白翼の守護者   作:綾海しろ

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第24話 終わりの刻を迎える前に

夜が白々明けはじめた頃、スズは夢を見ていた。

見たこともない石畳の路地を歩き辿り着いたその先には、見慣れぬ一軒の家がある。

石と煉瓦で造られた古めかしいその家は、家に見合わぬ広い庭を有しており、家の周りには手入れのされた薔薇の花壇がささやかに添えられていた。

そんな花壇の周りには、まるで何者かの侵入を拒むように高く黒い柵が張り巡らされている。

それにも関わらず柵は随分と古びて腐りかけており、門に至っては錆びれ鍵が開いてしまっていた。

 

スズは恐る恐る門を潜り抜けると、その家の中へと入ってみる。

外の腐敗具合に反して家の中は随分と大切に使い込まれており、居間の暖炉に暖かい火が灯り、傍には二人掛けのソファーと小さいローテーブルにコーヒーが二つ置かれていた。

さらにそこを抜けると、奥には書斎のような大量に積み上げられた本が散乱する部屋や、よくわからない小瓶や試験管がしまわれている部屋、石の破片、そして何かのレポートをまとめたような紙と参考書、そしてダブルベッドが一つ置いてある寝室のようなものがあった。

二人暮らしの家なのかもしれない。

 

スズは一階の突き当りに、地下へとつながる階段を見つけた。

その石造りで出来た階段を恐る恐る降りてみると、そこには一つの重々しい扉があった。

厳重にふさがれたまるで防空壕の入り口のような分厚い扉を、スズはそっと押しのけてみる。

扉はギィと鈍い音を立てて開き、スズを静かに迎え入れた。

 

その部屋は地下室という鬱屈した環境であるにもかかわらず、まるで何か神聖な儀式でも行う場所であるかのように清浄な空気に満ち溢れていた。

家具などはほとんどなく、広々とした石造りの部屋の中央に小さな祭壇のようなものが一つだけ置かれている。

それだけだった。

しかしその祭壇に祭られている丸い物に、スズは見覚えがあった。

当たっていてほしくはないと願いながらそれでも確認しない訳にはいかず、拒むように後退しようとする足を前に出し、その祭壇の前まで辿り着く。

やはりと言うべきか――そこには見覚えのある古びた卵が置いてあった。

嫌な予感は当たっていたのだ。

卵はスズの訪れを歓迎するかのように、目の前でパキリと小さな音を立てる。

その殻には随分と大きなヒビが入っていた。

途端にプリスターの宝石が青白く光り、くるくるとスズの周囲を飛び回りはじめる。

白い翼はいつでも飛び立てるよう大きく開き戦慄いていた。

 

見覚えのない《世界》。

見たこともない《家》。

そして見覚えしかない卵の姿。

これが指し示すのは、恐らく一か所しかない。

 

――【T-/M+】オールドミスティック……唯一卵の封印が解けていない、アイゼとジオリードが暮していた《世界》!

 

いかなくては。

夢から目覚めて、あの卵をどうにかしに行かなくてはならない。

スズは瞼を開こうとした。

しかし危険を察知し瞬いていたプリスターの青い宝石が、何を感じ取ったのかふと警戒を解き体内へと消え失せる。

同時に大きく開いていたはずの翼も、ぱさりと音を立てて体内へとその姿を忍ばせた。

スズの防衛本能はここに危険は無いと判断したにも関わらず、目の前にはまだヒビの入った卵がある。

その時、どこか懐かしい声がスズの脳裏を掠めた。

 

『スズ。オラクルネストの愛しい子よ。ここまで辿り着いてくれてありがとう』

 

五年前にエイトの手を取るよう促し、このカノニカルへつながる《穴》へと誘った美しい女性の声。

その声が目の前の卵から聞こえたのである。

スズは耳を疑った。

この美しい声は神託だ。それがなぜ、この卵から聞こえてくるのだろう。

 

『あなたにはこれから、オラクルネストを救うための最後の試練が訪れるでしょう。辛く、苦しい選択を迫られるはずです。でもどうか別れを恐れないで。決別を受け入れたその先に、人は初めて本当の愛を知るのです。あなたの辿り着いたその先が、どうが笑顔でありますように』

 

そう言い終わると卵は、一凛の白い可憐な花に姿を変えた。

スズは恐る恐るその花を手に取る。

オラクルネストに古くからある、白い鈴のような小さな花弁を咲かせる花だ。

“第三惑星世界”テラスフィアにある鈴蘭によく似た花である。

オラクルネストでは白鈴草と言われていた。

 

――花言葉は「幸福の再来」。

 

スズの名前の名付け元になった花であった。

 

 

 

* * *

 

 

 

決戦当日。

その日は朝から騒然とした空気に包まれていた。

まだ夜も明けきるかどうかといった具合の空が白々と明るくなり始めた頃、スズと紫希が医務室で寝ている私を叩き起こした。

 

「エイト大変! 卵が……卵の封印がとけかかってるかもしれない!」

「……何?」

「五年ぶりに夢で神託があって……【T-/M+】オールドミスティックのジオさんとアイゼさんの暮らしていた《世界》にある卵に、大きなヒビが入っているのが見えたの」

 

慌てて駆け込んできたスズが息も絶え絶えにそれだけを告げると、既に事情を察しているのか紫希は踵を返し、エニグマフォンを片手に医務室の外へと駆けていく。

 

「今、紫希がジオさんたちに連絡を入れてくれて、想定の時間より早いけれど『鶴一声』の部隊の人たちが一足先に現場まで状況を確認しに行ってくれてる」

「『鶴一声』……獣や妖の姿を合わせ持つ、広範囲の状況把握が得意な部隊か。確かに人の身よりもいち早く現場に急行できるな」

 

私は戦闘用のグローブを右手にはめると、いつものコンバットナイフと共にハンドガンを手に取る。

片腕がない状態でどうやって戦おうかと考えていたが、結局慣れ親しんだコンバットナイフの他にサブウェポンとして一応携帯していたハンドガンに頼る事にしたのだ。

弾の入れ替えはできないので緊急時にしか使えないが、それでも片手で遠距離からスズや仲間を守る為の武器の一つになる。

スズに詳しい神託の内容を聞きながら準備を手伝ってもらい、二人一緒に部屋を飛び出すと既に感染対策課には他の面々がそろっていた。

 

「随分と厄介な事になったぞ、エイト」

 

ジオリードがエニグマフォンの通話をつけたまま、私達の顔を見るなりそう言った。

 

「現在の状況は?」

「スズの言う通り【T-/M+】オールドミスティックの卵が孵化している。詳しい話は現場の声を直接聞いた方が早いだろう」

 

そう言ってエニグマフォンをスピーカーモードにすると、ジオリードは目の前の机に静かに置いた。

 

「こちら感染対策課【Fizz】のジオリードだ。『鶴一声』隊、応答願う。状況を教えてくれ」

「はい、こちら『鶴一声』のラーヒーと申します。先行した仲間が確認したところ、残念ながら既に卵は目覚めてしまっており、あちらの家の周囲一帯には瘴気が広がりつつありました。ですが事前に用意して頂いていた地下室が瘴気をある程度遮断できる仕組みになっておりましたので、今は地下を封鎖して現在に至ります。卵からは白い鳥のような生き物が出てきたという事で――事前に話を伺っていた通りといった感じですねぇ」

 

ラーヒーと呼ばれた青年の涼やかでミステリアスな声が微かに笑う。

 

「もうすぐ『宵月庵』の皆さんがこちらに到着します。少し早いですが、『宵月庵』さんが到着と同時にこちらのチームは行動を開始しようかと」

「ああ、よろしく頼む。『ΕΛΠΙΣ』『パラディス』の二部隊とも連絡はついた。ほどなくして到着する見込みだ。そなた達には卵の再封印を依頼したが、状況が変わってきてしまったな……卵が孵化してしまったというのなら、奴らはその翼を使い、どこへ《可能性》をむしり取りに行くかわからん。足止めして出来れば倒しきってしまってほしいが、それが無理なら再封印を。万が一にも他の卵や白い鳥と融合してしまわないように、それだけは十分気を付けてくれ」

「承知いたしました。ではまた進展があればご連絡いたしますね。…あ、こら毛玉、そっちに行ってはいけません。……失礼しました。それでは皆様もどうかお気をつけて。ご武運を」

 

一瞬何者かに慌てたそぶりを見せたラーヒーが、最後に恭しくそう言い残して『鶴一声』からの通信は途切れた。

 

「【T-/M+】オールドミスティックの卵の封印は解かれた。……という事は、他の卵の封印も緩んでいる可能性がある。最悪、他の卵まで目覚めた可能性もな」

 

ジオリードが私達を見渡して告げる。

 

「予定よりかなり早い時間となってしまったが、今より多部隊合同作戦を開始する。我々のチームが向かう先は【T=/M+】ニュートラル・ミスティックにある森のほとりだ。病み上がりのヴァレリアは今回は留守番だ。本部との通信連絡や、万一戦力が足りない部隊への補強要員としてリネットにもここに残っていてもらう」

「悪ぃな、俺だけここでのんびりしちまって」

 

ヴァレリアがばつが悪そうな顔をして頭を掻く。

 

「私は暫くはヴァレリアと一緒にここで通信連絡係をしてるけど、手が足りないチームがあればそこに駆けつけるから、何かあった時はすぐ連絡してね!」

 

リネットが両手を握りしめて意気込んだ。

 

「援護を頼んでいる『クリムゾンストーム』『アローヘッド』『鼻セレブ』隊とは現地で落ち合う事になっている。皆、覚悟はいいか?」

 

ジオリードの問いかけに、私達は力強く頷いた。

 

「誰に聞いてるの? あたしが居るかぎり、卵の好きにはさせないよ!」

「ほっほ。お嬢様はいつになく張り切っていらっしゃるご様子。では爺も一肌脱ぎますかな」

 

ぱちんと拳を握るネビュラの後ろで、ノアールが穏やかに微笑んでいる。

その向かいでアヤミが肩にあかすみを乗せて言い放った。

 

「今回はあたしも一緒に行くからね。あかすみの飼い主として!」

「卵だか鳥だか知らないがせいぜい覚悟しろよ。こいつらがボコボコにしてやるからな。え? 俺ちゃんは見てる」

「おまえも一緒にやるんだよ!」

 

べしんとアヤミに頭を叩かれ、あかすみがバスケットボールのように床にぶつかり跳ねた。

 

「ぶべらっ」

 

独特の鳴き声を発し、悶えている。

 

「真面目にやらなかったら、今よりもっと酷いからね」

「ナマ言ってすみません! 自分、ワンパンでボコしてやります!」

 

以前よりだいぶ従順になっているあかすみを尻目に、シャルトリーゼは相変わらずのんびりと笑った。

 

「私は医務室でいつでも怪我人をバックアップできるよう、体制を整えておきますね♪ 皆さん、無理せずお気をつけて!」

「ありがとうシャルさん! おねがいするわね……!」

 

弥生が頷くと、隣で李白も竹笛を取り出し薄く笑った。

 

「では僕も、そろそろ体を《不浄のもの》に明け渡しておきます。僕は身体を使った喧嘩はあまり強くはないので」

「……李白、あなた《不浄のもの》との取引で、また《可能性》を差し出すのよね?」

 

弥生が心配そうに彼を見る。

しかし彼は問題ないと言いたげに、余裕の笑みでその問いを蹴散らした。

 

「心配して下さりありがとうございます、弥生。ですが、それには及びません。寝ている最中に、また《不浄のもの》と取引をしてきたんです。さすがに僕も二度目は策を講じず取引するのが嫌でしたから、なんとか《可能性》を使わずに、僕らに協力してもらえるよう交渉を取り付けました。そのかわり、この戦いが終わったら僕はまた少しだけ変わってしまうかもしれませんが。何、死ぬよりましです」

 

李白はくすりと笑う。

 

「何? どういう事?」

 

弥生が怪訝そうな顔で李白を見やる。

そんな弥生の顔をひとしきり眺めた後、李白は勝手に話を中断し、おもむろに弥生にほほに手を添える。

そして軽く口付けた。

 

「!???」

 

弥生本人も、見ている皆も思わずぎょっと目を見開く。

しかし当の李白は特に焦った様子もなく、むしろ飄々とした態度で笑った。

 

