突然目の前に現れた一羽の白い小鳥。
その鳥は、小さいながらも随分とふくよかな身体を惜しげもなく皆に晒し、まるで餅のようにどてっとテーブルの上に座っていた。
これがアヤミのスキルが紡いだ、最後の一手となる生き物である。
一同はそのふてぶてしい姿を一目見て、混乱と困惑を極めていた。
「これは……一応小鳥なのだろうか」
あまりにも丸すぎて鳥と言い切るにはいささか自信がなかったが、確かにその生き物には白い羽が付いている。
例えていうのなら、鏡餅のように丸々としたシマエナガ。
そんな不思議な生き物が、私の声に反応して口を開く。
「俺ちゃんほど高貴な存在となると、小鳥なんて言葉では言い表せなくなっちゃうんだよね、わかる、わかる]
「わぁ! 小鳥がしゃべった!?」
「いいね、その反応(笑)格の違いっていうのかな? そこらへんの鳥と一緒にはできない冴えわたる知性と厳かな雰囲気を俺ちゃんから感じるでしょ? わかってるねー君」
驚き目を瞬かせているリネットの傍で、鏡餅……もといその鳥は、酷く潰れたような不思議な声で調子のいいことを話している。
「ん? 歓迎のパーリィは用意されてないの? 今から俺ちゃんが現れるってわかってたんだよね? 君たちこれから俺ちゃんに何かお願いするんでしょ、何か美味しい食べ物とか飲み物ぐらい用意して待ってるのが筋ってもんじゃないの(笑)まあ俺ちゃんそんなに心狭くないから、忘れてたとしても怒ったりしないけど」
「あ……ごめんなさい、特にそういうのは用意できてないわ」
「突然の事だったので……ええ、すみません」
弥生と李白の謝罪を前に、その鳥は人を小馬鹿にしたように無駄につぶらな瞳を細めると、その重そうな身体をどてっと机に押しつけ、短い足を組みながら言う。
「気が利かないなァ、まあ頼みが何であっても俺ちゃんにとっては朝飯前な事だろうから、別にいいけどね。どこかの卵や勾玉みたいにわざわざ《可能性》とか貰わなくても、望みぐらい自分で叶えられますんで(笑)ほんとこんなのにいちいち手こずってるとか……ププッ。片腹痛し」
「……なんかこいつ、妙にむかつくわね……」
「奇遇ねネビュラ……私も勢いのあまりつい息の根を止めてやろうかと考えていたところよ」
アイゼが殺意に満ちた目でその鳥を見やると、鳥は突然羽をパタパタとはためかせて命乞いを始めた。
「え、ボコるから前に出ろって? いや~キツイっす。ナマ言ってすみません! 許してくださいなんでもしますから!……なんていうと思った? 嘘だよ。あ、今ちょっとイラっとしたでしょ、フフ、知ってる」
「やっぱり殺すわ……」
「わぁ~! アイゼさん落ち着いて~!」
リネットとスズが両サイドからアイゼを諫めた。
しかし本当になんなのだ、この口から生まれたかのような小鳥は。
ふてぶてしいだけに飽き足らず、一言いえばその三倍は返してきそうなほどお喋りで、その上妙に小賢しい。
「この鳥が……本当に卵を倒す最後の一手となるというのか……!?」
ジオリードが到底納得できないと言わんばかりにアヤミの方を見る。
しかし当のアヤミはというと絵を描き終わった直後、すうすうと寝息を立ててまたその身を横たえてしまった。
少しつついてみたが、うんともすんとも返事がない。
身体を大きく揺すってみても涎を垂らして寝返りを打つだけで、今や完全に深い眠りについてしまったようだった。
「隊長さん、スキル使い終わるといつもこうなんですよねぇ……精魂尽き果てちゃうみたいで。こうなると体力が戻るまで暫く起きません。時間にして約三日ぐらい。困っちゃいます」
シャルトリーゼがあらあらと頬に手を当てているが、その声色は全然困っているようには聞こえない。
よくある事だというので、彼女にしてみればもう慣れてしまった事なのだろう。
ぐうぐうといびきをかいて寝ているアヤミの身体を抱き上げて、シャルトリーゼは寝室へと運んだ。
