厚生部・感染対策課の普段私たちが使う一施設は、本部より少し離れた場所に存在する。
扱う内容が《感染源》という事もあり諸々の観点から配慮され建設されたその建物は、一階部分に受付と怪我人を受け入れる医務室、緊急処置室など医療系の部屋が格納されており、二階に行くと東側に普段【Fizz】の面々で使っている感染対策課の事務室がある。
その事務室から西に向かう途中、ジオリードとアイゼが使う研究室と資料倉庫が続き、更に西へ向かうと私たちが暮らす独身寮があった。
その独身寮が立ち並ぶ廊下の突き当りにある、白い扉。
そこが我らが【Fizz】を取りまとめる隊長の自室であるとジオリードは言う。
「そこはもともと単身寮であったため、部屋の構造が我々の暮らす独身寮よりもほんの少し広かったのだが、それを見た隊長がアトリエとして使いたいと言い出してな。隊長の私室兼アトリエとして今は使用されている」
「隊長さんはご自身の使うスキルの関係上、随分と寝ている時間が多くて。ほとんど部屋から出てくることがないんですよ。食べ物にもあまり執着がないみたいで、お菓子みたいなブロック栄養食ばかり食べてますからね。時々私が差し入れに行って無理やり食べさせたりしてるんです」
先頭を歩くシャルトリーゼが、振り返りながらそう説明した。
「さぁつきましたよ皆さん。隊長さーん! お客様がいらっしゃいましたよー!」
少し大きめのノックをして、シャルトリーゼがその扉を開ける。
返事を待たないということは、わりと頻繁にこの部屋を出入りしているのだろう。
勝手知ったる彼女の後をついてその部屋に入ってみれば、その正面には大きな窓が開け放たれており、白いカーテンが午後の日差しを受けながらパタパタと忙しそうに風に舞っていた。
爽やかな風が吹き抜ける昼下がりである。
簡素な部屋の中央付近には大きめのキャンバスがいくつか置いており、さながら小さなアトリエのようであった。
しかし何より驚いたのは、そのキャンバスには私たちのよく知る人物の姿が描かれていた事である。
「これは……あたし?」
ネビュラがキャンバスの前で目を丸くして呟いた。
「私めのような姿の絵もございますね……はて」
見ればネビュラが描かれたキャンバスのすぐそばに、見慣れた老紳士が描かれたキャンバスが置いてある。
私とスズは感染対策課にきてもう5年近く経つが、まだ隊長の顔を見たことがない。
しかしネビュラとノアールの絵がここに置いてあるという事は、彼らは隊長と面識があったのだろう。
「ネビュラ達は隊長と、もう顔合わせが済んでいたのか」
思わずそう問うと、ネビュラはまさかと言いたげに首を横に振った。
「あたしとノアールが感染対策課に着任したのって、ほんの数日前よ? しかもいきなり今回の案件に突っ込まれたしね。それにそもそも、あたし達だって隊長はジオリードだと思ってたのよね」
「私め達を出迎え案内してくださったのも、ジオリード様でしたからね」
ネビュラの言葉に同意するようにノアールも頷く。
「むしろなんでこんな所にあたしたちの絵があるの……? これを描いたのは誰? 隊長さん?」
「であろうな。これは隊長の持つスキルの一つだ。今からそれを説明しようと思う。だがその前に……」
「隊長さんを起こさなきゃですね」
ジオリードと顔を見合わせたシャルトリーゼは、ツカツカと足音を立ててアトリエを横切ると、奥の部屋に繋がる扉を無遠慮に叩いた。
「隊長さん! スキルを使ってもう四日経ちましたよ! そろそろ起きてください!」
コンコン! コンコン!