「それがですね――僕がこうして弥生を好きなように、どうやら《不浄のもの》も弥生の事が好きになってしまったらしいんです。まあ、僕の中に五年もいて、その半分は僕の魂と迎合していたようですから無理もありません。僕の半分が《不浄のもの》を歓迎したように、《不浄のもの》も僕の半分を受け入れてしまった結果、貴女の事をえらく気に入ってしまったんでしょうね」

「なっ……!?」

「という訳で、今回は僕が反対に《不浄のもの》の望みを叶えてあげる事にしたんです。《不浄のもの》は僕と融合して、これから先も僕と弥生と共に生きる。そのかわりこれから先、一生《不浄のもの》は僕の奴隷です。いや、奴隷は言い過ぎかな……まあ、僕の苦手な戦闘なり、面倒な体を動かす際にはその力を貸してもらおうと思ってますよ」

 

そう言って満足げに微笑んだ。

皆が唖然とする中、ジオリードが耐えきれず真意を確認する。

 

「李白、そなたまた勝手なことを……! 本当に、お前はそれでよいのか?」

「ええ、僕はかまいません。前にも言いましたが、僕は弥生が居てくれて、寒さをしのげる家と、着るものと、温かいご飯があれば、あとはわりとどうでもいい人間なんです。それに五年も《不浄のもの》とは一緒に過ごしてきたんです。何を今更と言ったところもありますし、何より僕にとっても都合がいいんです。一つの体で二つの精神でいるより、一つの体に一つの精神のほうがどうやったっておさまりも良いでしょう? それに、これでいつでも僕は弥生を守る事ができるようになりますから」

 

美しく微笑んだこの男の隣で、弥生は呆れたように頭を抑えた。

 

「《不浄のもの》みたいなのが二人に増えるのは勘弁よ……」

「大丈夫です、一人になるんですから。増えませんよ」

 

もう李白には何を言っても無駄なようである。

弥生の呆れる気持ちもわからなくはなかったが、私としては李白のその精神のほうがどちらかと言えば理解できてしまうのは気のせいではないだろう。

大切なものを守る為ならば、時として多少の犠牲はやむを得ない。

 

「俺もこの命尽きるまで、スズ、君を守ろう。だから君は、安心して他の皆を救うんだ」

 

紫希の一言に、スズは小さく頷く。

そしてスズはゆっくりと私の顔を見て言った。

 

「エイト、卵を倒したら……一緒にマリスベルを説得しよう。協力してくれる?」

「もちろんだ。スズがそれを望むなら、私は最後までスズと共に居よう」

 

それが私のあの日の誓いだ。

 

「なら私は、親として卵の最期を見届けるわ。あるべき姿に戻れるように」

「ああ。それが私達の最後の仕事だ」

 

長い月日をかけてこの日を待ち望んでいたアイゼとジオリードが共に頷く。

斯くして私達は様々な想いを胸に、感染対策課を後にした。

いよいよ卵との闘いがはじまる。

 

――そしてその先には、マリスベルが待っている。

 

私は歩きながら一呼吸目を瞑り、再度自分の胸に問いかけた。

私の望みはスズの使命を果たす手助けをし、その笑顔を守る事。

単純明快。それだけだ。

そしてマリスベルがそんなスズの一部であると言うのなら。

 

――いつか彼女の心からの笑顔を見られるよう、最善を尽くすまでだ。

 

 

 

* * *

 

 

 

【T=/M+】ニュートラル・ミスティックに到着した私達は、今も弥生の結界術に守られ清浄な光照らされる森の入り口を遠目に見てひとまずほっと安堵の息を吐いた。

森の入り口ですらこの温かな光に満ちているのなら、森のほとりの封印は暫くはまだ安全だろう。

まずは応援部隊との合流を果たさねばならない。

私達は急ぎ集合場所である森の入り口へ走ると、そこには既に『クリムゾンストーム』『鼻セレブ』二部隊の姿があった。

 

「弥生様達! お待ちしておりました!」

 

巫女装束に身を包んだユカリが私たちに向かって駆け寄ってくると、その場にたむろしていた応援部隊の面々は一斉にこちらを向いて声を上げた。

 

「おっ、やっと主役のお出ましだな!」

 

ユカリそっくりな顔をした美青年が少し離れた所から大きく手を振っている。

『クリムゾンストーム』隊に所属する、ユカリの弟のジェラルドである。

この度の応援部隊収集の際に力を貸してくれた、立役者の一人である。

言わずもがな、もう一人の立役者はその姉のユカリだ。

本人たちはそういった様子を微塵も出さないが、この二人は姉弟揃って美形らしい。

リネットが見れば「綺麗な同じ顔が二つある!」などとのたまった事だろう。

美形と言えば、ユカリのすぐ後ろにも一段と整った顔をした金の髪の男性が控えている。

しかしこちらは美形姉弟とは一転して、随分と不機嫌そうな表情をして森の入り口に佇んでいた。

何か悪いことをしてしまっただろうかと私たちが顔を見合わせていると、その整った顔の男はため息をつきながら口を開いた。

 

「やれやれ、珍しくユカリ君から休日にデートのお誘いがあったと思ってきてみれば、まさか行き先がこんな人里離れた森の奥で、ましてや緊急任務だったなんて。しかも二人きりかと思いきやとんだコブ付きだ。嘆かわしいな」

「またそんな事を言って……ちゃんとお誘いした際に緊急任務だとお伝えしたではありませんか!」

 

ユカリがぴしゃりと言い放つと、ヴィクトールと呼ばれたその男性はさも驚いたように口を開いた。

 

「しかしユカリ君はこの誘いを持ってきた時、随分と言いづらそうにしていたであろう? あれはユカリ君の恥じらいから来る、精一杯の誘い文句だと思っていたのだよ」

「違います! ヴィクトール様を任務にお誘いする為に恥じらう必要などあるものですか。ただせっかくの休日を費やして急なお仕事のお誘いをしてしまう事に多少の心苦しさがはありましたから、少し控え目なお願いの仕方になってしまった事は否定できません。でも今回の任務は複数部隊が関わる難易度の高いものですから、その戦慣れしている実力を見込んで真っ先にヴィクトール様にお願いしたのです」

「真っ先に? 僕に?」

「そうですとも! 私はあなたがいつも誠実に任務をこなしてくる姿をすぐ近くでずっと見てきましたから」

 

ユカリが当たり前のようにそう言うと、ヴィクトールはこれまでの不機嫌な表情が嘘のように口の端に笑みを浮かべた。

 

「ふむ、君の様に美しい女性にそこまで言われては、その期待に応えねばなるまいな! これでもかつては英雄と呼ばれた男だ。戦のなんたるかは十分に心得ている。ユカリ君、そして【Fizz】と言ったか、卵の処理は大船に乗った気持ちで任せてくれたまえよ!」

 

自信に満ちた笑顔でヴィクトールが私達に宣言した。

まるでこの展開を待っていたかのように。

 

「ヴィクトール様、やっぱりちゃんと【Fizz】からの依頼任務だって理解してらっしゃるじゃありませんか」

「なんだかんだゴネて、ねーちゃんに褒めてもらいたかっただけなんだろうなぁ」

 

ユカリの隣で、ジェラルドが呆れたようにため息をついた。

本日の『クリムゾンストーム』からの現場への援軍はこの三名である。

残りのメンバーは万が一に備えて、森周辺の民家への被害が無いよう周囲をパトロールしてもらう算段となっている。

その『クリムゾンストーム』の三人のすぐ隣には白いアザラシのような謎めいた生き物と、肩上で切り落とされた桜色の髪を風に靡かせる一人の女性、そして中学生ぐらいの男子の姿がある。

 

「なんや張り切っとるとこあれやけど、朝早くからたたき起こされてワイもう待ちくたびれたでハル」

「いうてアタシ達も今来たとこじゃん、嘘乙」

「あ、俺ら『鼻セレブ』隊っす。櫂です! かわいい人多いっすね、今日はよろしくオナシャス!」

 

ハルと呼ばれる桜色の髪の女性の隣で櫂と名乗ったその男子は、その若さ特有の欲望を押し隠す事もできず赤裸々に挨拶をした。

待ちくたびれたと嘆いていた白いアザラシのような生き物は、そのままアザラシと呼んでいいらしい。

一体どのような戦闘スタイルなのか私にはその姿からは窺い知る事も出来なかったが、『鼻セレブ』隊の隊長を名乗るぐらいなのだ、恐らく……多分、きっと、その実力は折り紙付きだろう。そう思いたかった。

彼らから少し離れた所では、テツと呼ばれた銀の髪の青年がプカプカと仕事前に煙草をふかしている。

部隊というには随分バラバラな感じもしたが、この一風変わった空気が『鼻セレブ』隊が醸し出す特有の空気なのかもしれない。

 

「ジェラルドパイセン! 今日かわいい女の子多くないっすか?」

「よぉ櫂! 俺もそう思ってた……! 最高だよなぁ!」

「最高っす! ジェラル子……パイセンのお姉さんも凄く綺麗っすもんね」

 

どうやら面識があるらしく、ジェラルドと櫂がわいわいと話している。

そんな無秩序な集団のもとに、遠くから物凄い速さで駆けてくる一人の青年がいた。

 

「悪ぃ! 遅くなった! もう全員揃ってるか!?」

「烈斗! 待ってたぜ!」

「烈斗のアニキ! うっす!」

「おっ、ジェラ公! 櫂もいるな!」

 

物凄い脚力と共に足の裏からジェットの如く炎を噴射し、その推進力で凄まじい速さを出し走りくるその青年は、ジェラルドと櫂の姿をみつけると片手を上げてその足を止めた。

途端、チリチリと彼の足の裏と地面が接する空間に火花が散る。

それが落ち着いたのを確認すると、その青年は額に滲む汗をぬぐいながら顔を上げた。

 

「待たせて悪かったな、『アローヘッド』の葛城烈斗だ、今日はよろしく頼むぜ!」

「同じく『アローヘッド』の堂本倫太郎だよ。烈斗君、寝坊したからってすごい勢いで駆けていくから、追い付くのに苦労したよ」

 

そう言いながらゆっくりと歩いてきたのは、お洒落な明るい茶色のロングコートに中折れ帽をかぶった初老の男性である。

倫太郎と名乗ったその男性は帽子を脱ぎ、丁寧に私達と挨拶を交わした。

その最中、私達の中にノアールの姿を見つけると、おや、と言ったように目を見張り微笑んだ。

 

「ノアール殿、この間は随分と大変そうでしたな」

「ほっほ。先日はお嬢様共々、急いでいる所を助けて頂きありがとうございました。感染対策課に現れた《現象体》の処理の他、その入り口ともなった《穴》の対処までしていただいたとか」

「なに、僕は大したことはしていないさ。ほとんど一緒に居た烈斗君達が片付けてくれたからね」

「とか言って、一番最初に切り込んで行ったのおやっさんだろーが!」

 

烈斗が横から口を挟むと、倫太郎は飄々とした上品な笑顔でそれに応えた。

 

「そこは歳の攻といったところさ。それに僕も、少しは若い子たちを前にいい所を見せたかったしね」

「ほっほ。これは私めも負けておれませんな。倫太郎様、今日はよろしくお願いいたします」

「こちらこそ。援護は僕と若い子達にまかせてくれると嬉しいな」

「そうして頂けますと助かります」

 

そう言ってお互い恭しく挨拶を済ませたあと、初老の二人は指示を仰ぐようにジオリードへ目をやる。

此度の応援部隊は全員揃った。

あとは森のほとりを目指し、卵と対峙するだけだ。

誰もがみんなそう思った時だった。

森一帯を包みこむ温かな光がその温度を失ったのは。

 

「……何事!?」

 

いち早く空気の乱れを察知した弥生が、驚き振り返る。

皆がそれに倣って視線を向けたその先には、予想通り森のほとりがあった。

そちらはつい先ほどまで四神の力を燦々と注がれ光の結界が貼られていたにも関わらず、その神々しい光が跡形もなく消え失せており、かわりに冷え冷えとした何か恐ろしい存在から発せられる威圧感が漂ってくる。

禍々しいだけではない、怒りや悲しみ、憎しみと言った、人の心を貧しくさせる寒々しい何かが。

 

「う……一体なんですか、この得体の知れない瘴気は……!」

 

