白翼の守護者   作:綾海しろ

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第23章 決戦前日

決戦前日。

私達はいつものように感染対策課の事務室にいた。

寝込んでいたヴァレリアも、まだベッドの上から離れる事はできないがなんとか意識も取り戻し、リネットはほっと一安心といった様子である。

私の腕も切断直後にスズとネビュラが暫く治癒術をかけていてくれたおかげでほぼ傷口は完治しており、痛み止めも必要ない程度にまで落ち着いていた。

利き手の左手は失ってしまったが、とりあえず右手でなんとか武器を握るぐらいはできる。

本当に手当てをしてくれたスズとネビュラ、そして厚生部のヒーラー達には感謝してもし足りない。

 

三日ほど眠りについていたアヤミも先ほど無事に目を覚まし、今はネビュラと共にあかすみの教育に励んでいる。

あの鏡餅も飼い主と飼育係の両方に扱かれ、少しだけ痩せて見えたのは気のせいではないだろう。

何はともあれ、卵殲滅作戦の準備は順調に進んでいる。

 

――ただ一つを除いては。

 

「困ったわね」

 

弥生が小さくため息をつく。

 

「まさか卵との決戦を前にして、救援部隊がこれほどまでにそろわないとは」

 

ジオリードが救援部隊がリストアップされた用紙を見ながら、また一つ、そこにバツ印を書き加えた。

 

「本部にかけあってみたけど、ちょっと時期が悪いみたいなのよね」

「時期とは……?」

「ほら、セイバー登録更新時期が迫っているでしょう? 更新を終えた部隊は結構スムーズに協力を申し出てくれたんだけれど……そうじゃない部隊は、更新時期に引っかかる可能性があるから、ミッション参加を渋っているの」

 

セイバー登録更新とは三か月に一度、バースセイバーとして活動を続ける為に必ず行わなくてはいけない義務である。

私達はつい先日それを済ませているので問題ないのだが、更新期限ギリギリまでその手続きを行っていない部隊は、ミッションより先にそれを行わなくてはならない。

規則を破ればバースセイバーとしての活動を停止されかねないどころか、最悪の場合、界賊扱いをされてしまう可能性があるからだ。

そんな訳で紫希も今、スズに連れられ急遽入った助っ人としてセイバー登録に向かっているのだが、現在はセイバー登録更新の締め切りがちょうど迫る時期である。

本部の混雑は不可避で、帰りはきっと遅くなるだろうと予測している。

そのような状態なので、更新がまだの部隊はミッションを受ける事自体を拒む傾向が強く、仮に受けようとしてくれたとしても、卵との闘いが長期化すればどのみちセイバー登録更新を行わねばならなくなる。

闘いの最中に登録更新に抜けられるかといえばそれもまた難しく、下手をすれば界賊扱いされかねない可能性がある時期に、長期にわたる可能性があるミッションに参加する部隊は数えるほどしかいなかった。

 

「《不浄のもの》にはまた私達の味方になってもらうから除外するとして、残りの卵はあと三つ。森のほとりは私達が担当するとしても、オラクルネストとアイゼとジオリードの暮らしていた《世界》の二か所に、最低でも三部隊ぐらいずつは応援部隊を送りたいわね」

「卵に再封印をかける部隊と、卵の周りの警備や卵に異変が起きた際に対処する部隊、それから万が一怪我人が発生した時のための医療部隊。これらは事前に用意しておく必要があるでしょうね」

 

弥生の言い分に李白も頷く。

 

「となると六部隊か……二部隊ぐらいならどうにかなるけど、残り四部隊も見つかるかしら……」

「しかもそれは最低ラインの話だぞ、弥生。今回の件は正直、救援はあればあるほど望ましい。私達が挑む森のほとりにも援助部隊は欲しいぐらいだ」

「わかってるわよジオリードさん。森のほとりはマリスベルもいるし、あの無数に湧く《現象体》を処理する班も欲しいわね。……うーん、やっぱり人手が足りないわ」

 

