事もあり、私達の中ではネビュラやノアールに次いで軽傷だった彼女もさすがに疲れているらしい。

あれだけの事があった後なので仕方あるまいと思いつつこのままでは風邪をひきそうだったので、私はゆっくりベッドから起き上がると、先ほどシャルトリーゼが持ってきてくれたタオルの中から一番大きなものを選び、残った右腕でなんとか眠りこけたリネットの肩にそれをかけてやった。

 

「うーん……ヴァレリア、あぶないよぉ……」

 

夢の中でもヴァレリアの事を心配しているのだろう。

寝言を発したその姿に苦笑しながら、私は先ほどシャルトリーゼに言われたことを思い出し急いでベッドへ戻った。

窓の外を見る事にもそろそろ飽きていたので、私はすっかり静寂を取り戻した医務室の中を丹念に見回してみる。

他にも仲間たちは同じ医務室でいくらか治療を受けていたらしく、少し離れた所で李白が横たわっている姿を確認することが出来た。

 

――そういえば《不浄のもの》は一体どうなったのだろう。

 

私と李白の《可能性》を受けとる事を条件に弥生とスズを助けた彼は、本来ならば約束を果たした後は李白の身体を捨て、森のほとりの卵と融合をする予定だったはずだ。

しかし弥生とスズを助けたことで力を使い切り、彼はそのまま李白の身体の中で再び暫しの眠りについてしまった。

結局、森のほとりで李白は意識を取り戻しここまで帰ってきたのだが、その後、私の知らない間に李白の身に何かあったのだろうか。

そもそも私は本当に、《可能性》の半分を奪われてしまったのだろうか?

そのわりには腕以外の身体は普通に動いている。

《不浄のもの》に体を乗っ取られた訳でもなく、ジオリードやアイゼのように人ならざる者へと姿を変えてしまった訳でもない。

マリスベルのように《現象体》となった訳でもなくただ片腕を失ったまま、人として生きている。

 

わからない事と言えばほかにもある。

私達を救ってくれた、黒づくめの服の男。

あれは一体何者なのだろうか。

《不浄のもの》との交渉直後に現れた所をみると、恐らく《不浄の者》がなんらかの形で召喚した者なのだろうが、それにしては妙に私たちの事を知りすぎている。

何にせよ私たちの窮地を救ってくれたことに礼の一つも言いたいところだが、生憎近くに姿を見つける事は出来なかった。

 

それ以外にも私には考えたいことが山ほどあった。

これから先、複数存在する卵の対処をどうするかという事も大きな問題の一つであったが、森のほとりに一人残されたマリスベルの姿も脳裏から離れることはない。

 

「泣いていたな……」

 

眠る様に地に伏せ涙を流していたあの少女は、今頃一人、何を思っているのだろう。

他に手が無かったのは事実だが、それでも一人は嫌だと叫んでいたマリスベルの気持ちを思うといたたまれなかった。

あれだけ皆を突き放しておきながら一人は嫌だと泣く少女。

あれも幼いスズに秘められた一部だったのだと思うと、なんとも不器用で愛おしかった。

 

――もう少し素直になれれば、別の未来も考えられるだろうに。

 

しかし素直で人懐っこい性格は、全て今のスズが持ち合わせてしまったのだろう。

ままならぬものだなと思いながら深いため息をついたところに、ネビュラがスズとノアールを連れて医務室へと入ってきた。

 

「エイト! 調子はどう?」

 

ため息をつく私の姿を見つけ、スズが子犬のように小走りに駆けてきた。

スズもすっかり治療を終え、元気な姿を見せてくれた事に私は心の底から安堵した。

 

「おかげ様で良好だ。スズとネビュラには特に世話になったと聞いた。ありがとう」

「どういたしまして」

「わたしのほうこそありがとうエイト。エイトが居なかったらどうなってたことか……」

 

そこまで言って、スズは申し訳なさそうに私の左腕を見る。

ネビュラもばつが悪そうに頬をかくと、うつむきがちに呟いた。

 