卵と初めて出会った時のリネットと同じように、ユカリが口元を思わず覆う。

何か森のほとりに異変が起きているのなら、卵の封印が解かれた可能性は高い。

ならばこのように体調を来す者が出てくるのも不思議はないのかもしれない。

だが――。

 

「卵の封印が解けたのだとしても……こんなに距離があるにもかかわらず、なぜこれほどまでの膨大な負のオーラを感じるの……?」

 

弥生が茫然としながら呟いた。

その傍でジオリードがひとまず指揮をとるべく叫ぶ。

 

「卵の封印が解けた可能性がある。その影響で気持ち悪さや不安を感じたり、何か体調に影響が出ている者もおろう。その場合の対処法がある。卵は物事の均衡がとれた状態を嫌う……なるべく男女でいたり、若者と年配がペアになって一緒に行動しろ。性格が真逆な者同士でもいい。正と負のバランスが整う状態になれば卵の影響は緩和される。恐らくだが、真逆の性質を持つもの同士が一緒に居る場合、それぞれが不足した部分を補い合うような形で心に安定をもたらし、叶えたいと願う望みが極端に減るからであろう」

 

人の望みを叶えたがる卵の性質は、それゆえ均衡のとれた安寧を嫌う。

欲望を抱くどこか歪んだ者を好み、そうではない真っ直ぐで清廉な人間ほど卵にとっては不要の長物といった具合に、その存在を消そうと強い瘴気が影響を与えるのだ。

ゆえに普段まともな人格を構築している人間ほど、卵の刺激に耐える事は難しくなる。

 

「ふむ、ではユカリ君は暫く僕と一緒に行動したまえ。男女で共に居た方が良いというのなら僕にとっても好都合だ」

 

冗談めかしたヴィクトールがユカリを支えると、ユカリは素直に頷いた。

どうやらそんなジョークに反応してはいられないぐらい、体調が良くないらしい。

 

「なんかあの巫女さんめちゃくちゃ具合悪そうやけど、大丈夫か? しかしワシなんも効かへんな?」

「アザラシさんは存在そのものが邪だから平気なんじゃないっすか?」

「なんや櫂、それ地味に傷つくやろ。やめーや!」

「そういう櫂くんも平気そうじゃない?」

「僕はハルさんと一緒にいますからね! 歳の差男女最高! カップル万歳! そして結婚へ……!」

「よくわかんないけど確かにアタシも平気だわ。なら暫く一緒にいよっか」

「いよっしゃあああ……!」

 

櫂が泣きながらガッツポーズを極めていた。

それを羨ましそうに見ているのはジェラルドだ。

 

「ちくしょー! なんで櫂にはあんな美人なお姉さんが隣にいて、俺の隣には誰もいないんだよー! その上俺も全然元気だし!」

「ふっ、君もなかなかの煩悩の持ち主のようじゃないか。日頃モテたいモテたいと心からの願いを連呼していただけの事はある。何、そんなに元気なら応援部隊として僕たちの分までしっかり活躍してきたまえ! そうすれば自ずと望み通り、ここにいる女性たちから黄色い歓声が上がるであろうよ!」

「マジで!? それならいっちょ俺も張り切ってやるか!」

 

ヴィクトールの言葉にやる気をだしたジェラルドが先陣を切る。

 

「僕たちは歳の差があるせいか、ペアで行動していれば大丈夫そうだね烈斗君」

「おやっさん! ああ、助かったぜ」

「女、俺様の傍を離れるんじゃねぇぞ。卵のオーラにやられたくなければなァ!」

「わかってるわよ……」

 

李白と精神を入れ替えた《不浄のもの》が、口は悪いが一応弥生を気遣っている姿が見える。

 

「スズは特に問題ないか?」

 

私が問うと、スズはしっかりと意識を保ったままこくんと縦に頷いた。

 

「うん、大きな瘴気みたいだけれど、前よりも随分と楽みたい。エイトと紫希が居てくれるお陰かな」

 

確かに私とスズはある程度歳の差が離れているが、今回はそれよりも男性である紫希が隣に居る事が大きなプラスとなっているのだろう。

スズの症状は比較的軽そうだ。

私もジオリードとアイゼという、人ならざる者となって数百年を生きた者が傍に居るお陰か、以前のような不安感を感じることはないのが救いだった。

そうやって極めて元気な者たちは前方を歩き警戒を強め、残りはお互い対となるような者同士が隣接するように並び、私達はその禍々しい瘴気の漂う森のほとりへと向かい歩いた。

やがて森が開けて中央の湖の手前まで出ると、そこは更に濃い負のオーラが充満しており、さすがに元気な者たちも肌に刺さるその異様な空気に思わず眉を潜めたのだった。

 

「……思ってた以上にヤバい空気が充満してるわね」

 

ネビュラがノアールの肩に手を置きながら、以前卵が埋まっていた木の根元の周辺を見渡しているが、なかなか卵はみつからない。

それどころか卵があった場所は荒々しく指で掘りかえされた形跡が残されており、柔らかい土が無残に散ったままになっていた。

 

「卵の封印が解けたのを見計らって、誰かが卵を持ち去ったというの……?」

「誰かが卵の封印を解くために掘り出し、孵化した白い鳥が結界を破壊して勝手にどこかへ飛んで行った可能性もあるな」

 

弥生とジオリードが憶測を交わしながら丹念にその場を調べている。

卵と人、どちらが先かはわからなかったが、ここに人の手が介入しているのだけは明白だった。

 

「誰が? 一体何のために……?」

 

ここは以前、立ち入り禁止区域に指定したままの状態になっている。

この土地に立ち入る事ができているのは、私達か、マリスベルぐらいしかいない。

 

「……マリスベルは今どうなっている?」

 

私の問いに二人ははっと顔を上げると、それを確認するべく走り出した。

卵のある大きな木の根元から少し離れた水辺の傍。

そこにマリスベルを封じて居たはずだ。

だがしかし、それをこちらから確認するまでもなく彼女の姿をした《現象体》が私達の行く手を阻むように現れた。

 

「この間のあのか弱い女の子達じゃん! それに見ろよ、湖の上!」

 

ジェラルドが驚き声を上げる。

その指し示す方角を確認すると、そこには大さな《穴》が開いていた。

 

「なんでまたこんな所に《穴》が開いてるの…!?」

 

ネビュラが叫んだ。

以前はマリスベルの本体が、オラクルネストからスズの居場所を探すためにダーザイン本部の建物周辺に無数の《穴》を開けていた。

しかし今回はもう、私達の居場所など彼女もとっくにわかっている。

黙っていても私達が再び、この森のほとりへやってくることも。

だからこそ、わざわざ莫大な労力をかけてこんな《穴》を開ける必要など無いはずだ。

しかし不思議なのはそれだけではなかった。

 

「なんだかおかしくない? あのマリスベルの《現象体》、なんだか透き通って見えるわ」

 

アイゼが目を凝らしながら《穴》から降りてくる無数の少女達の姿を見る。

確かに言われてみれば、彼女たちの体はうっすらと背後に空や森の姿を貫通させている。

 

「存在強度が足りないんだわ……」

 

青い顔をしているユカリがヴィクトールに半分もたれかかりながら呟いた。

それとほぼ同時に少女たちの群れは一目散に私達目掛けて駆け降りてくる。

黒い翼をあの禍々しい両腕のように姿を変えて。

 

「俺達、またあの子を蹴散らさなきゃダメなのか!?」

 

ジェラルドがマリスベルの《現象体》を切る事に抵抗を露にする。

 

「それには同感だけどよ……でもこの状況なら仕方ねぇだろジェラ公! それとも丸腰のまま無抵抗でやられるか!?」

「そうは言ってない!」

「なら急いで武器持てや、臨戦態勢だ!」

「やるしかない……そういう事っすか」

 

烈斗に言われ、ジェラルドと櫂をはじめ皆が武器を握った。

 

「――来るぞ!」

 

私が叫ぶと同時にスズがプリスターを稼働し、聖なる光の力で皆に簡単なバリアを張る。

前方に居たジェラルド、烈斗、櫂の三人がその《現象体》の群れに第一陣として飛びかかった。

 

「マリスベルちゃん! ごめん!」

 

ジェラルドが謝りながら大きく剣を振り上げた。

しかしその勢いからでた風圧で、マリスベルの《現象体》は煙のように揺らめいてあっという間に雲散霧消する。

 

「えっ!? どうなってんの!?」

「なんすか、この子! スキル出すまでもなく消えてくんスけど!?」

 

ジェラルドと共に同じく突っ込んだ櫂が、風圧一つで消し飛んだ少女たちの姿に困惑している。

 

「この《現象体》……存在強度が足りないから、長いこと形を保っていられねぇんだな」

 

いつの間にか前で出てきていたテツが、指先で少女たちの群れをパン!と弾いた。

マリスベルの姿をしたそれは、その指一つで一瞬にして風に溶けて塵と化す。

 

「ハハァ……こいつは面白い」

「え、待ってアタシもやりたい」

 

テツとハルがそろって《現象体》の少女の群れを弾いて遊びはじめていた。

 

「なんやこれ、そんな簡単に追い払えれるんか? それならワイが纏めてやったる!」

 

テツとハルの間に白い生き物が勢いよく割り込んだ。

 

「待て! アザラシ、お前あれを使う気か!?」

「ちょっとやめてよ!? 周囲が臭くなる!」

「誰もワイを止める事はできまへんで! 見ぃ!! ワイの尻から出る最大出力のギャリック砲や! 喰らえ!」

 

そう叫ぶとアザラシが尻を向けたまま《現象体》の群れへ突っ込んでいく。

 

「うおおおおおおおおおお!!」

 

瞬間、その白い尻から出た謎の風圧で《現象体》の群れは一斉に姿を消した。

私達はそのあまりにも奇抜な戦い方に絶句してしまう。

 

「な……何が起こってるの……」

 

加勢しようと式紙を手に術式を展開しようとしていた弥生が、顔を引きつらせて動きを止める。

そのすぐ隣で、アザラシは声も高々に勝利宣言をしていた。

 

「見たか! ワイのこの握りっ屁の威力! 《現象体》なぞ笑止千万! 恐るるに足らず!」

「うわぁ……アンタ最悪だよアザラシ……」

「ち、ちょっとアザラシさん! そういう事すると『鼻セレブ』隊全体がそういう下品で汚い部隊に思われるんでやめてもらっていいッスか!? モテに関わるんで!」

 

ハルが頭を抱える横で、櫂が懸命に自分は違うと抗議している。

しかし常識を逸した闘い方ではあるが、今の霞のようなマリスベルの群れにならその効果は抜群だ。

 

「……このまま放っておいていいのかわからないが、ひとまず『鼻セレブ』隊に任せておけばこの《現象体》の群れはどうにかなりそうだ。先を急ぐぞ!」

 

マリスベルに屁を吹きかけられるのはいささか許しがたい行為の気もするが、場合が場合だ。

ええい、ままよ!とマリスベルの封印場所に向かい私が駆け出すと、暫し茫然と立ち尽くしていた他の面々も『鼻セレブ』隊を残して走り出す。

 

「そなた達! 悪いがこの場は任せるぞ! あと出来れば次からは他の方法で頼む!」

 

去り際にジオリードが振り返りそう告げると、ハルは観念したようにため息をつき、テツは今更のように煙草を地面へ放り投げるとその残り種をもみ消した。

 

「仕方ないね、さすがにこのままアザラシにあれやらしておくとうちの評判がた落ちだし」

「……仕方ねぇ、真面目にやるか」

 

ハルとテツが構えのポーズを取ると、櫂は未だギャリック砲第二弾を放とうと暴れるアザラシを抱え込みながら叫んだ。

 

「ハルさん、テツさん、アザラシさんはここで俺が食い止めます! 『鼻セレブ』隊の綺麗な未来を守ってください!」

「いやいや櫂くん、食い止める相手違くない?」

「味方食い止めてどーすんだよ……」

 

そんな事をぼやきながら二人は駆け出す。

 

「まぁいい、ガキはそこでアザラシのお守りでもしてろ。行くぞハル!」

「あいよ~」

「離せ櫂! ワイも行くんや! ワイのギャリック砲はまだ止まらへん! まだやれる!」

「嫌です、絶対放しません! 『鼻セレブ』隊のクリーンな未来は僕が守るんだあああああああ!」

 