「隊長さんは一応、お勤めはきちんと果たしてくれました。あとは暫く寝かせておいてあげましょうね♪」
そう言ってシャルトリーゼはニコニコと笑っている。
しかし私達はこの取り残された鳥を一体どうすればいいのか、もはや判断に苦しんでいた。
あの卵の持つ禍々しさと対になるのだとしたら、それこそ竜や神鳥のようにもっと壮大かつ神聖さがある存在となるのではないかと勝手に想像していた手前、出てきたものが鏡餅ではやはり胸中納得はいかない。
「……確かに私が言った白い鳥のイメージとは違い、こやつは純粋さがまるで無い上に、人の頼みなどそう簡単に聞いてくれなさそうな小賢しさがある……」
ジオリードは頭を抱えた。
「禍々しい雰囲気なんて一欠けらもないし、存在感も皆無だね……ただうるさいだけで」
リネットも続く。
「全然寂しそうじゃないし…」
「こんな鳥を欲しいとは、僕も思いません」
「威厳なんてこれっぽっちも感じないわ……」
スズ、李白、弥生もそれぞれ顔を引きつらせながら感想を口にする。
「近寄れないほどの威圧感もなく、不気味というよりはもはやフワフワでかわいらしいフォルム……」
「…………」
私の言葉に紫希は物言わず頷いた。
それを見てこりゃーだめだとネビュラが首を振り、ノアールがその場を和ませるように「ほっほ」と笑った。
「「「「「「「「「「確かに、あの卵に似てるけど全然似ても似つかない……」」」」」」」」」」
全員が口をそろえてそう言った。
一応、私達が卵に思い描いていたイメージとは対極と成す存在とはなるのかもしれない。
しかし、これが本当に戦闘時に役に立つのだろうか……?
――正直、この鳥に戦力は見込めない。
一抹の不安が私たちの中に渦巻いていた。
しかしそれを知ってか知らずか、鳥は厚かましい態度を崩そうともせず呑気に足を組み替えている。
正直組み替えする必要もないほどの、その短い足を。
その様子がスズにとってはもしかしたら可愛らしく見えたのかもしれない。
「あの……あなたのお名前はなんていうの?」
呆れかえる私達をよそに、スズは会話を試みはじめた。
「おっ、お嬢ちゃん俺ちゃんのことが気になっちゃう感じ?」
「ええと……うん、なんて呼んだらいいかなと思って」
「まあ確かに教えてあげなきゃいつまでも『神々しき白き鳥』とか『神に愛されし全知全能の翼』とか言われかねないのは俺ちゃんもわかってるよ。フフ」
「あ、うん、そんな事は全く思ってないから大丈夫だよ」
「気を使ってくれてる(笑)まあ褒めても何も出ないんだけど」
「そうだね、褒めてはいないしね」
鳥も鳥だが、何気にスズもズバッと切れの良い一言を放っている。
しかしそれにも一切めげることなく、鳥はスズと喋りまくっていた。
「俺ちゃんの名前をタダで教えてもらえるとお思いで?」
「えっ……教えてもらえないの?」
「なんでもかんでも相手に期待するのって、よくないよ(笑)」
「ごめんね、でも名前がわからないとちゃんと呼べないから……じゃあ、鏡餅って呼んでもいい?」
スズが私と同じことを考えていたようで、少し嬉しくなる。
「鏡餅ィ? なにそのネーミングセンス、ウケる(笑)30点」
「ぴったりだと思ったのに……」
「それはさすがにひどいでしょ、あやまっテ! 早く!」
「ごめんね」
「いや即答って(笑)謝れば許してくれると思ってるワケ? 謝れば警察いらないと思ってるワケ?」
「ごめんね鏡餅」
「だから俺ちゃんの名前鏡餅じゃないからァー! 次言ったらエンハとポテ大量摂取してボコボコにされても仕方ないからね君」
「えっ、こわぁ……」
リネットが横から口を挟んでいる。
「で? 結局あんたの名前はなんなのよ……?」
痺れを切らしたネビュラが、その白い小鳥を片手で掴むと握りつぶすそぶりを見せる。
「ちょ……なにやってんだァ! ヤメテ! タスケテ!」
