『純喫茶ピララ』
それは中央世界カノニカルのとある路地でひっそりと切り盛りされている、多くのバースセイバー達が息抜きに訪れる喫茶店でございます。
私ことアーノルド・ノアールはこの店のいわゆる常連という者です。
とは言っても週に一度から二度、コーヒーを一杯だけ飲みにやってくるといった、大変ささやかな客の一人でございます。
お嬢様に仕える傍らバースセイバーとして働き、その合間を縫って束の間の休日をこのピララで過ごすのが、最近の爺のお気に入りのひと時となっておりました。
私は昔からお茶の時間が大好きでした。
特に紅茶の奥ゆかしい香りと、お茶請けに添えらえたクッキーなどとの相性は抜群で、それは疲れた体に染みわたり、私の心を常々癒してくれました。
小さな頃は母が淹れてくれたミルクティーを好んで飲み、王宮で駆け出しのフットマンとして勤め始めてからは、先代の王が使用人を労う為に毎週末ごとに王宮の片隅で開いてくださったティータイムへ足しげく通ったものでした。
そのティータイムで同じく王宮で使用人として働いていた妻と出会い、そして一人の子を成しました。
結婚してからは妻が淹れてくれる甘めの香り漂うアッサムティーを、よく朝食と一緒に嗜んだものです。
私はその屈強な体つきから、先代の王に見込まれ気づけば騎士として王にお仕えするようになりました。
先代の王は大変慈悲深く気さくな方で、私のような配下の者にも常に心を尽くして下さり、時に厳しく、時に労わりを忘れずに、私に国を守る者としてのなんたるかを徹底的に叩き込んでくださいました。
お陰で王と共に剣の修練に励み、また空いた時間には使用人としての立ち振る舞いや知識を学び、私は心も体も大きく成長する事ができたのです。
やがて戦乱の時代を迎え、私と王は国の双璧となる騎士として戦場へと赴きました。
王は類まれなる癒しの力を生まれつき持っておりましたが、ただ守られる事を良しとする人ではございませんでした。
その癒しの力で傷つく民を助け、そして誰よりも真っ先に先陣を切り、国民を守る偉大な盾となったのです。
私はそんな尊敬する王を守る騎士として、戦場を共に駆け抜けました。
王が民を守るのなら、私はそんな王をお守りする。
そうして私たちの間には、切っても切れぬ固い絆が生まれました。
「ワシが守りの騎士ならば、ノアール。お前は攻めの騎士だ」
戦の最中、王国軍と言えど粗末な食事とわずかな飲み水しか用意できない日が続く中、寝る前に王が私を労わる様にたった一杯のコーヒーを淹れてくださった事がありました。
「お前は紅茶の方が好きなんだろうが……今はこれしか手元にない。粗末なコーヒーで悪いが、明日の無事を祈ってささやかなティータイムとしようじゃないか」
そう言って王から手渡されたコーヒーは、随分と色が濃く、渋い味がいたしました。
当然と言えば当然です。
水も食べ物も貴重なこの時期、使える量は日々決められておりほんの僅かしかありません。
底をついてしまえば最後、それは私達王国軍の死を意味するからです。
そんな中でコーヒーという嗜好品を手にできたのは、王が私に精一杯の心を尽くして下さった証拠。
苦いコーヒーを飲みながら、私は思わず涙が出そうになるほど胸がいっぱいになったのを覚えています。
「お湯をケチりすぎたか、やはり少し苦いな」
同じく苦いコーヒーを啜りながら王様は笑いました。
「……いえ、私にはもったいない物でございます」
私は戦場という生と死の狭間で王の淹れてくださったコーヒーを飲み、この時初めて戦火の中、やっと気を緩める事ができたのです。
たった一杯の粗末な味のコーヒーでした。
ですが私はこのコーヒーの味を生涯忘れる事はないでしょう。
舌に残る強い苦みは、王と共に過ごした日々の記憶を今でも思い起こさせます。
その後、王国軍の勝利と同時に王は病に倒れ、最後の命として生まれたばかりのお嬢様の身を私に任せ、この世を去りました。
今にして思えばコーヒーを淹れて下さったあの頃からもう、自分の命はそう長くはないと知っていたのでしょう。
そんな、私が生涯仕えると決めた王とのほろ苦い記憶。
それを思い出すためだけに、私は今日も喫茶ピララへと足を運ぶのです。
「ノアール殿、いらっしゃい。いつものでいいのかい?」
笑顔で出迎えてくれる喫茶ピララのマスターを前に、私は普段と同じように返します。
「ごきげんよう倫太郎様。ええ、いつもの苦いコーヒーをひとつ」
【Fin】