とある感染対策課の事務所の一室に、今日も騒がしい声が充満する。
「ねえねえヴァレリア、今日の任務先どこだっけ?」
金色の三つ編みをふんわりと肩にかけた少女の問いかけに、長い青髪をうっとうしそうにかきあげながら隣の男が答える。
「もう忘れたのかよ、【T=/M+】ニュートラル・ミスティックにある森だろ?」
「そっかー! そういえばそうだった。でも、だいたいいつもヴァレリアが覚えてくれてるから大丈夫でしょ? 助かる助かるー! ありがとー!」
「お前なぁ……ったくしっかりしろよ、リネット」
一瞬声を荒げ、しかしいつもの事かと諦めのため息をつき肩を落とすヴァレリアの傍で、当のリネットはさして気にした様子もなく、鼻歌を歌いながら謎のダンスを踊っている。
いつもの朝の風景である。
そのすぐ傍で巫女装束の背に豊かな黒髪を広げた少女が、笑いをかみ殺しながら腰を上げた。
「そろそろ任務開始の時間ね。現場に向かわなきゃ。みんな、準備はいい?」
「僕なら問題ありませんよ、弥生。」
弥生と呼ばれた少女の隣で、驚くほど優美に周囲を見回したのは李白という優男である。
流れる黒髪を一纏めに結い上げ、静かに微笑みを湛えるその姿は一見すると見目麗しい人畜無害の好青年だ。
しかし現在は《不浄のもの》と呼ばれる《感染源》に精神と共に身体の一部を支配されており、時たま美しい顔に似合わぬ暴力的な悪さを働く、なかなか一筋縄ではいかない男であった。
有り体に言ってしまえば、李白は《感染》しており半分ほど《変異体》となりかけて今はこの世に存在している。
そのような不安定な状態なので、李白には毎日弥生が《不浄のもの》が暴走しないよう封印術の重ね掛けを行っており、この感染対策課で名目上、監視という形で保護されている。
「今日は李白も連れていくし、一応一言ジオリードさんに連絡を入れておいた方がいいかしら?」
「ジオさんだったら朝早く、アイゼさんと一緒にダーザイン本部に出かけたよ。セイバー登録更新をまだ済ませてないんだって」
弥生の問いかけに、リネットが三つ編みの毛先をくるくると指で回しながら言う。
ダーザインに所属する私達感染対策課一同は、三か月に一度、バースセイバー登録更新を行わなくてはならない。
これは権利ではなく義務である。
規則を守らなければ私達の部隊はバースセイバーとしての活動を認められず、不在扱いとされてしまう。
それだけで済めばまだいいのだが更新を怠った場合、最悪界賊扱いされてしまうケースもある為、私達は少し早いがつい先日セイバー登録更新を済ませてきたばかりだった。
登録更新日間近となると本部は人で溢れかえる為、李白のような不安定な存在を人混みの中に連れ出す事に躊躇いもあったのだった。
バースセイバーのランクは最上位のSから始まり、A、B、C、Dの五段階が設けられており、その活動内容に見合ったランクが更新手続きの際に付与される。
言わずもがなSランクは活動内容も多く、重要な任務を任されるケースが多い。
私達感染対策課は《感染源》の除去を行う事はあれど、基本的に《感染源》に対する調査をしたり、研究を進めたり、場合によっては《感染者》の手当てに回ったりしている為、災厄対策本部のように常に危険な任務を行っているわけではない。
それゆえいつも、セイバーランクはB~Aの間をうろうろする程度に収まっていた。
「ジオリードさんたち、まだ登録更新に行ってなかったのね。そういえば暫く研究室に籠ってた気もするわ」
「うんうん。ようやく研究の目途がある程度ついたから、それも一緒に本部に報告してくるみたいだよ」
「なるほどねぇ」
弥生が納得したように頷いた。
ジオリードという男はこの感染対策課、通称【Fizz】の責任者である。
アイゼという女性と共に《感染源》のあらゆる研究を行っているのだが、正直私とスズはあまり面識がない。
私たちは現場仕事が主な役割だが、彼ら二人はこの研究室から出ることがほぼ無く、今日のようにダーザイン本部へ出かけている日のほうが珍しいという有様で、どうしても業務連絡以外あまり話すような事がないのだ。
もともとジオリードとアイゼは故郷の《世界》で長年錬金術の研究を行っていたらしいが、錬金術を応用して《感染》にまつわる対応をできないかという発想からバースセイバーとなり、この感染対策課で研究を続けているらしい。
しかもとある《感染源》の影響で、人ならざる者と姿を変えてしまったらしく、彼らは見た目よりも何十倍もの時を生きているという。
しかしその間、年がら年中三百六十五日、ずっと休むことなく研究を続けているというのだから、一体何の執念が彼ら二人をそうさせたのかまでは定かではないが、その信念には目を見張るものがある。