「あんたがさっさと名前を教えてくれないなら、このまま握りつぶしてもち米にする」
「ナマ言ってすみません! 許してくださいなんでもしますから!」
「それさっきもう聞いたよ」
「あ…ハイ」
「で? 名前は?」
「名前は『あかすみ』デス」
「あかすみぃ……?」
「『愛されし神のように優れた右腕』略して『あかすみ』ってね。一応ご主人はあの呼び出したアヤミって少女ってことになってるけどね、フフ。無様に寝ている間に、溢れる気品と存在感でどっちが飼い主か思い知らせてやるよォ!」
「OK、あかすみだね。教えてくれてありがと」
鳥の独り言を無視して、ネビュラはその手を机の横で離した。
べちゃあと音を立ててあかすみが床に転げ落ちる。
「アアアア! 痛い! 怪我して骨折れた! 羽とれてハゲたァ! それに今俺ちゃんをわざと床に落としましたね!? それよくないですよ! アー! みんなー! あいつが俺ちゃんを! 対卵兵器の俺ちゃんにぞんざいな扱いをしやがりましたーっ!」
床に転がった白い物が、潰れた声をあげながら地団太を踏んでいる。
「うるさいよあかすみ、ボールにして投げてやろっか……?」
「おい! ネビュラやめろ! 投げるな! スズ、俺ちゃんをタスケテ!」
ネビュラの掌に載せられたあかすみが、慌てた様子でスズの方をちらちらと見て命乞いをしている。
「……手に負えん。この鳥の教育係はネビュラ、お前にまかせたぞ」
「はぁ!? あたし!?」
「スズでもいいが、スズはいささか優しすぎる。手綱を握って言う事をきかせるなら、お前が適任だろう」
ジオリードの発言に、アイゼも隣で頷く。
「飴と鞭で、確かにちょうどいいかもしれないわね。お願いできるかしら。主な教育はネビュラがして、あかすみが駄々をこねてどうしようもなくなったらスズが慰めてあげるといいわ」
「このうるさいのをビシバシ扱くほうなら、まぁやってあげてもいいけど」
「ヒィー!」
不敵な笑みを浮かべたネビュラに見下ろされ、あかすみは哀れな奇声を発した。
それを見てスズは苦笑する。
「あかすみ、ネビュラのいう事をよく聞いてがんばってね」
スズがちょこんとその丸いフォルムをつついてやると、あかすみは「オウフ」と変な声で返事をした。
「よしおいで、あかすみ! あんたには卵との戦いのためにいくつか覚えておいてもらわなきゃいけない事があるからね。このネビュラ様が今晩徹底的に扱いてあげるよ! あーっはっはー!」
「ネビュラお前覚悟しろよ、いつかボコボコにするからな」
「何か言った?」
「いえ? 何も?」
「ならよし」
「………これは勇気の撤退だから! アァ!」
あかすみが最後に捨て台詞を吐いてネビュラに連れ去られていく。
ネビュラに任せておけば、とりあえずあかすみの事は暫く問題ないであろう。
そんなことを思いながら私達はネビュラを追って退室したノアールを笑顔で見り、そしてその姿が見えなくなってからゆっくりとアトリエの椅子に座り込んだ。
「……正直もう、頭も体も限界~」
リネットが天を仰いで呟いた。
その一言に皆が同意する。
私達はとても疲れていた。
マリスベルと対峙してからまだ一日も経っていない。
夜にマリスベルとの死闘の末、やっとの事で彼女を森のほとりで封印し、朝方医務室へと運ばれ手当てを受け、昼に皆で集まって今後の事を話した後、このアヤミの暮らすアトリエへとやってきた。
私は手当てを受ける間に軽く仮眠を取っていたが、その間も休まずあれこれ手当や状況整理に走っていた者もいるだろう。
とりあえず卵の結界が解けるまで、まだ数日ある。
今はただゆっくりと眠りたかった。
「隊長も暫くは起きてこないだろう。今日は一旦、皆帰るか」
「そうね、さすがに疲労困憊だわ……でもその前に、ヴァレリアの様子がどうかだけ確認しておきたいわ」
ジオリードの言葉に頷きながら、アイゼが言った。