遠い目をしながら弥生が再びため息をつく。

 

「とりあえず今、協力に名乗りを上げてくれてる二部隊は『太刀花双輪華』と『宵月庵』よ。どちらもSランクで活動歴も長く、その実力は折り紙付きね。この二部隊にそれぞれ主力となってもらって、ジオさんとアイゼの《世界》にある卵と、オラクルネストの卵の処理をお願いしようと思うの」

「協力部隊がまだ少ない中、Sランクの有名部隊のお二つが協力してくれることになったのは、偶然と言え運がよかったですね」

「ほんと僥倖よ。あと最低四部隊……できれば私達の援護もお願いしたいから六部隊、どこで見つけてくればいいかしら……」

 

気が遠くなるその作業を前に、弥生が机に突っ伏す。

 

「……少しお茶でも入れてきましょうか、弥生」

 

李白が立ち上がりキッチンへと向かう。

ちょうどその時、感染対策課のドアを誰かが叩く音がした。

 

「ごめんください。クリムゾンストームのユカリと申します」

「……えっ、ユカリさん!?」

 

弥生が勢いよく飛び起きると、扉の直ぐ近くにいたリネットが先にユカリを出迎え対応している。

 

「突然お邪魔してしまいすみません。先日、弥生さんが医療室に運ばれていく姿を見たと風の噂でお聞きして、気が気ではなくて……」

 

うっすらと風に靡く銀色の透き通った髪を耳にかけ凛とした佇まいで入ってきたその女性は、弥生の元気そうな姿を遠巻きに見つけるなり、ぱっと表情を明るくした。

 

「弥生様! お元気そうでよかった……!」

「ユカリさん、わざわざ様子を見に来てくれたのね、ありがとう!」

 

久しぶりの再会を喜ぶ女子二人が、駆け寄るなり両手を合わせている。

 

「弥生、そこで立ち話もなんですしユカリさんとこちらに座ってください。お茶を入れますから」

「まあ李白様、お元気でしたか? お気遣いありがとうございます」

 

お邪魔しますね、と言い規則正しい礼をしてユカリは部屋に入ると、弥生に連れられ奥の椅子へと腰を掛ける。

この『クリムゾンストーム』隊のユカリという女性は、以前、弥生と李白と共にバースセイバーの仕事の一環で共同潜入捜査をした仲であるという。

ユカリも形は違えど弥生と同じ巫女であるらしく、その真面目な性格も相まって意気投合したらしい。

それから季節の折に手紙を送りあったり、たまにこうして顔を合わせて近況報告をする仲となったとの事だった。

 

「なんだかお忙しそうですね……弥生さんがお倒れになった事も含め、何かただならぬ事があったご様子」

 

机の周りに散らばる部隊リストを見つけ、ユカリが問う。

そのユカリの問いかけにはっとした弥生は、藁をもすがる気持ちでユカリに頭を下げた。

 

「実は今、大きな案件を一つ抱えているのだけど、ちょうどセイバー登録更新時期と重なってるせいか、その応援部隊がいつまで経っても集まらなくて……ユカリさん、クリムゾンストーム隊の皆さんは、もうセイバー登録更新を済ませている!?」

「それでしたら先日に。あまり遅くなると本部も混んできますから、愚弟にも少し早めに更新しておくようにいつも伝えてあるんです。よろしければその応援部隊の一つ、クリムゾンストームが一肌脱ぎましょうか」

「本当に!? ミッション開始が明日の予定なんだけれど、そんな急でも大丈夫かしら…!?」

 

弥生が期待の眼差しでユカリを見つめつつも、申し訳なさそうな口調で問う。

そんな弥生の気持ちを察したのか、ユカリは気にしないでと言わんばかりに思慮深くほほ笑んだ。

 

「セイバー登録更新日前後は、一応念のために予定をあけておりますもの。それに困ったときはお互い様ですから。他のメンバーに確認を取ってみますね!」

「ありがとう! 恩に着るわ……! 詳しい事はこちらの用紙にまとめてあるから、クリムゾンストームの他のメンバーさんに打診する前に一度読んでもらえると嬉しいわ」

 