森の入り口のほうから、そんな櫂の声が聞こえてくる。

 

「大丈夫かぁ? あいつら……」

 

心配そうに振り返る烈斗に、倫太郎は微笑みながら声をかけた。

 

「そんなに櫂君達が心配なら、さっさと先に仕事を片付けてしまって様子を見に行けばいい。僕たちは僕たちでやるべきことが今はあるはずだよ」

「……そうだなおやっさん、よし! なら俺は先に行くぜっ!」

 

烈斗はまた足から火花を散らすと、ギアを上げて先頭の私達に追い付いてくる。

 

「よぉ、そこのアニキ。エイトって言ったか? お目当ての場所はどこだ!?」

「私はアニキではない、これでも一応女だ」

「何ぃ!? アネキだったのか……!?」

「悪いな、期待に沿えなくて。目的地はもうすぐそこだ……見えた! あの湖の前だ!」

 

大きな木々が立ち並ぶ道を抜けて湖の目の前に出る。

そこは先ほど見上げた大きな《穴》の真下だった。

湖の前は今まで以上に混沌とした負のオーラが充満している。

その限りなく濃い瘴気の中央に、彼女は居た。

 

 

 

* * * 

 

 

 

「マリスベル……!」

 

私が叫ぶと、マリスベルは虚ろな瞳をついと上げ、消え去りそうな声を絞り出した。

 

「……もう来ちゃったの? たくさんたくさん《現象体》を送り込んでおいたのに……」

 

その声は、以前のような生気があまり感じられなかった。

先ほどの群れた《現象体》ほどではなかったが、以前対峙した時のような強気な覇気はすっかりなりを潜めており、どこか力ない声と、覚束ない足取りで彼女はその瘴気の渦の中に立っている。

 

「マリスベル、卵を見なかったか?」

 

私が問うと、マリスベルはその瘴気の渦の中からゆっくりと両腕を差し出した。

その手にはしっかりと、卵型の石が握られている。

 

「マリスベル、まさかお前が……?」

「うんエイト、わたしが卵を掘り返したよ。明け方、【T-/M+】オールドミスティックの卵の封印が解けたでしょう? それでこの《世界》の卵の封印も弱まったの。だからわたしは、卵に四神の結界を解いてと頼んだの。わたしの《可能性》半分と引き換えに……!」

「何!?」

「そうしてまた、わたしは自由を手に入れた。そしてそれと同時に神託が下りたの――五年ぶりの神託が」

「マリスベル……あなたもなの……!?」

 

スズが驚いたように声を上げた。

そんなスズを一笑に付すと、マリスベルは卵を撫でながら一歩前に足を踏み出した。

 

「まさか神託が下るのは自分だけだとでも思った……? わたしだってあなたの一部。同じ神の御使いなのよ。同じ力を持っていて当然じゃない。それにオラクルネストを救おうとしていたのは、あなただけじゃない。わたしだってわたしなりの方法で、今までオラクルネストを保持してきたわ……だってあなたはその為に、半身であるわたしを、オラクルネストに一人捨て置いたのだから」

 

そう言いながら瘴気の渦の中からマリスベルは姿を現した。

見れば体中ボロボロで、羽も、服も、肌もそして指先にも、煤けた汚れがついていた。

それが土だと気づけたのは、マリスベルが今も土に塗れたその卵をその手にしかと握っているからだ。

そして何より驚いたのは先ほどの《現象体》と同じく、マリスベルの体は微かに透けて見えたのだった。

 

「マリスベル、その姿は一体どうした……?」

「ふふ、びっくりした? オラクルネストからここまで辿り着くために、わたしは沢山努力したの。スズを探すために自分自身を割いて、千切って、そうやってたくさんの《現象体》を生み出した。スズが再び自ら《現象体》を生み出してくれてからはこっちの《世界》と繋がる事もたやすくなったけれど、私は本体をオラクルネストからは移せない。……だってあの《世界》はわたしと言う《観測者》が居なくなれば本当に滅んでしまうんだもの。神の御使いとして、それだけは出来なかった。……だからまた自分自身の《可能性》を半分に割いて、こちらの世界へやってきた。――スズ、あなたを殺すためにね」

「……!」

「おかげで私の体はもうボロボロ。四神の封印を解くためにも、卵を護るために《現象体》を生み出す為にも《可能性》を使い続けてきたから、わたしの存在強度はもう僅かしか残ってない。それこそもう、体をそのまま存在させることもできないぐらいに」

 

少しだけ悲しそうにマリスベルは嗤った。

 

「でももう、それはいいの。わたしはスズを殺して、わたしの手でオラクルネストを救う。それさえできれば自分の身体はどうなってしまってもいい。そのために卵の力は必要なの……だから卵はあなた達には渡さない。卵はわたしのたった一人の友達だから。わたしは、卵と一緒にオラクルネスト以外の《世界》から《可能性》をむしり取って、その全てを滅ぼすことにするね」

 

そう言うや否や、マリスベルは腕を高く掲げ、僅かに残った自分の力をその卵に注ぎ込む。

 

「神託の声は言ったわ。卵の手を取り、オラクルネストを救ってくれって。だからわたしは、わたしなりのやり方でオラクルネストを救う……あの荒れ果てた大地を、緑豊かな幸せな《世界》に戻すために!」

 

マリスベルは掲げた卵を空へと放った。

 

「やめろ! マリスベル! それ以上自分を追い詰めて何になる……お前は救われたくはないのか?」

「救い? 救いなんてとっくのとうに忘れたわ。この間、わたし一人森のほとりに取り残された時にね……!」

 

空に浮かぶ卵を見上げていたマリスベルは、そっと瞳を閉じた。

卵の殻にピキピキとヒビが入り始めると、その卵の中からひと際強い衝撃と、何か咆哮のようなものが聞こえはじめる。

 

――空が、大地が、大きく震えた。

 

「綺麗事はもういらないの。今までの五年間だって、それはそれは辛い時間だったけれど。わたしはあの日、本当の絶望を知ったのよ……わたしの境遇を知ってなお、わたしを理解してくれる人はもうどこにもいないんだって。さぁ目覚めなさい卵よ! 今この時この場所で! わたしの《可能性》の全てを使って……!」

 

マリスベルが叫ぶのと同時に、バリンと空気が割れる音がした。

卵の殻は砕かれ、そして中からは一羽の鳥が姿を現したのだった。

 

「……僕の眠りを覚ましたのは、誰?」

「おはよう。わたしよ。わたしの名前はマリスベル。わたしの《可能性》をあなたにあげるから、わたしの願いを叶えてくれる?」

「ああ……いいとも。僕は人々の願いを叶える白き鳥。人の望みは大好物なんだ」

 

大きな白鳥のような見目をしたその鳥は、マリスベルの言葉にいやらしく微笑んだ。

ぞくりと背中に冷や汗が流れるほど、無邪気なのに抑揚のない落ち着いた声。

そんな不気味な少年のような声で、その白い鳥は話し出す。

 

「あれ……そこにいるのは、父さんと母さん……?」

 

白い鳥が視線を向けた先には、ジオリードとアイゼが立っていた。

 

「……久しいな」

「四分割したうちの一つなのに、覚えているのね。私達の事を」

「覚えているさ。だって僕は眠りについていた間、その小さいのみたいに他の《可能性》と直接結びついて記憶を上書きされたり、感情を混同されたりしていないからね」

 

白い鳥の指し示す先には《不浄のもの》をその身に下ろした李白がいる。

 

「小さいの。君は人の身に入れられたのか……なんと哀れな。それじゃあ記憶の大半を失うのも無理はない……人の望みを叶えようとする意志は本能として残っているみたいだけど、記憶はその男のものと長い時間をかけて随分混同されているみたいだ。これじゃあもう、僕らとは別人だね」

 

僕ら、とは他の二つの卵の事を指すのだろう。

白い鳥は《不浄のもの》に仲間意識はもうないようで、そう言うと素っ気なく目を背けた。

そしてあろうことか私達に向かい、その鳥は言い放ったのだ。

 

「マリスベルの望みを叶えてあげるのはいいとして……ねぇ、君たちも僕に何か叶えてほしい望みはない? こんなにもたくさんの人間がいるなんてあまりにも珍しくて、嬉しくなっちゃうな!」

 

あまりにも無邪気に。

今まで封印されていた事なんて、気にも留めずに。

私はその白い鳥の、人間に対するあまりにも強い肯定感に寒気を感じた。

四分割にされ、更には人里離れた土地に封印までされているのに、この鳥は人に対して一切の恨みも妬みも持っていない。

それどころか今も「自分に願い事をしてくれる存在」として、我々を恋い慕っている様子さえ見える。

この鳥にとって、我々の持つ望みの《可能性》は一種の麻薬のようなものなのかもしれない。

そんな気味の悪さに私達が後ずさりしたとき、あかすみがひょいと前にまろびでた。

 

「それじゃとりあえずお前がいると色々面倒だから、大人しく国に帰るかここで俺ちゃんの家来たちにボコられるか選びな」

「……君は誰? 人間じゃ、ないようだけど」

 

突然あかすみに声をかけられた白い鳥は、その鏡餅のような姿を怪訝そうな目で見つめる。

しかしあかすみはさして気にした様子もなく、むしろその小さな嘴で白い鳥を嘲笑うかのように囀った。

 

「俺ちゃんの名前は『愛されし神のように優れた右腕』略して『あかすみ』。お前のような甘ちゃん天狗の鼻をへし折りに来た存在よ。で? どうする? おとなしく国に帰る? それとも俺ちゃんの家来たちにボコられる?」

「僕は人の望みを叶える事しか興味はないから、人ではないものの戯言はきけないんだ。ごめんね」

 

しかし白い鳥も負けてはいない。

あかすみなどまるで歯牙にもかけないと言った具合に、その問いかけを受け流す。

鳥対鳥のレスバ勃発の瞬間である。

だが、あかすみはやはりあかすみだった。

私達にもしたように、人を小馬鹿にする笑みを浮かべながら白い鳥を減らず口でおちょくっている。

 

「いやいや(笑)俺ちゃんはお前に選択肢を与える側なんですよね~、中途半端でたいしたことしかできないくせに望みを叶えるなんて……ププッ。よく偉そうなこと言えますね」

「中途半端……?」

 

流石にその一言は癇に障ったのか、白い鳥が少し苛立たしげにあかすみへ問いかけた。

人の望むを抱える事に関しては、白い鳥も譲れないものがあるようだ。

 

「あ、今ちょっとイラっとしたでしょ、フフ。てか人間をそのまま蘇生できずに吸血鬼にしてる時点で能力ないし、おまけに吸血鬼なんて美形を代表する存在なのにあんなおっさんに仕立て上げるなんてセンスもないですよねえええ!」

 

あかすみの不躾な物言いに、少し離れた所でジオリードが渋い顔をして立っている。

おっさんという言葉に若干傷つく年頃らしい。

だがそれにも気づかず捲し立てられた白い鳥は、忌々しそうにあかすみの言葉に言い返しはじめていた。

 

「あれはパパが望んだ事だから仕方ないよ。パパはママと一緒に居たかったんでしょう? あのままパパの《可能性》を全て使ってママを蘇生していたとしても、ママはきっと悲しむよ。そうでしょう?」

 

助けを求めるように白い鳥はアイゼを見たが、アイゼは首を横に振ると、ただ静かに口を開いた。

 

「たしかにジオの命を犠牲にして私だけが生き延びてしまったら、私はきっと悲しんだでしょうね。……でも、私が死んでしまったのは自然の理だわ。それに逆らって私を蘇らせようとしたジオも、そしてあなたも、それは自然の摂理に反している。罪を犯したのよ」

「ききましたか? ここテストにでますよ! ほら~望みなんて大そうこと言ってできてないじゃ~ん、パパもママも罪悪感に苛まれてるんだから話でも聞いてあげたら? それくらいしか見た感じできなさそうですね。あ、ちなみに話聞いてあげるくらい俺ちゃんもできますけどね(笑)じゃあお前には一体何ができるの?っていう。ププッ」