何度か確認の意を込めて扉を追加で叩いた後に、シャルトリーゼはドアノブを握った。
扉が開いた先に現れた光景は、私達が暮らす独身寮の雰囲気とはまるでかけ離れており、その部屋のあまりの汚さにシャルトリーゼを除く全員が思わず絶句した。
扉の先は、大量の紙の山だったのである。
床一面に落書きを描いたような紙がぶちまけられており、辺りにはスケッチブックが所狭しと積み上げられている。
その部屋の端の方にポツンと置かれたベッドの上で、その少女はよれよれの服を着てすやすやと眠っていた。
「……これが隊長さん、なのかな…?」
スズが恐る恐る問うと、ジオリードとシャルトリーゼは同時に頷いた。
見た目はスズと同じか少し幼い気さえする18歳前後のその少女は、肩のあたりで切りそろえらえた青い髪をくしゃくしゃにして、今もぐっすり眠っている。
「なんか全然起きる気配がないけれど、声をかけて大丈夫なのかしら…」
他人の、ましてや隊長の寝室に無遠慮に立ち入ってしまった負い目もあり、弥生がおろおろとシャルトリーゼにお伺いを立てる。
しかしシャルトリーゼは一言
「ちょうど起こす時間だったんです。だから大丈夫ですよ」
と隊長相手に一歩も怯むことなく歩み寄り、その少女が握りしめたタオルケットを遠慮なく剥いだ。
「隊長さん、起きてください! そろそろ体力も回復したでしょう?」
「うぅん……シャル…………やだ、まだ寝る……眠い……」
「駄目ですよ、寝すぎは。それにお客様もいらしてますから、ほら、いい加減しゃきっとして下さい!」
姉に叱られた妹のように、渋々目を擦りながら体を起こした少女。
その少女の寝ぼけた視線が一瞬宙をぼんやりと彷徨い、やがてゆっくりと私たちの姿を捉えると、少女は途端に声を大にして叫んだ。
「あーーーーーーっ! 感染対策課の、うちの子達っ!」
鼓膜を貫くかの如く天をつんざく少女の声。
その大きな声に、まるで小動物のように思わずスズが体を竦ませた。
事前に想定できていたのか、ジオリードとシャルトリーゼはちゃっかり手で耳を塞いでいる。
なんと言えばよいのかわからない感染対策課の面々は、困り果てて助けを求めるようにジオリードの姿を見た。
ジオリードは少し面倒臭そうにため息をつきながら、手をこめかみに添えて言った。
「久しいな、隊長。寝ていたところをすまない。ご覧の通り感染対策課の面々を連れてきたのだが、相談がある。時間はとれるか?」
「相談か。ってことは何かまた、あたしの力が必要ってことだね。いいよ。ちょっとシャワーだけ浴びてくるから、そこらで待っててもらえる? あたし、三日眠りこけてて汗臭いから」
そう言い残すと少女はベッドを飛び降り、一人バスルームへと消えていく。
「シャル―! あたしの着替え出しておいて! いつもの引き出しにあるからー!」
「はいはい。ついでにお客様たちにお茶も出しておきますね」
遠くから叫ぶ少女にまるで普段の事のように返事をして、シャルトリーゼは微笑んだ。
「びっくりしたでしょう? いつもあんな感じなんです。ごめんなさいね。隊長さんが来るまで、皆さんそちらのテーブルでお待ちいただけますか? お茶をお持ちしますから」
そう促されて私たちはアトリエ部分を挟んで寝室とは反対にある、ダイニングキッチンへと移動する。
途中アトリエを横切る際にちらちらと目に入るキャンバスをよく見ると、そこにはネビュラやノアールの他に、私やスズ、李白や弥生といった他の感染対策課メンバーの肖像画もあちこちに飾られている事を確認した。
「隊長さんは絵を描く人なの?」
シャルトリーゼが淹れてくれた紅茶を冷ましながら、リネットが質問する。
「ええ、そうですよ。隊長は人物絵専門の絵描きさんです。このアトリエにおいてある絵は、全部隊長さんが描かれたものなんですよ」
「へぇ~凄い! どおりでこんなにキャンバスがいっぱいあるわけだぁ!」
部屋の中をきょろきょろと見回すと、ダイニング部分にもいくつか絵が飾られている。
すぐそばの壁には金の前髪を真ん中で分けた美しい青年の絵の他に、黒い軍帽をかぶった黒髪の男の絵と、今ここにいるシャルトリーゼの姿もあった。
「このアトリエに飾られている絵は、全部実在する人物なのか……?」
「基本的にそうですね。隊長さんが必要だと感じた『出会いたい』と思った方の絵が描かれているんだと思います」
「出会いたい……?」
「そ。それがあたしの能力だからね」
みれば先ほどの青い髪の少女が、洗い立ての髪をタオルでごしごしと擦りながら戻ってくる。
「おまたせ。あたしの能力の話、みんなにはもうした?」
「ちょうどこれからするする所でした」
「そっか、ならちょうどいい。どうせだから、これを見て」
そう言うと、部屋の片隅に山の様に積み上げられているスケッチブックの数々の中から随分と古びた一冊を取り出すと、私達のテーブルの上にぽんと投げるように置いた。