「これからの予定を立てるにしても、ヴァレリアをはじめどの程度の戦力が集まるか、ある程度の見通しを立てておかないといけないもの」
「そうね。他部隊にもどれぐらい助けてもらえるかまだわからないから、そこの所もあとで詰めてみないと。一応、昔任務で一緒になった知り合いの部隊もいくつかあるから、もし必要なら救助要請を出してみるわ」
「助かるわ弥生、お願いするわね」
弥生の申し出にアイゼが頷く。
そのすぐ傍でシャルトリーゼが人差し指を立てながら、私に向かい言った。
「エイトさんはこの後はちゃんと医務室のベッドに戻ってくださいね? 今は痛み止めで大分落ち着いていると思いますけど、まだ傷が完全には癒えてはいませんから。朝晩のチェックがありますから夜中に抜け出したりしちゃだめですよ?」
シャルトリーゼが私にぴしゃりと言い放った。
「わかった。では私も医務室へ戻ろう」
「私も行きたい! 私は治癒術師でもないから何ができるってワケでもないけど」
どうやらリネットもヴァレリアの容体が気になるらしい。
申し訳なさそうに両指を絡めて俯く彼女に、シャルトリーゼは笑顔で頷いた。
「大丈夫ですよ。それじゃあ皆さん、一旦医務室へ戻りましょう♪」
「うん……!」
嬉しそうに頷くリネットをシャルトリーゼが先導して歩き出す。
そんな二人の後ろをゆっくりと歩きながら、私はあの男に声をかけた。
「お前はどうするんだ、紫希。泊まる場所はあるのか?」
「ないな。だがお前が医務室で寝泊りするのなら、暫くの間、お前の部屋を借りよう。問題ないか? エイト」
「……好きにするがいい。だがスズを部屋に連れ込んだり、スズの部屋に入るのは駄目だ」
「わかっている。だが俺もスズと少し話したい事がある。談話室でなら話しをする事を許可してもらえるか?」
紫希がスズへ問いかけると、スズは少し躊躇いがちに私を見て言った。
「エイトがいいよっていうなら、わたしはかまわないよ。わたしも紫希に少し聞いてみたいことがあったの」
「……なら話してくるがいい。私達は医務室へ戻る。スズと話をした後に、彼女を部屋まで送ってやってくれ」
「了解した。行こうスズ」
「うん。エイト、また明日ね」
「ああ、また明日。おやすみスズ」
「おやすみなさい」
手を振るスズに見送られながら、私はその場を後にした。
普段は自分が居たはずの場所に、今はあの男が居る。
それを見て少しばかり胸が締め付けられるような思いがするのは気のせいではあるまい。
自分で望んだ事なのに、人の感情とはままならないものだ。
「あのお二人、並んでるとなかなかお似合いですね。……星の導きを感じます」
振り返ったシャルトリーゼが、スズと紫希の後姿を見送りながらそう言った。
確かに私と並んでいる時よりは、よほどバランスがとれているかもしれない。
私は今までスズの姉か保護者のように扱われてきたが、スズだってもう十八歳の立派な女性だ。
いつまでも子ども扱いばかりしてもいられまい。
年頃になればいつか彼女だって誰かに恋をし、保護者の元を離れていく。
今までのような私との歪な関係に比べれば、ああして紫希と男女で並んで歩く方がずっと自然なことなのかもしれない。
戦闘にしたってそうだ。
左腕を失った私とでは、彼女を守る上であの男とは比べるまでもないだろう。
それに所詮、女の身では男の力に早々勝つことはできない。
全てにおいて紫希のほうが私の力を上回るなら、彼女の保護者を務めるのもこの辺が潮時なのだろう。
「こうやって少しずつ、スズも自立していくのかもしれないな……」
「エイトにとって、スズの自立はやっぱり少し寂しい?」
前を歩くリネットが、私の様子を伺うように顔を覗き込んでくる。
意外とこの子は繊細で心配性なんだなと思いながら、私は小さく笑った。
「……寂しさは否定できないが、だがそれでも嬉しい事さ。私は、スズが幸せであればそれでいいんだ」