「左腕はごめんなさい。S級のヒーラーにも力を借りて必死に頑張ってみたんだけれど、どうにもできなかったの。感染除去と止血処置をするので精一杯だったわ」

「ネビュラは出来る限りの事をしてれたんだろう、仕方ないさ」

 

私は無くなってしまった左腕の位置をそっと右手で撫でる。

つい先ほどまで確かにそこにあったものが跡形もなく消え失せ、そこには中身を無くした上着の袖が垂れているだけだった。

 

「エイト……腕、痛む? 何度かみんなで痛み止めは重ね掛けしたんだけど……」

「大丈夫だ、ありがとうスズ」

 

残った右腕でその柔らかな銀色の前髪を撫でてやると、僅かにスズは安堵して嬉しそうに瞳を細めた。

この笑顔を守る為に私は生きてきたのだ。

結果はどうであれ、悔いはなかった。

 

「エイトの調子が大丈夫そうなら、これからここに皆を呼んで状況確認をしようと思うんだけど、どうかしら?」

 

ネビュラの問いかけに、私は頷く。

 

「問題ない。むしろ聞きたいことが山の様にある」

「でしょうね、あたしもよ。あの助けてくれた男性も、ここに呼んでいいかしら?」

「もちろんだ。礼を言いたい」

「わかったわ。みんなをつれてくるから、少し待ってて」

 

そう言ってネビュラが医務室を出ていくと、私とスズは暫しの間二人きりとなった。

 

「スズ、落下時の傷は大丈夫だったようだな」

「うん、あの男の人がすぐに受け止めてくれたし……帰ってきてからS級ヒーラーの方に傷も処置もしてもらったの」

「そうか、それなら安心だ。……ちゃんと守ってやれなくてすまない」

「そんなこと……! エイトはちゃんと守ってくれたよ、わたしの事を。むしろわたしが足手まといだっただけで……そのせいで、腕まで」

「腕は私が弱かっただけだ。それ以上でも以下でもない。だから、スズが気に病むことはないさ。だから泣かないでくれ」

「エイト……ごめんね。ずっと謝りたかったの。それと、ありがとう」

 

スズは私の胸に顔を埋めて、ひとしきり泣いた。

泣かないでくれとは言ったものの、私に自分の弱さをようやく見せてくれたことが今は少しだけ嬉しかった。

 

「それはそうと、鎌を持ったあの男とスズは知り合いか?」

「ううん。それが……わたしにもよくわからないの。彼はわたし達を知ってるように接してくるんだけれど、みんな誰も彼の事は知らないみたいで。もちろんわたしも昨日初めて会った人だよ」

「そうか……それにしては随分親しげに彼はスズに接していたが」

 

親しげというよりはむしろ大切な何かを扱うように、彼はスズの窮地を救いその身を抱き上げていた。

知り合いならば納得もいったが、それにしては少々彼の行動は行き過ぎているように思う。

スズを救ってくれたことには大変感謝しているが、同時に自分の役目を奪われたような気分にもなり少々気に入らない気持ちもある。

誰よりも強く、早く、スズを救い仲間を助けたその姿は、いわば私の理想のようなものだった。

自分の持っていないものを持つ者に、憧れを通り越して嫉妬するのは誰にでもある事だろう。

マリスベルがスズに対して思うものも、恐らく同じ気持ちであろうと思うと、彼女を表立って否定する気も失せるのだった。

 

「助けてくれた事に恩義を感じるだろうが、だからと言ってすぐにあの男に気を許してしまっては駄目だぞスズ。まだあの男は何者であるか不明だ。偶然私たちに助太刀してくれただけで、何か別の理由であの場所に居た可能性もある。ちゃんと何者であるか証明されるまで気を抜かないように」

 

私がそうスズを説得していると、少し離れた所から何者かに声をかけられた。

 

「命を救った恩人に随分な言いようだな。俺はスズに仇成す者ではない。安心してくれ、スズ」

 