弥生からミッション内容が記載された紙を受け取り熟読するユカリが、ふと何かを思い出したかのように顔を上げる。

 

「弥生様、この件ってもしかして先日ダーザイン本部を襲ったあの複数の《穴》と《現象体》の群れが関係しておりますか?」

「ええ、実はそうなの。あれはまた卵の件とは別物なんだけれど、切っても切り離せない関係で」

「なるほど。実はちょうどダーザイン本部の襲撃事件が起きた時、弟のジェラルドがその場に居たみたいなんです。他にも知り合いの部隊の方がいくらか一緒に居たらしく《現象体》の群れの処理も合同で行ったとか。……もしかしたら、そちらの部隊の方にもお声がけしてみたら、協力を頼めるかもしれません」

「……!」

「あの日、ジェラルドはセイバー登録更新のために本部へ向かっていたはず。他の部隊の方も同じ理由で合流したのだとしたら、もうセイバー登録更新は済んでるはずですもの」

 

頼もしそうな笑みを浮かべるユカリに、弥生はこの問題の夜明けを見た気がした。

 

「すごく有益な情報をありがとうユカリさん。もしかしたら、これでなんとかなるかもしれないわジオさん……!」

「ああ、至急クリムゾンストーム隊ジェラルドへ連絡を取り、可能ならその場に居た他のバースセイバー達にも交渉を開始してくれ。ユカリと言ったか。正直助かった。礼を言うぞ」

「いいえ、それには及びません。弥生様と李白様には、以前お世話になりましたもの!」

「それを言ったら私達の方だって、ユカリさんとヴィクトールさんにはお世話になったわ。このお礼はまた、いつか必ず」

 

弥生がユカリの手を取り深々と礼を言う。

その手を握り返し、ユカリは美しく微笑んだ。

 

「バースセイバー同士、助け合えるに越したことはありませんもの。もし私達の方で困った時があれば、その時は頼りにさせていただきますね!」

 

こうして難航していた最後の砦、応援部隊の要請は粗方の目途が立った。

『クリムゾンストーム』隊も私達よりもずっと前からバースセイバーの活動を続けるS級部隊のうちの一つである。

その実力は勿論のこと、ジェラルドが他の知り合いの複数部隊に声をかけてくれた事もあり、予想よりも多くの人々が今回のミッションに参加してくれる運びとなった。

 

「まさか一日でこんなに応援部隊が集まるなんて……」

 

夕方、応援部隊リストを整理し終わった弥生が感嘆の声を上げている。

 

「一番大きい卵があるオラクルネストには、Sランクの『太刀花双輪華』を筆頭に同じくSランクの『商易国カルエント』そしてAランクの『絆を信じる部隊』に援護をお願いしたわ。あそこの卵はマリスベルと精神の一部を共有しているから、一番何かあっては困る場所よ。それゆえS級部隊も二つ入ってもらったわ。しかも驚くことに……『商易国カルエント』はノーギャラでいいと申し出てくれたとか」

「えっ、ノーギャラ!? お給料もらわないの!? 嘘でしょ!?」

 

リネットがぎょっと目を見開く。

 

「と思うでしょ? どうやら本気らしいわ。むしろ給料や成果を残すというのなら、参加しないとまで言われてしまったわ」

「なぜそんな事を……慈善事業でやってくれるというのか?」

 

私が問うと、弥生はよくわからないといった顔で首を振り、両手を上げた。

 

「あちらにはあちらの事情があるんじゃないかしら? エイトが言う通り慈善事業でやってくれるのかもしれないし、税金対策とか、ランク調整とか、何か他に思うところがあるのかもしれないわね。……だとしても! この急な依頼をSランク部隊が引き受けてくれたという事が何より大事よ。こちらに断る手はないわ」

「確かにそうだよねぇ。Sランク私達がふわふわ活動しててなれるもんでもないし」

「その通りだな。猫の手でも借りたい我々にとってはまさに僥倖と言える」

 