自分に言い聞かせるように呟く。
リネットはそんな私に対して、それ以上特に何も言ってはこなかった。
白黒つけようと追及をしたりする事もせず、暫くは曖昧な状態のまま私の気持ちをそこに置いて受け止めてくれた事に、私は心から感謝した。
ずっとスズをこの手で守りながら、その幸せを願って生きてきた。
オラクルネストで彼女と出会ってから今までの約五年間の私の記憶には、そのどれにもスズがいつも一緒にいた。
共に歯を食いしばり泣きそうになりながら衰滅寸前の世界を歩き、その先で見つけた《穴》に誘われて私達は中央世界へとやってきた。
その思い出のどこかしこに彼女の姿があり、私はいつも、その彼女の姿を追いかけながらここまでの人生を歩いてきたのだ。
長かったようで短かった五年間、彼女の姿がない人生は考えられなかった。
しかしこれから先、少しずつスズの手を離した後の私には一体何が残るのだろう。
寂しさ以上に柄にもなく不安が押し寄せる。
――東雲紫希。
あの男の存在が、安寧に身を委ねていた私の心を搔きむしる。
私の中にもこんな醜い心があったなのだなと、己の不甲斐なさを嗤うように私はその日、ベッドにつくなり深い眠りについたのだった。
* * *
エイトたちと別れた後、スズは談話室の椅子に座っていた。
先ほど紫希から手渡されたココアは、甘い香りと共にほっこりとした温かさを掌に伝えてくれる。
今日はだいぶ疲れていたはずだったのだが、思わず頬が綻んだ。
「わたしがココアが好きだって、どうして知ってたの?」
つい漏れた疑問を、目の前にいる男性へ問う。
「どうしてって……いつもコーヒーとココアと紅茶の中なら、ココアを飲んでいただろう? コーヒーも紅茶も飲めなくはないが、いつも大抵ガムシロップか角砂糖を2個入れて飲んでいたのを見ていたからな」
「……そっか」
スズの飲み物の嗜好――ガムシロップや角砂糖の個数まで――をはっきりと理解しているのは、この感染対策課ではエイトぐらいしかいない。
こんな些細なことからでも、この男性がエイトと記憶を共有しているという事実をひしひしと感じることになるなんて、スズは思ってもみなかった。
「ほんとに紫希って、エイトと同じなんだね。すごい」
「凄くはないさ。俺はただ、あいつの記憶と精神を引き継いでいる……それだけだ。君とエイト、二人しか知らないはずの記憶を俺が知っているというのは、スズにとっては少し気味が悪い事だろう。そうでなくとも、あまりいい気がしないのはわかる。すまない」
「そんな、紫希が謝る事じゃないよ」
自分を助ける為にエイトは自分の《可能性》を使い、その流れで紫希が誕生したのだ。
どちらかと言えば謝るのは自分の方で、彼に対してもエイトに対してもスズは常々申し訳なく思っていた。
「わたしの方こそ助けてもらったのにごめんね。エイトと同じ記憶と精神を持っているっていうのは頭ではわかっているんだけど、わたしにとって紫希はまだ昨日初めて会った人っていう感覚が抜けなくて……」
「問題ない。それが普通だろう」
「うん……ありがとう」
スズはカップを握りしめたまま小さく頭を下げた。
そんなスズを見て紫希は静かに微笑んでいる。
スズは思う。
紫希がエイトの分身であるという事実を、まだ心から受け止めきれない自分が居る。
しかしつい先ほど彼が返した短い返答は、自分がよく知るエイトそっくりで。
だからつい、そのことを忘れてしまいそうになる時があるのだ。
それだけじゃない。
普段は落ち着き払った表情をしているのに、自分にだけは優しい眼差しを向けてくれる所もエイトとよく似ているな――と思う事が頻繁にあると、なんだかとてもこそばゆくなる。
何よりそんな彼の仕草をつい好意的に受け取ってしまう自分が居ることが、えらく気恥ずかしかった。
気心知れたエイトとよく似た彼と一緒に居るはずなのに、なんだか調子が狂う。