「エイト、スズ。見てみるがいい」
ジオリードに促され私たちがそのスケッチブックを開くと、一ページ目に小さな銀の髪の少女の姿があった。
「これは……わたし?」
「そう、あなたがダーザインに初めてやってきたころの姿だね」
「次のページにはエイトもいるよ…!」
「わぁ、五年前のエイトだ! なつかしいー!」
スズの横から覗き込むように、リネットが歓喜の声を上げる。
他にもページをめくれば、若かりし頃の感染対策課の面々の姿がそこにはあった。
「私は貴方と直接会ったのは今日が初めてだと思ったのだが……これは一体どういうことだ?」
驚きを隠せないまま私が問うと、少女は口元ににやりと笑みを浮かべ、一本の筆を取り出した。
「これがあたしのVS能力の一つ『理想夢想現実』。こうだったらいいなと思うものを絵という形に出力すると、それとの絆が具現化されるの。私はダーザインでこの感染対策課の一つの隊長を任されたときに『こんな子達が私の部下になってくれたらいいな』という願いを込めてそのスケッチブックに絵を描いた。あたしが描くことができるのは見た目だけで、性格や年齢、細かいあなた達のプロフィールまでもは一切の指定ができない。あたしが出来るのはインスピレーションが湧いたときに、自分の思うままに絵を描くことだけ。ぶっちゃけて言うと、それ以外はほとんど何もできないに等しい」
そう言うとテーブルのスケッチブックを手に取る。
「あたしがこの力に目覚めたのは本当にちっちゃい頃。子供がお姫様になる事を夢見て落書きをするように『こうなりたい』と憧れの存在を絵で表現するうちに、自身がそれに準じた見た目に『なんとなくそう見える』ようにできる力を持つことに気づいたの。あたしは可愛い女の子が大好きだった。だからかわいい女の子の絵をいっぱい描いたわ。そしたら不思議なことに自分の見た目まで、その絵の持つ雰囲気に変える事ができた。まあ、一時的にだけどね。その後も『こんな人がいたらいいな』と理想の存在を思い描くうちに、それとそっくりな人物と出会ったり、理想の姿をした人物がこの世に存在しているという事を知って驚愕したり。そんな出来事を繰り返すようになった」
それからの日々は、苦悩の連続だったと彼女は語る。
「気づくまではただの偶然でしかなかったそれも、気づいてしまえば恐怖にかわるでしょ? だってあたしの力で人が、物事がもしかしたら変わってしまうのかもしれない。それこそ両親や仲の良かった友達まで、自分の妄想が生み出した都合のいい人間なんじゃないかって、不安にもなったわ。もう誰も信じられない……そんな時にあたしは一枚の絵を描いた。黒いスーツのような制服を着た、男の人の姿を」
それが、まさに彼女を保護したダーザインの職員であったと言う。
「あたしはダーザインという組織に保護されたことで、ようやく自分の持つ本当の力に気づくことが出来た。この世には《世界》というものが無数にあって、あたしのように自分の持つ力に苛まれている人がいるってことも。だからここで、働く事に決めたの。そのまま知らずに使い続ければ、やがて《世界》を歪めてしまいかねないこの力も、ダーザインという組織の上で《世界》を救うためならば、その存在を許される。だからあたしは《世界》を救うためにこの筆を握ってる」
使い古された一本の筆。
それをくるりと指先で回して彼女は言った。
「あたしは厚生部・感染対策課【Fizz】の隊長、アヤミ。あたしの能力は『理想夢想現実』。理想を夢想し、それを限りなく現実に近づける力。でも、あたしの持つこの力は無差別に使える訳じゃない。あたしの気持ちがなんらかの刺激を受けて、それに対するインスピレーションが下りてきた時にだけ使える能力なの。無差別に、誰も彼も救えるわけじゃない。故にあたしはこの力を普段は隠して生活してる。あなた達を部隊に呼び寄せた後も、ただの一度も顔を合わせられなかったのはそれが理由。ずっと騙していてごめんね。ジオリードは悪くないよ、そうお願いしたのはあたしなんだから。俗にいう、隊長命令ってやつ」
アヤミが苦笑気味に助け舟を出すと、ジオリードは小さくため息をついて言った。
「……という事だ。長らく騙すような形になりすまない」
「仕方ないわよ、隊長命令だもの」
弥生が代表してフォローを入れると、皆も同じように頷く。
「でも、そのあたしとの約束を破って皆をアトリエに連れてきたってことは、そうでもしないといけないぐらい緊迫した何かが起こってるってことでいいんだよね?」
「そういう事だ。隊長、そなたのそのインスピレーションがもし働くというのなら頼みたい事がある。純粋なる白い鳥によく似た、その天敵となる存在を思い浮かべる事はできるか? それが此度の《感染源》を倒すための、最後の力になる可能性がある」