ジオリードが大きく頷く。

 

「『太刀花双輪華』と『商易国カルエント』では戦い方や使う武器、戦術まで全部違うでしょうから、仮に卵がどんな状態になったとしても、ある程度は柔軟に対応できるはず。『絆を信じる部隊』は連携が取れたバランスの良い部隊よ。何かあった場合も迅速に連絡を入れてくれると思うしね。あと活動頻度が低くてBランクではあるけれど、メンバー全員常識を上回る能力を持っている『14の屍天使』には、もし万が一、一番大きな卵が孵化してしまった場合の殲滅要員として同行をお願いしてるわ」

「一番大きな卵に四部隊割り当てられるのは、随分と助かるな」

「ほんとだねぇ」

「それからジオさんとアイゼさんの故郷にある卵だけど、こちらはSランクの『宵月庵』を中心に、同じくSランクの『鶴一声』Aランクの『ΕΛΠΙΣ』『パラディス』に依頼を済ませてあるわ。ここの卵はまだ封印が解けていない状態だから、卵に警戒しつつ封印の重ね掛けを行ってもらう形になると思う。『ΕΛΠΙΣ』にはパンドラさんという膨大な魔力を持つ魔術師がいらっしゃるらしいから、卵を抑え込むことは問題ないと思う。いざとなってもSランクの『宵月庵』を主体に支援が豊富な『パラディス』がその場を支え、様々な獣や妖の姿を合わせ持つ『鶴一声』が周囲の警戒をすることで広範囲に対応ができるはずよ」

「いい感じのバランスですね。残りの部隊は森のほとりに?」

「ええ、ジェラルドさん率いる『クリムゾンストーム』を中心に、そのお知り合いの『アローヘッド』『鼻セレブ』隊に参加してもらう事になってるわ。ちょうど先日のダーザイン本部にマリスベルの《現象体》が多数押し寄せた際も、彼らが鎮圧に当たってくれてたらしいしね。確か、ネビュラとノアールも助けてもらったのよね?」

「そうそう。ダーザイン本部の鎮圧が済んだ後、機転を利かせて感染対策課の《穴》まで様子を見に来てくれたんだ。あたし達もジオの招集がかかってて急いでたから後を任せたんだけど、なかなか熱くて気の良い奴らよ。あの時は本当に助かったわ」

 

ネビュラが当時を思い出ししみじみと感慨にふけっている。

 

「『アローヘッド』隊には倫太郎様もいらっしゃいますしね。ほっほ、喫茶ピララというお店を知っておりますかな? ティータイムが好きな爺のお気に入りの店なのですが、倫太郎様はそちらのマスターを務めていらっしゃるのです。ちょっとした顔見知りなのですが、頼りになるお方ですぞ」

「ねぇねぇ『鼻セレブ』隊は、噂の変なアザラシが居る部隊でしょ!? 一時期ダーザインでも話題になってた! 私一度見て見たかったんだよねぇ~楽しみ!」

 

リネットがアザラシに思いを馳せ、瞳を輝かせている。

 

「これだけの部隊がいれば、前よりは大分楽に戦えそうだな」

 

一仕事を終えたと言った具合に、背もたれに体を傾けながらジオリードが満足げに笑う。

 

「これだけじゃないわ、卵の対応には向かわないけれど、万一の事も考えてダーザイン本部で待機していてくれる部隊もいくつかいるそうよ。『暴君ギルド悪童』や『かえるの一小隊』はそれぞれ勝手に動く方が対応しやすいからって、何かあった時の対応部隊として控えてくれるそうなの」

「……一日で、よくこれだけの部隊が参加表明を出してくれたな」

 

思わずそう呟くと、弥生は一言

 

「それもこれもユカリさんのおかげよ。彼女の誠実な人柄が、わざわざこんなところまでお見舞いに足を運んでくれて、結果としてジェラルドさんに話を通すきっかけになり、最終的に他の部隊さんにも安心感を与えてくれたに違いないわ」