「なんだかわたしだけが、一方的に恩意を受け取ってるみたい……ごめんなさい」
スズはぼそりと呟いた。
相手がエイトならば、たとえ溢れんばかりの優しさをこれでもかと注いでもらっても、自分は小さな子犬のように無邪気に懐き、与えらえたその優しさに違う形で気持ちを返すことができた。
しかし紫希は昨日出会ったばかりの男性だ。
そのように接していい相手ではないのは明白で、エイトからもあまり心を開きすぎないよう注意されている。
結果、自分ばかりが紫希から優しさを享受しているような感覚に陥ってしまい、なんとも落ち着かなくなる時があるのだ。
「気にする必要はないさ。どうせエイトが何か言ったんだろう」
紫希はわかっていると言いたげに、スズの前髪をくしゃりと撫でる。
そのエイトとよく似た仕草がエイトよりも遥かに大きな掌で行われることで、スズの頭は余計混乱した。
「スズ、随分と顔が赤いぞ。大丈夫か?」
「……だ、大丈夫。ちょっと色々、考え事をしてただけだから……」
心配した様子で覗き込んでくる琥珀色の瞳を、意識的についと避けながらスズは頬に手を当てた。
自分が想像している以上に顔が熱い。
今、目の前に鏡がなくて本当によかったとスズは思った。
あればきっと、茹でタコのように信じられないぐらい真っ赤な顔をしているに決まっていたから。
「そういえば、紫希はわたしに話があるって言ってたよね……!」
話題を変えるために出した言葉に、紫希は思い出したように首を縦に振る。
「ああ。エイトとマリスベルのことで、スズに確認をしておきたい事がある」
「二人の事で……?」
「そうだスズ。前提として、俺は君を守る為だけにこの世に生まれた。それがエイトが自らの《可能性》を使い、《不浄のもの》と交わした契約たったからだ。だから私の存在理念は常に君を守る事にある。その上で問う。君はマリスベルを救いたいか?」
突然核心を突くような話題を振られ、スズは先ほどからのふわふわした感覚から我に返った。
数日後には卵やマリスベルとの連戦が控えている。
今のこの感情がなんであろうと、気合を入れなおせねばならない。
マリスベルを救いたいのなら、なおさらだった。
「……うん、わたしはマリスベルを救いたい」
迷いなくスズは首を縦に振った。
今も森のほとりに一人ぼっちでいる彼女の事を思うと胸が痛む。
――絶望しか知らないもう一人のわたし。
そんな彼女に、できる事なら希望を与えてあげたかった。
たとえそのせいで自分が犠牲になったとしても、それが自分の出来るたった一つの事ならば、今も命を差し出す覚悟はある。
「ならば、救ってみせよう」
紫希はそんなスズの返事に、目を細めて笑う。
否定することもなく、それが期待した通りの返事であったかのように。
「でも、救うって一体どうやって……?」
「それは君とエイト次第になるだろうな。俺はマリスベルを救ってやりたくても、俺の意思で何かをして救ってやる事はできない。先ほども言った通り、俺はスズを守る為にここに居る。俺主体でスズの幸せを守る事以外の事は出来ないんだ。だから俺が何かをするとしても、俺の未来の《可能性》はあくまでスズ、君から派生するんだ」
紫希はまっすぐな瞳でスズを見ていた。
「だからこそ伝えておく。俺は自分の意思で、マリスベルを救う手助けをしてやることは出来ない。マリスベルを救いたいと願うのなら、君は彼女との闘いの中で、本心から彼女を救おうとして行動しなくれはならない。時には傷つくこともあるだろう。もしかしたら命を落とすほどの怪我を負う可能性だってある。君がそれだけの覚悟を持って行動した時に、俺は初めて君自身と君の幸せを守る為にマリスベルに干渉できるようになる。君にそれだけの覚悟があるか?」
「……ある! わたしはマリスベルが救えるのなら、たとえ死んでしまってもいい」