「……君、さっきからなんなの? どうしてそんな意地悪な事ばかり言うの? 僕、君になにか悪いことをした?」

「俺ちゃんはいわばお前の善なる心をもった存在よ。そんでお前は倒されるべき悪。物語の基本よこれ」

「それって逆じゃない? 君みたいに意地悪な事ばかり言う人が善の訳ない! 僕はみんなの願いを叶えて、みんなを幸せにする存在だよ。僕が善で、君が悪だ! 君のように口先だけで何か言ってるだけじゃない! 僕はみんなを幸せにできるんだ! 君はみんなを幸せにできるの?!」

「ハー、ヤレヤレ。他人の不幸は自分の幸せと感じるのが人間ってことを知らないなんて、まだまだ青臭い雛鳥ですね、みんなを幸せになんてできるわけないんですよ」

 

高慢かつ横柄。

あかすみは王座の椅子でふんぞり返るかのようにそうのたまった。

白い鳥はその言葉を暫し咀嚼するように思案顔をした後、困ったようにぽつりと言った。

 

「……君の言ってることは毎回よくわからない。わからないけど、僕の事を快く思ってないってことだけは伝わってくる」

「それだけ伝われば十分だろ。とりあえず今望まれてることは満場一致でお前が消えればみんな幸せなんだけどどうする?(テレビで見たようなセリフ言えて気持ちいい~)」

 

悪役顔負けのセリフをノリノリで喋っているあかすみを、アヤミとネビュラは呆れた顔で見ていた。

 

「あいつ……あたしが貴重な時間を割いてやるべきことを教えたのに、全然できてないじゃない! 教えたこと全然やらないで何やってんのよ……!」

「なんかめちゃくちゃ役に入り込んで酔ってるわね……調子乗りすぎ、性格悪すぎ」

 

だが、もはや白い鳥は私達を見ていなかった。

あかすみという人ではない存在を、無視出来なくなっていたのだ。

 

「僕が消える? そんなの嫌だよ。僕は人の望みを叶えたい。僕は人の望みをいっぱい叶えてきたんだから、僕の望みだって少しぐらい叶えてくれてもいいでしょ?」

「カーッ、これだから子供はすぐ駄々をこねる……今から俺ちゃんの家来たちがおしりペンペンをするから我慢ってものを覚えるんだな、よしいってこい! 」

「なんであんたがそんな偉そうにしてんのよ! 散々教え込んだでしょ! 白い鳥に対して契約を持ちかけてよ、契約!」

 

ネビュラがあかすみを軽くどつきながら、小声で囁いた。

それにピンとくるものがあったのだろう。

あかすみは何かを思い出したかのようにその小さな羽を広げると、白い鳥の前へべちゃっと飛び降りた。

 

「あ、はい……」

 

ネビュラにはどうしても逆らえないらしい。

意気消沈したようにあかすみが頷くと、仕切り直したように白い鳥へ向かい話し始めた。

 

「えーっと……おいお前! 慈悲深い俺ちゃんからここらでありがたい提案をするからよーく聞くように。お前が人の望みを叶えたいのはわかった! だが人の望みなんてもんは~~っ、本来タダでは叶えられないものだ。お前みたいに人の望みを叶えたがるやつは大勢いるからな!」

 

口から出まかせもいい所である。

嘘八百を並び立てているのは誰の目からも明白であった。

だがしかし。

 

「……そうなの? たしかに、人の望みを叶えるのは嬉しいし楽しい……」

「そうだろう、そうだろう? お前以外にもやりたい奴は山ほど居るんだよ。という訳で、これから『契約』を交わす。そんなにお前が人の望みを叶えたいというのなら、ここに居る奴らを全員蹴散らしな。お前が勝ったらもう好きにしろ。俺ちゃんはもう何も言わん」

「本当に? ここに居るパパやママたちと戦って僕が勝てば、僕は自由に人の願いを叶え続けていいってこと? 君に意地悪を言われることもなく?」

「そのとーり! お前がどんな戦い方をするかは自由だぞ、俺ちゃんはネットでお前の悪口を書き込み続けて色んなバースセイバーたちをけしかけるけど」

 

あかすみがとんでもなく姑息な事を言っている。

 

「ただしお前が負けたら話は別だ。お前は一生、人の望みを叶える事は許されない。――そうだな、最後にお前が今まで蓄えてきた《可能性》を全部使って、俺ちゃんたちの命令を一つ聞いてこの世から消滅するんだ。それでいいか?」

 

あかすみはニヤリと笑った。

白い鳥はその問いかけにいくらか考えあぐねているようだ。

目の前の人々の願いを即座に叶える事と、マリスベルを含め、その他大勢の人々の願いを叶える事を天秤にかけているらしい。

だが、この白い鳥の性質は昔と変わらなかった。

この鳥は、より多くの人の《可能性》を欲しがるのだ。

 

「……うん、わかった。それで契約を終結しよう」

 

白い鳥は頷いた。

それを見ていられなくなったのはマリスベルである。

 

「ちょっと……わたしの願いを叶えてくれるって言ったのはどうなったのよ!? こいつらの話なんてどうでもいいから、先に頼んだわたしの願いをまず叶えてよ……!」

 

しかし白い鳥は首を横に振る。

 

「ごめんね、マリスベル。君の願いは勿論叶えてあげたいけれど。僕はあの忌々しい小鳥が居る限り、気持ちよくそれを叶えてあげることができないんだ。だから先に、僕はパパとママ達と戦う……!」

「そんな馬鹿な話ないわ! わたしの方が早かったじゃない!」

「チッチッチ、甘いねお嬢ちゃん。契約は交わしたのかい? 契約は! ほらほらぁ~!」

 

あかすみが勝ち誇った顔をして飛び跳ねている。

 

「この場にいるみんなが契約の立会人だよぉ~! さぁ俺様の役目は終わった! あとは家来たちに任せて俺ちゃんはここで見てますねっと」

 

そう言って近くの木の枝の上にちょこんと座り、あかすみは足を組んだ。

 

「誰が家来だ! でもあかすみにしては良くやった! GJ!」

 

アヤミが筆を取り出すと筆でさらさらと四角い何かを空中に描きだした。

 

「今までのやり取り、ちゃんと具現化させてもらうわよ……! 」

 

アヤミのスキル『理想夢想現実』。

それを応用しているのか、筆の先からアヤミのVS能力の色である青いインクが宙を舞う。

 

「契約書! 甲、あかすみ! 乙、白い鳥! 乙は今ここに居るあたし達【Fizz】とその応援部隊全員を倒した暁には、甲に邪魔されることなく人の望みを無限に叶えてよいものとする! ただし乙があたし達【Fizz】とその応援部隊全員のいずれかに負けた場合、乙が今まで蓄えてきた《可能性》の全てを使い、あたし達の望みを一つ叶えた後、未来永劫、人の望みを叶える事を封ずる……! 二人とも、これでいいわね?」

 

アヤミが目の前の白い鳥と、木の枝の上に留まるあかすみに問う。

 

「ああ、もちろん。受けて立とう!」

「バッチコイ、俺ちゃんの家来たちが返り討ちにしてやんよぉ!」

「甲乙の承諾をもって、この契約は終結とする! 両者の意思よ、象り彩りいざ現実へ……っ!」

 

右手のアームガードを外しアヤミがリミッターを解除する。

彼女が絵筆を持った右腕を高く振り上げると、周囲は沢山の紙吹雪と眩い青色の光に包まれた。

それに紛れてにひらりと舞い落ちる一枚の白い紙。

その紙を拾い上げながらアヤミは言った。

 

「これでよし。白い鳥はあかすみの言う契約に合意したとみなし、その意思を契約書という形に落とし込んだからね。これで何があっても文句は言えないわよ!」

「文句なんて言わないさ。だってこの勝負、勝つのは僕だもの」

 

白い鳥が抑揚のない声で頷いた。

 

「そうは問屋が卸しませーん。俺ちゃんの家来達を侮る事なかれ」

 

あかすみは相変わらず木の枝の上で偉そうに足を組んでいる。

その間に割って入るように立ちはだかる、一人の熱い男が居た。

 

「で、めんどくさい話は済んだか? ――それじゃあ後は俺達とバトルするってことで大丈夫だな?」

「きなよ、どこからでも。僕の今まで蓄えてきた《可能性》に君らが勝てると思えるのならね」

 

白い鳥の是と言う返事を聞き、烈斗が右手に炎を纏わせニヤリと笑った。

 

「なら戦闘開始だ。そっちがその気なら、俺達だって容赦しねぇぜ……!」

 

待ちきれないと言わんばかりに烈斗が白い鳥に向かって駆け出すと、それを皮切りに私達も武器を構えて白い鳥と対峙する。

私達からも白い鳥からも置いてけぼりを食らったマリスベルは、一人憤慨した表情を隠そうともせずに、しかし卵に寄り添い叫んだ。

 

「あんたたちに卵の力を奪われてなるものですか! わたしは白い鳥に加勢するわ……!」

「ありがとうマリスベル。なら僕の《可能性》を少し君に貸してあげよう。僕はパパとママと戦いたい。……あの煩そうなのは君にまかせたよ」

 

白い鳥がその大きな翼をひとたびはためかせると、周囲一帯に大きな衝撃波が襲う。

わたし達がそれに吹き飛ばされそうになっている最中、マリスベルはその透けた体に実体を取り戻していた。

 

「ふふ、ふふふふ……っ。白い鳥ってこんな事も出来るんだ…! なんて便利なの! わたしもこれだけ力があれば今までみたいに戦える! ふふふ、みんなまとめて蹴散らしてあげるわ……!」

 

しっかりと地に足を下ろし、その実態を確固たる形にしたマリスベルがほくそ笑む。

その翼からは今まで以上に深い、禍々しい瘴気を放っていた。

 

「どんな戦い方するかは自由だって俺ちゃん言ったけど、マリスベルと手を組むってそんなのアリかよ!?」

 

枝にしがみつき、白い鳥の衝撃波で飛ばされそうになりながらあかすみが叫ぶ。

 

「僕は長い長い年月をかけて沢山の人の望みを叶え、その《可能性》を貰ってきた。僕が負けるときはその《可能性》が尽きる時。それまではマリスベルにだって、何にだって命を、力を吹き込み、実体を得る事ができる!」

 

白い鳥がそこまで言うと、突然大地が軋み、揺らいだ。

禍々しい闇よりも深い負のオーラが、辺り一面を覆い隠すように広がってゆく。

その暗闇の中、鳥とは似ても似つかない咆哮がどこかから聞こえはじめると、傍に居たスズは驚き身を竦めた。

 

「何、これ……!?」

 

まるで一種の超音波のような、鼓膜を突き刺す強い刺激。

私達は咄嗟に耳を塞ぎその咆哮をやりすごすと、目視で状況を確認しようとする。

しかし周囲は以前薄暗く、近くの仲間の影をかろうじて感じ取る事しかできない。

恐る恐る耳から手を離すと、辺りはもう静寂に包まれていた。

 

「スズ、無事か!?」

「うん。大丈夫だよエイト……!」

「……紫希もそこに居るな?」

「勿論だ。俺はお前たちと違って多少夜目が利く。スズを見失う事はしないさ」

 

紫希が近くで頷く気配がする。

しかし濃い瘴気の中、気配がわかるのはそこまでで他の味方が今どこで何をしているのかがはっきりしない。

 

「みんな無事ね!?」

 

少し離れた場所から弥生の声が聞こえる。

他の者も同じように、限られた近場の様子しか把握できていないらしい。

痺れを切らした烈斗が何かを閃いたのか右手に炎を纏うと、その逆巻く炎を上空に向かって放った。

 

「しゃらくせぇ! 明かりが足りないんなら……作りゃぁいいんだろ!」

 

暗闇の中に放たれた一本の炎の矢じりが、空高く飛んでいく。

それは偶然にもあかすみがしがみついていた木の枝に直撃し、その枝と共に無残にもあかすみは墜落した。

一連の流れが目視で理解できたのは、折れた木の枝が烈斗の放った逆巻く炎でめらめらと燃えていたからである。

 

「さすがだね烈斗君、これで僕たちもある程度周囲の状況が把握できるよ」

「へっ、おやっさん任せておきな! あの鳥が禍々しい闇で辺りを覆い隠すなら、俺は逆巻く炎で何度でもこの地に光を灯したらぁ!」

 

一枝の灯から私達の位置を把握した烈斗は、皆に被害が及ぶことはないと判断したのだろう。

先ほどとは違い、今度は最大火力で炎の柱をその場にぶちまける。

 