 

そう言って飲みかけの紅茶を一思いに飲みきった。

 

「『クリムゾンストーム』さんには頭があがりませんね。いつかお礼が出来ればいいのですが」

「そうね。でも何はともあれ、まずは明日よ」

 

感染対策課の事務室の中を片付けながら、私達は明日に思いを馳せる。

一つの卵から始まったこの物語は、沢山の人間と様々な部隊の絆と力を経て明日終止符が打たれる。

思ったよりも大掛かりになってしまったが、それは偏に今ここに至るまでに、沢山の人の想いが重なり合った結果なのだろう。

 

卵に願いを込めた人々。

人の願いを叶え続けた卵。

卵に翻弄された人々。

人々を翻弄し続ける卵。

 

どちらが先でどちらが後なのかは、私達にはもうわからない。

だが幾重にも人の想いが重なりあって、今この時を紡いできたのだ。

 

――その想いの行きつく先が、どうか幸せであってほしい。

 

そんなふうに私は願った。

 

 

 

* * *

 

 

 

その夜、私は一人談話室に居た。

登録更新に出かけて居る紫希とスズの帰りを待っているのだ。

二人が不在の間に決まった応援部隊の事や、明日の卵との決戦についての連絡事項がいくつかある。

他の者はまだ明日に備えてやるべき仕事も多かったが、私は左腕を失った上に病み上がりという事もあって、このような口頭で済む簡単な仕事が割り振られたのだった。

談話室は感染対策課のある建物の一階入り口付近に併設されており、二人が帰ってくればすぐにでもその姿に気づくことが出来るだろう。

時計の針は20時ちょうどを示している。

朝早くから出かけた二人であったが、やはり登録更新日が近い事もありダーザイン本部は混んでいるらしい。

帰るまであと三十分ほどかかりそうだと先ほどエニグマフォンから連絡があった。

そんな訳で私は一人、こうして談話室で暇を弄んでいるのであった。

 

今まで立て続けに任務が重なっていたこともあるが、こんなにスズと一緒に居ない日を過ごしたのも久しぶりだ。

朝、顔を合わせば一緒にご飯を食べ、日がな共に任務をこなして眠りにつく。

そういう生活を五年も続けていたので、なんだか妙に落ち着かなかった。

 

それに普段ならこの時間は、自室で夜のトレーニングに充てている頃だ。

いくらVS能力があれど、基礎体力がなければ戦闘もままならない。

その為、筋力トレーニングやジョギング、柔軟体操などできる事は今まで何でもやってきた。

しかし明日の卵との戦いに備え、今日は絶対安静と言われている。

体力は温存しておきたいが、利き腕の左手を無くした上に病み上がりである。

果たしてまともに戦う事ができるだろうか。

今更考えても仕方のないことだが、そう簡単に不安を打ち消すことは出来ない。

私は唯一まともに動く右手を前に出し、ぎゅっと拳を握りしめる。

そしてこの手に馴染まぬコンバットナイフを握り、マリスベルと対峙する姿を想像してみた。

 

――利き手ですら切れぬものを、右手なんかで切れるものか。

 

どれだけ集中しても、雑念を振り払っても。

それでもこの想いが消せない。

あれはスズなのだ。幼い頃の小さなスズ。

その子が一人ぼっちは寂しいと泣いているのに、それを無視して右手に力をこめる事などできる訳がない。

 

「ならば一体、どうすればいい……」

 

無くなった左腕のように、私の自信もとうに消え失せかけていた。

スズを守ると豪語していた少し前までの自分が、もはや別人のように感じる。

そもそも自分に、スズを守る力などあったのだろうか?