ジオリードが頷くと、私達はそれからしばらくの間これまでの出来事を一通り説明した。
そして白い鳥と卵対抗するべく、それと対になる存在を生み出せはしないかとアヤミに相談を仰いだ。
「願いを叶える白い鳥に、それを四分割した卵ねぇ……」
アヤミが筆を手に取ったまま、目を閉じて脳内イメージを膨らませている。
「その鳥はとても純粋で、人の望みならばそれが悪意から出たものであっても《可能性》を消費することでなんでも叶えたがる。純真無垢ではあるが、知性は育っていない。善悪の判断がつかないのだ」
「私は鳥の姿を見たことはないけれど、卵は凄く禍々しいくて気持ち悪い雰囲気だった! 存在感がすごいと言うか…」
リネットの言い分にも耳を傾け、アヤミはうんうんと首を縦に振る。
「他にも何かない? なんとなくのイメージとか、なんなら想像や予測でもいい」
「イメージ……それなら、人の望みを叶えたいのにずっと封印されていたから、寂しかったんじゃないかな…ってわたしは思う」
スズがおずおずと自分が受けたイメージを伝える横で、アイゼが一言「無邪気」と付け加えた。
「僕は卵を見た時、とても心が惹かれましたね……《不浄のもの》に取り憑かれているせいかもしれませんが、それを自分のものにしてしまいたいと感じましたよ」
「私にとって卵は強大な《感染源》……どっしりとしているのに封印するのに手こずったイメージしかないからかしら。威厳を感じたわ」
李白と弥生も、それぞれが持つ卵のイメージをアヤミに伝える。
「なるほどなるほど……他には?」
「私は正直、近寄りたくないものという印象だったな……禍々しく無機質なその感じが、卵型といえど得体が知れず不気味に映っていた」
私も素直に感想を述べると、アヤミは一つ頷き、最後に紫希へと目をやった。
「そっちの、黒い服のお兄さんは?」
「俺か?」
皆の後ろで腕を組み、黙りこくっていた紫希が顔をあげる。
「うん。みんなにも一言ずつイメージをもらったし、せっかくだからね」
「そうだな……近づいてはいけない存在、だな。禍々しく無機質なイメージが、卵といえど得体が知れず不気味に映る」
「……それって、エイトとほぼ一緒?」
「お前、私の真似をしたのか?」
おずおずと紫希を見たスズの後ろで、私は片腕を腰に当てて思わず吐き捨てる。
「そうじゃない。俺はお前の分身のようなものだ、エイト。卵に持つイメージだって近くなるのは当然だろう!?」
「言い訳は見苦しいぞ」
「何だと?」
「二人ともやめて。くだらないことで喧嘩しないでーーーっ!」
スズが大声をあげて私たちを仲裁する。
あいつの事は気に食わないが、スズにここまで言われてしまっては言い返す術もない。
「……ふん。スズがこう言っているからな、今回は大目にみてやる」
私が話を切り上げふいと左を向くと、それに対抗するかのように紫希も黙ったまま、ついと右を向いた。
その間でスズが小さく頬を膨らませ、珍しく感情豊かにむくれている。
なんとも珍しいこの光景に、他のメンバーは思わず笑みをかみ殺しきれずに笑っていた。
しかしそんな中、アヤミだけが動きを止め私たちの姿をじっと見ていた。
やがて。
「インスピレーション、湧いてきたかも……!」
そう独り言ちると、アヤミは大きく腕を振り上げ、その筆をキャンバスに滑らせはじめる。
アヤミは右手でキャンバスに白いインクで何かを描きながら、あいた左手で右手についているアームカバーを器用に外した。
その刹那、右腕からはパチパチと静電気のような気配が立ち上りはじめ、空中でそのいくつかが小さく爆ぜる。
「大丈夫ですよ……隊長さんがリミッターを外しただけです。隊長さんの力は使い方を間違えれば《世界》に混乱を来す可能性があるものですから、普段はあのアームカバー型のリミッターで制限をかけているんです」
シャルトリーゼがそう説明してくれる傍で、私達はその光景を固唾をのんで見守った。
まるで本能に目覚めた野生動物のように、アヤミの瞳孔は大きく見開き虚空を眺めている。
やがて何者かにその身体を支配されたのかと思う程、アヤミは弓の様に胴をしならせた。
その間にもアヤミの全身からは、零れるように不可思議な青色の光が放たれている。
「理想……夢描き、絆紡ぎて、ここにかたなす……」
アヤミが何かを描きながら、うわごとのように呟いた。
突如、キャンバスがそれに反応してキラキラと輝き始めると、アヤミの描くその小さな鳥はキャンバスの中で静かに息づき、呼吸を始める。
閉ざされた瞳がぱちりと開くと、それを合図に小鳥は左右の翼を大きく広げた。
キャンバスと私たちの間に一陣の風が吹く。
「理想夢想よ、いざ現実へッ……!」
アヤミが叫びながら渾身の想いを込めてキャンバスに最後の一筆を描き切ったその時。
眩い光に包まれながら、一匹の白い小鳥が私たちの目の前に姿を現したのだった。