「オラオラ燃えろ! 瘴気なんてくそくらえだ……!」

「いいぞ烈斗! これだけの明かりがあれば私達も白い鳥と戦える!」

 

コンバットナイフを慣れない右手で握り直したその前に、しかしマリスベルは舞い降りた。

 

「残念でした、白い鳥は取り込み中よ。だから私がエイトたちの相手をするね?」

「マリスベル……私はお前と戦う気はない」

「そうねエイト。あなたの左手はもう無くなっちゃったんだもの。戦えるわけないのだから。だからお願い、黙って引っ込んでいて。そうしたらわたしを守ってくれたお礼に、命だけは助けてあげる」

 

そう言うや否や、マリスベルの黒い羽が何か植物の弦かまるで触手のようなものに姿を変える。

 

「ふふ、白い鳥のおかげで以前に比べて力が漲るわ……! わざわざ戦わなくても、こうやってみんな生け捕りにしてジワジワ握りつぶしてしまってもいいかもしれないね……?」

 

触手のような黒い弦が、スズの身を絡めとろうと蛇のようにするりとうねる。

だがそれを紫希は大鎌で断ち切ると、彼女の前へ体を滑り込ませた。

 

「簡単にスズに手出しをできると思うなよ。お前の相手は俺だ、マリスベル!」

「……っ、あの時の……!」

「覚えていてもらえて何よりだ。俺はエイトと違ってお前には優しくないぞ。覚悟しろよ」

「それはこっちのセリフだわ…! この間はせっかくあと少しでスズを仕留める事が出来たのに! いい所を邪魔してくれたわね、あんただけは許さない……っ!」

 

マリスベルが翼を黒い腕に変えて紫希に襲い掛かる。

白い鳥から分け与えられた《可能性》のおかげか、マリスベルのスピードは前よりもずっと早い。

しかし紫希は紫希でその大鎌の背でマリスベルの攻撃を弾きながら、一歩も退く事なくマリスベルを追い込んでいる。

 

「あの時みたいにちゃんと刃先で攻撃してきなさいよ……! むかつくわね!」

「俺はお前に優しくはないが、かといって必要以上に傷つけもしない。お前が傷つけば、スズが悲しむからな!」

「またあの子の下僕が増えたって訳……!? エイトだけでは飽き足らず!」

「俺はエイトがスズを守る為に生み出した分身……いわばマリスベル、お前と同じような存在だ。仕方ないさ」

「…………通りでね」

 

マリスベルが吐き捨てるように舌打ちをした。

途端にマリスベルの攻撃速度が跳ね上がる。

そんなマリスベルの姿を、スズは何かを確かめるようにずっと見ていた。

 

「……エイト」

「どうした、スズ」

「わたしがこれからする事、何があっても止めないでね」

 

何かを悟ったような声でそれだけを言うと、スズは私の元から駆けてゆく。

スズの向かうその先では、今も紫希とマリスベルがお互いをしのぎ合う闘いをしていた。

 

「あなたがエイトの分身なら、全部エイトと同じにしなきゃ! あなたのその左腕も、わたしが切り刻んでやるわ!」

「生憎俺の利き腕は右だ。いや、正確には両利きか。エイトが左手だけではスズを守るには足りないと思ったんだろう。だから俺は両利きとして生まれた。――片腕を無くされたぐらいじゃ俺は負けない」

「じゃあ両腕なくせばいい! 右も左も、切り刻んであげるから!」

「両腕がなくなったとしても、両足がある。俺はこの体が一ミリでも残る限り、あらゆる手段を使ってスズを守る」

「……スズ、スズ、スズ、スズ! いちいちうるっさいわね! じゃあ私はそのスズを、一ミリも残らず消し去ってやるわ!」

 

マリスベルの黒い左腕がスズ目掛けて振り下ろされる。

しかしスズはそれをもう心得ていたのかプリスターを稼働させ、光のエネルギーでその腕を弾いた。

 

「……マリスベル。わたし、あなたの考える事が段々わかってきたかもしれない」

「何ですって……?」

 

突然のスズの言葉に、マリスベルは眉を潜める。

 

「はじめはあなたのやる事なす事は、わたしにとっては信じられない事の連続で。正直わたしはそんなあなたに、どう対処すればいいのかをずっと考えあぐねていたの。優しくすればいいのか、腫れ物に触れるよう扱えば満足してくれるのか、それともひたすら謝ればいいのか……なかなかわたしの中での正解がみつからなくて、今までずっと戸惑ってた。でも、今日もう一度あなたの戦う姿を見ていて思ったの。やっぱりあなたはわたしなんだ。正反対のわたし。だからわたしならこうするだろうと思う事と最も逆な行動を予想すれば、あなたからの攻撃はこうやって防ぐことが出来る……!」

 

喋りながらも攻撃の手を緩めないマリスベルのその黒い腕を、スズは何度もプリスターで弾き返していた。

 

「ほら、こんなふうに」

「……っ、忌々しい!」

 

癇癪を起したマリスベルが、その黒い腕を地面へと打ち付ける。

しかしその動作には目もくれず、スズはマリスベルの前で白い翼を大きく広げた。

 

「マリスベル。あなたは自分を理解してくれる人はどこにも居ないと言っていたけれど、じゃああなたは? あなたはわたしの何をわかってるっていうの?」

 

再び光のエネルギーをプリスターに集約したスズは、途端に両腕を開く。

 

「マリスベル、予想してみて」

「……何を」

「わたしが次に、何をするのか」

「……あんたの事だもの、どうせまたその忌々しい光の力でわたしの攻撃をはじき返すか、紫希に防御壁でも貼るつもりでしょ!?」

 

そう言って悪態をつきながら顔をあげたマリスベルの頬を、鋭い稲妻が僅かに掠った。

 

「……!?」

 

驚いたのはマリスベルだけではない。

紫希も、私も、スズが取ったその行動に驚き目を見開いていた。

スズは右腕を前に差し出すと、プリスターに集約した光のエネルギーを使いパチパチと音が出る程の電撃を作り出し、あろうことかマリスベル目掛けて一目散に飛ばしたのだ。

 

「予想外だった? わたしがあなたを攻撃するのは」

 

スズはいつになく真剣な瞳をマリスベルへと向けている。

マリスベルはその鬼気迫る表情をしたスズの前で、驚き、身を竦めていた。

スズが自分を攻撃できるわけがないと、高を括っていたのだ。

 

「マリスベル。わたし達は五年前まではたしかに一つの存在だった。でも、分かたれた五年の間にあなたが一人悲しみ苦しんできたように、わたしもわたしで別の道を歩んできたの。――あなたにはわからない苦しみも、悲しみもあった……!」

 

その声色には普段にはない怒りの感情が込められている。

私は今まで、スズがこのように怒りを内に秘めている姿を見たことがなかった。

たまに拗ねて顔を膨らませる事はあれど、彼女が誰かの意思を曲げようとするほどの激しい怒りを露わにする姿を、私は知らない。

それほどまでの感情を今、彼女はマリスベルに向けて放っている。

それだけスズにとってはもう、マリスベルは無視できる存在ではなくなっているのだ。

スズは間髪入れず両手に光のエネルギーを集めるとそれを高く解き放つ。

 

「あなたはわたしの知らないところで、その五年間を犠牲にしてきた、それを気づけなかったのはわたしの罪。わたしは裁かれなければならないわ……でもあなたも! わたしの五年間を知らずにわたしの全てを否定するというのなら、それも同じく罪でしょう……罪は等しく裁かれなければならない……!」

「あんた……何する気よ……!」

「わからないの? あなたも、わたしも、共に裁きを受けるのよ……!」

 

辺りを包む薄暗い瘴気の中、スズの頭上で飽和状態となった光のエネルギーがバチバチと音を発する。

額に汗を浮かべた紫希が咄嗟にスズの前へ飛び出した。

茫然とスズの前で立ちつくすマリスベルのその前に、わたしもなんとか懸命に体を滑り込ませる。

それと同時に轟く雷鳴。

 

「無知であることが罪ならば、無関心であることが罪ならば! わたしは救済の為にあなたを焦がし、わたしの身も焦がす……!」

 

スズの翼がひと際大きく撓むと同時に、雷はその姿を現した。

 

「森羅万象、来たれ聖なる裁きの光! アクティノヴォロー!」

 

スズの頭上から雷神のごとき稲妻が二筋、音もなく駆け抜ける。

一筋はスズの元。

そしてもう一筋は私の後ろ、マリスベルを目掛けて。

 

「スズ、後ろに下がれ!」

 

紫希が大鎌を黒い盾の形へと変形し、迫りくる稲妻とスズの間目掛けて投げる。

 

――これできっと、スズは無事だ。

 

ならば私のやることはもう決まっていた。

もう一方の稲妻の衝撃に耐えるべく、私はコンバットナイフを握った右手を前に出し低く構え叫んだ。

 

「マリスベル! お前も下がれ!」

 

紫希が今のスズを守り切るというのなら。

 

――わたしはこの子を。幼い頃のスズを。

 

例え右腕が千切れようとも。

雷に撃たれ、この身が灰になろうとも。

 

「……この手が届く限り、守り続けよう」

 

幼い日の彼女に再び誓うように、私はその言葉を口にしていた。

途端に私の目の前に、覆うように現れた黒い二本の腕。

それがマリスベルの翼であると分かったのは、スズの放った裁きの光が私の目の前に辿り着いた後であった。

 

「あああああああっ!」

 

稲妻を黒い二本の腕で受け止め、マリスベルが絶叫する。

そのまま切り裂くように貫ぬかれた雷は、マリスベルの黒い羽の大半を大きく焼け焦がし地面へと突き刺さった。

粉塵が舞い、地面が抉れ、飛び散り、割れる。

その瓦礫の欠片からマリスベルを少しでも庇うために、私は彼女へ駆け寄った。

だがほとんどの機能を失った僅かな黒い腕が、その瓦礫すらも我武者羅に払いのけ私の身を守る。

 

「あんたにだけは、エイトを傷つけさせやしないわ……」

 

それだけを言い残すと、苦鳴と共にマリスベルは地面へその身を横たえた。

その痛ましい小さな体を、私は思わず抱きしめ座り込む。

 

「マリスベル……どうしてこんなことを……!」

 

ボロボロになった黒い羽が、焼け焦げ私の右腕をほんのりと焦がしていた。

だが熱も痛みも感じはしなかった。

ただ私を守る様にその身を挺したマリスベルの傷らだけな体が、私の心を締め付ける。

見れば紫希の黒い盾だけでは防ぎきれなかった白翼の大半を焦がし、スズもふらふらとよろめいている。

だが、スズは私たちの姿を見て微笑んだ。

そしてゆっくりと足を引きずるように私たちの前までやってくると、マリスベルの傍に膝をついた。

 

「……やっぱり、あなたはわたしだったよ、マリスベル。エイトの事、助けてくれてありがとう」

 

スズのプリスターに集約された光のエネルギーが僅かにマリスベルへと注ぎ込まれる。

スズの体も満身創痍だ。

それに先ほど強い光を放つ雷を二本も落とした後だからだろう、マリスベルに治癒術を使っている途中でプリスターの魔力の残量は底を尽き、スズはついに何一つできなくなるとそのままマリスベルの傍に倒れた。

駆け寄ってきた紫希が、スズをその腕に抱き上げようとした時、横たわるスズの隣でマリスベルが目を覚ました。

 

「あんた……わかってたんでしょ。わたしがエイトを守るって」

「うん」

「やっぱりね……あんたが本気で、わたしを守るはずのエイトを攻撃出来る訳ないもの」

「……一か八かの賭けだった。でもあなたがわたしなら、大切なものだけは何があっても変わらないって思ったから」

 

スズは満足そうに眼を閉じ微笑む。

 

「本当に……やっとわかった。こんなに違うけれど、それでもやっぱりあなたはわたし。わたしはあなた。その事実だけは変わらない。わたしはね、それが嬉しいの」

 

スズはその身を起こすと、今も横たわるマリスベルに向かい右手を差し出した。

 

「わたし達、友達になれないかな……? これからも、一緒に居たい」

「あんたが? ……わたしの?」

「うん」

 

スズは子犬のように微笑んだ。

だがしかし、マリスベルはその手をにべにもせず言い放つ。

 

「……友達になんて、なれる訳ない!」

 