そんなもの、初めからなかったのかもしれない。

私がスズを守ると誓ったのは、あくまで神託があったからだ。

しかしその神託の内容も曖昧で、スズを守れと言われたわけでもない。

 

――私が勝手に、そう思い込んでいただけだ。

 

ただ共に来てくれと言われただけで、生きる気力を失っていたあの頃の自分は活力を取り戻し、だからこそ彼女を守ろうと思ったのだ。

今にして思えばあの信託はオラクルネストを救うためのものではなく、その民である私を救うためのものだったのかもしれない。

スズに手を差し出してもらわなければ、私はきっとあのまま収容所で死を迎えていたはずだ。

守り、救われていた自分が、馬鹿の一つ覚えのように守る守ると連呼してきたのかと思うと、あまりにも惨めだった。

だから正直、今はスズに合わせる顔がない。

不在の間の言伝がなければ、私は一人先に寝ていたはずだ。

今のスズには紫希がいる、私がいなくてももう何も問題はないのだから。

 

人知れず深いため息をつく。

だがそんな私に気づき、声をかけてくれた人物がいた。

 

「ほっほ。どうしましたエイト様。そんなため息などついて」

 

見ればすぐ後ろに、見上げるような巨体をした一人の老紳士が立っていた。

 

「……ノアールか。ご覧の通りさ。片腕を失い、明日どう立ち回ればいいかを考えていた」

「それは確かに難儀な事。ため息の一つもつかずにはいられますまい」

「そうだな……スズを守る事さえ難しい状態だ」

 

私は自虐気味に薄くほほ笑んだ。

スズを守る事さえ難しいというのに、この期に及んでまだマリスベルも救いたいなどと思っているとは、口が裂けても言えやしない。

しかそれを知ってか知らずか、この老紳士は弱音を吐く私に黙って耳を傾けてくれる。

思わずぽろりと本音がこぼれた。

 

「……私にはもう、スズを守る権利さえないのかもしれない」

「どうしてそのような事をお考えに? もしや利き腕を無くされたからですかな?」

 

ノアールが穏やかに問う。

しかし私はその問いに、静かに首を振った。

 

「そうではない。神託による私の役目は、幼いスズの心に寄り添い、マリスベルを生み出さないようにすることだったのではないか……そう思うようになったからだ」

 

片腕がなくなってしまったのはあくまでも切っ掛けにすぎない。

この腕が無い状態でどうやってスズを守ればいいか考えた時に、つい一つの後悔が浮かび上がるのだ。

スズに神託が下りたあの時から、神が私に求めていたのはスズを守る事ではなく、スズに寄り添い、その弱った心に気づいてやる事だったのではないか、と。

 

――しかし私は、そうすることが出来なかった。

 

彼女の弱る気持ちに気づいてやる事もできず、呑気に守る守るとのたまっていたのだ。

あまりにも愚かで、滑稽で、恥ずかしい。

 

「私は、自分の力を過信しすぎていたのかもしれないな……」

 

その結果がこのざまだ。目も当てられないだろう。

スズもマリスベルも守るのだと意気込みながら、結局一人、ただ片腕を失っただけなのだから。

 

「そんな自分に腹を立てている。そして今、こうしてベラベラと弱音を吐いているだけの自分にも反吐が出るんだ」

 

喋りすぎた、と思った時には遅かった。

スズが居なくて気負わぬ状態の時に、ただ静かにこの老執事が耳を傾けてくれるものだから、つい魔が差したのだ。

しかしだからと言って、一度吐き出してしまった言葉はもう取り消すことが出来ない。

明日は決戦だというのにこんな士気を下げるような事を言うなんて、自分の愚かさに私はますます頭を抱えたくなった。

そんな折だった、私の天敵とも言える男の声が聞こえたのは。

 

「聞いて呆れる――お前の意思はその程度なのか」

 

見れば談話室の入り口に、見慣れた男女の姿があった。

セイバー登録更新を済ませたスズと紫希が帰ってきたのである。

 

「これはこれは……お二人ともお揃いで」

 

ほっほと笑うノアールを横切り紫希は私達の前までくると、その長身から見下ろすように冷めた視線を投げかけてくる。

 

「エイト、お前は曲がりなりにも俺の分身だ。なのにちょっと目を離した隙に、そんな下らない弱音を吐いているとはな」

 

そのどこから来るのかわからない自信たっぷりな紫希の姿を、私は下からねめつける。

 