みれば渦中の男が医務室のドアを潜り抜け、こちらへ向かって歩いてくる。

スズは話を聞かれて少々ばつが悪そうな顔をしていたが、男の方はさしてそれを気にする様子もなくスズの傍までやってくると、その手を取り足元へ跪いた。

 

「スズ、具合は平気か?」

「えっ? えっと、わたしはその……大丈夫。心配してくれてありがとう」

 

まるで女王に傅く騎士のような男の振る舞いに、スズは驚きを隠せぬまま、気が動転してどきまぎと返事を返している。

その様子を、まだ眠りについている李白とヴァレリア以外のメンバーが、困ったような不思議な顔をして見つめていた。

ネビュラがそっと私の傍へやってくると、口に手を当て耳打ちをした。

 

「……さっきからずーっとあの調子なのよ、あの人。スズをお姫様か何かとでも思ってるみたい」

「…………ほう」

 

確かにスズはオラクルネストの皇族の娘だ。

姫であることに間違いはないのだが、この《世界》でスズをそのように扱う人間は私以外に居ない。

皆、バースセイバーとしての仲間、感染対策課の一メンバーとして接するのが常であり、このような面を食らう形でスズに接触を試みる人物は早々居ないのであった。

男はひとしきりスズの身を心配したあと立ち上がり、その長身で見下ろすように私を見た。

 

「エイト。お前も無事だな?」

「私は平気だ。そしてお前のおかげでスズも一命を取り留めた。感謝する。それとわたし達を救ってくれた事にも礼を言おう」

「お前たちを助けたのは、スズを助けるついでだ。気にする必要はない。お前たちを助けなければスズは悲しむからな」

「……そうか」

 

この男の言動は、どうもいちいち癇に障る。

なぜこのような気持ちが沸き上がるのかわからなかったが、私はこの男の態度が妙に気に入らなかったため、そこで会話を切ると視線を外し窓の方を見た。

辺りに気まずい沈黙が広がる。

それを断ち切るように、ネビュラが私と男の間に体を滑り込ませるとパンと両手を叩いた。

 

「えーっと、一応言った通りに例の彼を連れてきたんだけど……そろそろ話を進めてもいい?」

 

私達の様子を伺うように尋ねたネビュラに私は頷きを返すと、男も反論はなかったようでそのまま小さく頷く。

 

「じゃあ、まぁ、ひとまず感染対策課を代表してあなたにお礼を言わせて。森のほとりでは助けてくれてありがとう。そればかりかダーザインの医務室まであたしたちを運ぶのを手伝ってくれたでしょ? 本当に感謝してる。その上で誰もが思ってる事だから最初に聞いてしまうんだけれど――あなたって一体何者? なんであたし達の事知ってるの?」

 

皆が思っていた事を、ネビュラが直球に聞いた。

一体どんな答えが返ってくるだろうと皆が固唾をのんで見守る中、その黒づくめの男は暫し考えたのちに一言

 

「俺の名前は東雲紫希。エイトにかわり、スズを守る為ここに来た」

 

と名乗った。

その瞬間、私は衝動にかられ息まくように口を開ける。

 

「嘘をつくな……!」

 

突然震えるような大きな声をあげた私に驚き、皆が一斉にこちらを見た。

スズが心配そうな顔をして、いさめるように私の肩に触れた。

 

「エイト……一体どうしたの?」

「どうしたもこうしたもあるか!」

 

しかし私の頭には珍しく血が上っており、そんな彼女の手を払うと、男を睨みつけたまま怒気をはらんだ声で告げる。

 

「お前……今、東雲紫希と言ったな?」

「そうだ」

 

男はそんな私を見ても、身じろぎ一つせず事も無げに言い放つ。

私にはそれが許せなかった。

何故なら――この男が東雲紫希ではない事を、私は誰よりも知っていたからだ。

 

「なぜそのような嘘をつく? 一体、何のために?」

 

収まらぬ怒りをそのままに、私は昔、手放したその名前を口にした。

 

「東雲紫希は……私だ。私の本名だ」

 

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