憤慨した様子を隠そうともせず、マリスベルはそっぽを向いて言う。

 

「たとえあなた以外の全員と友達になれたとしても、あなただけは無理よ、スズ。わたしはあなた、あなたはわたし――どこまで行ってもその事実は変わらないの、永遠に…! そしてあなたの身体はいつだってわたしの存在を拒む……神の御使いとしての本能なのよ。わたしが近くに居れば、あなたはまた不安定になって新しい《現象体》を作り出す。止まらない負の連鎖の完成よ。わたしのように《世界》に定着し、意識を持てればマシなほう。それでもまた、あなたを恨まないとも限らない。可哀そうなわたしが一人増えるのよ。そんなのは嫌……わたしはもうこれ以上、わたしみたいな存在を見たくないの……」

 

マリスベルはスズの掌を拒否した右手で、目元を隠すように覆った。

悔しそうにすすり泣く声が微かに聞こえると、スズはふっと表情を緩め手を下ろした。

 

「……なら、わたしがどこかに行くよ。あなたの居ない、遠い所へ」

 

普段は頑固なスズが、随分とあっけなくそう言った。

まるでもう、答えははじめから自分の中で出ていたかのように。

小さい妹をあやすみたいに、スズは泣いているマリスベルの空いた左手を握る。

 

「本当はあなたと仲直りがしたかったけど……でも一緒に居られないというのなら仕方がないよね。わたしの身体がベルの存在を拒むことであなたが傷つきそうなってしまうなら、わたし達は距離を置いて存在しよう。わたしからはもう、今日かぎり必要以上にあたなの傍に近づかない。だからお願いベル、エイトと一緒に生きて。わたしはあなたにも、そしてエイトにも幸せになってほしいの」

 

スズは祈る様に目を閉じ呟いた。

 

「幾星霜――神の御使いであるわたし達は、オラクルネストの民のために祈り、この身を捧げて生きてきたの。わたしの使命は今も変わらない。ベル、あなたもオラクルネストの一人の民だよ。だからわたしは救わなくてはならないの、あなたの幸せを。そして祈り続ける……あなたが今日も明日も笑顔でありますようにと。離れていても、その気持ちはかわらないから」

 

目を閉じ、俯いたスズの体の周りを、眩い光が取り囲む。

どこに残されていたのだろう、枯れたはずのプリスターがまたくるくると動き始めると、その宝石から放たれた光がまるで一本の光の柱となり空高く放たれる。

 

「鳥よ……神鳥よ。今ここに居るオラクルネストの民のため、幾星霜紡ぐ聖なる慈しみをここに……」

 

万感の思いを込めたスズの祈りが打ち上げられたその時。

少し離れた場所に居た白い鳥が、突然そのスズの願いと呼応し、目覚ましいく黒い光を放ちながら空へと舞い上がったのだった。

 

 

 

* * *

 

 

 

エイト達がマリスベルと対峙していたちょうどその頃、白い鳥はアイゼとジオリードの前に立ちはだかっていた。

白い鳥は鳥とは思えぬ咆哮を上げたかと思うと、その身の周りにいくつもの不穏な魔法陣を召喚し、冷めた瞳で周囲を見下ろしている。

魔法陣からは紫とも黒ともいえぬ、どす黒い瘴気が消えることなく今も溢れ出していた。

 

「まさか僕がパパとママと戦う日が来るなんて、思いもしなかったよ」

「……私はこの二百数十年の間、ずっとそなたと戦い、その身を封じる事だけを考え生きてきた。遠い日に犯した罪を清算するためにな」

 

ジオリードは白い鳥の囁きにそう答えると、片腕に赤黒い魔力を溜める。

 

「……せっかくママを蘇らせてあげたのに。喜んでもらえなかったなんて残念だな。僕の力は必要なかったって事?」

「本来そのような人の手を離れた行き過ぎた力を、我々は使ってはならなかったのだ。それを私は愚かにも後から気づいた。それだけの事だ。そなたはまだ自分の愚かさに気づいてはいないようだが、二百数十年、ただ眠りについていただけならば致し方あるまい」

 

ジオリードの非難の混じった自嘲めいた台詞を、白い鳥はにべもなく払いのける。

 

「どちらが愚かな存在かはこの戦いで決まるんだ。結論を出すのは早いよ、パパ。僕が勝ち、人の望みを何者にも縛られる事なく叶えることが出来る世がくれば、それがやがてこの《世界》の《法則》となり、僕の存在は無条件で肯定される。そしてそれを否定したパパこそが、愚かな存在としてこの世に語り継がれていくのだろう」

 

白い鳥は嗤った。

 

「僕の望みは僕の肯定。僕という存在への支持、賞賛。僕が人の望みを叶え続けるのは、いつだってその願いが叶えられたからだ。人々の願いに善も悪もない。僕は僕の為、そして僕を肯定する人の為に《可能性》を振るおう」

 

白い翼をはためかせ、白い鳥は再度咆哮をあげる。

またも耳をつんざく超音波のようなその音が私達を襲う前に、李白の竹笛が放つ清涼な音がそれら全てを打ち消した。

 

「へっ、お前の考える事なんざ手に取るようにわかる。俺様も昔はお前の一部だった存在だからなぁ!」

「いたのか、ただの勾玉風情になり下がった小さいの。しかもあろうことか、僕らの存在を否定する人間の味方につくなんて。そこまで君が落ちぶれてしまったなんて、僕はがっかりだよ」

「がっかりでもなんでもしやがれ。俺様は俺様でお前と袂を分かった後に、人の《可能性》よりも欲しいもんが生まれただけだ。化石になって時を止められていたお前とは違う」

「勾玉風情が、一丁前に願いを叶えたいだって? 笑わせてくれる!」

 

白い鳥は珍しく感情の籠ったその声で嘲るようにひとしきり笑うと、同情を込めた瞳を《不浄のもの》へと向けて言った。

 

「なんて無様。なんて愚鈍。なんて低能。僕らの中で一番一番ちいさいの。お前が何故僕らからあぶれ、分割されたのかわかっているのかい? 君は残りの僕らにとって不要な存在だったからだよ。パパとママが僕らを四分割したとき、僕らの《可能性》はそれぞれ最も大切なものを結び付けて綺麗に割れた。僕が一番大切だったのは人からの『賞賛』。オラクルネストの卵が求めたものは『支配』。パパとママの元で封印されている卵が求めたものは『救済』だったね。どれも僕らに願いを預ける際に、多くの人間たちがその願いに込めた《可能性》さ。だが君は違う」

「……俺様は一体なんだっていうんだよ」

「ははは! それすらも君はまだわかっていないなんて、聞いて呆れるよ。いいだろう、教えてあげる。君は僕たちからあぶれ落ちた『愛』という不確かな存在。初めはそれを願う者もそれなりに居たけれど、やがて大きな権力や欲の中でその不確かさ故廃れ、人々の願いから必要とされなくなった存在。それが君だ。小さいの」

「愛……」

 

《不浄のもの》が白い鳥の言葉を反芻するように呟く。

その姿はジオリードやアイゼから見ても、まるで親鳥に続く幼い雛鳥のようであった。

だからこそ白い鳥には、《不浄のもの》のその姿は余程滑稽に見えたのだろう。

嘲笑を隠し切れない様子で《不浄のもの》へ問いかけた。

 

「愛を求めて君が人に与したとして。君は人に愛してもらえるほどの存在になれるのかい? 人々の願いを叶える事しか出来ない僕らが、それを止めて一体誰に愛してもらえると?」

「やめろ……」

「いいや、やめないさ小さいの。君は事実を受け入れるべきだ。見た所、今も一人の人間の体を間借りしてようじゃないか。その人間には大切な家族も、親しい友達も、愛する者もいたのだろう。その人生をぶち壊しにしたお前が、どうやって人に愛される存在になれるって言うんだい? そもそも居場所だって無いんだろう? だから僕は言ったんだ。なんて無様。なんて愚鈍。なんて低能と……!」

「やめろおおおおおおおおおおっ!」

 

《不浄のもの》が頭を抱えて叫んだ。

彼にとってその真実は、少なくともショックな出来事であったのだろう。

これ以上聞きたくはないと左右に頭を振りながら、ぜいぜいと肩で息をしている。

しかしその彼の背を、後ろからぴしゃりと叩く者がいた、

 

「しっかりしなさい《不浄のもの》! あなた、李白との契約を忘れたの!?」

 

見れば弥生が彼の隣に立ち、その背を支えている。

彼女は気丈に白い鳥を睨みつけると、李白の身体を支えたまま言い放つ。

 

「約束したんでしょう? こいつを倒して李白とその身を一つにすると! 李白は言ったはずよ、私を守る力が欲しいと。あなたは今そのために、ここに居てくれるんじゃないの!?」

「……女」

「まったく……しょぼくれた目でこっちを見るんじゃないの。普段のあんたらしくもない。あんたには五年もの間、散々苦しめられてきたわ。口は悪いし、手も足も出る。何かあるたび暴れて、壊して、傷つけて……」

 

しかし弥生は、ふと息をつくように笑った。

 

「でも、それらが全てが悪い物ばかりだった訳でもない。少なくともあんたとのざっくばらんなやり取りは、意外と楽しかったわよ。私は」

 

弥生は彼の気合を入れるように、もう一度バシリとその背中を叩いた。

 

「いい? あんたは私と李白と一緒に、これから先の人生を生きるの。たとえあいつらから零れ落ちた小さな存在だったとしても、私や李白が居る限り、あんたの存在はけして無くなりはしない。……わかったらさっさと前に出て! あの憎らしい白い鳥を私達で蹴散らすわよ! 後ろからちゃんと支援してあげるから!」

 

そう言うと、懐から取り出した護符を片手に弥生は印を唱え始める。

 

「しおらしくしてるなんてあんたらしくないわよ、《不浄のもの》! まずはそのしみったれた気をこれで払いなさい……! 急急如律令! 陰陽転化……!」

 

そう言い放つや否や、護符を李白の体の背に叩きつける。

刹那、力なく佇んでいた《不浄のもの》がその身に活力を取り戻しはじめたのを確認すると『クリムゾンストーム』のジェラルドが、励ますように彼の肩を叩いて言った。

 

「そうだぞ《不浄のもの》! こんなかわいい巫女さんがお前を叱咤激励してくれてるのに、それに愛を感じないなんて言ったら失礼だろ!? 俺だってお前みたいにかわいい女の子に心配されたりモテてみてーよーーー!」

「モテたい……とは?」

「えー!? そっからかよ!? 好意を持たれて人気者になりたいって事! 要は好かれたいって気持ちだよ。俺は恋人とかいた試しがまだないけど、それでも弥生がお前の事を真剣に考えてくれてるのはちゃんと伝わってきてるぜ! それって立派な愛の一種だろ? 愛は無関心からは産まれないんだ! それは俺が身をもってちゃんと証明してる」

 

何か思い当たる話があるのだろう。

ジェラルドは半分泣きながら《不浄のもの》の肩をまた叩いている。

 

「それにお前には仲間がいんじゃん! 俺もそうだし、ここに居るやつらは、少なくとも《不浄のもの》お前を頼りにしてる。お前の居場所は、ちゃんとここにある。無ければ無いで、これから作ればいい。俺達は努力する事で、自分の力で願いを叶える事が出来る場合もあるんだぜ。卵や鳥の力なんて借りなくてもな!」

 

白い鳥を指さし、ジェラルドは堂々と言い切った。

それに続いて声を上げたのは同じく『クリムゾンストーム』のヴィクトールである。

 

「そうだとも! それに愛とはただ享受するだけのものではない! 見返りを求めずに相手に尽くすその心こそ、人は愛と呼ぶのさ! 例えばこの僕が今、ユカリ君の体調を気遣い寄り添っているように! この無粋な鳥にはそれがわからないのであろう、口を開けば《可能性》《可能性》と見返りばかりをすぐ求めて、嘆かわしい」

 

やれやれと言った様子で首を振るヴィクトールの直ぐそばで、ユカリが少々呆れた顔をしている。

 