「帰ってくるなり盗み聞きか。いい御身分だな」

「盗み聞きなどしていないさ、お前が自分に腹を立て、一人癇癪を起していた声が入口まで響いていただけだ」

「なんだと!?」

「いちいち騒ぐな、スズが怯える」

 

見れば紫希のすぐ後ろに立っていたスズが、心配そうにこちらを見ていた。

私は思わず項垂れたように視線を逸らしてしまう。

 

「……すまない」

「そんな。大丈夫だよ、エイト」

 

スズが小さくかぶりを振る。

 

「あとごめんね、わたしも話、少しだけきいちゃった。でもエイトが昔の事をそんなに後悔してたなんて、わたし知らなかったな」

 

そう言ってスズがスカートを片手で抑えながらゆっくりと隣に座った。

その静かで上品な動作にはもう幼なさが残る所がなく、なんだか突然、彼女が立派な一人の女性に見えた。

そんなスズは少し微笑み、昔を懐かしみながら喋り出す。

 

「エイトに出会ったあの頃はね、長い長い干ばつが続いた後でオラクルネストの民達はとても飢餓に苦しんでたの。畑の作物という作物が干からび枯れ果ててどうしようもなくなった時、恵みの雨と言わんばかりに今度は豪雨が押し寄せた……その干ばつと豪雨の間で沢山の人々が死にゆく姿をわたしは見てきた。……わたしの家族、神の御使い達もそうだった。姉妹の様に暮らしてきた沢山の御使い達が次々と亡くなって、ナノオートマタが墜落して消え、後に取り残されたのは私だけ。とても怖くて、恐ろしかった」

 

少し涙目になりながら、スズは私を見た。

 

「でもね、そんな時に神託は降りたの。神の御使いは夢の中で神託を得るの――だからわたしは、初めて夢の中でエイトを見た。その時の感動は忘れられない。人々が朽ちゆく中で、わたしは一人じゃないってそう教えてくれたのはエイトだったんだから」

「スズ……」

「そうしてわたしはやっと、長い時間をかけてエイトを探して出会う事が出来た。隣にエイトが居てくれて、守ってくれたからわたしはここまで来れたの。その思い出を否定しないで。……嬉しかったんだから」

 

スズは泣いていた。

ボロボロと涙を零しながら、笑いながら泣いていた。

 

「あの時確かに守ると誓ったのに……弱音を吐いてしまってすまない」

 

その涙をぬぐってやりながら、私は謝罪した。

 

 

『でも、最後まで諦めない。わたしはどんなに小さな可能性でも、それがある限り《世界》を救います……!』

 

 

いつか聞いた、幼き日のスズの言葉。

それが脳裏に蘇る。

何度失敗したっていい、どんな小さな可能性でもそれがある限り、彼女はけして諦めないのだ。

そのスズについていくと決めたのは私だ。

それなら最後まで、私は彼女を守り続けなくてはならない。

どんなに愚かでも、滑稽でも、たとえ左手を失ったとしても。

 

――そうか、それが私の誓いか。

 

はなから綺麗なものではなかったのかもしれない。

それでも私は進み続けなくてはならない。

彼女が共に歩むことを望むのなら。

 

「俺だったら腕の一本や二本失おうと、あの時の誓いは忘れたりしない。スズのひたむきな想いを守るために全てを捧げたのはお前自身だ」

 

すぐ傍から、あのどうしようもなく忌々しい男の声がする。

 

「俺はお前のいわば鏡だ、俺ならこんな逆境は乗り越える。そしてスズの願いを叶える為に全身全霊で守る。弱音を吐いて閉じこもってる暇があるなら片腕で戦うすべを身に着ける。スズが信頼するのはそういうやつだ」

「…………わかったようなことを」

「ふん、お前は今までそうやって信頼を勝ち得てきたんだ。ここまで言ってもまだ弱音を吐こうというのなら、そうして何も成し遂げられないまま、いじけていればいい。俺はこれから明日の為に武器の手入れをする。せいぜい指を咥えて見てるんだな」