「――死なせはしないさ、そのために俺がいるんだ」
紫希は力強く言い切った。
「けして死なせやしない。約束しよう。だから君は全力でエイトと共にマリスベルを救え。……俺を信じてくれるのなら」
「……信じるよ。だって紫希、あなたはエイトの魂の片割れだもん」
あまりにも自然に、その言葉は口をついて出ていた。
いつも自分以外の誰かを守る事に必死になっていたエイト。
それとあまりにもそっくりな人が、今、目の前に居る。
彼を信じられないのなら、それはエイトも信じられないのと同義だ。
そんなバカな話あるはずがない。
「紫希、わたしはマリスベルを救いたい。もう一度彼女を説得してみたいの。力を貸してくれる?」
「勿論だ。そしてそれだけの覚悟が君にあるのなら、俺からも一つだけ頼みたい事がある」
「わたしに出来る事かな……?」
「君にしか出来ない事だ。いざという時、エイトを助けてやってほしい」
「エイトを?」
「……俺はあいつの分身だ。だからこそあいつの考えていることが手に取る様にわかる時がある。エイトはきっと君と同じく、マリスベルを救う事を考えているだろう。君の様に、たとえ命投げ打ったとしてもな。反撃もせず差し出した左腕がいい例だ」
少しだけ呆れたように紫希がため息をついた。
たしかにエイトなら、もしマリスベルを救えるというのならその身を差し出す事も厭わないだろう。
彼女はそういう人だ。それは誰よりわたしがよく知っている。
「俺が言うのもなんだが、あいつは自分を蔑ろにしすぎるきらいがある。自分の命を軽く扱っているんだ。だが俺は君の幸せを守る為に、あいつには生きていてもらわないと困る。でも俺があいつに何かしてやることは出来ない。マリスベルだけじゃない、エイトも君が救うしかない。俺ができるのはその手助けだけだ」
「……優しいんだね、紫希」
「優しい? 俺が?」
そんな馬鹿なと言わんばかりに首を横に振る紫希の姿に、スズは思わずくすくすと声を上げて笑った。
「何を笑っている、スズ」
「だって……本当にそっくりなんだもん、エイトに」
自分の優しさを認識できていないところは、彼もエイトも変わらない。
時に厳しい事を言いながら、それでもなんだかんだと人を助けたがるのは、彼らの性分なのかもしれない。
「……君曰く、魂の片割れだからな。しょうがないだろう。あんまりからかわないでくれ」
わたしがあんまり笑ってばかりいるので、ばつが悪そうに顔をそむけた紫希が話は終わったと言わんばかりに席を立つ。
「さあ、あまり長話をしてるとどこかの誰かがまた心配して煩そうだからな。そろそろ部屋まで送ろう」
「うん、ありがとう。紫希はエイトの部屋で寝るんだよね?」
「ああそうだ」
「じゃあお隣さんだ、暫くの間、よろしくね」
「……俺としては、君が死ぬまでそばを離れるつもりはないんだが」
「えぇ!?」
「苦情ならエイトに言ってくれ。俺をそう作ったのは、他ならぬあいつなんだからな」
そう言って紫希がその大きな掌をスズの前に差し出した。
スズは少しだけ迷ってから、心の中で『ごめんねエイト』と謝ってその手を取る。
――あなたはいつも、わたしをこんなにも大切に思っていてくれたんだ。
紫希の手を握りながら、エイトの事を考えて思わず涙が出そうになった。
感謝してもしきれない、溢れんばかりの親愛と敬意。
当たり前のようにそれらを独り占めしてきた自分は、確かにマリスベルに恨まれても仕方ないのかもしれない。
でもだからこそ思うのだ、なんとしても彼らを救いたいと。
例え自分が死んでしまって傍にいられなくてもいい。
それでも彼らがどこかで幸せに暮らしていてくれるなら、自分はきっと、それだけで満足できるのだから。
その事実に気づかせてくれた紫希に、スズはその大きな掌を握りしめながら心の底から感謝した。
彼との出会いは、確かにスズの中で何かを変える、大きな一歩となったのだった。