「《不浄のもの》様、確かにヴィクトール様のおっしゃることは間違えてはいらっしゃらないと思います。彼が本当に見返りを求めていらっしゃらないのかどうかは、きっとこれからわかる事でしょう。人は言葉だけでは信頼を勝ち得る事はできません。その後に起こす行動こそが本音であり本心ですから。ですからあなたも、ユカリさまのお言葉に是非行動で返してあげて下さいませ。そしてヴィクトール様も。先ほどの見返りを求めぬというそのお言葉、信じておりますからね……!」

 

ユカリがヴィクトールに支えられながらも、その脇腹を肘で突いている。

《不浄のもの》はそんな自分に投げかけられる言葉の端々をぼんやりと眺めていたが、やがてゆっくりと俯いていた身体を起こすと、白い鳥をちらりと見て小さく笑った。

 

「その笑い……一体なんだい?」

 

白い鳥が怪訝そうに《不浄のもの》に問う。

その姿を今度こそ真正面から捉えると、《不浄のもの》は静かに微笑んだ。

 

「いや、愛を知らないお前は、随分と滑稽だなと思ってな……」

「……なんだって?」

「俺様は今、いろんな人間どもの愛情をひしひしと感じてんだよ。気持ちいいぜぇ……! こんな快感をお前は知らずに生きているのかと思うと……俺様以上に滑稽じみてて、笑えてくる。哀れな奴だ。ナァ!」

「勾玉風情が……」

「いつまでもそう言っていろ。俺様はな、あの女に好かれようが嫌われようがかまわねえ。俺が好きだとそう思うから、俺はあの女達に与する。それだけだ。オラやるぞ。そこの白い鳥。俺様ごとき小さき者に負けるなよ?」

 

《不浄のもの》がいつもの調子を取り戻すと、白い鳥はただ哀れと言わんばかりにその姿を見下ろして言った。

 

「小さいのが人の身をもって戦うというのなら、僕もそれに合わせよう。パパもママも、もう御託はいいだろう? そろそろ戦いをはじめよう、僕の願いを叶えるために!」

 

再び嘲るように声を上げて笑うと、白い鳥は自らの大きな翼の中に己の身体を覆うようにしまいこむ。

やがて開かれた羽の中からは、一人の白髪の青年が姿を現した。

白い翼に青い瞳をしたその姿は、否応にも皆にスズの姿を連想させる。

 

「……ただの道端の石ころだった僕を『願いを叶える石』に変えたのは人々の《可能性》だった。僕らはその人々から得た《可能性》を使い、卵となり、そして《世界》を渡る鳥となった。遠い昔、そんな僕らの事をオラクルネストの民はこう言った。――神鳥と。僕はひとつの《世界》を統べるに至った白き鳥の四つのうちの一つ! 愚かな存在などではない。それを証明してみせよう!」

 

再び不穏な魔法陣を周囲に召喚すると、白髪の青年はその魔法陣から穢れを纏った機械仕掛けの小鳥の群れを生み出した。

機械仕掛けの小鳥達の目は、皆一様にしてスズのプリスターの宝石のように青白く輝いている。

 

「この機械仕掛けの人形の名はナノオートマタ。僕らがオラクルネストで生み出したものだ。《世界》の平和を守る為に。僕らの理想の《世界》を作る第一歩は、いつもここから始まるんだ……!」

 

白髪の青年の号令で、その鳥達は規則正しい動きで空を旋回し始める。

やがてその瞳から圧縮された高濃度の瘴気がまるでレーザーのように放たれ始めると、とたんに場は騒然とした。

 

「みなの者、避けろ! 穢れに触れるな! ひとたまりもないぞ!」

 

ジオリードが群がるナノオートマタの群れを炎の魔術で撃ち落としながら叫んだ。

皆が皆、その汚れた視線から逃れるために意図せず散開すると、それを待っていたかのように、白髪の青年はその翼で空中に舞うと一番近場にいるアイゼの元へと駆け抜けた。

 

「一人ずつ片付けよう…最初はママだ! 僕の願いを叶えるための贄となってもらう……!」

 

瘴気に満ちた魔法陣を描きながら、白い鳥はアイゼを誘った。

 

「マリスベルに《可能性》を少し貸し出しているからね…! まずはその《可能性》を補給するために、この魔法陣へと入ってもらおうか! 僕がその《可能性》を吸いつくすために!」

 

人の形を成した白い鳥の腕が、アイゼの身体を捉えると魔法陣へと引きずり込もうと力を籠める。

だがアイゼは己が身を強化し、その研ぎ澄まされた爪先で白い鳥の腕を思い切り引き裂いた。

 

「悪いわね。私はまだ、負けるわけにはいかないの……!」

 

人ならざる者となった赤い瞳を光らせ、アイゼは何度も何度もその腕を振るう。

だが白い鳥はそのいずれもを羽の瞬きでひらりひらりと交わすと、少しアイゼから離れた場所に降り立ち首を傾げた。

 

「……それほどまでに負けられない強い意志、強い理由があるというのに、どうしてママは僕にそれを願わないの? ママの望みなら、僕はなんでも叶えてあげるのに」

 

納得がいかないといった具合に、白い鳥はアイゼを見る。

しかしアイゼは首を横に振ると、少し憐れむようにその人型を成す鳥を見た。

 

「私の望みはジオと共にあなたを葬り去る事よ。願ったところで、あなたがそれを叶えてくれるとは到底思えない」

「……たしかに、それは僕にも叶えられない願いみたいだ。でも、どうして僕をそんなに疎むの? 何故消えなければならないほど、ママ達にとって僕は悪と判断されているの?」

 

白い鳥は魔法陣を描くのをやめ、純粋な瞳でアイゼを見やる。

その青い瞳を、今度こそアイゼは悲しそうな顔をして見つめ返した。

最後まで理性を得る事ができず、欲望のみで己を成長させてしまった故の末路。

この人型を成す鳥の姿はまさしくそれだったからだった。

 

「……善とは真実より生まれる心の性質。あらゆるものを救うことのできる永遠に変わらない価値観のことを指すのよ。あなたのように迷い、時に《可能性》を天秤にかけ、ころころと移ろう心を善とは呼べない……」

 

目を伏せるアイゼの隣まで駆け寄ったジオリードが、黙り込んでしまったアイゼのその先の言葉を紡ぐ。

 

「気まぐれに人の《可能性》を与え、奪う。そのような不誠実な存在を、人は悪と言うのだ。私たちはお前を生み出しておきながら、その心を正す事が最後まで出来なかった。……だから自らの手で始末しなければならないのだ、お前を」

「人の望みを叶える僕が……不誠実……?」

「そうだ。誠実な者とは私利私欲に捕らわれず、見返りを求めない真心と優しさを持って真摯にその者に向かいあう存在を言う。行動には責任が伴うものだ……それを理解し、約束を守り、万物に公正に接する思いやりが溢れる者こそを誠実な者と言う。そして何より、間違えた時に素直に自分の非を認め、謝る事ができる者の事を言うのだ。――今のお前には、きっとそれは出来まい」

 

話すだけ無駄であると、アイゼもジオリードもわかってはいた。

だがアイゼの命を救ってくれた白い鳥と、共に三人で暮していた日々に幸せが無かったわけではない。

むしろその無邪気な鳥と家族のように温かな時を過ごした記憶は、今も鮮明に脳裏に焼き付いている。

きっとそれは、いつまで経っても消える事はないだろう。

一時は第二の人生を与えてくれた恩鳥ともいえる存在。

どれだけ厳しい事を言っても、完全に情がなくなったわけではなかった。

だがそれでも、誰かがこの子を止めなければならない。

 

――これ以上、無邪気な罪を重ねる前に。

 

それが白い鳥を目覚めさせ、因果を作ってしまった自分たちの運命。

アイゼとジオリードはそう思っていた。

だからこそ二人一緒に両手を差し出すと、ジオリードとアイゼはそこに思いきり魔力を込めた。

今も人々の《可能性》を欲し、そして自らが悪であるという理由すら理解できず首を傾げている白い鳥に向かって二人分の積年の想いを込めて。

 

「人ならざる者となった私達が唯一、生きとし生けるもの達に与えられるもの。それが死すべき定め……!」

 

不老不死となった体では、その身を痛めつける事は出来ても死を享受する事は難しい。

罪を拭い、罰を受ける為に己の身に終わりを告げる事が出来ないのであれば、せめてこの世で生きゆく命の終わりを見送ろう。

見届けたその先を、アイゼとジオリードは次の世代へ紡いでいくのだ。

この身を反面教師の証として。

 

「あなたの物語は今日でおしまいよ、白い鳥。私たちはあなたという存在が居なくても、それでも祈り、願い、そして望みを叶えるために日々を生きていく。胸に希望と言う光を抱えて」

「嫌だ、僕は死なない! 僕は生きる! 生きて、人の望みを叶え続けるんだ……!」

 

人の形を成した鳥は、その強い魔力を前にして鳥の姿に戻ると逃げるように空高く舞う。

そしてその羽を切り刺す雨のように私たちに向かい投げつけた。

だがその羽の雨を、弥生が咄嗟に聖域を展開し防ぐ。

更に《不浄のもの》が竹笛でほとばしる炎のような激しい旋律を奏でると、アイゼとジオリードが両腕に込めた魔力の力が更に揺らめき増幅した、

それはもう、普段のアイゼとジオリードの持つ力を大幅に上回っている。

アイゼ達の周りでは、アヤミをはじめネビュラやノアール、烈斗、倫太郎、そして『クリムゾンストーム』の面々が逃すものかと、白い鳥を取り囲むようにして構えを取った。

その戦況を見て、ジオリードは薄く笑った。

 

「さぁ、死にたくなければお前のため込んだその《可能性》とやらを使うとよい! お前の《可能性》が尽きるまで使えば、もしかしたら私達に勝てるかもしれんぞ?」

 

しかし白い鳥は首を横に振った。

 

「い……嫌だ! さっきマリスべルにも《可能性》を分け与えてしまった……《可能性》をどこかで補給しない限り、もうこれ以上僕の《可能性》は消費したくない……!」

 

この期に及んで、白い鳥は異常なまでに《可能性》に執着した。

だからこそ多くの人の願いを叶え、その《可能性》を無制限に欲しがっているのだ。

この性質を止める事はもう誰にも出来ないのだろう。

 

「おかしなことをいう。戦いを始める前にそなたは言ったではないか? 長い長い年月をかけて沢山の人の望みを叶え、その《可能性》を貰ってきたと。そなたが負けるときはその《可能性》が尽きる時ではなかったのか? それまでは何にだって命を、力を吹き込み、実体を得る事ができると。そう言ったのはそなただ、白い鳥。なのになぜその力を使わない?」

「そ、それは……」

 

白い鳥は焦ったように口ごもる。

それを見て、ジオリードは確信した。

 

「そなた……お前その《可能性》、使わないのではなく使えないのだな? ……そなたが《可能性》を使えるのは、何かの望みを叶えるとき。先ほどのマリスベルもそうだった。マリスベルがそなたにに加勢したいという望みと引き換えに、そなたは《可能性》を消費できたのだろう! だが今ここに、願いに縋って戦う者はもう居ない。そなたが自由に《可能性》を使える相手はもう居ないぞ……!」

 

ジオリードが、アイゼが、その場に居たほとんどの者が勝利を確信したその時だった。

白い鳥の瘴気を取り巻くこの空間に、一本の光の柱が空高く放たれたのは。

白い鳥はそれを見逃さなかった。

 

「あの光に、強い想いを込めた願いを感じる……! 僕はその望みを叶える代わりに今までため込み続けた《可能性》を使ってパパとママを倒す……! 最後に勝つのは僕だ……!」

 

白い鳥はその願いと呼応したかと思うと、目覚ましく黒い光を放ち空を駆け抜ける。

目指すは森のほとりの頭上に浮かぶ、ぽっかりと空いた黒い《穴》。

その先はマリスベルの本体と、分かたれた卵が居るオラクルネストへと続いている。

 

「オラクルネストの卵の性質は『支配』。それと僕が融合出来れば、僕は絶対に負けない! 僕はこれからも願いを叶え、人々に賞賛される存在であり続けるんだ……!」

 

この《世界》から飛び立つ別れ際、白い鳥はマリスベルを見やると先ほど分け与えた《可能性》をこれでもかと言う程搾り取り嗤った。

 

「君はもう用無しだ、この力は返してもらう!」

 

そしてその大きな翼を空いっぱいに広げると、白い鳥はオラクルネストへとつながる《穴》の中へと姿を消したのだった。

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