 

そう言い残して紫希はスズを残したまま、足早に談話室を出て行った。

ノアールがほっほ、と小さく笑った。

 

「……彼なりの励ましなのでしょうな、良いお友達をお持ちで」

「あんなの友達でもなんでもないさ。だが、少し目が覚めた」

 

忌々しいのは確かだが、あれのいう事は間違っていない。

 

「スズ、すまなかった。そしてノアールも。本当はスズ達が出かけている間に明日の救援部隊が全て出そろったのでその話をしなくてはいけなかったのだが……今更紫希を呼び戻すのもな」

 

苦笑気味に呟くと、スズとノアールも顔を見合わせ確かにと笑った。

あれだけ格好つけて立ち去ったのに呼び戻される紫希も気まずいだろうし、罵られた後に業務連絡をしに行く自分の姿を想像すると、それはそれで間抜けである。

 

「という訳で申し訳ないがスズ、一通り説明をするから後で紫希にも伝えてやってくれないか」

「うん、大丈夫だよ」

 

お互い普段通りに戻って業務連絡を済ませると、一足先にスズが立ち去る。

 

「エイト、ノアールさん、また明日!」

 

子犬のような、いつもの優しい笑顔で。

そんなスズの後姿を見送った後、最後まで残ったノアールが静かに口を開いた。

 

「これは老いぼれの戯言と聞き流して頂きたいのですが」

「うん……?」

「わたくしも若かりし頃、先代の王と誓いを交わした事がありましてな」

「ほう」

「先代の王と私めは武勇に優れ、昔は一国の双璧をなす存在でした。共に戦場を駆け、同じ釜の飯を食らい、時に傷ついたお互いを助け、そうして私めと王は身分を越え、強い絆で繋がりました。……しかし程なくして王は不治の病に侵され、床に伏すようになってしまれました。そこで当時生まれたばかりのお嬢様を守るようにと最後の命がくだされたのです。それはそれは大変で、おしめの交換から好き嫌いの激しいお食事管理等、先ほどのエイト様のように気持ちが折れかかるときもありました」

「ふっ……私の苦悩はおしめの交換と同じか……」

 

私は思わず吹き出してしまう。

しかしノアールはそんな私を穏やかな瞳で見守っていた。

 

「同じようなものでしょう。他人から見れば些細な事ですが、己が大切に思う者の事は喜びも悲しみも、不安も、怒りも、その全てが倍になるのです」

「たしかに、そうかもしれない」

「ええ。そしてそんな苦しい時、辛い時、私めはよくお嬢様のお顔を拝見したり思い出しておりました。そのひたむきな笑顔を見ると、誓いもありますが不思議と立ち上がる力が湧いてきたのです」

 

ほっほ、とひとしきり笑い、ノアールは私に言った。

 

「エイト様も、先ほどのスズ様の笑顔を見て思いませんか? あの笑顔を守りたいと」

 

――たしかに。

 

誓いだとか、約束だとか。

そんなものを抜きにして、私はあのスズの笑顔を守りたいと思った。

例え自分の役目が別にあったとしても、微笑み一つで、彼女を守る理由にはなりえるのだ。

 

「……難しいことを考えすぎていたのかもしれないな、私は」

「たまにはそういう時もございましょう。ですが相手を思う気持ちに嘘偽りがなければ、どんな形だろうとエイト様なら再びまた、何をしてでも立ち上がっていたはずです。爺はそう言いたかっただけですよ。ほっほ」

「……わざわざ昔話をさせてすまなかった。ノアール殿、感謝する。もう大丈夫だ」

 

スズに、紫希に、そしてノアールに励まされて今の私がある。

不安から色々余計なことを考えてしまったが、巡り巡ってシンプルに、私はただスズの笑顔を守りたいのだと。

私はすっきりした気持ちでその晩、布団に入る事が出来た。

 

私はあの子を守り続ける。

託された者たちの為、そして――――あの笑顔を守るために。

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