そんな脱帽ものの二人の事を、私たち【Fizz】内部では便宜上、研究班と呼んで区別している。
そのように我が感染対策課は、研究班が《感染》してしまった「人ならざる者」となった存在を人に戻すための研究を進める一方、《感染》を防ぐための対策を現地調査した上で並行して行っていた。
私とスズは、もちろん《感染源》に関する研究の知識など全く持ち合わせていない為、必然的に現地対策班で働く事となった。
少しばかり私の戦闘能力と、スズの癒しの力が現場で役立つと認められたのだろう。
故郷を護ることはできなかったが、今日もこうして誰かの《世界》を護る手助けができるのなら、私たちはこれからも現場へ赴き己の力を使い続けるだろう。
――もう二度と、同じ後悔は繰り返さないように。
現地対策班の仕事は、異世界から持ち込まれたであろう《感染源》を二次感染・三次感染へ転じないよう一時的に封印を施すか、可能であれば迅速に除去するといった場合がほとんどである。
第一線で戦う災厄対策本部のように特級戦力を必要とされる事はほぼないが、最悪のケースとしてオラクルネストのように《感染爆発》が発生し《世界》が消滅してしまうシナリオが常に存在する為、この仕事もけして侮ることは出来ない。
そんな感染対策課【Fizz】を長きにわたり支えてきたのは、六花家と呼ばれる弥生の先祖である。
バースセイバーとして浄化しきれない《感染源》を監視・管理し、時には保護する神子の一族の現当主である弥生は、例に漏れず《感染源》の封印や除去を得意としており、現地対策班の要とも言える存在であった。
そんな彼女が、式紙と呼ばれる小さな人型の紙を懐から取り出す。
右手で小さく印を結ぶと静かに目を閉じ、普段より少しばかり覇気のある声で呪いを唱えた。
「救急如律令、出立伝令……ジオリードさんへ!」
パン!
と音を立てて弥生が式紙を弾くとそれはくるりと宙を舞い、小さな白い小鳥の姿へ変えて開け放たれた窓の隙間から音もなく姿を消した。
弥生はこうして時たま式紙に命を吹き込み、情報の伝達や事務所の掃除など簡単な雑務を任せるのだ。
「さ、我が課のリーダーであるジオリードさんへ出発の連絡はしたわ。出かけましょうか。李白はいつも通り二次感染源にならないよう細心の注意を払って行動するように!」
「わかってますよ弥生、それにもしも何かあってもエイトさんやスズさんも助けてくれると信じていますしね」
「が、がんばります……!」
「もちろんだ、スズの次に守ろう。ただし、スズはこれでも《神格級観測者》に匹敵する力を持ち合わせている子だ。
李白は十分気を付けて行動してくれ。しかし本部は感染対策課をこんなリスクのある構成にしてなにを考えているんだか――」
「はは……善処します」
困ったように笑う李白を前に、スズの事となると少しばかり小言が多くなってしまう自分に気づきゴホンと咳ばらいをする。
「まぁ、安心してくれ。スズも世話になっているのはわかっている。普段から面倒を見てもらっているからな」
「エイト、あんまり子ども扱いしないでよ。もう昔とは違うんだから……」
「こ、子供扱いなんてしてないぞ、気を悪くしたならすまない。ただなんというか心配するのが癖になっていてだな」
「ふふ、わかってるよ。いつも護ってくれてありがとう」
ふにゃっと目を細めて、スズが子犬のように微笑む。
最近はすっかり大人びてきてしまったが、それでも不意に昔のような幼い笑顔を覗かせる彼女を見て、この笑顔を護らなければと再度気を引き締める。
「相変わらず仲が良いわね。さ、そろそろ現地に行かないと遅れるわ行きましょう」
「わたしとエイトなら準備ばっちりだよ。ね、エイト?」
「ああ、問題ない」
スズの問いかけに短く答えると、リネットとヴァレリアもそれぞれ「オッケー」「グッド」のハンドサインを出す。
皆、準備は万端のようだ。
「それじゃあ裏李白が悪さをしでかさないうちに、さっさと任務を済ませましょうか」
「お手数おかけしてすみません……よろしくお願いします」
「よぉし、目的地【T=/M+】ニュートラル・ミスティックへ! いくぞードンドコドーン!」
「なんだよ、しっかり行先覚えてるんじゃねーか」
ヘンテコな掛け声を上げて先頭を歩きだすリネットのすぐ後ろを、相変わらずヴァレリアが細かい突っ込みを入れながら追いかける。
「おい、後ろ向きながら歩くな! あぶねーぞ!」
「大丈夫ー、いくら私でも何もない所で転ぶなんてそんなヘマはしませーん!」
「してるんだよいつも!」
ヴァレリアの声が半分がなり声に変わったのを確認して、弥生、李白、スズ、そして私の四人は苦笑気味に顔を見合わせ、やや足早に彼らの後を追うのだった。